きみを傷つけるもの。 きみを悲しませるもの。 きみの涙のわけは、俺が全部なくしてあげる。 きみが苦しくなること。 きみが辛くなること。 もしそんなことが起きたら、その時は俺が―――――。 トリップチュア! 俺は登校の準備を、は着替えを終えて二人で階下へ向かうと、ダイニングで笑顔の母さんに迎えられ、俺ととリボーン、そして母さんの四人で朝食を取った。一応はっきり断っておくが、お互い着替える時には後ろ向いてたから! 別に背後からの衣ずれの音にあらぬ妄想なんかしてないからおれ! ……って誰に向かって言い訳してんだよ……っつーかこういう余計なことゆっちゃうとほんとにそういうこと考えてたんじゃないの? さいてー! とか思われそうで嫌なんだけどってだから誰にだよ……! とまぁ、そんなこと考えながらも朝食の間中、俺はひたすらほのぼのとした平和で優しい雰囲気を味わっていた。今日はトーストとコーンフレーク、スクランブルエッグにサラダ、それからコンソメスープという洋風スタイルな朝食だったわけだが、それを食べるのかわいいことったらなくてね! たとえば、トーストをかじってる最中、指先にうっかりジャムくっつけちゃったり。「ちゃん、どう? おいしい?」とにこにこ尋ねる母さんに、俯き加減ではあったけど、ほんの少し頷いてみせたり。もうその瞬間食卓なごんじゃったもの。平日の朝っぱらからのほほんとしちゃったもの。母さんもそんなの可愛らしさにめろめろらしく、今日はどこへ買い物に行こうかとか、はどういう洋服が好きかとか、それはそれははしゃいで、ちゃんにはああいうのがいい、でも逆にあんなのだって素敵だわ、とかなんとかきゃっきゃと騒ぐ母さんに、リボーンも時々、そういう服ならどこどこがいいとか、なんでお前がそんなこと知ってんだよって話だが、俺は全く分からないけど、なんだか服屋の名前らしいのをあれこれ口にしていた。この服の話のように、俺ちょっと仲間はずれ? と思う場面もなくはなかったが、でもまぁほんと、すてきな時間だった。ほんと俺こんな役得でいいんだろうか、バチとか当たったりしないだろうか。そんなことを若干本気で心配しなくちゃならないくらい、今まで生きてきた中で一番うっとりした朝食タイムだったのだ。ヴァリアーとの闘いに備えた死ぬ気修行メニュー後の食事にも勝るよ、ほんと。 が、今日は平日なのだ。学級閉鎖とか創立記念日とかでもないほんとにただの平日なのだ。 「……や、やっぱ学校行かなくちゃダメかな俺……」 「あたりめーだろ。バカかおまえ」 「いや、でもしばらくテストもないしさぁ」 「だからなんだ」 「……分かるだろ? ……心配なの! が!」 俺がついててやらなくちゃ、心配なんだよ。そりゃあ、今日一日傍にいてやったところで、明日も明後日もって訳にはいかないんだから、結局を不安にさせてしまうのは分かってることだ。でも、昨日の今日で彼女を放っておくなんて冷たい真似、出来るはずもない。俺はえらそうにも、彼女を守る、幸せにするって約束したんだ。組んだ両の手にぐっと力を込めて、溜め息を吐く。俺のふがいなさに対してだ。俺がもっとしっかりした――自立した大人だったとしたら、こんなことでうだうだ苦しまなくて済んだのに。……でも、そんなありえないイフの話を今してみたところで、状況は変わらない。リボーンの気だって変わらないだろう。昔から、一度決めたことはそう簡単に覆さないヤツだ。のことは、俺にとってそうだったように、リボーンにとっても想定外だったのは確かだろう。けど、彼女は俺の一日を変革するような存在ではない。少なくとも、リボーンにとっては。 