「はぁッ?! に告白しただとッ?!」
 「バカ! 声デカイっての!!」

 俺の話を聞いて、かすがはおもしろいほどに――実際には笑えないが――大声を上げた。それからふぅっと軽く溜息を吐いたあと、「……あの相手に、よくそんなことができたな。そもそもお前は“そういう”男ではなかったはずだ」と言って、聞かずとも結果は分かっているという顔をしておきながら、ティーカップをそっと持ち上げ口をつけると、ちらっと視線をよこしてきた。

 オープンテラスの上品なカフェで、向かい合って座っている。コイツと二人でこんなこと、絶対にありはしないと思っていたのに。昔なじみだが、コイツは何かと俺を敵視しているので当然だ。それなのに、コイツ相手にまさか恋愛の相談をする日が来ようとは、誰が想像するもんか。

 「俺様だって自分がこんな変わると思ってなかったってーの。……でも、こうなっちまったもんはもうどうしようもないでしょうが」

 俺もかすがにならってコーヒーの入ったマグを持ち上げたが、口をつける気にはなれなかった。真っ黒い静かなそこへ、飲み込まれてしまうようで。


 「それで? どうするつもりだ。振られたんだろう?」


 あのと長く友人をやっていて、それも本人から“親友”と認められているだけはある。やはりアイツのことはお見通しだ。いや、そうでなくとも分かることだったろう。俺は自分に対して甘くなっていたのだ。のために時間を割いて、いつでもを優先して、なんでもの望みを叶えてきた。それを可能にするだけの時間を、二人で過ごしてきた。だから他の誰かと俺は違う。俺ならは――と思っていた。けど、実際のところそんなのは俺の思い込みで、は“”だった。けれど、初めて本気で惚れた女なのだ。それなら仕方ないと諦めるなんて、到底無理な話だ。

 「それを相談するためにお前に話したんだけど。が懐に入れてる女なんてお前くらいだしさ」

 俺の言葉に、かすがは苦い顔をした。

 「……私はの交友関係に口出ししないから、アイツは私を受け入れているんだ。それに、私はお前に協力してやる義理もないし、すべての気持ち次第だろう。私に話したところで何も変わらないぞ」

 確かにかすがはの“親友”だ。お互いにそれを認め合っているし、あれだけ奔放で――ちょっと嫌味を加えてやれば、“幅広く”、“色々”と男女関係なく人間関係を築いているだが、かすがのことは特別に扱っているのだ。いくら声をかけられても、かすがが苦手だという顔をすれば輪の中に交ざることはしない。の口から聞く女の子の話題なんて腐るほどあるが(俺のタイプの女の子がどうとか、あの子は誰々がタイプだとか)、そんなのはいつも軽い口調で語られるか、つまらなそうかのどちらかだ。が本当に楽しいんだという顔をして話す女の子の話というと、このかすがとの話だけである。幅広く人間関係があるだが、懐に入れる人間は決まっているのだ。信頼している相手だというのは、他と変わらないだろう。ただ、の言う“信頼”はちょっと意味合いが違うときが多々ある。たとえば、“そういう”男を相手にしたときとか。けれど、かすがは女であるわけで、ごっちゃにアレコレ煩わしい女の子同士の関係の中、が心の底から信頼して――友情を感じているのがかすがなのだ。とにかくのことであれば、かすがに聞くのが最善というわけで、なんとか捕まえて話をしているわけだけれど――。

 「……そう言うだろうなとは思ってたけど、面と向かって言われると凹むもんだねぇ。……ていうかさ、かすがはかすがで、が今のままでいいと思ってるわけ?」

 親友なんだろ、と俺が薄く笑うと、かすがはカッと顔を赤くした。「そんなはずがあるかッ!」と声を荒げると、ガタッと椅子を鳴らして立ち上がった。けれどすぐに我に返った様子で、気まずげな表情を浮かべながらそっと席についた。

 「……私だって、にはアイツに相応しい男と添ってほしいと思っている。だが、私が口出しするべきことでもない。言っただろう。私はアイツの交友関係に口出ししないから、今のように付き合うことができているだけだ。……私はお前の気持ちなんかより、との友情のほうが大切だからな。何度でも言う。協力する気はない」

 かすがの言葉に嘘は一つもないだろう。俺も相談はあくまでも相談であって、協力を無理強いしようなんて思っていない。まぁ仕方ない、と今度こそコーヒーに口をつけようかとマグを持ち上げた瞬間、かすがが「そもそも、元よりお前はに相応しい男ではない」と言ったので、そこで手が止まった。

 「……分かった、協力してくれとは言わない。けど、俺がに相応しくないってのは訂正してもらえる?」

 俺の言葉に、かすがは思い切り顔をしかめた。

 「何故その必要がある? お前は本来、と同じような生活を送ってきた人間だろう。の気持ちも、お前の告白を受け入れない理由も、お前のほうがよく理解できるんじゃないか? それを私に訂正しろという意味が分からん」

