ジャミル先輩が朝からずっとイライラしているが、私には関係ない。関係ないのだがこの人、授業が被れば隣を陣取るし、歩いていれば一定の間隔を置きつつもしっかり後ろからついてくる。 結局、私が折れた。 「……今度はなんですかジャミル先輩」 「俺は悪くない」 「ちゃんと説明してから言い訳しましょうね」 どうせ、ジャミル先輩のあまりにもよくできた良妻すぎる彼女――さんのことに決まっているし、十中八九ジャミル先輩が悪いわけだが仕方ない。聞いてやる。 しかし、こちらもボランティアではない。無償というわけにはいかないので、黙って手を差し出した。 舌打ちした後、ジャミル先輩が「ランチ一回」と言ったので、「もう一声」と返したところ、苦々しい顔で「モストロ・ラウンジの新メニュー」と吐き捨てた。よろしい。 「で、なんですか」 いつもの冷静さはどこへやら、ジャミル先輩は完全に頭にきているらしく、もう舌打ちが止まらない。苛立ちを表すように、組んだ腕を人差し指で何度も叩いている。 また舌打ちをしてから、地獄の底から這い出てきたのかと思うほどの低い声で、言った。 「あれが俺の言いつけを守らず、一人で出掛けたらしい。問い詰めたら素直に白状したが、彼女の側仕えから連絡が入らなければ、俺は知らずにいたわけだ。隠す気だったに決まってる。この、俺にだ。まったく、何を考えているんだか」 …………。 「まず聞きたい。アンタ自分の彼女に見張りつけてんのか????」 「離れている間に勝手をされては困るから、彼女の家の使用人に言って、定期的に状況を教えてもらっているだけだ」 「なるほど。亭主面までしてるくせに、さらには立派なストーカーでもあるわけだ」 「亭主面ではなく亭主になるから、そのために俺の言いつけは守れと言って聞かせてるんだ」とジャミル先輩は言うが、それは必ずやってくる未来とは限らない。アンタ言ってたでしょうよ、運命はちょっとしたことで変わるんだって。つまり、さんが別の人を選んで、別の人の奥さんになることだって十分ありえる。 まあ、言ったところで聞かないのは分かっているので、「そもそも、その“言いつけ”ってなんなんですか、亭主面先輩」と、私は溜め息を吐いた。 「簡単なことだ」と言うが、果たして。 ジャミル先輩がさんに言いつけているという十ヶ条がこちら。 一つ、俺が帰る時には必ず一番に出迎えること。 二つ、その日は必ずカレーを用意しておくこと。 「……すでに亭主面がすぎる……」と、あんまりな関白宣言――しかし亭主じゃない――に、思わず額を押さえた。 ジャミル先輩は淀みなく、すらすら続けていく。 三つ、日に三度は連絡を入れること。 四つ、新しく知り合った人間はきちんと報告すること。 五つ、着るものは露出の少ないものにし、華美なものは控えること。 六つ、身につけるものは買う前に写真を送ること。 七つ、出歩く時には必ず人を同行させること。 「……なるほど」と言いながら、私は眉間を揉んだ。 このことから言いたいことを感じ取ってほしいが、ジャミル先輩はシレッとした顔で、さも当たり前という口振りである。 ジャミル・バイパーの関白宣言十ヶ条はあと三つ……まだあんのかこんなのが……。 「……おい、聞いてるのか?」 「聞いてる聞いてる」 ジャミル先輩が舌打ちをした。はァ? なんでだよ。 「八つ、出掛けた場所の写真は撮って送ること。九つ、俺のすることには口出ししないこと。十、俺の言うことには必ず「はい」と答えること。以上だ、何も難しいことはない」 以上だ、じゃないんだわ。 いや、はァ???? という話。なるほどとは言ったがあれはただの相槌であって、つまり何もなるほどではない。やっぱり亭主面どころか立派なストーカーじゃないかコイツ。 でもまぁ……。 「……亭主面してるわけだから、その一とその二、あと最後二つの口出しするな、返事はイエスしか受けつけない……これはまぁ……何様だという話ではあるけど分からなくはない。