身体が、ふわっと浮いた瞬間、色々なことが思い出された。


パパとママのこと。
おじいちゃん、おばあちゃんのこと。
担当医の先生のこと。
友達の、親友のこと。


でもこれで、何もかも終わる。


苦しむことも悲しむことも、絶望することも。
怖くなったり吐いたり、誰かに八つ当たりすることも。


もう、なくなる。

ひどく落ち着いて、どこか優しい気持ちになった。
ただ、一つ。




彼への思いを、除いては。




トリップチュア!




誰だよ、降水確率は10%以下なんて予報したの。 突然降り出した大雨に、一瞬でずぶ濡れ。この勢いじゃ、そう時間が絶たないうちに、大雨洪水警報が発令されるはずだ。全くどうなってんだよ天気予報。いくら予報士が美人でも、肝心な予報外しちゃ意味ないと思うんだけど。そう心で毒づいている間も、豪雨の勢いは増していってるような気がした。


「うっわー、これじゃあ確実風邪ひくよなぁ……。二人とも、とりあえずウチ寄ってきなよ!」

「お、マジで? そうさしてもらえると助かるわー。な、獄寺!」

「気安く触んな野球バカ! 10代目! ご迷惑でなければぜひ!」


二人のやりとりに苦笑いしながらも、走る、走る。地面を叩くように降る雨粒に、視界は最悪。晴れた日のこの時間帯なら、そろそろよい子は帰りましょうのチャイムの時間だから、小学生達が騒ぎながら歩いてるはずだけど、さすがに今日は俺達以外誰も歩いて――というか、走っていない。掃除終わって帰ろうってなって、そろそろ三人分かれ道って瞬間これだもんな。ツイてない。これは意識の問題だろうけど、いつもの住宅街の景色が、なんだか不気味なくらい暗く映った。視界も最悪、景色も最悪、もちろん気分も最悪。そんな最悪だらけの中――いい言い方をすればモノクロっぽい景色――に、白いワンピースはくっきりしている。彼女は、そこにぼんやり立っているだけ。俺達と同じように、急に降られた、という感じではなさそうだ。っていうかこの豪雨の中、ただ立ってるだけってどうなんだ? しかも傘も差してないし。や、実際傘あっても意味ないけど。 じゃなくて、何か訳ありっぽい雰囲気めちゃくちゃ出てるよなぁ……。つーか俺ってなんでこういう場面によく出くわすんだろ。絶対リボーン来たのがきっかけだよな。俺が色々巻き込まれるようになったのって。マフィアとか、そういうの全部抜きにしても、確実に。




「おい、ツナ?」

「10代目? どうかしました?」

「(っていうかそうじゃなくて、風邪ひくだろあの人!)あ、あのっ、大丈夫ですか?」




山本の声、獄寺君の声は無視した。彼女に駆け寄る。それに倣(なら)うようにして、二人も駆け出したのが分かった。どうしてか分からない。けど、思った。彼女を放っておいたらいけないと。放っておけば彼女は――彼女、は? 分からないけど、ただとにかく、彼女を放っておいたらいけないと思った。






「…………さわだ、つなよし……?」






どくんと、心臓が大きな音を立てた。さわだつなよし、と彼女はそう言った。小さく、呟くような音量だったけど、俺には確かに聞こえた。マフィアじゃないな。瞬間的に、そう思った。いや、フツー全く知らない、見覚えすらない人が自分の名前知ってたら怪しいんだけど。でも、マフィアじゃない。俺に危害を加えようとしているでもない。とにかく、危ないっていうか、そういう系の人じゃない。何を根拠にそう思うのか、自分でも分からない。だから多分、これはボンゴレの超直感、っていうヤツなんじゃないかなぁ。マフィアとかなりたくないけど。理由にするなら、たぶん、っていうかこれしか思いつかないし。っていうかだったらこの人、なんで俺のこと知ってんだ?


「……え、どうして俺のこと、」


知ってるんですか、と続くはずだった言葉は簡単に引っ込んだ。それはまるで、小さい子がお父さんやお母さんにするような感じ。俺の首に腕が回って、ぎゅっと細い身体と密着する。あ、なんだこれ。もしかしなくても、抱きつかれてる? っていうかホントこの人だれ。っつーか、ええ。ちょ、ノースリーブはないだろ。これ絶対風邪ひく。風邪ひかないわけない。……身体、つめたい、な。この人、いつからここにいたんだろ? 10分とか20分じゃないぞ、この冷えは。っていうかこの人誰って話だよな。……誰?