「……が心配なら、アイツの気持ちも考えてやれ」 「だから傍にいてやりたいって言ってるんだろ!」 「お前が学校休んで傍にいて、は喜ぶのか?」 リボーンがそう言った瞬間、がかなしそうな、困ったような顔をしてこちらを見ていた。……まいったな、母さんを手伝って朝食の後片付けしてたと思ってたのに……。いつから聞いてたんだろう。いや、それにしたって、彼女のような一般人の気配に気づかないほど考え込んでたなんて、俺も相当参ってるな。父親役、ほんと型にはまってるのかも。気まずそうに視線を彷徨わせながら、は何か言いたげに口を開いて、それからためらうように閉じる。それを何度も繰り返している様子がかわいくて、おかしくて。おいで、と俺が言うと、はゆっくりこちらへ近づいてきた。 「ごめんね、に聞かせたくはなかったんだけど」 「……つなよし、……あの、」 は一度ちらりとリボーンを気にして、それから深呼吸を一回。 覚悟を決めたような真剣な顔をして、口を開いた。 「……わたしのことは、いいから。お願い、学校は……、やすまないで」 視界の隅で、リボーンがにやりと笑った。 俺は、ただただびっくりしていた。 それか、拍子抜け、したのかもしれない。 すぐに、「いいや、誰がなんと言おうと、俺は今日君の傍にいるよ」なんてことは、言えなかった。 「……い、いや、でも、」 さっきの会話をがどこから聞いていたのか分からないが、俺が彼女の立場だったら、それを踏まえて傍にいて欲しいとは言えないし、やっぱり彼女のように自分のことは気にしないでいいと言うだろう。何か、何か言わなくては。彼女を不安にさせず、気を使わせない言い方で、なんとしてでも今日は君の傍にいると。けれど悲しいことに、俺の頭ではなんにも出てこなかった。ただ、いや、今日だけは傍にいるよ、ぜったい、だって俺、約束しただろ。こどもみたいに、そんな言葉をでたらめに並べるだけだった。 「の方がよっぽどしっかりしてる保護者だな。……、ツナがいなくても平気だな?」 リボーンの言葉に、はしっかり頷くと、言った。 「……わたしのせいで、つなよしがちゃんと生活できないのは、いけないことだわ、」 「だ、そうだが? どうすんだ、ダメツナ」 「……にそう言われたら、行くしかないだろ。……でも、何かあったら絶対連絡よこせよ。いいな」 「分かってる。それに、万一何かあった場合、オレやママンじゃどうにもできねーだろうしな」 「ツーくーん!獄寺くんがお迎えに来てくれたわよー!」 「当たり前だろ。なんてったって俺は――」と言いかけのところで、母さんの声が。腕時計を確認すると、いつも獄寺君が俺を迎えに来る時間ちょうどだった。今行くからちょっと待ってもらって、と返事をすると、重い腰を上げ、放っていたカバンを手に取った。……正直、あそこでが行かないで欲しいと言ったら、どんな手を使ってでも俺は学校を休む気でいた。たかが学校の欠席で、必要ならリボーンと一戦交えたっていいとか、そんなことも覚悟する程度に。でも、彼女はそうは言わなかった。リボーンの手前言い出せなかったとも取れるし、俺に遠慮したとも考えられる。けど、俺をまっすぐ見つめたあの目は。 ・ ・ ・ 「……じゃあ、行ってくるね。、すぐ帰ってくるから、いい子で」 「オメーじゃねぇんだからいい子にしてるに決まってんだろ。さっさと行け」 「うるさいなおまえに言ってないよ! ……じゃあね、」 「ん、いって、らっしゃい、」 うああああなにこの今生の別れのような気分……! 分かってるのに! 8時間かそこらの別れだって分かってるのに! なのになんなのこの底なしの悲しみは! ……俺だけなのかな、こんな悲しいの俺だけなのかな。