「……ど、どうして、撃ったの……、」
「邪魔だったからさ」
「っな、わ、私はおじさまの所へ行くって言ったじゃない、父様を助けたいって、わたし、」
「約束をした覚えはない」
「そ、んな………、とうさま……、とうさまっ、父様……っ!」
何でもない顔で目の前に立つアリウム・ソガーロを突き飛ばして、血だまりに駆け寄る。
男は、何も言わなかった。(それが余計に、父様の死を、認めろと言っているようで、)
血を吸った絨毯が、鈍くひかりっている。
顔が見える辺りで、足取りはすっかり重くなった。
近づく度に、パンプスの爪先の形に沿って、血液が浮かんでくるのだ。
父様の、血が。
けれど、一歩、一歩、近づいていく。
そしてついに、がくがく震える足は、父様の身体のすぐ傍で、ぴたりと動かなくなった。
白い父様の表情は、むずかしい顔をしている。
いつもの、父様の顔だ。
父様、と声をかけるけれど、返事はない。
触れた頬は、あたたかい。
父様の身体から、絨毯から、血があふれて私を染めていく。
「父様、おきて」
血濡れになりながら、父様の身体を揺り動かす。
少し遠くから、ばたばたと騒がしい足音と、悲鳴が、何かを必死に訴えているのが聞こえる。
それから、雨の、音。
しとしとと、ガラスの向こう側で、青く茂る葉を叩いている。
黒っぽい色の夜空は、もう完全に闇に姿を変えていた。
「さあ嬢、行こう」
今度こそ、映画で聞くような派手な銃撃の音が、あちこちから聞こえてきた。
そして、悲鳴、怒声、悲鳴、怒声、悲鳴悲鳴悲鳴。
耳を塞いでしまいたかったけれど、そんなことが出来るわけなかった。
誰の声か、分かるのだ。(メイドの、庭師の、コックの、)
声は、私を探しているのだ。(お嬢様、ご無事ですか、お嬢様、)
そして、死の恐怖へ飲み込まれていくのだ。(たすけてくれ、しにたくない、)
使いものにならない、情けない自分。
掠れた嗚咽が漏れるだけの喉。
ぼろぼろと、ただ顔を汚すだけの涙。
立つことも出来ない足。
憎らしい仇(かたき)に、何かしてやることも出来ない手。
そしてあろうことか、その仇に抱きかかえられて、
「嬢、君は今日から私のものだ」
「………おじ、さまの、」
「ご主人様だよ。私の可愛い……ガット」
純粋な黒
涙も、枯れた。
玄関ホールに続く廊下を進んでいくと、錆びた鉄の匂いがどんどん濃くなっていく。(みんなが、)
真っ赤に塗りかえられた壁が、視覚を刺激する。(逃げようとした、跡)
みんな、しんでいた。
あんなにいい人達ばかりだったのに。
私の、せいで。
父様、父様もしんで、しまった。
母様はどこにいるのかしら。
もう、しんで、
「………、っ、、」
玄関ホールに出る扉の物陰から、何かが倒れた。
いつもよりも高くなった視線を、ゆっくりと下ろす。
瞬間、息が詰まった。
そして、枯れたはずの涙が、目から零れた。
雨が、風が、私を責める様に激しい音を立てている。
「、かあ、さま……っ、」
「おや、まだ生きていたのか」
「あ、リウム、ソ、ガーろ、」
「っかあさまっ!かあさまっ……っ放して!かあさまっ、かあさま!」
「嬢、今母君を殺すことも出来るんだぞ」
「……っこ、の、卑怯者……!」
両手で顔を覆って、私は声を上げた。
父様がいてくれたら、こんな男、悔しい、悔しい、悔しい!
零れ落ちる涙が、腕を伝った。
けれど、ここで私が大人しくこの男についていって、母様が助かるなら。
せめて、母様だけでも、生きていてくれれば。
この先どんなに辛いことがあっても、私は、
アリウム・ソガーロの首に、媚びるように腕を巻きつけた。
くつりと、喉を鳴らして男は笑う。
「、っ、、」
母様の顔が真っ青なのは、出血のせいだけじゃないだろう。
母様、美しく繊細で、心清らかなあなたの目に、私はどう映っていますか?
「かあ、さま……、私、おじさまと、いくわ、」
「……っ、やめ、なさい、はやく、にげる、の、よ、」
「………っかあさま、」
「、っ、はっ、っ、い、つか、きっと、救われる、日が、」
父様とは反対に、いつも優しい笑みを浮かべていた母様。
こんな狂気の中でさえ、その微笑みはいつも通り美しい。
ただひとつ、もう二度と、いつも通りの毎日なんて、迎えられないけれど。
男は不機嫌そうに母様を見下ろすと、その脇をさっさと擦り抜け、
そこで待機していた部下に重い扉を開けさせた。
そして一言、
「やれ」
今度こそ涙は、枯れてしまった。
悲鳴も、罵声も、口に出来ない。
父様の時の様に、簡単なものだった。
パン、と音がして、終わり。
それだけでもう、全て終わってしまう。
母様の人生はそうして今、終わってしまったのだ。
アリウム・ソガーロには、初めから母様を助ける気などなかった。
初めから全員、殺す、つもりだったのだ。
ああ、なんて、ことだろう。
父様も母様も、みんなみんな、私のせいで。
私がいなければ、みんな死なずに済んだのに。
絶望に、もう何も感じなくなった私を見て、アリウム・ソガーロは嗤った。
狂っている、この男は。
何が楽しいのか、何がおかしいのか、くつくつと笑って。(どうかしている)
私はその狂った男に抱かれたまま、車に乗せられた。
そしてそれから数分後、赤々と燃える屋敷を、窓から見た。
屋敷を囲む緑も、火に照らされてオレンジ色に光っている。
「縋れるものは全て、消しておかないとね」
憎しみさえ曖昧になってしまっては、私はどうすればいいのだろう。
舌を噛み切ってしまえば、楽になれるのだろうか。
その時、いつかきっと救われる日が、と微笑んだ母様の最期を、思い出した。
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