週末丸々泊まってしまったら、もうなし崩しだった。どうしても外せない用事がなければ、わたしは日曜の夕方まで――つまり毎週金曜から二泊三日、この本丸で過ごすことになった。お兄ちゃんのワガママで。風邪ひいたからって本丸で(過保護すぎる)手厚い看病を受けたのがまずかったなと思わずにはいられない。 そんなわけで本日土曜の昼下がり、場所は本丸の大広間。光忠ママがおやつ(今日は特製ずんだ餅らしい)の用意をしてくれているのを楽しみに、清光くんと安定くん、そして乱ちゃんとのんびりしていたのだけれど。 「ねえ、ぶっちゃけさ。今までって彼氏いたことあるの?」 おっとそれはとても不穏な話題だぞ……。周りが次々と結婚していく中、両親からのプレッシャーを感じざるをえないわたしには不穏な話題だぞ……。ついでに言うとお兄ちゃんがこんな話を聞きつけたら大騒ぎするので、わたしにかかる心労は倍増してしまう……。 とりあえず一足先にお台所から頂戴してきた温かい日本茶を一口飲み下して、わたしはほんとは全然違うお話したいな〜と思いながらゆっくりと口を開いた。 「…………それはどういう意味で聞いてるのかな清光くん……」 すると間髪入れずに乱ちゃんが「えっ! ちゃんカレシいたことあるの?! うそぉ!」とか言うから、わたしってもういい歳なんだけどどういうふうに見られてるのかな? と思わず額を押さえた。大学で仲良しだった同期の半分は結婚して、先日いよいよイトコのショーちゃんがかわいいお嫁さんを迎えたことで、おばさんたちからの『次こそはちゃんよね?』という無言の期待がとても痛いくらいにはもういい歳なんだけど。 「乱ちゃんまでどういう……?」 お徳用のお煎餅のパックをバリバリッと開けながら、安定くんが首を少し傾げて「それ僕も気になるなぁ。いたことあるの?」と…………わたしは若い子たちからするとよっぽど枯れてるんだね……。 「……あのね、安定くん。わたしもさすがに彼氏くらいいたよ、それなりに。…………今いないけどね」 そう、今いない。今いないんだよ彼氏……。だからお母さん(堀川くんではなく実母)やらショーちゃんが結婚してテンション上がってるヨシミおばさんが、言葉にはしないけどものすごく期待してるの! そのことが分かっているだけに彼氏がいない今の状況は精神的にとても辛いの……! わたしは結婚だけが女の幸せとは思ってないけど、もしかしてヤバイの……? と不安になってくるから彼氏がいないというこの現実を再認識させてこないでほしいな……! はあ、と溜め息を吐くわたしを余所に、清光くんが大袈裟なくらい驚いてみせたので、逆にこっちがびっくりした。 「ええっマジ?! 主がよく許したねー」 ……お兄ちゃん……? 言われて、あぁ、と思い至る。お兄ちゃんのあの様子じゃ、確かにわたしに彼氏がいたなんてこと、信じられないかもしれない。……なんで実の兄に気を使いながら恋愛しなくちゃいけないのっていうお話だけど。まぁ、そのことについてはわたしも対策をしてきたので問題ない。何度目だかはもう忘れたけど、わたしはお兄ちゃんに恋愛という恋愛を妨害されてきて学んだのだ。 「あはは、うん、許してくれたよ。お兄ちゃんが反対するわけないじゃん」 安定くんはほんとに不思議だって顔をして、「なんで? 主、ちゃんのこと大好きだし、ちゃんの一番は自分じゃなきゃイヤだっていつも言ってるよ」なんてそのセリフの恐ろしさにちっとも気づいていないトーンで言った。あはは、お兄ちゃんの一番は(残念ながら)わたしだろうけど、わたしもそうだとは限らないよね当たり前だけど。 「あはは、だからだよ」 乾いた笑いを浮かべるわたしに、安定くんは難しいと言いたげに眉を寄せて、「どういうこと?」と言うけれど、どうもこうもないんだよ。