日陰者でよかった。

 バイパー家に生まれた以上は、自分の主人をいかに成功させるか、その成功をいかに支えられるかがすべてだと思っていたから。だから、大富豪アジームの嫡子として、俺の主人であるカリムがテレビに出るようになった時も、これがどう転がるか分からないが、それでも行き着くのが成功であるように立ち回らなくてはいけない。それだけを考えていた。

 転機は、どう考えてもアレだ。

 大富豪の息子として、バラエティー番組にちらほら出演していたカリムが、十七歳の時にいきなり、俳優のオーディションに応募したことだ。

 しかし、アイツもあれでバカじゃない。自分の立場はよく理解している。もちろん、自分が申し込んだわけではない。
 「話を聞いたら、これは絶対ジャミルだと思ってさ!」と言って、ヤツが俺の名前で勝手に応募したのは、その後の有名俳優ばかりを排出しているヒーロー番組の、いわゆる準主役的ポジション――主人公のライバル役の俳優を決めるオーディションだった。

 そんなふざけた話があるか馬鹿め。

 そう思ったのは、嘆かわしいことに俺だけだった。カリムの父親は、これで俺が役者として有名になれば、カリムがテレビ出演した際にはまたネタになるし、アジーム家の商売にも有利に働くかもしれないと妙に乗り気で、俺の両親も、ここぞとばかりに「おまえなら絶対にできる!」と背中を押した。普段は口が酸っぱくなるほど、目立つなとうるさかったくせに。

 ああそうかよ! それならやってやる!

 今考えると俺もどうかしていたなと思うが、アジーム家の全面的なバックアップを受け、絶対に受かってやるからなという執念で臨んだオーディションでしっかり結果を残してしまった。
 そういうわけで、俺は俳優として、また新しい人生を歩むことになったわけである。

 ――あれから十年が経つ。

「バイパーさんの悪役っぷりは、どんな作品でも素晴らしいと評価されてますよね〜。今回の映画ではどうなんでしょう?」

 今週末からスタートする映画の宣伝で、朝の番組からバラエティーまで、ここ最近は引っ張りだこだが、聞かれることはすべて同じだ。

 俺はヒーロー番組出身の俳優だ。まぁ、主人公のライバルだったので、そういう役回りになるのもしばらくのうちは――という話だったが、とんでもない。その後、キャスティングされるものはすべて悪役ばかり。二十七歳現在まで、俺はキラキラのヒーローに抜擢されたことは一度もない。いや、一度キラキラのヒーローの“ふり”をしている、史上最悪の凶悪犯罪者の役ならやったか。キラキラした演技は、あれだけだ。しかも、最終的にはそれも作中での演技。

 俺は自分に与えられた役には、常に自信を持っている。だから、悪役と言えばジャミル・バイパーだと言われるほどにまでなったのだ。

 ただ、今日この場だけは、キラキラのヒーロー俳優として扱われたい。そう、十年前にSNSを沸かせた、あの時のように。

「はは、そうですね、今回は……」
ちゃんも、一回くらいはバイパーさんの悪役、観たことあるでしょ??」

 バッッッッッ……カ! やめろッ! その話を彼女に振らないでくれ……! この流れだと、代表作で最も有名なセリフ、そして俺の代名詞でもはや持ちネタにすらなっているあの……!

「ありますよ〜。やっぱり、バイパーさんと言えばドッカーン! ですね」

 やっぱり……! 口元がこれ以上はないほど引きつって痙攣すらしている感覚がするが、俺はプロ。プロ根性で堪えるしかない。

「あ〜! やっぱりそうだよね?。バイパーさんと言えば、あのドッカーン! だよね〜。……見たいよね? ちゃん」

 俺は十年、この業界にいる。――が、彼女と同じ番組に出るのは、これが初めてだ。デビュー年で言えば同期だが、職種が違う。

 彼女は、ロックバンドのボーカリストだ。しかもかなりのアーティスト気質で有名で、こういった番組には一切出ない。それが今回、どういうわけだか次回ツアーの宣伝のために出演することになった。俺が、いる、この回に!

 彼女率いるバンドが、俺のデビュー作のエンディング曲を担当したのがきっかけで、彼女の存在を知った。俺の演じた役をイメージして作られた楽曲だとスタッフから聞かされたので、役作りの参考にもさせてもらったし、気持ちを作る時に聴くことだってした。
 俺は、あの時の衝撃を、忘れられずにいる。

 完全に解釈が一致していたのだ。

 俺が思うコイツはこういう男で、だからこそあのセリフは決して嫌味ではなく、純粋に主人公を評価しての言葉なんだ。
 そう、そうだ。コイツは誰からも愛されなくていいと思ってる。いや違う、愛されたいが、愛される資格はないと思い込んでる悲しい男なんだよ。

 こうした思いのすべてを、歌詞が、メロディーが、代弁してくれていた。

 普段は詞をつくることはそうないが、どうしてもと言って彼女自ら手がけたと聞いた時は、もうどうしようもなく胸が熱くなった。完全に解釈が一致している曲が公式にエンディング、そして公式があなたをイメージしてつくりましたと言っている時点で公式のイメソンじゃないか。

 推すっきゃないな。

 俺はそう思った。そう思ったので、スケジュールの合間を縫ってライブに参戦し、チケットがご用意されずともグッズだけは通販した。彼女について公表されている情報は本当に少ないが、ラジオの公録の時に本人がぽろっとこぼしていた誕生日は、毎年盛大に祝っている。悔やまれるのは、俺が彼女を知るのが遅かったことだ。ファンクラブの会員ナンバーが一桁ですらない。

 そんな、憧れのアーティストとの奇跡の共演で、なぜ俺は持ちネタを披露しなければならない? しかも彼女のフリで。まだ、まだファンレターすら送ったことがないというのに、こんなかたちで認知されたくないッ!!!!