亭主面してるわけだから」 「俺はあれの“旦那さま”だ。亭主面ではなく亭主になる男だ。だから俺の言いつけは聞いて当然だろうが」 なんて話の通じない亭主面なんだ……と思いつつ、今に始まったことでもないので指摘はしない。そこに時間を使えば、余計に話が長引いてしまうからだ。私はこれまでに厄介事に何度も巻き込まれているので、そういう嗅覚は人より鋭いのである。 しかし、今回はまず対価をハッキリ提示されているわけだし、放置しておいて、さらにややこしい状態になってからまた捕まることを考えれば、ここで解決するのが得策だ。いや、面倒なことには変わりないが、“まだ”小さいうちに処理しておいたほうが賢いという話。私は保身のためならなんでもするぞ。いや、面倒事であることには変わりないんだけども。 「だから、百歩以上譲って今挙げたものはともかく。それ以外の俺様ルールはなんなんですか? ジャミル先輩には関係ないでしょう、どんな服着たって誰と友達になったって。あとの全部はストーカーの監視宣言ですよ」 ジャミル先輩は不愉快そうに鼻に皺を寄せ、それから偉っそうに両腕を組んだ。 「人聞きの悪いことを言わないでくれないか。あれには、俺が守ってやると言ったんだ。あらゆる危険を遠ざけてやるのは当たり前だろう」 はあ、とドデカい溜め息を吐いてから、私は「……そこまで言うなら、意味分からん十ヶ条、それぞれちゃんと説明してもらえますか? 一応言い訳は聞いてあげますよ」と言って、もういっちょクソデカ溜め息を吐いた。そしてポケットからスマホを取り出し、「さんにも事情聞いてあげますから」とそれを振ってみせる。 ジャミル先輩はきゅっと唇を引き結んだ後、「いいだろう」と言って――いや何様だ???? そこはお願いします監督生さんでしょうが。……まあ、お礼もらう以上はちゃんと聞いて、仲立ちも……できる限りはするけども。 「まず一つ目だが。将来的には俺の妻になる女である以上、俺を立てるのも俺を気遣うのも、あれの仕事だ。分かりきっている、確実にやってくる将来に備えて、今からきちんと心構えしておくのは必要だろう」 「運命はちょっとしたことで変わるものなので確実な未来かは分かりませんが、まあ言いたいことは分かります、善し悪しはともかく。次」 マジで何度聞いてもビックリさせてくるな、この亭主面。しかし、巻いていきたいのですぐに先を促す。 「俺の女が俺の好物を作れなくてどうする? スパイスから調合する以上、家庭によって味はそれぞれだが……俺の好みに合わなければ意味はないだろう。食べるのはこの俺以外にいないんだから、これも当然だ。まあ、よく勉強しているようではあるが……まだ俺の好みには遠いな」 世話を焼かせることが、この人の甘え方。おそらく、こういうバカバカしい俺様ワガママ発言も、多分というか絶対その一種だろう。そして、これらを叶えてもらうことで愛情を確かめている――と、さんは言っていたが……こんな七面倒くせえことある???? まあ、その七面倒くせえ要求すべてを叶えてもらっているから、ジャミル先輩はこうして、なんかちょっと照れたような顔をしているんだろうけれど。いやだから照れるポイントがなんかおかしいんですよね、あなた。 まぁそれは(話が長引いてしまうから言わずに)いいとして。 「家庭によってそれぞれなら、さんの作る味を家庭の味にすればいいのでは? いや、その家庭がジャミル先輩との家庭かは知りませんけど」 チクッと刺したが、亭主面には痛くも痒くもないらしい。当然だろ、という顔つきで、やはり淀みなく続ける。 「日に三度の連絡は、離れている以上は仕方ないだろう。俺がそばにいてやれない分、何があったかは把握しておかなければ、いざという時に困る」 「……それっぽく聞こえはしますが、別にジャミル先輩が把握する必要はないですね。