「、ほれ、おまえの大好きなじじいがきたぞ。抱き上げてやろうな」

 いまつるちゃんはお行儀よく迎えてくれたのに、三日月さんは帰ってきてすぐこれか……と思いながら、わたしは「いえ遠慮します大丈夫です」と軽くあしらう。そして、あれ? そうだ、と思い出す。

 「っていうか、今日からじゃないですか? 研修生が来るっていうの」

 廊下を進むわたしの後ろから、ぴょんっといまつるちゃんが飛び出してきた。

 「ええ、そうですよ! ひめがおかえりになるすこしまえに、ぼくがあそんでやりました!」

 さすがデキるちびっ子、いまつるちゃん……。おせわ得意だもんね……。
 とてもほっこりした気分で「へえ〜、いまつるちゃんが遊び相手してあげたんだ! えらいねえ」と頭を撫でると、ほっぺたをちょっぴり赤らめて笑うのでもっとほっこりした。
 「、俺にはないのか? 俺を撫でずにいていいのか?」とそわそわしながら追いかけてくる三日月さんは置いておいて、ここには大人がたくさんいるのに、どうしていまつるちゃんが研修生のおせわをしなくちゃいけないのかな???? というか一番仕事をしなくちゃいけない人は何してるのかな????

 「……お兄ちゃんは何してるの?色々教えなくちゃいけないんじゃないの?」

 溜め息まじりのわたしの手を取って、いまつるちゃんは無邪気な笑顔を浮かべたまま、「あるじさまもおいそがしいですから、ぼくたちがおてつだいできることなら、ぶんたんしてやるときめたんです!」と……ほんとここのちびっ子ってすでに立派な人格者で涙出そう……。そしてそれに引き換え……という気持ち。

 「……いまつるちゃんってほんとにいい子だねえ……」

 また頭を撫でると、誇らしそうに胸を張って、ドヤッという顔をするのが大変かわいい……。本丸にお邪魔することでわたしはたくさんの恩恵を受けているけれど、ちびっ子たちのこのドヤッという顔がとても好き……。

 「ふふん! とーぜんです!」

 それはさておき。
 お兄ちゃんがきちんと話を聞かないから、今日もやってきてしまったわけだけど……研修生が来るっていうのに、部外者であるわたしが毎週末居座るっていうのはいかがなものかなっていう……。
 ここでは皆さん住み込みで仕事してるわけだから、研修生も研修中は本丸で生活するはずである。……どう考えてもわたし邪魔だよね。えっ会社に関係ない人なのに? って感じでめっちゃ気まずいよねお互い。
 そういうわけなので。

 「まぁでも、とりあえずは研修期間の……一ヶ月だったっけ? その間は、わたしもここに顔出すのはやめておこうと思って――」

 背後からドサッ! という物音が聞こえたので振り返ると、ファンシーだけどめちゃくちゃ場所を取りそうな大きなぬいぐるみやらボードゲームなど、おもちゃというおもちゃを床にバラまいたらしいお兄ちゃんが立っていた。……ちびっ子たちのおもちゃだと思いたいけれど、ぬいぐるみのキャラクターに見覚えがある……わたしが欲しがってたやつ…………子どもの頃にね! それこそいまつるちゃんくらいの頃にね!
 まさかだけど万一のために、わたしのじゃないよね……? と聞く前に、お兄ちゃんが体をわなわな震わせながら絶叫した。場合によっては絶叫したいのはこっちである。

 「おい研修は中止だッ!!!! 見習いはどこにいる?! さっさと帰せッ!!!!」

 …………?!?!

 「え゛っ?! 何言ってるのお兄ちゃん!」

 すると、いまつるちゃんがわたしの手をぶんぶん上下に振りながら、「ひめが、どうしてみならいなんかにえんりょしなくてはならないんですか!」とムスッとした顔で言う。ここまでなら、笑ってなんとか言ってきかせればいいよね、いまつるちゃんは賢い子だから〜とのんびりもできたのだけれど、「あるじさま、いますぐおいだしましょう!」とかキリッと言われてしまったら笑っていられない。ちびっ子と侮ることなかれ。いまつるちゃんは、とても、賢い。下手したらその辺の大人よりも賢い。この本丸の一部の大人よりは確実に賢い。
 その“一部の大人”のうちに含まれている三日月さんが、「や、おまえの家はこの本丸だぞ。心配するな、じじいがすぐに片付けてやるからな。主、それでよいな?」なんてことを言い出すので、こんなにも責任感がないのになぜ研修を任されたの? という。というか“片付ける”とは。いやいや、そもそも社長であるはずのお兄ちゃんが……頭を抱えるしかない。

