運ばれてきた料理を見て、お兄ちゃんは滝かな? というほどにめちゃくちゃに泣き始めた。いい歳した大の男が顔中を濡らして大泣きしているというのに、誰も何も言わないどころか微笑ましそうにしててわたし一人がとても気まずい。なんでなの。どうしてみんな受け入れちゃってるのお兄ちゃんやばいでしょ……? 「ぢゃん……! お゛、お兄ちゃんにも作ってぐれだんだね゛?! 実はごれ燭台切作どかじゃない゛よね゛っ?!?!」 ハンバーグの乗ったお皿を高く持って見上げながら、お兄ちゃんは絞り出すように言う。 疑り深いなぁと思うけれど、花の女子高生であった頃の悲しい事件によって、わたしは(お兄ちゃんがいる時には)一切料理をしなくなったのでそれも仕方のないことなのかもしれない。いや、だからといって妹の料理にそこまでの思い入れを持てるのは、世の中に兄という存在は数えきれないほどいるとしても家のお兄ちゃんくらいなものだろう。 「ちゃんとわたしが作ったから、とりあえず顔拭いたら? ほら、ティッシュ」 わたしの差し出したティッシュの箱を受け取って、お兄ちゃんはますます泣いた。なぜ。 「う゛っ、うう゛っ、お、お゛兄ぢゃん゛、う、うれじっ、うれじい゛よぉ゛……!」 見つめるばかりでなかなか手をつけないお兄ちゃんを待っていてもしょうがないので、「分かった分かった、分かったから」と背中を擦ってあげながら、にこにこわたしたちを見守っている三日月さんたちに「どうぞ、食べてください」と声をかける。 「うむ、もちろんだ」 そう言って嬉しそうに頷いた三日月さんだが、ふと何かに気づいた様子で「おお、その前にな、、近う寄れ」とわたしに手招きをする。 「……はい?」 なんだろう……と思いながら、とりあえずそばへ寄ってみると、ぐいっと肩を抱かれた。一瞬のことでどうにも反応が追いつかな――ん?! なぜ?!?! 「この角度でよいか?」 「えっ、な、なんです――ん?! えっ、なんですか?」 三日月さんはすぐにわたしを放してくれた。そしていたくご機嫌な様子で、「さて、では頂くとしようか」とさっさと箸を持つ。……えっ、なに……? どういうこと……? ……平安貴族の考えてることは何もかもが謎なので、発言はもちろん行動も意味が分からないものが多いのは、出会ってからずっとだ。今に始まったことではないけれど……えっ? 「おおっ! うまい! うまいぞ、!」 「え、あ、ありがとうございます……え?」 ほ、褒められているのに戸惑いしか感じない……。 「――主、失礼いたします」 「いいぞっ……入れぇ……! 一期、次っ、俺な……!」 障子戸の向こうからかけられた優しい声に、お兄ちゃんが涙声で応える。この人の病はほんとに深刻だ……。けれどもう、ここまできてしまうと手の打ちようがないとも思うので、結局わたしはお兄ちゃんの言うことなすこと、大抵のことは許容してしまうのだ。……この兄にして妹も……と他人様に思われているのでは……? と思うと、年齢も年齢ないい大人なのでなかなかに辛いものがある……。 丁寧な一礼の後、一期さんは部屋の中へ入ってきた。そして「承知しております」と言うと、天井を見上げて「――平野、カメラを」…………ん?! 「はい、ここに」 シュバッ! と影が落ちてきた。そう思った時には、既に平野くんが立っていた。……待って待って小学校では絶対にかけっこ覇者であろう超スピードにも未だ慣れないっていうのに、今平野くんは……て、天井から……落ちて……いや、下りて……? …………え? 一期さんは平野くんから、プロが使っていそうな立派なカメラを受け取ると、三日月さんにすっと差し出した。 「三日月殿、こちらでいかがでしょうか」 三日月さんは差し出されたカメラの画面を覗き込むと、とても満足そうに何度も頷いた。 「うんうん、よく撮れているなぁ。現像したら一枚は俺にくれ」 三日月さんの極上の微笑みに、平野くんがぱあっと表情を輝かせた。一期さんは「ええ、そのように致しましょう」と言うと、平野くんの頭を優しく撫でる。