本丸にいる時にはここを使ってね! と与えてもらった自室で、お夕飯まではちょっとゆっくりさせてもらおうかな、とのんびりしていたところに、乱ちゃんがやってきた。いつもの女子会のお誘いかな? でもお夕飯前だから、おやつも何も用意がない。けれど、乱ちゃんは今日も圧倒的美少女(いや、男の子なのは分かってるんだけど!)なキラキラの笑顔を浮かべて、「ちゃーん、今いい?」と、嬉しそうに弾む声からしてご機嫌だ。
 中に招き入れつつ、「うん? いいよ、どうしたの?」とわたしが言うと、乱ちゃんは綺麗な瞳をさらに輝かせながら答えた。

 「あのね! ネイルしてほしくて!」

 ……おおっと……いきなりハードルが高すぎるお願いだぞ……。
 自慢できることじゃないけれど、わたしはそう器用なほうではない。なので、乱ちゃんのお願いならぜひとも叶えてあげたいとは思っても、かわいいネイルなんてしてあげられないのは分かりきっている。
 誤魔化すような曖昧な笑顔を浮かべながら、「ネイル? ……わたし、そんなに手先器用じゃないんだけど……清光くんにお願いしたほうがいいんじゃない……?」と返したところで、両手に大きなボックス――コスメボックスみたいだ――を持った清光くんがやってきた。……多分というか絶対、話の流れ的に中身はマニキュアではないだろうか……。
 清光くんはドンッ! とボックスを置いて、わたしにずいっと近づいてきたかと思ったら、「違くて! 乱も俺もにネイルしてもらいたいの! せっかく休暇なんだしさ、もかわいいネイルしてオッケーだよね? のは俺がするから」と、いたずらっぽくウィンクを一つ。……今日もJK力が天井知らずである。
 乱ちゃんが、わたしの腕にぴたっと寄り添って、上目遣いに見つめてくる。

 「ね、いいでしょちゃん。ボクたち、監査すっごい頑張ったんだよ! ご褒美ほしいっ!」

 先日、急に行われた監査――まぁ監査なんてそういうものだけれども――は、本当に色々な意味で大変だったなぁ……。本丸(会社)のことにはまったくのノータッチのわたしですら、何かあったらどうしようとハラハラしっぱなしだったのだ。社員の皆さんはもちろんのこと、乱ちゃんだって清光くんだって、気を張っていたんだろうと思う。
 チラッと、あの山姥切長義さんという監査官――というより、国広くんの生き別れてしまった義理のお兄さまのことが思い出された。……うん、確かに大変だった……。

 「……そうだねえ……色々……色々大変だったもんね……」

 つい遠い目をしてしまったが、寄り添う乱ちゃんと期待に満ち満ちた清光くんの表情を見れば、わたしの答えは一つである。

 「うん、わたしも休みだしね、せっかくだしやろっか!」

 乱ちゃんがぎゅうっとわたしの腕にしがみついて、「ちゃんだーいすき! ねえねえ、おそろいにしたいなぁって加州さんと話してたんだけど、いいよね? ねー、いいでしょ?」と、甘えた声で大きな瞳をうるうるっとさせる。……ううっ、わたしが乱ちゃんのコレに弱いことを、完全に分かっていてやってるな?? まぁでも、ここまで慕ってくれているとなれば、わたしだって甘やかしてあげたくなっちゃうわけで。そこでさらに、清光くんが大きなボックスを開けてネイルデザインの一覧表(?)を片手で広げつつ、もう片方の手でスマホをいじり始める。き、器用……。

 「俺デザイン色々チェックしといたから、色違いでおそろね。ほら、前にがくれたネイルシールも使ってさ」

 ……心底楽しい! 嬉しい! というお顔で、わたしが以前あげたネイルシールをじゃじゃーん! とばかりに見せてくる清光くんには悪いんだけれど――。

 「え゛、いや、あのシールはわたしにはちょっと若すぎるって言うか……」

 そう、星とかハートとか、もうわたしの年齢だと厳しいかな〜? というようなシールたちだ。
 口をもごもごさせるわたしに、乱ちゃんがさも不思議そうに小首を傾げた。

 「え? 若すぎるも何も、ちゃん若いじゃん! ボクたちからしたら若すぎるくらいだし!」

 「……えっ、あ……う、うん……ありがとう……」

 ……もしかしなくともこれはとんでもなく気を使われているのでは????
 ど、どうにも反応しづらいし、だからって曖昧に誤魔化すにも困るだろうわたしの言葉に、こうも優しくって嬉しいコメントをしてくれたのはとってもありがたく思うべきなんだけれど……乱ちゃんに若すぎるくらいだよ! なんて言わせちゃったとなると、ものすごく申し訳ない……。ね、年齢についてはね、繊細な問題だよね……。でも、だからってそんなに煽てなくていいんだよ……。
 自然と肩を落としたわたしだったが、ネイルデザインの表とスマホを交互に確認する清光くんはとっても忙しそうで、わたしと乱ちゃんのやり取りはまったく耳に入っていないようだ。