 「待って待っていまつるちゃんも三日月さんも何を――」

 「ちゃんが、お兄ちゃんすごいって言ってくれたから……だからめんどくせえ研修引き受けたのに……! でもその間はちゃんに会えないってことなら話は別だよ!!!! 中止だそんなモンッ!!!!」

 「えええええっ、えっ、そんな、え、うそでしょ?!」

 頭を抱えるとかそんなレベルの問題ではなかった。もう困惑。困ったどうしよう〜! っていう感じじゃない。ほとほと困り果ててどうしようもなく行き詰まってしまい、困りに困ったという困惑である。
 待って待って〜社長として――というか社会人として兄がとんでもなく欠落してしまっているぞどうしたら〜〜!
 冷や汗をだらだらさせつつ、どうにかしないとマズイ、そしてどうにかできるのは多分(絶対)わたしだけ。
 このプレッシャーに耐え忍びながら、何かいい案はないかとあれこれ頭を悩ますわたしなど、スイッチが入ってしまったらしいお兄ちゃんには見えていない。

 「おい髭切ッ!」

 お兄ちゃんの声に、すぐ「はぁい」と返事がしたと思ったら、のんびりと髭切さんがやってきた。相変わらず、思わずこちらまでなごんでしまいそうな柔らかい微笑みを浮かべている。いや、うん、でも今そういうわけにはいかないので、さすがにわたしも作り笑いすらむずかしいぞ……!
 まぁとにかく(中身はないけれど)状況を説明して、お兄ちゃんの暴走を止め「見習いを追い出せばいいんだね? あはは、うんうん、そのほうがいいよ。姫が帰ってきてくれなくなっちゃうなら、見習いなんかいたって邪魔なだけだもんねえ」…………はいっ?!

 「?!?! えっうそでしょ?!?! ストップストップ待って髭切さん!!!!」

 くるりと踵を返して、すたすた歩き出した髭切さんの腕を引っ掴むと、なんでだか機嫌良さそうに「うん? なぁに、姫」と――いや止まってくれないかなこの人?!?! なんで腕掴まれてまで引きとめられてるのに止まってくれないの?!?!
 ああもうしょうがない!!!!

 「帰ってきます! ここに帰ってきますから研修ちゃんとやってください!!!!」

 もうやけっぱちに叫んだわたしに、髭切さんはようやく足を止めた。けれど、不満そうに眉を寄せて「ええ? ……どうする? 主」と……いやなんで不満? いや不満でもいいけど仕事は仕事でしょどうするってどういう……? あれっなんかわたしの言ってることがわがままみたいに聞こえてますか……? …………困惑の色を隠せない……。だが、これを逃したらどうすればいいんだかも分からないんだ……!
 わたしは引きつる表情筋をなんとかして笑顔を作った。
 あ〜〜こんなこと言いたくないんだよなぁ〜! なんでってお兄ちゃんが調子に乗るからなんだけど、ここは調子に乗ってもらわないと……! とわたしは意を決して口を開いた。

 「……お、お兄ちゃん、研修を任されるくらい評価されてるんだよね? それってほんとすごいことだと思うよわたし! ほんと――自慢のお兄ちゃんだよ! だから研修はちゃんとしてあげよう?」

 「オッケー分かった! お兄ちゃん頑張るよぉ〜!」

 ……わたしが言うのもなんだけどお兄ちゃんチョロすぎでしょ……。




 鶴丸に連れられて厨にやってくると…………お茶の支度をしている一期一振がいた。こっちを振り返りもせずに、「鶴丸殿、いかがされました? 当番でもないのに、あなたが厨に顔を出すなど」なんて言って手も止めない。ホンット顔はいいのに洗脳されちゃってまぁヤバイ。
 その点、鶴丸は違う。
 ちらりと隣を窺うと、流し目でアタシを確認してから、口端をくっと持ち上げて笑った。
 アタシは一期みたいな王子様って感じの男がタイプだけど、鶴丸だって顔はイイし、話に聞いてたのと違って落ち着いてて、しかも色っぽい感じがすごくイイ! まぁ最終的には一期のことだってまともな、フツーの“一期一振”に戻してあげるし、そしたらアタシだけのカンペキな王子様になるんだけど。
 思わず口元を歪めそうになって、慌てて唇を噛んだけれど、一期はお茶の支度に夢中で振り返りゃしないし、鶴丸もそれを覗き込んでいてこっちに気づいた様子はない。

 「いやなに、そろそろ光坊たちが夕餉の支度を始めるだろう?」

 光坊――確か燭台切光忠のことよね。うふふ、政府の施設見学で一度見たことがあるけど、見た感じはクールなのに言葉は優しいし、振る舞いはカッコイイし、文句のつけようない正統派のイケメンだった。アタシは見習いで、一ヶ月もココにいるんだから……手取り足取り、色んなコト教えてくれそう……。
 一期はやっとこっちを振り返ったと思うと、「ええ、お嬢様にお出しするものに関しては、手抜きなど一切許されませんからな。私も燭台切殿たちと同じ気持ちでおりますから、よく分かります」とかまた頭おかしいこと言って……ホント、これさえどうにかすればカンペキなのに……。でも今はなんとかガマンして「それで、見習い殿はどうされましたかな?」…………。

