先日のVDCに無事、良妻な彼女を招待して、自分の輝かんばかりの勇姿を見せることができたのは私のおかげだというのにジャミル・バイパーとかいうこの男、マジで私には一切紹介せずに帰してしまった。
 ただ、彼氏面どころか亭主面までしてるくせに「俺は相手をできない」と言ってしまった手前、自分から会いに行くのは……とか言って自分も会わなかったらしいので、そこだけは腹を抱えて笑わせてもらった。ざまぁみろ〜〜!

 でもそのせいで、またこうして人通りのない廊下で捕まってしまい、なんだかんだで二人の馴れ初めを聞かされることになってしまった。今回は私が分からないように追跡してきたので逃げられなかった。

「その日は、カリムが朝から異様に張り切った様子でやってきたから、よく覚えている。時間はちょうど五時二十三分だった」

 …………。

「別にちょうどではないですね?」

 時計見る時は常に秒針まで見てんのか? と思いつつ、「あの時はふざけるなという感情で思わずカリムの頭を叩き落としたが、それは仕方ない、必要なことだった。運命はちょっとしたことで変わるという。あれがなければ未来は変わっていたかもしれないんだ、俺は正しい」と、私の声など聞こえちゃいない。もう何を言っても無駄だと、自分の足元に視線を落とした。あ、ローファーのつま先の色、ちょっと剥げてるな……。

「おい、聞いてるのか君」

「聞いてる聞いてる。早く帰りたいから早く続き聞きたくてたまらないです」

 ジャミル先輩はふんと鼻を鳴らしたが、こちらも早く続きを話したくてたまらないというのがちっとも隠せていない。だからなぜその妙ちくりんなピュアさを彼女の前で出せない????

 ちょっと溜め息を吐いて、やっぱりジャミル先輩の彼女とは友達になりたかったなあと肩を落とす。こんなめんどくさい地雷彼氏をうまく転がしてるあたり、多分私の学園生活に役立つ知識をたくさん持っていると思うのだ。ぜひご教授いただきたい。こっちは摩訶不思議マジカルぶっ飛びファンタジーランドで生き残るのに必死なので。

 ジャミル先輩がぎゅうっと眉間に皺を寄せる。おや? と思う前に、「彼女、カリムの従姉妹なんだ。忌々しいことに」と舌打ちをした。

「へえ、カリム先輩の…………いとこ? あー! なるほど、だからあの時!」

 カリム先輩から私の存在を聞いている、と言っていたのを思い出す。VDCのための合宿の時にも、カリム先輩に彼女の話をされた。まあ、ジャミル先輩がいちいち割り込んできたせいでまともに話せなかったから、彼女については結局、良妻であるということしか情報はないが。

 それはともかく、ジャミル先輩は(させてもらってるとは言え)あれだけ亭主関白しておいて、身内との付き合いまで口を出すとか小姑なのでは? という話。亭主したり小姑したり一人で忙しいなこの人。
 でもまあ、「そうだ、カリムが本家筋のせいで、彼女はアイツのことをカリム“さま”と呼ぶ。忌々しいことだよ、本当に」とか鼻に皺を寄せている時点で、自分を客観視することができていないんだろう。ある意味お幸せなことである。

 とりあえず、ジャミル先輩にとっては死ぬほど忌々しいことなのだとしても私にはそうではないため、しっかりと「そんなことは言っていない」とハッキリ言っておく。じゃないと後々、私まで(今よりもっと)面倒なことに巻き込まれてしまう可能性が爆上がりしてしまうからだ。

 ――というか。

 ジャミル先輩の彼女、本当にすごいなと感心するばかりである。

 だって、あの時だけで十二分に地雷彼氏だなと思わせてくれたがこの人、何度聞いてもマジでトップオブトップの地雷彼氏じゃん?? という。こっちから願い下げだがもし私がジャミル先輩に告白されたとしたら、身内を口撃する人地雷ですとお断りする。いや、この人の場合(物理)攻撃もしてるから地雷どころの話じゃない。……なぜ見捨てない……? いや、知らないのかもしれないなあの盛大なドッカーンを……ジャミル先輩プライド高きこと山の如しだからな……。
 さすがトップオブトップ地雷彼氏……と、妙な納得感を得てしまった。それと同時に、本当にあの良妻すごいな。私は天を仰いだ。