ろくでもないからそんなにまともに考えてもしょうがないよと言いたいが、別に誤魔化すほどの大層な理由でもないし、ほんとただただくだらない理由で――。 「……お兄ちゃんがわたしのすることに反対するわけないでしょ? あとは『お兄ちゃんが一番だよ』って言っとけば平和」 まぁ、偏にこれである。 お兄ちゃんのシスコンという病はもう大分進行してしまっているので、今さら妹に嫌われたくないという一心でわたしのご機嫌を取っているところがある。つまり、そこを利用してお兄ちゃんが許してくれないなら……という態度をチラッと見せて、あとはこちらも適当にお兄ちゃんが一番だよ〜と優しい嘘でご機嫌を取ってあげれば丸く収まる。わたしの優しい嘘一つで家の平和は保たれ、わたしの歴代の彼氏たちも元気に生きているんだから罪に問われるいわれはない。 清光くんがいたずらっぽく赤い目を細めて、「ってば策士〜。主が聞いたら泣いちゃうよ?」と言いながら、わたしの頬をつんつん突いてくる。相変わらずJK力がすごい。 「あの人の妹でいながら自分の人生を全うするための知恵だからねこれは」 そう思えるところ(諦めの境地)まで来るのには、色々なことがあったな……と遠い目をするわたしに、乱ちゃんが大きな瞳をキラキラさせながら、ずいっと顔を寄せてきた。ほんとびっくりするほどの美少女。いや、男の子なんだけど。こんなにかわいくて大丈夫なの? やっかまれたりしてない? あ、でも乱ちゃんてコミュニケーション能力がズバ抜けて高いし、そもそもかわいいは正義だか「ねえねえ、じゃあちゃんのタイプってどんな感じ?」……んん、それはこの歳になっても……いや、この歳だからこそ聞かれると困る質問だなあ……。 一応考えてみようとは思ったけれど――。 「……タイプ……。うーん……特にこれといったのは……」 ほんとにこれというのが思いつかない。……枯れてるってことなのかな……? もしかしたら結構ヤバイのかもわたし……と心臓をドキドキさせていると、清光くんが助け舟という感じで「えー? 今までの彼氏に共通してることってなんかない? 顔の系統とか性格とかさ」と言えば、乱ちゃんも「ファッションとか趣味とかでもいいんだよ?」と付け加えてくれたけれど、今まで付き合った人たちの共通点なんてぱっと出てこない。そもそも、こういう人が好みというように人を見たことがないというか――と思ったのだけれど。 「あ、」 これまでの恋愛で学んだことがもう一つあったではないか。好みのタイプと言うとちょっと違うかもしれないけれど、これはとても重要なポイントであることに間違いはない。 「「あった?!」」 前のめりになって食いつく清光くんと乱ちゃんにほんのちょっと苦笑いして、「一つだけ譲れない条件があった」と言うと、清光くんがほんのりと頬を上気させて「えっ、なになに?!」とわたしの手を握る。うーん、JK。 さて、わたしの絶対に譲れない条件というとこれしかない。 「わたしのことほっといてほしい」 わたしの言葉に、清光くんはポカンと口を開いた。 「……え?」 乱ちゃんが困ったように眉を下げて、「……それってカレシの意味あるの?」と肩を落とすので、ガッカリさせてしまってごめんねと言いたいが、わたしにとってこれはとても重要なことなのだ。まぁでも、わたしもさじ加減というのはもちろん求める。 「あ、まったく構ってほしくないわけじゃないよ? なんていうのかな、程よく静かにしててほしいっていうか」 完全に放っておいてもらって結構というなら、そもそも彼氏なんて作らなくていいわけだし。ただあんまりアレコレ口出しされたくないというか、一人の時間も欲しいというか……。 わたしの恋愛期間中はお兄ちゃんがうるさくなってますますわたしに構うので、いくら相手を好きだとしても、一人でゆっくり過ごす時間が確保できないとしんどいわけである。