「ちゃん」

 そうやって優しく名前を呼ばれると、怖くてたまらなくなる。わたしのダメなところを、全部全部許されてしまいそうで。
 わたしは、自分で選んだ、自分の進みたい道に進もうと決めた。そうすることで、やっと変われる。今までずっと見て見ぬふりしてきたものと向き合って、わたしがなりたいと思う新しい“わたし”になれる。――もう、これが本当に最後のチャンスなのだ。
 ダメな自分ではいたくない。強くなりたい。情けない自分を見て見ぬふりはしたくない。自分の選択に自信を持って生きていきたい。

 ――なのに。

 「……神永さん、わたし、……神永さんにどれだけ優しくしてもらっても、何も返せないんです。もう、やめましょう。……神永さんは、選べる人です。わたしも、選べるようになりたいんです」

 神永さんはいつも通りの明るい笑顔なのに、それがどうしてか冷たい態度に思えてしまう。……そもそも、神永さんがこんなふうにわたしを引き止める理由が分からない。でも、こんなわたしを大事にしようとしてくれているのは分かる。ただ、わたしはそれに甘えてはいけないし、あの時握り返してしまった手を離すのは、もうここ以外にない。じゃないと――。

 「うん? 俺、何か返してほしいなんて言ったっけ? ……なんにもいらないよ、ちゃんがそばにいてくれれば。それに、俺は自分の意思できみを選んでる」

 返してほしいなんて言われていない。見返りを求めない優しさをわたしは充分すぎるほどに知っているし、わたしは自分こそそうでありたいと思って生きてきた。だからこそ、この人からもらうわけにはいかないのだ、これ以上。……今まで優しくしてきた分を返せと言われたら。見返りが必要なんだと言われたら。わたしにもきっと他に何かしようがあったんじゃないかと思うけれど、この人は何もいらないと言う。その上、わたしがそばにいれば、それでいいだなんて。――そんなことがあっていいわけない。
 この人は選べる人だ。中途半端で、自分が傷つかないように、怖くないほうに流されてばかりいるわたしと違って。なのにわたしを選ぶなんておかしい。

 優しい人だから。

 だから、迷っているわたしがかわいそうとか、そういうふうに見えているんじゃないかと思う。でも、それは違う。今まで迷ってばかりだったから、今度は自分で決めた。決めようとしている。だから、もう神永さんの優しすぎる手はいらない。握り返してしまった手とは、もうここでさようならをするしかないのだ。そんなこと、この人だって分かっているはずなのに――。

 「神永さん、わたしの言いたいこと、分かってるでしょ、」

 こんな場面でも、神永さんを責めるような物言いをしてしまう自分が、嫌だ。でも、でも、そうしないと。わたしはどうしたらいいか分からないし、でも、でもだからって、この人の手に甘えることはしたくないし、してはいけないのだ。なのに、神永さんは優しい目でわたしを見つめて、「……選べるようになりたいって言うけど、ちゃんはもう“選べる”ようになってるじゃん」と笑った。それから、「――だって、俺を選ばないことを選んでる」とわたしの頬に手を伸ばした。反射的にその手を叩いてしまって、謝ろうとして……でもやめた。

 「……なら、もうやめてください。わたし、ダメなままでいたくないんです」

 「誰が今のちゃんをダメって言ったの? きみがそう思ってるだけで、何もダメなことなんかないだろ」

 カッとなってしまって、つい声を張り上げてしまった。

 「それをやめてって言ってるの! ……なんで……? 神永さん、いつも――」

 「『味方だったのに』? うん、もちろん。だから言ってるんだ、もう頑張らなくていいって。これ以上何か頑張る必要ある? ちゃん、自分のこと責めるのが癖になってるだろ。――きみに必要なのは、傷つかない道を選ぶことだ。分かるよな? 俺が言ってる意味」

 ――それって、わたしにだめなままでいろってことでしょう?

