「……さいあく、」

 自分で選んだ、自分が進みたいと思える道を、自分の力で歩んでいく。

 そう決めたのは自分で、そうやってこの先を行くのには、誰でもない、自分自身を信じることが大事だと思ったはずだった。自分に自信を持って、自分の力で前を向くことが必要だと、そう思ったはずだったのに。

 だから、神永さんに言ったのだ、わたしは。差し伸べられた手を拒絶したのも、突き放したのも、そのために必要なことだったから。どんなに優しくされても、頼ってもいい、甘えてもいい。それを全部許してくれると言われても、いらないと言って突っ返したのだって、わたしだ。
 なのに、どれも全部全部、口先だけの、それこそ甘えた幻想だった。
 自分の力で選ぶ? 自分の力で前に進む?

 ――自信なんてなんにも、どこにもないのに?

 甘えた幻想にしがみついて、それで強くなった気になるなんて、バカみたいだ。そして、これに気づいてしまった瞬間、こうやって怖気づいたわたしも。

「……もう二度と、ぜったい、握り返したりなんかしないって、決めたくせに」

 疲れてしまった体に心地良い揺れは、簡単にわたしを眠りの世界に連れていってしまった。

 うとうとしながら、思った。思って、しまった。
 神永さんとあの子の、楽しそうな会話が――うるさいな、と。

 二人のテンポのいい会話は、聞いているこっちまで楽しくって、いつだって心の底から笑うことができた。

 それに、二人のことが、すきだから。

 ずっとずっとそばにいてくれて、一番に大事なあの子と、どんな時でも優しくて、誰より頼りになってくれる神永さんの二人が楽しそうに笑い合っている姿を見るのが、嬉しかったのだ。二人のことが、好きだから。

 なのにあの時、嫌だと、思ってしまった。

 確かに、ここのところ二人の距離が、前より一層近くなったような気はしていた。そして、それがなんとなくさみしくて、取り残されてしまった迷子みたいな、そういう子供じみた感情を抱くようにもなっていた。

 わたしの知らないところで、何をしてるんだろう。
 わたしのいないところで、どんなことで笑い合ってるんだろう。

 どちらに対しても、ひどい感情だと思った。

 わたしはあの子のことを誰より信頼していて、心の底から大切だと思っているし、ほんとうにほんとうに大好きだ。だからこそ、わたしが彼女の何かを制限したり、嫌がったりすることは、絶対にしてはいけない。

 もしわたしがそう願ってしまったら、きっと、そんな勝手すぎる自己中心的なわがままさえ、笑って叶えてくれてしまうから。わたしを大好きだと言ってくれる大親友には、そういう、献身的すぎるほどに愛情深い面があるのだ。これも驕った考え方だとは分かっているけれど、わたしはそれだけ、彼女に大事にしてもらっていると思っている。それだけのことをこれまでしてきてもらったし、そう実感するほどの長い時間、ずっとずっと、そばにいてくれたから。

 神永さんにも、同じことが言える。

 こんなふうに関わる前は、社内で見かけることがたまにあったとして、特別な感情を持ったことはなかった。魅力的な人だから、いつだって噂は聞こえてきたけれど、話題の一つとしてしか考えていなかったのだ。だって、関わりを持つことがあるだなんて、思ったこともなかったから。

 でも、いつからか、困った時、つらい時、自信が、なくなってしまった時。そばにいてくれて、励ましてくれるのは、あの人になっていた。
 そしてわたしは、いつからかそれを当然みたく受け入れて、神永さんに頼ること、甘えることに対して、違和感すら抱かなくなっていたのだ。それも、甘えだった。

 あの子みたいに、一緒に長い時間を過ごしてきたわけじゃない。でも、信頼はあまりにも自然に生まれた。ほんとうに、いつの間にか。
 全部全部、神永さんがしてくれたことが理由だと、今になって気づいたというのが、とんでもなく恥ずかしい。だって、そこまでしてもらう理由なんて、どこにもなかったのだから。
 神永さんの与えてくれる怖いくらいの優しさは、あの子が注いでくれる愛情と、よく似ている。

 そうやってわたしをあいしてくれる二人に対して、わたしは――どちらにも、嫉妬しているのだ。

「……気づきたく、なかった、」

 ひどいことだ。それに、ずるくって、何より卑怯だ。
 じっと、自分の手のひらを見つめる。

「、いらないって、言ったのに。なのになんで、」

 あの優しい手を、探してしまったの?




「――し……し……? し、っと……? 嫉妬?! ヤキモチ?!?! が?!?!?!」

 いつも通り昼休みに集まればいいものを、神永さんは朝早くにわたしを呼び出した。いつもの、会社の屋上に。
 いやなんでだよ爽やかマンデーは私にとってはどんな時でもどんよりマンデーなんだよ労働なんざしたくね〜〜んだからよ……と思いながら渋々やってきたわけだが――そういうことなら話は変わってくるじゃん????