そしてわたしのほうを向いたと思うと、優しい笑顔で「ではお嬢様、どうぞ主のおそばに」と促された。 「えっ? は、はぁ……」 今度はなんだろうと思いつつ、わたしはお兄ちゃんのそばへと寄った。 すると、一期さんからカメラを受け取った平野くんが、「主さま、ハンバーグを一口お食べになってください」と言ってカメラを構えた。……う、うん、構え方が写真家のそれに見える……。 ハンバーグを大事そうに見上げていたお兄ちゃんは手を震わせながら、あからさまにためらった間をあけて、「えっ、でも……」とまだ赤い目に再び涙を滲ませた。なぜ。どうせ食べるのに何を迷ってるのかなこの人……。 そんなお兄ちゃんの様子を見て、一期さんは爽やかな笑顔で「ご安心ください」と言った。 「必ず奇跡の一枚にしてみせます。平野の腕は確かですよ」 一期さんの笑顔に負けたように、お兄ちゃんはゆっくりと頷いた。いや、だからどうせ食べるんだから……。 呆れた溜め息を飲み込んで、お兄ちゃんを見る。 「……わ、分かった……。……ちゃん、いただくね。あー………………っこ、これは……!」 ハンバーグを一口食べて、お兄ちゃんは俯いてぶるぶると震えはじめた。えっ、わたしが食べた味見用のハンバーグは普通だったし、火が通ってるかもちゃんと確認したんだけどそんなにまずい?! プロ顔負けの腕前である光忠さんには敵うわけないけれど、そこまでまずいはずは「うんめええええ!!!! ちゃんっちゃん! すっごいおいしいよぉ〜! お兄ちゃんこんなにおいしいハンバーグ食べたことないよ!! 最高だよ! 世界一だよ!」……お兄ちゃんの反応はオーバーすぎるけれど、まずくはないのならよかった。いくらなんでも震えるほどまずいとなれば、三日月さんたちに食べさせるのはやめようと思ったので一安心である。あれだけ苦労して作ったわけなので、食べてはもらいたい。 また滝のような涙を流すお兄ちゃんにティッシュを数枚渡して、わたしは苦笑いを浮かべた。 「ほんとお兄ちゃんは大袈裟なんだから……。わたしより上手に作れる人なんて、たくさんいるよ」 するとお兄ちゃんは眩しいほどの笑顔を浮かべた。 「でもお兄ちゃんにはちゃんのが一番だよ。すっごくすっごくおいしい!! 俺は今世界一幸せだァアアァ!!!!」 ……お兄ちゃんの病にはほとほと困り果てているけれど、こういうところがあるのでそう簡単にうざったいとも言い切れないのが最も困り果てている原因でもある。 思わず笑ってしまったわたしは、「っ、あははっ、だから大袈裟なんだってば!」と――。 「平野、撮れたかな?」 「はい!」 ……シャッター音に反応せずにいることは、わたしにはできない……。なぜなら、レンズはこちらを向いていた……。 「え、えーと…………な、なんで写真?」 動揺して声を震わせるわたしに、平野くんが無邪気にかわいい笑顔を浮かべた。 「お嬢様のご成長の記録です!」 …………待って待ってそれは何かな? というかご成長の記録って……わたしはもう成長しきった大人なのですが……。 「……それは……一体……」 ハンカチを取り出した一期さんは、それで目元を押さえながら感慨深げにしみじみ頷く。 「お嬢様……家臣のため、厨にお一人で立たれましたこと、この一期一振は大変誇らしく思います……! 本日のお写真につきましては、我ら粟田口の中でも最も自然な瞬間を切り取ることに定評のある平野が務めさせていただきました。よろしければどうぞ、ご確認ください」 ……な、なるほど、言ってることの意味がまったく分からない……。 一期さんの言葉に、カメラを差し出してきた平野くんからそれを受け取って、画面を確認しながらわたしは声を震わせた。 画面にはお兄ちゃんとの写真だけでなく、三日月さんに肩を抱かれている写真まである。いや、待って? それどころかお台所での写真まであるぞ……? そしてそのどれもがとてもよく撮れている。 「……わ、わぁ……すごい……よく撮れてる……けど…………わたし撮られた記憶ないな〜?」 平野くんは誇らしげな表情で明るく言う。 「カメラに意識を向けない自然な一枚のため、お写真係は常に影に徹することもお役目です。