「――――――でも、いいんですか?ボスに本当のこと言わなくて、」




優しいあなたは、後に本当のことを知った時、ひどく後悔するかもしれないけれど。
決して、自分を責めたりしないで欲しい。




悪いのは、何も知らないあなたを利用した、あたしなんだから。




「さっきも言ったけれど、言わないんじゃなくて、言えないの。分かって下さい」
「……っ奥様のお気持ちは分かります!けどっ、」


「父はディーノのことを……、嫌っているし、裏切ったあたしのことも、きっとそう。
父の意思に反したと言えど、実の娘。でも父は、受け入れてくれるか分からないわ。
そこへディーノを連れて行ったりしたら……、結果は目に見えるでしょう?」


切なそうに表情を歪めるさんに、心が痛む。
まだ、人並みに痛みを感じるのだ。
あたしの、どうしようもなく弱い心は。
いっそその弱さを理由に、何も感じられなくなったらいいのに。
そうしたら、たとえ偽りの笑顔でも、もっとうまく笑えるはずだ。
自分を騙していることすら誤魔化すことだって、必要なくなる。




……こうして、あたしはひとつずつ、大事なものを失っていくんだろうか。




「……では皆さんには、奥様はご友人が急に体調を崩されたので、その看病に行かれましたと、
そうお伝えすればいいんですね?ボスにも、そうお伝えして、いいんですね?」

「ええ、お願いします。……しばらくは父のことを優先したいから、連絡は控えさせて下さい。
余裕が出来たらこちらから連絡をします。……勝手なのは分かってるけど、さん、分かってね」

「、承知いたしました。………っ、奥様っ、あのっ、ちゃんと、お屋敷に戻って下さいますよね?」




もちろん、と笑って返すと、スーツケースの持ち手に手をかける。
心にもないことを、と思いながら、あの人の眩しい笑顔を思い出していた。






今ずきりと痛んでいるこれが、あたしの心、なんだろうか。(もう、形すら失くしてしまっている、これが)







Love Sick! Medicine22:傷心旅行






実家は世界的に有名なお茶の家元で、当主の一人娘のあたしは、次期9代目当主になるはずだった。




優しい母、少し厳しいけれど、母とあたしを大事にしてくれる父。
そんな両親の間で、苦労など何一つせずに育った。
母に憧れ、父を尊敬し、なんでも素直に言うことを聞いた。
引かれたレールの上を歩く人生、というのだろうか。
多分あたしは、そういう生き方をしていた。


けれど、満足していたのだ。
あたしは、幸せだった。




自分が恵まれていることは分かっていたけれど、ありきたりで平凡な人生を送るんだと思っていた。




泣いて、怒って、笑って。
人並みに色んな経験をして、悩んだり迷ったりもしながら。




けれどあの日に、全て変わってしまった。(思えばあれが、運命の日だったのかもしれない)




あの日、父はやけに機嫌がよかった。
何かいいことでもあったのかと聞いたあたしに、父は笑った。




「お前に、紹介したい男がいるんだ」




家の次期当主として、父には沢山の人を紹介されてきたし、この時も特に気にはしていなかった。
ただ、今度の人はどういう人だろうか、というようなことを考えていたと思う。(たぶん、)
曖昧な記憶しかないのは、それが特別なことだとは思ってなかったからだ。
少なくとも、この時は。




せかせかと忙しそうに行き交う人達の中、立ち止まった。




騒がしい空港、大音量のアナウンス、ひどく懐かしいにおいのする、母国語。
逃げてきてしまったということが、今になって重くのしかかってきたような気がする。
怪訝そうに、一瞬視線をこちらに向けて、また通り過ぎてゆく人の、その視線。
それにすら、責められているような気持ちになるのだ。
被害者ぶっている、という薫さんの言葉が、ふと聞こえた。


ディーノと一緒になるということは、実家と縁を切るということだったのだ。


婚約者がいて、既に式の準備も整っていた。
好きなひとが出来たから、なんて理由で、取り止めに出来るはずがない。
何より、の名を大事にしていた父が、認めるはずがなかった。
でもあたしは諦められなくて、この時初めて、父に逆らった。






を、母を、父を、薫さんを、それまで生きてきた中で得た全てを、裏切ってしまった。






認めてもらえることが、一番だったけれど。
認めてもらえないのなら、飛び出すしかなかった。




そしてディーノに連れられて、あたし達はイタリアで一緒になった。




それから、実家とは連絡を取っていない。
人づてに、話を聞いたりはしているけれど。




それで、父が倒れたことを知った。




仕事に関しては特に真面目一徹の人だったから、無理が祟ったんだと思う。
過労だという話だけど、もう若くはない。
散々心労を与えてきたあたしが帰ったところで、余計かもしれないけれど。
あたしのエゴだというのは承知している。
でも、顔を見て、今きちんと生活していることは伝えたい。




そう話したあたしに、さんは自分のことのように心を痛めてくれた。




実家と縁を切り、婚約者を裏切ってディーノを一緒になった、実家の様子は人づてになんとなく知っている、そこまでは本当だ。
けれど、父が倒れたところからは、全部あたしの嘘。
自分が傷つかないように、逃げ出す為に吐いた、ひどい嘘。




もちろんさんは、そんなことは知らない。




だから、一刻も早く日本へ行くようにと、さんは一緒に準備をしてくれた。
荷物の仕度から、飛行機のチケットの手配まで。






終始心配顔だったさんの姿が、離れない。(これがきっと、罪悪感のかたち)















































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やっとこさのお届けですね;
ううむ、この章は難産続きそうです。


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