開口一番、「単刀直入にお聞きしますが」というのはさすがに失礼だなと思ったが、これまでのことを踏まえると、初手はこれしかないと思った。 良妻――ではなく、亭主面ジャミル先輩の彼女を健気にしているさんは、にこにこしながら「はい、なんでしょう?」と首を傾げた。 そもそも、なぜさんと私が面と向かって会話できているのかというと、やっぱりジャミル先輩のせい、いや、今回に限っては“おかげ”である。 ジャミル先輩が所属するバスケ部が、因縁のロイヤルソードアカデミーと試合する。しかも、場所は相手方でアウェーもいいとこ、しかも、向こうは共学で女の子もいる。 けど、せめてもの温情なのか、一般の観客も受け入れるとのことだったので、ジャミル先輩が彼女を呼んだ……ところまではいいのだが、おかしな男に絡まれでもしたらどうする、君が見張らなくて誰が見張るとかなんとか、私には紹介しないとか言ってたくせに盛大な手のひら返し。 男ばかり、女子はいてもみんな他人。ということで、これまで(そうとは言わなかったが)呼びたくても呼べなかった。しかし、今回は私(という名の見張り)も置いておけるしいいだろうと判断したらしい。本当に人に迷惑をかけるのが大好きな亭主面先輩である。 まあ、念願の異世界初の女友達だし、断って後からなんやかんやくどくど言われるのが嫌だったので、こうして引き受けた。保身? 保身ですけど。 ちなみに試合の結果だが、いい線まではいったものの、負けてしまった。途中で、昨日ジェイド先輩にシイタケがメインの“よく分かんねえもの”を食べさせられたというフロイド先輩が、その思い出し怒りによってバカみたいにファウルしまくったのが原因である。ジャミル先輩はブチ切れていた。 エースはそんな二人に巻き込まれないように、そ〜〜っとこっちに避難してきたが、当たり前のようにさんに話しかけようとしたので、ジャミル先輩のことを考えて(私のために)追い返した。すぐにジャミル先輩がすっ飛んできて、私に文句を言うに決まってる。そうでなくても、そろそろやってくるだろうが。 つまり、チャンスは今しかないわけである。 「あの亭主面――じゃなくて、ジャミル先輩とお付き合いするの、負担になってませんか? あの人真面目にしんどいじゃないですか」 さんは丸い目をぱちぱちさせた後、控えめながらも声を出して笑った。 「うふふ、ごめんなさい、そんなことを言われたのは初めてなもので、」 「それもそれでヤバイな?」 「熱砂では、女が男性を立てるのは当たり前のことですから。ユウさんの故郷では、そうではないんですね」 「いや、私が住んでた国でもそういうのはまぁ、あるっちゃありますけど……現代ではそこまで……というか、ジャミル先輩みたいなのってまず論外扱いされると思います」 「あらまぁ」 さんは朗らかにそう言ってから、「ですけど、ジャミルさまはお優しい方ですよ。それが分かりにくいだけで」と続けて、小ぶりのハンドバッグから大きな水筒、タオルを取り出した。 とても高価なので、おいそれと手に入れられるわけではないらしいが、いわゆる四次元ポケットのようなバッグがあると聞いたことがある私は、特に驚かずに済んだ。――が、このワンダーランドに存在する誰より縁がないのは確かなので、わっ! とは思う。すごいな、これがあれば重い教材も、なんならグリムの持ち運びも簡単になる。シンプルに欲しい。 すると、そこへジャミル先輩がやってきた。一直線にさんの目の前まで。トップオブトップ地雷彼氏のご登場である。 黙って差し出された手に、彼女はタオルを渡す。 「お疲れさまでございます」 「本当にな。フロイドのやつ、試合中に余計なことを……。あいつが何度無茶なプレーをしたか見たか」 さんの隣に、どかりと腰を下ろしたジャミル先輩の髪をお団子にまとめながら、彼女は「ジャミルさまを追うのに必死でしたから、気づきませんでした」と言った。チラッと確認したところ、ジャミル先輩は満足そうな表情を浮かべている。 まとめた髪の全体を確認しつつ、「スポーツ観戦は向いていないのかもしれませんね。やっぱりあなたが一番に素敵ってことしか、分からなかった」と微笑むさんの顔を見て、ジャミル先輩はふいっと視線を逸らした。 