 ジャミル先輩は相変わらず一人で勝手に理不尽にキレたまま、器用にも合間合間に舌打ちまで入れて話を続けている。

「カリムは、同い年で、しかも女の子だという理由で、昔からあれを気に入ってたんだ。そのせいで、俺が彼女と知り合うのが随分と遅れた。周りの大人たちの余計な世話だよ、将来二人が――……まあ、もう俺の女なんだが」

 ……情緒ジェットコースター乗りこなす人材はフロイド・リーチで間に合ってま??す!

 そう思いながら、この人本当に亭主関白(亭主ではない)大好きだなと、何度だって新鮮な気持ちになるほどレベルを超えてくる。

 ただ、“カリム先輩の”従姉妹となると……ちょっと問題なのでは? と思ってしまう。いや、私が口出しすることではないが、ジャミル先輩の立場はほんの一部の事情といえど知っている身なので、このままではまた何か大きな問題が起きて……私まで巻き込まれてしまうのではないかと不安にもなる。

 彼女がカリム先輩の従姉妹ということは、彼女の家柄――熱砂の国の身分制度みたいなのはちっとも知らないが――も、こう……貴族みたいな、そういう高貴なやつで、つまりこう言っちゃなんだけど――。

 「それ大丈夫なんですか?」って話にならないかな、と。

 小さな子どもにも、まるで呪いのように言って聞かせて主従を徹底しろというなら――お嬢様と、その家格より上(もしくは同等)のところに仕える従者の家系の人間のお付き合いというのは、認められないんじゃなかろうか。引き裂かれるならまだマシで、一族まで巻き込むようなヤバイ事態とかになっちゃうんじゃないか? そういう問題である。

 ジャミル先輩はぴくりと眉を動かして腕を組むと、不機嫌そうに「……何が」と短く応えた。

「……いやだから、カリム先輩の従姉妹、しかもカリム先輩もお気に入り。……よく付き合えましたね、あいや、悪い意味ではなく、普通に」

「悪い意味ではないと言えば済むと思っているな、君」

 なんと言ったらいいか分からず、ぼやっとした言葉になったが伝わったらしい。少し考える素振りを見せてから、ちらりと外へ視線を動かした。

「……まあ、君の言葉を借りるなら、普通には無理だ。カリムにその気がなくても、せっかく仲がいい同い年の異性を気に入ってるんなら、そのまま輿入れさせるものさ」

 また忌々しいと吐き捨てる殺意高いジャミル先輩だが、それでも現に彼女とお付き合いしているのはジャミル先輩だ。それに、(ジャミル先輩に邪魔されながらも)カリム先輩と彼女について話した時の内容からするに、カリム先輩自身は二人の仲を応援しているような感じだった。それどころか、あいつを任せられるのはジャミルしかいない! とかなんとか――ん?

 ……もしかしてヤバイ陰謀があったのでは、といらない発想をしてしまった。自分の優秀すぎる危機察知能力が恨めしい。いや、いくらジャミル先輩が性悪だからってそんな……と思いたいが、その後に続くべきフォローの言葉が何も出てこない。
 しかし、流してしまったが普通に“は”と言った時点で、普通ではない何かがあったから今があるんだ、という自白ではないか? という話になる。


「俺は彼女を初めて見た瞬間、ああ、これが俺の女になるんだなとすぐに気づいた」

 …………。

「付き合ってないどころか知り合ってもいない段階でそれとはもはや才能」

 私の勘違いだな、この人はいかにも深く考えてる顔しておいて何も考えてないタイプの人間だ、恋愛については。己の欲望にだけひたすら忠実。

 ジャミル先輩は、いっそ清々しいなと思わせるくらいのドヤ顔で、ふてぶてしくも「彼女のほうは、俺が自己紹介をするより前から知っていたようで、お会いしたかったですと言った」と、唇を吊り上げた。
 「自分の女ながら、本当にできたやつだと感心するよ」じゃないんだわ。しかし、指摘しては面倒。

