私は元の世界に帰る気しかないので、魔法教えられてもね……これ、戻った時に受験とか、就職とかに有利になります? と、私を指名したクルーウェル先生に正直に言ったら、スンッとした顔で「……勉強してるふりくらいはしておけ」と返ってきたので笑った。
 大ブーイングが響く中、元気よく「は〜い!」とお返事して、やっとランチである。

 オムライスと大分迷ったが、今日はカレーにした。こちらでは、カレーというと熱砂の国の……いや、今は食事に関係ないことを考えるのはやめよう。大体の面倒事はその時考えていることから、まるで連想ゲームみたいにして転がり込んでくるのだ。
 早く食べちゃおう、とカレーをスプーンに山盛りにして、口に運んだ。

「――おい! スカラビアのバイパーを巡ってキャットファイトだってよッ! モストロ!」

 味わう間もなく、カレーをぶっ飛ばした。もちろん、口から。向かいに座っているエースが、当たり前に「ゥワッきったな! 何してんの?!」と喚き散らしているが些細なことである。
 いやごめんなんだけど、バイパーってスカラビアにしかいないはずだしスカラビアのバイパーって、私は亭主面先輩しか知らないわけで。

「……真偽のほどは分からないが、めんどくさいことが起きていることだけは分かる」

 なので、エースがいくら「それオレの制服より大事?! ふざけんなよマジで!」とギャンギャン騒いでも、あの人のめんどくささと天秤にかけたら、“今”解決すべきはあっちだなという。

「ごめん。でもマブじゃん? 許して」

「都合いい時しか言わないじゃんマブとか!」

 私は「それはお互い様」と返して、自分の制服にシミがないか確認するデュースに、トレーを押しつけた。ついでにグリムも。

 さすが(民度が最高潮に低い)名門校である。さっきの生徒の言葉で、あちこちから歓声やら指笛やらが轟いた。お祭り騒ぎである。まあ、あのジャミル先輩のトラブルだから、余計なのかもしれないが。
 普段ならエースだって絶対食いつくが、今回ばかりは制服のほうが大事らしい。制服のシミを見つけては、かわいくもない悲鳴を上げている。まあ高いもんね、名門校の制服だから。まあ笑っちゃうけどね、名門校とか。

 そんなことを考えながら腰を上げた私に、デュースが「ど、どこに行くんだ? 監督生」と慌てて私を引き留めようとしたが、構ってはいられない。小さな火が大火にならぬようにせねば、私にどんな厄災が降りかかることか。

「モストロ・ラウンジ!」

 エースとデュース、それからグリムの声はすべて無視して、私も人の波に乗った。



 近づくごとに増えていく人を押しのけて、なんとか入店した私が目にしたのは――顔を青くして突っ立っているジャミル先輩だった。が、それよりも、そんなジャミル先輩の良妻すぎる彼女、さんのほうが問題だ。
 私が彼女と過ごした時間はぶっちゃけ一日にも満たないが、定期的に連絡を取り合っているし、人柄はそれなりに理解しているつもりである。
 人を傷つけるようなタイプではないし、亭主面先輩に根気強く付き合ってうまく操縦していることからも、我慢強い性格をしていると思う。

 そして、さんと対峙している女性だが……なんというか……いかにも、というタイプである。見た感じ良いとこのお嬢さんのようだが、高飛車なにおいがプンプンする。現に、“私が本命です”と言わんばかりの態度でソファーに悠々と腰を据え、「で、あなた、いつジャミルと別れてくれるって?」と上目遣いにさんを見つめている。
 ……元の世界でいっぱい読んだしいっぱい観たなこういうの……。

 ちら、とさんを見る。……何も言わずに、ただただ微笑む良妻……。……やっぱり分が悪いか? あまりにもタイプが違いすぎるし、さん、こういう人とは縁がなさそうだもんな……。

 異世界初の女友達だし、できることなら私はさんの味方をしてあげたい。でもぶっちゃけ、ジャミル先輩を巡ったキャットファイトだってよ! という情報だけでやってきてしまったわけなので、今どんな状況にあるんだかサッパリなのだ。まぁとりあえず、ジャミル先輩を巡って、女性二人が睨み合ってはいる。それも、何が起こっても不思議じゃないなと思わせる、かなり剣呑な雰囲気の中で。

 私はそーっと、棒立ちジャミル先輩に近づいた。

「ジャミル先輩、どうなってるんですか?」

 青い顔してるくせに偉そうに両腕を組みながら、ジャミル先輩は「どうもこうも……そもそも俺は、あんな女知らない」と――。

「はァ? そんな言い訳で許してくれるわけないでしょ、いくらあんな良妻でも」

「浮気なんてするかッ!」

「み〜〜んなそう言う」

 というか、そうでもなくちゃなんで訳分からん女が(一応は)名門校であるここに、我が物顔でいらっしゃっているんだと。大事になる前に素直に白状して、さんに土下座でもなんでもすべきでは? さんだって、好きでこんなとこに来たわけじゃないでしょうに。
 コソコソ言い合う私たちに――というか、ジャミル先輩に、さんが優しい眼差しで「ジャミルさま」と声を掛けた。

「……なんだ」

 ……バカか????

