「、、、ふふ、私の可愛い子猫、可愛いガット、」
私の身体を、舐めるように這ってゆく、手。
私の耳元で繰り返される、荒い、湿った息遣い。
どうして私が、こんな目に!
「、お前は私のものだ、お前の全ては、私のもの、」
「っさわらないで!みんなをっ、殺した男が……っ、父様を、裏切った男が……っ!!」
青白い顔で、不器用に微笑む父様の顔が、過ぎる。
優しく微笑んで、いつかきっと救われる日がくると言った母様の瞳が、過ぎる。
何もかも消えてしまったこの世界に、どうして私だけが存在しているんだろう。
もう、私には何もないのに、呼吸さえ、この鼓動さえ、私を苦しめるのに。
「強気なその瞳も、とっても魅力的だけれどね。……私の可愛いガット、お仕置きが必要かな?」
いくら憎んでも憎み足りないこの男が言うように、私はここで飼い猫のような扱いを受けている。
煌びやかな衣装、豪華な食事、綺麗な部屋、完璧すぎる衣食住を与えられながら。
煌びやかな装飾の施された重い衣装は、私が好き勝手動き回れないように。
豪華なコース料理は、手足に枷をつけられ身動きが不自由な私を、餌付けするため。
強化ガラスと鏡で出来た光る部屋は、私を閉じ込めておくための、檻。
生きながら殺されていくこの日々の中、何に救いを見い出せと言うの?
にたりと口を歪めて、アリウム・ソガーロは嗤った。
そして私の頬を、生温かい舌が撫でる。
背筋が、凍るような感覚を覚えた。(狂って、いる、)
父様が殺され、母様が殺され、あの時屋敷にいたファミリーもみんな殺された、忌々しいあの日。
私がここへ連れてこられた、あの消し去ってしまいたい呪われた日。
あの日の夜からずっと、私は朝も夕も関係なく、この男の気まぐれで、抱かれている。
私の何もかもを奪った男に、私は毎日、ずっと、抱かれ続けている!
何も知らぬまま、この男の元へ身を寄せるファミリー達の命を盾に、私に呪詛をかけながら。
「君の残された家族達は今、私の元に身を寄せている。何も知らずに、ね。
あの夜のことを嗅ぎ回りながら、今も必死に行方不明の君を探しているよ」
アリウム・ソガーロは、さも面白そうに笑った。
唇を噛んで、自分の情けなさに涙する私を見つめながら。
「っ、もう、もうやめて、私はあなたの言う通り、こうしてあなたのものになった、
抵抗しないでついてきたわっ、あなたの言うことを聞いて、大人しくしてるっ!
……っ残された、何も知らないファミリー達を巻き込まないで……っ、お願いよ、」
本当に、家族みたいに温かかった、大好きなファミリー。
私を呼ぶ声、私に向けてくれる笑顔、いくつも浮かんで、そして、消えていく。(深い、闇の中へ)
「健気なことだ、美しいよ、君は。……なら、分かるだろう?
君が守りたいものを守る、たった一つ、唯一の方法が」
父様、母様、みんな、ごめんなさい。
最後の最期まで、私の身を案じて下さったのに。(けれど、)
「……っ、」
「私の可愛いガット、さぁ媚びてごらん、お前の欲しいものはなんだ、この卑しい雌猫め!」
だって、今までずっと、たくさんのものに守られてきた。
父様に母様、ファミリーのみんなに。
それが、どんなに薄汚れた、醜い方法であるとしても、私は。(守れるものが、あるなら)
「、わ、たしは、ご主人さまの、ねこ、です……っどうぞ、お好きに、扱って……っ、ください、」
「ふ、はははっ!そうだ、それでいい!恐怖に染まる瞳には、私しか映っていないね!そうだよ、ガット」
―――――――そうして私はあの日から、憎い仇の、愛猫となった。
純粋な黒
にこにこと愛想を振りまきながら、状況を冷静に分析していく。
「ドン・ボンゴレ、貴方様が夜会へ出席されるとは、余程興味深いことでも?」
「えぇ、ミスター・ロゼ。近頃、この辺りが随分賑やかなようなのでね。少々様子見に」
痩せ細った狡賢そうな顔をひくりと引き攣らせ、男は苦く笑った。(……こちら側に回るな、この男)
大して使えそうもないし、風向きが変われば、またすぐさま寝返りそうだけど、それもまぁいいだろう。