 かすがの鋭い視線は確かに俺を真っ直ぐ射貫いているが、俺は怯むことはなかった。ここで引き下がるくらいなら、俺みたいな男がみたいな女に本気だなんて言うわけがない。俺は変わった。変わってしまった。俺だけが。ここでかすがに言い負かされるのなら、俺の本気っていうものは、ふっと吹けば風に流されてしまうだけの、枯れ葉より軽いもんなんだってことになる。そんな気持ちで、俺はに好きだと言ったわけじゃない。

 「確かに俺はお前の言う通りの男だったよ。でも変わった。前の俺が同じことをされたら、のようにしてたろうさ。でも、今はそんなことできやしないって思うんだよ。俺でも、まともに好きになれる相手を見つけられたんだ。が俺のように変わるってことだって、ありえない話じゃないだろ? だから、訂正してほしいんだよ。……俺、本気なんだ」

 かすがは深い溜息を吐いて、それから紅茶をぐっと飲み干した。そして「……に、それとなくお前の話を聞いてやる」と腕組みをしながら言った。かすがが俺を手助けするなんて、ちっとも考えちゃいなかった。まぁそれでも、「それでアイツがどうなるとも思えないし、ましてやお前なんかと付き合うはずもないと思うが」と言葉が続いたので、俺は思わず「うん」と苦笑いしてしまった。ただ、とかすがは神妙な顔をした。「……もしがこれをきっかけにして変わることがあるとすれば、親友として嬉しいことには変わりないからな」と言って。


 「うわぁ、なんか珍しい組み合わせだね。かすがと佐助って二人でお茶するほど仲良かった?」


 心臓は嫌な音を立てて驚いているし、背中がじっとりとしているようだった。かすがはから俺にちらっと視線を移すと、「……冗談はよせ。コイツに貸しがあるから奢らせてるだけだ」と組んでいた腕を解いた。はけらけら笑った。つい昨日まで一緒にいたのに、なんでこんなに遠く感じてしまうんだろうと、俺はぼうっとの顔を見つめる。「あはは、そうなの?」と言って何事かかすがと話していたが唐突に、「で? かすがに借りつくるとか何したの?」と俺に目を向けた。なんでコイツ、こんなけろっとしてるんだよ。

 「……そんなことよりさ、昨日、なんで帰ってこなかったわけ」

 「……は? まさかアンタわたしの部屋で待ってたの? カギは返さなくていいって言ったのわたしだけど、やめてよね、そういうの。もう終わったんだから」

 「俺はそれ了承した覚えないんだけど」

 そう言うと、は分かりやすく不機嫌だという顔をした。それから、「じゃあ聞くけどさぁ、」と言って、長い髪をさっと横に流した。細く白い首筋が露わになって、どきりとする。今までどんな女にも、欲情することはあれ、こんな甘酸っぱいような気持ちを抱いたことはない。に対してもそうだったはずが、いつからだろう。この女を他へやりたくない、俺だけのものにしたいと思うようになったのは。俺が行動すれば、も応えてくれるだろうとどこかで思っていた。それだけ、俺はいつしかにだけ時間を割いていた。もその分、俺の傍にいた。俺は自分に甘くなっていた。結果はこれだ。それだけだ。それでも、今まで全部の報いがこれなのかとさえ思ってしまうほどには、この女のことが好きでたまらなくて、それが叶う可能性はあると思ってしまう。は“”なのだと、分かっていても。これほどまでに、思い知らされても。

 「わたしと“付き合った”としてどうしたいわけ? わたしは今の生活やめる気なんてないし、でもそうなったら佐助は口うるさいこと言うようになるわけでしょ? それとも放っておいてくれるの?」

 「それは……」

 「無理なんでしょ? わたしも無理。それだけ。カギ、返さなくていいって言ったけど、部屋で待たれても困るだけだし、今ここで返して」

 の言葉に俯くしかない俺の様子を見てか、かすがが「……、それはもっともだが……」と躊躇いがちに言ったが、それを切り捨てるように「かすが、どうせ佐助の話聞いてあげてたんでしょ? で、わたしの答えは今言った通りなわけ。だから口出さないで」とが応えた。

 かすがは一瞬俺に視線を向けたが、それはどうにかしてやるとかそういうんじゃなく、ただただ同情の色しか浮かんでいなかった。

 「佐助、早くして。わたし忙しいの」
 「……他の男のとこ行くわけ?」
 「そう。だからヒマない」
 「……俺がカギ返したら、もうなんにもなくなっちまうだろ」


 恐ろしいと思いつつ、どうにかその目を真っ直ぐとらえた俺を、は嗤った。


 「は? もうとっくになんにもないよ。あぁ、部屋に置いてるもので必要なのがあるなら、今日取りに来て。だったらカギはその後でいいから。じゃ、時間ないから。あっ、かすが、明日のランチだけど、こないだ言ってた新しいカフェでいいんだよね? わたし終わり早いから、先行ってる」

 「あ、あぁ、分かった」

 かすがの返事を聞くとは満足そうに頷いて、それから俺には目もくれずに去っていった。






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