就職を機に実家を出て早数年経ったけれど、わたしは毎週金曜の夜は必ず実家へと顔を出している。 就職先は隣県で、交通の便も良いし、実家から通うこともできないことはなかった。 ただ、このタイミングで家を出なければわたしは一体いつ独り立ちできることになるんだと考えてみたところ、どう考えても今。今しかない。答えは悩むこともなく出てしまったので、わたしは追いすがる兄に約束してしまったのだ。――“週末には必ず顔を出す”と。 兄はわたしの六つ上で、とにかくなんでもできる優秀な人である。あまりにも優秀で、早くに一人でなんでもできるようになり、その上なんでも自分でさっさと決める即断力に溢れた子どもだったらしく、本当に手がかからなかったという。 そして妹のわたしはごくごく普通に、それなりに手のかかる子どもだった。おまけに両親待望の女の子。それはもう大事に育ててもらったと自覚している。父も母もどちらかを特別扱いするということはなかったけれど、必然的にわたしに手をかけることになっていたのは間違いない。 「ちゃんはしょうがないわねえ」というのは母の口癖で、「ちゃんは女の子だからねえ」は父の口癖である。 ただ、兄もわたしもお互いに悪感情を持ったことは一切ない。 兄は本当になんでもできる人で、いつだって頼れるヒーローみたいな存在だった。 父も母も、兄妹どちらも平等に愛してくれた。わたしだって父も母も同じくらい大好きだし、兄だってもちろんそうだ。家族のことは大好きである。 ただ、兄は違う。いつでもわたしのことを思いやってくれて、いつでもわたしのことを考えてくれて、いつでもわたしのことだけを大事にしてくれる。家族の中でたった一人、わたしを特別扱いし、わたしにも同じものを要求する――つまり、ドが付くシスコンなのだ。 そういうわけで、兄はいつまでもわたしをそばに置いておきたい――というか置いておくつもりだったらしく、就活に忙しくしている時に「ちゃん、無理に就職なんてしなくっていいんだぞ。ちゃんのことはお兄ちゃんがずっと面倒見てやるんだから」とかなんとか言い出したのが冗談じゃなくガチなんだとこれまでの経験で分かってしまったので、なんとしてでも家を出なければならないと思ったわけである。 結果、就職先は実家から通える範囲だということで一悶着どころか何百悶着もあったが、どうにかわたしは家を出て、会社の最寄りから四つ先の街で一人暮らしをしている。しているのだが、絶対に実家からは出さないと譲らない兄との何百悶着の中で、とにかく家を出ることを優先させたわたしは思わず言ってしまったのだ。“週末には必ず顔を出す”からと。 これを聞いた兄はすぐに納得しただけでなく、今の部屋を見つけてきたと言って既に契約も済ませていた。どういう風の吹き回し? 勢い凄まじすぎるんだけど情緒不安定? とか思っていたわけだが、まぁずっと可愛がっていた妹が家を出るのが寂しいんだろうな、とにこにこしながらお礼を言ってそのままにしていた。 週末に顔を出すという約束も、破る気はなかったけれど、まさか毎週毎週いつまでもずっと帰ってこいだなんて話ではないだろうと――思っていたのはわたしだけだった。 そういうわけでわたしは今日もこうして実家へと戻ってきたわけだが、母からのメールで、今晩は両親揃って遠方にある父方の親戚の家を訪ねる予定があるから不在とのことだ。 だというのに兄がいない。いや、部屋で仕事をしているんだろうけれど、兄はいつでも絶対に出迎えてくれるので、なんだかおかしいな? と思って――なんの考えもなく兄の部屋など行ってしまったからこういうことになってるわけだ。 わたしが何を言いたいのかというと、こういう時におおよその人間が一番に口にするだろうセリフである。 「……な、なにしてるのお兄ちゃん……」 いや、何してるの?? っていうのもそうなんだけど、お兄ちゃんの部屋はいつ和室に改装して、いつ平安貴族(?)