俺がとあるロックバンド――の、ボーカリストの大ファンであることは、周知の事実である。まぁ、俺の役者としてのイメージがあるから、それも本当に近しいスタッフに限られた話だが。 俺に近い。つまり、俺をここまでずっとバックアップし続け、そのためにスカラビアという事務所まで立ち上げたアジーム家もしっかり把握しているし、アジーム家に知られているということは、次期当主であるカリム・アルアジームもよく知っているということである。 「ジャミル! 、今日熱愛出るらしいぜ!」 「はっ?」 コイツは何かと突然、唐突すぎるが、持ってくる情報はそのすべてが信頼できるものだ。なんたって世界のアジームだし、コイツ自身もあちこちに色々なツテがある。コミュ力おばけめ。 それはさておき。 件のボーカリスト、と俺は、何度かの二人きりの食事会を経て――いや、三度目で勢い余って俺が交際を申し込み、つい先日めでたくお付き合いすることになった。慎ましいファンだったはずが、恋人になってしまっ…………うん。 これは確かに今世紀最大の喜ばしい出来事なのだが、事務所(とアジーム家)に報告したらとんでもない規模のパーティーを開かれてしまったので、伝えるのはもう少し俺の気持ちが落ち着いてからのほうがよかったかもしれないな、とは思った。 ……あの騒ぎで、どこからか漏れたか? ……いやいくら身内だけとは言え、鼓笛隊によるパレードだの花火だのが上がれば何事だという話になるに決まってるだろうがッ! 浮かれすぎて馬鹿になっていたとした思えないこの俺が……! ――それにしても。 「いくらなんでも早すぎる! 一体どこから……まさかお前……」 めでたいこととなると、普段に増しておおらかになるカリムのことだ。何のお祝いですか? と聞かれたら、無邪気にジャミルに恋人ができたんだ! その恋人っていうのが……なんて話して聞かせたとしても不思議ではない。 いや、俺はいいんだ俺は。あの生放送で、俳優人生は終わった。これまで悪役しかやらないが私生活はクリーン、スキャンダルはゼロという点で好感度はそれなりだったが、これはもうイメージダウン待ったなし。そう思っていたが、どうしてだか好意的な反応のほうが多かったため、俺はいいのだ。 問題は、恋人となったのほうである。 彼女の魅力は決してそれだけではないが、紹介される時にはどんな時でも“クール”で“ミステリアス”という文言が付けられるようなアーティストだったのだ。それが、ファンたちが彼女にハマる要素の一つであったことは否めない。 彼女は音楽が好きだ。それに、自分の、自分たちの音楽に誇りを持っている。 距離を縮めることができたのも、やはり音楽の力だった。 初めはぎこちない会話だったが、俺がバンドの楽曲の感想を言えば、にこにこ可憐な笑顔を浮かべて、それから饒舌にもなった。 つまり、彼女には音楽がすべてなのだ。そして、俺も彼女の音楽を心から愛しているし、今後もその活躍が楽しみで仕方ないファンでもある。 もし、この報道がきっかけで、彼女の音楽活動が妨げられることになったら、俺は――。 「いや、ジャミルとじゃない。同じ事務所の、サバナクローのレオナとだ。レオナ・キングスカラー」 「はァ?」 「出回る前にとりあえず押さえたけど、心当たりあるか? いや、ないから驚いてるんだよな……ま、とりあえず元気出せ! 何かの間違いに決まってる!」 あまりの衝撃に与えられた情報の処理が追いつかなかったが、しっかりと飲み込めたとなれば、俺が取る行動など一つしかない。 「あっっっったりまえだろうがッ!!!!」 そう叫ぶとテーブルに置いていたスマホを引っ掴んで、勢いよく部屋を飛び出した。 ふざけるな。熱愛報道だと? それも、スキャンダル王と呼ばれるあの、あのレオナ・キングスカラーとだと? どうしてくれるんだ彼女のイメージが下がってしまったら! クリーンな俺ならばともかく、スキャンダル王だぞ? 俺との熱愛ならまだしも、レオナ・キングスカラーとだと? こんなふざけた話があってたまるかッ! というか、なぜ俺との密会が撮られなかったのにレオナ・キングスカラーは撮ってもらえたんだ! あの人いつも張られてるのか? クソッ、なぜ記者は俺を張らなかったんだ、あの生放送から俺はあちこちでマイクを向けられているのに、なぜ! なぜ?! なぜ俺を張らない?!?! 