障子戸の外から、そっと声をかける。 「長谷部さん、ですけど……入っても大丈夫で――っとぉ! び、びっくりした……!」 すると中から飛び出してきた何かが、腹部に突進してきて――。 「〜っ! 長谷部にしっかり休めっち言うてくれんね! 俺の言うこつば聞かん! このぼんくら!」 何かの正体は、大きな目に涙を浮かべた粟田口家の博多くんだった。 ……ものすごく失礼な物言いだとは思うけど、長谷部さんみたいなエリート社畜と博多くん(無邪気なちびっ子)との共通点が見つけられないので、博多くんがここにいるのには正直びっくりなわけだが、長谷部さん(属性、エリート社畜。状態、瀕死)の様子を見てくれていたようで安心したのは言うまでもない。めちゃくちゃ顔色悪いけど生きててよかった……! 長谷部さんは青い顔でフラフラと布団から体を起こして、「おい、ぼんくらとはなんだッ!!」と噛みついたけれど、わたしの姿を認めると「様……! な、なぜここに……っ!」と言ってすかさず土下座をしようとするので、慌てて止めようと口を開く間際でいまつるちゃんが冷たく言い放った。 「おまえがなさけないからですよ、はせべ。ひめがじきじきに、おまえをおしかりになりますから、よくはんせいなさい。さっ、どうぞひめ!」 「違うよいまつるちゃんこれはおみまいだよ……!」 ほんとに今日はどうしちゃったのいまつるちゃん……! 長谷部さんにだけは塩対応は勘弁してあげてほしいな……! だってじゃないとこの人は――と思ったところで、やっぱり長谷部さんは布団から飛び出して畳に額を思いっきり打ちつけた。やるって思ったけど……! なんでみんな風邪をひいたくらいのことをそんなに重く受け止めるの……! 重く受け止めるにしても「……申し訳、ありません……! 様が本丸にお戻りになったというのに……ゆったりと疲れを癒すお手伝いをさせていただくこの俺が、このような……っ! 腹を切れと仰るなら、俺は……俺は……!」……なぜちびっ子ではなくわたし……。わたしのことはいいんだよって一体何度思えばっていうか! 「そんなこと言うわけないでしょ?! ちびっ子たちの前で恐ろしいこと言わないでください……!」 いまつるちゃんは長谷部さんのそばへ座ると、ビシッと青い顔を指さした。 「ききましたか、はせべ。ひめは、おまえのしったいをせめるどころか、ぼくたちをあんじてくださっています。おまえのはらをきったところで、なにもかいけつしません。ひめにたいする、おまえのちゅうぎがほんものなら、さっさとかぜなどなおしなさい」 いまつるちゃんの鋭く光る目に心臓が痛くなる……。長谷部さんみたいなエリート社畜にそんなプレッシャーを与えたらだめなんだよっていうか塩対応にふさわしい人は(誰とは言わないけど)もっと他にいるよ……! 「……今日はほんとにどうしたのいまつるちゃん……とっても厳しい……そして一番優しくしてあげなくちゃいけない人には更に厳しい……」 意図せず声を震わせてしまったわたしに、いまつるちゃんはぱっと無邪気な笑顔を浮かべた。 「ひめが、じゅうぶんすぎるほどやさしくなさってますから、ぼくはきびしくしてやらないといけません! みな、たるんでいるからこのありさまなんですからね!」 ……な、なるほど…………なるほど〜〜! 確かに体調管理って大事だし、きちんとすべきこと――なんだけど生きてれば体調崩す時は崩すから、そんなに厳しくしないといけないことでもないんだよなぁ〜〜! いまつるちゃんの言葉に感心半分、思考が完成されすぎてて困惑半分で「そ、そっか……」としか返すことができなかった……。 ――気を取り直して。 「えーと、とりあえず長谷部さん、体調はどうですか? わたし、長谷部さんが一番心配で――」 長谷部さんがダバーッと涙を流すので思わず後ずさってしまった。