 「えっ、私は鶴丸さんに連れてこられただけで――」

 鶴丸がアタシを庇うように、ぽんと肩を叩いて笑った。……やっぱり鶴丸はおかしくなってない刀剣なんだわ……。
 鶴丸の羽織りの裾をきゅっと握ると、アタシの手をそっと掴んだ。思わずその手に触れてみたら……やだ、細いほうだから軟弱なイメージすらあったのに、案外しっかりした手だ……。

 「三日月から見習い殿の世話を引き受けたんだ。彼女は随分と熱心らしくてな。三日月が自ら手ほどきをしてやろうとしていた」

 まったく感心なことだよなぁと言って、鶴丸の手がアタシの手をそっと外した。あっと思う前に、鶴丸は「そういうわけだから、それならまずはここへ連れてくるべきだと思ってな」と言って目を細める。その目をじっと見つめ返したかと思うと、一期はおいしそうなチョコレートとかわいいティーセットの載ったトレーを持ち上げて、ふと笑った。……ホント、顔はピカイチなのに……。

 「左様でございますか。では、私は失礼させていただきます。これをお嬢様にお出ししなければなりませんからな」

 これだもん、ホンットない。まぁ元に戻してあげるけど、だからってこの印象が消えるってことはしばらくなさそうなくらいドン引いてるし――“”って女、許せない。
 「あぁ、早く行ってやれ」と鶴丸がひらひら手を振って一期を見送っていると、ドンッと後ろからぶつかられた。鶴丸が支えてくれたからいいけど……ケガでもしたらどうしてくれんのよ!!

 「お、光坊。ちょいと頼みたいことがあるんだが」

 はっと振り返ると、燭台切光忠が難しい顔をして…………待って? 手に持ってるの野菜? ……料理ができる個体が多いって聞いたことはあるけど……全ッ然似合わな「なに鶴さん今忙しいんだけど! ちょっとちょっと邪魔だよどいて!」とキツイ視線を送られて、アタシは思わず「えっ、あっ、ごめんなさい、」……いやなんでアタシが謝んなきゃいけないわけ?! ぶつかってきたのそっちでしょ?!
 体を支えてくれた鶴丸が、アタシをしっかり立たせて溜め息を吐いた。

 「おいおい、雑に扱ってくれるなよ。彼女は今日から一月、ここで面倒を見てやる見習い殿だぞ」

 ……ホント、鶴丸ってばすっごいイイ男じゃん……! アタシがここの主になったら、やっぱり一番最初の近侍は鶴丸にしてあげよっかなぁ……。
 そっと鶴丸に寄り添って、甘い声で名前を呼ぼうと口を開きかけたところで、鶴丸はアタシに向かってからかうような笑顔を向けた。

 「熱心な見習い殿らしいからな、おまえの好きなように使ってやれ、光坊。皿洗いでも配膳でも、喜んで働いてくれるさ。なぁ?」

 ……ッはァ?!?!

 「……はっ?!」

 アタシの王子様の一人になるはずの光忠は、ぱっと笑顔を浮かべて――重ったいじゃがいもだのにんじんだのが入ってるカゴを押しつけてきた。

 「あっそれならこのじゃがいもの皮、むいてくれる? それが終わったらにんじんね」

 引きつる口元をなんとか動かして、「な、なんで私がそんなこと――」と言いかけると、鶴丸が唇を歪めて鼻で笑った。

 「きみ、ここへは修行にきたんだろう? この本丸ではおひいさんを何よりも優先しろと、一期に教わったはずだぜ。ここで修行するんなら、きみもまずはおひいさんのために働いてくれるはずだよなぁ? なに、夕餉には呼んでやるし、おひいさんにも挨拶くらいはさせてやる。――励めよ、見習い殿」

 鶴丸はそう言うとアタシにさっさと背を向けて、厨を出ようと足を進める。

 「ちょっ、ちょっと待ってよッ! アタシは審神者の修行をしに――」

 慌ててそれを引き止めようと上げた声は、光忠の声にかき消された。

 「さっさと手を動かしてくれる?! 遊び気分で厨に立たれても困るよ! きみ、見習いなんだよね? ちゃんに料理を出すってことがどういうことなのか、僕がよく教えてあげるからまずは目の前のことに集中してくれるかな?!」

