お兄ちゃんに真剣な顔で、「ちゃんに大切なお話があります……」と呼び出された時点でわたしにとってはとてもどうでもいい内容だろうと察してはいたけれど、連れてこられた部屋に三日月さん、小狐丸さん、鶴丸さんがいるのはなぜかな? でもメンツ的にすごく面倒くさい話な気がしてならない。

 「俺はな、。えこひいきというのは良くないと思うぞ」

 ……えこひいき。…………えこひいきかぁ。
 むすっとした顔で恨めしそうにわたしを見つめる三日月さんだが、なんでもわたしを基準にしてわたしが喜ぶと思って……と世話を焼こうとするあなたが、えこひいきを批判できるとなぜ思うんだろうか。平安貴族様のお考えになることはド平民のわたしには分からない。
 とりあえず話を進めなければいつまでも終わらないので、わたしは呆れつつもなるべく優しい声を作って「……急に何を言い出すんですか? 三日月さん」と聞く。……この人はいつも自分をじじいと仰るけれど、じじいには程遠いと思うのだ。実年齢(知らないけど)よりも精神年齢が。
 すると三日月さんの右隣で綺麗な正座をしている小狐丸さんが、きらきらしい笑顔を浮かべて言った。

 「小狐めも姫さまに可愛がられとうございます!」

 …………。

 「……相変わらず小狐丸さんすごい意味分かんない……」

 小狐丸さんは髪型(どう見ても動物のお耳)はもちろん、そもそも狐(野生らしい)を自称したりとなかなかに個性が強い……というか不思議ちゃんである。三日月さんのじじい発言がかわいく思えるほどに謎すぎて、わたしは未だにこの人との距離感を測りかねているのだが、小狐丸さんのほうは何かとわたしに声をかけてくるのでどう対応すればいいのやら。特に毛並みを整えてほしいというアレ。あれは結局どういうことなの。これもかなり底の見えない謎である。
 まぁそれは今ともかく。
 三日月さんの左隣にあぐらで座る鶴丸さんが、膝を打った。

 「つまり、だ。おひいさん、いくら短刀が可愛いとしても、きみの手料理を食う誉れは俺たちにも与えられて然るべきではないか? って話さ」

 神妙な顔つきでそう言う鶴丸さんには申し訳ないが、タントウというのは分からないなにそれ。かわいいの? いや、口振りからしてわたしはタントウを可愛がっている……? いつ……? というかなに……?
 ――と疑問はあるが、つまりお兄ちゃんたちがわたしにしたい大切な話というのは……。

 「……要するに、わたしが食事を作ればいいんですか?」

 お兄ちゃんが輝くようなぴかぴかの笑顔を浮かべて、「ちゃんはほんっっっっとに賢い子だねえ! いい子だねえ……。うんうん、お兄ちゃん、ちゃんのお料理は高校の調理実習で作ったもの以来だし、楽しみだなあ!」とか言うのでおや? お兄ちゃんはあの出来事をお忘れかな??

 「あれはほんとは友達とおやつにするはずだったのに、お兄ちゃんが学校まで取りに来るなんて暴挙にでたからね、しょうがないね」

 そう。高校で初めての調理実習の日、わたしはとても楽しみにしていた。もちろん調理実習そのものも、机に向かっているよりもずっと楽しい授業だが、わたしは作ったものを放課後に友達と一緒に食べる予定でいたのだ。ありがちかもしれないがチョコレートマフィンである。
 忘れもしないぞ、お兄ちゃん。わたしは前日から楽しみにしてたっていうのに、学校までやってきて『ちゃんのマフィンをもらえるまで僕は帰りません!』とか駄々をこねて先生たちを困らせた(ちなみにわたしが通った高校はお兄ちゃんの母校でもある)。その様子を見て、わたしの友達はお兄ちゃんに気を使って……お兄ちゃんにマフィンあげなよ! とわたしを説得してきたので、もうどうしようもないとお兄ちゃんにあげたわけだが、もちろんわたしはあれから料理をしていない(お兄ちゃんがいる時には)。