職務怠慢も大概にしろッ!!!! まあ、アジームがそんなクソみたいな記事を押さえているならば、すぐには面白おかしく広がることはないだろう。……しかし、だからと言って俺が黙っていられるかというと、そんなことはもちろんない。 誰も入っていない端の会議室へ体を滑り込ませると、すぐさま扉を閉めた。それから数度、いや数十度、しっかりと深呼吸をして気持ちを整えてから、俺は震える指先でスマホを操作し、できたばかりの恋人へ電話をかけた。 「――あ、バイパーさん? あのね、今ちょうど連絡しようと思ってて」 同い年なんだから堅苦しい敬語はやめにしようと言われたが、憧れが具現化したみたいな存在(推し)にそんな生意気な口を利くことができるかッ! という俺と、いや恋人の玉座を堂々手に入れたこの俺だからこそ、今後のことも考えればいわゆるタメ口で話したっていいというか、そうすべきだろうという俺。コンマ何秒の世界で戦ったが勝敗は決まらず、「っう……ん……、はい、」と、情けないとしか言いようのない無様な第一声となってしまった。キャリア十年はどうした???? これは今後の大きな課題となるが、その前に立ち塞がる問題をどうにかしなければならない。 「わたしの熱愛報道が出るらしくて」 「……それは、もう聞いている」 「あっそうなの? あ、そっか、スカラビアだもんね、それはそうだよね。じゃあよかった!」 ……じゃあ、よかった……? ……じゃあよかった……とは……? それはつまり、安心信頼の情報網を持つアジームが立ち上げたスカラビアに入った情報なんだから、それは言うまでもなくすべて真実。なのでこれもわざわざ言うことでもないけど、あなたとのお話はなかったことに……という意味か……? いやつい先日交際が始まったばかりで? これは別れ話なのか? いやそもそも俺たちは付き合っていたのか? すべては俺にだけ都合のいい妄想だったとでも……? そう詰め寄ってやりたかったし、詰め寄ったとして構わない立場にいるはずだが、それを肯定されてしまったらどうするんだ俺は……と思ったら、「あの、意味が、少し、いやかなり、大分……」とか、あやふやなことを言って誤魔化すしかなかった。 俺が……俺が彼女のファンでなかったら……! どういうつもりだふざけてるのか? 俺を誰だと思ってるんだ悪役やらせたら“世界一悪いヤツ”と評されるジャミル・バイパーだぞ? お前も宇宙の果てまで飛んでいけしてやろうか?! ありがたく思えよ! あの名シーン、ドッカーン! を再現してやるッ!! くらいのことは言ったが、俺は彼女にだけは言えないそんなこと。だって嫌われたらどうするんだ。そもそも俺は慎ましいファンなんだ、すべての決定権は彼女に捧げる。 …………それって詰みじゃないか…………。 俺は絶望の淵どころか絶望の中に突っ立っているが、のほうは電話口でもきょとんとしているのが窺えるような調子で、「え? もう知ってるならいいよね、って……こと、なんですけど、」と言う。いやいいよね? いいよねとは?? 「いや……何も……」 いいわけあるか?! ないに決まってるだろうがッ! しかし俺は言えないそんなこと。惚れた弱みってやつかこれが? 情けないがなるほど、よく分かる。この期に及んで俺は、クールでミステリアスだとばかり思っていた彼女の素の反応は、かわいくて仕方ないな、とかどこかで思っているのだ。 力なくその場にへたりこんで、すいっと視線を動かすと、まるで隠すように椅子の上に雑誌が置かれているのを見つけてしまった。……。…………。 見なきゃいい。こういうのは見なきゃいいんだ。いいんだが…………見ずにはいられないだろうが……ッ! 勢いに任せて雑誌をひったくった。 「っ……! な、なん、」 「? バイパーさん?」 俺は俳優だから分かる。一面になっているこの写真は、あまりにも完成されきったシーンだ。 レオナ・キングスカラーが彼女の頬についたクリームを指で拭い、さらにその指を舐め上げる一連の流れ……ドラマのワンシーン切り取ったのか???? くらい綺麗に撮れている。 思わず雑誌を床に叩きつけた。 「ちくしょう顔がいいなァッ?!」 顔が! いいッ! いや、今は笑えるドッキリなども仕掛けられている人だが、そもそも出はアイドル。デビューしてすぐさま、一躍スターになった逸材だ。