 うそでしょこの光忠も頭おかしいワケ?! 聞いてないッ!
 バカらしいったらないわこんなの、と腕組みして睨み上げる。

 「そんなくだらないことアタシに必要な――」
 「くだらないかそうでないかはきみが決めることじゃないから早く手を動かしてくれる?」

 怒りでぶるぶる握りこぶしを震わせていると、「何を騒いでいるんだい?」と眉間に皺を寄せた歌仙兼定がやってきた。
 これで助かる! 泣きついてやろう! と思ったのに。

 「もうは戻っているんだ、のんびりしている時間は――あぁそうか、見習いがやってくるのは今日だったね」

 ちらりとこっちを見たかと思えば、すぐに興味なさそうに視線を逸らして、しかも溜め息まで吐いた。

 「まったく、主にも困ったものだよ。他人がうろうろしていては、も寛げないだろうに……」

 なんでそんなこと言われなくちゃなんないのよ! アタシは研修でココに来たんだけど?! と怒鳴ってやろうと思ったけど、やっぱり光忠がそれをさせなかった。

 「あぁ、いいのいいの! 彼女はすごく熱心らしくてね、ちゃんのために働きたいんだって。でもその心構えが甘いからね、よく教えてやってって鶴さんがここに寄越したんだよ」

 何が“いい”のよバカにしてんの?! いや、これも“”のおかしい呪術のせいなのは分かってるけど、だからってこんな頭おかしくなるって気色悪いでしょ?! アタシはお姫様扱いされたいと思ってるけど、こういうのとは違う!!!! “”って女もおかしいんじゃないの?!?!
 歌仙は一つ頷いて、それから「へえ、そういうことなら話は別だ。初期刀として、の今日までの歩みを守る審神者とは如何に重要な役目を負っているか、この僕が一から十までみっちり仕込んで差し上げよう」

 …………。
 ホント……ホンット冗談じゃないわよこんなコト! 誰にモノ言ってると思ってんの?! アタシはココの主になるっていうのに、どいつもこいつも全然アタシのコト大事にしてくれな「ねえ早く手を動かしてって僕言ったよね? 突っ立ってないで早くして! 今日はちゃんの大好きな肉じゃがなんだから!!」

 「はっ?! ちょっと待っ――」
 「邪魔だ、どいてくれ。すまない、遅くなった」

 今度は何よッ?! とぐりっと振り返る。……なんなのこの山姥切国広……布がないんだけど……。

 「あぁ山姥切くん! ちょうどよかった! 皮むきやってくれるかな? 僕、まだ食後のデザート終わってないから! もうちゃん帰ってきてるんだよ!」

 「分かった」

 さっさと皮むきを始めた山姥切の様子(主に布がないこと)に唖然としていると、後ろからバタバタやってきた人の気配に振り返った。彼も初期刀で選べる――加州清光だ。

 「あ、山姥切布どうしたの? ってか、あ、厨当番今日一緒か。やっぱに食べさせるならねー、衛生面大事よねー。ってじゃないや、ごめんごめんお待たせ〜! に買った新しいシャンプー探してたら、ちょうどと会って…………は? 何、誰このブス」

 今なんて言ったのコイツ。

 「っはァ?!」

 声を上げたアタシに不快そうに眉を寄せて、そのままかわいくない顔でメンチ切ってくるとかどうなってるワケ?! コイツもアタシが習った“加州清光”と全ッ然違うんだけど?!

 「あ゛? なんなの、マジでかわいくないんだけど。っていうかジャマだからどいてくれるー?」

 さっさとアタシのそばを通り抜けて、加州はエプロンをすると流しで手を洗い始めた。その隣で、前髪を結った歌仙が「の様子はどうだった?」と尋ねる。
 どいつもこいつも“”“”ってマジうるさいけど、ここまで気にしてると若干気味悪いっていうか、アタシはお姫様にはなりたいけど、ホントこんな過干渉とは違うしそんなのマジ無理ほっといてっていう。なのにこんな環境の中で平気な顔してるらしい“”の感性を疑う。
 加州は上目遣いに空を見上げると、「あー、なんか疲れてるっぽかった」と言った。すると全員の手が一瞬止まる。

 「主がどうのとか言ってたけど、シャンプー渡したらにこにこしてたよ。ってそういうとこかわいいよねー」

 安心したような溜め息がみっつ聞こえることにげんなりしつつ、柔らかい笑顔を浮かべる歌仙に少し――ほんっっっっのちょっとだけときめいてしまった。全員顔はいいからただキモイとも言えないのが悔しい。まぁおかしな術さえ解けば、みーんなアタシの王子様になるわけだし、そうなれば頭も正常になるんだからいいけど!

 「ふふ、あの子は優しい子だからね。きみが一生懸命、自分のために選んでくれたと分かっているからさ」

 「……まぁねっ! さーて、じゃあのために頑張っちゃうよ〜。俺は何すればいい?」

 「僕は味噌汁の支度をするから、煮浸しをお願いするよ」

 「オッケー」

 和やかに会話を終えた二人は、さっさと手を動かし始めて――え?

