結局今週も来てしまった。

 いや、毎週末実家に帰ることは決まっていることだし、お兄ちゃんはちょっとうざいかな? と思うことがなくもないけれど……自分で支度をしなくてもご飯が食べれて、お湯が張ってあるからシャワーだけでなく湯船に浸かれるという点では実家最高。
 ――なんだけど、先々週に両親が留守にしていて“本丸”でお世話になってから、帰ってきたらそっちにいってと指示されてしまって、結局先週も本丸にお邪魔した。
 そして昨日の夜、それじゃあ色々(わたしの精神状態が)困るから、帰るには帰るけど本丸には行かないと電話でお母さんに言えば却下された。その理由が『ちゃんがいてくれたほうが、お兄ちゃん仕事頑張れるんですって〜。あの子お給料いいから、ちゃん何か買ってもらったら〜? うふふ』とかいうくだらないものだったので、その時わたしは『えっ、あっ、うん?』と返事を――イエスの意味で言ったんじゃない、あまりのくだらなさにビックリして思わず聞き返しちゃっただけと言っても取り消しは利かなかった……。これ前回(昨日まで)のおはなし。というわけなので、今日も“ここ”に来てしまったという。

 しかし、今日は会社の飲み会だから遅くなるし、悪いからそっちには行かないと一応お兄ちゃんに言ってみたけれど、あの人全然話聞かなかったなぁ。耳をつんざくような高音で、『待ってるからね!!!!』と叫んで通話を打ち切られた。
 実家なら別に気にしないけど……いくら同じ敷地内にあるとはいえ、本丸(という謎の異空間)は実家とは思えないし、何より他人様がたくさんいるわけだから気を使うどころの話じゃないというのをどうして誰も分かってくれないのか。いい人ばかりなのは分かっていても他人は他人でしょ……気を使うななんて無理な話……というかお兄ちゃんの仕事仲間がいるんじゃ気を使わないという選択肢があると思うほうがおかしいでしょ……? いやまぁ(遠すぎて存在知らなかったけど)親戚もいるし(誰か分かんないけど)いいじゃん身内なんだし〜〜ってことなんだろうか誰だか分かんないけど。少なくとも向こうはわたしのことをよく知ってるらしいし。……いやだから、それなのにわたしが向こうを知らないのが気まずさ倍増させてるんだけどな? あれ??
 とりあえずここで突っ立ってても仕方ない。なるべく静かに静かに――と恐る恐る扉を開けた。

 「……失礼しまぁ……?!?! えっ……み、光忠、さん……? あれ、長谷部さんは……?」

 光忠さんが腕を組んで仁王立ちしてる何事。正直長谷部さんがまたお梅(柴犬・メス)みたいにスタンバってると思ってたので、なんだか拍子抜けしながら首を傾げた。

 「……おかえり、ちゃん。どうして長谷部くんじゃなくて、僕がここにいるか分かる?」
 「へ?」

 神妙な顔をして低い声でそう言う光忠さんに、わたしはますます首を傾げた。
 みなさん泊まり込み――というか住み込みで仕事してるらしいけれど、わたしはその仕事について何も知らない。どういう勤務体制なんだろうか。――と頭の片隅で思いながら、「え、いや……長谷部さん、お仕事ですか?」と言ったわたしのその言葉に、光忠さんは眉を吊り上げた。えっ、と思う間もなく、彼は声を張り上げて一言。

