スーパーアイドルと言えば、レオナ・キングスカラーである。

 十三歳でデビューし、瞬く間にトップアイドルとしてシーンを席巻した。
 デビューシングル『キングス・ロアー』は二百万枚を売り上げ、その後もヒット曲を量産。
 また、国宝と称された美貌で、女性誌の表紙を飾ることも多かった。特集で彼が脱いだ時には、重版に次ぐ重版。その年、最も売れた雑誌としても話題をさらった。

 しかし、二十歳のバースデーライブで、衝撃のアイドル引退発言。彼は表舞台を去った――わけではなく、アイドルからマルチタレントへと路線を変えたわけである。

 彼の仕事は多岐に渡る。

 情報番組ではやる気のないコメンテーターとして時に炎上し、音楽番組のMCでは事務所の後輩をイジり、そんなことをしていたら年末のドッキリ企画でハメられ……今では国民的愛されタレントとして、テレビで観ない日はないという売れっ子である。

 彼がアイドルを引退してから、十年が経った。

「レオナッ!!!! アンッタふざけんのも大概になさいよ!!!! 何この記事はッ!!!!」

 所属事務所の女社長が怒り狂いながらブン投げて寄越した週刊誌の一面を、レオナは興味なさげに読み上げた。

「『レオナ・キングスカラー、次のお相手は所属事務所の後輩。人気ロックバンドボーカリスト』……飯食いに行っただけだろ。いつものことだ」

「アンタ先々月に他事務所のグラビアアイドルと撮られたの忘れたとは言わせないわよ……何してんのッ?!」

 くあ、と大きな欠伸を一つして、レオナは立派な革張りのソファーに我が物顔で横になった。雑誌はテーブルの上に投げ捨てる。社長の反応は言うまでもない。

「あのねえ……アンタ、この業界長いんだから分かるでしょ? 男性人気がないとは言わないけど……アンタの男性ファンて偏ってるから……じゃなくて、女性ファンがメインなのよ。こうも熱愛ばっか撮られてたら、いい加減愛想つかされる」

「それで離れるならその程度のファンなんだろ。俺には関係ねぇな」

「……あいっかわらず……可愛げはねえわ態度は悪いわ……十年前からちっとも変わりゃしねえなクソガキ」

「ハッ、テメェも相変わらず口うるさくて適わねェよ、十年前からな」

 険悪な空気で睨み合うが、扉を叩く音で二人は我に返る。
 「どうぞ」という社長の声に、「失礼します」と返しながら、彼女は困った顔で入室した。

「ごめんね、急に。でもこれが出回る前に話しとかないとと思って。……マネージャーから聞いてるわね? 大事な時期なのに、ほんと……」

 社長はそう言いながら、彼女――今回のレオナの相手、事務所後輩のボーカリストの肩を抱き、励ますようにその背中を撫でた。

 マネージャーから記事の話を聞かされスタジオを飛び出し、大慌てで会社へやってきた彼女は、すまなそうに身を縮めて「いや、わたしも迂闊だったと思います。でも、困っちゃって……」と俯く。

 社長は社長になる前からこのボーカリストには気を配っていたので、かわいそうにと強く思った。

 感情表現が苦手で、音楽以外のことにはとんと興味がないアーティスト気質。扱いにくいと匙を投げるマネージャーが多かったので、よく自分が世話を焼いてやったのだ。
 今でも音楽一筋の彼女のことだし、ツアーも近い。だと言うのに……と、レオナが先程投げ捨てた雑誌にそっと視線をやる。

「……それはそう。あなたの売りはミステリアスで――」
「や、彼氏が……」

 気遣わしげに、あやすように彼女の背中を叩いていた社長の手が、ピタッとその動きを止めた。レオナが鼻を鳴らす。

「なん……なんて?」
「え、彼氏」

 社長はたっぷり間を開けてから、窓が割れんばかりに絶叫した。

「……なんっっっっでそう大事なことを今言うのッ!!!! 相手は?!」

 雑誌を手に取って、「わ、よく撮れてるなぁ」などとのんびり感想を述べながら、彼氏がいるのにこれから(違う相手と)熱愛報道されるボーカリストは、涼しい顔をしている。まったく気にしちゃいないその様子を見て、レオナは小さく笑った。

