気が付いたらそこにいた。
瞬間、降り出した雨に濡れた。


疑問ばかりが駆け巡る。


私は確かに死んだはずだ。
マンションの屋上から、飛び降りて。


それがどうして、こうして見知らぬ住宅街の路上で雨に打たれているのか。


死後の世界?
ここが?

イメージとは、随分違う。


「(っていうかそうじゃなくて、風邪ひくだろあの人!)あ、あのっ、大丈夫ですか?」


違う。
ここは死後の世界じゃない。
でも、私の知る現実でもない、世界。


目の前には、私が会いたくて仕方なかった、絶対に会えぬ人。


「………さわだ、つなよし……?」
「……え、どうして俺のこと、」




まだ少年の面影を残した彼に、私は勢いよく抱きついた。




トリップチュア!




「母さーん! バスタオル2枚くらい持ってきてー!」


獄寺君に扉を開けてもらってすぐ、中に入った。それから一度彼女に謝って、大声で母さんにバスタオルを要求。既に4枚、バスタオルは置いてある。俺が獄寺君と山本を連れてくることを予想してたようだ。でも、急遽もう一人増えたわけで。彼女の髪は、長いわけで。あともう2枚は必要かなぁっていう。とりあえず彼女にタオル……、うーんと、どうしよう。ちらっと彼女に視線を送ると、ぎゅっと俺の首筋に顔を埋めてしまった。……獄寺君に取ってもらうしかないな。と獄寺君に声を掛けようとすると、後ろでびちゃびちゃと水音。首だけ動かして振り返ると、獄寺君と山本が、水が滴っているシャツをぎゅっと絞っている。……げ、俺びっしょびしょのまま玄関入っちゃったんですけど……。………ま、まぁ、緊急事態だし! しょうがない……よ、な?


「タオル足りなかった? ……、あら」

「ごめん、タオルちょうだい」

「お風呂はもう沸かしてあるから、その子に最初に入らせてあげなさいね」

「分かってるってば。あ、あと着替え、なんか貸してくれる?」

「ビアンキちゃんのを貸してもらえばいいわ。私のより、その方がいいでしょ?」

「風呂場までこのまま連れてくからさ、悪いけど、母さん頼んでくれる?」

「えぇ、とにかく早く連れてってあげなさい」


なんとなく状況を察してくれたようで、母さんは驚きの表情をすぐに笑顔に変えた。にこにこにしながら、てきぱきと手際がいい。彼女の髪から滴る水滴を、バスタオルで優しく吸い取る。それから、一番大判のバスタオルで彼女を包むようにした。足だけでスニーカーを脱いで――ど、どうしよう。ちらり、と母さんを見ると、にこりと笑って「風邪ひかせちゃうから」とだけ言った。それに「後で俺が掃除するから」と返して、フローリングの廊下に上がる。




「はい、これ使ってちょうだいね」
「ありがとうございます! お母様」
「どもっス」


母さんからバスタオルを受け取って、がしがし水滴を拭う二人。小さく震える、女の子の肩。か、風邪をひかせちゃマズイ! 慌てて廊下を進みながら、「とりあえず先にこの子連れてくね!」と二人に言う。それからばたばたと風呂場に向かった。




***




「じゃ、俺行くけど、上がる前に着替え置いといてもらうから、大丈夫だからね」

「っ、」


う、うーん? ……も、もしかして、これは行かないでくれっていうこと、かな? ぎゅっと俺のシャツの裾を握って、彼女は放さない。い、いやね、マズイでしょそれは。ね、うん。そういう意味を込めて、苦笑いをしながら彼女の手を放そうとすると、ふるふると首を振っては、なんだか泣きそうな顔。……ま、マジで? う、うーん、ど、どうしよう。……じっと彼女を見つめてみると、またぎゅっと抱きつかれた。……これはもうしょうがないな。なんか、これで突き放しちゃったら、泣いちゃいそうだし。


「………一回部屋行ったら、またここに戻ってくるから。脱衣所の外で、君が出るまで待ってる」

「、ほん、と?」

「うん、ほんと」

「……、すぐ、」

「うん、すぐ戻ってくるよ」


………な、なんか、かわいい、かも。え、や、何考えてんの俺! や、う、でも、なんだ、この子すごい、かわいいと思うぞ。だって、肌すごい白いし、目ぇおっきいし、鼻筋通ってるし、なんっていうか、パーツ全部がちゃんと整ってて、しかもそのパーツの位置も完璧っていうか。あ、かわいいっつーか、美人系? スタイルもいいし、うん、なんかこう、こういう子に抱きつかれたりとか、ちょっと役得……ってそうじゃないだろ。




「じゃ、行くね」
「ん、」




***




窓の外は真っ暗、だ。


私が憧れて止まなかった人は中学生だったはずなのに、見た感じでは彼は、私と同い年くらいだ。少なくとも、中学生でないだろう。……なんとなく、今私がどういう状況にあるか分かってるから、ただシャワーを浴びる。彼のことを、少し考えながら。やっぱり、とっても優しくて、温かい人。沢田、綱吉。彼のそういう人柄に憧れていたし――憧れている。シャワーを止める。ぽたりぽたりと、水が落ちる。


異世界へ飛んでしまう、なんてそんなこと、あるわけない。自分の目で見たこと、自分の耳で聞いたこと、何事も自身が経験しなければ信じない性質の私だけど、こうなってしまった以上信じるしかない。ここは、私が生きていた世界とは違う。ここは、私が読んでいた漫画の世界だ。でも、そのストーリーとは少し違う世界。私が生きていた世界で読んでいた漫画での沢田綱吉は、中学生だ。でも、この世界の沢田綱吉は、見たところきっと高校生だろう。……どうしてこの世界に来てしまったのかは分からないけれど、私の自殺がきっかけとなって、不思議な現象が起きてしまったことは確かだ。どうしてこの世界へ来てしまったのかはともかく――どうして、この世界なんだろう。