「……そうか」 そうか以外に選択肢はいくらでもあるだろうがッ! と思いながら、私は天を仰ぎつつ目元を覆い、「良妻〜!」と叫んでしまった。残っていた人がビクッとした。 さて、とさんが、「ジャミルさま、この後はどうされるんです?」と小首を傾げる。ジャミル先輩は少し黙って、それから、いやにゆっくりと口を開いた。 「……フロイドの機嫌が直らないからな。今日はこれで解散だ」 「そうですか。では、わたしはお暇しますね。ジャミルさまと次にお会いできるのはいつかしら? 楽しみです」 「……そうか」 いやだからそうか以外の選択肢〜! と思いながらも、じっと送られる視線にはしっかりと気づいている。引き止めろということらしい。いやなんで私が。自分で言えばいいでしょうよ。 そういう意味で私も見つめ返すが、さらに圧を込めて……もはや睨んできている。なんなんだこの人本当に。それが人にものを頼む態度か?? まあ仕方ない。私もまださんと話してみたいし、これは貸し一つですよジャミル先輩。 「さん、せっかくですから街に出ませんか? 私、さんとはもっと仲良くなれたら嬉しいなぁと思っ――」 「はァ? これの交友関係は俺が管理してるんだと言っただろうが。友人は厳選している。君はいらない」 …………。 「いーい度胸だジャミル・バイパー」 「……あることないこと、さんに全部話しますよ」と耳打ちすると、ジャミル先輩はハッと小馬鹿にしたふうに笑って、「君の言うことをまともに聞くわけあるか」と言う。なので、大袈裟に声を張り上げた。 「あー! そうださん! 実はですね、ジャミル先輩ホリデーの時に――」 「、監督生を街へ連れていってやろうと思う。世間知らずにも程があるからな、お前が世話を焼いてやれ」 プライド高きこと山の如しなジャミル先輩は、やはりさんには例の件を伝えていないらしい。 ギロッと鋭く睨みつけられるが関係ない。この場で誰よりパワーを持っているのは、亭主面先輩ではないのだ。 魔力はないがパワーはある。パワーこそすべて。ホリデーの一件、私まだ根に持ってますよ。 無言で睨み合う私たちに気づいた様子なく、さんは「あら、」と言って口元に手を添えた。 「何かお困りなんです? わたしでお手伝いできることがあるなら、喜んで」 この言葉を聞くと(人に迷惑しか掛けてないくせに)後輩から頼られる先輩と思われたいらしいジャミル先輩が、「生意気でも後輩だからな。助けになってやらないといけないこともある」と偉ぶって言う。あっ腹立っちゃったな??? 「うふふ、お優しいですね」 ったく、な〜に当然だみたいな顔してやがるんだこの男。 そうは思ったが、さんの手前そんなことは言えない。 とにかく、こうして私たち三人は街へ出ることになった。 「――少し席を外す」 そう言ってスマホ片手に立ち上がったジャミル先輩を、さんは優しい声音で「はい、ごゆっくりどうぞ」と見送った。もともと優しい話し方をする人のようだが、ジャミル先輩には特に柔らかく接している感じがする。 「はあ〜……ほんっとに亭主面先輩って亭主面しますね。さんずっとジャミル先輩に気を使って……というか、三歩後ろ歩く人初めて見ましたよ私」 さんが、うふふ、と笑う。それから、空になったジャミル先輩のティーカップをどけて、通りすがりのウェイターさんに新しいものを頼んだ。 「戻った時、新しいお茶がないと」と。いやだから良妻が過ぎる。 「わたしが前に出たら、叱られてしまいます。いざという時、邪魔にもなりますしね」 「亭主面??! ……っていうか、ジャミル先輩はさんと結婚するの当たり前みたいなこと言ってますけど、さんはそれでいいんですか?」 さんは頬を薄く染め上げて、恋をめいっぱい楽しんでいる顔で微笑んだ。 「ジャミルさまが望んでくださるなら、喜んでバイパー家に入りますよ」 ジャミル先輩から、二人の馴れ初めを聞いた時のことを思い出す。 いや、別に今のところは障害らしいものはないようだけど、それはジャミル先輩の主観であって。 「……あの、失礼を承知で聞くんですけど……」 「……お互いの身分を、気にしていらっしゃるのかしら?」 うぐっと喉を詰まらせてしまった。 「あ〜っ……アッ、ハイ……いや、余計なお世話なのは分かってるんですけど!」 気まずく感じて、氷の溶けているグラスの中身を、ストローでかき混ぜる。いくらなんでも失礼すぎた。