 「ちゃんはあれから一切お料理しなくなっちゃったから……」

 そんなとてつもなく苦い思い出があるというのに、わたしがお兄ちゃんがいると分かっていて料理をするか? もちろんしない。
 お兄ちゃんが留守の際にはもちろん手伝いをしたし、両親が留守の時にも台所に立つことはあった。お兄ちゃんにはデリバリーを頼んであげる優しさがあるだけありがたく思ってほしい。花の女子高生の楽しい放課後を奪った罪は重い。それに、未だに当時を知る同級生に会えばこの話が出るのだからたまったもんじゃない。わたしは恨んでいるぞお兄ちゃん……。過ぎ去ったことだけれど、大体のことはやったほうは綺麗に忘れ去っていて、やられたほうはいつまでも覚えているものである。
 それにしても、お兄ちゃんはわたしが一番だと何よりも大事にしてくれているが、その大事にする方法というのが自己流すぎて妹がついていけていないことにそろそろ気づいてほしいんだよな〜〜! と複雑な気持ちを込めてお兄ちゃんを見つめるも、まぁ通じてはくれない。通じていたらわたしの苦悩はとうの昔に終えている。
 はぁ、と小さく溜め息を吐くと、鶴丸さんが僅かに眉をひそめた。

 「……俺たちはここ一月で誉を百、獲った。もちろん各自でだ。おかげでこの本丸は今月の最優秀の証書を貰って、主の立場もまた評価された。褒美を与えてくれてもいいだろう?」

 なるほど、ホマレ。………………ホマレとは。
 そういえば初めてここへ来た時も、確か清光くんが、ホマレを獲った数が一番だったからと新しいマニキュアを――そうか、なるほど。
 わたしは間違っていたら……と一応「……皆さん、よくホマレがどうとかって言いますけど、わたしそれ未だによく分からない……」と前置きをして、続けて「けど、皆さんの場合は営業成績一位取ったみたいな、そういうことですよね。へえ、それをひゃく…………百?! 百回?!」なるほどそれはご褒美もねだりたくなる!!!!
 鶴丸さんはぱっと明るい顔をして、「そうだ百だ! どうだ、驚いたか?」とはちみつ色の瞳を輝かせた。これはものすごい驚きである。

 「驚くどころの話じゃありませんね!! どこから出る評価なのか分からないですけどそれは最優秀の証書ももらえる成績です!!!!」

 「そうだよぉ〜、お兄ちゃんすごいんだよぉ〜!」

 わたしの言葉にお兄ちゃんは胸を張ってみせたが、あなたが(一応)社長だということしか知らない妹は、会長だかなんだかとにかく上の人がいるとも知らない。もしその人がこの本丸(会社)の状況を知ったらなんと仰るのか……。というか、お兄ちゃんの評価はともかく、お兄ちゃんのところで働いている人たちにご褒美(という名のボーナス)を出すのはお兄ちゃんであることに間違いないのでは。……この人ほんとに仕事してるのかな……。ちなみに長谷部さんにはお休みをあげてほしい。あの人の気質もあるんだろうけど、今のままではブラック通報も間違いない。
 色々なことを考えてヒヤッとしているわたしに、三日月さんはにこにこと「、じじいが初めに百を獲ったのだぞ。すごいか? ん?」と言いながらすすっと寄ってくると、わたしの手を取ってご機嫌だ。……平安貴族はほんとわたしには未知の存在である……。
 すると、小狐丸さんも素早くわたしの隣へと寄ってくる。

 「姫さま、小狐はまだまだ伸びしろがございますゆえ、此度で最も活躍してみせたのは私ですよ」

 それを聞いて、不思議ちゃん――常人には理解できない人こそ天才という例は、世の中にごろごろ転がっていると気づいてしまった。確かに凡人が理解できるならば、それはものすごい発見にはなりえない。つまり――小狐丸さんって天才なのでは……?
 だって三日月さん(結構発言権がありそうなので、歴が長そう)と鶴丸さん(この人もいつもドンと構えている)と同じ成果を出したって、この人つい最近の中途入社……。
 わたしはごくりと喉を鳴らして、慎重に口を開いた。

 「……こ、小狐丸さんは……以前はどこで何を?」

 小狐丸さんはにこりと微笑んだ。

 「ぬしさまに喚ばれるまでは、神域で控えておりました。この本丸に顕現されたこと、大変光栄に思っておりますよ。姫さまにこうしてお会いできたのですから」

 「……なるほど」

 …………なるほど。……シンイキ……あとで検索してみよう……。聞いたことないけどなんだかものすごくすごそう。一体どういう経緯でお兄ちゃんが小狐丸さんを引き抜きできたのかな……優秀すぎ……どこでもやっていけるし、どこも欲しがる人材じゃないの? 変わってる人だけど……。
 すごいなぁと深く頷くわたしを見て、鶴丸さんが眉間にぐっと力を込めた。不愉快そうというか、機嫌が悪そうというか……ふてくされているような顔である。