冷えた身体に温かいお湯は熱すぎて、指先や肩がじんじんする。だけどきもちいい。ぼんやり、窓の外へ視線を投げる。透明なガラスじゃないから景色は分からないけれど、明るさは分かる。さっきと同じ。真っ暗。でも、雨音は大分優しくなった。風の音が少しだけ聞こえる。……湯船、浸からせてもらおう。浴槽に手を置いた瞬間、ぎらっと光った。

びくりと身体を揺らすと、何故か身体に力が入らなくなって、そのままばたりと倒れた。ぽろっと、涙が零れる。こわい、こわい、こわいこわいこわいこわいこわいこわい。雷が光ると、鏡も光ったような気がした。何か、いるような気がした。いるような気が、する。こわい、こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわ、い。




「っ大丈夫!?」




***




がたん! と、大きな物音を聞いた瞬間、身体はすぐに動いた。声を掛けてみる。返事はない。ひやっとした感覚が、背中をすっと駆けた。風呂場のドアを開ける。彼女は小さな嗚咽を漏らしながら、小さく蹲っている。小刻みに震える、身体。細くて真っ白な身体をそっと抱きしめる。大丈夫だよ、と何度も繰り返す。こわい、こわい、と彼女は何度も繰り返す。


「大丈夫だから。俺がいるだろ? ……えーと、名前、聞いてもいい?」

「っ、こわい、こわい、」

「………でも、俺が一緒にいれば怖くないだろ?」


小さい子をあやすみたいにしながら、彼女が落ち着くのを待つ。大丈夫だよ、だとか、俺がいるよ、なんてクサイことを、まるで呪文みたいに繰り返しながら。そっと、彼女の腕が俺の背中に回った。それがなんだか嬉しくて、「うん、大丈夫だからね」とまた言って、彼女の頭を撫でてみる。少しずつ、身体の震えは消えていった。嗚咽も、途切れて消えた。




「……、」
? って……、君の名前?」


こくんと頷いて、また俺にぎゅっと抱きつく。……うーん、別にいいんだけど、カッコがカッコだからなぁ……。でもそれにしたって、、さん? ちゃん? はホント、かわいい子だと思う。なんていうか、構ってあげたくなっちゃうもんなぁ……。そうか、、さん? ちゃん? か。なんだか俺は嬉しくて、彼女の名前を呼んでみる。


、」

「……なに?」

「っな、んでもないけど、呼んでみたくて……っていうか、呼び捨てでいい? ちなみに俺高2ね」

「……同い年。……つなよしって呼んでも、いい?」

「いいよ! ……あ、でも、また身体冷えちゃったし、もっかいちゃんとお風呂ね」


「っ、ひとりになりたくない……っ!」


…………いやいやいや、マズイから。っていうかよく考えなくてもこの状況もヤバイ! お、俺にどうしろと?! そういう俺の気持ちが伝わったのか、は俺の首筋にぎゅっと顔を埋めた。う、うーん、なんかなぁ……。、と何度名前を呼んでみても、いかないで、と言って離れようとしない。どうしようどうしよう、と思ってる間に、の身体はどんどん冷えていく。……やましい気持ちは、一切ないぞ。これは致し方ないことだ。しょうがない。……正直役得って思ってるけど、でも、こんな不安定な状態の女の子相手に、ねぇ? 俺そういうシュミないし。……って言い訳並べてる時点でどうなんだ……。……でも、このまま無理に離れさせて、また倒れたりしたら大変だし。




「…………じゃあ、俺と一緒に入る?」




「……いっしょ、」
「、マジで?」
「………だめ?」
「……、いい、よ、」




………とりあえずまた濡れちゃったし、着替え持ってこよう。それで、まぁ、ね。母さんにはちゃんと話しておこう。変な勘違いされちゃ面倒だし。で、その後は獄寺君と山本にお風呂使ってもらって、その間にでも話、聞いてみればいっか。よしよし、これでオッケー! と一人頷いて、の身体を離そうと――――は、離れない? ……ま、マジで?




「……、俺着替え取り行くだけだから、ちょっとだけ待ってて」
「っやだ、やだ、いかないで、」
「え、ええっ、い、いや、ね? うん、……ま、マジで?」
「つなよし、」




……もうここまでくりゃなんでも同じじゃね?




***




「ごめん、開けてもらえるー?」




「おう! ってかあの子大丈夫だった――マジで?」

「テメっ、オレが開けるものを! おかえりなさい10代目! あの女――――っ、な、なん……っ!」

「あ、あはは、」




うん、ごめん二人とも。なんかもう大分開き直った俺は、バスタオルでの身体を包むようにすると、横抱きにして部屋に戻った。ぎゅっと、俺の首に回された腕に力がこもる。……人見知り、とか? じゃなくて、着替え着替え! の身体ホント冷たい! 獄寺君は固まっちゃって身動きしないので、山本に着替えを取ってもらう。ついでにバスタオルも。


「じゃ、とりあえず風呂行ってくんね。ごめんね、待たせちゃって」
「や、それは全然気にしねーけど……、ま、マジで?」
「そこも出来れば気にしないで欲しい」
「……ま、とりあえず風呂が先だな」
「うん、ごめん。じゃ、行ってくるね」
「おう! ちゃんとあったまってこいよー」




山本の笑顔に俺も笑って、部屋を出た。