 そんなの、そんなこと、この人にだけは言われたくないのに。だって、わたしの言いたいこと、思っていることをいつだって汲んでくれた。だから、わたしの選択なら笑って背中を押してくれるって、そう思っていたのに。
 この人の優しさだけは、いつだって信じてきた。だからこそ、言われていることの意味なんて、本当の意味では理解したくない。だって、それを分かってしまったら、わたしはもう自分では何も選べなくなってしまう。
 自分で選んで、躓いても傷ついても、それがわたしの進みたい道ならいい。そうやって生きていこう。強い自分になりたい。そう思っているのに、今はどんなに甘えたっていい子どもみたいに、思い切り泣き出してしまいたい。

 「……なんで……、そんな、ひどいこと、」

 神永さんの手は、今度こそわたしの頬に触れた。

 「ひどい? ……俺が、ちゃんの邪魔してるって思ってる?」

 「だって……! ……前の、神永さんなら、」

 「ちゃんは自分で選べる子だよ。でも、選び方を知らないんだ。言っただろ、分からないこと、知らないことは俺が教える」

 ……自分で選ぶだなんて言って、わたしは結局どうしたらその道へ進めるのか、それが分からないことが怖い。そういうわたしを見透かしているんだと思うから、神永さんの優しさが怖いのだ。
 ――だから、これ以上優しくしないでほしい。

 「……じゃあ、教えてください。どうしたら……、わたしのこと、放っておいてくれますか」

 神永さんがぴくりと眉を動かした。わたしの頬から、温かい手が離れていく。わたしは心底ほっとしたけれど、それは一瞬のことだった。返ってきた言葉に、息を飲んだ。

 「ふぅん? ――じゃ、まずは俺をその気にさせなきゃダメだな。ちゃんが頑張ったら、俺も絆されちゃって口滑らせるかもね」

 ――だって、こんなふうに突き放されるなんて、思ってもみなかった。そして、そう思ってしまった自分に、愕然とした。
わたしはやっぱり、神永さんに期待していて、つまりそれは、この人に甘えているのと同じことだと、気づいてしまったから。




 神永さんと話し合って決めた方針通り、とにかくのそばに神永さんがいることが“当たり前”になるくらいデートの予定をブチ込む。まぁとりあえずは私含めて。とりあえず。
 そういうわけだから、いつも通り華奢な体をぎゅうっと抱きしめる。

 「っ! や〜〜っと華金だよあとちょっと頑張れば上がりだよ〜〜!! でさ? 今日はさ〜、ちょーっといいお店にしない? 神永さんが連れて――」

 「なら行かない」

 え゛っ。

 「え゛っ」

 ……いやいや……いやいやいやよ? うちのスーパーキューティーフェアリーガールちゃんよ? “なら”、行かない? 神永さんがいる“なら”行かないって? いやいや〜〜? いっっっっつも神永さんにはストレートに甘えてこれたわけじゃん? いや分かってる、今のちゃんは精神的に自立したいと思ってるわけだからね、神永さんの言うことなすこと全部地雷だろうし、それに同調してると思われてる(実際そう)私がこういう誘い方するとかふざけんなって普通思う私なら思う。でもじゃん? 人の好意を無碍にするようなことはど〜〜〜〜したってできないじゃん? それがさ? い、いくら神永さんがド直球に分かりやすく邪魔してるとしても、そういうのとは別に大人の付き合いとして割り切「……わたし、もう神永さんとは関わりたくない。神永さんと飲みたいなら、二人で行ってきて」……れないよねそうだよね分かる〜〜〜〜ッ!!!! いやでもここまでハッキリ嫌なことを嫌と言えるようになったを見ると、なんだかこう……えらいね……ってよしよししてあげたくなっ――いや今それは違くて〜〜〜〜!!!!

 「なっ、なんで〜〜?! か、神永さんはホラッ、アレだよアレ、そう、財布ッ! 財布要員ッ!!!! ねっ? ほら〜〜! あの〜〜……ね、ねっ? お得に飲めるッ!!!! ねっ??」

 とにかく死ぬほどデート(私含む)の約束鬼ほどもぎ取ると誓っておきながら初っ端からお断りされるのはまずすぎる。ここでじゃあしょうがないね〜〜とか引き下がっちゃったら二回目なんて誘えなくなるでしょッ?! でもいい感じに誘い出せるようないい感じの言葉なんど私の脳みそでは出てきませんどうすれば?!?!
 ――と私がちょっとした(いや大分激しい)パニックを起こしていると、は私に少しの視線も向けないまま、「……だから、神永さんと飲みたいなら二人で行って。……わたし、いらないよね?」と言って提出書類の確認作業を進めている。え? おまえも仕事しろって? いやちゃんと手は動かしてます大丈夫ッ!!!! ただ頭と口が忙しすぎるだけですッ!!!!!! っていうかだよ!!!!