「まあ、カリム先輩から聞いてたんでしょうね、仲が良かったんですし」

 こう言うに留めておいた。ウソだ、溜め息も吐いた。
 とはいえ、セルフで自己肯定感爆上げしてるジャミル先輩には痛くも痒くもない――どころか、まだまだ盛り上がれるらしい。この人もう遠慮しないとは言っていたが、遠慮しない場面を間違えてるとしか思えない。誰だったかな、他人に迷惑かけるなとか言ってたヤツ。

「忌々しいことだが、それもあってか彼女はよく笑った。カリムに聞いたよりも、もっと素敵だと」

 まぁもういいや、私は早く帰りたい。聞いてあげたとしても見返りは何もないし。これについては初めから対価をハッキリ示す分、まだオクタヴィネルのほうが信用できる。
 まぁ流せない部分は流せないので、「なるほど、彼女も初めて見た瞬間に悟ってたんですね、ジャミル先輩のそういうところを」という指摘だけはきちんとしておく。この世界では自己主張ができないものから死んでいくのだ。私は日々これを学んでいる。

「彼女との交際の決め手は、その日の午後だ」

「確かに巻いてはほしいけど展開早すぎでは???? ていうか、いくつの時の話ですか、これ」

「十二の時だ」

 …………。

「なっっっっ……るほど、随分と年季の入った執着だ……」

 それと同時に、もう五年もコレに付き合ってるとか……ジャミル先輩の彼女は良妻ではなく聖母である可能性が浮かんできてしまった。

 私のドン引いた視線を浴びながらも、ジャミル先輩は止まらない。

「女の子がいるんだからと止めたが、木登りをするんだとカリムが聞かなくてな。それならと絨毯に彼女を乗せたのはよかったんだが……そこから木に移らせようと、カリムが手を引いた瞬間、足を滑らせた」

 ジャミル先輩はなんてことないふうに言うが、これが私の世界だったら大事件である。絨毯に乗せて、ということは、それなりに高さのある木のはずだ。そんなところから子どもが落ちれば、万一だってありえる。

「これだから魔法は! 私の世界だったらまず木登りからさせませんよ子どもだけで! そういうことになるから! で、どうし――」

 しかし、ジャミル先輩の浮かべる表情を見て、喉がつっかえた。

「俺が、下敷きになって庇ったんだ。彼女、それから俺のそばを離れなくなってな」

「……へえ」

「万一があったらと考えると、本当に俺がいてよかったと。彼女の両親は大いに喜んでいたよ」

 外から射し込んできていたオレンジ色の光は、もう細くなっている。紫がかった空は、迫りくる闇色に潰されそうになっていた。
 ジャミル先輩の三日月に吊り上がる唇が、歪に見えて仕方ない。喉が、渇く。

「……ジャミル先輩」

「なんだ?」

「……あなた、魔法を使ったんですか。ユニーク魔法を、彼女に」

 つ、と背筋をヒヤッとしたものが走る。ジャミル先輩が目を細めた。

「どうしてそう思う?」

「……いくら助けてもらったからって、それだけでそばを離れないなんて、ちょっと考えられません。その日会ったばかりでしょ? 気心が知れてるカリム先輩がそばにいたならそっちを頼るだろうし、ご両親がやってきたらそちらに甘えるんじゃありませんか、普通は」

 ふ、とジャミル先輩が笑った。どくり、と心臓がいやな音を立てる。

「……君は――俺を馬鹿にしているのか? ユニーク魔法だと? 彼女相手に、俺が? 使うわけがあるか。あの場にいたのは俺とカリムの二人だ。無茶を提案したカリム、それを止めた俺。どちらを頼るかなんて分かりきったことじゃないか。まあ、彼女の両親については、俺も驚いたさ。ただ、そうだな、あの時に彼女も気づいたんじゃないかと思う。自分がそばにいるべきは、いざという時には必ず守ってやれる俺のような……というか、俺だとな」