じょ、情緒不安定なのかな? やっぱり体の疲労だけじゃなく、エリート社畜ならではの心労っていうものがあ「もったいないお言葉です……ッ!!!! 怠慢で風邪などにかかった不甲斐ない俺に……。一刻も早く回復し、また様に誠心誠意仕えさせていただきます! ……俺が戻るまで、様を頼んだぞ」……そういう心配はまったくしなくていいし、わたしに“仕える”ってそれは仕事じゃないし…………ツッコミどころ多すぎて追いつかないからまとめると全部間違ってますとしか言いようがないぞ〜〜〜〜! いまつるちゃんが胸を張って、「あたりまえです!」とドヤッとした顔で言うのが大変かわいくてほっこりしたのだが、すぐに「はやくもどって、つぎこそひめのおちからになるように!」という言葉が続いたので肩が重くなったような気が……。 そして長谷部さんも青い顔で「当然だ」とか言うのやめましょうね……まずあなたは休みましょう……! けれどこの人が素直に休んでくれるとも思えないので……なんていうか……。 「社畜精神ここに極まれり……!」 とにかく仕事――仕事ではない内容のほうが多い気がするけど――が好きなのかな、この人は……もうそこからどうにかしないと、この人がエリート社畜を脱却するのは無理なんじゃ……? と思わず額を押さえたところで、スーツの裾をつんと引っ張られる。 「、」 しょんぼりした様子の博多くんに、「うん?」と返事して顔を覗き込むと――。 「あったかいメシ、食いたいばい……」 …………!!!! 「おいっ博多! おまえ何を――」 長谷部さんの言葉を遮るように、思わず博多くんを抱きしめてしまった。だって、だって、だって……! 「やっとちびっ子らしい発言を聞けた……! うん、もちろんだよ! お腹空いたよね、何か作るからね! 博多くんは何が食べたい?」 いまつるちゃんはもちろん、前田くんもしっかり……しっかりしすぎていて、病人たちにこそ厳しいものだから、博多くんが表情を輝かせて「オムライスがよか!」なんて言ってくれると涙でも出そうである……。 「……オムライスね! オッケー! オムライス食べよう!」 ぎゅうぎゅう博多くんを抱きしめるわたしに、長谷部さんが声を震わせた。 「様! ま、まさか厨に立たれるなど……!」 いや、わたし一人暮らししてるんだから、普段は自炊くらいしてるよここでは何もしてない――させてもらえないとも言う――けど光忠さんたちほどすごいものは作れないにしても、料理そのものはそれなりにやってる(はず)。 「あー、いいんですいいんですこのくらい! というかやらないとわたしの気が済みませんから!」 「しっ、しかし……!」 食い下がる長谷部さんに、いまつるちゃんが静かに言う。 「ひめが、こうおっしゃっているんです。ほんまるのてっそく、そのいちですよ。それにぼくとまえだ、たいこがねもついています。しんぱいむようです」 前田くんもキリッとした顔つきで「はいっ、お任せください! 必ずお守りいたします!」と言う。 その様子を見て、貞ちゃんが明るい笑顔を見せる。 「ケガなんて絶対させやしねえから、あんたはよーく休んでな。じゃねえと姫は余計に心配しちまう。なっ、姫!」 ……いい歳した大人のわたしが、台所に立つくらいでなぜこんなにも心配されてるんだろう……と若干遠い目をしつつ、貞ちゃんのナイスアシストにわたしも強く頷く。 「そう! そうですよ! 長谷部さんがゆっくり休んでくれないとわたし安心できませんから!」 長谷部さんは苦い顔で「ぐっ……!」と呻いたかと思うと、とても渋々といった様子で「…………様が、そう、仰るなら……。……必ずすぐに戻ってみせます! それまでどうかご無事で……!」と…………長谷部さんの中ではわたしは戦地にでも向かうことになってるのかな? 苦笑いしかできない。 「は、はい、分かりました……。