「……え? 今なんて?」

 おかしいな、まだそんな現象に遭遇するほど歳を重ねたつもりはないというか、まだ二十代だし全然若いつもりでいるけど、もしかしなくとも私の耳はもう遠くなってしまったのかな????
 お母さんはとてもご機嫌だ。今にも鼻歌でも歌いそうな声音で「だからね、お父さんの高校の同級生の息子さん、ちゃんにどうかなって」と言って、おいしそうなマドレーヌを手に取った。今食べたら喉を詰まらせそうなので、わたしは遠慮しておこう。
 とりあえず紅茶を一口飲んでから、わたしは慎重に口を開いた。

 「ど、どうかなってどういう意味……?」

 「お見合いよお見合い〜。どこだったか忘れちゃったけど、国立大を出てお勤め先は外資系の企業でね、三ヶ国語も話せるんですって〜。それで日取りなんだけど――」

 …………わたしは今ものすごく重要な話をされているようだけど、お母さんがご機嫌すぎてこの話がどこまでほんとなのか判断できない……というか。

 「ちょっと待って。……お見合い?」
 「そうよ〜」
 「誰が?」
 「ちゃんが」

 …………。

 「いやなんでわたし。順番的にお見合いならまずお兄ちゃんでしょ」

 いつまでも妹に構ってたってしょうがないんだから、早くかわいいお嫁さんを迎えるべきである。そうしたらわたしが自由にできることがとても増える。つまり、ほんとの意味での自由恋愛を楽しむこともできるようになるわけだから、結婚はそういうタイミングがあればいつかする。逆に言えばお兄ちゃんが片付いて妹離れをしなければ、わたしに婚期というものは訪れない。
 お母さんはにこにこしながら、「お相手は男性だもの、お兄ちゃんじゃあダメでしょ」と言った。そこまでなら、なるほどそういうことならそれもそうだな、で終われたのだけれど、「それにあの子はちゃんがいればいいから結婚なんてしないって言うし……ママ、そろそろかわいい孫を抱っこしたいな」なんて言うから膝から崩れ落ちそうになった。

 「いやお兄ちゃんがそれだからお見合いさせるならお兄ちゃんでしょ! っていうかお兄ちゃんそんなこと言ってるの?!」

 お兄ちゃんの病(シスコン)は確かにもう治療不可能なステージにまで進行してしまっているけれど、だからこそお見合いでもいいから出会いというものを与えて他に目を向けさせるということが何よりも大事だと思うのですが。というかお兄ちゃんは何をバカなことを言ってるのかな……。結婚したくないにしても、わたしを理由にするのはやめてほしい。それだからお母さんがわたしのほうにお見合いなんて話を持ってくるのだ。
けれど、痛いところを衝かれてしまった……。

 「もうお兄ちゃんには期待してないのよ〜。だってあの子本当にちゃんのことばっかりで……。それにちゃん、今彼氏いないでしょ?」

 ……彼氏……何年いなかったかな……。前の彼氏のことがぱっと思い出せないあたり、ものすごく昔の話なのではなかろうか……。指先が自然と震えてくる……。

 「う゛っ……そ、そうだけど、それとこれとは――」

 「ならいいじゃない〜。一度会うだけでも、ね? 気が合えば良い御縁だし、ゴールインだって夢じゃないわよ〜。ママ楽しみだわぁ、ちゃんの結婚式」

 そんな簡単な話じゃないでしょ……と思いながら、「あのね、お母さん、わたしは――」と言いかけたところで、バンッ! とものすごい音がした。……どうやらドアを思いっきり閉めた音らしい。……なんてことだ……。

 「どこのビチグソポンコツファッキン野郎だ俺のちゃんを不幸にしようとしている男は……」

 わたしが思うに相手を不幸にしようと思ってわざわざ結婚する人はいないのではというか、“この手の話を耳に入れたら憤死してしまうかもしれないお兄ちゃんランキング”というものがあれば結構いい線いきそうな家のお兄ちゃんが、なぜこのタイミングでリビングに現れるのか。
 お母さんは鬼の形相のお兄ちゃんにもにこにこ笑って、のんびりと「あらお兄ちゃん〜。今日のお仕事は? もう終わり?」と紅茶を啜っている。
 お兄ちゃんはズカズカとこちらへ寄ってくると、テーブルを強く殴りつけた。思わずテーブルの脚が折れたんじゃないかと心配になって、下を覗き込んだ。そんなことそうそう起こるわけないと思うけれど、お兄ちゃんならやりかねないという不安からの行動である。よかった、折れてない。

