たった一月前だ。
ようやくを助け出す準備ができて、守護者たちを引き連れ、ここへやってきた。
あの時に下した決断の結果、俺はまた彼女を傷つけてしまった。
今度こそはもう、何をしたってダメだろう。
俺は彼女を助け出すって約束したのに、結局何からも助けることができなかった。
でも、これでよかったのかもしれないと、どこかでは思っている。
いつか彼女が俺を殺すと言うのなら、それでも構わなかった。
それが報いだと思っていたからだ。彼女が憎いのは、この俺だ。
幻術でのすり替えなんてなくったって、彼女は俺を憎んでいたはずだ。
俺は、なんにもできなかったのだから。
「一ヶ月か……たったの。たったの、一ヶ月……」
苦しくて悲しい時間だった。
俺が言えたことじゃないけれど、やっぱり辛かった。
彼女の身に襲いかかった現実には、到底及ばないと分かってはいても。
それでも、憎まれるばかりだった一月でも……。
俺は、いいんだ。これで、いいんだ。
たった一月でも、君の傍にいることができて、俺は幸せだった。
憎まれても恨まれても、俺はやっぱり、幸せだったと思うんだ。
「今度は……君を幸せにしてあげなくちゃね」
純粋な黒
屋敷の中へ入ると、俺は迷うことなくある一室へと向かった。
リボーンと骸はアリウム・ソガーロ確保のために別行動だったので、
あの部屋の位置までもは知らないだろうが、記憶の再生のために屋敷を歩いて回ったはずだ。
そして、もうそこにいるだろう。雲雀さんも、もしかしたら到着しているかもしれない。
が毎日強力なマインドコントロールを受けていた、あの忌々しい部屋に。
重厚な扉を押し開くと、壁によりかかって煙草をふかしているリボーンが、くいっと顎を動かした。
その先に座り込むは、あの日と同じ、人形のようだった。
「……遅かったですね、綱吉くん」
「そうかな。よくこの部屋を見つけたね」
「あちこち歩き回ったので」
「だと思ってた」
骸と会話しながら、俺はゆっくりとに近づいていく。
彼女の傍には、床に膝をついた雲雀さんがいる。
「ガット……ガット、わたしは――」
何度も同じことを呟きながら、空を見つめているの頬をそっと撫でながら、
雲雀さんはこちらにちらっとすら視線を向けずに言った。だめだった、と。
「……彼女は、選べなかったんだ。自分が幸せになることを。……いや、違うな。僕が、
彼女の幸せってやつを見誤ったんだ。……こうなることを、彼女は望んでたようだ」
それからの傍をそっと離れて、部屋を出ていった。
後に続くように、骸も……リボーンも、出ていった。
「……またこうなってしまった君を目にすること、覚悟してたつもりだったんだけどな」
俺は彼女の前に、同じように座り込んだ。
虚ろなの目には、もう何も映らない。これから先、ずっと。
俺を恨んで、殺してやりたいと言うほどに憎んだりもしない。
「ガット……わたしは、ガット……」
「……君は、猫なんかじゃないんだよ」
「ガット、ガット、わたしは、ガット」
「……うん」
「ガット……ガット、ガット、わたしは」
「……うん。……ねえ、」
「ガット、ガット」
何を言っても、は答えてはくれない。
覚悟、していたはずなのに。
「君は俺のことを、憎んでいいんだよ」
「俺のこと、殺したって構わないんだよ」
「俺みたいな男を信じてくれたのに」
「なんにもしてあげられなかった」
「だから、あんたなんか殺してやるって、言ってよ」
月明かりに白く照らされている頬に、唇を寄せる。
そのまま口付けても、こちらを見ない。憎悪の影すら。
……なんの感情もない瞳は、何を見ているんだろう。
俺にそれは、分かりえない。
分かってあげたかった。共有したかった。
君が望むなら、どんなものでも差し出したかった。
俺が家族になって、俺が、君を愛したかった。
でも、いいんだ。
君が望むなら、これで。
「……が今幸せなら、これでいいんだ」
細い体をそっと抱きしめると、唇を噛んだ。
そうでもしないと、俺は――
「いいわけ、あるかよ。ツナ、お前、バカだよ」
ゆっくり振り向くと、扉に腕をついてかろうじて立っている山本が、俺を静かに睨みつけていた。
満身創痍。本当に、立っているのが限界だろう。いや、立っていられるのが不思議なくらいだ。
骸も傷だらけだったけれど、ここへの移動中に応急処置はしていたようだった。
山本は骸とやり合った後そのまま、こんな体でここまでやってきたらしい。
血で全身汚れた体を引きずって、こちらへ近づいてくる。
「ちゃんと治療を受けないと、長引くよ」
「そんなの今はどうだっていいことだろ。お前、今なんて言ったんだよ」
「……リボーンたちにはもう会った? このままを連れて帰るから――」