ええと、それじゃあ博多くんも一緒に行こうか。堀川くんがついてるみたいだけど、ちょっと兼定くんの様子を見たいから。そしたらすぐにご飯にしよう」 「もちろんついてくばい! 俺ものこと守っちゃるけんね!」 「うん、ありがとう。じゃあ長谷部さん、お大事に」 そっと頭を下げるわたしの倍以上に頭を下げながら、長谷部さんは感極まったような涙を浮かべた。長谷部さんが一番ヤバそうなんだから、ほんと大人しくしててほしい。 「はいっ! 様、ご足労ありがとうございました! このことは永遠に忘れません……!」 …………。 「あ、あぁ、はい……」 けど、このエリート社畜はもうどうにもならないのかもしれない……レベルがちょっと普通じゃない……。 さて、それじゃあ兼定くんのところへ行こうと、博多くんも連れて廊下を進んでいた。 「あれっ、ちゃん何してるの?」 後ろから声をかけられて振り向くと、目を丸くした堀川くんが。 お母さん属性の彼はこういう時にこそ頼りにしたい――わたしが風邪をひいた時の(手厚すぎる)看病はすごかった――が、兼定くん以外は眼中にない様子だったので……いや、兼定くんの看病をしてくれてるだけいいのかな……。 ――と、まぁそれは置いておいて。 「あ、兼定くんの様子見に行こうと思ってたの、ちょうどよかった。具合、どうかな?」 わたしの言葉に堀川くんは「ええっ、わざわざいいのに!」と言ったけれど、まともな大人がいないことを抜きにしても、いつもお世話になっているわたしが知らんぷりというわけにはいかない。そう思って様子を見させてもらっているのだから、できることはしなければ。ちょっと倒れた人の数も多いので、お手伝いは頼むと思うけれど。 そのことを堀川くんにお願いしようと思ったのだが。 「兼さんのことなら心配しなくていいから、ちゃんはのんびりしてて? お仕事、今週も疲れたでしょ? 僕がお茶淹れようか?」 「えっ、いいよいいよそんなの!」 ……ほんとなんでここの人はわたしの面倒ばっかり見ようとするんだろう……わたしのことはちびっ子たちよりもちびっ子――もはや赤ちゃんにでも見えてるんだろうか……。……そんなこと言ってもしょうがないんだなってもう気づいてしまっているので、ここはさっさと本題に入ろう……。 「あ、それでね、お台所使ってもいいかな? 倒れちゃった人たちのおかゆを――」 お母さん(過保護)は最後まで言わせてすらくれなかった。 「もう〜! 兼さんが風邪なんてひくからちゃんが余計な気を使っちゃったじゃない! ちゃんがそんなことしなくっていいんだよ! みんな寝てればそのうち治るから!」 し、しまった〜! 兼定くんの看病はしてるからって気を抜いてしまったのが敗因〜〜! けれどここで折れるわけにはいかないので、どうにか説得――なぜそんな必要があるのかさっぱりだけど――をしようと、わたしは頬を引きつらせつつもなんとか笑顔を作った。 「そ、そういうわけにはいかないよ〜! いいんだよ、いつもお世話になってるんだからこのくらいさせて? ね?」 すると堀川くんは目を吊り上げて、力強く声を張った。 「ちゃんにそんなことさせるくらいなら僕がやるから! 寝てる人たちの分、用意すればいいんだよね? ちゃちゃっとやってくるよ!」 「えっ、堀川く――い、行っちゃった……」 ……なんだかわたし余計なことしかしてないような……と思うと声が震えた。 いまつるちゃんがわたしのスーツの裾を引いて、ぴょんぴょん飛び跳ねる。 「ほりかわがやるといってるんですから、ここはまかせてしまっていいですよ!」 頭の後ろで腕を組んで、貞ちゃんも頷く。 「うんうん、甘えていいと思うぜ。そもそもお姫さんが厨に入るなんて、ホントはしなくていいんだからさ!」 いやそういうわけにはさ……と言おうとしたのだけれど、粟田口家の二人も揃って頷く。 