ですから、隠蔽能力の高い短刀が担う場合が多いですが……僕は中でも、カメラ技術の研究を欠かしたことがありません。ですから、作品には少なからず自信があります!」 やっぱりよく分からないけれどこれだけははっきりした。 「プロ意識がすごい……!」 夢は写真家とかそういうあれなのかな! ここのちびっ子たちはみんなしっかりしていて、びっくりさせられることが多くある。わたしが小学生の頃なんて、将来の夢を見据えて励むなんてことなかったよなぁ……ほんとちびっ子らしいちびっ子で遊んでばかりいたよ……。将来の夢だって何度変わったことか……。 やっぱりご両親の教育がしっかりしてるんだなぁ……と平野くんを見つめながらうんうん頷いていると、鶴丸さんが「平野、俺も頼む」と言った。……おや? この流れは……? 「もちろんです! お嬢様、鶴丸さんのお隣へ」 プロのカメラマン志望らしい平野くんに促されてしまっては、ここは頷くしかない。 もしかすると、チャンスがあればいつでもシャッターを押していて、ここの大人たちも平野くんのために協力しているのかもしれない。いや、三日月さんもお兄ちゃんも、構図的にちょっと違うかな〜? そういう心遣いとかではないかな〜? と思うけれど。 とりあえずわたしは「はい、これでいいかな?」と素直に従って、鶴丸さんの隣へと動いた。 「――平野、一瞬を逃してくれるなよ?」 「っ……え、」 体がぐらついたと思った次の瞬間には、ちゅ、という音がして――ん゛?! 「いかがですか? 鶴丸さん」 「あぁ、完璧だ」 ちょっと待ってちょっと待って今何が起きたのかさっぱり分からない!!!! 「さて、それじゃあ俺も早速。……おお! うまい! 貞坊も言っていたが、きみは料理上手だなぁおひいさん!」 野菜炒めを食べて機嫌良さそうな鶴丸さんだけれど、わたしのほうは絶対に顔色が良くないはずだ……。 「ひ、平野くん……あ、あの、今の写真見せてもらっても――」 「や、や。じじいに飯をよそってくれ」 ちょっと怖いくらいの笑顔を浮かべながら、三日月さんがわたしにお茶碗を差し出す。えっ、ええ……い、今……? わたし写真が――というより、鶴丸さんに何をされたんだか気になって気になって……いや、一瞬のことでほんとに何をされたんだか分からないのだ。 けれど、「や」と再度呼ぶ三日月さんの不思議な瞳がすぅっと細まったのを見て、とりあえずご飯をよそってあげて、写真のことはそれからじっくり……! 「はいはい、分かりました。……どうぞ、三日月さ――ん?! なぜ?!?!」 ご飯をよそったお茶碗は受け取らず、三日月さんはなぜかわたしを抱き上げて膝の上に乗せた。意味が分からない。なぜいい歳したわたしがまるでちびっ子のように膝に乗せられるのかな???? 機嫌良さそうに笑う三日月さんの、「これだけの品を一人で、疲れたであろう。どれ、じじいが世話してやろうな」という申し出はまったくありがたくない。わたしがいい歳した大人であることも問題だが、恋人でもない女を膝の上に乗せることも大問題である。三日月さんにいい人がいるかどうかは知らないけれど、この美しさでは恋人の一人や二人、それ以上いたって不思議ではない。その恋人間で許し合っているのなら(常識的にはともかく)問題ないだろうけれど、わたしは彼の恋人ではないので大問題も大問題、もしこれが三日月さんの恋人に知れたらとんでもない事件にでも発展しそうである。 それを考えたら恐怖で鳥肌が立った。 「いやいやいやいいです大丈夫です!!!!」 なんとか離れようとするも、ご機嫌な様子の三日月さんは「はっはっ、よいではないか。たまにはじじいに甘えても、誰もおまえを叱りはしないさ」なんて見当違いなことを言って、ますますわたしを抱きしめる。 「いえそういうことではなくてですね?!」 小狐丸さんは苦い顔で「姫さまが嫌がっておいでではないか」と言うと、大きく両手を広げた。にこにこと明るい笑顔を浮かべて、「姫さま、この小狐が抱えて差し上げましょう」と――。 「主、俺だ。