そしてお兄ちゃんは基本的にわたしの休日という休日の予定を押さえたがるので、それに加えて彼氏とデートだなんだとなると、程よい距離感を保ってくれる静かな人でないと息苦しくなってしまうということだ。お兄ちゃんをなんとかできれば一番いいんだけど、あの人のシスコンという病はもはや治療不可能なようだからどうにもならない。これが諦めの境地。 すると清光くんがサラッと「オッケー。じゃあ長谷部はとりあえずナシね」なんて言うので………………ん゛ん?! 「ん゛?!?! 長谷部さん?!?! なんで?!?!」 清光くんが目を瞬かせて、こてんと首を傾げる。 「え、長谷部がいいの?」 「いやそうじゃないけど!!!!」 つい力んで声を張り上げてしまったわたしをよそに、障子戸をほんの少しだけ開けて安定くんが「はい、へし切長谷部は帰っていいよ、ちゃんのタイプじゃないから」と言うと――。 「なっ、何故ですか様……ッ! 俺の何が……ッは! 俺の忠誠心がまだ足りないということか……もっと……ご命令をただ待つだけでは甘いんだ……様がお望みを口にされる前に、俺がそれを察して――分かりました。様のご意向とあらばこの長谷部、読心術も習得してみせます……ッ!」 ……なんか聞こえる……ものすごくしなくていい決意をしてしまっている声が聞こえる……。っていうか長谷部さんはこれ以上どうやって社畜を極めるの…………え? 読心術……? 長谷部さんは一体どこへ向かってるの……もう充分すぎるほどに立派なエリート社畜だからこれ以上無茶しなくていいですよ……というか頑張るにしても方向が完全に間違ってるってことに気づいて……わたしはお兄ちゃんの妹ってだけで会社には何も関係ないんだから……。 長谷部さんの心身が非常に心配だな……と額を押さえようとしたわたしの手を、乱ちゃんがぎゅっと掴んだ。その大きな瞳はキラキラと輝いている。完全無欠の美少女である。いや、男の子って分かってるんだけど。かわいさが最高値突破してるからついそのことを忘れてしまう瞬間がある……。 「ねえちゃん、それならいち兄はどう? いち兄、ボクが言うのもなんだけど、ビジュアルは王子様って感じだし、優しいし、気遣いだってカンペキ! エスコートだってバッチリだよ!」 どう染めたのかな? と思わずにはいられない爽やかすぎる水色の髪と、そんな奇抜な髪色が爽やかに似合ってしまっている王子様オーラ全開の一期さんの笑顔を思い浮かべてみる。……あの人どう考えても日本人じゃないよねバリバリ日本語話してるし、どちらかといえばお堅い古風な敬語を使う人だけど…………やっぱりどこかの国の王子様という可能性が高いのでは。 それにしても自信を持って人にお兄さんを薦めることができるとは、とても羨ましい話である。 「確かに一期さんって“王子様”って感じ。学生時代とか死ぬほどモテてたでしょ? かっこいいお兄ちゃんで羨ましいな」 乱ちゃんはますます目を輝かせて、今度はぎゅうっとわたしに抱きついてきた。 「でしょっ? 王子様だよね?! ちゃんはお姫様なんだから、やっぱり隣には王子様じゃなきゃ!」 粟田口家はほんとに兄弟みんなが仲良しで、とってもなごむ。一期さんが弟さんみんなを大事にかわいがってるから、弟さんもみんな一期さんが大好きで、自慢のお兄さんなんだろうなぁ。なんだかとてもロイヤル……。高貴で清廉な絆を感じる……さすがロイヤルファミリー(仮)……。 まぁでも、それはそれとして。 「でも一期さんみたいなタイプは、わたしにはなぁ……」 「ええっ、なんで?!」 バッとわたしの顔を凝視して、乱ちゃんは唇を尖らせる。 一期さんはとても品の良い紳士だし、どこからどう見ても王子様であることに間違いはない。素敵だとは思うのだけども。 