、お前は本当によく出来た子だ」




決して、笑顔の似合う人ではなかった。
むっつりと口を噤(つぐ)んでいて、いつも不機嫌そうな顔。
それに加えて、口数も多くはなかったと思う。
言葉より、行動で示す人だった。




そんな、人だったけど。




けれど、私を褒めてくれる時は、笑っていた。
ぎこちない、下手な笑顔だったけれど、優しい笑みだった。
口元をふと緩めて、目尻をほんの少しだけ下げて。
その顔で、そっと私の頭を撫でてくれるところが、すきだった。
私の目の高さまで屈むと、えらい、はいい子だ、と褒めてくれるところが。




「あぁ、ありがとう。の淹れる紅茶は美味いからなぁ」




とうさま、父さま、父様、あの時どうして、私を、










純粋な黒










アリウム、ソガーロ。

あの人はどうしても、好きになれない。
父様の大事な親友なのは、よく分かっているけれど。
あの人の私を見る目はなんだか、気味が、悪い。
私を呼ぶ声だってそうだ。
いつも、粘着質な何かを感じる。




嬢」




「……、ソガーロ、おじさま。……遅くにどうなさったの?
何か大切な用でも?父様はきっともうお休みよ」

「アリウムさんと呼びなさいと言っただろう?たとえ「お爺様」であっても、ね。それがレディだ。
……そうだよ、とても大切な用だ。父君にはもう会って来たよ。今頃私の部下とチェスでもしてる」

「……そう、それで、おじさまはどうしてここに?一緒にチェスをしないの?」

嬢、おじさまはやめなさい。……君も知っているだろう?私はチェスが苦手だ。
一段落するまで外の空気でも吸おうかと、庭園にお邪魔させてもらう所だった。
そうしたら君がいたから、こうして声をかけたんだよ」

「……ずっとおじさまって呼んできたんだもの、今更変えるなんて難しいわ」




誰もがこの人を、立派な紳士だと言う。
父様よりも、この人の方が立派だと言う。


私には、それが理解出来なかった。
けれど、ふたりを見て、周りがそれぞれにそういう評価を付ける理由は、分かっていた。




父様はやっぱり、言葉が足りないのだ。




それに比べてアリウム・ソガーロは、よく言葉を知っているし、話し方も知っている。
相手を喜ばせる言葉、怒らせる言葉、悲しませる言葉、父様はどれも知らなかった。
知っているのかもしれないけれど、父様がそれらを使っているところは見たことがない。
でも、私は言葉が全てとは思っていないし、言葉よりも実際に目の前で起きたことの方が信じられる。


父様のぎこちない、下手な笑顔。
骨張った大きな手のひらの、ほっとする温度。
そしてあの、優しい眼差し。




これに勝てる言葉なんて、ありはしないのだ。




あるとすればそれは、父様のような人が、そうして心を込めて放つ言葉だ。
表情に、仕草に、眼差しに、既に言葉が混じっている。
それはじんわり、心のちょうど中心から伝わってくるような気がする。
けれどあえて、普段あまりおしゃべりをしないその口が、言うのだ。


ありがとう、あいしてる、
うれしい、しあわせだ、


こんなに素晴らしいことは、他にない。
ありは、しないのだ。




「そうだ、嬢、近々見合いをするらしいね?」
「え、えぇ、形だけだけれど」
「そうか、ならいい。君が嫁いでしまったら、父君も母君も悲しむよ」

「……とうさま……そう、ねえおじさま、父様の様子が最近おかしいの。
お疲れの様で、元気がないのよ。……母様は何も教えて下さらないし、」




すぅっと伸びてきた手に、びくりと肩を揺らす。
嬢、と、やはりねっとりとした声で呼ぶ。
子どもに何か言い聞かせるような、猫撫で声だ。
ガラスの壁の向こうの黒っぽい空には、星ひとつない。(ひかりが、)




じりじりと、壁に追い詰められていく。




「……、おじ、さま、」
嬢、父君が……母君が心配なんだね」
「、そうよ、だって、父様と母様だもの、おじさまだって、そうでしょう?」
「父君は親友だし、母君にもよくしてもらった。もちろんだよ」
「っ、おじさま……っ、」










「でも友情より、恩より大事なものがあるんだ。……欲しいものがあるんだよ」










私の身体に影を落とした男は、にたりと笑った。
そうだ、これだ。


私がずっと感じていた、粘着質な何か。
気味の悪い、舐めるような視線。






嬢、君は美しいだけでなく聡い。……どうすればいいか、分かるだろう」






頷く以外、何が出来るのだろう。
唇を噛んだけれど、錆びた味がするだけだった。
救いなど、ない。


私の頭を撫でる手のひらの温かさを、ふと思い出した。
父様、父さま、とうさま。
父様の不器用な性格は人に誤解を与えるから、私はいつも不満だったのよ。
私にとっての一番の紳士は、父様なんだもの。
父様のあの笑顔を、手のひらの温度を、心の籠った言葉を知ったら、みんな父様をすきになる。
いつもそう、思ってた。
けれど本当にそうなったら、とても嫌な気分になる。
だから、そうなりませんように。
そんなことを、思ってた。
だって、みんなが父様の優しさを知ってしまったら、




「……ひとつだけ、聞きたいことがあるわ」
「何かな」
「父様が最近お疲れなのは、あなたのせいなの?」
「……そうだと、言ったら?」
「それは質問の答えになっていないわ」
「………仕方なかったんだよ。ヤツが素直に、君を私に渡すと言わないから」










「今も、渡すつもりはない」










低くて、かたい感じのする声。
意味が、心にじんわりと広がっていく。




こんな風に言葉を紡げるのは、ひとりしかいない。




「……ちっ、まだ生きていたか」
「まだ死ぬつもりはない。……、こちらへ来なさい」
「父様、血が……、」
「私のものではないよ」




うそだと、すぐにわかった。




相変わらず、不器用なひと。
言葉を、知らないひと。


顔は真っ青で、すっかり血の気が失せている。
額には汗が浮かんでいて、呼吸は浅く、唇がわなわなと震えては、白い歯が音を立てる。
脇腹の辺りが真っ赤に染まった白いシャツは、水っぽく重たそうだ。
とうさま、喉の奥からやっと絞り出すと、父様は笑った。




、おいで」




ただでさえぎこちない笑顔は、歪んでいた。
目は暗く澱(よど)んで、唇は青く、顔は白い。
けれど私は、それでよかった。
父様は、自分の嘘はばれていないと思っているのだ。
今にも泣き出しそうな私の為に、痛みを堪えて、笑っているのだ。


誰もがこの人を、立派な紳士だと言う。
父様よりも、この人の方が立派だと言う。


私にはそれが理解出来なかった。
けれど、ふたりを見て、周りがそれぞれにそういう評価を付ける理由は、分かっていた。


みんなが父様のことをすきになったらいい、そう思っていた。
そうなる方法だって、知っていた。




けれど、みんながとうさまのことをにがてなままがいい、そうおもっていた。




今のままで、父様はそのままで、それでいいと思っていた。
だって、みんなが父様の優しさを知ってしまったら、


父様は、私だけの紳士じゃ、なくなっちゃうもの。


映画の様な、派手な音はしなかった。
何かが破裂した様な、パン、という音は軽くて、現実味なんてちっともない。
ゆっくりと倒れていくのだって、スローモーションだ。






それなのに、父様がしんでしまったのは、現実だと解かっている自分は、なんて残酷なんだろう。













































***


あきらかになってゆくかこ。


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