 「ちょ、ちょっと、」

 思わずうろたえた声を出すアタシに、山姥切が「おい、さっさと手を動かしてくれないか? 作業が進まない」とこっちを見もしないで言った。なんなの皮むきのペースすごい速いけどアンタ本業は刀で戦うことが使命でしょ?!
 ――っていうか!!!!

 「だからなんでアタシがこんな雑用――」
 「ねえもうホンット時間ないから早くしてくれる?!」

 ……鬼の形相の光忠に、アタシは唇を噛んで叫んだ。

 「〜っ分かったわよ! やればいいんでしょやればッ!」




 まぁ意味の分からないことを言われるのは時々あるし、それならまだマシなほうで意味が分からないどころじゃない話だってあるので、わたしはにこにこと柔らかい笑顔を浮かべる髭切さんの発言にももう驚くことはない。なんたってこの人、弟さんの名前が出てこないような人なので。

 「ねえ姫、今日は僕が近侍だから、僕が隣に座っていいよね?」

 さて、毎週誰かしらに今日は“キンジ”なんだ! と嬉しそうに報告されるけれど、ごめんね、わたしその“キンジ”っていうのが何なのかよく分かってないし、だから髭切さんの言ってることもよく分からないです。
 髭切さんの後ろで、三日月さんがじたばたしながら「の隣はこの俺だ! や、じじいが隣がいいな? うん?」と…………。

 「いや、どっちでもいいですよ別に……」

 溜め息を吐けば、向かいに座っている岩融さんがちらりと、わたしの隣のいまつるちゃんを複雑そうな目で見つめる。

 「今剣よ、譲ってやってはどうだ? うるさくて適わんぞ」

 いや、ちびっ子に席を譲らせるとかそんな……このおじいちゃんたちは甘やかすとろくなことにならないですよと言いたいが、さすがにご本人たちの前でそんなことは言えない。
 いまつるちゃんはわたしの腕にぎゅっと抱きつくと、ふんす! といった感じで「ぼくはいつも、ひめのおしょくじのおせわをしています。ゆずるもなにも、ここはぼくのせきです」と、どーん! と胸を張った。

 「ねっ、ひめ!」

 見上げてくるまぁるい瞳を見つめ返して、わたしは機嫌良く頷く。いまつるちゃんはほんとに天使である。大変かわいい。

 「うんうん、いまつるちゃんがいつもお世話してくれてるよ〜」

 そこで、あら? と気づく。もうみんな食事の時間だと、わらわらこの大広間に集まってきているけれど――。

 「ねえ、研修生は? 食事は一緒にしないの?」

 「見習い殿はとても熱心でなぁ」と言いながら、やってきた鶴丸さんが岩融さんの隣に腰を下ろした。口端が楽しそうに持ち上がっている。

 「集団生活に慣れるためにも、厨を手伝っているんだ。光坊と歌仙が面倒を見てやってるから、何も心配することはないさ」

 まぁ確かに、一ヶ月も住み込みで研修するわけだし、(お兄ちゃんの仕事って結局さっぱりだけど)研修そのものの前に、まずこの環境に慣れるのも大切だろう。……ただでさえ本丸って不思議に満ちてるし、ここにいる人たちって変わってる人多いし……。

 「そうなんですねぇ……。うん、ならいいんですけど」

 いや、あんまり良くない。なんでってそんな大変な研修受けてる会社にまったくの無関係な人間がいて、何もお手伝いせずにいるとか……この人なんなの? と思われても仕方ないというか、その反応が当たり前である。……居づらいとしか言いようないよな〜! やっぱり研修中はわたしここ来ないほうがいいんじゃないかな〜〜?
 しかし、一体どうやってお兄ちゃんを説得すればいいのか……研修中止にするとか言い出すんだよあの人……と思いながらお茶を啜ると、御膳を持った光忠さんが笑顔でこちらに近づいてきた。うわあ、今日もおいしそう……最高級の食材をプロに勝るとも劣らない才能の持ち主が調理……うう、やはりわたしは食費(食材費はもちろん、調理に対する対価も上乗せ)を渡さなくてはいけないぞ……。

 「ちゃん、待たせたね! 今日は肉じゃがだよ。好きなだけ食べてね」

 ほかほかと温かい湯気と一緒に、おいしそうな匂いがふわっと香る。目の前に置かれた御膳はどう考えてもお料理屋さんで出てくるレベル。しかも、おいしそうなだけじゃない。器までお高そう(いつも違う食器が使われている)で、ほんとわたし実家(とは正確に言うと違うけど)に顔出すだけ(しかも毎週)なのに、なんでこんなものすごいおもてなし受けちゃってるんだろう……。