「優しいし気遣いもできる人だから、わたしが困ってたら助けてくれると思うんだよね、必ず」 胸を張って誇らしげに「もちろん!」という乱ちゃんには申し訳ないけれど、問題はそこなんだよね残念ながら。いや仮にわたしが一期さんをタイプだと言ってみたところで、王子様がわたしのような庶民を相手にするわけがないんだけど。 要するに、一期さんはどんな女性もお姫様にしてしまう人だからダメなのだ。 「わたしを甘やかしちゃう人がこれ以上増えても困るから、一期さんみたいなタイプの人はダメだねえ」 「え〜! いいじゃんいち兄〜!」 またわたしにぎゅうっと抱きついて乱ちゃんが駄々をこねるのをよそに、安定くんは障子戸をそっと僅かに開けて「はい、一期一振も帰っていいよ」と……あれ? 「っく……! しかし、お嬢様はこの本丸唯一の尊ぶべき姫であらせられるというのに……。私はお嬢様にご奉仕するため、ここに喚ばれたのですから――そのお役目を果たさずにはいられない……っ!」 ……何を言ってるの一期さんは……。ご奉仕される立場にあるのはどう考えても王子様であるあなたのほうでしょ……。庶民を学ぶのもいいけど、自分の立場を忘れるほどにのめり込む必要はないのでは……。多分そこまで徹底的に庶民を経験する必要はないというか庶民でも人にご奉仕する機会は現代においてめったにないと思う……。 ……そのまえに一つ聞きたいんだけど、まさか障子戸の向こうの廊下で待機してるの皆さん……タイミングが良すぎる…………いやいや、んなわけ〜! 「あっ、分かった! 燭台切!」 ぽんっと手を打って、ひらめいた! というような口ぶりの清光くんだけれど、なぜ光忠さん? なんていうかあの人はとっても甲斐甲斐しい人だから、どう考えてもわたしを放っておいてはくれないというか……一歩先の小石すら危ないからってどかしてくれそうな……。 「なんで光忠さんなの?」 清光くんは得意げに腕を組んで、にやりと笑った。 「燭台切はさー、のことめちゃくちゃ大事にしてるけど、でも厳しくするとこは厳しくするじゃん? ただ甘やかすだけじゃ、のためにならないって」 すると安定くんが「あー、確かに」と頷いて、続けて「でもそれを言ったら、堀川もそうじゃない?」と言った。 それを聞いて乱ちゃんは不満そうに頬を膨らませたけれど、すぐにいたずらっぽい笑顔を浮かべた。 「えー、ボクはいち兄がいいと思うんだけどなぁ……。で? ちゃんはどっちがいい?」 どっちも何も……という感じである。だってあの二人はそういうんじゃないなぁっていう。いや、光忠さんみたいなイケメンが良くも悪くも普通なわたしを相手にするはずがないし、堀川くんに至っては年齢差がアウトおまわりさんわたしですという事態になってしまう――というリアルな問題点を除いても、この二人のようなタイプの人をわたしが恋愛感情で好ましく思うことはないと思う。 「え〜……うーん……光忠さんはママだし……堀川くんはお母さんだし……」 ママもお母さんもいつでも頼りになって大好きだけど、だからといってずっと一緒にはいられない。自立しなくてはならないし、そもそも大人になれば自然と親の手を離れるようになっているのだ。なんでってそれが大人になるということだ。ただ、ここ(本丸)のママとお母さんはこちらが手を離そうとも離してくれそうにないので、どうあってもママはママ、お母さんはお母さんという目で見てしまう。……堀川くんはまだまだ修正がきくけど、光忠さんってわたしに構ってて大丈夫なのかな……。今お付き合いしてる人がいるのかなんて知らないけれど、もし彼女がいるのであればわたしの世話を焼いてる場合じゃない……。まぁそんなこと言って、わたしはここへ来ると光忠さんにお世話になりっぱなしである。今現在も彼お手製のずんだ餅を待っているわけなので。