「ええ、堀川さんならきちんとやってくださいます! お任せしていいと思いますよ」 「そうったい! 任しといてよか!」 ……そうなると、お兄ちゃんの妹というだけでぶっちゃけ部外者であるわたしはこう言うしかない。 「う、うーん……じゃあ、任せていいのかな……。じゃあ兼定くんの様子をちょっと見ていって…………堀川くんがお台所出たらご飯にしようね」 あ、でももしかしたら、その部外者であるわたしにはお台所に入ってほしくないとかそういう……と思って眉間にしわを寄せると、飛び跳ねるのをやめたいまつるちゃんも眉間に皺を寄せながら、ためらいがちに口を開いた。わたしを見上げる大きな赤い瞳は、不安そうに歪んでいる。 「……ひめがどうしてもというなら、ぼくはとめませんが……でも、むりにりょうりなんてしなくてもいいんですよ? ぼくたちのことはきにしなくても……」 ……お台所組にはあとで一応謝るとして。 やっぱり、ちびっ子たちにこれ以上不摂生をさせるわけにはいかない。けれど、しっかりしすぎているいまつるちゃんが遠慮してしまうとなると……と思ったところでとってもいいことを思いついた。これなら今日は何かと厳しいいまつるちゃんも、きっと頷いてくれるに違いない。……まぁあんまりこういうこと言いたくないんだけど仕方ない。苦肉の策とはまさにこれ。 意を決して、わたしはいまつるちゃんと目線を合わせるため、ゆっくりと屈んで小さな両肩に手をおいた。 「……いまつるちゃん、これはご褒美だよ。みんな今日まで頑張ったから、あったかいオムライス、みんなで食べ――」 いまつるちゃんは、今まで見た中でも一番かもしれない笑顔を浮かべた。 「ほうび! ききましたか? ひめが、ぼくたちにほうびをくださいますよ! わーいっ!」 ぴょんぴょん跳ねて喜ぶいまつるちゃんに、あっ、よかった……! と思う反面、違うんだよ〜! 当たり前のことだから違うんだよ〜〜! という気持ちが拭えない。 けれど、ほんのり頬を赤らめて「あ、ありがたく頂戴いたします……!」とはにかむ前田くんを見たら、う、うん、まぁいいや! とわたしはなんとか複雑な思いを飲み込むしかなかった。 「へへっ、今日まで我慢したかいあったばい! うれしか!」 ……我慢……我慢……! 切なさが爆発しそうである。 「なぁなぁ、俺にもくれるかい?」 そして貞ちゃんのこの言葉が決定打。 「〜っ当たり前だよみんな頑張ったで賞だよ……!」 思わず目頭を押さえていると、「では、いずみのかみのみまいをさっさとしてしまいましょう!」と言ったいまつるちゃんが走り出して、ある部屋の障子戸をスッパーンと勢いよく引いた。 「いずみのかみ! ひめのおなりですよ!」 「いまつるちゃん大袈裟だよ……!」 そして病人の部屋の障子戸を……! と今日何度目かのことを思いつつ、慌ててわたしも部屋まで走る。 すると、中からひょっこり清光くんが顔を出した。そういえば、彼は安定くんの他に意外にも兼定くん、堀川くんコンビとも仲が良いと言っていたな、と納得する。 「! なんでこんな早く帰ってきたの? なんかあった――まさかまた体調悪いわけ? 寝てなよ何してんの?!」 心配はありがたいんだけれどもだからなんでわたし……! その優しさを他の人たちにも……! とこれも今日何度目かな? というふうに思いながら、「いやいやわたしはなんともないよ! 体調悪いのは兼定くんでしょ?!」と言って部屋の中を覗く。 布団で横になっている兼定くんのそばに、安定くんが座っていた。目を丸くしてわたしを見つめてくるので、苦笑いが浮かんでしまった。 「え……あっ! チャットで話したからわざわざ早く来てくれたの?! え〜っ、めちゃくちゃ嬉しいんだけど〜!」 わたしの腕にぴたっとくっついて甘える清光くんのJK力が今日もすごい。