 「おいおい、それじゃあ俺も言わせてもらうが、俺は三日月にあれこれ邪魔をされて出陣数はこいつらよりずっと少ない。その上で百を獲ったんだぞ。出陣のたび、必ず誉を獲った」

 それを受けて三日月さんはお衣装の袖で口元を覆うと、不思議な色合いの瞳をゆったりと細めた。

 「俺は邪魔なぞしておらんではないか、人聞きの悪い。おまえでは力不足であろうと、俺が代わってやっただけだ」

 ……何をやってるんだこの人は……。
 競い合うことそのものは悪いわけでもないと思う――現にお兄ちゃんが最優秀の証書をもらっているわけで、会社としてはうまくいっている――けれど、これは切磋琢磨ではなくただ足を引っ張っただけっていうお話なので……。
 っていうかわたしがここに呼ばれた本題からしておかしい。この人たちは何を考えてるの? せっかく一位を(信じられないことに)百回も獲ったのに、その褒賞をなぜわたしに頼むのかな? わたしここには毎週末顔を出してるけど、お兄ちゃん(一応社長)の妹ってだけで、そんな大層なものをあげられる立場ではないんですがっていう。いや、ここに来てるのはお兄ちゃんのワガママといえど、何から何までお世話になっているわけだし、料理をすることに関しては何も問題ないんだけど……。

 「なんでわたしの料理が食べたいんですか? それだけ貢献してるんですから、ここは兄に言ってもっとおいしいものを――」

 お兄ちゃんがダァンッ! と畳に拳を叩きつけた。

 「ちゃんが作ったオムライスお兄ちゃんも食べたいよ!!!!」

 年甲斐もなく半べそで言うことがそれかぁ〜! さすが家が誇る(ドがつくシスコン)お兄ちゃんである!

 「……あぁ、なるほど……」

 まぁどういうことだかは分かった。
 どこから聞きつけたのかは分からないけれど、光忠さんたちがダウンして、ちびっ子たちがお菓子しか食べてないと聞いて慌てて帰ってきた日のことを言ってるわけだ……。下手したらこうなるから、一応お兄ちゃんたちには(うるさいから)内緒だよって言ったんだけど、あれだけ喜んでくれてたからなぁ。誰が言ったとしても責めるわけもな「今剣がに褒美をもらったと、何度も俺に話を聞かせにきた! どうして今剣にはやるのに、この俺には食べさせてくれなんだ!!」……なるほどいまつるちゃん! 確かに何度も何度も「ひめからのほうび!」と嬉しそうにぴょんぴょん跳ねていた。いまつるちゃんはものすごく賢いとってもいい子だけれど、主に三日月さんには基本塩対応なので、あの日わたしがお兄ちゃんと三日月さんを放っておいたことで色々察したんだろうな…………だからこそなぜ三日月さんに言っちゃったのかな?! と思わずにはいられない。けど、いくらいまつるちゃんでもちびっ子である。あれだけテンションが上がっていたわけだし、三日月さんに話をしている時を想像してみればかわいいだけである。何も問題ない。
 まぁ、めそめそしている三日月さんにそう言えるわけもなく、「いや、三日月さんは寝込んでたじゃないですか一応。それにあの時は、堀川くんがおかゆを作ってくれたし――」と言ったところで、小狐丸さんが首を振る。それから、きつね耳をしゅんとさせた(ように見えた)。

 「私はあの日、出陣の命を受けていたので本丸を空けておりましたから、そのようなことがあったなど露知らず……。ですが、私も姫さまからの褒美を賜りたく、今日まで励んでまいりました。ですから、褒美を頂くなら姫さまから頂きたいのです! そうでなくては意味がありませぬ……。小狐めは、姫さまがお作りになったものを食べてみたいのです……!」

 悲痛な声で訴える小狐丸さんに続いて、鶴丸さんも困ったように頬をかいた。

 「……きみが短刀たちに甘いのはよく知っているが、俺たちだってきみに尽くしているはずだぜ。誉が百では足りないなら、あとは何をすれば褒美をやろうという気になってくれる?」

 …………褒美と言うなら、褒美と言うにふさわしいものをねだればいいのに、なぜわたしの料理を食べたがるのかまったく分からない。分からないけれど、ここでのことは大体が分からないことばかりなので。