 「やっぱさ? ここはめちゃくちゃかわいくデコるべきじゃん? いくつかデザイン絞ったつもりなんだけど、もー全然無理。だってに似合わないデザインとかあんの? って話じゃない? あ、これどう? ちょー王道だけど桜っぽいピンクでフレンチ」

 清光くんが指差したネイルデザインは、確かに王道と言えるものだけれど、上品でかわいい。うん、これならわたしでも問題ない! と思って、それかわいいね〜コレにしよう! そう言いたかったけれど、先に乱ちゃんが待ったをかけた。

 「えー、もっと華やかっていうか、お休みの時にしかできないようなネイルのほうがよくない? あっ、これとかかわいい! お花咲いてる〜〜!」

 清光くんのスマホを覗き込みながら、乱ちゃんがルンルンと声を弾ませる。すると清光くんが、「うーん……」と一つ唸って、それから「てか、まずメインカラー決めるとこからしたほうがいいかなぁ……デザイン絞れない」と溜め息交じりに呟いた。いや、清光くんが持ってきた一覧表も、絞ったと言ってはいるけれどかなりの数のデザインが載っているし、そこにスマホで検索したものまで加えたら……そりゃあ余計に絞れないんじゃないかなという……。

 清光くんはとってもオシャレに気を使う子だけれど、中でもネイルには特にこだわっている。そんな彼が、ただでさえ気に入ったものの中から一つを選ぶとなれば、溜め息が出るほど悩んでしまうのはしょうがないかもしれない。現に「全部かわいい。選べない」と眉間に皺を寄せたので、そうだよね……オシャレさんは大変だ……と、わたしも思わず頷いた。その後に続いた「だってどれも似合っちゃうし〜〜」というセリフには、さすがのJK力……という自分でも意味が分からない感想を抱いてしまったけれども。

 「とりあえず、俺はいつものカラーがベースでいっかな」

 綺麗に整えられた指先を掲げながら呟いた清光くんに、乱ちゃんがすかさず「えっ、そこは加州さんも冒険しようよ! パステルカラーとかがよくない?」と言って、清光くんの腕をぐいぐい引く。それになんとなくむずがゆそうな顔をしながら、「え〜?」と言う清光くんだったけれど、乱ちゃんのほうもテンションが上がってる様子なので、それに対しての反応は特になく――。

 「あっ、ちゃんがくれたこのシール! ボク、おほしさまがいいな〜。ね、ちゃんはどれがいい?」

 もうネイルのデザインのことでいっぱいいっぱいというか……。
 もちろん、わたしもかわいい清光くん、乱ちゃんとのおそろいは嬉しいし、いつもいつもわたしを気にかけてくれているのに、たったのそれだけでこんなに喜んでくれるのであればいくらでも! という気持ちなんだけれども――。
 ……問題はね……“女子会”という名目で集まってはいるけど、正しく性別が女子(いや、年齢的にほんとは“女子”も厳しいんだけど……)なのはわたしだけだというのに――。

 「えっ、う、うーん……わたし二人みたいにセンスないしなぁ……」という……これに限る……。

 あとは清光くん、乱ちゃんとの年齢差だ。いや、二人とも若いからね、その若さにわたしはもう追いつけないので……センスない問題と共に、「と、とりあえず、わたしの年齢でもセーフなのがいいかな……うん……」というのも問題の一つになるわけである。そして、わたしのこの考え方、というか感覚は大きく間違ってはいないと思うんだけれど――本丸の人たち(ちびっ子含む)は、どうもわたしのことを過大評価……? いや、なんだかすごく特別な存在と思っているようなので……。

 「年齢でセーフとかアウトとかないでしょ。は気にしすぎ! なんだってかわいいよ。俺が言うんだから間違いない」

 JK力の権化みたいな、わたしより確実に女子な(しかも若い)清光くんですら、こんなことを言っちゃうわけである。いや、その原因はどこにあるんだって話をしたら、うちのお兄ちゃんになっちゃうので……わたしとしても申し訳ないというか、あの、アレなんだけども……。