 「はっ?!?! いやなんでそうなる?!?!?! いなきゃ意味ないよッ!!!!」

 私と神永さんが二人で飲んでどうすんだよッ!!!! いや今後のことあるから金曜以外で飲みという名の作戦会議することは多々あると思うけど! それ以外は使える時間全部に使う所存だよ私はもちろん神永さんなんか特にッ!! 私が望んでるのもが選ぶべきも神永さんルートなの!! がいないシーンとか全部いらねえんだよホントはッ!!!!!!
 ――と素直に全部吐き出してしまいたいけれどそうもいかないので、のクールすぎる「……なんで?」にまともに返せる余裕がない。情けなくも「な、なんでって……、」と呟くようにこぼすと、が初めて私をじっと見つめた。

 「いつもの、二人での飲みならもちもん行くよ。でも、神永さんもいるならわたしは行かない。二人とも仲良いし、わたしがいなくてもいいでしょ?」

 ち、違うんだよ〜ッ! 私と神永さんが仲良い(ように見える)のは全部の幸せを叶えるという同じ目的があるからであって、つまりそこにがいないなら“無”なんだよ〜〜〜〜ッ!!!! 言えねえけども〜〜〜〜〜〜ッ!!!!
 どうすりゃいいんだ……と頭を抱えそうになりながら無理矢理笑って、「いや私と神永さん二人で飲む理由ないしッ!!!! ね、ねえどうしたの? 一緒に飲もうよ〜!」と声を震わせる私だが、はその頑なな態度を変えてくれそうな気配が一切ない。その証拠がこちら。

 「うん、だからね、神永さんがいないならいつも通りだよ。わたしもあの人と飲む理由はないから」

 ……………………。

 「……、あの――」

 「お疲れ。昼飯誘いに来たんだけど……あはは、ちゃん機嫌悪いな。どうかした?」

 か、か、神永さんタイミング良〜〜〜〜ッ!!!! めちゃくちゃ目で状況を説明しようとする私だったが、二人の次のやり取りで冷や水浴びせられた心地になった。

 「……神永さん、わたし、言いましたよね」
 「俺はそれになんて答えたっけ?」

 ……私が知らん間に何があった〜〜〜〜????

 「ちょ、ちょお〜〜〜〜っとツラ貸してもらっていいですかね神永さん〜〜〜〜? ! ランチは…………ッグ……ヌ…………は、……はた……は、波多野と……い、行って……きて……」

 を波多野とランチに行かせるとか死ぬほど嫌だけどここはしゃあねえ譲ってやる……。っていうか神永さん何しやがったッ?!?!
 神永さんの腕を引っ掴んでズンズン歩き出した私の背中にかけられた「……うん、分かった」という言葉は、あまりにも寂しげだったけれど、今はそれに気づかないふりをするしかない。


 ――で、またも屋上で話を聞いた私は思った……。

 「……えっっっっげつねえな?!?! 急に意地の悪いことすんなッ!!!! アンタそういう、そういうのじゃないじゃん! ちゃんにだけは真心でもって優しく接するタイプじゃん!! 意地悪とかしないじゃん解釈違いですけどッ?!?!?!?!」

 意味分からんおまえ言ってることとやってること〜〜〜〜ッ!!!! と胸ぐらひっ掴もうとしたら、それをひょいっと避けて神永さんは笑った。

 「いいんだよ、これで」
 「ッは?! どこがッ!!!!」

 神永さんがなんでもなさそうな顔で「ちゃんがわざわざ傷つく道を選びたいって言うんだ、好きにすればいい」とかとんでもねえこと言い出すので、私は思わずヒールが折れんじゃねえかというほどにコンクリを踏みつけた。

 「だっっっっからなんでッ?!?!」

 怒りに燃える私だったが、煙草を取り出しながら「ただ――俺は黙って選ばせてやる気はない」と言う神永さんのその目が、まっっっったくなんでもなさそうではなかったので秒で冷静になった。

 「っお…………おう……。そ、そうだった……アンタそういう人だった……。……で、どうやるんです? 言っときますけど、こうなるとは頑固ですよ」

 フェンスに寄り掛かりながら煙を吐き出して、神永さんは小さく笑った。ちなみに目は笑ってない。

 「それは知ってる。ああ、俺も先に言っておくが……俺は何もかも利用する気でいる。――きみのこともだ。構わないよな」

 ……これは私がいや構うに決まってんだろと言っても構わねえやつ。
 ――でも、それでいい。
 神永さんはそうでいてくれないと困る。私は神永さんに全部を賭けてるんだから。からの信頼とか、これまで築いてきたもののすべてを。
 私はゆっくりと頷いた。その覚悟を噛み締めながら。

 「……共犯ですからね、はい、いいですとも。の幸せのためなら、なんでもします」

 「言ったな」

 「はい、言いました」

 「じゃあ約束してくれ。――何があっても、俺の邪魔をしないってな」

 …………なんて????