安定くんは体をこちらに向けながら、心配そうに眉を下げた。 「……ちゃん、仕事大丈夫なの? 無理して帰ってきたんじゃない?」 「ううん、いいのいいの! 兼定くん、具合どう?」 心配してくれるのはほんとにありがたいんだけれど、ここの状態を見てしまえば仕事なんて全然大したことじゃないよと言いたい。 兼定くんがゆっくりと起き上がったので、そっと彼のそばへと寄る。 しゅんと落ち込んだ顔で、「おう……すまねえ……。風邪なんざ情けねえったらねえぜ……。おまえに仕事まで抜けさせるなんてよぉ……」と声を震わせる彼の背中を慌ててさする。 「いいんだってば! 堀川くんが看病してくれてるみたいだけど、やっぱり心配で……。あ、おかゆ、堀川くんが用意してくれるって。薬も薬研くんと乱ちゃんにお願いしてあるからね。何も気にしないでいいから、ゆっくり休んで」 「……世話をかけて悪い。ありがとな」 ほんのちょっとだけれど、笑ってくれたので一安心である。 「ううん、いいんだよ。で、ちびっ子たちにオムライス作るから、清光くんと安定くんもおいで。他の子たちにも声かけておいてくれる?」 清光くんはぱあっと表情を輝かせた。 「えっ、が作ってくれるの?! えっえっ、ちょーたのしみ! すぐ声かけてくるよ! みんな集めればいいの?」 すぐにでも駆け出しそうな彼にきっぱりと言う。 「あ、役に立たない大人組には声かけなくていいよ」 「オッケー!」 「……ちゃん、ほんとに大丈夫?」 遠慮がちな目でわたしをじっと見つめる安定くんに笑ってみせて、丸い頭をぽんぽんする。 「大丈夫だってば。安定くん、オムライスは好きじゃない?」 すると、きゅっと唇を結んで「……ううん、嬉しいよ。ありがとう。僕も楽しみにしてるね」と照れたような控えめな微笑みを浮かべた。 「うん。じゃあお願いね」 「はいはーい! まっかせといて! 安定、いこ」 「じゃあまたあとで」 清光くんと安定くんに手を振って送り出すわたしを、博多くんがつんつんするので視線を向けると、こてんと首を傾げて「、これでもう全員の見舞い終わったと?」と言うので――。 「うん、終わりだよ」 三日月さんとお兄ちゃんは絶対大丈夫って確信してるから! 「、どこに行っていたんです? 探しましたよ」 お台所へと向かっている途中、宗三さんに捕まってしまった。けれど、今日までわたしは振り回される気はない。 「着替えならしませんからね。今からちびっ子たちのご飯の支度しますから」 わたしの言葉を聞いて、宗三さんはあからさまに表情を歪めた。 「……あなたが厨に?」 「そうです。っていうかほんと皆さん何してたんです今まで! いくらなんでもひどいですよこの状況!!」 はっきりと当たり前の主張をしたわたしに、しれっとした顔で「そう言われても、僕らは折れなきゃ死にはしませんしねえ」とか言うのでほんとにまともな人って誰一人ここにはいないのかな……? と震えた。 「いや折れちゃったらシャレになりませんよ……! ……とりあえず子どもたちのことはわたしが面倒見ますけど、大人組は自分たちでなんとかしてくださいね。そこまで手が回らないです」 「あなたがそんなことをする必要ないでしょう。厨になんて姫が立つものじゃありませんよ」 はあ、と溜め息を吐く宗三さんにはほんと、あなたこそお姫様なのでは? と言いたい。今までどう生きてきたの。自分の生活に必要なことどころか、家のお手伝いすらしたことがないのでは。 「あなたたちが今まで何もしなかったからでしょ……! とにかくそういうことですから、お願いしますね!」 肩を竦めて、「……仕方ありませんねえ……。好きになさい。けど、本来ならこんなことはありえないんですよ。そのことは分かっておきなさい」なんて言うので、わたしの推測は的外れということはなさそうだ……。 「……これだから雲上人は……!」 