のお友達できたの???? ということも聞きたい。 「ちゃんおかえりぃ〜! お兄ちゃんさみしかったよぉ〜! でもお兄ちゃんがお返事する前にドア開けたらメッ!!」 「え……あ、うん、そうだよね、ごめんなさい、いつもお兄ちゃんが出迎えてくれるから、」 「そっかそれはお兄ちゃんが悪かったね?!?! ごめんねちゃん……つい夢中になっちゃって……」 「あ……う、うん、いいんだけど…………えーと、何してた、の?」 わたしの目がおかしくなっていないとすれば、わたしの幼少期のアルバムを見てたよね? 平安貴族(?)のお友達と。っていうか待ってなんか部屋の広さも変わってる……? …………いやいや、んなわけ〜! とか思っているとお友達と目が合ったので、とりあえず「あ、妹のです、どうも」と会釈すると、まさに平安貴族的な(?)麗しい微笑みを浮かべて「おお、会うのは初めてだな。だが、俺はそなたのことはよく知っておるぞ。俺の名は三日月宗近という。さ、、こちらへ来い。ほれ、座れ座れ」と自分の部屋のように寛いでてさすが貴族。 え〜……友達来てるんなら連絡してくれれば、わたしだって帰ってこなくて済んだのに……と思いつつ、よそ行きの笑顔で「あー、じゃあ、ちょっとだけ」と見慣れぬ室内へ恐る恐る足を踏み入れ、どうなってんの? という視線をさりげなく兄に向けるもまったく伝わっていない笑顔を返されたので、とにかく今日はさっさと帰ろうと兄の隣へそっと腰を下ろした。 「週末はな、決まって機嫌が良いのだ」 「はい……?」 平安貴族のお友達――三日月さんの言葉に首を傾げると、優しい声で「そなたが、こうして顔を出しに来るだろう? この日ばかりは、主――いや、そなたの兄君も、日頃の執務の疲れも忘れてしまうらしい」と笑った。 「おまえなぁ、三日月……何をそんな当たり前のことを……。あ〜、ちゃんは今日もかわいいねえ〜。お兄ちゃんのおひざに座る? ん?」 「あ、三日月さんは兄とは仕事の関係で?」 年甲斐もなく子どものような泣き真似をするお兄ちゃんには一切触れない。構うと余計にうるさくなる。 「む? ……あぁ、うん、そうだな、うん。あぁ、、喉は渇かぬか? そろそろ燭台切が茶を持ってくるだろうからな、その時におまえのものも頼もう。何がいい? 茶は好きか? それとも兄君と同じようにこーひーとやらが好きか? いや、おれんじじゅーすがいいか? ん? じじいに教えてくれ。なんでも用意してやろうな」 「え、あ、いえ、お、お構いなく……?」 ……あれここわたしの実家じゃないの? ここお兄ちゃんの部屋……だよ……ね……? 知らない間に和室になってるけどわたしちゃんと玄関から入ってきたんだから間違いなくここはわたしの生まれ育ったの家だし、その二階にある“おにいちゃんのおへや”というプレートはいつだかの家族旅行の際、わたしが体験教室で作ってお兄ちゃんにあげた物だ。つまりそれが掛かっていたドアの先のこの空間はお兄ちゃんの部屋のはずで、っていうかわたしの隣に座ってるこの人はわたしのお兄ちゃんなんだから……とわたしがありとあらゆる疑問とそれに伴う混乱に戸惑い、とりあえず落ち着こうと畳の目を睨みつけていると「主、入るよ」という声が部屋の奥からしたので、驚いて顔を持ち上げた。 いや、だって確かに三日月さんのその奥には障子戸があってわたしはそれに気づいてたけど、まさかそこから人が入ってくるとは思わないでしょどう考えても間取りおかしいし!!!! 湯呑みが二つ乗ったお盆を持っている眼帯のお兄さんは、わたしの顔を見るとはっと息を飲んだ。するとお盆をサッと隅にやって、「ちゃん……! ちゃん、おかえり! 今週もお仕事大変だったでしょ? お疲れ様。ご飯は食べていくよね? ハンバーグがいい? あっ、肉じゃがのほうがいいかな? ううんっ、せっかくだから今日はすき焼きにしよっか! それがいいよね主! あ、ちゃん先にお風呂入る?」