 「仕事なんかしてられるかッ! おい母さんどういうことだッ!! 俺の……俺のちゃんが結婚?! そんなモンさせるかッ!!!! ちゃんはなぁ! 俺がこの生涯をかけて幸せにするって決まってんだよッ!!!! 他人なんかに俺のちゃんが幸せにできてたまるかッ!!!! ソイツはちゃんに何不自由ない生活を送らせてやれるのかッ?! ちゃんはお兄ちゃんの添い寝がないと寝れねえっていうのに……!!!!」

 どうしようお兄ちゃんの病(シスコン)は本当にファイナルステージらしい……。

 「ちょっと待ってお兄ちゃんそんなこと考えてたの? っていうか添い寝っていつの話してるのわたしこの家出て大分経ってるけど。お兄ちゃんの理屈だとこれまでわたしは一睡もしてないことになっちゃうよ……」

 確かに小さい時はそんなこともあった――というか、わたしが眠れずにお母さんのところへ行こうとすると、必ずお兄ちゃんが現れたのでそのまま添い寝してもらっていただけで、お兄ちゃんの添い寝じゃないと眠れないとかそういうことではなかったと思う。早い話、あっちょうどいいところに〜! みたいな感じだっただけで。というか添い寝がないと眠れないという事態はもうずっと前に卒業している。わたしはとっくに成長しきった大人だということを、お兄ちゃんにはそろそろ認識してもらいたい。いい加減してくれないと困る。

 「何ッ?! ちゃん眠れてないのか?! かわいそうに……! お兄ちゃんが添い寝してあげるからね! ねんねしようね!!」

 頬に手をあてながら深い溜め息を吐いて、お母さんが「ほらぁ〜、お兄ちゃんはこの調子だから〜〜」と言う。……確かに、としか言いようがない。
 これはもうどうしようもないな、とわたしは観念することにした。

 「あー、分かった、分かった、とりあえず落ち着こう。会うだけ会うから、お母さんはそれで満足でしょ? ――で、お兄ちゃん」

 思ったとおり、お兄ちゃんはわたしの両肩を揺さぶりながら、涙を堪えつつ必死に縋ってきた。

 「ちゃん! 会うだけなんてそんな都合のいい話はないよッ!! 相手の男がちゃんを前にして薄汚い野獣に――」

 「わたしお腹空いたな」

 わたしの言葉を聞いてぴたっと停止すると、お兄ちゃんはすぐに笑顔を浮かべた。

 「よしっ、今日はちゃんの大好きなハンバーグにしよう!!!! ちゃんのだけ特別に、チーズインハンバーグにしてもらおうね〜? お兄ちゃんが燭台切に頼んであげるからね〜〜」

 「うんうん、うれしいなぁ〜」

 家のお兄ちゃんはとても優秀なのに、シスコンという病のせいで大変頭が弱い。




 「……さて、始めるぞ」

 神妙な顔つきで、お兄ちゃんは呟いた。
 お夕飯が終わって片付けが済むと、全員が大広間に招集された。わたしも同席するようにと言われて座っているけれど、今すぐにでもどこかへ隠れたい。
 一体何を始めるのかというと、信じられないことにわたしがお見合いを受けるべきか否かの意見交換会である。本丸で。本丸にいる皆さんが意見を交わし合うわけである。わたしのお見合いについて。なぜ。

 「では、進行はこの歌仙兼定が務めさせていただく。書記はへし切長谷部に任せる。なお、この意見交換会は録音にてすべてを記録しているからそのつもりで。発言するものはまず挙手をするように。指名は主がするよ。説明は以上だ。早速開始するとしよう。――意見のあるもの、挙手」

 目にも留まらぬ速さとはこういうのを言うんだな、というような脅威のスピードで手が上がる。そしてわたしには全員が挙手をしているように見えるんだけれど、みんなどうしてそんな意見があるの……? お兄ちゃんに付き合ってあげるにしても、わたしのお見合いについての議論なんてそもそも必要ないんだから、そのためにわざわざ意見なんて用意しなくていいんだよ……。
 お兄ちゃんは少し考えた後、「長谷部と歌仙、いい勝負だったが……ここは歌仙で」と言ったけれど、あの超スピードの挙手の中で誰が速かったかを見極められるとかどんな動体視力してるの……。
 指名された歌仙さんは「ありがとう、主。悪いね、へし切長谷部」と一言断ってから、きりりとした表情を作った。そして、とても神妙な調子で続ける。