 「おかえり、

 柔らかな微笑みを浮かべながら、歌仙さんが新しいお茶を出してくれる。
 毎回お料理の食器に合わせて、湯呑みごと新しいお茶に変えてくれるのだけれど……ほんとそこまでしてもらわなくていいです、洗い物を増やしてしまうし(わたしにお手伝いもさせてくれないし)と以前丁重にお断りしたら、「姫たるきみに、そんな雅でない食事をさせるわけにはいかない」という謎回答が返ってきた。雅に並々ならぬこだわりのある歌仙さんにそう言われては、わたしはなんとも言えないので以来大人しくしている。納得はまったくしていない。

 「はい、戻りました。今日もすごくおいしそうですね、ありがとうございます。……いつもすみません、わたしもお手伝いしなきゃいけな――」

 わたしに最後まで言わせることもなく、ママ(光忠さん)はクワッと目を見開いて声を上げた。

 「ちゃんはそんなことしなくていいの! 毎日お仕事で疲れてるんだから、余計なことは気にしないで甘えて!」

 「は、はあ……」

 溜め息のような返事をしつつ、わたしの言ってることって至極当たり前のことで、全然まったく“余計”なことではないんじゃないかな……。だってちびっ子たちだってお台所のお手伝いしてるって、わたし知ってるんですよ……なのになぜ大の大人のわたしがただ座っておもてなしされるの……。これが何年振りの帰省で〜とかならまだ分かるけれど、わたし毎週来てるでしょ……? 働かざるもの食うべからずだよ……。
 まぁ言ったところで聞いてくれる人なんていないのは分かってるけど……と、また溜め息を吐く。それに被さるような感じで、後ろを振り返った歌仙さんが、「さぁ、きみも配膳を終えたら席に着いてくれ。研修に来たからにはしっかり働きたまえ。これ以上を待たせるわけにはいかない」と――。

 「っ散々! 人をこき使っておいて何を――」

 あれ、こんな女の子、本丸で見たことないなぁ…………ん゛?! 研修に来た……ってことは、あら?!?!

 「え、あなたが研修生……? えっ、まだ高校生とかじゃないの?!」

 思わず大きな声で驚いたわたしに、斜向かいの鶴丸さんが低く笑った。

 「っく、言ったろう? 彼女は熱心なんだ。とてもな」

 どういう経緯でここで研修を受けるってことになったのか、仕事そのものが謎なので分からないけど、それにしたってすごい……。この本丸にいる子どもたちってみんな(一部の大人よりよっぽど)しっかりしてるけど、この子も向上心のある良い子なんだろう。すごい。なのに教える側の大人たちに圧倒的不安感。

 「え〜、じゃあ社会勉強みたいな感じなの? すごいねえ。わたしが高校生の時なんか、遊んでばっかりだったよ」

 「……そ、そうですね……そんな、感じです……」

 困ったような、少し疲れの見える表情だけれど……初日からお台所の手伝いまでしてるんだし、そりゃ当然だ……えらい……と感心する。
 この本丸は女子力が高い子はいるけれど、正真正銘の女の子はいない男所帯だし、そうでなくても女子高生なんて若い女の子と関わることなんてないし、ちょっと嬉しい。いや、彼女は勉強しに来ているわけだから、わたしがちょっかいかけるわけにはいかないけれど。少しお話ししたり、そもそも一ヶ月も男所帯で生活するわけだから…………え? 大丈夫……? わたしが相談に乗れることがあれば、なんでも聞いてあげたい……というか聞いてあげるべきじゃないかなこれ……。彼女、清光くんと同じくらいの年齢かもしれないけど……彼がいくら女子力充分でも男の子だし……。
何かあったら言ってね、くらいのことは声かけてもいいかな…………会社についてはまったくの部外者なんだけど。

 「これで全員揃ったね。主、号令を」

 歌仙さんの声にはっとすると、お兄ちゃんが「よし、食うぞ! ――いただきます!」と声を上げる。それに続いた「いただきます!」の後、あちこちから楽しげな話し声がしてくる。
 うーん、いつも一人だし、こうやって賑やかな食卓っていいなあ……。

 「〜ッちょっと……あの――!」

 顔を上げようとすると、「姫」と隣の髭切さんがわたしの頬をつついてきた。にこにこと笑顔を浮かべて、肉じゃがの器をそっと指差す。

 「ほら、僕のじゃがいももお食べ」
 「えっ、髭切さんが食べてくださいよ」

 ……もしかしなくとも嫌いだから押しつけようとか思ってるのかな??
 髭切さんはきょとんとして首を傾げた。

 「どうして? 肉じゃがのじゃがいもが特に好きでしょ?」

 いや、どうしてってどうして???? と思いつつ、「いやいやお行儀悪いですよ、ちびっ子もいるんですからね」と言ったのだけれど、「あ、僕が食べさせてあげようか。ほら、お食べ」というお返事なのでわたしの言いたいことは伝わらないのだと思う……。