 「……でもこうやって決めるってなると、結構難しいもんだね〜。結局さ? 俺も乱もも、なんでも似合っちゃうじゃん?? どう絞んの?? って話じゃんいくら考えても」

 「え〜〜それ言ったら決まらないじゃん確かにそうなんだけど〜〜……っあ! じゃあさ、誰かに聞いてみようよ! どんなのがいいか!」

 清光くんも乱ちゃんも、自分がかわいいことをまったく疑っていない。そう、二人とも自分がかわいいことに自信があるのだ。なので、謙遜なんてものはもちろんしない。それに見合った努力だって、もちろんしているのだから。……まぁ、だからこそ、もしも謙遜なんてされちゃった日には……きっと多くのリアル女子たちが泣いてしまうっていう……。いやだって、清光くんも乱ちゃんもびっくりするほどJKでアイドルで美少女でしょ……? ここまできて、かわいいとかそんな〜〜! みたいなこと言われちゃったら、逆に申し訳なくなっちゃうよね……。あっ、気を使わせてしまってる……っていう。
 だからいいのである。だってかわいい。二人は何したってかわいい。……ただわたしはね……違うんだよ、二人とも……。そもそもが平々凡々なのに、それに加えてもうそれなりのいい年齢したいい大人だから……お花はデザインによっては全然問題ないけど……お、おほしさまは……おほしさまは無理があるのではないかと……。

 「それが無難か〜。俺はとおそろなら、ぶっちゃけなんでもいーし」
 「それはボクもそうだもん、だから決まんないんじゃん〜〜!」

 いよいよ畳にごろんと寝そべった二人に、「ま、まぁほら、時間はあるし、ゆっくり決めたらいいんじゃない?」と言うと、清光くんがガバッ! と体を起こしたのでびっくりした。
 清光くんはむっと眉間に皺を寄せて、どこか鬼気迫る様子すら見せて「夕餉までには完成させたいの! とおそろのネイルなんだ〜〜! ってクソほど自慢したいから俺。めっちゃかわいくない? しかもとおそろなんだけど。おそろ。って自慢しまくりたい」と言うので……い、いや、そこまで喜んでくれるのはすごく嬉しいんだけど、え? いや、そこまで……?

 すると、乱ちゃんのほうも体を起こして、わたしにずいっと顔を寄せながら「そうそう、こういうのってボクと加州さんの専売特許って感じでしょ? ほーんと監査で疲れちゃったし、見て見て〜〜! って自慢してまわるくらいしないと、ボクのご機嫌なおんない」と言って、むくれたお顔をする。ううっ、むすくれててもかわいい……。二人がこういう感じでとっても慕ってくれているので、わたしもついつい甘やかしてしまうのだ。

 「う、うーん……じゃあとりあえず――」と、わたしが言いかけたところで、ひょこっと明石さんが顔を出してきた。

 「――おひいさん、何してはるんです?」
 「あ、明石さん」

 明石さんは「“国行さん”な」と、わざわざ訂正しながら(この人はなぜかお名前の呼び方にこだわる)部屋の中へ入ってくると、アレコレ並べられたネイル用品を見て溜め息を吐いた。

 「……随分とまぁ散らかして……これが噂の女子会ですのん?」

 お、仰る通り……。散らかしちゃってすみません……。

 明石さんを見てパッと顔を輝かせた乱ちゃんが、その腕を引いて「あっ、明石さん明石さん! ちゃんにね、ネイルしてもらうんだけど、デザインとか全然決まらなくって……。とりあえず色から決めようかって話になったんだけど、明石さんはちゃんには何色がいいと思う?」と、かわいいお顔で小首を傾げた。明石さんが、ちらりとわたしを見る。

 「……おひいさんに似合う色ですか……まぁ、ピンクとかが無難なんとちゃいます?」

 わたしもそう思います。無難ですよね、ピンク。わたしもとりあえずはピンクでいいと思います――と頷く前に、清光くんが「いや、普段ならそうなんだけどさ〜。、今休暇中じゃん? だからいつもはできないような、特別なのにしたいんだよね」と言ったのでお口チャックした。今回のこのおそろいネイルは、あの色々大変だった監査を乗り切ったご褒美的なものだと言うのであれば、清光くんたちの好きなようにしてあげるべきである。
 明石さんは溜め息交じりに「よぉ分かりませんけど……」と言いつつも、「おひいさんに似合わんもんなんてあります? こないかぁいらしいお姫さん、他におらんやろ」とか言い出すので、この人もわたしのことなんだと思ってるんだろう……。というか、明石さんってなんだかこう……急にわたしに対して過保護というか……心配性になったというか……この本丸の人たちのいらぬ影響を受けてしまった感がすごいんだよなぁ……。……遠い目……。