さんにはそばについてくれてる人がいるんでしょう?」 しかも、その人から報告も受けているわけだし、そんなしょっちゅう連絡を取る必要ある?? まあ、遠距離だからってこともあるのかもしれないけど……この人、今日こんなことがあって〜とかいう雑談的なもので連絡取り合うの、死ぬほど嫌いそうなのに。しかも亭主関白気取ってるから、余計なことで連絡してくるなくらいのことは言いそうである。 ジャミル先輩は、キッと視線を鋭くさせた。 「信用できるか。所詮は他人だ」 「その他人に情報流させてる人間がなんか言ってやがる」 ダメだな、コイツ本当に亭主面地雷彼氏とストーカー兼任してやがる。 素直にウワッ……という顔をしたが、ジャミル先輩にはそんなこと一切関係ないらしい。ちゃんと説明しろと言ったのは確かに私だが、本当にちゃんと説明するつもりだ。 「四つ目は重要だ。アジームの親戚筋の娘である以上、余計な羽虫が飛んでくるのは仕方ない。腹立たしいことこの上ないがな。しかしまぁ、あれにはこの俺がいるんだ。有象無象を相手するわけもない。とは言え、家の事情もある。払っても寄ってくるものは寄ってくるものだ。だから、交友関係は俺が管理する必要がある」 「これもそれっぽく聞こえるが、やっぱりそれはジャミル先輩がすることではない」 ランチ一回、モストロ・ラウンジの新メニューだけじゃ足りないぞこんなの……と後悔しながらも、ここで話を止めるわけにもいかないので、とりあえず溜め息を吐くだけに留める。 「五つ目は、あれができる自衛の一つだな。邪なことを考える輩に、わざわざ隙を見せてやる必要はない。華美な装いで俺以外に媚びる必要もないし、俺以外に肌を晒す必要もないんだ、露出は控えるべきだろう」 …………。 「後半の本音の主張が強すぎて、それらしい理由の前半に何のパワーも感じられない」 確かにね、恋人がいるなら余所の男に媚びる必要は……いや媚びるって言い方もなんなんだよ……というか、俺以外に肌を晒す必要ないも分かるんだけど、その言い方が腹立つんだよな。いちいち亭主関白気取らないと死ぬの???? ……これが甘え方ってどう考えても拗らせてるし、にこにこしながらこれを受け入れてるさんもさんだぞ……人間は甘やかしすぎるとダメになるんだから……。 ジトッとジャミル先輩を見つめつつ、腕を組んだ。まぁ、この人の中では全部が全部“当たり前”らしいので、ちっっっっとも気にしちゃいないが。 「六つ目は、五つ目を守る上で必要だ。流行りだなんだと、余計なものを押しつける店員もいるからな。買う前に俺に写真を送れば、正しく判断できる」 いややっぱこの人をこれ以上甘やかしたら(調子に乗らせたら)いけないッ……! 「さんだってオシャレくらいしたいでしょ……! トレンドのもの着たいでしょ!」 「俺がいいと言うものはいいが、そうでないものは必要ない。判断するのは俺だ」 「だから! ……まぁいいや、キリがない。はい、次どうぞ」 ……ったく……と思ったが、次の「出歩く時に人を連れていくのは当然だろう。あれもきちんとした家柄の娘だからな。危険はある」という言葉には、なるほどと納得した。ここでやっとちゃんとした“なるほど”である。 「まあ、それはそうですね、カリム先輩の親戚だし。誘拐とか?」 ジャミル先輩は、すでに何人か殺めた後だ……みたいな顔して、「そんな舐めた真似をしてみろ、俺が必ずこの手で仕留めてやる」と私に向かってマジカルペンを構えた。なんでだよ。 「存在しない敵への殺意を私に向けるのやめてください。次――あ、なるほど、分かりました。万一のために、行った場所の写真は送っとけってことですね?」 なんだ、意味分からんことばっかでもないのか……と、私は息を吐くところだったわけだが。 「違うが?」 「逆に何?」 いやそうじゃないならマジで何?? という話だが、「あれもカリムに似たところが――はァ? いや微塵も似てないが??」