入って構わぬか」 障子戸の外からの声に、わたしは心底ほっとした。三日月さんの膝の上だから嫌なのではなく、誰の膝の上も嫌である。 しょんぼりしている小狐丸さんを横目で見ながら、「おっ! 巴形か! 入っていいぞ」というお兄ちゃんの言葉を受けて中へと入ってきた巴さんに頭を下げる。 「来て早々に悪かったな、ちょっと一大イベントがだな……! まぁとにかく入ってくれ! せっかくだからちゃんを紹介してやる」 ハンバーグ一つで信じられないほどご機嫌なお兄ちゃんは、そばに寄ってきた巴さんの背中を遠慮なしにバシバシ叩く。……それでもびくともしない体と、ぴくりともしないお顔……ほんとどっしりと構えた揺るがない人である……。 「巴さん、どうも。さっきはまともにご挨拶ができなくて――あっ! いえ、これはですね?!」 巴さんがふいに視線を動かしたことで、わたしは三日月さんに抱えられていることを思い出した。顔からというか、全身から火を噴きそうである。 大慌てするわたしを巴さんはちっとも気にした様子なく、ただ静かに「俺が代わろう。姫の側仕えは俺だ」と…………なぜわたしを抱き上げようとするのかな?! 三日月さんは明るく笑っているけれど、その不思議な瞳は意味ありげに揺らめいている。 「はっはっは、結構だ。の世話は俺がしておるからな、必要ない」 鶴丸さんが、お茶碗とお箸をお膳に置いた。 「の傍仕えなんて、新刃には任せられない大役だな。それに、軽々しくそんなことを言ってみろ。……黙っちゃいないぜ?」 すると、ドドドドドッ! という、およそ日常生活を送るうえではなかなか縁のない効果音が聞こえてきた。しかもその音はどんどんこちらに近づいてきて「主お食事中に失礼いたします長谷部です入室の許可を頂けますねありがとうございます――様のッ! お役に立つのはッ! この俺だッ!!!!」…………。 「しゃ、社畜の極み……!」 なんてことだどこで何を聞いたのか、仕事中毒のエリート社畜長谷部さんは、しなくてもいい仕事――いや、仕事じゃないからなんと言っていいのか分からないけれど、とにかく何かやることを求めてやってきたらしい。巴さんも何を考えているのかは読みづらいタイプのようだけれど、やってきて早々にやることを探しているあたり、働くことが好きなんだろう。打ち解ければいい相棒とかになりそうだ。けれど、巴さんのことはよく分からないにしても、まぁ今のところは熱心ではあるけれど自分のペースで物事を進めるタイプかな? というのが印象だ。つまり、何事にも全力で取り組む生真面目すぎる長谷部さんとは相性が悪そうである……。というか、わたしの役に立つとはどういう……? そこは会社のためとか、そういうのが正しいのではないかな?? (長谷部さんが一方的に)バチバチしている二人を見つめながら、ぼんやりそんなことを考えていると、鶴丸さんがくつくつと忍び笑いをこぼしながら「ほら見ろ」と言って、その後に「おい、飯はまだあるか?」とお茶碗を差し出してきた。 「えっ、あ、あります、よそいますか?」 「頼む」 なんだかバタバタして落ち着かないなぁ、と思いながらご飯をよそって鶴丸さんに渡したところで、また障子戸の外から声がかかった。 「主、わしじゃ! はおるがか? おやつの礼をしたいっちゅうのを連れてきたやき、入ってええかの?」 この声――というか特徴的な話し方は吉行くんだ。明るくて、懐っこいワンちゃんみたいな子である。 お兄ちゃんはそこまで?? というほどの笑顔で、機嫌良く「おうっ、いるぞ〜! 入ってこい入ってこい! ちゃんのハンバーグでご機嫌な今の俺はなんでも頷くモードだ!!!!」なんてことを言うので、吉行くんの後ろからぴょこっと顔を出した乱ちゃんが、ぱあっと表情を輝かせた。 「えっ、ホントー?! ボク、万事屋で見つけた髪留め欲しいんだけどな〜?」 「主に任せろ!!!!」 保護者(一期さん)の許可を取らないとダメなんじゃないの? と思ったけれど、一期さんはにこにこしているのでいいのかな? それより「かーしゅーうーさーーん!!!! おねだりチャンス!!!!」