と…………え? いや……ハンバーグも肉じゃがも大好きなんだけど……なんで知ってるんですかっていうかあなたどちらさま???? あの眼帯のお兄さん(燭台切光忠さんというらしい)に勧められるままお風呂をいただいたわけだけど、お兄ちゃんの部屋は一体どうなってるのかな? 異空間にでも繋がってるの? 浴室っていうか大浴場っていうか温泉っていうかアレはなんだったのか? とにかくここものすごいお屋敷だねなんなのこの大広間???? っていうか――。 「あーっ! ほんとにじゃん! おかえり〜! えっ、今日ちょっと早くない?」 「えっ……あー、うーん……そう、かも……。お、お母さんたち今日いないって聞いてたから、お兄ちゃんご飯どうするのかなって、思って、たんだけど……」 う、うん、とりあえず誰かな? めちゃくちゃフレンドリーだけどわたしはこの子をまったく知らないぞ……。 赤色の瞳が宝石のような……カラコン? 「あっ、そっか! 宮城の親戚のとこだっけ? っていうか聞いて〜。今日さ、俺が一番誉取ったのね? なのに新しいマニキュア買ってくれないとか言うんだけど!! 意味分かんなくない?! ずっと狙ってた新色やっと手に入ると思ったのにさぁ〜」 「へ、へえ……」 お父さんたち宮城の親戚のところなんだ。わたしそこまでは聞いてなかったんだけど、この子はどこからその情報を……? と困惑しつつ、彼のきれいな指先をちらっと見る。 わあ、手もきれいだし爪の形も完璧だし、女子力の高さが垣間見える……ほんとのオシャレさんだね……。 「でも今してるその色、かわいいよ。似合ってる」 「えー? でも変わり映えしないっていうのもさぁ……」 ぴかぴかのおててを掲げて唇を尖らせる様子がめちゃくちゃJK……。 わたしは彼の指先を見つめながら、せっかくこんなにきれいにしてるんだから、新しいものは手に入らないにしても何かしらないかな、と考えてみた。 「あー……そうだよね、うーん……あ。ね、ストーンとかつけるのは嫌なの? それだけで変わるじゃん」 キラキラしたもの好きそうだし、と心の中で付け加える。だってめちゃくちゃJK。 「したいけど、ストーンは邪魔になっちゃうからさぁ……畑当番しなくていいならいいんだけどー」 「(畑当番……?)えーと、あ、じゃあシールは? ペイントより簡単だし、でも色んな種類あるから飽きないと思うよ。わたしので良ければあげようか? まだ使ってないのあるから」 かわいいんだけど、わたしはもうハートやら星柄っていうのは卒業かなぁと思って、いつからだか使わなくなったネイルシールが確か部屋に眠っていたなと提案してみると、「……えっ! えっ?! いいの?! ほんと?!」と目を輝かせるので笑ってしまった。 ああいうのはこういうかわいい子にこそ似合う。何より若い。 「うん、部屋にあると思うから、あとで持ってきてあげる。かわいいんだけど、もうわたしが使えるような柄じゃないから、貰ってくれたら嬉しいな。……えーと、」 そうだそういえばこの子誰なの???? と思い出して言葉を詰まらせたタイミングで、「ちょっと清光、ちゃん困らせるなよ。主に怒られるよ」と後ろから声が。 振り返ってみると、これまたかわいい顔をした男の子だ。この赤いネイルのJKっぽい男の子は清光くんだとして、ついでにきみは誰かな???? 「はぁ? 別に困らせてないんですけど。ね、どんな柄のがあるの? あっ、一緒にネイルしよーよ! ねっ? いいでしょ?」 わたしの腕にきゅっと抱きついて顔を覗き込んでくるあたり、清光くんはほんと女子力というかもはやJK力(?)がぶっちぎってる……。 「おい聞けよブス。ちゃん、相手しなくていいよ。僕、大和守安定。ねえ、主がさっき母君から連絡受けたんだけど、明日の昼にはこっちに戻るから、ちゃんには今日は泊まってもらってって言ってたって」 やまとのかみやすさだ。