あんなイケメンで料理もできてって、周りが放っておくわけないし選り取りみどりだろうに…………あれ、ほんとにわたしのことを構ってる場合じゃないのでは……。 「燭台切と堀川もダメかあ……」 とっても残念そうに溜め息を吐く清光くんに代わって、今度は乱ちゃんが「分かった!」と声を弾ませた。 「なら歌仙さんとか蜂須賀さん、宗三さんあたり? あの人たち、ちゃんのお世話すっごい焼いてるけど、甘やかしてるわけじゃないっていうか……むしろ結構厳しいよね」 ……なんだかちょっと曲解されている気がするぞ……。わたしは程よい距離感を保てることを望んでいるだけで、わたしへの接し方がどうのというわけではないし……そういう性癖もない――けどさすがにそんなことを言うわけにもいかない。教育上、大変よろしくない。というか、あの人たちはそういうんじゃないんだよ……。 「え、えーと、わたし別に厳しくされたいわけでは……っていうかあの人たちがわたしに口うるさいのは違うんだよ……違うんだよ……。あの人たちはわたしをダメ人間にしたいんだよわたしへの厳しさの理由は人とちょっとズレてるんだよ……。働かずに雅なことしててほしいんだよ……」 歌仙さんの言う“雅”ってなんなのとものすごく疑問だったのだけれど、話を聞いているとどうも何もせずに優雅に生活することを言うのではないかと…………いや無理でしょっていう。わたしは庶民中の庶民だし、働かないでどう生活するの……。雅の謎は深まるばかりである……。 宗三さんも、良い暮らしをしてのんびりしてなさい的などこのお姫様の生活かな? というようなことをわたしに繰り返し言っては、やれもっと良いものを着ろそういう地味なものは似合わないなどとあらゆるものを押しつけてくる。まぁ、おいしいお菓子も頂けるので悪いことばかりでもないのだけれど。 そして蜂須賀さんは“シンサク”というこだわり(雅以上に謎)があるので、こちらもわたしにはこういうものがふさわしい、こういうものはふさわしくない、と身の周りのものにダメ出ししたと思えば、これを使うようにと“シンサク”のお眼鏡に適ったもの(どれもめちゃくちゃに高そう)を押しつけられる。 そういうわけだから、あの人たちの感覚は一般的な庶民とは完全にズレているので、その庶民であるわたしの手には負えない。ただ、彼らのセンスそのものはとってもいいので、シュミじゃないとかなんとか言えないし……断るとくどくどと(なぜか)お説教されるので、大人しく受けとるしかなくなる。そして結果しんどい思いをするのだ。つまりわたしの条件からは大きく外れている。全然ほっといてくれない。 「ダメかぁ……」 「結構難しいね」 しゅんとする乱ちゃんにお煎餅を差し出しながら、安定くんは肩をすくめた。 「……っていうかさっきからなんなの? みんなの中から選ばなくちゃいけないの?」 いつの間にかものすごくガッツリ恋バナをしているけれど、出てくる提案がすべて具体的すぎるというか特定の人物だけである。 すると清光くんがお煎餅のパックに手を伸ばしながら、「いや、ウチ色んなタイプの男いるしさー。具体例的な? ってことで、ウチにいるヤツらから選ぶなら誰?」と…………あっ、もうそういう方向で話を進めてくんだね……。 ――とはいっても非常に困るのだけれど。今後も(お兄ちゃんのワガママで)お世話になるだろうに、その人たちで恋バナというのはちょっとというかかなり気まずいものがある……。 「えっ、え〜……」 「じゃあ絶対ナシ! って人は?」 「三日月さんかな」 まぁこれに関しては即答できるのだけれども。 すると障子戸がスパァン! と勢いよく引かれたかと思うと、若干青い顔で三日月さんが肩を震わせながら立っていた。なぜ。 「どうしてだ……! おまえの大好きなじじいだぞ……? このじじいの嫁になるのではなかったのか……?」 それもなぜ。