「わたしはジャミルさまの仰る通りにいたします、ええ、もちろん。だってあなたが先に言ったのよ、一生守ってやるって」と微笑むさんを見て……ジャミル先輩、ここは慎重にいきましょう。そういう意味を込めて、制服の裾をグッと引いた。――が、「当然だろうが」とか言うから、思わず脇腹に肘を突き立ててしまった。何かしら詰まらせたような低い唸り声がしたが、構ってはいられない。

さん、お、落ち着きましょう、何かの間違いです」

 なんで私がフォローを……と思ったが、フォローにすらなっていない。それどころか、こんな時にまで亭主面しようとしているジャミル先輩のために、時間稼ぎをしているようである。もちろん、言い訳を考えるための。それこそ誤解だ。私はここぞとばかりに亭主面先輩を責めてほしい。

「ジャミルさま、どうなさいます? この方にお帰りになっていただく? それとも、わたしに暇を出しますか」

「……馬鹿なことを」

 いや青い顔してまで亭主面すな。こんな時にまでプライド高きこと山の如しすな。

「ジャミルさま、はあなたの仰ることに従います。どうなさいます? この方をお選びになるの? それとも、わたし? ……どこの馬の骨とも知れないこの女か、あなた自ら選んで、生涯守るとご自分で仰ったわたしか、どちらになさるんです。それさえはっきりしていただければ、後のことはわたしが全部してみせます」

 野次を飛ばしていた外野が、一斉に口を閉じた。私もさすがに黙った。亭主面先輩、マジで顔真っ青にしてる場合じゃないですよ、と言いたくてたまらないが、さんのために黙る。
 この場の誰もが固唾を飲んで見守る中、ジャミル先輩――いや、亭主面先輩は言った。

「……お前の、好きにしろ」

 いやだから亭主面すなて今! しかし、さんは笑った。
「はい、好きにいたします」と。

 野に咲く花のような可憐な微笑みだが、ここまで空気と化していた浮気相手(仮)へ向ける視線は絶対零度である。ちら、とジャミル先輩を見る。まだ青い顔をしているので、本当に亭主面させてもらうだけさせてもらって、いざという時には何の役にも立たないんだろうな、自分のケツも拭けてないし……という。

「――お待たせいたしました。……まずは、バイパーがご迷惑をお掛けしました。でも、何か行き違いがあったようですね。申し訳ないですけれど、お帰りくださる?」

「……なぁに? 今、あなた、私に、帰れって言ったの?」

「ええ、そうです。バイパーが、わたしに、好きにしろと言ったので、わたしの好きにさせていただきます。そういう約束ですので。さ、お帰りになって」

相手の女性が何かしら言いかけたが、さんのほうが早かった。

「あなたが、本当にうちの人と何かあったなら……おかしいわ。だって、アジームにくるバイパーへのお手紙は、全部わたしが検分しておりますし、女性関係もわたしが管理を任されているんです。なのに……あなた、どちらのお嬢さんかしら?」

 いやそれどこの大奥?

 しかし、これを聞くと浮気相手(仮)は顔を真っ赤にして出て行った。わらわら人垣が崩れていく。それをにこにこしながら見つめていたさんが、「ジャミルさま」と言ったところで、私はハッとした。……いやジャミル先輩はハッとすな自分のことやろがい。

「ジャミルさま。お忙しいのはよく理解しておりますが、わたしを飛び越えてあなたに取り入ろうとする女もおります、今の方のように」

「……内向きのことはお前に任せたはずだが」

「いやここは俺の不手際だすまないでいいでしょうが。なぜ自らの首を自ら絞める??」

 さんは、「いいんです、ユウさん。……そう、わたしがいけないんです、ジャミルさまを煩わせるようなことを……」と言って、ぽろっと涙を零した。ジャミル先輩だけではなく、外野もギョッとした。そして、おいバイパー謝れよ……というこの空気。

「……ジャミルさま、申し訳ありません、わたしがしっかりしていないから……。……だから、次はこんなことがないように、わたし以外からのお手紙は全部破って――燃やしてしまってくださいね。……でないと、嫉妬でおかしくなってしまうかも」

 にこ、とさんは笑った。場は凍った。

「じゃ、ジャミル先輩、」

 もちろん、マズイですよこれ、という意味で掛けた声だったのだが。

「あ、ああ……うん、そうか、」

 …………。

「いや喜んでる場合ではない。嫉妬か……かわいいやつめ……じゃないんだわ」

 ったく、これだからこの亭主面は!

 脇腹にもっかいくらい入れとくか、と思ったが、さんが「ユウさん、またご迷惑をお掛けしてしまって」と、申し訳なさそうにして私の両手を握ったのでやめておく。
 ……それにしても、「亭主面先輩マジで何の役にも立たない」っていう。そもそもアンタの管理不足だろうが。優秀な従者なんだろうが。仕事しろ。……でも、彼氏の女関係まで管理してるのかさんは…………それはもう妻では???? 結婚してないのに???????

「おい、監督生。君――」

「ユウさん、内向きのことはわたしの仕事なんです。ジャミルさまは何も悪くないの」

 でも、と私が言ったところで、「それにね、自分の好い人がモテるって、悪い気はしないでしょう?」と言うので、これはまた恐れ入る、という話。




画像:はだし