……振り向きたいけど! ここで振り向いたら俺絶対登校出来ないもん! 登校拒否するもん! ……ここは振り向かずに行こう、このまま行こう。あっでも最後に抱きしめておけばよかった! ……か、帰ったらそうしよう、で、明日からもそうしよう。それがいいよ、そうしようだから今日今この瞬間だけ我慢するんだ俺!! ぐるぐる葛藤しながら、俺は階段を駆け降りた。足音にこちらを向いて、獄寺君が笑った。今日も輝く笑顔だ。でもそれも忌々しいとすら思えるよ、今のおれ。 「10代目! おはようございます! 今日も朝から麗しくていらっしゃいますね!」 「はあ、そう、どうもありがとう、」 「……どこか調子悪いんスか?」 「いや、違うけど……いや、そうかも……。まぁいいよ、さっさと行こう。で、さっさと帰ってこよう」 「はいっ10代目! お供します!」 あーあ、俺今日一日ちゃんと学生生活送れるかなぁ……。 「っ、つなよし……!」 はっと声に振り返ったと同時に、甘い匂いが懐へダイブしてきた。 熱っぽい腕が、俺の首に巻きつく。 「、?」 「っな! て、テメェ何を……ッ!!」 俺の首筋に甘えるようにするが泣いているのは、首筋に触れる冷たい感触ですぐに分かった。……やっぱり、無理、してたんだな。 「……、やっぱ今日は学校やす「い、いって、らっしゃい、」 目元を真っ赤にさせて、嗚咽に肩を震わせながらも、はそう言った。 腕はそのままだったけれど、少し距離が出来た体勢だったので、様子はよく窺える。 が、俺はぽかんとしてしまって、彼女の細い腰に腕を回して、身体を支えてやるだけで精一杯だった。すると終いには彼女は顔を覆って泣き出してしまって、なんだか様子がおかしいと思ったらしく玄関までやってきた母さんをぎょっとさせた。「やっぱり今日一日は傍にいてあげた方がいいんじゃないかしら」とそわそわ俺に話しかけてくる母さんに、俺もそう思う、と答えようとした時、が、嗚咽と一緒に吐き出すよう、言った。おねがいだから、学校にいって。わたしはだいじょうぶだから、おねがい。 「でもちゃん、こんな状態のあなたを放っておけないわ。……でも私じゃどうもしてあげられないし、」 「っ、だ、だめ、つ、なよし、は、……っ、が、がっこう、い、いかなきゃ、っ、ふ、え、……っ、」 「でっ、でも〜っ! ……ツーくん、母さんどうしてあげたらいいの?」 こどもみたいに泣いて、全身で行かないでほしいって、そう、言ってるのに。 俺だって、傍にいてやりたいって、こんなに、思うのに。 でもが、それを望まない、それじゃあダメだって、あえてそう言うんなら。 「……分かった、いくよ。ちゃんと、学校行くから。それですぐ、帰ってくるから」 「、ツーくん、それで本当に大丈夫なの?」 「うん、大丈夫。でも、何度も言うようだけどほんと、のことよく見ててね」 「それはもちろんよ。……綱吉、早く帰ってきてあげなさいね」 「分かってるよ」 震える肩を抱いて、それから両手を腰まで滑らせると、一度思いっきり高く抱き上げる。一瞬きょとんと泣くのを忘れたを引き寄せて、そっと床に足をつけてやると、涙のあとが残る頬にキスを一つ。完全に涙が引っ込んだらしいは、目をまるくさせている。それに少しだけ笑って、もう一度同じところにキスをして、もう行くね、と呟いた。一瞬表情が歪んだけれど、はきゅっと口元引き結んで神妙な顔をすると、こくりと頷いた。ぽかんと口をあけてぼぅっとしている獄寺君の肩を叩いて、待たせてごめんと謝って、ローファーに足を突っ込み振り返る。 「いってきます」 |
その時彼女は、ごくごく僅かに、けれど確かに、笑っていた。 |