やまとのかみ。……ものすごくレアな感じの名字……。そういえば三日月さんも燭台切さんもレア中のレア的な……いや、そんなことより。 「はぁ……そうなの? ……でもなぁ……」 正直こんなよく分からん状況の実家(たぶん)に泊まるのはなぁ……という気分である。家の間取りおかしなことになってるし、知らない人めちゃくちゃいるし。しかもその知らない人たちのほうはわたしのことを知ってるっていう一番気まずいパターン。 でもうちの親のことを知っていて、週末にこうして集まっていて、(わたしは知らないけど)わたしのことを知ってるとなると…………親戚? いや親戚だとしてもわたしのほうは知らないんだから結局気まずい。 渋っているわたしに、清光くんが「もうお風呂入っちゃったんだし、今日泊まれるだけの物は部屋に置いてあるでしょ? だーかーらっ、ネイル一緒にしよっ?」と少女漫画のヒロインみたいに、瞳をキラキラさせながらおねだりしてくる。 「ん、ん〜……」 「だから迷惑かけるなって言ってるだろブス。ちゃんは仕事で疲れてんの、おまえに付き合ってるヒマとかないから。ちゃん、ご飯できるまで僕と話してようよ」 「あ゛? 俺が最初にと約束したんだけど。引っ込んでろよブス」 「あ゛? ちゃんは僕と話してるほうがいいに決まってるだろドブス」 「オッケー分かった三人でおしゃべりしながらネイルしよ! とりあえずネイルはご飯食べてから! いいよね? えーと、清光くん」 清光くんの変化にビビったのは仕方ない。 わたしの声は耳に入らなかったようで、やいのやいのと言い合いながら二人がどこかへ去っていくのを見送っていると――。 「あーっ! 絶対またあるじさんのちゃん欠乏症の症状だと思ったのに、ほんとにちゃんだぁ! ボク、乱! ふふ、会えてうれしい! ちょっと薬研ー! ほんとにちゃんいるよー!」 「わっ! わあ……えーと、乱、ちゃん? ね、熱烈な歓迎ありがとう……」 わたしを見るなり飛びついてきたこの美少女はどこの子かな? こんな美少女に抱きつかれるなんてこと、ちょっとありえない貴重な体験だけど……だから家は今現在どういう状況なのかな? だがしかし“ちゃん欠乏症”のインパクトが余裕の圧勝であるなんなのそれ聞いたことない。 「……驚いたな、本当にお嬢さんか?」 「(お、お嬢さん……)えーと、薬研くん、でいいのかな? あはは、もうお嬢さんなんて歳じゃないよ〜」 戸惑いつつ、続いて現れた美少年になんとか笑顔を向けると、彼がニッと笑って「そうかい? 俺には大層可愛らしいお嬢さんに見えるけどな」とか言うのでわたしはまたビビった。 「……薬研くんは何か欲しいものがあるのかな?」 「ははっ、そう聞こえたかい?」 細められた薄い紫色の瞳が色っぽく見えてしまって、いやいやいくら“美”少年だとしても少年は少年であるからして……と誰に向かってか言い訳を考え始めてしまったどうしようおまわりさんわたしは違いますと言いたいけど違わないかもしれません……。 「――こら、乱! 廊下は走ってはいけないと何度も……」 心の中でどうにか言い逃れしていると、慌てた様子で人が飛び込んできた。 乱ちゃんが弾んだ声を上げる。 「あっいち兄! ほら! ちゃんだよ!」 ……出会う人出会う人みんな顔が良いのはどういうわけだろうと思いながら、“いち兄”さんに頭を下げる。めちゃくちゃ王子様っぽい。そしてめちゃくちゃ派手である。コスプレパーティーかなんかしてるの? っていうか水色の髪ってどういうふうに染めたらなれるの。いや、しないけど。 「あ、ど、どうも、こんばんは、です。えーと、兄がいつも――」 「……前田、お嬢様に新しいお茶をお出ししなさい。平野、おまえは膝掛けを」 「「はい!」」 「?!?!」 