 「いやそれは話違くないですかね????」
 「どこが。なんでもするって言ったろ、きみ。舌の根も乾かないうちにそれか?」

 神永さんはケロッとした顔でそう言うがこっちはケロッともシレッともましてやニコッともできねえわバカタレッ!!!! というわけで、「いやいやいや詐欺か?!?!」と私が叫ぶので、神永さんはうるさそうに顔を顰めたヤメロ顔に皺寄せてえのはコッチだわやめろッ!!!!

 「とりあえず今晩は空けておいてくれ」
 「ッは?! いや私と――」
 「飲むんだろ? で、そこには俺もいる、予定通りな」

 神永さんと二人とと二人。今の状況でどっちか選べって言われたら、何ができるとは言い切れないけどのフォローが最優先なので、今夜はと私だけで……って方向に話がいくと思っていただけに、ハァ? というか、ッは?! しかないし……いやでもさ? この人ならなんとかするんだろうなっていうか今までそうだったしこういう展開知ってるわ〜〜〜〜みたいなとこすらあるコレ、なんだろうね??
 ――まぁでも。

 「……あのをどう誘い出すんだか知りませんけど、私がフォローしきれんようなことしないでくださいよ」

 コレよコレ。私は神永さんみたいに鬼クソエリート脳なんかとは程遠いウルトラスペシャルド凡人脳の持ち主だからね、何かあったとして臨機応変になおかつその場での最適解とか導き出せな「きみにフォローを頼むようなことはないから安心してくれ」…………。

 「ッあ、ハイ……」

 ……この安心感はなんだ神永さんいつからお兄ちゃん枠からおばあちゃん枠に転身を……?

 「……何を思ってるかは聞かないが。ちゃんは口数少ないだろうから、笑わせてやれる話の種でも探しておけよ。じゃ、俺は戻る」

 神永さんはそう言って寄り掛かっていたフェンスから背中を離すと、灰皿に煙草を投げ入れた。ジュッと焼ける音がする。
 ……ったく、ムカつくことにあの人だったらなんとかしちゃうんだろうなとしか思えないから、私は素直にその指示に従っておこうと思う。


 そしたら私はどうしたらいいんだか聞くの忘れてたっていうか、あの人なんも言わんかったなどうすりゃいいんだ……と考えつつデスクに戻ると、が「あ、おかえり。……どこ行ってたの?」と……。

 「ん゛ッ?! い、いや、どこというか……」

 え〜〜とこういう時はどうすればいいんだったかなマニュアルどこ〜〜〜〜???? と冷や汗垂れ流していると、困ったように笑われてしまった。うぐ……ごめん……何がって……………………全部…………。

 「……ごめん、なんでもない。それで……夜だけど、」

 なんでもないように話を切り替えられたので、私のほうがうろたえて「あ、う、うん、」とハッキリしない返事をしてしまった後、返ってきたの言葉にはひっくり返りそうになった。

 「いつものお店でいいんだよね?」
 「っは……?」
 「え、違うところのほうがいい?」

 ちょっっっっと待ってね今動作確認中(私の脳内)。……………………いや誤作動は起こしてないね???? ……え……?

 「イ、イエ、そうではなくですネ…………ナンデ????」

 いやコレでしょ……なんで? あんなに頑なだったのに、それがどうしてそんな簡単に……。
 混乱する私に、が首を傾げる。

 「なんでって、なんで? ……神永さんと飲みたかったんじゃないの?」

 「なんで私が神永さ――い、いや、うん、そうッ! 神永さんと私、で、! 完璧な布陣ッ!!!! 絶対楽しいよ〜〜」

 ま、まぁいいか! まぁいいわとりあえず!これで神永さんとのデート(私含む)の約束その一をもぎ取ることには成功したわけだしなんでかは分からんが!!!!
 「うん、そうだね」とかにこにこしてるに言えることとか「……ウッ、ウン……」しかないけどもいっか!!!! …………いや神永さんは一体何をどうした……?