 「いやそんな大袈裟な……褒美なんかじゃなくて、普通に作りますよそんなの……」

 めそめそしていたはずの三日月さんがはじけるような笑顔を浮かべて、上擦った声で「ほ、本当か?! ! じじいにおまえの手料理を食わせてくれるか?!」とわたしの両手をぎゅっと握る。……分かりやすいというか……ほんとお兄ちゃんにそっくりというか、まるでお兄ちゃんを相手にしているかのような……と思いながら、わたしも(乾いた)笑顔を浮かべる。

 「まぁ(三日月さんには覚えがないけど)いつもお世話になってますし、わたしの料理でよければ」

 わたしの言葉に感激した様子で、小狐丸さんが肩にそっと頬を寄せてくる。……ん?! 距離感がおかしいな〜〜?!?!
 なんとか体を引いて距離を取るも、小狐丸さんはまったく意に介さずにすり寄ってくる。て、天才の考えることはわたしには分からないぞ〜〜〜〜!

 「姫さま……! 小狐は嬉しゅうございます! 私は今剣から聞いた、おむらいすとやらが食べとうございます!」

 オムライスの発音がなんだかとてもたどたどしいなぁと思いながら、そのくらいならわたしも作れると頷こうとすると、お兄ちゃんが小狐丸さんをべりっと剥がして勢いよく挙手をした。

 「ハイハイハイッ! リクエストならお兄ちゃんだってあります! お兄ちゃんはハンバーグがいいですッ!!!! ハンバーグ!!!!」

 「や、それならじじいは肉じゃがが食べたい」

 …………。

 「……見事にバラバラ……っていうかお兄ちゃんにリクエスト権はないよ……」

 ある程度の希望は聞くとしても、お兄ちゃんの希望は何も通す気がない。
 だってここを預かってる立場にあるのに、風邪に倒れた人たちは寝ときゃ治るとか自分ルールで放っておくし、その皺寄せがちびっ子たちにいったってこと分かってるの? 分かってないよね?
 わたしは溜め息を吐きつつ、「あ、鶴丸さんは何か食べたいものあります?」と一応聞いてみると、ふわっと花が綻ぶような微笑みを見せた。頬がほんのり染まって…………わたしは今自分の性別が恥ずかしい。鶴丸さんなんなの美人すぎでしょこんな人が男性ならわたしはなんなの……。

 「俺は、きみが俺のために作ってくれると言うなら、なんだって構わない。品が大事なわけじゃないんだ。きみが作ってくれることだけが大事なんだ」

 ……うーん、鶴丸さんは見た目詐欺だ見た目詐欺だと常々思うような振る舞いばかりの人だけれど……彼が本気でこの人と思った女性は、一人残らず恋人にしてきたに違いない……。これにほだされない人はきっと鋼の心の持ち主だ。わたしはとっても平凡な普通の女なので、美形に心が揺さぶられないということはない。縁がないからこそ憧れるものである。

 「…………鶴丸さんの食べたいものにします、反論がある人には作りません」

 三日月さんがすくっと立ち上がって、「っ! えこひいきは良くないとじじいは言ったぞ! 俺は肉じゃがが食べたい!」と地団駄を踏む。……この人はほんと……。
 小狐丸さんが、まるで小動物のように目をうるうるとさせた(ように見えた)。

 「姫さま! 小狐はおむらいすが食べとうございます! 今剣が! 何度も私に聞かせてきたのです! 羨ましゅうて羨ましゅうて、何度枕を濡らしたことでしょう……! ふわふわの卵が食べとうございます……!」

 ……小狐丸さんて結構がっしりしてる人だけど………………なんだろうな、この愛玩動物が構ってほしいと鳴く姿が思い起こされるのは……。

 「……小狐丸さんにはオムライスにしましょう」

 わたしはもしかしなくともめちゃくちゃチョロい女かな……? と若干遠い目をしてしまった。そんなわたしの肩を揺さぶって、お兄ちゃんが「ねえお兄ちゃんは?! お兄ちゃんのハンバーグは?!?!」としつこく騒ぐ。三日月さんも「っ、じじいは肉じゃががいいぞ!」と繰り返しうるさいけれど、わたしはどちらも聞こえないふりをする。

