急所を狙って打ち据えたと思ったが、なんてことだ。
何度やっても立ち上がる。集中力も途切れる気配がない。
ぞくりと、背中が震えた。
腹に何かあると思ってはいたが、正直甘く見ていた。
「……ここでやられちまうわけにゃ、いかねーんだよ……!」
しかし、それは僕の方も同じだ。もう引き返せはしない。
それなら僕はどうすべきか?
少々卑怯な真似かもしないが、仕方がない。
手段など選んでいる場合ではないし、僕って男はそういう事を嫌うでもない。
「それで君が死んでくれてもいいんですけどね、僕は」
ただ、彼女はどうでしょうかね。
僕がそう言うと一瞬、隙ができた。
「悪く思わないで下さい」
「っぐあ……!」
今度こそ、彼はその場へと崩れ落ちた。
僕も同じようになってしまいそうだったが、体に鞭打ってすぐさま走り出した。
山本武――――本当に君って男は、彼女の傍に置くべきじゃなかったですよ。
純粋な黒
「……雲雀。そろそろ待ってやねェぞ」
赤ん坊のその言葉に、僕もそろそろ頷きたいところだ。
こちらにはがいる。今の状況下では、確実に僕たちが有利だ。
どうしたって彼女に気を取られる。
現に笹川は思う通り戦えていない。
ここを突破すれば地下ゲートは目前だ。
でも、沢田が動き出すころだと言った赤ん坊の言葉に間違いはないだろう。
彼女の記憶の再生は、もう止められやしないのだから。
――――だから、
「う、ぐうっ」
「――悪いね、笹川」
最後の一撃として、トンファーを腹に叩き込んだ。
彼のパンチで切れた口端を、ぐいと拭う。
「……ひ、ばり……、な、ぜだ……どうし、て……を……」
冷たい床に這いつくばりながら、笹川は言った。
僕は思わず笑ってしまった。だってそんなの、決まってるじゃないか。
「……どうして?愚問だね」
彼女が大事だからこそさ。
誰かに理解してもらう必要なんて、どこにもない。
どうしてかなんて理由だってどうだっていい。
ただ僕は、彼女は彼女なりに懸命に生きてきたっていうのに、
それを他人が真っ向から否定するのはどうかと思うってだけだ。
初めはただ、また面倒事が増えた程度にしか思っていなかった。
でも、周りが過保護に彼女を扱っているのを見るたび、僕は腹立たしかった。
彼女にではない。もちろん彼女をそうして腫れ物扱いする、ヤツらにだ。
確かに彼女は辛い思いをしながら、あの日まで生きてきたに違いない。
僕には決して想像できないくらいに凄まじい生活を送っていたことは明らかだ。
たとえ自分の心を失ってしまったとしても、なお生にこだわったことは敬服に値する。
そう、何があろうとも生きていなければ負けだ。
でも起きてしまったこととは、先の人生でも付き合っていかなければならないのだ。
彼女は自分に起きたことに、自分で向き合わなければならないのだ。
真実をひた隠して慎重に扱うことが、彼女にとっての正解とは思えない。
辛い現実だからこそ、彼女はそれを受け入れなければ。
――――それでこその、生であるはずだ。
からっぽのまま、嘘で塗り固められた毎日を送ることが彼女の人生か?