 「ちゃん、だし巻きは? 今日はいらないの?」

 メニュー表を差し出してにこにこしている神永さんの言葉に、はなぜか私を見て「――だって。どうする? 食べる?」と言いながらそのメニューを受け取り、私に差し出してきた。いやなんでメニューのリレ〜〜〜〜ッ!
 っていうか終始神永さんがに話しかける、それをが私にそのまんま流してくる、それに私が答えて神永さんがまたそれ拾う、みたいなそれこそリレーかよみたいな会話続いてるんだけどマジでなんなんだ私には分からんぞ……。いや、神永さんが何も言わないし何もしないからこれでいいんだろうけどなんかな……。

 「エッ、いやどっちでもいいよっていうか……ま、まぁいいや、ここのだし巻き大好きでしょ〜? 明太子? 普通の? どっちにする? 神永さんの奢りだし両方頼んじゃう??」

 とりあえず私ができるのは“いつも通り”しかないし……と思って笑ってみせると、は「決めれないから決めて。あ、わたし化粧直ししてくるね」とさっさと席を立ってしまった。

 「お、オッケ〜〜決めて頼んどく〜〜……」

 …………お、おかしい…………な、何がって……………………全部でしょ。
 今のうちにと思って、「神永さん何言って誘い出したんです? 素直に誘われてくれたのもそうですけど、何よりあの態度どう考えてもおかしいでしょ?!?!?!」と目の前で呑気にスマホいじりだした神永さんに言い放つと、一言だけが返ってきた。

 「――きみが悲しむから」
 「ハイ?」

 なんて???? と聞き返そうとするまえに、神永さんは言った。

 「だから、ちゃんが俺を避けるときみが悲しむって言ったんだ」

 …………。

 「すみません昼にも言いましたけどもっかい言いますねえっっっっげつねえな?!?! そんなん言われたら、」

 「ま、ちゃんならそりゃ誘われてくれるよな、きみのことが好きだから」

 「いやぁそれほどでも〜〜〜〜……いやそうじゃなくてッ!!!! 私の名前出すとか、そういうの嫌がりますよアンタ落とすどころか嫌われようとしてません????」

 そう、私をダシに使うとかありえない。いや利用していいよ私のことは。のことを幸せにしてくれるんなら、いくらだってしていい。でもさ? そのぉ〜〜なんていうかさ?? って私のこと大好きなわけだからぁ〜〜……私がどうのとか言って釣ったらその場では釣られてくれても心の中でヘイト募らせてくに決まってるだろうがバカかッ?!?!?!?!
 ――と思ったのだが。やらかした張本人の神永さんが「まさか。落とす気しかないし、落とせる気しかしないね」とか言うから私は頭を抱えるしかなかった。

 「全ッッッッ然分ッかんねえわ〜〜〜〜〜〜」
 「――何の話?」

 勢いよく振り返ると、ポーチを手に持ったがにこにこしながら寄ってきて、ゆっくり席に着いた。会話の内容を聞かれたんじゃないかという恐怖に加え、シンプルにビックリしすぎた私は「おっ……かえりちゃん〜〜。あっ、だっ、だし巻きね! 決めらんなくてね!」とか裏返った声で誤魔化すしかなかった。いや誤魔化せてない上に私は相変わらず芸がねえな???? だっっっっから食べ物でどうにかしようとすなッ!!!!
 ちょっとした自己嫌悪に陥っていると、がメニューを広げながらそっと私に寄り添ってきた。

 「じゃあ一緒に決めよう。わたしデザート食べたいから、しょっぱいほうがいい」

 よし分かった全部私に任せてねちゃんッ!!!!

 「じゃあ明太子に決定ねデザート何食べたいのッ?!?! 分かった季節限定シャーベットでしょ合ってる?!?!?!」

 「ふふ、合ってる」

 なんっっっっだこの天使は……あまりの尊さに目が潰れるかと思うけどそれを癒すのもまたこの天使と思うと尊いのループすぎてやっべえなという感想しかない……。やっぱうちの子には幸せになってもらわないと安心して生活することなどできない……とかなんとか思いつつ、私はの肩を抱き寄せながら「っはァ〜〜〜〜見てくださいよ神永さん……これがうちの子……うちのです……」と天井を見上げた……。