どこからそんな話が出てきたの……。ちびっ子の言う、大きくなったらパパのお嫁さんになる! というやつの孫バージョンを期待してるにしても、あなたがおじいちゃんになれるのは大分先ですよと何度思えばいいんだろうか。そしてこの貴族の遊び(?)はいつまで続くのかな? まぁ、なぜ三日月さんはないと即答するのかといえば「三日月さんはお兄ちゃんの相手してる気になってくるからナシですね」と、これしかないので清光くんも分かっているらしく、白けた顔で「っていうかじーさん大人しいなって思ってたけど、まさかが選ぶと思ってたの? アンタが一番にベタベタしてんじゃん」と……ん? 大人しいなって思ってたとは…………三日月さんはこの話をずっと聞いてたのかな? そしてそれに清光くんは気づいてたの?? ……なんでそんな大事なこと教えてくれなかったの……。やっぱり皆さん廊下で待機してたのかな???? …………んなわけ〜! と笑い飛ばしたいけれど、どんよりとしながらフラフラ去っていく三日月さんの後ろ姿を見たら……喉が……詰まってしまう……。 けれど、三日月さんはないという答えが出てみると、その逆のタイプの人であればなかなか理想(?)に近いのでは? と気づいてしまった。 「あ、サッパリしててかっこいいっていう点だと、薬研くんとか将来めちゃくちゃ有望だよねえ。今でも充分かっこいいけど」 薬研くんはあの年頃では信じられないほどに落ち着いている子だし、変にわたしを特別視しているところもない。それなのに、わたしに合わせてくれてるなぁと思うことがあるので、あからさまな感じがしない、非常にスマートな男前である。いや、ほんと将来が楽しみな美少年だ。きっと高校生くらいになれば、女の子からとっても人気が出るんじゃないだろうか。 うんうん、と薬研くんの将来について自分で納得していると、乱ちゃんがぱぁっと表情を明るくさせて、「ホント?! じゃあ薬研と結婚する?!?!」と前のめりになった。だからね……? そんなことになったらおまわりさんわたしですという事態になってしまうんだよ……。 まぁでもまさか本気の話でもないし、わたしは笑って「あはは、薬研くんが相手にしてくれないよね〜」とお茶を啜った。 するとひょっこりと廊下から顔を出した薬研くんが、ニッと不敵な笑顔を浮かべて――。 「俺っちはお嬢さんなら大歓迎だぜ。――嫁ぐか? 俺に。幸せにしてやるよ」 …………。 「……乱ちゃん……薬研くんちょうかっこいいね……」 ……高校生くらいになったら、と思ったけれど訂正しよう……薬研くんはすでに女の子にモテモテに違いない……うっかりときめいてしまった……さすが少年は少年でも美少年は違う……。 乱ちゃんの興奮気味に上擦った「じゃあ薬研で決まり?!」という言葉に、わたしは「うーん、売れ残っちゃったらもらってもらおうかな? あはは」なんて答えてしまった。それを聞いた薬研くんは満足そうな笑顔を浮かべて、「待ってるぜ、お嬢さん」と去っていった……。ほんとにかっこいいなすごい薬研くん。きっと先生たちにもモテモテだ……。 ついつい誤魔化すような照れ笑いをすると、清光くんがビシッと人差し指を立てた。 「ちょっと! 真面目に考えてよね。乱も身内推し禁止!」 乱ちゃんは「え〜」と言うところんと寝転がって、「だってちゃんの条件クリアするのって難しくない? カレシに『わたしのことはほっといてね』なんて言うカノジョ、なかなかいないよ」と……う、うん、まぁ極端な話そうだよね……うん……これは理想(?)が高すぎるというか……そもそも彼氏なんていらない宣言みたいに聞こえなくもない……。 「……おい」 廊下から不機嫌そうに顔をしかめた伽羅くんが、手に出来立てらしいずんだ餅と急須の載ったお盆を持ってこちらを見ていた。 ……こんな表情をしていても、決して怒っていたり機嫌が悪いわけではないし、彼は心優しい青年だと知っているだけにもったいないなぁと常々思っていたのだけれど。 「……伽羅くん! 伽羅くんがいいわたし!」 伽羅くんがぴくりと眉を動かして、「何の話だ」と言う声にかぶせるような勢いで、清光くんが声を上げた。 「あ〜! 確かにほっといてくれる! 馴れ合わない!」 ばっと起き上がった乱ちゃんが、伽羅くんの腕を引いて「大倶利伽羅さんっ、ちょっとこっちきて!」と無邪気な笑顔を浮かべると――。 「お、おいっ、何をする! 離せ! 茶がかかったらどうする気だッ! 危ないだろうが……!」 ……怖そうな見た目だけれどこんなにいい子なんです、と言って回りたい好青年……。光忠さんが伽羅くんの言動を気にかけていることにとても共感できる……誤解しないでほしい……。 「ツンツンしてるようで、このようにめちゃくちゃいい子。そしてジャージも怒らないでいてくれるし、むしろスーツ姿がいいって言ってくれる。うん、伽羅くんがいいな」 「だから何の話だ!」と珍しく声を張る伽羅くんだが、その手がお盆の上の物を落とさないようにカバーしているのがもういい子であることを隠しきれていない……。言って回る必要なんてなくて、この様子では彼の周りのお友達、先生だってちゃんと分かっているに違いない……。 なんだか感動していると、清光くんが伽羅くんからお盆をさっと取り上げて、うきうきした声で言う。 「の男のタイプ! 大倶利伽羅か〜。まぁ顔とか性格とか、特別コレ! っていうのがなくて、とにかく絶対条件満たしてればオッケーって話なら大倶利伽羅が一番かも」 「大倶利伽羅さんってば興味なさそうな顔しといてやるぅ〜! ねえねえ、大倶利伽羅さんはちゃんのことどう思う?」 いたずらな笑顔を浮かべながら、乱ちゃんが伽羅くんの目をじっと見つめる。 伽羅くんは気まずそうに目を逸らして、「……知るか」と呟くと踵を返した。 「ちょっと! 逃げるのナシ!」 後を追おうとする清光くんに、「うるさい。俺はこれから出陣だ」と言うと、伽羅くんは足早に去っていってしまった。彼の言う出陣とは絶対にヤンキーの集会や抗争ではないと胸を張って保証できる……。 「あっ、ちょっと! 大倶利伽羅!」 「も〜っ! 帰ってきたら話聞こっ! あ、占いしようよ占い! 二人の運勢! ボク本持ってくるー!」 たたっと廊下に飛び出していく乱ちゃんの背中を追いながら、清光くんも「待って俺も行く! 先月の雑誌に恋愛特集あった!」なんて言っているので、わたしは思わず笑ってしまった。 「あはは、二人ともそういうお年頃なんだねえ」 すると、もぐもぐとずんだ餅を食べながら、安定くんが静かに「僕、思ったんだけど」と言った。新しいお茶を湯呑みに注ぎながら、「うん?」と返事をすると「ちゃんには、鶴丸さんじゃないかなって」………………うん? 「…………へ?」 急須を落としてしまいそうになって、慌てて持ち手をしっかり握りなおすわたしにきょとんと首を傾げたけれど、安定くんは話を続ける。 「鶴丸さんって、ちゃんを見つけたらすぐ声かけるけど、その割にあっさり離れてくでしょ。でも、ちゃんが退屈そうな時とか、いつの間にかそばにいるんだよ。誰か来たらすぐどっか行っちゃうけど。そういうことじゃないの?」 ……静かにお煎餅を食べてると思ったら、安定くんもしっかり恋バナには興味あったのか……そっか、年頃の男の子だもんね……と思いつつ、どういう反応をしたらいいのか分からず、「……え、えーと…………ど、どうだろう……?」と中途半端なことしか言えなかった。 「おっ、今日の茶請けはずんだか。……ん? なんだ、二人して。内緒話か?」 ……鶴丸さんは人を驚かすことが大好きないたずら好きというイメージで、彼には驚かされることがこれまでに何度もあったのだけれど、こんなに心臓に悪い驚かし方をされたのは初めてである。 