昼休みのここは、とても静かだ。

 「――まあ、ご覧になって! 征十郎さん。わたくしの愛らしい天使ちゃんを!」

 従兄弟であるこの小百合の振る舞いのおかげで、白百合の会などという迷惑極まりない集団が騒ぐことをオレは心底うざったく思っているが、こうして何かと二人になる機会を用意してくれるという一点のみでその存在を許している。オレと小百合が静かに――誰かにオレたちのことを嗅ぎ回られる杞憂なく会話ができるからだ。バスケ部のファンクラブだとかいうのも全く理解できないが、だからといって興味もない。それにそちらについてはオレが迷惑を被ることもないので、ある程度のことであれば許している。もちろん、練習の妨げになることのないよう手は打ってある。それがこの“小百合”だ。しかしそれが原因であんな馬鹿馬鹿しい集団が存在している。だが先に述べたように、オレは今の状況この一点のみで許しているのだ。あちらにはあちらで利点――その内容は全く理解に苦しむし、それこそが迷惑なのだが――がある。オレが利用したところでなんの問題もないだろう。
 ちら、と窓の外へと目をやると、最近よく見る組み合わせが中庭を歩いている。彼女も飽きないものだな。何をそんなに気に入っているのか、いつも黒子について回っている。

 そしてそこへ、新しい顔が加わるようになった。

 「……また黒子と――黄瀬もいるのか」

 どういう経緯であの二人――黒子と彼女が出会って、そして何をきっかけにしてお互いを親友と呼び合うようになったのか、オレは知らない。知る必要もないし、そんな些末なことはどうだっていい。

 黒子はオレのことも――のことも知っている。きっとオレが直接教えた以上のことにも勘付いていることだろう。だが、それもどうだっていい。ただ、彼女がオレの手を離れてしまいつつあることには、少しばかり考えることもあるというだけで。さて、彼は何をどうして、にバスケ部のマネージャーをするなんていう決意をさせたのかな。あの頃のことを思えば考えられないようなことだ。

 オレが言えばはいつでもバスケ部に入っただろうが、そうする気はなかった。無理強いするものでもないし、必要なことでもない。そう思っていたからだ。なので、あのときは少しばかり驚いた。が、バスケ部のマネージャーになりたいと言ったときには。だがやはり、その理由がどういったものであろうとオレには関係のないことだ。彼女がそうしたいというものは好きにすればいいし、オレは彼女自身が決めたことに関しては口出しする気はない。普段大人しくあまり意見しないのだ。その彼女が自発的に「こうしたい」と言うのなら、それを叶えてやるのは当然だ。それにその存在が手元にあるのは正直助かっている。


 昔から放っておけない子だった。
いつも危なっかしくて、幼いなりに自分が守ってやらねばと思った。


 彼女のお母様は、甘やかしたつもりはないんだけれど……と常々仰っているが、その後には必ずこう続ける。やっぱり一人っ子の女の子でしょう? そして更に、あの子ったら世間知らずで、ちょっとぼーっとしてるから、と。極めつけに、征十郎くんがいてくれると本当に助かるわ。

これだ。これを聞いて、オレは自然とのことは守ってやろうと思った。今にして思えば、まぁうまくコントロールしてくれたものだな、食えない人だ。そう思うが、オレは昔から今まで――そしてこの先も続くこの関係を、疎ましく思ったことなど一度もない。彼女を傷つけるものがあれば、オレはその存在を決して許しはしない。それはオレが自ら思っていることで、この考えを変える気はない。彼女を傷つけるものがあれば――それは目の前のこの小百合も同じことだろう。

 小百合はまるで可憐な少女のように微笑んで見せた。いつ見てもイラつくものだ。オレがそう思っていることに小百合は気づいているし、オレはそのことを気づいている。けれどお互いそんなことは口にしない。言わずとも知れたことだ。オレとの関係と同じように、オレと小百合との関係も昔から変わらない。この先も変わることはないだろう。いくら同い年の従兄弟同士とはいえ――いや、だからこそ面倒なものだ。

 「女の子ってみぃんな素敵で可愛いけれど、やっぱりわたくしの天使ちゃんがいちばん愛らしいわ」

 を間にして何か言い合っている――おそらくは黄瀬が一方的に黒子に突っかかっているだけだろうが――様子を見つめながら、小百合はそう呟くように言った。その表情は直接見ずとも分かりきっている。小百合は昔からそうだ。

 オレとの関係、オレと小百合の関係は昔から変わらないが、オレも彼女も少なからず変わっているだろう。現に彼女はバスケ部のマネージャーになった。危なっかしい場面を目にすることも少なくはないが、仕事はきちんとこなせているし、部員たちとの関係も良好なようだ。オレはオレで、先のことを見据えて今すべきことをしている。
 しかし、小百合はというと違う。あの日に一人、いつまでもこだわっている。彼女の様子からして、いずれ時間が解決するだろうとオレが何度言っても聞かず、挙句の果てに“小百合”だ。

 既に彼女の傷は癒えている。黒子テツヤの存在、そしてバスケ部のマネージャー。これがその証拠だ。言ったところでやはり聞かないのは分かっているので、オレもそうお優しく言ってやるつもりはない。あの頃とはもう違う。