 「今何時だと思ってるの!!!!」

 「?!?! えっ?! えっ、えーと、じゅっ、じゅういちじ……」

 「そう、十一時だよ、二十三時! 深夜だよ! こんな遅くまで女の子が外で何をやってたの!!」

 えっ?!?! えっ、えっ、これはわたしもしかしなくとも叱られてるのかな? 光忠さんに?? 叱られてるの???? うそでしょ????
 光忠さんは芸能人も真っ青なイケメンだけど、なんでだか本丸(お兄ちゃんの部屋……という名の職場……という名の異空間)のお台所の責任者で、ぶっちゃけわたしとの関係って何? と思えば…………え? この人はわたしのお母さんだったりするのかな? ってんなわけあるかいって話だけど、結局この人はわたしにとってどういうポジションの人なんだか未だに謎なもんだからどう対処するのが正解なのかサッパリ分からない。ただ、保護者感というよりも“お母さん”感――いや、“過保護なママ”感がすごすぎて、この人こそが(むちゃくちゃ遠い)親戚なのでは……? 身内ならまだギリギリ納得できる気がしないでもないけれど、これでむちゃくちゃ他人(お兄ちゃんのただの仕事仲間)だったら戸惑うどころの話じゃなくなる。
 まぁ、光忠さんの顔色を伺いながら、「えっ、いや、今日は職場の飲み会で、えっ、兄にも遅くなると伝えてあったんですけど、」とか小声で恐る恐るにしか言えないわたしが、今そんなことを考えてみても意味がない。聞けるわけじゃあるまいし、という話である。
 光忠さんはキッと視線を鋭くさせて、「もうっ! 話を逸らさない!」と……いや、話を逸らそうとしたわけではなく、わたしはこの状況について思うところが色々とあるので説明をですね――なんてことも、もちろん言えるわけがない。美人が怒ると怖いとはよく聞くけれど、イケメンが怒るのも相当怖い。
 ……怖いはずなのに、どうしてだろう。なんかものすごい“ママ”って呼びたいこの衝動……。
 ――とかなんとか思考を遠くへ飛ばして、このお説教(?)タイムをやり過ごそうと思ったのだけれど、光忠さんが「主のことはいいの! ちゃんからその連絡を受けてから寝込んじゃって使い物にならないんだから!」とか言うので額を押さえた。溜め息を吐かずにはいられない。
 あの人はわたしがどこか――自分の目の届かないところ――へ行くとなると、昔からすぐに寝込む。わたしが修学旅行に行くって時にすら、旅行に行きたいならお兄ちゃんが連れて行くから修学旅行になんか行くなとか言って泣いていた。もちろん修学旅行には参加した。当然である。お兄ちゃんはなんでどうしてと床に這いつくばって号泣していたけれど、それはこっちのセリフでなんでどうしてお兄ちゃんのためにわたしが修学旅行休むと思ったの??
 お兄ちゃんの(ド)シスコンはほんとそろそろどうにかしないといけない。今だってちびっ子たちに“ちゃん欠乏症”とかヒソヒソされてるのあの人知ってるのかな……。いや、知ってても気にしてなさそうだからわたしは頭が痛い。お兄ちゃんは頭がヨワい。

 「またですか……? あの人もしょうがないな……」
 「何言ってるの!」

 えっ? なんて言える雰囲気じゃない。なぜなら光忠さんは真面目にわたしにお説教しているらしい。今確信した。目がマジなやつだ。
 なんで光忠さんがわたしに? とか、このことはお兄ちゃんに伝えたとか、そんなのはこの人の前ではすべて言い訳になってしまうだろう。世の中の保護者とはそういうものである。いや、光忠さんてほんとわたしのなんなの? って思うけどもやっぱりそんなことは言えない。しかも、光忠さんの言い分が言い分である。

 「嫁入り前の女の子がこんな時間まで飲み歩いてていいわけがないでしょ?! まったく、主はちゃんに嫌われるのが怖いなんて言って、まともに叱ることもできないんだから! でもね、僕は違うよ。ちゃんのことが心配だから、言わなくちゃいけないことはきちんと言います。ちゃん、分かるよね?」

 はい分かります、ごめんなさい。
 これ以外のお返事をしたら、きっと過保護なママはもっと怒るというのは想像に難くないのだけれど、わたしも成人して結構経ってる社会人である。そう、結構経ってる。
 つまり何が言いたいのかというと、社会人という名の大人には避けては通れない諸々があるということで、いくらお兄ちゃんが寝込もうがママが怒ろうが、わたしも例外なくそれらを受け入れるしかないのだ。よって、わたしの主張はわがままでも言い訳でもないのだから、別に怯む必要はない。