 「では僕の意見を述べさせてもらうが、皆、手元の資料を見てみてくれ」

 ちょっと待って? ……資料とは?
 あちこちからパラパラ紙をめくる音がしてるけれど、わたしの手元にはそんなものはない。資料とはなんの資料なの。
 歌仙さんは握りこぶしで熱弁をふるった。

 「主が母上殿から預かってきた写真を見れば一目瞭然だが、まずこの男には雅さのかけらも感じられない。これは由々しきことだ。我らがこの本丸の唯一の姫君たるの夫君となる男が、雅も解さぬ下賎では釣り合いがとれない。そして次に、この男の稼ぎだ。これではに良い着物の一つ仕立ててやれないだろう。これでは話にならない。よって、この見合いは破談にすべきだ。以上が僕の意見だよ」

 こ、ここでも“雅”か〜〜! 歌仙さんが“雅”に並々ならぬ情熱とこだわりを持っているのは知っているけれど、正直わたしはあまりよく理解していない。そして(まったく必要ではないけれど)この議論においてわたしは中心人物のはずなのに、理解してすらいない“雅”という価値観を押しつけられても困る。“雅”を理解していない人が下賤なのなら、わたしも充分に下賤である。こんなことを口にしたら、日頃から常々わたしにあれこれ口うるさく言ってくる歌仙さんのことだから烈火のごとく怒り狂うだろうと思うので、大人しくお口にチャックである。いや、議題からして一番発言権を持っているのは、当事者であるわたしのはずなんだけども。
 お兄ちゃんはいたく感心した様子で、何度も深く頷く。

 「そうだ、その通りだ歌仙……やっぱりおまえは俺の初期刀だな。俺の言いたいことがよく分かってる……」

 お兄ちゃんの言葉に、歌仙さんも満足そうに頷いた。

 「の夫君となる男の選定だからね、きちんと見極めなければ」

 そもそもわたしは今回のお見合いで結婚を決める気はないので、ほんとこんなことは無意味でしかない。そして、いつか結婚する時が訪れたなら、わたしはお兄ちゃんの意見なんて聞く気はないし、本丸の皆さんに口を出されてもそれは変わらない。自分の人生なんだから、自分で考えた選択をするのは当然である。まぁ、きっとそんなことを今言ってみたところでこの状況はどうにもならないだろうから、気が済むようにすればいいよ――という諦め。やめさせようとしたって聞かないのなら、いっそ気が済むまでやらせたほうが静かになる。今までの経験からして、それが一番賢い選択なのだ。

 「では、次に意見のあるもの、挙手を」

 歌仙さんの言葉に、また手が上がる。今度もわたしには誰が速いのかなんて分からなかった。同時に上がったようにしか見えなかった。残像を残すほどの勢いなのだから、どう頑張ってもコンマ何秒の差など分かるわけがない。みんなどうやってそんな素早く挙手ができるのかな? そして「長谷部、次はおまえだ。バシッとキメてくれ」と言うお兄ちゃんはどうしてその僅かな差を見極めることができるのかな?? これはもう動体視力がいいとかなんとかっていうレベルではないのでは。

 「っは! お任せください!」

 指名された長谷部さんは深く頭を垂れて、それから目を爛々と光らせながら、はきはきした調子で淀みなく言った。

 「……俺が声を大にして言いたいのは、この男の忠誠心についてだ」

 おっとまた不穏なワードが……。忠誠心ってどういうこと……。仮に結婚相手を決めることになったとして、その相手に忠誠心を求める人はいないのでは。少なくともわたしは求めない。何それ。

 「様はお生まれになった瞬間から、主が誠心誠意、真心を込めて大事にされてきた姫様だ。その姫様に対し、この男は主に等しく様をお助けできるのか? いや、主に及ばずとも、俺を越える忠誠を持って様に尽くすことができるのか?」

 お兄ちゃんみたいな人がこれ以上増えてしまったら、とてもじゃないけどわたしでは処理しきれない。そしてもちろん、長谷部さんのような下僕根性たくましい奉仕のエリートなんて人が現れようものなら、わたしの気苦労もますます加速していくことだろう。考えただけでも非常に恐ろしい。
 長谷部さんはこれ以上はないと思うほどの厳しい表情で、ちくちくとした(理解不能な)言葉をどんどん放っていく。