 「鶴丸さん、なんでも好きなものをどうぞ」

 鶴丸さんは一瞬目を丸くしたけれど、考えるように少し黙り込んだ。

 「……おひいさんの得意料理はなんだ?」

 ……と、得意料理……得意料理か……。プロの料理人顔負けのスキルがある光忠さんを筆頭にとんでもなく器用な人ばかりが作る食事を毎日食べている人を相手に、得意料理を答えるのか………………下手なことは言えないぞ〜〜〜〜!
 自然と頬が引きつった。

 「えっ、と、得意料理と言われると…………や、野菜炒め……? とか……?」

 いや、他になんて言えばよかったの……。野菜炒めすらわたしは自信を持てないぞ……。
 けれど、鶴丸さんは嬉しそうに頷いた。

 「そうか。なら野菜炒めを作ってくれるかい?」
 「え゛っ?! いやっ、そんな大したもの作れませんけど、もっとこう、いいんですよ?」

 そういえば一応はご褒美――いや、ここはお祝いとしておこう――なわけだから、お祝いらしいものを言ってくれたほうがいい。あんまり期待されても困るけれど、だからといって野菜炒めでは……とわたしは思ったのだが。

 「品はなんだっていいんだと言っただろう? ただ、きみが丹精込めて作ってくれたらそれでいい」

 「……ほんとにいいんですか?」

 鶴丸さんは心底嬉しい、幸せだとでもいうような、はにかんだ微笑みを浮かべた。

 「あぁ、もちろんだ。……ははっ、言ってみるもんだなあ。きみに会えるようになったのすら夢みたいだったのに、まさか手料理が食えるなんてな!」

 「そ、そんな大袈裟な……」

 なんて恥ずかしいことを臆面もなく……と俯きそうになった瞬間、あまりにも勢いよく引かれた障子戸によって風が起こり、髪が舞った。意味が分からないけれど、とりあえず障子戸は無事なようで一安心――いやいやいや?!?!

 「話は聞かせてもらったよ!」

 風が起こるほどの勢いで現れたのは、本丸のお台所マスター光忠さんだった。

 「っみ、光忠さん……び、ビックリした……!」

 ドキドキする心臓を押さえつけるわたしにずんずんと近寄ってきて、光忠さんは難しい顔で早口に言う。

 「ちゃん、また厨に立つ気なの? 前回は怪我をしなかったからって今回までそうだとは限らないよね?」

 おおっと今の光忠さんはお台所マスターではなく(過保護な)ママらしいぞ〜!
 どう見ても怒っているママ(過保護)を前にして、お兄ちゃんが若干青い顔で「おいっ誰だ燭台切にチクったヤツ!」と悲鳴を上げると、廊下から宗三さんが顔を出した。浮かべている表情がとても……とても小姑……。

 「人聞き悪いですねえ。僕はたまたま話が聞こえてしまったのを、たまたま通りかかった燭台切に話しただけですよ。世間話です」

 ややこしいことをしてくれたなぁと苦い顔をすると、宗三さんが「まったく、姫であるを厨に立たせるなんて、そう何度も許せることではありませんよ」と言うので……なるほど、そういう……。
 その間も光忠さんはぷりぷり怒っていて、けれどその割には優しくわたしの両肩を掴んだ。

 「ちゃん、主のワガママなんかいちいち聞かなくっていいの! ちゃんは本丸に帰ってきたら、僕たちになんでも頼ってゆっくりするのがお仕事なんだからね!」

 まるで言い聞かせるかのような調子で言うので、まったくママ(過保護)もしょうがないな……と思って、なんとかなだめようと口を開きかけてやめた。お母さん(過保護)まで現れてしまっては、もうわたしにはどうしようもない。ちなみにここで言うお母さんとは実母ではなく堀川くんのことである。

 「そうだよ、ちゃん。この人たちには僕たちがよく言ってきかせるから、何も気にしないで。――そうですよね? 主さん」

 笑顔(威圧)の迫力が今日もすごい……とどこか他人事のように思っていると、お兄ちゃんがもっと顔色を悪くして「っぐ……! 宗三おまえ……堀川にまで話すとは……ッ!」……中学生の笑顔(威圧)に怯む……これが社長だっていうんだから世の中分からないよね……。
 お兄ちゃんの言葉に、宗三さんがうっそりと笑った。