宗三さんは「堀川が粥を持って厨を出て行きましたから、どうしてもと言うなら今しかありませんよ」とありがたい情報をくれたけれど、続けて「あなたが厨に立つなんて、誰も望んじゃいないんですから」と言うので、ほっとくとくどくど(意味の分からない謎の)お説教をされそう。わたしはわざとらしいくらいの弾んだ声を上げた。 「あっ、ほんとですか? よしっ、さっさとやっちゃおう! ……宗三さん、お願いしますよほんと!」 もちろん釘を刺すことも忘れない。 宗三さんは分かっているんだかいないんだか、「はいはい、分かりました」とのんびりとした声音で応えて、ひらひら手を振って行ってしまった。 清光くんたちを始めとした中高生組にもお手伝いをお願いして、オムライスに加えてサラダとスープを作ったわけだが……そりゃあもうものすごい量になった。お手伝いがなかったらちょっと……いや、かなり厳しかった。うちはどれだけの子たちを預かってるのかなほんと……。確かにたくさんいるのは分かっていたけれど、なんだかんだで全員が集まったのは初めて――みんな、ちょいちょい外へ出ている。出陣とか遠征とか……つまり学校と……え、遠足とか課外授業的なものだと思う、多分――なので、全員が一堂に会してみると圧巻としか……特に粟田口家がすごい。 まぁとにかく。 「――お、終わった……。貞ちゃん、お手伝いありがとう……手際よくてめちゃめちゃ助かったよ……。いまつるちゃんも前田くんも博多くんも、すごく頑張ってくれてありがとう。みんなもあったかいうちに食べようね」 さすがにみんな揃っていただきますとなると、初めのほうに完成したものは冷えてしまうので、できあがった順にどんどん食べてもらうことにしていたのだが、貞ちゃん、いまつるちゃん、前田くんと博多くんの四人は最後まで手伝うと言ってくれたのだ。 「ひめのおちからになるのは、とうぜんのことです! みな、よろこんでたべていますよ!」 いまつるちゃんはぴょんぴょん跳ねながら、にこにこと無邪気な笑顔を浮かべる。……ほんとにしっかりしたいい子である……。 前田くんも頬をほんのりとピンク色に上気させて、「はい、当然です! 兄弟たちも、おいしいととても嬉しそうです! ありがとうございます、お嬢様」なんて言ってぺこりと頭を下げるので、ご両親の教育がほんとにしっかりしてるんだなぁと感心するばかりである。……どっかの大人たちにこの子たちの良識の半分……いや、三分の一くらいでもいいから分けてあげてほしい……。 「へへっ、役に立ててよかったばい!」 ふきんを片付けた博多くんが、照れたような笑顔を浮かべる。思わず頭をよしよしと撫でると、くすぐったそうに俯いた。 すると、貞ちゃんが「しっかし、俺はびっくりしたね!」と言うのでそちらに視線を向けて首を傾げると、大きな瞳をいたずらっぽく細めた。 「お姫さんだっていうのに、あんたこそ料理上手なんだからさ。一人で暮らしてると聞いちゃいるが、まさかいつも自分で飯の支度をしてんのかい?」 う、うん……ほんとこのお姫様設定を早急にどうにかしなければならないな……。 わたしはへらっと笑ってみせて、「そりゃあね」と言ったけれど、ここのお台所組たちの炊事能力を基準にしたら――。 「まぁ、お惣菜にほとんど頼ってるけど……」と付け加えるしかない。 貞ちゃんは肩を竦めて、「……それじゃあみっちゃんが心配するわけだなぁ……」と言って眉を下げた。 「あ、あはは……」 う、うん、光忠さんと比べられちゃったらね……もしかするとバリバリの主婦でもなかなか敵わないのでは? と思ってしまう……。だってあの人だってここで住み込みでお仕事してるのに、一体どうやっていつもあんなに手の込んだお料理を人数分作ってるのかな? っていう……。