「役者。バイパーさん。スカラビアのジャミル・バイパー」

 社長は衝撃のあまり口をぱくぱくさせながら、それでもなんとか言葉を振り絞った。

「あんっ……アンタッ……憧れの?! あの?! ジャミル・バイパー?!?! おめでとう!!!!」

 音楽以外のことには何にも興味を示さなかった彼女が、唯一興味を持ったのが、“愛を知らぬ悲しきヒーロー”として、十年前にSNSを賑わせたジャミル・バイパーである。
 なんとなくテレビをつけた時にやっていたヒーロー番組。これのちょっとダークな世界観が、彼女にハマったのだ。
 なんとなくだったはずが、そのまま観ているうちに主人公――ではなく、そのライバルキャラのファンになった。そして、そのキャラクターを演じていたのが、大手俳優事務所・スカラビアのジャミル・バイパーである。

「えへへ、社長があの番組、出ていいよって言ってくれたから」

 彼女はそんな憧れのヒーローと、十年越しにテレビ番組での共演を果たし――彼の方から(ファンですという)熱烈な告白を受けたわけだが、それは今はいいとして。

「うんうん、あれはビックリしたわよね公開プロポーズまでいっちゃうんだもん! まぁ火消しが大変だったけ…………火消しできてないわね?!?!」

 そう、火消しできていない。それどころか燃えに燃え上がり、二人は無事交際している。

 にこにこと、「あれから何度かご飯行って、こないだ付き合うことになった」と言う彼女には、まったく悪びれた様子がない。まぁこの事務所自体、所属するアーティスト(タレント)には“自己責任”ですべて本人に丸投げしているので、確かに悪くはない。ないのだが、そういうことだから――。

「……そ、そんな大事な時期に……? よりにもよってレオナと撮られた……? …………レオナッ!!!!!!!! どうすんのよアンタのせいで別れることになったらッ!!!!」

 こういうことになる。

 レオナは、可愛がっている後輩が彼氏できた! などと言うので、どういう男なのか詳しく聞かせろと、まるで父親のように彼女を尋問するために食事に連れ出したので、「その程度ってことだろ」と週刊誌をもう一度手に取った。
 ちょうど、彼女の頬についていたクリームを指で拭ってやり、指にうつったそのクリームを舐めとったシーンがババーンッ! と載っている。
 ジャミル・バイパーとバラエティー番組で共演したことがあるレオナは、あのスカした面は今頃どうなってるんだかな、と思うと高笑いしてやりたくてたまらなかった。

 ニヤッとしたのがバレて、「バカタレ!!!!」と早々に社長にシバかれたが。

「はあ〜〜〜〜困ったわね。レオナは定期的に熱愛出るからいいとして、うちの子はこれからツアーだし、相手のバイパーくんも今映画が伸びてるし……そもそも来シーズンのドラマ決まってるとか聞いたわよどうするのよ……」

 頭を抱えてしゃがみ込んだ社長に、「バイパーさんのほうはわたしがちゃんと話します。だからほら、社長はレオナ先輩のほうだけ気にしてくれれば」と、今度はボーカリストのほうがその背中を撫で始めたが、多くを抱える事務所の社長が、うんそうする……など言えるわけもない。

「そういうわけにもいかないでしょ〜〜。……どうするのよレオナッ!! 二人が別れたらッ!!!!」

 後輩から相手との付き合いのすべてを聞き出しているレオナからすると、二人が別れることはそうはないので、社長の慌てっぷりと絶望ぶりは笑い話にしかならない。

 ただ一つ、レオナにとって困ることはあるのだが。まあ、身から出た錆と言われれば、それはそう。

「……知るかよ。大体、困るのがお前らだけと思うな」

「アンタは定期的に熱愛出るんだからいいでしょうがッ! 問題はうちの子! バイパーくんだって人気ある役者なんだから、うちの子が変な言いがかりつけられて叩かれたらどうすんのよッ!!」

「扱いに差がありすぎんだろ。……俺だって困る」

 自分も巻き込まれているトラブルだというのにまったく困っていない顔のボーカリストが、「レオナ先輩、社長のこと好きだから。好きな人に火消ししてもらうのしんどいですよ」と言ったところで、スマホの着信音が流れた。ジャミル・バイパーが演じたヒーローの変身シーンのBGMである。