まさかだけどこれが初対面なのに……。 というか、これまで会ったこともない人の話をひたすら聞いてあげてたの、もしかしなくとも私はものすごく優しいのでは? 学園長は見習うべき。 しかし、さんは気にした様子なく、むしろ嬉しそうにしている。少し体の緊張がほぐれて、あからさまにほっとしてしまった。 「いいえ、ご心配くださってありがとうございます。あの人も、ユウさんのような後輩がいて幸せですね。気難しいから付き合うのは大変でしょうけど、今後ともよろしくお願いいたします」 …………。 「いやだからそうやって良妻がすぎるからあの人にはもったいないなという話なんですよこれは!!」 控えめながらも確かに声に出して笑ったさんは、思わずどきりとする甘い表情を浮かべて、「あのね、ユウさん。わたし、ジャミルさまに尽くせることが幸せなんです」と…………。 「……は、はい……」 ジャミル先輩はもちろん問題だけど、それだけではないのでは……? と薄々感じていた私だったが、これはやはりそうなのでは……という。 何か言ったほうがいいんだろうか。いやでも何を???? と妙にヒヤヒヤしていると、さんが目を伏せた。 「あの人、器用でしょう」 「……それはまぁ……そうですね」 だからこそ、さんに対する言動はどうなんだという。どうでもいいと思う人間にいい子ちゃんぶって親切することができるんだから、自分の好きな人にはもっと優しくできるだろうに。 いや、恋愛についてのみがダメなんだとは分かっている。分かってはいるが、ジャミル先輩は(好きに亭主面させてもらってるから)いいだろうけど、さんのほうはどうなるんだと。 この席に着くまでだって、あれこれジャミル先輩を健気に立てていたのだ。 普段は、なんだかんだと言いつつも、自由奔放で(ジャミル先輩とは大違いの)非常におおらかなカリム先輩に振り回されているが、どんな要望にも完璧に応えてみせている。そんな人が、タオルだの飲み物だの、誰かに自分の世話を焼かせるなんて――あれ? 「言葉が足りない人ですから、わたしをぞんざいに扱っているように見えてしまうのも分かります。でもね、あれがあの人なりの甘え方なの。なんて言ったらいいのかしら……わたしに世話を焼かせることで、愛情を確かめてるというか」 ………………。 「め、めんどくせえ〜! そん、そんな、ダメですよさん甘やかしたら! ますます調子に乗りますよジャミル先輩! すでに亭主面してるのに!!!!」 ドンッ、と背後からテーブルが殴りつけられたので、ゆっくりと振り返る。 「――へえ?」 「ゲッ……」 私の顰めっ面には目もくれず、ジャミル先輩は両腕を組んでさんを見下ろした。 「……おい、俺は面倒な男か」 とんでもない威圧感を放つジャミル先輩に、さんは変わらぬ笑顔で答えた。 「いいえ。わたしがしたいことをしていいと、あなたが許してくれているだけですよ」 ……このドヤ顔は何度見ても腹が立つな???? 「だ、そうだが? ……俺がなんだって? 監督生」 これは戦略的撤退をすべき。 危機察知能力が優秀な私は、すぐさまそう判断した。なので、どうにか逃げる算段をつけようとしたわけだが、目が合ったさんがぱちりと片目を閉じる。 「ジャミルさま、わたし、ユウさんともっとお話ししたいです」 「……なぜ」と、ジャミル先輩がこれでもかというほどに眉を寄せた。 コイツほんっっっっとに失礼だな、これまで私に何度助けられてきたと思ってるんだ。 しかし我慢……でもいざという時には……と、拳は握っておく。 不機嫌なんだぞ俺は、機嫌を取れと言いたげなジャミル先輩の手を、さんがきゅっと握った。 「だって、そうしたらあなたのお話をたくさん聞けるじゃありませんか。今はおそばにいられないから、は毎日さみしくて仕方ありません」 「……そうか」 だから選択肢。とは思うが、素っ気ないふりしてジャミル先輩の顔は真っ赤である。できることなら撮っておきたい。さすがに空気を読むけども。 「そうです。……許してくださる?」 「……好きにしろ」 「はい、好きにいたします。――さ、ユウさん、連絡先を交換しましょう。ユウさんの故郷のお話、もっと聞かせてくださいな」 にこにこと笑うさんに、私は深く頷いた。 「なるほど、真の上下関係を真に把握した」 |