「かわいいよなぁ。きみのことはもちろん大好きだが、だからこそ気づかなかったんだ、妬いてるって」

 そう言う神永さんはにこにこ笑って、「きみもそうだし、もちろん俺だってきみにそういう興味を抱いたことなんてないから、どっちも心配する必要なんてないのにな」と続けると、スーツの内ポケットに手を伸ばした。

「えっかわいいがすぎない……? 私が神永さんなんかに興味あるわけないのにのことにしか興味関心ないのにヤキモチ?!?! えっ私のこと大好きじゃん私もだよ゛ぉ〜〜ッ!!!!」

 神永さんは呆れたような溜め息を吐いたがまったく響かないというか、いやつまりはに一番愛されてるのって私ってことがまたも証明されてしまったわけなのでむしろごめんなさいね〜〜?? というドヤしかないっていうか……エッうちの子ほんとかわいい……(号泣)。
 目頭を押さえながら天を仰いでいると、「そういうわけだから、今後集まる時には朝、就業前だけだ。金曜以外の外での会合も、今後は一切しない」……なんて????

「っは? いやここからでしょ?! こっからガンガン攻めてかにゃならんのに計画なしに事を進めてくって冗談ですよね?!?!」

 信じらんねえコイツ余裕があるのは結構だし結局キメてくれると信頼はしてるけど、だからこそ慎重にいくべきでしょエリート脳で自尊心に満ち満ちた賭けすんのやめろッ!!!! 失敗はマジで許されないんだぞ私らッ!!!!
 しかし、神永さんは笑顔を浮かべたまま、煙草に火をつけた。

「ここからだから言ってるんだ。……ちゃんがやっと認めたんだから、これ以上の時間は必要ない」

 いやだからッ! と噛みつこうとしたが、すかさず「それに、妬かせちゃかわいそうだろ? 今だって相当気にしてると思うぞ」と言われてしまったので…………。

「カッ、カンス……カンスト〜〜〜〜ッ!!!!!!」

 感動のあまりぶるぶる震える私を、神永さんはおかしそうに肩を揺らしながら見る。その表情はすぐに真剣なものに切り替わったけれど。
 吐き出された薄ぼんやりする白い煙が、風に流れる。

「俺は、彼女の何もかもを許してやれる男だ。――か弱い女の子一人の甘えくらい、いくらでも抱えてやれるよ」

 ……、ごめんね。

 これまでのこと、今起きてることの全部、私はこの先ずっと、一生言えない。こんな勝手な自己満、あんたが知っちゃったら……嫌われちゃうんじゃないかって、やっぱり怖いから。
 余計なお世話で、いらん過保護かもしれない、というかそうだろうなって思うし、の邪魔してる自覚もあるから。
 それに、あんたってば誰より優しい子だから、私の自己満なのに、きっと自分のせいだって思っちゃうよなって思うと、どうしたって言えやしないんだよ。
 なのに、私はその後ろめたさで勝手に自爆して、いつか、後悔する時だってくるかもしれないから笑っちゃう。

 でも、それでも、やめはしない。

 だって、神永さんのこの顔見ちゃったらさあ……ハッピーエンドしか待ってないって、それが当然の決まりきった結末だって、確信できちゃうんだもん。

 だから、ごめん。

 でも、言えないけど――の幸せはきっと、いや、絶対にこれだから。許してとも言えない、言う資格もないけど、私はほんとに、の幸せさえ手に入れられれば、それでいい。




 そろそろちゃんが出社する頃だと、彼女は慌てて屋上を出ていった。
 残された俺は、先程吸ったばかりだがもう一服――と思って、やめた。
 さすがにライターは置いていけないが、煙草は置いておけば誰かしら……まぁ、ここに来れる人間は限られているので察しはついてしまうが、誰かしらが勝手に処理してくれるだろう。灰皿の縁に、ぽんと放った。

 もう逃げないと決めた、いや、決めようと頑張ったことは、これ以上はないほどに褒めてあげようと思う。それは何も無駄なことじゃなかったし、だからこそ甘えていいんだと、免罪符も与えてやれるから。まあ、俺に言わせれば、必要な免罪符は、ここまで一生懸命に俺から逃げてきたことに対するもの、たった一つだけだが。

 彼女は俺を甘く見すぎていたのだ。

 彼女から何かをもらおうだなんて思っちゃいないことは事実だが、彼女が必要なものまで手放すことを見逃してやるなんてこと、するわけがない。
 背中を押す? 違う。彼女が俺に求めたのは、あの華奢な体を、暗い谷底に突き落とすことだ。
 見守ってやる? 違う。それは、彼女の心が死ににいくのを見て見ぬふりすることだ。

 どれも、できるわけがない。
 きみは誰より――初めて、守ってやりたいと思った女の子なのだから。

 きみが言うことのすべてを叶えてやりたいが、それはきみが傷つかずにいられること、いつだって笑っていられること、それを満たすものだけだ。
 俺はちっとも優しい男なんかじゃないし、甘っちょろいことを許容する男でもない。この世の誰よりズルが上手い、どうしようもない男だよ。

 これまでは、その狡さを自分だけのために使ってきた。それで、何もかもうまいことやってきた。

 でもこれからは、きみのためだけに、俺のすべてを使ってやりたいのだ。すべてを許して、すべてを俺が背負ってやりたいのだ。

 ズルが得意な男だから、なんにも苦じゃない。むしろ、きみのためにこれまでがあったとすら思う。

 だから、全部を俺に預けてくれ。

「……まいったよな、こんなはずじゃなかったのに」

 後悔などは欠片もないが、甘ったれは他でもない自分ではないかと思うと――おかしくなってしまって、なんだか笑えてきてしまった。

「さて、今晩はどこに連れてってあげるかな」






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