「あ、バイパーさんだ。ちょうどいいや、今説明してきますね。失礼します」

 レオナは思った。

「アイツ俺に恨みでもあんのか?」

 恨みなど一切ないし、むしろ尊敬している。
彼女からすると、これはナイスアシストだった。
 ちら、と想い人――自分がアイドルを辞めた理由の、女社長へ目を向ける。

 そうだ。スーパーアイドル、レオナ・キングスカラーの引退の真相は、恋である。

 当時はまだ新人の部類だった社長は、レオナのマネージャーを務めていたことがある。至らぬところもまぁあったが、一生懸命にやっていたと思うし、何よりレオナ・キングスカラーというアイドルの一番のファンだった。絶対に高みへ押し上げてやるという情熱に溢れていた。

 あ、このままではいかんな、とレオナは思った。
 このままアイドルをやっていては、いつまでも“アイドル”としてしか、この女の目には映らない。もっと、別の土俵で結果を残してみせなければ。

 そういうわけでレオナはマイクを置いたし、ドッキリを仕掛けられもした。まあ、熱愛報道についてはウッカリだったが、本当に熱愛ではない。
 いや熱愛ではあるが、それは撮られた相手が別の誰かと熱愛していて、その相談に乗っていただけである。自分は十年も片思いを実らせることができずにいるくせに、レオナは恋愛アドバイザーとして優秀だった。先月入籍発表したあのカップルは俺がくっつけたし、先々月撮られたグラビアアイドルはもう結婚秒読み。業界のすべての恋は俺が育てました。

 しかし、やっぱり己の熱愛は、真に伝わってほしい相手には伝わらない。今、社長は目を輝かせているが、それは自分が世話を焼いてきた可愛い“うちの子”が恋をしているからである。

「恋ね、よかったわ! あの子何にも興味持たないからちょっと心配だったのよね、唯一興味あるのってバイパーくんくらいで。うふふ、よかった」

 いや何もよくないが????

「……おい」
「なに」
「好きだ」

 レオナは恋愛アドバイザーとしては優秀で、彼に頼れば必ず恋が成就すると業界人――それも、表舞台に立つ人間の中では有名である。客観的立場に立たせればレオナに適う者などいない恋愛のキングなわけだが、十年拗らせ続けた初恋を実らせるには、自分自身の経験値が著しく足りていなかった。

「バカなの? 熱愛出てんのよアンタは! しかももう相手がいる女の子と! バカタレ!」

 そんなに怒らなくても……とレオナは思ったし、なんで俺ばっかり……とも思った。
 業界で幸せなカップルを生み出し続けているのに対して、そろそろ何かしらの表彰を受けてもいいくらいだ。いや、表彰はされなくていいから、目の前で「レオナ、アンタもういい歳なんだから落ち着きなさいよ」と言って溜め息を吐き、相変わらず仕事のことしか考えていないこの女に、少しでも自分を“男”として意識してもらえるのならば、あとはもうなんだっていい。

 だって、人気絶頂期に、あのステージから降りることだってしたのだ。

 地位も名誉もいらないと思った。ただ、ボロボロになってまで誰かのために奔走するこの女の拠り所になれたらいいなと、それだけだったのだ。

 は〜あ、やってらんねえ。

 ついにそういう気持ちになってしまったので、もうふて寝してやろうとレオナは目を閉じた。
「……お前と籍入れたら落ち着いてやる」と、寝言っぽく言って。

 伝わらないのは分かっちゃいるが、ちょっと噛みついてやらないと気が済まなかった、今日ばかりは。だって後輩は幸せそうだった。いや、そうなるようにと思ったし、そうなるようにアドバイスもしっかりしてあるが。

 社長はやっぱり、「偉っそうに……。アンタ顔以外に取り柄ないでしょ」と呆れたふうに言う。

 ドッキリであまりにも素でビックリした後の虚無顔だって、テレビ観なかったヤツでもSNSとかで知ってるし、もう捨てるものなんて何一つない。でも、持ってるものについても自信がなくなってきた。

「……ある」
「何よ」
「……スタイル」

 社長の「バカタレそんなもんうちの子みんなそう」というセリフにはちょっとだけ泣きたくなったので、寝返りを打った。

「……じゃあなんならいいんだよ」

 しかし、捨て鉢に言ったこのセリフに、「仕事辞めてわたしのサポートするならいいわよ」と返ってきたので――。

「分かった」

 こう答える以外、レオナには何もなかった。






背景:十八回目の夏