「……だるい」と、後ろにあるベッドへ寄りかかる。

 常ならばシレッとした顔で、何か食べるか? とでも言ってキッチンに立って簡単なものを作ってやるところだが、今日の俺はもう酔っているのだ。いや、まったく酔っちゃいない、本当は。ただ、今日に限ってはそういうことにしておく必要があるので、今俺はとんでもなく酔っている。

 ローテーブルには、コンビニで買い込んだビールとチューハイ、それから、彼女のためのジュースみたいな甘ったるいカクテル。洒落っ気などかけらもないつまみが散らかっている。

 ホワイトサワーの缶から口を離して、彼女が不思議そうに首を傾げる。ちょこちょこ、もう空いた缶をまとめたり、中途半端に残っているチータラを口に放り込んだりしながら。

「んん、めずらしいねえ、酔っちゃった? もう終電近いけど、ジャミルくん帰れるの?」

 ……なんだって帰る前提なんだよ。なんのために急に思いついたふりしてバカみたいに酒なんか買って家上がり込んだと思ってやがるこの女。大体、明日は何もないのかときちんと確認したところで気づくだろうが、あぁ、コイツ下心あるんだなと。

 普段なら、お前に合わせて洒落た店で出るような冷菜だとか、わざわざネットで調べた女子ウケどうたらとかいうフライだの、手間ばかりがかかる長ったらしい名前のソースを添えたローストビーフだのを用意するよな、俺は。カクテルだってリキュールから俺が作ってやっている。

 なのに、とにかく今日は飲みたい気分なんだとか頭空っぽなナンパ野郎みたいなことを言って、すべて出来合いのもので済ませているんだぞ今夜は。この時点で“何か”がおかしいと思っていいだろうが。俺の下心を感じ取っていいだろうが。

 ――まぁ、言いはしないが。

 なぜなら今の俺は酔っているからだ。そして、こんな状態ではとてもじゃないがまともに歩けなんかしないし、電車に乗るなんてとんでもない。つまり、帰るに帰れない。

「んん、」

 わざとらしく吐息まじりの声を漏らしてから、彼女の肩に頬を寄せて、そのままもたれる。
 「ええー、寝ちゃだめだよジャミルくん。電車なくなっちゃう」と言いながら、薄く染まった顔で俺を覗き込んでくるので、これは仕方ないなとキスをした。

「えっ、」

 ……は? えってなんだ、えって。恋人の家で、二人っきりで宅飲みしてたらそういうことにもなるだろうが。お前だけだぞたまにはのんびり飲むのもいいね〜! とかのんびりしたこと抜かしてんのは。こっちは初めっから抱く気しかないに決まってるじゃないか、俺のことをなんだと思ってやがる。

「ええ〜、なに? ジャミルくんなんかかわいい〜! えへへ、すき」

 はァ? こっちのセリフだが??

「……ば、かやろう、かわいいのはおまえだよ……」

 首筋のあまいにおいに、すんと鼻を近づける。白い肌は匂い立つように美しく、食べてどうぞと言わんばかりで目に痛い。心臓にも悪い。頭が茹だって脳にも悪い。ちくしょう、なんだってお前、そんな、そんな無邪気な顔をしてみせるんだ、ちくしょう。

「んんん〜っくすぐったい!」

 彼女はころころ笑って、我慢できないとばかりに床に体を倒した。あはは、なんて声を上げて、暢気に。

 「ん、」と腕を引くと、ぱちりと瞬きした後、ガバッと俺に飛びついて、胸に顔をぐりぐり埋めてくる。思わず低い声でも出してしまいそうになったが、俺は今酔っているのだ。そんなことをすれば悪ふざけしてる場合じゃないよ、電車電車! とか言い出すに決まってる。

 今日は帰りたくないんだよ俺は。これまで何度も言わせようとしたのにお前が言わないから、この、俺が! 代わりに言ってやるんだよ、帰りたくないと。

「……今日はもう、かえれない」

 熱い吐息と一緒に耳に流し込んだわけだが、彼女は「電車まだ間に合うから大丈夫だよ〜」などと言って、しかも「片付けはわたし適当にやるから」と俺の膝の上に乗っかったまま、またテーブルの上へ手を伸ばす。鼻歌まで歌いながら。

 ……ハァ? 違うだろうが。じゃあ今夜は帰さないだろうがここは。コイツ情緒死んでるのか? こういう展開は世の中いくらでもあるじゃないか、感性を育てろ。

 しかし、ここまできたのだ、引き下がるわけにはいかない。

「……かえれないんだ、」

 腰に腕を回して、ぎゅっと抱きしめる。
 ほら、今がチャンスだぞ。そう念を送ったが、返ってきた言葉は「え、もしかして具合悪いの? え?……じゃあわたし送るから!」だ。

 「ほんとに珍しいね、こんなこと今までなかったのに〜」とかなんとか言いながら、俺のボディバッグに手を伸ばす。……ちっっがうだろうが! これ幸いと泊まっていきなよで俺をこのまま押し倒すんだよッ!

「おい、お前ふざけてるのか?」

「えっ」

 えっじゃないんだよバカ女。……コイツ恋愛作品に一切触れずに生きてきたのか? 経験はなくて構わないが、読んだり観たりして学んでこなかったのか? いい加減にしろ、なんだって俺がここまでしなくちゃならないんだ、クソ。

 心の中で大いに悪態をついて、それから小さく溜め息を吐いた。

 すると彼女が、「……ジャミルくん、帰りたくないの? ほんとに?」と言った。じ、と見つめられる。

 だっから何回言わせるんだという話だし、この渾身の「かえりたくない、きみといたいんだ、」を流してみろ、涙の一つでもこぼしてみせるぞ。俺に恥をかかせる気か? 好いた男にここまでさせておいて――。

「……なに笑ってんだ」

「うふふ、だって、ジャミルくんいつもの余裕がないから、」

 ……この女……ッ! 俺の純情弄びやがって!

 「……うるさいな、」と、今度は俺が床に倒れ込んだ。彼女もそのままついてきたので、俺の胸の上に重なる。そして、いたずらっぽい目をして、俺の耳元でそっと囁いた。

「まだ飲む? ……帰れなくていいから」

 ……これは抱けるな?






画像:はだし