「全て、お前の過去の記憶だ。……この屋敷、ボンゴレに来る前のな」
ぞわりとした寒気に、鳥肌が立った。
ごちゃごちゃしたノイズが、くすくす笑う。
私の過去の記憶とは?
ボンゴレに来る前とは?
生温かい舌が、身体を這う感触を覚えているか。
―――――――つめたい憎悪に、こころを燃やした。
粘着質な声音が紡ぐ呪詛(じゅそ)に、お前は何と抵抗したのか。
―――――――あすが来ぬようにと、涙を枯らした。
それでも聞こえたのよ、私を呼ぶ声が。
純粋な黒
混乱している、なんて冷静なことは言っていられなくなった。
とにかく、頭が痛いのだ。
とにかく、吐き気がするのだ。
「っ、はあっ、……っう、」
ぐらぐら回る視界に、ぐるぐる廻る騒音。
一体誰が、私をこんなにも乱しているの?
「お前は―――――――――の所有物なんだよ」
「さぁ、こっちへおいで?可愛いガット」
かわいそうな、所有物?
あそばれるだけの、玩具?
「可愛い可愛いガット、私だよ」
うるさい、
「ガット、ガット、ガッと、がット、がっと、」
っうるさい、
「お前は――う―、――あ―の所有物なんだよ」
ちがう、
「さぁ、こっちへおいで?可愛いガット」
ちがう!
「ちがうそんなんじゃない!!」
「……紫苑、どうしました?」
こんなの嘘に決まってるでしょう?
ちがう、これもボンゴレの仕組んだことに違いないわ。
そうに決まってる、だって、こんなのおかしいもの。
「お前はアリウム・ソガーロの所有物なんだよ」
………ねえそうでしょ?ボス、
私のこと、大事なファミリーだって、言ってくれたわ。
私のこと、よく出来た子だって、褒めてくれたわ。
私のこと、あいしてるって、いってくれたわ。
そうでしょう?――――――さぁ、こっちへおいで?可愛い、
「かわいい、シンデレラの魔法は12時に解けてしまうでしょう?
君はね、シンデレラなんですよ。かわいそうな、お姫様」
嘆くことはないのだと、男は笑った。
この世のものとは思えぬ、妖しい煌(きら)めき。
「……、ちがう、」
「いいえ、君はシンデレラだ。時計を見てみなさい。……あとほんの少しで、12時です」
「っちがうわ、ちがうの、ちがうんです……っ、」
「、僕の目を見て下さい。君はシンデレラなんです」
ああ、ああ、あぁあぁあぁ!
なんて畏れ多いのかしら!
なんておぞましいのかしら!
なんて、なんて命知らずな馬鹿な猫!
主人の言い付け一つ守れないなんて、いけない猫だわ。
でもご主人さま、聞いて下さい。
私にはご主人さましかないんです。
私からご主人さまを取ってしまったら、一体何が残ると言うんです?
考えてもみて下さいませ、ああ、嘆かわしい!