いち兄さん(王子様)の背後からシュバッ! と小さな影が二つ飛び出していって、気づいたらお茶とブランケットをかわいい少年二人に用意されていた。 「二人とも小学校ではかけっこ一番だね……」と呟いてから、そうだろうけどわたしが言いたいのはそういうことじゃないと思った。 プチパニックを起こしているわたしに、いち兄さんが膝をついて恭しく礼をする。 ……どこか外国の王子様なのかな? いや何故王子様が我が家に? いや、そもそもここは我が家だったかな???? あれ???? 「お初にお目にかかります、お嬢様。私は一期一振。我ら粟田口派一同、兄上には大変良くしていただいております。いつかご挨拶をと思っておりましたが、それがこうして叶いまして光栄です」 「えっ、あっ、こ、こちらこそ兄がお世話になっているようで……ご、ご丁寧にどうも……」 プチパニックがめちゃくちゃパニックに進化して、頭の中をびっくりマークとはてなマークが占領している。 抱きついている乱ちゃんはニコニコとわたしを見上げて、「ちゃん今日はお泊まりするんでしょ? ボクたちの部屋においでよ!」と言っているがちょっとよく意味が分からない。えっ部屋あるの? あれっ、みなさんロイヤルファミリーなのでは???? あら???? 「乱、お嬢様は今日も現世でのお勤めでお疲れなんだから、我儘を言ってはいけないよ。お嬢様がここへお戻りになるのは、ゆっくりとお体を休めるためなんだからね」 「えー、でも加州さんたちがさっき約束してたもん! ズルイよ! ボクだってちゃんと遊びたい!!」 「乱、聞き分けの悪いことを言うんじゃない。……お嬢様、どうかお気になさらず。私がよく言って聞かせますので」 厳しい顔つきをしている……えーと、一期さんに、慌てて口を開く。 「い、いえ、わたしも実家に戻っても遊んでくれる相手がいませんから、乱ちゃんが遊んでくれたら嬉しいです。えっと、とりあえずご飯食べたら清光くんたちと約束してるから、乱ちゃんもおいでよ」 乱ちゃんはちょっと考えるように上目遣いをすると、「んー……じゃあネイル終わったら、ボクたちの部屋きてくれる? 兄弟みーんなちゃんと遊びたいもん! ねっ、いい? いい?」とますます笑顔を輝かせる。 さて、兄弟“みんな”とは。 「み、乱!」 「あーいやほんとお気になさらず! じゃあそうしよっか!」 「うんっ! ちゃんだぁいすき!」 とりあえずなんでか乱ちゃんはわたしを非常に気に入っているらしいし、わたしもわたしで満更でもないので構わない。 「……申し訳ありません、お疲れのところを……」と頭を下げる一期さんに、「いえいえ〜」と返しながら乱ちゃんの頭を撫でた。ほんと美少女。 すると、成り行きを見守っていた薬研くんがニヤリと笑う。 「まぁまぁ、いち兄だってお嬢さんのことを本人から聞ける良い機会じゃないか。毎日熱心に大将の話を聞いて――」 「薬研! ……な、鯰尾たちに声をかけて、部屋を片付けるように言ってきなさい。……お嬢様、私もこれで失礼致します……!」 「はいはい、分かったよ。じゃあな、お嬢さん」 わたしが何か言葉を発するまえに、一期さんが乱ちゃんと薬研くんを引っ掴んで嵐のように去って「くっくっ、あれじゃあまるで乙女だな」…………。 「?!?!」 耳元で囁く声にバッと振り返ると、全体的に白めな……これまたものすごい美形がおもしろそうな表情を浮かべて立っていて二重に驚いた。 「ははっ、いい反応だ! よう、おひいさん。長い遠征ですっかり疲れて帰ってきてみれば、まさかきみがいるだなんて嬉しい驚きだったぜ。今日は泊まっていくらしいな。あぁ、俺のことは分かるかい?」 「は、はぁ、どうも……。……えーと?」 次から次へと……とこっそり溜め息を吐きながらも、とりあえず笑顔を浮かべる。そしてもちろんわたしは彼のことを知らない。まったく分からない。どちらさまなの。 彼はいたずらっ子のような無邪気な笑顔を浮かべた。 「鶴丸国永だ。