 そんな俺の思いが届いたのか、彼女はきょとんと目を丸めて言った。

「え、いえ、見たくないです」

「えっ、なんで? ちゃん、なかなかないよ?? 生でドッカーン! 見れること。ねえバイパーさん!」

「あ、いえ、そんなことは……」

 お前さっきからちゃんちゃんって馴れ馴れしいんだよそもそもッ!!!! 彼女はアーティストなんだ! 職人と同じなんだッ!! 丁寧に扱えッ!!!! 大体、押しつけがましいんだよ見たいわけないだろアレでどれだけのクソコラ作られてると思ってんだ?!?!?!

「……わたし、バイパーさんには思い入れがあって」

 ハッ! とした。

 いや、彼女がドッカーンを見たいと言うなら、もちろんやる。渾身の一撃と思って、このスタジオを宇宙の果てまでブッ飛ばすくらいにド派手な花火を打ち上げてやる。
 しかし、俺は面倒なファンだと思われたくないがゆえに、これまでひっそりと応援してきたのだし、ファンレターだって自分がもらうことのある立場だからこそ、なるべく邪魔にならないタイミング、押しつけがましくない内容を考えていたらこの十年出すチャンスに恵まれなかっただけのファンなのだ。一発打ち上げたら、もうそのイメージがついてしまうに決まってる。慎ましいファンだったのに、あ〜〜あの悪役で有名なアクの強い俳優ね、という具合に認知されたくない。違う、本当の俺は――。

「あっ、ボク知ってますよ〜! バイパーさんのデビュー作のエンディングテーマ、さんたちの曲ですよね!」

 最近売れ出した若手芸人が、「ボク、あれのブルーレイボックス持ってます!」と言ってくれたので、なんとか混沌とした思考の海から這い出た。すまない、この職業だが君のことは微塵も知らない、流行りには疎いんだ。だがこれからは君のことを応援する、約束だ。
 懐かしいあのポージングをしてニコッと笑うと、ワッ! と喜んでくれた。俺も気分が良い。

 しかし、喜んでくれたのは、彼だけではなかった。

「そう! そうなんです、それです! わたし、あの作品大好きで。うちにお話がきた時、すっごく喜んじゃって、どうしてもわたしに作詞させてほしいってメンバーにお願いもしたくらいなんです。特に、バイパーさんの演じてたキャラクターが大好きで。その時からわたし、バイパーさんのファンなんです」

 …………はァ????

「いや、俺のほうがファンです」

「は?」

「あのエンディング曲にものすごく助けられました。自分の解釈と完全に一致していて、あ、この役のオーディションを受けて、受かって、演じることができて本当によかったなと心から思いました。芸能界のことなんてまったく知らないド素人からスタートしてこれまで、あなたのことを思わない日は一日だってありませんでした。ファンです」

 すべて言い切ってから思い出してしまった。これが、生放送であることを。
 しかし、思い出したところでもう遅い。なぜなら、この十年の思いの一部をさらけ出してしまった後である。そう、一部だ。ほんの一部だが、俺がファンであることをよりにもよって自ら本人に、しかもリアルタイムで伝えてしまった。最悪も最悪だし、これで気持ち悪いファンだなと思われたら俺は……。
 これまでは一応、デビュー作のイメージからもその後の役柄からも、クールな印象を与えるようにと振る舞ってきたのだ。それがすべてパァになるどころか、イメージとは真逆の姿を全国のお茶の間にお届けしてしまったのだ。

 どうする……いやどうにもならないのだがどうする……控えめに言っても吐きそうだ……。

 しかし、神はいた。

「えっ嬉しいです〜! 聞きました? お茶の間のヒーローが! わたしたちのファンですって! めちゃくちゃ嬉しい! 今日来てほんとによかったぁ……」

 ふわっと花が綻ぶようにして微笑んだ彼女に、なんというかもう、グッときてしまった。いや、バンドの楽曲のイメージからすると、クールでミステリアス、孤高の存在というように見えていたので、こんな、柔らかく笑うひとだとは思っていなかったのだ。
 ライブの時だって常に落ち着いた、いや、沸き上がる観客たちと比べれば冷たくすら見えるような表情ばかりしていたし…………うん。

「…………け……っっっっっこんしてもらってもいいですか……」

 スタジオは沸いたし、直後は局と事務所、挙句アジーム家にまで問い合わせの電話やメールが絶えなかったらしいが……俺は今、幸せである。

 色々ありはしたが、今日も俺は、彼女とカメラの前に立つ。

「よし! 集まったな! ――これより、ジャミルとの結婚会見を始める! 司会はジャミルの大親友、このカリム・アルアジームだ。よろしくな!」

 大親友ではないが、これはカリムがあのオーディションに応募しなかったら、手に入ることはなかった幸せだ。今日ばかりは許してやろうと思う。






背景:十八回目の夏