 …………。

「……言葉が出ない」

 ユニーク魔法を使って、彼女を洗脳してそばに……? とか一瞬でも思ってしまった私が憎い。バカなことを考えてしまった。この人の中では(出会った瞬間には)もうあの人は自分の奥さん、つまり自分はその夫と決まっているわけだから、魔法使うなんて絶対にありえなかった……。そういう卑屈さを彼女に対して持っているなら、言いつけどうとか俺の世話が趣味とかトチ狂ったことを言うわけがない。

 自分の妄想に怖がるとか、いらんことでビクビクしてしまったせいでドッと疲れてしまった。そういうわけなのでもうそろそろ帰っていいんじゃないかな、と思ったが、ジャミル先輩の顔つきからして、ここからがいいところらしい。

 ここまで話を聞いてやってしまったわけなので、もう最後まで付き合うのも仕方ないだろうと、私は体の力を抜いた。正直もう床に座り込むくらいのことはしたい。

「その日は、念のためということですぐに帰ってしまったが……翌日には手紙が届いた。助けられたことへの感謝から始まって、何か礼をしたいという手紙だった」

 ……お礼……お礼かぁ……と思ってしまう。

 いや、普通ならそんなこと思わずに済むわけだが、相手がこの人となると、そういうのしないほうがいいよ、と言いたくもなる。もう過ぎ去ってしまった上、こうなっちゃってる以上は思ったところで意味ないが、思うだけなら自由である。
 まぁ、もしも私がその時、彼女の友人として身近にいたのなら、絶対に注意していた。いや、私今この時空でも彼女の友人ではない――どころか、面と向かって話をしたこともない赤の他人なのだが。

 とにかく。

「んん〜〜嫌な予感しかしないんだよなこれが??」

 ちら、とジャミル先輩を見る。……さて、衝撃に備えるか……。

「この先も俺が一生守ってやるから、そばを離れないでいればそれでいいと返した」

「やっぱりじゃん????」

 いやだから亭主面(しかもこの時はマジで赤の他人)もいい加減にしろ。
 しかし、次の言葉を聞くと、問題はジャミル先輩だけではない……? と思ってしまった。

「そうしたら彼女、一家総出で近くに越してきてな」

「なんて????」

「おそばを離れませんから、守ってくださいねと言った。これが馴れ初めだ」

 な、なるほど〜〜?

「……これ、いくつの時の話だって言いましたっけ?」

「俺も彼女も十二だ」

「人生の決断が早すぎるんだよなぁ〜〜」

 もしもの話だし残念ながらありえないことではあるが、やっぱり私が彼女の友人だったら絶対に止めていた。止めはしたが……彼女のほうはなんだって十二歳なんてまだまだ先が分からないというのに、そんな決断をしてしまったんだ……。親御さんは止めなかったのか……? と思ったが、もしかしたらその親御さんが後押ししちゃったのかもしれない。それどころか、恩義を感じすぎてうちの子と一緒になってくれたら……みたいな思惑があったと言われても、私は別に驚きはしない。

 多少の身分の差はあれども、命の危険があった場面で娘を救ってくれた少年。いわゆる“ヒーロー”の素質あり。元の世界でいっぱい読んだしいっぱい観たから知ってる。これは少女漫画とかでありがちな、“親が決めた許嫁”と同じアレ。絶対やめたほうがいいですよという話だが、どうにもできやしないのだ。それに――。

「それからは、俺が何から何まで世話をしてやってるんだ。放っておくと何があるか分からないし、守ってやると先に言ったのは俺だからな。あれも俺の言いつけはよく守っているし、カレーも上手く作れるようになってきた。まあ、まだスパイスの調合は甘いが」

「恩着せがましい上に偉そう。何様のつもりだ????」

 この亭主面が、あんな良妻を逃すはずがない。

 世の中の理不尽さに、ケッ! と悪態をつく私に、ジャミル先輩ははんっと笑った。そして、さも当たり前という顔で言った。

「あれの“旦那様”だが?」

「言うてこの男、旦那様ぶらせていただけているだけである」

 気づいたら口に出してしまっていたので、「あっもう晩ご飯の時間だあ〜!」と全速力で逃げた。






画像:はだし