 「俺は様のためならば命など惜しくない。様がお望みとあらば今この場で折れることすら厭わない。この男に命を差し出す覚悟はあるのか? たとえ命を失っても様のご命令に必ずお応えすることはできるのか? 俺は言うまでもなく果たしてみせるが、この男が為せるとは思わない。資料によるとこの男、稼ぎは少ないが生家はそれなりの財力だ。軟弱な甘ったれに違いない。結論は一つ。会うに値しない男とし、破談あるのみ。俺からは以上だ」

 命を差し出す覚悟はもちろんいらないけれど、命を失っても命令(そんなものもないけど)に応えるというのは一体どうやって……? 死んで幽霊になってからも社畜でいるってこと? ……長谷部さん絶対一度病院に行ったほうがいい……病んでる……。
 お兄ちゃんは「さすがだ長谷部……」とか言っているけれど、長谷部さんの社畜度はほんとヤバイから早いところなんらかの措置を取ってほしい。

 「事実に基づいた説得力のある意見だな。ちゃんを思う心が俺を越える生命体などこの世に存在しない……」

 「勿体ないお言葉です、主」

 ……手を取り合っている二人には悪いけど何一つ共感できない何を言ってるの????

 「なるほど、確かに一理あるね。姫として育てられたに心から尽くすことができない男など、論ずる価値すらもない。さて、次の挙手だ」

 そもそも論ずる必要がないから……と歌仙さんの言葉に(心の中で)返して溜め息を吐くと、「よし、燭台切。頼んだぞ」とお兄ちゃんが……あ、頭が痛い……過保護なママ(光忠さん)のことだ……何を言うかはともかく反対するに決まってるのでこれはなんていう出来レースかな……? 論ずる必要はないけど、論じたところで結論もう出てるじゃん……。

 「この資料には、彼の趣味は料理とあるけど……その腕前ってどれほどなのかな?」

 ごくり……と喉を上下させて、わたしは衝撃に備えた。

 「僕はね!!!!」

 ――けれど、ママのあまりの剣幕にびくりとしないはずがなかった。ヤンキーなどとはまた別種だけれど、それでも“逆らったらヤバイ”という点では変わらない怖さである。
 自分を落ち着かせるような溜め息を吐いてから、ママは目をくわっと見開いた。

 「僕はね、ちゃんが食べるものには細心の注意を払って、本当に良いものだけを使ってるんだ。まず彼にその目利きができるの? さっきの夕餉でもみんな見たと思うけど、ちゃんがあんなに笑顔になれるハンバーグを彼が作れると思う? 国産Aランクのブランド牛や本丸の畑という確かな生産地の無農薬野菜、丁寧に煮込んで一から作ったブイヨンを、ちゃんがハンバーグを食べたいと思った時にいつでも用意できる甲斐性、日頃から手抜き一切なしの仕込みをする気遣い、それらが彼にあると思うかい?」

 出されるお料理みんな、おいしいおいしいと思っていたけれど……それは光忠さんのテクニックだけでなく、最上級の食材を使っていることもあるんだな……っていうか待って? わたし毎回そんなに良いもの食べさせてもらってるの? どう考えても不相応……。
 お兄ちゃんは頑として受け取らないけれど、これはわたし食費を入れるべきというか入れなければならない……というかお手伝いも遠慮されているけれど、今後はなんとしてでもさせてもらわないとバチ当たる……。
 恵まれすぎている現状に今更ながら震えていると、光忠さんは急にトーンダウンして、静かに「僕には分かるよ……」と言った。まぁそのトーンダウンはその一言だけだった。

 「料理が趣味なんて女の子ウケのいいことを言って実際は野菜炒めくらいしか作れず、どこのものかも分からない輸入の肉や叩き売りの安い野菜ばかりを使用して、挙句体に悪い添加物だらけの調味料で味付けした手料理だなんて言えない出来合いのお惣菜にも劣る品しか出せないってね!!!! そんなものをちゃんに食べさせられると思う?! 体を壊しちゃうよ!! だからこんな男は絶対に許せない!!!!」

 とても頑丈そうな長机を殴った光忠さんの拳より、ドンッ! と殴りつけられた長机のほうが心配である……なんなのあの威力……。ヒビとか入ってないよね……?
 本丸にあるものは、どれも高級そうな品ばかりである。わたしがお見合いを受けるかどうかなんてくだらない話のために壊す必要なんてまったくない。
 お兄ちゃんは立ち上がって「分かる、めっちゃ分かる……!」と声を震わせた。なぜ。

 「ちゃんのかわいいぽんぽんが痛い痛いになったらどう責任取んだって話だよな! そもそも料理がシュミとか十年は下積みしてから言えっつーの」

 いや、プロを志しているならともかく、普通に料理する分には下積みなんて大層なものは必要ないのでは……。趣味は趣味でしょ……? というかもう言ってることめちゃくちゃなんだけど誰も何も言わないのはなんでなのかな??

