こんなにもさみしくて、
こんなにもくるしくて、
こんなにもせつなくて、
こんなにもいらだって、
こんなにもしあわせで、




かいほうされるしゅんかんの、なんとあまいこと!




トリップチュア!




俺は夢を――夢を、みていた。




今日出会ったばかりの女の子と、俺。真っ白な空間の中で、何をするわけでもなく寄り添っている。時々俺が何か話しかけているけれど、内容は聞き取れない。彼女は視線をさまよわせながら、おずおず、といった感じで返事をしている。もちろん、それも聞き取れない。けど、俺はとてもだらしない顔をしていて、なんともまあ嬉しそうに笑っていて、彼女もほんのり笑っている。少し遠くからその様子を見ている俺は、あまずっぱいなぁ、と思いながらにやにやと笑う。うん、そうだ、俺はこういう感じの未来を望んでいる。ただ、かわいいあの子が少しでも、あの緊張一色の表情を微笑みの色に変えてくれたら、それだけでいい。それが、大事だ。一日でも早く、1分でも1秒でも早く、そういう人肌みたいな温かさの、退屈で愛おしい明日が来ればいい。ふ、と口元を緩めた。必ず掴んでみせる明日に。しかしそれと同時に、やさしい夢からとんでもない展開を迎えていた現実へ引っ張り出された。得体の知れない恐怖が背筋を走って、危機を察知する人間の本能が、俺を叩き起こしたのだ。甘い、夢の世界から。真っ暗な室内で、荒く息を吐いてからはっとすると、隣にあるはずの温もりがない。背筋を撫でるひやりとした感覚。しかしベッドは、彼女が眠っていたはずの場所は、まだ温かい。ベッドから飛び降りて、まず電気をつけようとスイッチのある場所まで向かおうと足を動かした、瞬間、




っ!!」




ああ、ああ、なんて、なんてことだ、こんな、こんなこと! ボンゴレの血が、目で見る情報より、本能より早く、危機を知らせた。俺のじゃない、彼女の、だ。ひとりがこわいと言っていた、かわいそうな女の子。俺が傍にいると言ったら、安心しきった顔でゆっくりと眠りに落ちていった、かわいい女の子。もうあんな悲しいことはさせまいと、俺は俺自身に――君に、誓ったはずなのに。ベランダの手すりに足をかけていた彼女の後ろ姿を抱きしめて、俺はどくどくと脈打つ心臓に吐き気を覚えた。どうしてこんなことを、だとか、バカなことを、だとか。理由を問いただすより、叱りつけるより、まず口から出たのは、




「っ大丈夫か? どこかっ、どこか怪我は……っ、、」




生きている温度は、確かにあるのに。不安で不安で仕方ない。、何度呼んでみても、何も言ってはくれない。長い髪のかかっている細い肩に、顔をうずめる。おかしいな、俺のシャンプーを使ったのに、全然違う匂いの気がする。なんでこんなに優しくて、甘いにおいがするんだろう。後ろから、両肩に腕を回して十字になるように彼女を抱きしめていた俺は、なんだか泣きたくてどうしょもなかった。理由は分かっているけれど、それは自分の不甲斐なさを認めることで、俺なんかじゃ彼女を守れないんだと認めなくてはいけないことで、そんなことは、それだけはしたくないと思った。弱さを受け入れて前に進むことは、強さの証だと思うけど、今ここで俺が俺の弱いところを認めてしまったら、は誰を頼りに出来るっていうんだ? 思えば思うほどに情けなくて、ただただ彼女をきつく抱きしめることしか出来ない。目頭が熱くなってくる。守ってあげたいと、思うのに。どうしてその気持ちに、俺の強さは追いついてくれないのか。




「、つな、よし……?」
「っ、、」
「……ないて、るの?」
「………っ、泣いて、ないよ、の方こそ、何か悲しいことが、あったんじゃないの?」
「……、かなしい、こと、」


「………いい、言わなくて、いいんだ。ただ、何か不安なことがあったら、まず俺に言ってほしい。
どんなことでもいいんだ、なんでも、俺に。時間帯だって構いやしないよ、夜中でもいいから、」


じゃないと不安で、俺が押し潰されそうなんだ。大事なものほど壊れやすいものはないってこと、俺はよく知っているから。きみがいなくなってしまってからじゃ、きみを叱ることも、話をきいてあげることも、抱きしめてあげることも、できない。俺に後悔をさせないで。きみを見失わせないで。どうか、ここにいるんだよって、まだまだ力の足りない俺に、居場所を教えて欲しい。そうしたらすぐに、隣まで走っていくよ。だから。涙を堪える俺の腕に、少し冷たい指先が触れる。こんなに近くにいたのに、どうしてきみの感じる不安を分かってあげられなかったんだろう。ごめん。謝ろうとして、やめた。もしここで俺が謝ったりしたら、きっとは自分のことを責めて、また、同じことをしようとするだろうから。そうだ、彼女は、俺のかわいいは、繊細だからこそ自分の存在に対してすごく否定的で、ひとの言うことの裏を読もうとするから、傷つかなくていいのに傷つく。だったら俺は、どうしてあげればいいんだろう?