 「――あぁ、藤色とかいいんとちゃいますか」

 ふと思いついた、というような調子で言った明石さんに、清光くんが間髪入れず「それ自分がしてほしいだけじゃん。そうじゃなくて!」と声を上げた。
 けれど、それはさら〜っとスルーして、明石さんはわたしのすぐそばまで近づいてくると、「それよりおひいさん、ちょお薄着とちゃいます? 引っかけるもん持ってきましょか? またいつ体調崩すか分からんのに……あぁ、とりあえず自分の上着貸したりますわ」と、着ていた上着を脱ごうとするので慌てて首を振る。

 「えっ、あ、いや、大丈夫です、寒くもないですし……」

 明石さんはぴくりと眉を動かした後、呆れたように「なんやあってからじゃ遅いやろ、大人しく聞いときや」なんて言って、わたしの肩に上着をかけてしまった。しかも、いいと言っているのに「あぁ、膝掛けも持ってきたほうがええな」とか……わたしの話まったく聞いてないですよね??

 「えっ、いや、大丈夫ですほんとに! っていうか明石さん、ちょっと過保護にしすぎじゃないですかね……」

 かけてもらった上着をどうしようかと思いながら、明石さんの顔色を窺うように視線を向けると、さも不思議そうな顔で「あんたには過保護なくらいがちょうどええでっしゃろ」とかケロッとした顔で言うのでびっくりした。……え? もうすでに過保護要員は(いらないほど)いらっしゃるので、もう間に合いすぎてるんですけども……。しかも、その中にはちびっ子すら含まれているわけだから、ここはもう大人の明石さんは遠慮してほしいというか、遠慮してくださいという。
 どう反応したものかと困っていると、清光くんがキッと鋭い視線を明石さんに向けて「も〜〜、明石いると進まない! アイディアないなら出てってくんない? 俺らヒマじゃないから!!」と声を荒げた。ついでに舌打ちもした……き、聞かなかったことにしよう!

 「……なんでもいいですけど、おひいさん振り回すんはほどほどにせんと、休暇の意味ないやろ。とりあえず、自分は膝掛け持ってきますわ」

 清光くんの刺々しい言葉(と、舌打ち)に肩を竦めた明石さんは、そう言ってくるりと背を向けた。その背中に慌てて「いや、ほんとにお気遣いなく――あ、あぁ……行っちゃった……」……ほんとに本丸の皆さんって、基本的にわたしの話聞いてくれないね……?
 肩を落とすわたしに、乱ちゃんがいたずらっぽく笑った。

 「気にすることないよちゃん〜〜。あの人もちゃんのお世話したいだけだし、好きにやらせておいてあげなよ」

 え、ええ……いや、わたしもうお世話されるような年齢じゃないし、一部の人たちが言うような“お姫様”でもないわけだから、好きにやってもらわれても……ど、どうすればいいのかな?? っていう……。いや、どうすればいいのかなっていうか、遠慮じゃなくてほんとに必要ないんです大丈夫ですってことなんだけど…………それが伝わってればこんなことになってないか!! ……気づきたくなかった……。
 溜め息を吐く寸でのところで、乱ちゃんがわたしの腕にぎゅうっと抱きついてきた。そして、あの上目遣い攻撃。

 「それより! 今はボクたちの時間なんだから、ちゃんと構ってくれなきゃダメ!」

 ……やっぱり、乱ちゃんは自分がかわいいことを分かってる……しかも、そんな乱ちゃんをわたしが大好きなことも分かっててやってるな〜? 清光くんもだけど、かわいい小悪魔ちゃんめ〜〜! と、思わず頭を撫でていると、乱ちゃんがひらめいた! という顔をして「あっ! 歌仙さんとかに意見聞いてみる? それか宗三さん」と言い出すので、わたしは血の気が引くのを感じた。いや、待って乱ちゃん。待って、それはまずい。マズすぎるよ……! 歌仙さんは“雅”だし、宗三さんに至っては雲上人なんだからその二人にだけは聞いちゃダメ……!