ま、分からなくて当然だ。俺はきみをよく知ってるが、これが初対面だからな! ……会いたかったぜ、姫」 「そ、そうですか……」 初対面……初対面か…………つまり誰? と思いながら、差し出された手をとって握手する。 「それできみ、飲める口かい?」 「え? ええ、まぁ、多少は……」 「そいつはよかった! なら今晩は月見酒と洒落こもう! 三日月に、きみと茶を飲んだんだと散々に自慢された。それなら俺は酒だと思ってな」 ん〜? 三日月さんの名前が出るということは、この人はお兄ちゃんの仕事仲間になるのか……? しかしまぁ、これ以上ややこしいことになるのは勘弁なので、わたしは曖昧に笑って「あ、あ〜……いや、お気持ちは嬉しいんですけど、子どもたちと約束が……」と答えた。 すると鶴丸さんが「なぁに、俺は気は長いほうだぜ。先に若いのに譲ってやるさ。それに、酒はゆっくり頂くのがいいだろう?」なんて言うのでわたしは「あ、あはは、」と乾いた笑いをこぼすしかなかった。 「いくらでも待っているからな、忘れてくれるなよ」と言うと、鶴丸さんはさっさと背を向けていってしまった。 っていうか、わ、若いのって……鶴丸さんもお若い……。お兄ちゃんより若く見えるし、わたしと同年代……? いや、もしかしたら下ってことも……。 「いわとおし! ひめですよ! ほんとうにほんもののひめです!」 「おお! そうだな! 主の病もいよいよかと思ったぞ!」 待って“ちゃん欠乏症”のことかな? お兄ちゃんは相当ヤバくて“いよいよ”……つまりどうなっちゃうのかな???? ……いやこのちびっ子と……めちゃくちゃおっきいなこの人?!?! どちらさま?!?! 「愛いぞ愛いぞと言っておったが、うむ! 小さいな!」 驚いて声も出せずにいたら、おっきな人がガッとわたしを持ち上げた。 「ひぅっ?!?! ちょっ、ちょおっ、まっ! た、高いっ、高い!!!!」 「がはは! 楽しいか! そら! もっと高くできるぞ!!」 「ちょっと待って誰か! 誰か!! 助けて!!!!」 ただでさえ高いのに腕をぐんと伸ばされたのでさらに高いこれはなんのアトラクションかな?!?! 「いわとおし、ひめはもうじゅうぶんだそうです」 ちびっ子の言葉に、おっきな人は「お? そうか!」とやっと気づいてくれた様子で、案外そうっとわたしを地上へ帰してくれた。ただ、「またいつでもしてやろう!」とか言い出すのはつまり分かっていらっしゃらないということでいいのかな?? 「あ、ありが……いえ、だいじょうぶです、」 危うくお礼を言って、いらない“また”という機会を作ってしまうところだった……とヒヤッとしていると、ちびっ子がぴょこぴょこ跳ねながら「ひめ! おしょくじはぼくたちといっしょにとりましょう! ぼくがおせわします!」…………“おせわ”とは。 実家へ戻ってきたわたしを、ちびっ子なりに歓迎している――というふうに捉えよう。このちびっ子はきっとうちの(ものすごく遠い)親戚だろうから、知らない間に改装とかなんとかぬるい表現してられないこの劇的ビフォーアフターな実家(わたしを知ってるわたしは知らない他人複数人付き)の中で、いい感じにわたしの居場所を作ってくれるかもしれない。 まぁだとしても、きみはどこの子かな? というおはなしになる。 「う、うん、ありがとう、えーと、お名前教えてくれる?」 「今剣ですよ、ひめ。これはいわとおしです」 「ど、どうも……です……」 いまのつるぎ。ええと……つまりなんて呼ぶのが正解なのかな? とても珍しいというか、独特というか、イマドキのなんちゃらネーム的というか…………ん?!?! いわとおし?!?! 名付けのルールとか流行り(?)とか知らないけどすごいなどう呼べば失礼にならないんだ……と、“いまのつるぎ”と“いわとおし”をどう処理するか、なんとか笑顔を浮かべながら脳みそをフル回転させていると、彼ら――呼び方はあとで他の人たちの様子見てから決めよう――の背後から、「おい、何を騒がしくしている」とまた見たことのない人が現れた。