それはあいつらの――――沢田のための人生だ。
彼女には、人生を自分で選ぶ権利がある。
僕はどんなに彼女から負の感情を寄せられたとして、それに怯んだりなんかしない。
その感情は作られたものであって、彼女の本当の意思ではないから。
だから、それに一喜一憂するヤツらはバカだ。
本当の彼女の思いは、本当の彼女にしか知りえないのに。
「雲雀、何してる。行くぞ。地下ゲートはすぐそこだ」
「……うん、分かってるよ」
***
最後の砦――――地下ゲートの目と鼻の先にある通路に、オレはいた。
山本が……そして芝生頭の野郎が突破されたとすれば、ヤツらはそろそろここへ到着するはずだ。
記憶を取り戻そうとしている、危うい状態のさんを抱いて。
――――10代目は、どうしておられるだろうか。
「……へっ、ンなこと、もう分かりきってることだよな」
極限まで音量の抑えられた足音が近づいてくる。
「やはり最後の砦となるか、獄寺」
「砦って言うほど、強固じゃないと思いますけど、ねぇ。あぁ、遅れてすみません」
さんを抱くリボーンさんと雲雀……そしてその背後から、骸がやってきた。
その様子を見ると、山本も満身創痍と言ったところだろう。笹川も突破された。
ここでやらなければ。
攻撃態勢に入ると、ちらっとさんに目を向ける。
その目は虚ろだ。今の彼女には、一体何が見えているのだろう。
すると、そうかなと雲雀が静かに呟いた。
「何……?」
「おや、君が他人を評価することなど、ほとんどないのに……珍しいこともあるもんですね」
「うるさいな。……コイツは自称沢田の右腕だ――――まぁ強さで言えば到底僕には及ばないけど。
……ただ、愚かしい程の沢田への忠誠心と……その根性を甘くは見れない。だからここは」
僕が引き受けることにするよ。
その言葉と同時に、雲雀が驚く程のスピードでこちらへ向かってくる。
両手に構えられたトンファーが、鈍く光を放ちながら振り上げられる。
避けることすらままならず受けたその一撃は、やはり重い。
「っく!……雲雀ィ!!」
「ふん、バカ正直に受けたか。――――ぼさっとしてないでとっとと行けよ」
オレを見据えたままの雲雀の言葉に続いて、リボーンさんと骸が脇をすり抜けていく。
「ッテメェ……!!くそっ、ならとっととテメェをぶっ殺すだけだ!!さっさときやがれ!!」
「言われなくても1分で片をつけるよ、負け犬」
さっさとコイツを沈めて、なるべく早く後を追わなければ。
***
雲雀くんのことだ。すぐに僕たちに追いつき、ここへやってくるだろう。
今は跡形もないグロリゼファミリーのアジトである、この屋敷に。
僕たちはを連れて、屋敷のあちこちを回っている。
そうすることによって、正しい記憶を取り戻すだろうと考えたからだ。
「何度見てもシュミの悪いアジトですねぇ。こればっかりは僕も、同じマフィアでも君たちの方が幾分かマシだと思ってしまいます」
「当然だ。比べるまでもない」
虚ろな目でぼうっと周囲を見渡すをじっと見つめたまま、僕たちは軽口を叩くしかなかった。
それにしてもこの部屋、とても不気味だ。過去、自分が押し込められていた場所を思い出す。
ふと、ある一点で彼女の顔色が変わった。
「あ、あ、あ!いや、いや……だめよ、だめなの!」
今、どこまで思い出しているのだろうか。
虚ろだった彼女の瞳が、心を取り戻している。
残念ながら、喜べる状態ではないけれど。
「……どう見る?」
アルコバレーノの言葉に、僕はゆっくり口を開いた。
頬に冷たい汗が伝う。それでも、もう戻れない。
彼女の過去をこうして覗くことで、らしくもない罪悪感を抱くだろう。
けれど、引き下がることだけは絶対にしない。僕の心はその点については少しも揺るがない。
こうなることは分かっていたのだ。避けられるわけでもないことが、少し早まっただけのこと。
「……今まで緩やかだった再生のスピードが、ここへ来たことによって速められた。この様子だと、
すぐさま再生は終わるでしょう。後のことは、分かりませんね。……どうなることやら」
そこへ、彼女の悲鳴が上がった。絶叫と言っていい。
これからどうなってしまうのか、それだけは誰にも分からないけれど、
ただ一つだけ、はっきりしていることがある。
これを乗り越えてくれさえすれば、後のことは全て僕がなんとかしてあげよう。
僕はあなたのためならどんなことをしたっていいと思うくらいには、大切に思っているのだから。
どうなったとしても、彼女の行く先には僕もついて行く。
彼女の絶叫が、広い屋敷中に響き渡った。
***
「いやぁあ! やめてっ、やめてぇ!」
「おいっ、押さえろ!」
「さわらないで! やめて……やめて……いやぁああ!!」
――「さぁ様、私の目をじっと見て下さい。あなたは、アリウム様の猫なのです。猫は己の意思など持ってはならない。
あなたはガット。かわいいだけのガットなのです。さぁ、こちらをじっと見て。私の言葉をよく聞いて。
ほら、言うのです。認めるのです。自分はかわいいだけの無力なガットだと。」――
……屋敷にいた者たちが、じぃっとこちらを見ている。
恨めしそうな顔だ。私のことを責めているのだ。
どうして助けてくれなかったのかと、私に訴えているのだ。
私にはどうにもできなかった!