私のような薄汚い女に、あなたさまのようなそれは立派な紳士。
不釣り合いにも程がありますでしょう。
けれど慈愛に満ちたあなたさまです。
私のような薄汚い、汚れた女を美しいと言って下さるあなたさま。
どうぞ、お好きにして下さい。
あなたさまになら、何をされたって構いやしません。
どうかお好きなように、私を生かして下さいませ。
あなたさまのお望みなら、どんなことだって叶えてみせます。
ですからどうぞ、私を生かして下さいませ。
ですからどうぞ、もう何も奪わないで下さいませ。
もうどんなに叫んでも、私に縋れるものなどありはしませんから。
***
「……完全に取り戻したようだね」
「君はいつもこういうタイミングで現われますね、雲雀恭弥。……見ての通りですよ、困りましたね」
彼女に過去の記憶を取り戻させるということは、彼女の精神の崩壊を意味していた。
それを承知で、しかしこの荒療治でしか彼女を救えないことも、僕は分かっているつもりだったのだが。
それは本当に小さな驕(おご)りで、大きな勘違いだった。
まずこちらの話を聞こうともしないのだから、相当念入りにマインドコントロールを施してあると言える。
敵ながら天晴(あっぱれ)と感心出来る余裕があればいいものの、彼女の様子からしてそんなものはない。
「あぁ、わたしのご主人さま、」
なんとかして話を聞いてもらわなければ、彼女は次第に言葉を失っていくだろう。
そして最後には、壊れた人形のように何度も繰り返す。
可愛い、猫
従うだけの、かわいい、ガット
これは僕と雲雀恭弥、そしてアルコバレーノが立てた仮説の一つに過ぎないのだが。
僕がにかけた幻術が、完全に効力を失った時。
記憶は、徐々にその悲惨な過去に色を付けていく。
塗り替えられた部分を修正し、あるべき姿へ変換しながら。
それからゆっくりと、正しい記憶を日付け通りに再生していくのだ。
呼吸にさえ、気を使う。
仮説は立てられるだけ立てたけれど、穴はいくらでもある。
考えればそれこそ無限に、可能性があるわけだ。
何がいつ、どうなるか。
予想なんて出来るわけがない。
つまり簡単な話が、この状況では仮説など屑(くず)も同然なのだ。
頑固な雲雀恭弥、頭の固いアルコバレーノと、時には武力を行使しながらも交わした激論の中生まれた仮説など。
かつり、
緊張を煽(あお)るような靴音が、響いた。
どきりと心臓を震わせれば、いつも気配を消して近づいてくる男が、無防備に現れた。
「記憶の再生、始まったのか」
「………全くこれだからマフィアって嫌なんですよ。なんでもかんでも臭いを嗅ぎつけて」
「そうだな、ツナ達もすぐここへ来る」
誰からともなく、僕達は駆け出した。
腹の立つことこの上ないのだが、雲雀恭弥が彼女を抱いているのは仕方がない。
いざという時の足止めは、僕とアルコバレーノの方が都合がいいのだから。
「それにしても、をあれだけ過保護にかわいがってた山本が、このきっかけを作るとはな」
「……僕も少し驚きましたが、君は予想出来ていたようですね、」
雲雀くん、と嫌味ったらしく言ってやると、彼はいつもの無愛想な顔で言った。
「きっかけを作るなら彼だと、ずっと思っていた」
「おや、そう言い切れる程の何かを、彼は持っていましたか?」
「ま、殺しの素質が元からあったような奴だしな」
「あれは、冷静に広く周囲を見渡す。……あの男はきっと、」
その先を聞くことはなかった。
数メートル先、彼は笑っていた。
読めない、明るい笑みを浮かべて。
「、具合が悪いんだ。薬飲ませなきゃなんねーから、部屋に返してくれるか」
「……通せ山本」
「そりゃ聞けねー頼みだぜ、リボーン」
いくら僕でも、予知能力なんてものは持っていない。
けれど、雲雀恭弥から聞けなかった言葉の先を、僕は答えることが出来る。
奴は、山本武という男は、その笑みの下にとんでもない凶器(狂気)を隠しているのだ。
「ここで大人しくを部屋に返せば、話を荒立てずに済む」
「不変なんて、悪いものばかりを生むよ。……彼女は変わらなくちゃいけない」
「ここを過ぎたら、次はもう問答無用に仕掛けられる。………よく考えろ」
「山本武、君という男は、クフフ、嫌な男だ。――――――――君は、」
自ら、きっかけを作っておいて、彼女を包み込む存在でいようというのか。
雲雀恭弥、君に賛同するのはやはり気分が悪いが、しかし今回ばかりは大いに頷いてやろう。
(あの男はきっと、)彼女の傍へ、最も置いてはいけない男だった。
***
物語の、本当の始まり?
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