「いっ、いやっ、そういうわけじゃないんですけど……っ!」 「ちゃんには鶴丸さんが似合ってるんじゃないかなって」 「や、安定くん!」 なんで言っちゃうの〜! と思いながら、どうにか言い訳(?)を考え始めたのだけれど、鶴丸さんは一瞬目を丸くしただけで、その後すぐに眩しいくらいの笑顔を浮かべた。 「あっははは! いわゆる恋バナってやつだな。なるほど、騒いでる連中はフラれたか」 …………騒いでる連中とは。その表現だと複数人ということになるわけだから、やっぱり皆さん聞き耳立ててたとかそんな「それで? どうして俺なんだ?」……?! 「い、いえっ、わたしは別に……!」 慌てて裏返った声を出したわたしに、鶴丸さんはくすりと笑った。 「なんだ、俺はおひいさんの好みじゃないのか? そりゃ残念だ。さて、明日の出陣、主殿はきみに第二部隊を任せるそうだぞ、大和守。話を聞いてこい」 「あ、ほんと? すぐ行く。ちゃん、またね」 「うっ、うん……」 最後の一口をぽいっと口に放って、安定くんはすたすたと行ってしまった…………うそでしょこの状況でわたしを一人にするの?! けれど、お兄ちゃんが呼んでいるとなると、ここで生活している以上は仕方ない。すごく今更なんだけど、安定くんも清光くんもどこの子なんだろうか。ご両親のところを離れてうちで生活しているということは――ご実家は遠方で、こっちの学校に入りたいとかでうちが預かってるのかな。今度お母さんに聞いてみようかなぁとか考えていたのだけれど、鶴丸さんがわたしの目の前に座って「それじゃあここからは、俺がおひいさんのお相手をしよう」とか言い出すので、思わず後ずさってしまう。 「え゛っ」 「なんだ、俺じゃあ不服かい?」 「いやっ、そうじゃないんですけど……」 な、なんて言ったらいいんだ……と口元を引きつらせると、鶴丸さんは肩を揺らして笑った。 「っく、そう固くなるなよ。俺は好みじゃないんだろう?」 「え゛!」 「ははっ、なに、機嫌を損ねたりなぞしないさ。それで? おひいさんはどんな男がいいって?」 ……そうだ、この人は人をからかうのが大好きないたずらっ子だった……。ものすごく儚げな見た目をしてるのにとんだギャップでこれぞ見た目詐欺というやつである。 「……この話やめましょうよ……」 溜め息を吐いて湯呑みに手を伸ばすわたしを、にやにやと人の悪い笑顔で見つめながら、「機嫌を損ねることはしないが、だからと言って興味がないというわけじゃない。俺はきみが好きだからな」と目を細める。……扱いにくい人だなぁ……。なんて返したらいいのか分からない。 「……さ、さようで……」 湯呑みを傾けたところで鶴丸さんが「ま、食わず嫌いは良くないぜ、おひいさん」と言って立ち上がったと思うと、わたしの肩へそっと手を置いて耳元で「――試してみたくなったら、いつでも言ってくれ」と…………。 「ん゛?! つ、鶴丸さ、」 鶴丸さんはくつくつと忍び笑いをこぼしながら、ひらひらと手を振って出ていってしまった。すると、入れ違うように乱ちゃんと清光くんがやってきた。 「本持ってきたよー! ……ってどうしたの? ちゃん。……まさかまた熱?! 大丈夫?!」 「う、うん、だいじょうぶ、ちょっとびっくりしただけ……うん……」 心配そうにわたしの顔を覗き込んでくる乱ちゃんにも、「えー、ホントに? 顔赤いけど。薬研呼んでこよっか? ぶり返したんじゃないの?」と言ってわたしの額に手を当てる清光くんにもほんとに申し訳ないんだけれど、今はそっとしておいてほしい……。 「だいじょうぶ、ほんとだいじょうぶ……」 いつも無邪気に笑っている人が、あんなに色気のある顔もするとかそんな――ギャップ萌えってすごい。 |