「、ゆめを、みたの、」
「ゆ、め?」
「あかいはなのピエロがね、いうの」
「……何を、」
「わたしはいらない子なんだって。それでね、おしえてくれた」




しねばいいんだって




なんてことを言うんだと、を怒ってやりたかったけど、それは違うと思ってやめた。だって、だって本当に、そう、なることを、望んでるはずがない。だって俺、もう二度とそんなことを考えたらいけないって、、君に言ったもんな。かなしくてせつなくて、とうとう俺は泣いた。情けないことに、ぼろぼろぼろぼろ、大粒の涙と、嗚咽を零して。、君の中の何が、しななくてはいけないと、君に思わせるほどに、きみを苦しめているんだ。しんでしまったら、きみの苦しみのわけを知りたくても、もう誰も知ることはできないし、分かってあげられないのに。しんでしまいたいと、きみが願うほどにきみを苦しめているものがあるなら、そんなもんは全部俺が取っ払ってあげるよ。だから、おねがいだ、きえないでくれ。君が俺のとこへ来たことだって、何か意味があるはずだ。きみがここに来たからには、俺の隣にいるからには、絶対にしなせたり、しないよ。、きみは、しぬためにここへ――俺のところへ来たんじゃないよ。俺には、わかる。きみはそう、


「………ちがうよ、違う、それは違うよ、は、いらない子なんかじゃない。
たとえ誰かが君にそう言ったとしても、いらない人間なんているわけないんだから。
俺が君を、必要としてる。君が俺を、必要としてくれたように。だから、きみは、
しんじゃいけないんだ。、俺は君がなんで俺のところへ来たのか、分かったよ」




きみはそう、生きるために、俺のところへ来てくれたんだ。




「い、きる、ため?」


「そうだよ。ねえのことを必要だって言う人間がここにいるんだ、はいらなくなんかない」
「、でも、いらないって、」
「誰が君にそう言ったんだ。もし、そんなことを言ってを傷つけるヤツがいたら、」
「……、」
「……そうだなぁ、一発殴って黙らせるか」
「…………、」
「あれ、反応なし? 俺ケンカとか嫌いだけどさ、のこと傷つけるヤツが相手なら、別だよ」


だからもし、また赤い鼻のふざけたピエロが、のところにやって来たら、俺がやっつけてあげるよ。夢の中でだって、呼んでくれたらすぐに助けに行くよ。笑ってそう言った俺に、はきゅっと口元を引き結んで、俯いた。困ったような、怒ってるような。たぶんこれは、恥ずかしがってるんだ。ここで俺はやっと心が落ち着いて、の身体をひょいと持ち上げ、俺と向かい合うようにする。がはっとした顔をして、涙のあとを拭っていなかったことを思い出し、はずかしいなぁ、とぽつり呟く。そっと白い指先が俺の頬まで伸びてきて、触れた。冷たい。もしかしては、冷え性なのかもしれないなぁ。


「……、ごめん、なさい、」

「謝ること、してないだろ? ……あ、やっぱりだめ、謝って」

「、ごめんなさい、」

「何に対して謝ってるのか、わかってる?」

「、」

「俺のこと頼らなかったこと、ちゃんとごめんなさいして」

「……、え、」

「そういうわけだから、次こわい夢見た時はちゃんと俺を起こすこと。なんかあったらすぐ報告!」

「、あ、の、」

「分かった? ……俺も、のことすきだから――だいすきだから、のことならなんでも、なんでも知っておきたいんだよ」


きょとんとするの頭を撫でて、抱き上げる。いい加減に中入らないと、風邪ひいちゃうな。この時期、まだまださむい。ベランダに出入りできる唯一の窓にしっかり鍵を掛けて、ベッドにを下ろす。人の温かみはもうとっくになくて、シーツはひんやり冷たかった。俺さむいの苦手なんだよなあ。ちょこんとベッドに座ってじっとしているに、早くふとん入っちゃいなさい、と言うと、もぞもぞふとんの中に潜っていった。それを見て、俺のこころはとてもあたたかくなって、春、きちゃったなぁ、とぼんやり思った。そして俺も、もぞもぞベッドの中へ。ちらりと枕元の時計を見ると、午前2時と30分を過ぎたところだった。ちいさく丸まっているの身体を引き寄せて、背中に腕を回す。俺と向い合うは、どうしたらいいものか、というような困惑顔でただただ俺を見つめてくる。やばい、俺今すげーにやにやしてるかも。ちょっと、パパだいじょうぶ? 例の呪文必要ですか? いやいや、と頭を振っての背中をやさしく擦る。ぎゅっと、俺の胸辺りを弱々しく掴むので、背中を擦っていた手を後頭部に持っていってそのまま引き寄せ、今度はの前髪を後ろに掻き上げ、露になった額にキスをした。ちゅ、と照れくさいリップノイズが、静かな室内で弾けた。




「おやすみ、いい夢を」
「、おやすみ、なさい、」




今度こそ、きみをように。