すると山本の拳が振り上げられ、それは勢いよく俺の頬へと叩きつけられた。
素直に受け入れると、俺の体はおもしろいくらいにふっ飛んだ。
どこにそんな力、残ってるんだか。
俺は思わず笑った。こういうところ、変わらないよなあ。
俺なんかには到底できないこと、いつもさらっとやってのける。
「……くそ、こんな体じゃこれで精一杯だな。ほんとは、もっと、ぶん殴ってやりたい」
「そんな体で、よくこんだけ飛ばせたよ」
茶化す俺を、山本はやっぱり睨みつけた。
立ち上がると、頭がくらっとした。
けれど、その眼差しをしっかりと受け止める。
「……向こう空けるわけにはいかねーから、笹川さんには残ってもらった。そのうち獄寺もここへ来る」
「だろうね」
「お前、こんなのがの幸せだって、本気で思ってんのか」
「がそう望むなら、そうだって思うよ」
廊下から足音が走り寄ってくる。
こちらも、どこにそんな力が残っているのか不思議だ。
いつもはとても頼りになる二人だけど、今回ばかりはじっとしていてほしかった。
「十代目!」
「そんな体で走ったりして……怪我が長引くよ」
山本に言ったのと同じようなことを繰り返すと、獄寺くんが息を呑んだのが分かった。
俺はゆっくりと、の方へとまた向かう。
二人とも、俺に何を期待しているのかよく分かっている。
でも、俺にはそんな力、どこにも残っていない。
「……ガット、ガット……」
「……、俺だ。……こっち見ろ。大丈夫だ。俺が傍にいる」
山本はの傍でがくっと膝をつくと、その手を力強く握った。
ちらっと扉の方へ目を向けると、獄寺くんがゆっくりこちらへ近づいてくる。
その顔には悲壮の覚悟ってやつがはっきりと浮かんでいて、
こちらも全く変わらないな、と俺はやっぱり笑った。
「……さん……。オレです、獄寺です」
どちらの言葉にもは反応せず、ただただ何もありはしないところを見ている。
獄寺くんも、の傍へ座り込んだ。
「ガット……、ガット……わたしは、ガット……」
「……もう、どうしようもない。はもう、何も返してくれないんだ」
言いながら、俺はまた彼女の前に座り込んだ。
「……そうだな。それで? どうする」
山本は、はっきりとした口調で言った。
どこかにあるかもしれない希望への確信があるみたいに。
「どうする? どうもしないよ。これがの幸せなら、俺はそれでいい」
「そんな……十代目……!」
「が決めたことなら、俺は何も、どうもしない」
獄寺くんは黙り込んでしまった。
***
それから、どのくらいそうしていただろうか。誰も、何も言わなかった。
けれど、その状況を打破したのは以外にも、獄寺くんだった。
「……お言葉ですが、十代目! オレはこんなこと、絶対に受け入れません!」
その言葉に俺は驚くと、そこへすかさず山本が続いた。
「ツナ、お前、本当はどう思ってる? 本当にこれでいいって、マジで思ってんのか?」
「オレたちは、ボンゴレです。今まで、どんなことでも乗り越えてきました」
「お前がどんな無理難題言ったって、オレはどこまでだってついていく」
「十代目がお決めになったことなら……なんだって叶えてみせます……!」
――だから
「諦めたりすんな!」
「諦めたりしないで下さい!」
……ほんと、本当に……。
「……ばかだね。……どうなるか、分からないんだよ?
俺はこれ以上、に辛い思い、させたくないんだ」
でも、ここまで言われちゃあ俺だって――期待、してしまう。
誰よりも信頼している二人からの言葉だからこそ。
「……誰が、諦めるって言った?」
俺がそう言って立ち上がると、二人も立ち上がった。
ファミリーにここまでさせて、俺がじっとしているわけにはいかない。
、ごめんね。
俺はまだ、夢を見ていたい。
君が笑ってくれるという、夢を。
今度こそ、俺は君を救い出してみせる。
まやかしでも、嘘でもなく、この手で。
もう一度だけ、俺にチャンスをくれ――。
「……君が泣く必要はもうないよ。だからお願いだ。……もう少しだけ、
どうか頑張ってくれ。――――必ず、助けてみせる」
「俺が来た。ここへ、俺が来たのは運命だ。こうなるべくしてなった。君が泣く必要はもうないよ。
アリウム・ソガーロの数々の悪業に対する確たる証拠がない以上、今まで黙っていてしまったけれど……、
君が生き証人だ。君の存在で、君のファミリーだけじゃない多くの人達が救われる。だからお願いだ。
……もう少しだけ、どうか頑張ってくれ。――――必ず、助けてみせる」
すると、そこで初めて、が反応を見せた。
俺の腕の中で、確かに呟いた。
――「……、あなた……、だれ?」――
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