そりゃ顔がいいに決まってる。 「ん? あ、雑誌見た? それが出ちゃうんだって。よく撮れてるよね、でも全然気づかなかった」 「……クソ……さすがトップに輝いた伝説のアイドル……顔が、いいな……」 ――が、しかし、だ。 彼女の恋人はこの俺だ。いくらレオナ・キングスカラーの顔がいいからと言って、彼女の恋人はヤツではなくこの俺。 くそ、業界ではキューピッドとか言われてるのを聞いたことがあるから、スカした顔しておいて良い人なんだろうな、彼女の先輩だし、音楽番組で共演するといつもいい具合に彼女に喋らせてくれたりするし……とか思ってたのにとんだ裏切りだ! 「お、俺のことは遊びだったのか……」 「うん?」 「俺のことは遊びだったのかと聞いてるんだ……ッ!」 「なんで?」 だから……ッ! そこから俺は、小一時間ほど彼女に詰め寄った。なぜレオナ・キングスカラーと一緒に食事をしたのか? なぜレオナ・キングスカラーにクリームを取ってもらうに至ったのか? なぜ……という具合に。 彼女はそのどれもに真摯に答えてくれたし、俺も納得はした。つまり俺は、正真正銘間違いなく彼女の恋人。そして、レオナ・キングスカラーは彼女にとってはただの事務所の先輩である、ということにも。 しかし、相手は熱愛ばかり撮られるキングオブスキャンダルである。 「……だからねバイパーさん、レオナ先輩とは何も――」 「な、名前で呼んでるのか……君はどんな相手も名字で呼ぶからそういうものかと……」 そう、不安なもんは不安である。 悪役やらせるならバイパーとまで言われる俺は、一応月9にも出たことがある。ヒロインとヒーローの関係がどん詰まりになってしまった際に現れ、コイツとくっつくのか……? まさか……? と思わせておいて、お決まりのアイツのほうがお前を幸せにできる……で身を引く役柄であるが。 しかし、これは月9だから綺麗に描かれただけであって……平たく言えば、ヒロインを横からかっさらっていき傷物にした挙句に捨てるということじゃないか? 俺はこんな恋愛死んでもしてやるかと鼻で笑っていた。俺の演技は高く評価されたし、視聴率的にも満足いくものだった。が、内容が理解できなかったのだ。 ただちょっとヒーローと上手くいかないからと、ぽっと出の男にすぐ落とされる女も女だな、と思ったわけである。ついでに、俺よりアイツのほうが……とか舐めてるのか? としか思えなかったので。 これでキュンとするとかなんとか、女の考えることはよく分からんなと心底不思議だったが今なら分かる。 不安から相手に詰め寄ってしまい、お前のことが分からないと降りしきる雨の中に独り残されるヒロインの気持ちが……。これは不安だし、そんなところに顔のいいヤツが颯爽と現れて傘とか差し出してきたらそんなもん好きになる。 ――しかし、ドラマと現実は違うのだ。 俺は雨に打たれてなどいないし、彼女は根気強く俺に付き合って見放すような言動など一切ない。そして俺は、彼女と別れることはもちろん、身を引くなんて到底できやしないのだから。 というわけで、先程からずっと泣きに入っている。 「レオナ先輩は同じ事務所の先輩ですし」 「……俺も同じ事務所だったらよかったんだ……くそ、なぜ俺は――」 「ジャミルくん」 目頭を押さえて天を仰いだ。 「……も……っっっっっっかいお願いしていいですか……」 「ええ? えへへ、ジャミルくん」 「ん゛! ……ああ、うん……はい、」 くすくすと柔らかい笑い声が耳をくすぐる。 俺はこんな簡単なことで絆されちまうような、簡単な男だったか? 自分ではそんなことはないと思っていた。そうらしいのだが。 「記事は出ちゃうかもしれないけど、わたしはジャミルくんとこうしてお付き合いしてるわけだし、レオナ先輩はレオナ先輩で好きな人がいるから」 そこから、レオナ・キングスカラーのこれまでのスキャンダルについて話を聞いた俺は、決めた。 「……何も心配することはない。止めてみせるさ、そんな記事」 「え……」 「この俺を誰だと思ってる? スカラビアのジャミル・バイパーだ」 アジーム家の権力のすべてを使い、記事は潰した。 俺と彼女の関係はこれで守られたし、レオナ・キングスカラーの恋も守った。つまり、恩を売ることができたのだ。 俺は悪役ばかりやる生粋のヴィランなわけだが、だからこそ自分の幸せには敏感である。 |