とか言って自分の言動に自分にキレるという、これまた器用なことをこなすジャミル先輩は、人にはホッとした息ではなく溜め息を吐かせるほうが得意らしい。めんどくせえなぁ??! 「だから情緒ジェットコースター乗りこなす人材は足りてるんだよな……疲れません?」 額に手を当てて首を振る私に、ジャミル先輩は平素と変わらぬ調子で、「とにかく、世間知らずなところがあるからな、変に影響されては事だ。よって、行った先は俺が把握しておく必要がある」と言うが……。 「変な影響与えてる亭主面が何を言ってるんだかな」 「亭主面じゃない、亭主だ」 「違うが????」 亭主面先輩もこないだ手のひら返ししたので、私もしていいな。これが解決したら、お礼にはモストロ・ラウンジのスペシャルメニューも加えることにする。 そのためには、さっさと解決するしかない。……しかし、だ。さん曰く、熱砂の国では女性が男性を立てるのは当たり前とのことだが……たかが十七の若造、しかも別に籍を入れているれっきとした夫婦でもないのに――。 「……で、あとは? 俺のすることに口出しするな? 俺の言うことには? 必ず?」 「はい、と答えろ」 「はァ????」 これ以外に何かある???? という感情しか湧いてこない。ジャミル先輩がここまで要求していい理由はない(だって夫婦じゃない)。そして、さんがここまでのことに従う理由もない。 だが、亭主面先輩の中では、もうとっくに将来を約束された仲――というか、現時点でもう夫婦という認識らしい。 「はァ? 当たり前だろうが。あれは俺の女だ。俺の言うことは素直に聞くべきだし、俺のすることには一切の口出しをせず肯定すべきだろう。俺の女だぞ」 …………。 「……ジャミル先輩、それずっと続ける気なんですか?」 「続けるも何も、これは自然なことだ。俺が亭主として、あれを守る。だからこそ、あいつは俺に尽くす。当然だ」 私はすぐさまスマホの連絡帳を開いて、目当ての人物の名前をタップした。 「――あ、もしもしさん?」 ジャミル先輩がギョッと目を見開いたので、スピーカー機能をオンにした。 「こんにちは、ユウさん。……こんばんは、かしら? そちらはもう、お夕飯どきよね。バイパーが何か?」 「話が早い。今ジャミル先輩の関白宣言聞かされてたんですけど、さん大丈夫ですか? 十ヶ条のうちの……えーと、」 「八つ目の、“出歩く時には必ず人を同行させろ”。これを守らなかった件でしょうか?」 ぴくっと眉を動かしたジャミル先輩が舌打ちをしたので、目で注意する。 短気は損気だし、そもそも無茶を要求してるのはアンタなんだからちょっとはしおらしくしてろ。 ランチ一回、モストロ・ラウンジの新メニュー(とスペシャルメニュー)がかかっている以上、やることはやってやるから。万年金欠貧乏学生である私は、どちらも絶対に逃したくないので。 とは言っても、私は初めからさんの味方である。 「そう、それです。どうしたんですか? いや、さんも一人になりたいことだってあるでしょうし、何事もなかったならいいと思うんですけど……亭主面――じゃなくて、あいや、そうだけどそうじゃない、ジャミル先輩がうるさいんですよね」 さんは心底申し訳なさそうな声音で、「まあ、ご迷惑をお掛けしまして……」と言った後、「いえね、ちょっと欲しいものが……」と続けた。 なるほど、買い物。じゃあ仕方ないですよね、欲しいものくらい誰でもあるし、一人で好きにしたい時だって誰にでもありますからね。 私はそう思ったが、亭主面先輩はそうは思わなかったらしい。般若の形相。 「――おい、代われ」 そう言って、私からスマホを取り上げた。 「ちょっとジャミル先輩!」 制止は虚しくもスルーされた。 亭主面先輩は一度は落ち着いた怒りをまた爆発させたようで、「お前、俺に黙って勝手をして、どういうつもりだ」と低い声でさんを問い詰める。