それから少しの間、男の顔色を窺いつつクサイ会話をしてみたけれど、やはり使えそうにない。
そのまま続けてもおいしい話は拾えそうになかったので、適当に切り上げた。
あちこちから注がれる、様々な視線。
それに気づかない振りをしながら、ワイングラスを回す。
しかし、アリウム・ソガーロ、あの男の考えは未だ読めない。
一体どういうつもりで、俺達をああも易々とここへ招き入れたのか。
ごくり、真っ赤な液体を喉の奥に流し込むと、ふらりと広いベランダへ出た。
淡い月の光が降り注ぐ庭を見下ろして、ふと息を吐く。
頬を撫でる冷たい夜風が、アルコールで火照った身体に気持ちがいい。
そうして涼んでいる時だった。
暗闇の中、月明かりが真っ直ぐ、まるで俺を導くように、ある一点へと伸びていることに気づいたのは。
「……、あれは、」
心臓が早鐘のように脈打って、考えるよりも先に身体が反応した。
しかし、極端な行動を取れば怪しまれる。
俺は平静を装って、何もなかったようにホールへと戻った。
そしてグラスをテーブルに置いて、リボーンに声をかける。
「今ベランダから庭を拝見させてもらったんだけど、とっても素晴らしいよ」
「ほう、それはいい。ぜひゆっくり見さしてもらいてーモンだな」
「俺もそう思ってね。そういうわけだから、ドンを探して頼んでくるよ」
「あぁ、そうしろ。ドンなら多分、下のホールにいるぜ。このホールにゃいねーからな」
「庭へも下からでなくては行けないようだし、ちょうどいいや、ありがとう」
「それより、とびっきり美人なバラでもあったら、また声をかけろよ」
あぁ、もちろん、そう短く返して、俺は下のホールへ続く大階段を下りていった。
そしてホールへ出ると、アリウム・ソガーロの姿を探す。(……、しめた、こっちのもんだな)
アリウム・ソガーロの姿はないし、ゲストも皆、パーティーを楽しんでいる。
ダンスに、会話に、夢中。
目撃者など、いない。
俺はごく自然にガラス張りの立派な扉を押し開き、庭へと出た。
誰も、気づきはしない。
ここへ着いてすぐ、俺は上のホールに上がってしまったし、さっと確認したところ、ここは酔っ払いばかりだ。
万一のことがあったとしても、いくらでも誤魔化すことが出来る。
ベランダから見た光の道筋の通り、足早に庭を進んでいく。
それは次第に駆け足へ変わって、奥へと進む程に花の甘い香りも濃くなっていった。
視界に広がる赤は面積を広げ、そしてその色も毒々しさを増すばかり。(……、薔薇ばっかり、少し気味が悪いな、)
ようやく、どうやら庭の最奥部らしい所までくると、もう鼻も目も慣れてしまっていた。
そして一度ぐるりと周囲を見渡すと、俺は息を呑んだ。
……この空間は、異常だ。
ベランダからここを見下ろした時には、月の道ばかり気になっていたので、正直庭の景観など見ていなかった。
今、もう一度あそこからこの庭を見下ろしたとしたら、どうだろう。
きっと、屋敷に近い手前側から、こうして俺が立っている最奥部にかけて、それは美しい赤のグラデーションが見られる。
血の、池。
それよりよっぽど趣味が悪いように思えるのは、この薔薇の花弁の毒々しさのせいだろう。
葉と葉の間からちらりと見えた鋭い棘は、今にも俺に噛みついてきそうだ。
思わず目を背けると、空を仰いで眩しいくらいの光を浴びる。
俺だけじゃない、この穢れた夜の全てを照らしてくれる清らかな月の白光。
もちろん、薔薇たちも影の多い庭ごと、情緒あるように淡く包み込んでいる。
きらり、それは一瞬だったけれど確かに、まるで俺の眼球に直に触れたようなショックだった。
あれを運命と呼ばず、あれが定めと言わず、あれは宿命とされないなら。
あの時感じた痛みを伴う深い悲しみと、それでもこの世界にしがみつこうとする健気な愛しさは、一体なんだったっていうんだ。
「……なるほど、ね。随分うまく隠したことだな……地下室、かな?」
―――――そうだ、全てはあの夜、清廉なる優しい導き手によって、俺は彼女と引き合わされた。
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