 「……え、あ、いや、ご心配はありがたいんですけど、たまのことですし、付き合いもありますし、そもそもわたしもいい大人なので、そこまで――」

 「そういう慢心が危険を呼び込むの!」

 「は、はぁ、」

 怯む必要はないはずがこれはヤバイ、これは、これは歌仙さんと同じタイプ……! つまり、一度熱くなってしまうと冷却材(冷静な人、とも言う)がなければ加熱しつづけてしまうと見た。…………だ、誰か助けてくれないかな……。
 い、いや、人選によっては着せ替え四人衆のような地獄の「まぁまぁ燭台切さん、ちゃんもお仕事してるわけですから、すべての付き合いを断るなんてのも無理な話ですよ。ね、ちゃん」…………おかあさん……!

 「(じゃない、危ない、間違えるところだった)ほ、堀川くん……! そう! そうなの……!」

 もはや山をなしている洗濯カゴを抱えた堀川くんは、にこりと笑った。

 「だからこれからは、ちゃんが遅くなる日は手の空いてる人が迎えにいきましょう。それなら主さんも僕らも安心だし……ちゃんだって、そのほうがいいよね。女の子の一人歩きはやっぱり危ないし、みんなも安心するし。ね?」

 「…………え、えーと、」

 ……お、お母さん……。
 ……そうか……ママだけでなくお母さんも過保護だったか……。いや、光忠さんは(年齢的には)ママでもおかしくないかもしれないけど、堀川くんはまだ中学生(多分)なのに“お母さん”なわけないじゃん〜! とか当たり前すぎるツッコミですらない真実にどうして違和感を覚えるどころか“お母さん”の響きがしっくりきてしまうんだろうとかそんな疑問すら飛ぶほどに完璧な“お母さん”である……。つまり堀川くんは現状からわたしを救い出してくれるどころか……今後の遅い帰宅の際には連絡どころかお迎えがきてしまうかもしれないとかそんなバカな……。でも疑問符が聞こえなかったような気がしてならない……。
 現実味のある嫌な予感に血の気を引かせていると、「おや」と石切丸さんが中へ入ってきた。この人も平安貴族(?)みたいな格好をしている人だったけれど……寝る時はパジャマなんだ……なるほど、平安貴族もパジャマを……とか現実逃避していると、石切丸さんは朗らかな微笑みを浮かべた。

 「戻ったんだね、姫。ははは、お説教中だったかな?」
 「い、石切丸さん……あの……はい、そうですね……」

 ほんと笑えますよね、成人して結構経っちゃってるいい歳した大人が中学生にまで深夜帰宅を心配されてるとか……。
 乾いた笑顔でぼやっと答えたわたしに、石切丸さんはくすりと優しい笑い声をこぼしたかと思うと、光忠さんと堀川くんの肩をぽんと叩いた。

 「二人とも、今夜はもう遅いことだし、休ませてあげたらどうだい? 話はまたゆっくりすればいい。姫も、人に気を使って飲んでいたんだから疲れただろう」

 ……お、お、おとうさん……! どんな時でも結局は娘に味方をしてくれる優しいお父さん……! これももちろん、んなわけ〜〜であるけれど、石切丸さんの言葉に急にトーンダウンして「……それもそうだね……。……ごめんねちゃん……」と光忠さんがクールになってくれたので充分すぎるほどに良き父、良き夫(仮)である……。

 「僕、心配で心配で……ついあんなふうに……。……でも、そうだよね。他人に気を使う場で、ちゃんも好きでこんな時間まで帰ってこられなかったんじゃないもんね……。そうだ! お腹は空いてない? 何か胃に優しいものを用意しようか? おじやとかどう? それともお味噌汁とか……フルーツとかのほうがいい?」

 「あ、じゃあ僕、お風呂の支度をしておきますね。ちゃん入りたいでしょ?」

 ……クールにはなってくれたけど過保護の方向が変わっただけとかそういうあれなのかなもしかして????