 「そうか」

 そうだな、と返そうかと思ってやめにした。そう答えれば小百合はうるさいことを言い出すに決まっているし、オレがわざわざ口にするようなことでもない。だが、そんなことは関係なかったようだ。ぎらついた目だ。こいつは昔からそうだ。身内びいきも程々にしてもらいたい。もちろんそれだけでないこともオレは知っているが、どうでもいいことだ。
 小百合はのこととなるといちいち目くじらを立てる。溜息でも吐きたい気分だ。何を思おうと勝手だが、それは勝手を許すというわけではないのは承知しているだろう。しかしこうもコントロールが利かなくなるのだ。オレたちの許容範囲の狭いことは、彼女のためにならないことを小百合は分かっていない。実際のところ、これは小百合には関係のないことだが。

 「ですけど――アレはいけないわ」

 この先は見当がつく。アレとは随分な物言いだな、と思ったがオレは言わなかった。
そぐわぬゆったりとした口調で、小百合は続けた。

 「黒子君はね、いいんですの。彼は男性ですけれど、わたくしの天使ちゃんを汚らわしい目で見たりしないから。弁えていらっしゃるわ。だからわたくしも、彼がわたくしの天使ちゃんを“親友”と言って、あの可愛い天使ちゃんも彼を“親友”と言っても全く気になりませんの」

 本当に、溜息の一つや二つは許されるだろう。

 「良いも悪いもお前が決めることではない。が自分で黒子を友人にして、彼を親友と呼んでいるんだ。好きにさせろ」

 「もちろん分かっておりますわ。……ちゃんが言うのなら、どんなことでもどんなものでも構わない。……それに、黒子君には少しばかり感謝だってしていますのよ」

 「黒子はオレたちのことを知っている。彼女を傷つけはしないさ。現によく面倒を見ているじゃないか。大いに感謝すべきだと思うが」

 「そうでしたわね、黒子君には貴方がお話しになったのよね。どんな理由なのかはどうでもいいことですけれど、彼が彼女を害することがないのはわたくしにも分かります。だから素直に感謝までしておりますのよ」

 「……お前が危惧しているようなことにはならないよ。黒子がそばにいる限りはな」

 窓の外の三人の様子を詳しく窺うことはもちろんできないが、黒子がをよく気にかけてくれているのは分かる。危なっかしい彼女の手を引いて歩く姿にも、違和感はない。彼の心中はどうだか知れないが、もしかしたら彼とオレたち――オレとの間にも、白百合の会と同様の関係が成り立っているのかもしれない。

 だが、黄瀬涼太――彼はあからさまだ。

噂話には興味がないので、“外”ではどうだか分からないが――少なくとも部内では周知の事実、というやつだ。まぁ、いずれにせよ黒子がついているうちは手は出せまいし、そもそも彼女と黄瀬の間に成り立つものはない。

 もし仮に何か成り立つときがきたときには、と考えようとしてやめた。くだらないことだ。答えは既に出ている。しかしやはり、身内びいきで馬鹿な手段しか思いつかない小百合には、何を言ったところで聞きはしないだろう。小百合は憎々しげに言い放った。

 「いいえ、彼はダメよ。……黄瀬涼太――彼は少しだって認めませんわ。彼女は、天使ですのよ。わたくしの、天使」

 いつまでもこんな悪ふざけ――小百合にとっては違うんだろうが、それもオレには関係ない――を続けられたら困る。それでも、白百合の会とオレたちの間に相互利益があるように、小百合とオレの間にもそれが成り立っているのだ。

 小百合は「全てバスケ部のため」だなどと嘯き、“小百合”の立場を利用して彼女のそばにいる。オレはそれを利用して、バスケ部のファンクラブだとかいった面倒事を小百合に任せ、大っぴらには彼女を庇えないオレの代役を務めさせている。小百合のこの様子ではいつまで続くか知れたものだが、オレに利のあるうちは悪ふざけも結構だということだ。

 「彼女は、お前のものじゃないだろう」

 オレが言うと、小百合は笑った。オレの知っている顔だ。悪い癖だ。こいつが時折こういう顔を見せるものだから、オレはわざわざ時間を割いて小百合と“密会”しなければならない。

 「あら、おかしなことを仰るのね。彼女は誰のものにもならないわ。だって、わたくしの天使ちゃんですもの。――汚らわしい男なんて、彼女には必要ありませんのよ」

 オレたちの関係を伏せてあるのは全てのためだ。この年頃の男女によくある、浮ついたくだらない下種な勘繰りから守ってやるためである。誰かに知られれば、あの日のように彼女が傷つくかもしれない。

 ここまで考えて、オレも笑った。オレも小百合と、そうは変わらないのかもしれないと。もちろんオレは小百合のような馬鹿らしい手段は取らないし、一切ボロは出さないが。

 「――そうか。……だからオレはお前が大嫌いだよ、小百合。ずっと昔から」
 「うふふ、ありがとう、征十郎さん。わたくしも、貴方って人が大嫌いよ」


だぁれ知らない密会