私は額を抑えて天を仰いだ。こうなるとめんどくさいことになるぞ。大体そう。元の世界でいっぱい読んだしいっぱい観たことあるから絶対そう。 しかし、ジャミル先輩の俺がルールだというジャイアンムーブには慣れっこなんだろう。さんは柔らかな口調で、「いやだわ、きちんとお話しするつもりでした」と返してきた。 ただ、毎回なんでもさんに受け入れてもらっているジャミル先輩が、それで引くわけもない。 「……俺はいつも、お前になんと言ってる?」と、ますます低い声を出した。 「あなたの言うことに従いますよ、きちんと。約束ですもの、守ります。でもね、どうしても欲しいものがあったの」 ジャミル先輩は少し黙って、それから静かに「……写真はどうした。送られていないが」と……ああ、ジャミル・バイパーの関白宣言十ヶ条の六つ目……。 うふふ、とさんが笑った。 「だって、ジャミルさまに見せてしまったら、意味がないものですから」 「……俺に黙って何を買うつもりだ。いや、そもそも俺に黙って、人を連れず、どこへ行ったんだ」 いやなんだっていいだろがい。 そうは思ったが、もうこうなってしまった以上、私が口を挟む余地はない。さんが亭主面地雷彼氏をうまく転がしてくれることを祈るくらいしか、もうできやしないのだ。つまりお口にチャック、である。 「もう買ってしまいましたし、後でお話しするつもりだったと言っております。やましいことは、誓ってしておりません。……信じてくださらないの?」 落ち込んでいるようでいて、どこか甘えた響きのするこれを聞いた瞬間、ジャミル先輩が表情を崩した。それから、スンッとした顔で――。 「……おい、監督生」 「えっ、この場面で????」 亭主面するくせに、変なところでこの人は……。 そう思いながら、「はいはい分かりましたよ……」とスマホを受け取る。 「えーと、そういうわけでさん、ここはこう、私に免じてですね、」 テキトーに言いくるめちゃってください、という意味で言った、もちろん。そして、さんはその意図をきちんと汲んでくれたらしい。 「先日、街へ出た時に素敵な髪飾りを見つけたんです。一目見て、ああ、ジャミルさまにきっと似合うわと思って、それを買いに出たんです。でも、言ったらいらないって仰るに決まってるの。そんなものより、お前が着飾るほうがいいって」 「あ〜、俺の女なら美しくあるべきってやつだなそれは」 これだから亭主面は……と、ジャミル先輩をちらりと見る。さっきまでの戸惑った様子はもう取っ払ったようだ。 「俺の隣に立つんだ、当然だろう」と鼻を鳴らした。……代わった途端に元気取り戻しやがって……。 逆に、さんはしゅんとしているなと思わせるに十二分な声音で、「だけどわたし、あれは絶対にジャミルさまに差し上げたくって。……びっくりさせたかったんです、それだけなの」と、しくしく訴える。 ジャミル先輩が動揺して肩を揺らしたので、これは効果大。いいですね、その調子で揺さぶってください。 それにしても。 「……健気がすぎる……」と目元を押さえてしまった。 そんな健気な人に対してジャミル・バイパーとかいう亭主面、「でもあの人、さんに見張りつけてるから……」という。 これはあんまりだろうと思ったら、ついポロッとしてしまった。それに、さんは笑った。 「うふふ、存じております」と。 ……えっ公認ストーカー???? 「ジャミルさまが、わたしのことをいつも考えてくださってるから、安心してお買い物に行けました。そうお伝えいただけますか?」 ジャミル先輩は顔を真っ赤に染め上げて、口元を手で覆った。 「さんがそれだから亭主面が加速してくんですよもう! ……まぁそれはとりあえず置いておいて――ということらしいですが、ジャミル先輩」 ジャミル先輩は勢いよくしゃがみこんで、声を震わせる。 「そん、そんな、俺は、誤魔化されないぞ、そんな、俺のために、」 いや、顔中どころか耳まで赤く染めておいて何を言う。 