と叫ぶ乱ちゃんにはどういう反応したらいいのかな? おねだりというか、なんというか……とにかく今のお兄ちゃんがいつもに増してとんでもなくチョロいのは分かった。こうなると、「マジ?!?! 今行くから主のテンションキープしといて!!!!」とかいう清光くんにも何も言えない……。 作り笑いでなんとかやり過ごそうとしていると、にこにこしながら吉行くんがそばへやってきた。 「お〜っ! わしも食わしてもろうた! げにまっことうまい! あんなうまいもん、初めて食うたぜよ〜! 争奪戦になったんで、来るのが遅なってしもうたが、許しとうせ」 本当にそう思ってくれてるんだなと分かる、嘘のない笑顔である。そういうことなら、わたしは何度だって料理くらいのことはする。……ただ、一部の人たちがそれを許してくれるかというと……いや、そもそもなんで許可制? っていう。わたしは刃物を扱うにしても火を扱うにしても、すぐそばでしっかり見守られる必要はまったくない。なぜって成人して結構経ってるれっきとした大人だからである。……それなのになぜ? と思うと、その答えよりも若干切なさのほうが勝ってきてるのが辛い……。いや、だってそれって現状を受け入れはじめちゃってるってことでしょ……? まぁそれはそれとして、吉行くんの言葉は素直に嬉しいので、わたしは「わー、じゃあ今度はもっと作るね。あはは、よかったよ、喜んでもらえたなら」と笑ってみせた。 「っ、さまっ、あ、あのぅ、ぼ、僕、」 障子戸の向こうからちらちらとこちらに視線をよこしながら、五虎退くんがおずおず声をかけてくる。その後ろからぴゅーっと走ってきた包丁くんが、ぎゅっとわたしのお腹に手を回して抱きついてきた。とてもご機嫌なようで大変かわいい。 「ー! うまかったぞ! でも次はお菓子がいいなぁ〜」 「こら、包丁! お嬢様のご厚意を――」 包丁くんの言葉に、一期さんが慌てて腰を浮かせたけれど、手でそれを制止する。 「あーいいんですいいんです! うん、今度は甘い物にしようね。五虎退くんはどうだった? 食べれたかな?」 ぱあっと表情を明るくさせて、ととっ、と五虎退くんも中へと入ってきた。白い頬をほんのりと染めて、「っお、おいしかったです! さま、ありがとうございます……えへへ」と浮かべた笑顔にきゅんときて、思わず頭を撫でてしまった。けれど、五虎退くんは嫌がるどころかますます笑顔になってくれて、ここのちびっ子たちはみんないい子でとても嬉しい。 すると、わたしのお腹にくっついたままの包丁くんが、無邪気な笑顔を浮かべてとんでもないことを口にした。 「はおいしいものを作れるから、いつでも人妻になれるなー! その時は俺を連れていってよ! いいだろ?」 「あはは、人妻かぁ〜……ひ、ひとづま……」 思わず笑ったわたしだけれど、ちびっ子の口から“人妻”なんてワードが出てくるとはゆゆしき事態である。 そして、これを聞いたのがわたしだけなら笑い話で済ませることもできるわけだが、今この場には家の優秀なのに頭の弱いお兄ちゃんがいるのだ。そして更に大変残念なことに、家のお兄ちゃんはシスコンという名の病を患っている。 お兄ちゃんはぶるぶると震えた。しまった、としか言いようがない。“人妻”なんて“結婚”を連想させて、わたしがの姓を名乗らなくなるということに繋がるお兄ちゃん的NGワードである……。 「……ひ、とづま……? ちゃんが……人妻……? …………けっ、こん……? ……結婚?!?!」 「お、お兄ちゃん、落ち着こうよ……」 わたしの言葉は虚しくもお兄ちゃんには届かなかった。わたしの両肩を掴んで、前後左右にがくがく揺らしてくるお兄ちゃんの目はまた潤んでいる。いや、なぜ。いや、なぜっていうか、お兄ちゃんが病(シスコン)を患っているというのがアンサーで、それですべてのことが解決するんだけど。 「ちゃん! お料理なんてできなくていいんだよ! だって怪我しちゃうかもしれないんだよ?! 怖いよねえ?! 痛い痛いやだよねえ?! だからお嫁になんか行かなくていいんだからね!!!! 