 震えるわたしを余所に、乱ちゃんの言葉を受けた清光くんが「え〜〜確かにどっちもセンスいいけどさぁ……絶対揉めるっていうか、むしろ余計決まんなくなりそうじゃん?」と言ったので、思いっきり頷く。――が、お夕飯までにはネイルを完成させたいらしいので、そろそろどんなものにするのかは決めたい。これは清光くんも同じようだ。

 「ここはもう、こういうのに全然興味ないヤツに聞いたほうが――」

 清光くんが言い切るより前に、その人は現れた。

 「――あぁ、ここにいたか、姫」

 顔を出した膝丸さんを見て、清光くんが目の色を変えた。

 「膝丸ちょっとこっちきて!!!!」
 「ぅおっ、い、いきなり何をするッ!」

 勢いよく腕を引かれた膝丸さんの抵抗などなんのその、という感じで、「細かいこといーから、ちょっと相談乗って」と言うと、膝丸さんを座らせた。

 「……相談? 俺にか?」

 訝しげにする膝丸さんの隣に座りなおした乱ちゃんが、「そうそう! 膝丸さんもセンスいいの、ボク知ってるんだからね。ちゃんのお部屋に飾ってあるお花、膝丸さんよく活けてるよね?」と言ったので、思わず声を出してしまいそうになった。
 毎週本丸にお邪魔するたび、わたしの部屋にはとっても素敵なお花が飾られている。それについて特に聞いたことがなかったので、まさか膝丸さんの作品(?)だとは思わなかった……。
 ちらりと、床の間にあるお花に視線を移す。う、うーん……ご、語彙力がないのがつらいと思わせる、とっても芸術的な作品である。……そうか、これをいつも膝丸さんが……。
 膝丸さんはなんてことない、当たり前とでもいうような顔をして「ああ、花か……。遠征先で良いものを見つけた時には、そうしているが」と乱ちゃんの質問に答えた後、「……それと何の関係がある?」と難しそうな顔をした。けれど、今度は清光くんがそんなことはどうでもいい! と言わんばかりに、「とりあえず、この中でに似合いそうっていうか、えっかわいい〜! って思う色どれ?」と、また質問を重ねた。

 「む……そうだな……」

 詳しい説明は何もされないままなのに、律儀で(髭切さんが関わらなければ)常識人枠に入る生真面目な膝丸さんは、畳の上に広げられたネイル用品――というか、色とりどりのマニキュアたちを見て、一つを選んだ。

 「これは――薄萌葱色はどうだろうか? 涼しげで品がある。……いや、錆御納戸色もいいな……」

 膝丸さんはウスモエギ色というマニュキュアを右手、そして左手にサビオナンド色(?)のマニキュアを取った。
 ……ど、どうしよう……そんなお上品な……いや、歌仙さんが言う“雅”的なお名前なのこのお色たち……え……? 絶対わたしなんかには似合わないのでは……?
 けれど、膝丸さんの提案を気に入ったらしい清光くんは、ぱぁっと表情を輝かせて「あ〜、あえてのクール系いいかも!」と声を弾ませた。

 「そしたらさ、これをグラデとかにしたらかわいくない?」

 清光くんがうきうきした調子で乱ちゃんにそう言うと、乱ちゃんも嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。やっと話が進んだおかげか、二人ともキャッキャッと楽しそうだ。なんとも女子。女子力全開である。そしてとっても微笑ましい……。
 ひらめいちゃった! という表情で、乱ちゃんが清光くんにずいっと体を近づけた。

 「そしたら、ちゃんのだけストーンつけるのはどうかな? で、ワンポイントで一つだけボクたちとおそろいのネイルシール! あんまり目立たない……小指とか! なんかボクたちだけのヒミツって感じで素敵じゃない?」

 かわいいほっぺたを淡く染めて、ちらっとわたしに向けられた視線と目が合った。思わずまた頭を撫でてしまったけれど、乱ちゃんは嫌がるどころかもっと撫でて! と言わんばかりに擦り寄ってくる。……こういうところがかわいいんだよなぁ〜〜! 小悪魔ちゃん〜〜!
 ――なんて、わたしがますます乱ちゃんの頭を撫でている間に、清光くんは膝丸さんにさらにぐいぐい詰め寄っていた。