待って今うちにどれだけの人がいるの……。 「そろそろ夕餉だ、ばたばたするな」ときつく眉間に皺を寄せている表情は、なかなか性格を表してそうだな……と失礼なことを思う。 しかしこの人もまた、とてもキリッとした清潔感のある男前だ。仕事もものすごいデキるエリートって感じ。ただ――ミスしたりとか、何か気に障ることしちゃったらめちゃくちゃキツそう……。つまりわたしは大人しくしておこう……となるべく存在感を消す。 「そのものいいはなんです? はせべ。ばたばたなんてしていません。こどもじゃあないんですから」 ……わたしの“おせわ”もできるもんね……となんだかなまあたたかい気持ちになっていると、“はせべ”さんはますます表情を険しくした。 「いや、それよりどうなっている? 主の妹姫様が本丸にお越しになっているなどと悪質なデマが回っているが、おまえたちが原因……か…………?!?! なっ、何をしているッ?!?! この無礼者がッ!!」 ……殺られる……! 「?!?! えっ?!?! す、すみませ……ッ?!?! ん?!?! ちょっとちょっとあの?!?!」 ふいに合った目のその鋭さに、瞬間的に死ぬと思ったわたしは咄嗟にとにかく謝りたおそうとしたのだが、なぜだか彼(はせべさん)のほうが土下座した。どうしたの。キレられてもどうしたのって思っただろうけど土下座はもっとどうしたのと思わずにいられない。 「貴様ら何をしているッ?! 姫様の御前だぞ弁えろッ!!!! ……姫様ッ! 不敬なる振る舞いをどうかお許しくださいッ!! このような醜態を晒してしまっては主への忠誠をお疑いになられても致し方ないことかと思いますがこの長谷部は主に誠心誠意尽くしておりますのでご心配なさいませんようッ!!!! 何かご用命はございますか?! 家臣の手討ちには覚えがありますのでご随意にどうぞッ!!!!」 オッケーとりあえずこの長谷部さんが今までで一番ヤバイ人なのは理解した!!!! 「っ、いやっ、とりあえずその土下座を……っ」 「はいっ!! 姫様のお許しが頂けるまでいつまでも!!!!」 「違うそうじゃない誰か常識人の方いらっしゃいませんか?!?!」 めちゃくちゃ輝く笑顔でわたしを見上げてくる長谷部さんに、本能的な何かが反応した。ヤバイ。 「あっ、やだなぁちゃん、ゆっくりしててって言ったじゃない! もうご飯できるからね。ちょっと長谷部くん邪魔だよ手が空いてるなら手伝って! ちゃんお腹空いてるんだから!!」 エプロン(かわいいアップリケがいっぱいついてる)をした燭台切さんの、対わたしと対長谷部さん用かと思われる表情の切り替えがすごい。(よそ行き用の声で)電話に出て、相手がセールスだって分かった時のお母さん(のトーンダウン)くらいすごい。 「何ッ?! 様を空腹のままに今の今まで何もお出ししなかったのか?! 厨当番は何をしていたッ!! 様、しばしお傍を離れますが何かあればすぐに! この! 長谷部に! ご用命ください!! おい燭台切俺は何をすればいい?!?!」 そう言って長谷部さんは燭台切さんの後を追いかけていったので正直助かった……。 さて。なんかよく分かんないけど……お兄ちゃんは仕事仲間とものすごくうまくやっていて、知らない間にすごい……ものすごい親戚付き合い濃くなってるんだあ……とわたしはあからさまな不審点と様々な違和感すべてをなかったことにして実家の現状を受け入れ、すき焼きをおいしく頂き子どもたちの相手をたっぷりし、趣のある月見酒……ではなくハイテンションフルスロットルな酒盛りを楽しみ、とにかくすごかった……と翌日マンションに戻ってしみじみ振り返っていたのだが、はたと思い至って頭を抱えた。 「…………いやわたし来週末も実家帰るじゃん……」 |