綺麗に手入れされた芝生だけれど、それが命取りだった。
あの男にしてみれば。
不自然に入った直線の亀裂は、月の光を受けて白く光っている。
真っ直ぐに続く光の直線は、俺にしてみれば起死回生の、まさに希望の光、だ。
その場に屈んで、亀裂に指先を滑らせる。
そして、人差し指を立てて、透明なそれをコツコツと叩いた。
「……ガラス、…強化ガラスの類か。……って、う、あ!」
突然、キィイイイィィ、と耳を劈(つんざ)くような鋭い音がしたかと思えば、次の瞬間、地面が大きく揺れ始めた。
まいったなぁ、と口の中で呟きながら、冷や汗まじりに俺は笑う。
こんな大きな揺れ、気付かないわけがない。
ましてや、今色んな意味でここには注目が集まっている。
(……下手すれば、命の心配を大いにしなくちゃいけなくなるなぁ……)
しかし、大がかりなこの仕掛けの下に、何もないわけもない。
すっと視線を流した先には、円の形に芝生が30センチほど盛り上がっていた。
大人二人が大の字に横になって並んだくらいの直径の大きなその円に、足早に近づく。
そして、芝生に巧妙に隠されている取っ手を見つけ、にやりと笑う。(見つけたぞ、アリウム・ソガーロ!)
腕時計をちらりと見る。
約束の時間まではあと1時間もない。
けれど、ここまで来て手ぶらでは帰れない。(やっと、あの男の尻尾を掴めるかもしれないんだ)
さっと辺りを確認して、俺は重い取っ手を引き上げ、暗い地下へと続く階段に一歩踏み出した。
そして数段下りると、外側にあったのと同じ作りの取っ手を掴み、自分の方へと引き寄せる。
ぎぃ、という金属の捩じれた音と共に、光は闇に飲み込まれていった。
真っ暗闇の中、地上から僅かに零れてくる月の光だけが、道標だ。
もう、戻れない。
「……さぁ、お前の秘密、全部暴かせてもらうよ」
純粋な黒
道は、ひたすら真っ直ぐだった。
しかし、前に進んでいるのか、下へと下がっているのか、不思議な感覚のする道だった。
湿った靴音が、いやに大きく響く。
床はコンクリートのようで、壁は触ってみたところレンガのようなものだろう。
この暗闇では、視認することは到底無理な話だけれど。
「……それにしても、……なんなんだ、この薔薇の匂いは、」
甘ったるく鼻に纏わりつくような香りは、今にも嗅覚を麻痺させてしまいそうだ。
もしかしたら、既に鼻は使いものにならないかもしれない。
地上にも、気味の悪い薔薇が同じ匂いをさせて悪趣味に生い茂っていたけれど、これは一体なんなのか。
あの男のシュミだと言われたらそれまでだが、どうにも気になる。
足を進めれば進める程、やはり匂いは濃くなっていった。
この香りの先に、何が待ち構えているというのだろう。
暗闇から一転、青白い光が降り注ぐ、いかにも意味深な扉。
そこへ出た頃には、俺はもう薔薇の香りを不快には思わなくなっていた。
「……この先に……、」
何があるか分からないし、ここで一度戻る方が賢明かとも思った。
けれど、あの男のやけに自信あり気な顔を思い出して、
俺は、きらきら輝く宝石のような扉の取っ手を、掴んだ。
迷っている時間も、あの男を泳がせておく冷静さも、もうなかった。
見た目と裏腹に、しかし素材に相応しいだけの質量のそれを押し開けると、俺は絶句した。
部屋中、光に溢れ、きらきらと輝いているのだ。
地上で見た光の筋を思い出す。
アリウム・ソガーロが何を隠しているのかはまだ分からないが、間違いない。
この部屋に、あの男の全てがあるはずだ。
一歩、部屋へ足を踏み入れると、俺は極力静かに扉を閉めた。
何が仕掛けてあるか分からない以上、慎重にならなくては。
ここまで来て失敗すれば、リボーンも雲雀さんも黙っていないだろうし。(何より、俺が俺を許せない)
室内はひんやりとしていて、全面、ガラスで出来ているようだ。(それこそ、調度品まで全て)
けれど、その向こう側には何もない。
とりあえず、部屋をぐるりと見回してみる。
壁も床も天井もガラス。
クローゼットらしいものも、鏡台も、テーブルもイスも全てガラス。
部屋の中央には、薄いレースっぽいカーテンが掛かっていて、中は見えないが、どうやらベッドのようだ。
まるで囲むような屋根のあるベッド……、確かこういうの、天蓋ベッドって言ったっけ。
前に、京子ちゃんとハルがはしゃいで話していたことがあった気がする。
女の子の夢だとかなんとかって。(ま、今はどうでもいいことだけど)
それにしたって、これじゃあまるで……誰かの居住スペースみたいじゃないか。
まさかとは思うけど、アリウムのじゃないだろうな、こんなきらきらした部屋……。
……これがダミーということも考えられるが、それにしては地上の仕組みが厳重すぎる。
となれば、やはりここにあるはずだ。(何にしろ、ヤツの悪事を決定づけれるようなものが)
まずは物的証拠だな、と早速こそこそ室内の怪しそうな物を漁ろうとした、まさにその時だった。
「……だれ?」
「っ!……え?」
室内に入った時点では、気配は一切感じられなかった。
しかし、声をかけられる前には気配を察知し、戦闘態勢に入った。……ものの。
声を聞いて、俺はうっかり炎を引っ込めた。(このことこそ、リボーンや雲雀さんが知ったらなんて言うか)
けれど、侵入者である俺への言葉には、警戒も恐怖もない、ただ純粋な疑問のみ。
こちらに敵意がないものに対して武器を向けるなんて、俺には出来ない。
それに、透き通るソプラノは、明らかに女性のものだった。
敵意がない、しかも女性に武器を向けるなんて、……言うまでもない。
「……、あなた……、だれ?」
声に誘われるように、俺は天蓋ベッドへと近づいていった。
罠かもしれないという疑念は、一切なかった。
「……ここへは誰も来られないって言ってたわ、…あなたは、だれなの?」
ベッドのすぐそばまで近づくと、俺は声の主との間の薄い隔たりをゆっくりと捲(めく)った。
「き、みは、」
差し込む月明かりに照らされていた彼女は、女神のように美しかった。
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