 「ヨッシャ、いいぞ燭台切! 続くものはいるかッ?!」
 「では、挙手」

 またザッと手が上がる。すでに指名されたはずの歌仙さんたちまで手を上げている。えっまだ言いたいことあるの????

 「んじゃあ粟田口を代表して、一期一振でいこう。多数決ならおまえらだけでも圧勝だ。粟田口総員の実力を見せてくれ」

 ……ほんともうこれ結論出てるよね……?
 一期さんは胸に手をあてて、「心得ておりますとも」と言って恭しく頭を下げた。状況がこれだから微妙な気持ちにはなるけれど、非常にロイヤルである……。

 「……では、粟田口を代表しまして、この一期一振が意見させていただきます。……我々が思うに、そもそもお嬢様には縁組などはまだお早いのではありませんか?」

 ……おっと、これは……。もう適齢期を迎えているわたしに、まだ早いという意見を出すとはこれ如何に……。
 一期さんは憂い気な表情を浮かべているが、何を憂うべきかってこの時間の無駄遣いこそを憂いてほしい。

 「お嬢様はお優しい方ですから、母君からのお話となればお受けになるのも当然でしょう。ですが、それはまだ親離れをしていないことの裏返しではないでしょうか? 現にお嬢様は、交際されている殿方はいらっしゃらないと資料にあります。お嬢様自身が男女交際に積極的ではない現状であるのに、いくら母君からのお話といえど頷いてしまうというのは――己で物事を判断するのが、まだ難しいためではないかと」

 今彼氏がいないことについてはまぁ……なんの申し開きもできない紛うことなき事実だからいいんだけれど、親離れしてないとか自分で物事を判断するのが難しいとかちょっと聞き捨てならない。わたしはもうとっくに成人した大人である。今に始まったことじゃないけど、ほんとにここの人たちにはわたしがどう見えてるのかな?
 ほんのちょっと冷や汗をかきそうになっていると、一期さんは慎重な口振りで言った。

 「ですから、お嬢様がご自身で物事の善し悪しを判断できるまでは、縁組はもちろん男女交際も危険が過ぎるというもの。我々粟田口が申し上げたいのは、まずはお嬢様の健やかなご成長をお助けする、そのことに力を入れるべきであるということです。以上が粟田口の総意ですな。主、いかがでしょうか」

 健やかなご成長も何も、わたしはもう育ちきっているんだと言いたい。けどちょっと待って? 粟田口の“総意”とは。

 「確かにちゃんはまだまだいたいけな女の子だ……それなのにヨゴレの野郎なんざと付き合えば、ちゃんが歪んでしまうかもしれない……いや、絶対に歪んでしまうッ!!!! ……さすがだ……。たくさんの兄弟たちで支えあっている粟田口の意見、重みが違うな……」

 重みがあるどころの話ではない……。さすがロイヤルファミリーの長男……自分にふさわしい身分の淑女でなければお付き合いはできないとか、多分そういう理由で下手に恋愛なんてできないから貞操観念や恋愛に対する価値観が…………いや、高貴なお方ならではの何かはあるかもしれないけどこれは恐らくそういうことではないぞ〜〜!
 もういよいよ、当事者であるわたしが何か言うべきでは……? と思っていると、乱ちゃんが声を上げた。

 「そもそもちゃんのタイプのオトコなんて、そういないし! もうちょっとストライクゾーンを広げられるまで、結婚なんてありえないよ。選択肢は多いに越したことはないもん」

 わたしと目が合うと、ぱちんとウィンクを飛ばして笑った。うん、まぁわたしのタイプうんぬんはともかく、わたしはまだ結婚する気はないので合ってる。ここにきてやっとまともな意見である。そう、まずはわたしの気持ちの問題であることをみんな思い出してほしい。

 「まだまだお嬢さんはお嫁にいくのなんて早いですって! それまでは俺たちが守ってあげますから、安心してくださいよ!」

 無邪気な笑顔でわたしに向かってピースしてくる鯰尾くんはとてもかわいいけれど、それまでっていつまで? わたしは“まだまだ”じゃなく、“そろそろ”と言われる年頃なんだけども……。