というか、お得意の「そうか」じゃないんかここは。いや、こっちのほうがよっぽど好感持てるけども。 ――が、さすが亭主面、これで終わるわけがない。 「……代われ、監督生」 「はいはいはい」 スマホを受け取るジャミル先輩の手は、小さく震えている。 「……俺だ」 さんがすかさず、「……許してくださる?」と甘えるように、ねだるように囁く。 未だに真っ赤なジャミル先輩は、小刻みに体を震わせながら、こう返した。 「……許すも許さないもない。お前が俺のために何かするのは、当たり前だからな。……当たり前だからな」 強がるじゃん???? 素直に嬉しいって言えばいいのに……もうさんは分かってくれてるんだから、そのプライド高きこと山の如しな姿勢、やめてよくない???? と私は思うが――。 良妻すぎるさんは、そんなところも受け入れているらしい。 「もちろんです。……お慕いしております、ジャミルさま。わたし、あなたのためならなんだってできるんです。言いつけを破ってごめんなさい。でも、離れていてもやっぱり守ってくださるから、甘えちゃったの。……ジャミルさま、許して」 すると、ジャミル先輩は唇を引き結んで、それから深い溜め息を吐いた。 「……俺はこんな小さなことで、いちいち目くじらを立てるような男じゃない」 …………???? 「なんか言ってる」 さんはジャミル先輩の様子が分かっているかのように、「存じておりますとも。髪飾り、お送りしますね」と言って、柔らかい笑い声をこぼした。 「……いや、必要ない」 いや待てジャミル・バイパー。 「はっ? ちょ、ジャミル先ぱ――」 「……帰った時、お前が俺の髪を結う時に使え」 ……ふー、と私は長く息を吐き出した。この人、マジでなんでもさんに世話してもらってるなこれは……。 さんは慣れた口調で、「はい、そのようにします。許してくださってありがとうございます、ジャミルさま」と応えた。 「いい、なんでもお前の好きにしろ。俺が許す」 は???? 「できもしない約束はしないほうがいいですよ」 それはさんも分かっているだろう。分かった上で、「うふふ、好きにいたします」と言うのだから恐れ入る。 さらに、「あなたのためのお稽古はもちろん頑張りますし、あなたとの約束もきちんと守りますから……ジャミルさま、次にお帰りになる時には、たくさん褒めてくださいね」と続けるわけだから、この関係の真のパワーバランスがよく分かるという話。ほんと、亭主面先輩は亭主面をさせていただけているだけだな、これは。 まあ、調子を取り戻したジャミル先輩は、「ん、もう切る。……戻るまで、よろしく頼む」とかカッコつけてるので、気づいていないようだが。……幸せ者だな、こんな良妻は他にいないんだから、もうちょっと謙虚にしろ。 何度でも思うが、世の中理不尽すぎる。亭主面先輩にこんな素晴らしい彼女がいるのに、なぜ私にはイケメンの彼氏ができないんだ。理不尽すぎる。 「承知いたしました。……ユウさんに代わっていただけますか?」 自分の境遇の哀れさに落ち込みながら、「……はい、こちらユウです……」と代わると、さんは申し訳なさ全開な感じで「またバイパーがご迷惑をお掛けしまして、失礼いたしました」と言ったが、その後に「……でも、今後ともどうぞよろしくお願いいたしますね、ユウさん。悪い人じゃないの、本当に」と続けるので――。 いやめちゃくちゃ悪いヤツだしめちゃくちゃに嫌なヤツですよ。ホリデーの話していいですか?? 私まだ根に持ってるんで。 ……そうは思ったが、余計なことはすまい。面倒事はもういい、間に合ってます。 そういうわけで、とりあえず「はぁ??い」と返事した。 後日、めちゃくちゃ高そうな菓子折りが届いた。まさかと思いたいが――。 また亭主面先輩が面倒事持っていくと思うけどよろしくってこと???? |