 「えっ、あ、はい、あ、もう全部お任せします……」

 もう全部ママとお母さんの言う通りにします……と心の中で呟きながら、二人が部屋を出ていくのを見送っていると、「私も厨で水をもらったら、部屋へ戻るよ。しっかり休むんだよ、姫」と石切丸さんも行ってしまった。
 ……水を飲みに起きたら騒いでるから様子を見にきたのか……すみません……でもありがとうございました……と手を合わせていると、ふわふわした白い髪が目に入った。

 「あっ、」

 目が合うと、ぴゅっと隠れてしまったけれど、あの子のことは分かる。粟田口家はちょっとレベルが違う大兄弟だけれど、その中でも猫を五匹も連れていたら嫌でも目立つ。彼はもちろん、みんなが虎だと言ってわたしを笑うけれど、んなわけ〜!
 ……お酒と色々な疲労でテンションがおかしくなってるな、と思いつつ、わたしはちょいちょいと手招きをする。

 「ごめんね、起こしちゃったかな? うるさかったね。五虎退くん、お部屋戻れる? 一緒に行こうか?」

 五虎退くんはわたしに駆け寄ってくると、大きな目をうるうるとさせながらつっかえつっかえに口を開く。

 「ちっ、ちがいます……! ぼ、ぼく、あ、あのっ、さまのこと、し、心配でぇ……! ね、ねむれなくてぇ……っ!」

 「えっ?! いっ、今まで起きてたの?!」

 光忠さんじゃないけど今もう十一時だよ?! 二十三時だよ?! 深夜だよ?!?! ちびっ子が起きてていい時間じゃないんだよってわたしのせいらしいのに言えるわけがない。
 ふわふわの柔らかい髪を撫でつけながら、なんと声をかけようかと迷っていると、ヒョコッと顔を出した鯰尾くんがいたずらな表情でこちらを見ていた。

 「そうそう、俺たちみーんな心配で、起きて待ってたんですよ! 乱なんか――」
 「鯰尾く――んんん?!?! ぐっ、くるしっ、」

 待って待って胃の中身全部出ちゃうから待ってっていうか乱ちゃんはわたしを迎えてくれるたびに熱烈だね?!?! ほんと全部出ちゃいそう!!!!

 「み、乱ちゃ、あの、く、くるし、」

 「もー! ちゃんのばか!! ずっと帰ってこないからボクたち心配でぜんぜん寝れなかったんだからねっ?! 今まで何してたのっ? セクハラでもされてたの?!?!」

 わたしにぎゅうぎゅう抱きつきながらぷりぷり怒っている乱ちゃんに返事をするより前に、今度は清光くんが突撃してきた待ってほんと胃がヤバイ。

 「ちょっと乱ッ! がセクハラされたって?!?! 大丈夫?! どこの誰に何されたのっ?!?!」

 「っぐ、き、きよみ、づ……っ?!?!」

 というかそんなありもしないことを大声で叫ばれたら困る。もしあの人が聞いてしまったら「……! 姫たるきみがなんて目に……! その不埒者はどこの馬の骨だい?! しかるべき責任を取らせるからここへ連れてくるんだ! この僕の三十七人目の――」うああ耳が早いどころじゃないな歌仙さんっていうか三十七人目の何?! と思う間もなく、次から次へと人がやってくるので訂正のタイミングが得られない。というか腹部への圧迫がほんと信じられないくらいヤバイことに元凶の二人は早く気づいてくれないかな。そもそも二人とも細くてかわいいのにどこにこんな力があるんだって話である。
 いや、そんなことより――。

 「おい様はご無事かッ?!?!」

 鬼の形相の長谷部さんが目をギラつかせているのはまだ許容範囲。

 「姫に仇なす鬼が現れたって? ふふ、僕の出番だね。姫、安心しておいで。鬼退治は僕の十八番だよ」

 そう言って日本刀(らしきもの)を手に、にこにこと穏やかな微笑みを浮かべている髭切さんが規格外にヤバイ。

 「兄者、準備はできているぞ」

 止めるどころか同じく日本刀(らしきもの)を掲げている膝丸さんも実はぶっ飛んでる枠の人とか聞いてないぞわたしは……。この人はちょっと不憫なポジションなのが切ないくらいの常識人だと思ってたのに……。