 「お嬢様は、ご自身に本当に相応しい方を見極める目を、まずは養うべきなのです」

 きりりとした顔つきで言う平野くんに、前田くんが強く頷く。

 「万一、甲斐性のない方をお選びになってしまっては、お嬢様がご苦労されることになってしまいます。それでは僕も黙っていられません!」

 総意ってそんな……と思ったけれど、あちこちから聞こえる声からして、これは総意に間違いないぞ……わたしはなぜちびっ子たちにまで結婚を止められているの……その理由が“まだ早い”って……。わたしは一体なんだと思われてるんだろう……と頭を抱えていると、一期さんが厳しい顔つきで「おまえたちの言うことは尤もだが、意見があれば挙手をして、指名されるまでは口を慎みなさい」と言った。う、う〜ん……そういうところはしっかりしてるんだけどな〜〜! だけどそういうことじゃないんだよな〜〜〜〜!

 「皆様、失礼致しました。どうぞ、次の方へ」

 お兄ちゃんは何度も頷きながら「十人十色の粟田口でも、結論はやっぱりお断りか…………だよな!」……だよな……そうか……。いよいよファイナルステージもファイナルって感じである……。

 「発言権は指名者のみ。皆、気をつけてくれ。では、次へいこうか。意見のあるもの、挙手してくれ」

 ぱんっと膝を打って、「おしっ、ここらで天下五剣いっとくか! ジジイ! 次はおまえだ!」と言うお兄ちゃんに、三日月さんはにこにこと朗らかな微笑みを浮かべながら頷いた。

 「うむ、任された。……時によ、おまえはこの男と添いたいという思いがあるのか?」

 …………ん?

 「……へっ? あ、わたしですか? え、いや、そもそも会ったこともないですし、今回のお見合いを受けたからって、何もほんとに結婚するってわけじゃ――」

 そうだ、この話の当事者はわたしだ。なのに誰もわたしの意見なんて聞こうとしなかったから、うっかりしていた。ここでわたしに結婚の意思がないことが伝われば、こんな無駄な時間は「うむ、ならば斬り捨てればそれで済む話だな。なに、案ずるな。おまえが真の幸に恵まれるよう、じじいが世話を焼いてやるからな、この本丸で。主、俺からは以上だ」……どういうこと……。

 「……天下五剣は言うことが違うなその手があったかッ!!!! このビチグソポンコツファッキン野郎がこの世から消えれば万事解決ッ!!!! ヨッシャ行くぜ野郎どもッ!!!!」

 ?!?! お兄ちゃんは何を言ってるのかな?!?! そして一部の人もなぜ意気揚々と立ち上がるのかな?!?!

 「待って待ってツッコミが追いつかない待って!!!!」
 「――あるじさま、もうやめましょう」

 決して大きくはない音量だったけれど、いまつるちゃんのその言葉はよく響いた。

 「?!?! おっ、おい何を言うんだ今剣……ッ!!!! 今回の件はちゃんの今後の人生が――」

 「ぼくももちろん、そうやすやすとひめをひとにやるつもりはありません。ゆいしょただしいおいえがらの、りりしいわかむしゃでなければ」

 わかむしゃ。……いまつるちゃんは時々ものすごく古風な言葉を使うけれど……それは“カタナ”とかっていういまつるちゃんお気に入りのヒーローの影響なのかな?

 「……まぁそうかもしれないけどな、そんな男が存在するわけないだろ? 俺がすべて駆逐してやるからな」

 ……それにしてもうちのお兄ちゃんは何を言ってるんだろう……この人すごく優秀なはずなんだけどな……病(シスコン)のせいでほんとその賢さが微塵も感じられない……。
 この人が社長って、皆さん本心ではどうなの……? と不安を覚えていると――。

 「ですが、さいごはひめごじしんのおきもちがたいせつだと、ぼくはおもいます」
 「い、いまつるちゃん……」

 さすが……さすがの良識の持ち主……! ご両親の教育が行き届いているとかいうレベルをとうに超えて、この年頃では考えられないほどに精神が成熟しきっている……。どういう育て方をしたらこんなにいい子になるの……。大人たちの頭の弱さがここで一気に露わに――!

 「ぼくたちがこんなことをするひつようはありません。――だってひめが、こんなちんけなおとこをあいてにするはずがありません! ねっ、そうですよね、ひめ!」

 …………あれ?

 「ん゛っ?! ん……んんん〜……!」

 こ、これはマズイことになったぞ〜〜!






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