いや、光忠さんと歌仙さんを中心にして、その日その日でちゃんとお手伝いの料理当番があるみたいだけど、それにしたって……というようなことを考え始めたわたしの手を、いまつるちゃんがきゅっと握った。 「さぁひめ、ぼくたちもいきましょう! ぼくもはやくたべたいです!」 あぁそうだ! 話をしてる場合じゃなかった。こんなに頑張ってくれたんだから、早く食べさせてあげなくては。 「うん、そうだね。あったかいうちに食べよう!」 わたしと貞ちゃんで手分けして五人分のオムライスを運んで、空いている席につく。 二つ隣に座っていた清光くんが、わたしの顔を見るなり表情を輝かせた。 「あっ、! ねえ、めっちゃくちゃおいしい! 料理上手だねー」 きゃっきゃしながら「おいしー!」と片手を頬にあてる仕草がめちゃくちゃJK。こちらも思わず笑顔になってしまう喜びっぷりである。 「それはよかった。あ、野菜もちゃんと食べるんだよ?」 わたしの言葉に、清光くんは胸を張って「当たり前でしょ〜。お肌のためにも野菜はしっかり摂らないとね〜」と言って、早速プチトマトにフォークを刺した。 清光くんの向こう側からひょこっと顔を出して、安定くんが「ほんとにおいしいよ、ちゃん」と柔らかい笑顔を浮かべる。 こんなに喜んでもらえたら、フライパンを振りすぎて痛くなった手首もまったく気にならない。 やっとほっとできるなあと、「よかったよほんと、みんな喜んでくれて」と言ったところで、わたしの隣に座っている小夜ちゃんの手がまったく動いていないことに気づいた。 「……あれ、小夜ちゃん、どうしたの? もしかして卵、ダメだった? それとも嫌い?」 小夜ちゃんは俯いて、小さな声で「ううん、違うよ……。ただ……」と言葉を詰まらせた。なるべく優しい調子で、「うん?」と促す。すると小夜ちゃんは顔を持ち上げて、じっとわたしの目を見つめると――。 「……本当に、僕が食べていいの……? 宗三兄様みたいに……僕はあなたに、何もしてあげられていないのに……」 ……宗三さんがしてることは真似しなくていいし、そもそも……そもそもね?! とわたしは気持ちを高ぶらせたまま、「……何言ってるの……! 食べていいに決まってるでしょ?! あったかいうちに食べて!」と言って小夜ちゃんにスプーンを握らせた。 「……うん。……ありがとう」 「いいんだよ……! ほら、食べて食べて!」 小夜ちゃんは一口食べると目を丸くして、それからほっぺたをちょっぴり赤らめると――。 「……すごく、おいしいよ。……ありがとう、」 …………!!!! 「ううっ、わたしのほうこそありがとう……!」 反対側の隣から、いまつるちゃんが弾んだ明るい声を上げる。 「ひめ! ほんとうにおいしいです! えへへ、ひめからのほうび! とってもとってもうれしいです!」 色々な感情が入りまじったなんともいえない気持ちで、わたしは声を震わせながらも「夜ご飯は何にしようか? なんでも作るよわたし……!」となんとか詰まらせることなく言った。 後ろから「はいはーい! 俺はから揚げ食べたいです!」という鯰尾くんの声がした。振り返ると、鯰尾くんの腕を引いて頬を膨らませる乱ちゃんと、ぱちりと目が合った。 乱ちゃんは恥ずかしそうに唇を結んだ後、「鯰尾にぃズルイ! ……ちゃんっ、ボクはハンバーグがいい!」と笑顔を見せてくれた。 泣かせてしまったから、どうしてるかと気になってはいたけど……最後には笑顔を見せてくれたので、これで良しとしよう。 すると乱ちゃんの隣で、厚くんがビシッと手を上げて「俺はカレーがいい!」と元気よく言う。 ……オッケー、お手伝いはまた頼んでしまうけど全部オッケー……! 「ハンバーグカレーにしよう……! トッピングをから揚げにしよう……!」 ちびっ子たちの笑顔が見れるなら、そのくらいやるよ……! プライスレスってこういうことを言うんだね……! |