「あ、あのー、」
「テメェどこのファミリーだ! 返答次第じゃぶっ殺すぞ!」
「おい獄寺、女の子相手に物騒なこと言うなよ」
「あ゛ぁ? テメーこの女が暗殺者だったらどうすんだ!」




「……それは、違うよね」




疑問符ナシの調子で言い切った俺に、獄寺君が勢いよく俺へ視線を向けてきた。あはは、むちゃくちゃビックリしてる(しかもカッと見開いた目は瞳孔開いてる――平たく言うとまぁこわい)。山本も獄寺君ほどあからさまじゃないけど、そんな表情だ(瞳孔は開いてない)。いや、理由としては超直感っていうのがあるんだけどね、と説明したところで――「それにしたって……」と返ってくるだろうことは分かっている。“俺達”みたいな人間なら、フツーは獄寺君の反応だ。まぁ、ちょっといきすぎな気もするけど。……じゃ、なくて。……うーん、とりあえず、ここ寒いよなぁ……。心なしか、彼女ちょっと震えてる気がしないでもないし。




「とりあえず、俺んち行こう」

「! じゅ、10代目、まさかとは思いますが、この女も一緒だなんて言いませんよね?」

「え、一緒だよ? だって、ここ寒いし。風邪ひいちゃうよ、彼女も、俺らも」

「っしかし!」

「まぁまぁ、とりあえずツナがそう言ってんだからいいだろ?」

「そうそう山本の言う通り。っていうかホントもうヤバイと思うから、早く行こう」


絶対納得してないけど、とりあえず頷いてくれた獄寺君。こういう時山本いるとホント助かるな。獄寺君はなんていうか、ちょっと神経質なとこあると思うんだよね。細かいっていうか。慎重で、いいんだけどさ。でもこういう時、融通きかないっていうか、なんていうか。……あ、獄寺君と山本を混ぜた感じが一番ちょうどいいよな。じゃ、なくて。




「……もしかして、歩けない?」
「、」




ぎゅっと俺に抱きついたまま、彼女が動かない。俺の言葉に、何か返そうとはしたようだけど、結局無言。山本が小さくくしゃみをした。とにかく風邪をひくのはダメだ。特に山本。相変わらずエースなわけだから、山本になんかあるといつもつるんでる俺がなんか言われるんだよな。みんな獄寺君には何も言わないっていうか、言えないからって……。……それに、彼女にも風邪ひかれちゃったら困るしな。




「よし、じゃあ俺がこのままだっこしてこう。それで平気?」

「ちょっ、何考えてんスか10代目! そんな女に10代目がそこまでする必要ありません!!」

「ツナ、オレが代わるか?」


首に回された細い腕に力がこもった。分かんないけど、これはたぶん、俺じゃないとダメってことだよな。たぶん。どっちにしろ、もうウチ近いし、このままじゃホントみんな風邪ひくし。そうだなぁ、うーん、ごめんね、ちょっとだけ離れてくれる? と俺が言うと、余計ぎゅっとされてしまった。……うーん、ホントにちっちゃい子みたいだなぁ……。大丈夫だよ、ちゃんと俺がだっこするから、って試しに言ってみたら、少し間があってから彼女はゆっくりと俺から離れた。あ、ホントにちっちゃい子みたい。素直だ。と思ったら、彼女の冷たい手は、水分をたっぷり含んだ俺のシャツを握った。……正真正銘のちっちゃい子だぞ、これは。


「山本、カバン持ってもらっていい?」

「おう! 任せとけ」

「っ、10代目!」

「大丈夫だよ。ほら、俺って一応ボンゴレの人だから。超直感超直感」

「ですがっ、…………おい女、テメー妙なマネしやがったらそっこー殺すからな」


また余計な脅しして……。獄寺君はホント容赦ないから困るよなぁ。根は優しいから、彼女の事情ちゃんと話せば、すぐ大人しくなると思うけど。……って事情って、何? なんか今の感じじゃ、どうして彼女がこの悪天候(というか嵐)の中、ここで立ってたのか分かってますっていうみたいじゃん。えええ。俺彼女の名前も知んないんですけど。超直感もここまでくればホラーじゃん。テレパシー? いや、なんでもいいけどさ。とかなんとか思いつつ、彼女の細い身体をぐっと抱き上げた。軽っ! うわ、細い細いって思ってたけど、ちょっとこれは細すぎるぞ! あ、でもそういう感触はすごいするんですけど。女の子が憧れるっていうのは、こういう身体っていうか、スタイル? のことかも……って待った! 俺今何考えた!? ちょっ、もう最悪俺! 何考えてんの!?


「………さむい、」

「! あ、ごめんね! よし、ちょっと走るから揺れるけど、ガマンしてね! って、い、今……っ、」

「お、しゃべった」

「っけ!」


ぎゃあぎゃあ言い合う二人の声に苦笑、と、くしゃみ。ちょ、風邪……? いやいや、俺んちすぐだから! そうだな、とりあえず彼女が一番最初に風呂だな! で、その後はテキトーに俺達も入って、で、それから話聞こう。あ、でも話してくれるかな? ……うーん……、あ、彼女が風呂入ってる間、あったかいココアでも用意しとこうかな。……で、リボーンに彼女について聞いてみるか。ないと思うけど、マフィア関係だった場合アイツならなんでも知ってると思うし。うん、そうしよう。なんて考えながら突っ走っているうち……っと、玄関玄関!


「獄寺君、玄関開けてくれる?」
「はいっ!ただいま!」




とりあえず、無事帰宅!