 「……シカトしないでくれる?!?!」

 えっ、と思って振り返ると、研修生が眉間にぐっと皺を寄せて――。

 「あっ、えっ、あ、わたし?! えっ、えーと、あっ、自己紹介してなかったね! ごめんね! わたし、ここの社長の妹なの。……わ、訳あって、週末だけここでお世話になってるから、顔を合わせる機会はあると思うんだけど……会社のことには何も関わってないから、何か教えてあげたりとかはできないです。でも、研修生があなたみたいなかわいい女の子でびっくりしちゃった! 良ければ仲良くしてね」

 やばいやばい、部外者のわたしのほうからきちんと挨拶すべきだったよね、ごめんなさい……と頭を下げつつ、わたしの(微妙すぎる)立場と、何かあれば遠慮せず声かけてね〜ということを笑顔で伝えたのだけれど、きっとものすごく真面目なんだろう研修生は、ますます眉間の皺を深めた。

 「……審神者様の妹ってだけで、どうして本丸に出入りするんですか? 何も関わってないなら、ここにいる理由ないですよね」

 …………ごもっとも! さすが高校生で社会勉強のために研修受けるだけある!!!!

 「だよね?! そうだよね〜! うん、わたしもそう思う! なんにもできないのにお世話になっちゃって、ほんと申し訳なくって……。やっぱり住み込みで仕事してるっていうのに、部外者がちょくちょく出入りしてるって嫌だよね……。ほんと、これどうにかしなくちゃとは思ってるんだけど――」

 「じゃあ、今すぐ出ていってくれる?」

 ひやりとした声を出したのは、髭切さんだった。恐る恐るその表情を窺うと、いつもと変わりない笑顔だ。
 「おい、兄者」という膝丸さんの声が、どこからか聞こえる。
 わたしが口を開く前に、髭切さんは言った。

 「僕もずっと言いたかったんだけど、姫が研修をしてやれって言うから黙ってたんだよね。もちろん、僕も本丸に部外者が出入りするなんて反対だよ。きみも同じ考えなら話は早い。さぁ、今すぐ出ていって」

 ……お、おっとこれは〜〜!

 「は、」という吐息のような声を漏らす研修生に対して、髭切さんはすうっと目を細めた。
 え、えーと……ど、どうしちゃったのかな……? ……もしやこれが研修生への“洗礼”とかそんな……。

 「そもそも、主に教えを乞おうって気が感じられないんだよねぇ、きみ。姫を守る気のない人間なんて、ここには必要ないし――鬼だなんて、なおのこと……いらないよね」

 研修生が「ひっ……!」と息を呑んだ。
 んんん、これはあまりにもドぎつい洗礼じゃないかな?! と思ったわたしは、ついつい口を出してしまった。

 「また髭切さんはそういうことを……。ごめんね、この人ちょっと……うーん……だいぶ……ぐ、具体的に言うと弟さんの名前が咄嗟に出てこないような変わってる人だから、言うこといちいち本気にしないでね! 髭切さんも、こんなかわいい子に――」

 「ねえ

 少し遠い席から、清光くんが声をかけてくる。
 このタイミングで何かな……? と思いつつ、清光くんは研修生とは年が近そうだし、よく気がつく子である。何かフォローしてくれるつもりなのかな? と「うん? なぁに、清光くん」と返事すると――。

 「まさか俺よりかわいいとか言わないよね」

 …………。

 「へっ、」

 すかさず「ちゃん、加州さんとボクが一番かわいいよね」という乱ちゃんの声が飛んできた。
 お、おおっと〜? とわたしは苦笑いしつつ、いつもわたしにくっついてくる二人のことである。珍しく女の子(本物)がいるから、わたしが構わなくなるとか思ってるのかな? なんてちょっと微笑ましい。でもなんだろう、この浮気を咎められているような気分は。

 「えっ、いや、そういうのとはまた違うよ〜。ほら、女子高生と関わることなんてないし、わたし妹がほしかったから――」

 「ちょっと、そこのブス」

 清光くんのまさかの発言に、ん゛?! と喉を詰まらせたのだけれど、続けて乱ちゃんが「加州さんったら、ダメだよ? 人ってホントのホントのホンット〜の真実を指摘されると、何も言えなくなっちゃうんだから。ね? 見習いさん」とか言い出すのでちょっと待ってちょっと待って〜〜?! なんでケンカ腰……というかこれはもうケンカ売っちゃってるぞ〜〜!
 研修生はものすごい剣幕で声を荒げた。
 ……こ、これは……どうしよう……。

 「っは?! ブスじゃないから返事なんかする必要ないでしょ?! っていうかブスにブスとか言われたくないわ」

 「あ゛? に妹ほしかったとか言われて自分のこととか思ってんの? 違うから。お世辞だから。一月ここにいるからっては気を使ってんの。社交辞令。アンタがかわいいわけないじゃん鏡見たことないわけ?」

 「はァ?! アンタこそ鏡見たことないわけ? 男のくせにネイルとかかわいいとか思ってんの? 全然かわいくないんだけど。自分で似合ってるとか思っちゃってるわけ? 超イタイ子じゃん」

 待って待って〜〜これは大変だぞ〜〜! そして誰も何も言わないぞなんでかな止めようよ〜〜!!!!