 「待っ、待って待って誰かっ、あのっ、」

 早く事態の収拾をつけないと、そのうちとんでもないことになってしまう――となんとか話をしようとしていると、背後からズゥウン……と濃い影を背負ったお兄ちゃんが現れた。

 「……おい、おまえら……」

 ……現状をどうにかしてくれるなら、この際だからお兄ちゃん(“ド”シスコン)に頼ることも致し方ない。何か頼むとすぐ調子乗るから、ほんとは嫌なんだけどそんなことを言っている場合ではない。なんたって日本刀(らしきもの)が出てきちゃってる。人命第一。

 「お、お兄ちゃん……! ちょっと聞いて、話が――」

 「大丈夫だ、ちゃん……何も言わなくていい、お兄ちゃんは分かってる、ちゃんのお兄ちゃんなんだからな……」

 ふっ……と目を細め、わたしの頭を優しく撫でてくるお兄ちゃん……。

 「………………うっ、うん……」

 どうしよう……不安しかな「……おい野郎ども、ノンキに寝こけてるヤツは叩き起して支度しな。……戦だッ!!!!」やっぱり!!!!

 「だから違うんだってばお兄ちゃん!!!! 話が分かる人いないの?!?!」

 血祭りだとかなんとか言ってるお兄ちゃんの目が血走ってて、もうこれはいよいよヤバイ!!!!
 セクハラ加害者なんてそもそも存在すらしていないのだということを早く分かってもらわないと、下手したら誰かが犯人に仕立て上げられてしまうのでは……? と震えていると、優しく肩を叩かれたので振り返る。三日月さんが柔らかい微笑みを浮かべていた。

 「や、良い子はもう寝る時間だぞ」

 そ、そうだ、良い子は寝る時間、つまり深夜なう!!!!

 「み、三日月さん……! そう! もう夜中だから静かにしてってみんなに…………三日月さん……?」

 三日月さんの不思議な瞳が、きらりと光ったように見えた。

 「かわいいおまえが安心して眠れるよう、じじいがどうにかしてやろうな。……主」

 血走ったアブない目で、お兄ちゃんが三日月さんにガン飛ばしながら「腰がどうのだとか言うんなら寝てろッ!! 足でまといはいらねえッ!!!!」と吠える。色々言いたいことはあるけど腰がどうのってそんなおじいちゃんじゃないんだから……あれ?

 「何を言う? ――下賤の輩は塵一つ残さず屠るまで。はもう眠る時間だ。早々に終わらせよう」

 「ヨッシャアッ!!!! 行くぜ野郎どもッ!!!!」

 ?!?!?! ん゛?!?!?! あれっ?!?!?!

 「どうだ、安心したか? 
 「違う!!!! 全然違う!!!!」

 なぜこれで安心したと思うのか。
 ちょっと待ってほんと誰か話通じる人いないのかな?!?!
 すると、若草色の平安貴族が――いた!!!! お父さん!!!! 着替えてるけどどうしてかなとか今は聞きませんね!!!!

 「あっ、あっ、い、石切丸さ……ん……は何をして……?」

 神主さんが持っているような白いヒラヒラのついた棒(正式な名前なんて知らない)を左右に振りながら、石切丸さんは大真面目な顔で「姫の身の厄を払う加持祈祷の準備だよ。大丈夫、私がついているよ」と……なんてことだ……。

 「おいおい、何の騒ぎだ? 全員出陣の用意をしろと長谷部が騒いでいるが……ふぁ、俺はまだ眠い……お? おひいさんじゃないか。なんだ、いつ帰ったんだ?」

 いつも何かと心臓が跳ねる声のかけ方をしてくる人だけれど、今だけはとってもいい驚きである!!!!
 あとは話が通じるかどうか、これだけ。……どうしてだろう。ものすごくレベルの高い要求をしているように思えてしまう。

 「つ、鶴丸さん! 出陣しないでください!! わたし何もされてません!! 大丈夫です!!!! 何も問題ないです!!!!」

 言いながら、そもそも“出陣”ってなに。“出陣”って。お兄ちゃん普段ここで何してるの? と思わずにはいられない。いや、仕事してるんだよね、仕事。……そうだよね? あれ????
 