 「それいい! 膝丸〜、その色と並んでバランス良さそうなの二つ選んで!」

 ――っていうか、膝丸さんは何かしらの用事があって部屋にやってきたんじゃないのかな……?
 「……構わないが……」と了承してくれるあたり、この人は本当に律儀な性格だ。……だからこそ、髭切さんに対してなんでもかんでもイエスマンなのかな……と思わないでもないんだけど……。
 とにかく、一度相談に乗ったのだから……ということなんだろう。髭切さんが関わらなければ、やっぱりこの人は常識人枠である。

 ただ――膝丸さんの口から、「これは一体なんだ?」という質問が出てきたので驚いた。いやまぁ、男性はコスメだとかそういうものには疎い人のほうが多いかもしれない、とは思うけど……マニキュア知らないっていう人っているの……? とか思ってしまった。でも、本丸にいる人たちって、どこか浮世離れしている……というか、わたしが知っている一般常識とは違う常識に生きてるっていうか……そういうあれだからなのかな????
 その質問に対して、清光くんはケロッとした顔で「え? 何ってマニキュアだけど。あ、ほら、これ!」と言って、綺麗に整えられた指先を膝丸さんに見せる。

 「俺と乱とで、色違いのおそろデザインでネイルすんの。でも色が全っ然決まんなくってさぁ〜〜。いやデザインもなんだけど。でも結構イメージ湧いてきたかも! ってわけで、あと二色選んで!」

 どこか誇らし気な、むしろ自慢したいのかな? なんて思わせる声のトーン。こんなに喜んでくれるとなると、やっぱりわたしも嬉しくなっちゃうなぁ……。
 とりあえず一番大事なメインカラーが決まったので、清光くんの表情はとっても明るい。そして、やってきたと同時に何がなんだか分からず引き込まれたというのに、膝丸さんは「……俺にはよく分からないが、助けになるなら協力しよう」と快諾してくれたので、清光くん、乱ちゃんの希望通り、お夕飯までに完成させることもできそうである。

 「……姫は、この色は好きか?」

 ――でも、困った。

 「えっ? あ、そうですね、はい、好きですね、はい」

 特別好きな色、逆にすごく嫌いな色があるわけではないから、こうして好きかどうかを聞かれてしまうと困っちゃうんだなこれが……。でも、膝丸さんが提案してくれたウスモエギ色もサビオナンド色も素敵だったし、今差し出されているミントグリーンも素敵だ。
 そういうわけだから、好きという言葉に素敵だと思いますっていう意味を込めたつもりだったんだけど……どうやら伝わらなかったらしい。

 「……加州清光」

 神妙そうな、硬い声で静かに呼ばれた清光くんが、軽い調子で「はーい?」と返事をすると、膝丸さんはものすごく真剣な表情で「この、まにきゅあというのは、ここにあるだけで全部か?」と言った。

 「いや、いくつか絞って持ってきたけど」

 首を傾げる清光くんに、膝丸さんは言った。

 「ある物、すべて持ってこい。姫が気に入る色で、姫の指先が一等映えるものを選ぶ」

 …………?!?!

 「え゛?! いや、わたし別に気に入らないってわけじゃ――」

 これはわたしの言葉が思っていたように伝わってないね?!?!
 慌てて訂正しようと思ったけれど、もう遅かった。どうやら膝丸さんの何かしらのスイッチを押してしまったらしい。膝丸さんはわたしときっちり向かい合うと、真剣も度が過ぎるというほどに真面目な顔で「いや、これではいけない」と言った。しかも、その後に続いた言葉がこれである。

 「すまない、姫。……花がいい例だな、俺の自己満足だった。俺はきみを思って、きみに似合うものとを選んでいたが――そのようなことは、言われるまでもなく当たり前の話だ。きみが気に入るか否か、これが最も大切なことだったというのに。……姫、俺の“源氏の重宝”という名誉のために、どうか許してくれ。――きみのこの可憐な指先を、より美しく染め上げたい」

 膝丸さんはそう言って、わたしの手を優しく握った。いつも親切にしてくれる膝丸さんだけれど、ある一定の距離間というか、無遠慮に距離を詰めてくるような人ではない――ちなみにお兄さんの髭切さんは真反対である――ので、わたしは思わず言ってしまった。

 「…………えっ、あっ、はい、お、お願いします……?」

 …………どうしよう……いつもの調子でつい勢いで答えてしまった……そしていつもの調子だとこういう時は大体大事になってしまうんだけどどうしよう……わたしいい加減学習しなくちゃいけないね……?






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