大丈夫、お兄ちゃんがいるんだからなーんにも心配しなくていいんだよ!!!!」 もうこんなセリフは聞き飽きているので、わたしは「あー、うんうん」と適当な返事をした。何かお兄ちゃんの意識をNGワードから引き離す方法ないかな……と思った時、平野くんのカメラが目に入った。そうだ、これだ。 「平野くん平野くん」 「はい、なんでしょう? お嬢様」 「写真、お願いしてもいい?」 営業成績一位を百回も獲ったんだから、記念に一枚あってもいいはずだ。 平野くんは大きな瞳をきらきらさせて、「っもちろんです! お任せください!」と強く頷いた。 「ほらお兄ちゃんシャンとして! 三日月さんはお兄ちゃんの左、鶴丸さんは右。小狐丸さんとわたしは後ろに回りましょうか」 わたしは写る必要などまったくないというか、むしろ写っちゃいけないのだけれど、こうでもしないとお兄ちゃんは動かないし……まぁメンツ的に、わたしが写っても気にする人はいないだろうと思うのでこれで良しということにする。 すると自分の膝をぽんぽんと叩いて、三日月さんが「はじじいの膝の上だ」などと言い出した。いや、なぜ。 「っは?! いやですよなんで?!?!」 「じゃあ俺の膝だな」 今度は鶴丸さんがそう言ってわたしに笑顔を向けるので、それもなぜ。じゃあも何も、わたしは誰の膝にも乗りたくないという考えにどうして至らないの……? 小狐丸さんが眉間に皺を寄せた。 「姫さまは私の隣をご所望なのじゃ。そうですね、姫さま!」 すると、厳しい顔つきで平野くんが声を上げた。 「――お静かにっ! ……ここは本丸一のカメラマンと呼ばれるこの僕に、お任せいただきたく思います。お嬢様、いかがでしょう?」 ……このプロ意識の高さはちびっ子のレベルを遥かに超えている……! ここは素直に従うべきと、わたしは「お願いします……!」と頭を下げた。 そしてなぜか……本当になぜか、わたしを真ん中に左右を三日月さんと鶴丸さんが固め、真後ろにはお兄ちゃんが立ってわたしの肩に両手を置いた。小狐丸さんはお兄ちゃんの隣に並んでいる。……すみませんわたしが真ん中とか何もしてないのに……と渋い顔の小狐丸さんには一言謝りたい……。というかこの並びに誰も疑問を持った様子なく、見守っているのはなんなんだろう……おかしいでしょ? この並びはおかしいでしょ……? なのになんで……? キリッとした平野くんが、「では、いちにのさん、でシャッターを押しますよ? 皆さん、勝負は一瞬です」とカメラを構えた。しょ、勝負……なるほど、平野くんは本当にプロになりたくて……この感じではほんとになれるだろうなと思う。好きとかそういう次元じゃない。使命感のようなものさえ見受けられる……。 「……では、参ります! ――いち、にの、さん!」 「――んっ?!?!」 今日の女子会は、わたしがここで過ごす時にと用意されている部屋で開催中である。 光忠さんに見つかったら怒られてしまうけれど、ここならバレない。清光くんは畳にうつ伏せになりながら、黒糖まんじゅうを手に取った。 「あ〜、だから主あんな落ち込んでんだぁ〜。ちぇー、タイミング悪かったなぁ……。で? それがその写真?」 先日(いつもよりも)チョロくなったお兄ちゃんに、ここぞとばかりにおねだりをしようとした乱ちゃんと清光くんだったが、記念の一枚として最後に撮った写真がどうやら気に入らなかったらしく、その後こっちが心配になるほど落ち込んでしまったのだ。そういうわけで、おねだりは失敗に終わった。う、うーん、よかったのか悪かったのか……。鶴丸さんと三日月さんがわたしに異常に近くて、お兄ちゃんがちょっと仲間はずれになってしまっていて、小狐丸さんは悔しそうな顔をしてはいるけど、平野くんが一生懸命撮ってくれたんだからいい写真だと思うんだけど。 「そうそう〜! さっき平野があるじさんのところに持ってこうとしてたんだけど、ちゃんが見たいって! って言ってもらってきちゃったぁ!」 いたずらっぽいウィンクを一つして、乱ちゃんが「じゃーん!」と――。 