 「……ん? おい、どういうこった?」

 困ったように首を傾げる鶴丸さんのそばにそっと寄って、一期さんが「鶴丸殿、お嬢様はお優しい方なのです……。我々に心配をかけまいと……」とか耳打ちを――着せ替え衆に加わってしまったあの時から思ってますけど一期さんってタイミングは良いのにズレてるんですよ!!!! やっぱり祖国とは文化とか全然違うのかな我が国は!!!!

 「一期さん!!!! 一期さん違うんですってば聞いて?!?! 鶴丸さんわたしほんっとになんにもないんです!!!! ないの!!!! お願いだから聞いて!!!!」

 (間違った)現状を把握したらしい鶴丸さんは、神妙な顔つきで「……ほう、なるほどな。そりゃあ出陣命令も仕方ない」とか言い出すので、ほんといよいよこれはヤバイと思ったわたしは、これまでで一番の大声を出した。

 「?!?! 鶴丸さん!!!! 違うの!!!! わたしの言うこと信じられないの?!?!」

 すると部屋中どころか本丸中が静まり返ったのでは? と思うほどに音という音すべてが止んだ。

 「…………え、あ、あれ……? え、ちょっと、あの……?」

 静寂を破ったのはお兄ちゃんだった。

 「ごめんねえちゃん!!!! お兄ちゃんちゃんのこと信じるよ!!!! ちゃんはお兄ちゃんにだけは嘘つかないもんねえ!!!! あっ、もうおねむの時間だね? 眠いねえ? お兄ちゃんがおはなししてあげるからね! もうお布団いこうね!!!!」

 えっえっ、と戸惑っているのはわたしのみで、長谷部さんなんて「おい貴様ら何をしている!!!! 様はもうおねむの時間だ!!!! さっさと部屋に戻って静かにしていろッ!!!!」とか指示を飛ばしている。っていうかちょっと待って長谷部さんのキリッとした表情で“おねむ”とかいう単語聞きたくなかった。その前にわたしは別におねむではない。

 「や、おねむか。じじいが添い寝してやるぞ」

 「ちゃんはお兄ちゃんの添い寝じゃねえと寝れねえんだよすっこんでろジジイッ!!!!」

 「よしよし、じじいが抱いて部屋まで連れていってやろうな」

 …………なるほど…………。初めから薄々というかものすごく分かっていたことだけれど、この場にはそもそもわたしの話をきちんと聞いてる人が誰一人いないんだな……。

 両手をお兄ちゃんと三日月さん、それぞれにぐいぐい引かれながら、わたしは遠いどこかを見るしかなかった……。




 「おい」

 陽の光がよく当たる縁側で、淹れてもらったお茶を飲んでいたら眠くて眠くて――つい寝転がってしまったタイミングで声をかけられてしまった。言い訳のしようがない現行犯逮捕である。

 「……あ、あぁ、ええと、堀川くんと兄弟の――」
 「山姥切国広だ」
 「……えーと、そうか、国広くんか」

 やまんばぎり。またものすごいパンチのある苗字……苗字? あれ? 堀川くんも“国広”って名前じゃなかったかな……? あ、でも“堀川”って呼んでって言われたし………………“国広”はミドルネーム的な……?

 「……大丈夫か、あんた」

 …………。

 「――だ……大丈夫…………じゃないよ……! すごく疲れた……! すごく疲れたよ……! 結局お兄ちゃんと三日月さんが騒ぐから、わたしまともに眠れなかった……!」

 “国広”がミドルネームとかよく分かんないこと思いつくくらいには大丈夫じゃない。いや、ミドルネームって現代日本はアリなの? いや、そもそもほんとに“国広”がミドルネームなのか分からないしそもそも“ミドルネーム”とは?