 「えっ、えっ、」

 うろたえるわたしに、「……!」と清光くんが駆け寄ってきた。

 「はっ、ハイッ!」

 わたしの両手をそっと握って、清光くんがじっと見つめてくる。

 「俺、かわいくない……? このドブスよりかわいくないの……?」

 …………。

 「清光くんは世界一かわいいよ! リアルJKにも負けてない!!!!」

 言ってから、あっ今のこのタイミングではどう考えても最悪のコメント……! と思わず頭を抱えた。
 「オラ聞いたかドブスッ!!!! せめて見れる程度にデコってから出直してこいよ!!!!」という清光くんの声に、これはますますヤバイ……とさらに俯くわたし……。どうしようわたしもお兄ちゃんを代表とする一部の大人たち(戦力外)の仲間入りでは……?

 「〜っちょっと! アタシがコイツより劣ってるって言いたいわけ?! 何様なのよアンタ!」

 完全に怒り心頭な研修生に、わたしは申し訳ない気持ちでいっぱいである……今のはどう考えてもわたしが悪いね……。でも、わたし(の発言)が悪いにしても、研修初日に問題を起こしては大変だ。
 ここはわたしがなんとか取り持とうと口を開きかけたところで、「大体さぁ、ここの審神者の妹だからなんなの? チヤホヤされてるからってチョーシ乗ってない? ババアのくせに!」と…………。

 「……、そ、れは、」

 どうしよう女子高生に言われちゃあババアとか否定のしようがない……。
 言葉に詰まっていると、ぱんぱんっと手を打つ音が。立ち上がった堀川くんだ。

 「はいはいはいはいお料理冷めちゃうからまずはご飯食べようね。話はその後! ちゃん、早く食べて!」

 「うっ、うん、そうだね……」

 き、気まずいな〜〜……と思いながらも、へらっと笑うと――。

 「――悪いが、俺は食う気が失せた。、茶を淹れてやろう。厨へ行こうか」

 そう言って立ち上がった鶯丸さんがこちらへ近づいてくる。

 「えっ、あ、いや、わたしは、」と答えに窮しているわたしに、光忠さんが「いいよちゃん。後で部屋まで持っていくから、ゆっくり食べて。ここは任せてくれていいから」と声をかけてくる。
 そして、いまつるちゃんが静かに「まえだ」と言うと、シュバッ! と前田くんが現れた。相変わらずの超スピードで瞬間移動かと思ってしまった。

 「はい! お嬢様、お供は僕がいたします。参りましょう」
 「えっ、前田くんご飯食べな?! いいんだよそんなことしなくて!」

 えっえっなんか大事になってしまっている……! と震えるわたしの手を、いまつるちゃんがそっと握る。

 「ぼくもおそばにいたいですが――みのほどしらずに、よくおしえてやらねばなりません。ひめはなにもきにせず、うぐいすまるとちゃをのんでいてください」

 「えっえっ、いや、いまつるちゃん、あの、」

 「――ちゃん、行ってくれ」

 一番奥のお誕生日席に座るお兄ちゃんが、静かな声で言った。

 「お兄ちゃ――」

 「おい、野郎ども……この研修、みっちりやるぞ……。歌仙、マニュアル持ってこい。それから資料あるだけ全部だ」

 静まり返っている中、お兄ちゃんの硬い声を受けて立ち上がると、歌仙さんは「もちろんだよ」と応えて、大広間を出ていった。
 えっ、え〜……どうしよう〜……と思いながらも何も言えない(だって何言ったらいいの……)でいると、お兄ちゃんがザッと勢いよく立ち上がった。

 「見習い」
 「っな、何よ!」
 「俺がおまえを立派な審神者にしてやる。弱音なんか一切許さねえぞ」

 ど、どういうこっちゃそれは今言うことなのかな〜?! この空気をなんとかするんじゃなくて〜〜?? と冷や汗をかいていると、いつの間にか背後にきていた鶯丸さんに「さぁ、行くぞ」と声をかけられて――。

 「えっ……は、はい……あ、あの、じゃあ、すみません……失礼します……」

 こう返事して素直に退出以外、わたしには思いつかなかった……。






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