 だがしかし、なんでもうま〜〜〜〜く拾う神永さんである。

 「きみに言われずとも見てるし、きみに言われなくてもかわいいって知ってる」とか言って甘い瞳をきらめかせつつ、「ちゃん、季節限定パフェもあるよ。半分こしようか。そっちも気にしてたでしょ」とテーブルの端にあるメモスタンドをちょいちょいと指差した。そういう隅から隅まで目が行き届いてますみたいなのめっちゃ頼れるしを任せようって気にもなるじゃんて話〜〜〜〜。
 が笑った。

 「あはは、神永さん、人のことよく見てますね〜……ほんとに、よく見てる」
 「うん、ちゃんのことだけはね」

 一瞬なんとも言えない空気が流れたが、が笑って「じゃあだし巻きは明太子ね。デザートは神永さんに甘えて半分こします。いい?」と私の方にこてんと頭を預けてきたので今この世のすべてが浄化された……。

 「い゛いよぉうちの子かわ゛いい゛〜〜〜〜」


 神永さんが電話のために席を立った時、ふいに私は今言わなくてはいけないと思った。ちなみに神永さんの電話は来週末の(私と神永さんが決めた私含む)デートで行くアスレチックパークの特別体験の予約である。――それは置いといて。

 「……ちゃんや」
 「うん? なぁに」

 デザートまだかなぁとのんびりしているに、「私、のこと大好きだよ」と言うと、丸い瞳がきょとんとして、それからくしゃっと笑った。

 「えっ何急に〜。わたしだって大好きだよ」

 うん、が私のことを大好きなこと、知ってるよ。私の態度がおかしいなって気づいてるのに、核心には触れないようにしてるのも知ってる。でも、私のことが、大好きだから。困らせないようにとかなんとか我慢しようとして、それでも私が神永さん寄りなことが不安だから昼休みの私の行き先を聞いてくるんだってことも、全部全部分かってる。だけどね。

 「だから、には誰より幸せになってほしい。絶対絶対この世の誰より幸せになってくんないと困る」

 「……うん、」

 眉を寄せて俯いた顔に浮かぶ表情は見ないようにして、私はまたの肩を抱き寄せた。

 「……そんだけ!!!! 飲も飲も〜〜! どうせ他人の金〜〜〜〜!!!!!!」

 「……もー、すぐそういうこと言う。神永さんだって困っちゃうよ」

 私の腕にそっと触れて笑うの後ろから、「別に困らないよ、彼女の飲み代だけでちゃんとデートできるなら」とにこにこしながら神永さんが戻ってきた。私はを抱きしめる腕にぎゅっと力を込めて、「……神永さんも、そういうことは言っちゃだめですよ、」という言葉は聞き流すことにした。

 「なんで? 事実だろ。ね、ちゃん、明日三人で買い物行こうよ。横浜にあるショッピングモール。なぁ、きみ、行きたいって言ってたよな」

 ……ちょっと待って言ってないけど???? 私そんなこと一ッッッッ言も言ってねえけど????
 思わず正直にそう言ってしまいそうになったけれど、神永さんの目を見て一瞬で頭が切り替わった。そうだった、そうそう私言ったショッピングモール行きたいって言ったわ。

 「そう〜〜〜〜! 私たち買い物っていつも決まったとこ行くじゃん? たまには違うとこ行きたいと思ってて、その話今日神永さんとしてたんだよ〜〜! ねっいいよね! 行こ行こ!」

 言いながらすぐにスマホで公式サイトのページを表示して、どんなお店があるのかをチェックし始める。はちょっと迷うような素振りを見せたけれど、頷いた。

 「……分かった。じゃあ予定決めましょうか。待ち合わせ時間と場所――」

 「ちゃんは俺が車で迎えに行くよ。で、その後に彼女を拾う。それでいいよな?ちゃんとこの最寄りまで近いだろ、きみ」

 ……もう私なんもすることないでしょ神永さんよ……。

 「車出してくれんスか最高かよ〜〜〜〜!!!! やったね! いっぱい買い物しよ〜〜! 私の服選ぶ係するからねッ!!!! 試着しやすい服着てきて!!!!」

 大袈裟にはしゃいで、というより、こりゃもう神永×叶う日は近い気しかしないなテン上げとしか言えねえ……ッ!!!! と盛り上がってしまって全然大袈裟ではないんだけど、そんなん知らないはただ「ええ、そんなに買わないよ……」と言いながら、私のスマホを覗き込んだ。とりあえず今言えることってコレ一択。

 「あ〜〜〜〜やっぱ神永さん最高だな〜〜〜〜!!!!!!!!」






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