「こ、これは……」 す、すごい……いつの間にこんなに撮られてたのかな……? と驚くほど――いや、若干ヒエッとしてしまうほどの枚数である。こ、これは撮るにも印刷するにも一苦労だったろうに……平野くんはものすごい努力家だ……。でも、どうせならもっとこう画になるような人――たとえば三日月さんとか――を撮ればいいのに、なんでわたしばっかり……。…………凡人をどれだけ綺麗に撮るかとかそういう課題みたいなことかな? バッと勢いよく起き上がった清光くんが、たくさんの写真をあれこれと広げた。 「わ〜、さっすが平野。構図はもちろんだけど、光の加減もカンペキー。めっちゃキレイ。っていうかこのちょーかわいくない?! えー、これ俺欲しい〜!」 そう言う清光くんの手にあるのは、わたしがオーブンの中を覗き込んでいる写真である。……いやいらないでしょ。かわいいとは。最近のJKの“かわいい”は奥が深い……。 まぁそれはともかく、わたし一人の写真なんて持ってたってしょうがない。それならいっそ、と思って「え、えー……なら、プリクラとか一緒に撮りに行こうよ……」と言うと、清光くんは赤い瞳をキラキラさせながらわたしの手を取った。 「えっマジ?! 行くいくー! えー、絶対だよ?」 「うん、絶対行こう」 すると今度は、乱ちゃんが声を上げた。 「やだぁ! なにこれー! 少女マンガみたーいっ! ねえこの鶴丸さんかっこよくない?! 大人のセクシー感がすっごい出てる! きゃーっ、ボクこれほしーい!」 ――あの時、一瞬のことすぎてわたしは何をされたのかさっぱり分からなかったけれど、今はっきりした……。 乱ちゃんがきゃあきゃあ言いながら見ている写真には、わたしと鶴丸さんが写っている。カメラへ向けられている鶴丸さんのはちみつ色の流し目は、確かに色っぽい。けれど、その腕はわたしの肩を引き寄せていて――わたしの横顔にキスを………………。 「やだやだやめてよもう〜っ!!!!」 鶴丸さんがどういうつもりでこんなことしたんだか知らないけど、いくらなんでもこれはひどい。なんだってキスしようと思ったの? ということもそうだけれど、わざわざ記録として残してしまったこともなんで???? 頭を抱えるわたしを余所に、清光くんがのんびりとした調子で「てゆーか、歌仙と今剣の再講座もう終わったかな?」と言ってお茶を啜る。 ……ええと、歌仙さんはここの“ショキトウ”っていう立場(よく分からないけど多分偉い)だから、住み込みだし、人も多いし……何かとルールも必要だろうから、講義をするというのも分かるけれどいまつるちゃんはなぜ……? あんまりにも賢すぎるから、ちびっ子なのにお手伝いとかに駆り出されてるのかな???? 「……な、何かなそれは……?」 恐る恐る聞くわたしに、清光くんは「全然大したことじゃないよ」と前置きして、話を続けた。 「あー、新刃って、顕現された時に主から基本的なこと教わるんだけど、一週間はその日の近侍に指導を受けて、あとは各自でマニュアル読んで分かんないことあったら聞く、ってことになってるのね。まぁ難しいことなんかいっこもないし、普通はないんだけど……小狐丸がねー、あんまよく分かってないみたいだからさ? ここのこと。だから歌仙と今剣がみっちり教えてやってんの」 へえ、仕事してるところなんて見たことないけど、お兄ちゃんもあれでちゃんと社長やってるんだぁ……よかった、わたしに構ってるばっかりじゃなくて……と小さく安堵の溜め息を吐くと、乱ちゃんがぎゅっと抱きついてきて、わたしを上目遣いに見つめながら笑顔を浮かべる。うーん、美少女。 「巴さんは長谷部さんがつきっきりで教えててね、俺でなくては様のお役には立てん〜! とか言ってるんだけど、巴さんの質問に律儀に答えてあげてるの。長谷部さん新刃教育向いてるんじゃないかなあ?」 ……な、なんだって……? 「あー、ダメダメ。あれ教えてるわけじゃなくて、粗探ししてるつもりだから。それ言ったら長谷部めっちゃキレるからやめときなよ」 …………。 「……エリート社畜なんて悲しい生き物は増やしてはならない……!」 |