 「……別にあんたが昼寝しようと、咎めるやつは誰もいない。部屋で休んだらどうだ」

 ……だめだ、もう頭が……。二日酔いと疲れでどうにもうまく回ってる気がしない……。
 よっこいしょ、と起き上がって「うん、うん、だからわたしもう帰るね……」とぼやぼや返事をすると、国広くんが突然わたしの腕を掴んだ。

 「ん?!」
 「かっ、」
 「……ん?」

 国広くんは、被っている布を片手でぐいと引っ張り下げながら、呟くような音量で「かえ……る、のか、」と言った。

 「えっ、だめなの?! 昨日は遅くなっちゃったし泊まるつもりではいたけど、結局あんな騒ぎになっちゃったからみんなも休めてないでしょ? わたしがいたら余計に――」

 若干悲鳴じみた声を上げてしまったわたしだが、国広くんの澄んだ青い目と視線が合って黙った。すごいキレイな色。どこのカラコンかな? というかここはカラコン率が非常に高いというか、服装から頭髪まで色々と自由すぎるけどそういう社風ってことでいいのかなお兄ちゃん。でも学生組は校則が――とかいうことを思っていたのだが、吸い込まれそうな青い目でじっとわたしを見つめながら、国広くんが「あんたが、いたほうが、いい……」なんて言って、わたしの腕を掴んだ手にきゅっと力を込めてくる。

 「え、でも……」

 「そのほうが心配だと騒ぐ連中も大人しくなるし、俺も――さっ、騒ぎに巻き込まれずに気が楽だというだけだ……っ!」

 …………なるほど、これが世に聞くツンデレ。何がいいんだろうと思っていたけれど、国広くんほどのかっこいい男の子ならばキュンとくるのも頷ける。
 わたしはうんうん、と一人頷いた。ちょっと口元がにやけてしまう。ツンデレすごい。

 「……そっか! じゃあここで昼寝してから帰ることにする! ふふ、ありがとうね、国広くん」

 「…………別に、あんたのためじゃない……っ!」

 ツンデレってこういうことなんだなぁ……確かにハマったらすごく奥が深そう(沼的な意味で)。
 顔を真っ赤にして走り去っていく後ろ姿をにこにこしながら見送っていると、サッと視界の隅から人影――前田くんが飛び出してきた。相変わらずの残像でも残しそうな超スピードである。これはオリンピック選手も夢ではないのでは。

 「お嬢様、床の支度ができております。夕餉には僕がお部屋に伺いますので、ゆっくりお休みになってください」

 「……えっ?! 前田くんがお布団敷いてくれたの?! ええっ、ごめんね?!」

 ちびっ子になんて余計な気を使わせているんだわたしは……と項垂れると、前田くんが慌てた様子で「いえっ、僕がしたくてしたことです! ……昨晩はお帰りが遅かったですし、」と……。

 「……そっか……粟田口家はわたしの帰り待ってたんだもんね……。……よし! 前田くん、お仕事お願いしてもいい?」

 わたしの言葉に、前田くんは大きな目をきらきらさせた。

 「! はいっ! 僕でお役に立てることでしたら!」

 お手伝いが楽しいお年頃だろうか。大変かわいい。でも長谷部さんみたいになったらだめだよと言いたい。当たり前だけど言えない。

 「わたしと一緒にお昼寝してくれる? できれば、他にも一緒にいてくれる子がいると嬉しいんだけど……誰かいないかな? わたし一人じゃ、さみしいな」

 前田くんはまぶしい笑顔で元気よく「承知しました!」と頷いた後、「でしたら、粟田口の兄弟、みなを集めてまいりますね!」とかけっこナンバーワンの脚力で飛んでいった。


 ――そうしてちびっ子たちと仲良くお昼寝するはずだったのに、どこから聞きつけてきたのか三日月さんまでやってきた。――と思ったら、いまつるちゃんが「みかづきはひめのあんみんをじゃまするのでだめです」と冷やかな声で言い放ち、さっさと(打撃で)追い返してくれたので、わたしは夕飯までぐっすり眠ることができた。

 ……いまつるちゃんはちびっ子だけど、もしかしなくともカースト上位者なのかな????






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