私にできることなんて、あの場には一つだってなかった!
母さまは言った。
いつか救われる日がくると。
私が救われる日なんて、訪れるのだろうか。
私だけが救われて、それでいいのだろうか。
やっぱり、彼らは私のことをじっと見つめている。
何を言うでもなく、ただじぃっと。
気が変になりそうだ。
もう何もかも終わりだ。
私はあの男から一生、逃れることはできない。
誰にも知られずここで息だけをして、誰にも知られずここで死ぬ。
私が生きている限りは、残された者たちの命は保障されるはずだ。
それならば、死ねるまでどのくらいかかるのだろう。
何もかも、諦めていた。
……諦めて……? いや……そうじゃない、違う!
私の前に、現れた。私に救いの手を差し伸べてくれる人が!
あの人は、私を必ず救うと言ってくれた。
もう何もかもを諦めていた私に、希望と勇気を与えてくれた。
たった一度言葉を交わしただけでも、それでも。
私にはまだ、やらねばならないことがあるのだと教えてくれたのだ。
死んでいった者たちのためにも。
私の身を最期まで案じてくれた母さまのためにも。
未だ私を探している、残されたファミリーのためにも。
最期まで誇り高くあった、父様のためにも。
私は、生きなくては。
「様、それではまた、3時間後に」
そうだ。生きなくては。
何をされても、私は屈服するわけにはいかない。
ここから抜け出して、あの男を殺すまでは。
***
最近、時々だけれど、自分が誰だか分からなくなる。
何か大切なことを忘れてしまったような気はしているのに、その内容はもう思い出せない。
私は、ガットだ。
かわいいだけのガット。
ボスの言うことをなんでも聞く猫。
私は――わたし、は……どうするんだったっけ……?
あぁ、そうだ。
ここにいて、ボスの言うことだけを聞いて生きていかなくちゃいけない。
死ぬまでずっと、アリウム・ソガーロという男のいう事だけを聞いて、生きていくのだ。
わたし、かわいいだけの、ガットだから。
そう、ガット。
わたしはガット、ガット、かわいいだけの、ガット。
***
「ガット……わたし、は、ガット……ガット、ガット、」
虚ろな――いや、もう死んでしまった目には、今度こそ何も映らない。
「……切り札があるなら、使い所は今ですよ」
「……そんなもんがあるんなら、こんなこと思いつきゃしなかっただろ」
小さな声で自身を猫だと繰り返すは、もうどうしようもないだろう。
一瞬、自己を取り戻したように見えたけれど、僕の見間違いだったのかもしれない。
そうであってほしいと願った僕の目が、そう錯覚させたのかもしれない。
カツ、と靴音が響いた。
いやに大きく聞こえたが、彼に限ってそんなことはないだろう。
ここが、静かすぎるのだ。
血に濡れた雲雀くんが、あぁ、と息を吐いた。
「……彼女は、選べなかったんだね。自分の、幸せな未来を」
もしかしたら、あの日に死んでしまった方が彼女にとっては幸せだったのかもしれない。
そんなことを今更言ったって、何がどうなるでもないけれど。
何にせよ、行き先は決まった。
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