 「嫌ですねえ、もちろん彼にも話しましたよ」
 「まっ、まさか……ッ!」

 ダダダダダッという地鳴りがしたと思ったら、「主ッ!!」という声と共に歌仙さんが部屋に飛び込んできた。
 いよいよヤバそうな顔色のお兄ちゃんが、「かっ、歌仙……! 宗三てンめェえええ!!」と叫んで宗三さんを捕まえようと立ち上がったが、もちろん歌仙さんはそんなことは許さないし、宗三さんはその様子を見て笑っている。
 いや、お兄ちゃんのような騒ぎ方はしないけれど、なぜ宗三さんは歌仙さんにも知らせちゃったのかな……わたしまで(なんでなのかサッパリだけど)お説教されちゃう……。
 歌仙さんは般若も裸足で逃げ出しそうな形相で、「先日の件があるというのに、姫であるを厨に立たせようだなんてきみは何を考えてるんだッ! 僕は主をそんな情けない主君にした覚えはないぞッ!!」と怒鳴った。お兄ちゃんの胸ぐらを掴み上げながら。……うそでしょ?!?!
 掴み上げられているお兄ちゃんは冷や汗をかきつつ(そしてちょっと浮いた足をバタバタさせながら)涙目で弁明した。

 「歌仙ちょっと待て落ち着け!! ちゃんが! ちゃんがご褒美くれるって! だからお料理してくれるって! ちゃんがやってくれるって言ったの! 俺たち表彰されたからご褒美くれるって!!!!」

 ぴたっと歌仙さんが動きを止めた。ドサッとお兄ちゃんが畳に落とされる。

 「……なんだって?」

 ……お、おっと、不穏な気配が……。

 「主の表彰、それに貢献した俺たちに、おひいさんが褒美を授けてくれると言った。きみといえど、口出しはさせないぜ」

 鶴丸さんそれ今言わないでくださいよ〜! と思いながら、わたしは現状どういうポジションでいればいいのか……と考えようとしたのだけれど――。

 「……
 「はっ、はい!」

 何を言えば(謎の)お説教を回避できるのか、そんなことを考える猶予すら与えてくれない。
 ……え〜〜何言われるのかな〜〜。歌仙さんてうちの親戚のおばさんたちくらい口うるさいから……。
 ごくりと喉を鳴らすわたしに、歌仙さんがいやに真剣な顔で「きみが、褒美を授けると、そう言ったのかい?」と言う。
 ……と、とりあえず正直に答えよう。

 「えっ、え、えーと、作るとは言いましたけど――」

 歌仙さんがさっと目頭を押さえて叫んだ。

 「姫として家臣に褒美を授けようだなんて……! きみはっ、きみは……り、立派になったね……!」

 …………。

 「え゛っ」

 懐から取り出したハンカチで目元を拭いながら、歌仙さんはゆっくりと口を開いた。

 「……燭台切、心配ならきみも厨に来るといい。堀川も、手伝うと言うならそれもいいだろう。――宗三。確かに、姫君であるが厨に立つなどあってはならないが……姫として、家臣に褒美を授けるためだと言うなら、僕たちは立派なことだと褒めてやるべきではないかな?」

 ん、んんん〜〜……ツッコミどころが満載だなぁ〜〜〜〜!
 けれど、そんな歌仙さんの言葉にみんながみんな疑問を持たない様子なのが一番のツッコミどころかもしれない。
 宗三さんはふんと鼻を鳴らすと、「……しっかり監督して、怪我などさせないでくださいよ。姫を厨に立たせて怪我をさせただなんて、恥ずかしくて表を歩けませんからね」と言ってさっさと背を向けていってしまった。
 その背中に、歌仙さんが「あぁ、もちろんこの僕が、初期刀としてしっかり見守っているさ。任せてくれ」と言う。
 さて、わたしはどうしたらいいんだろうな〜? と思っていると、歌仙さんが「皆、それで構わないね?」と部屋を見回した。

 「……危ないと思ったら、僕がすぐに代わるよ」

 光忠さんは本当に渋々……という顔で言った。対して堀川くんは笑顔で、「お手伝いなら任せて! ちゃん、何も心配しなくていいよ。僕たちがついてるからね」と……あれ、これは二人ともほんとにお台所でわたしを見てるつもりなのかな……?

 「……うっ、うん……」

 許可が出たことで喜んでいるお兄ちゃんたちには悪いけれど、わたしはこれからこそ恐ろしい。いや、(なんで必要なのか分からないが)許可は出たわけだし……あ、あれ……これで……いいのかな……? いや、でも待って……? わたしははじめてのおてつだいをする幼児とかじゃないよね……? あれ……?






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