「――観覧車、乗ろうか」

 俺のこの言葉を聞くと、彼女はハッとしたように大きく目を見開いた後、くしゃりと表情を歪ませた。ぽつりと聞こえた「……ごめん、なさい、」は、誰のためだろう。
 三好とのデートで、最後の最後に観覧車に乗ったことを、俺は知っている。知っている上で言っているのだ。まあ、残念なことに彼女は、その事実を知らないが。
 そもそも、女の子に謝られるのは苦手だ。特に、この子からは聞きたくない。

 「なんで謝るの? 観覧車、好きじゃない?」

 分かりきったことだ、驚きゃしない。三好との思い出をほじくり返して、かよわいだけの普通の女の子を――ちゃんを泣かせるような真似をしたと、彼女の大親友であるあの子が知ったら、いよいよ俺に本気の一発をくらわせてくるかもしれない。だが、文句はいくらでも聞いてやるつもりだし、泣かせるのはこれっきりに決まってる。
 俺はズルい男でいていい。これまでは、ただバカみたいに紳士でいようだなんて柄にもなく考えていたが、笑える話、俺はちゃんにこそズルい男でいなければならないのだ。そもそも、俺みたいな男がまともな方法で彼女の恋人になるなんて無理だった。初めのうちはそうやって、優しいふりをすることで寄り添おうと思っていたが、真面目くさった恋愛をするなど俺の性分じゃない。
 ちゃんの手を握って、俯く顔を覗き込む。そんな顔をされたってもう遅いのに。

 「わたし、」

 俺はちゃんの冷たい手を握りながら、一歩後ろに下がった。
 ――さあ、ここからは俺の独擅場だ。

 「俺は、ちゃんが泣くくらいなら、そんなのやめちまえって言いたいよ。選ばなくていいことだと思うから」

 何を言われているのか、分かっているんだろう。思わずといったふうに、俺の手を握り返してきた。笑っちゃうよな、ほんとにさ。

 「……俺が、ほんとのいい男だったら。それでもちゃんが選びたいなら、その道を選べばいいって言うべきなんだけど――だめだな」

 「え……」

 ぼうっと俺を見つめる瞳をまっすぐに捉えて、「今、俺の手、握り返したね」と言うと、ちゃんは黙ったまま、唇を震わせた。
 ――そうだよ、きみはそれでいいんだ。
 俺はズルい男だから、こうやってきみを傷つけたっていい。そして、そうやって傷ついたきみを癒すのも、ズルい男の俺だけだ。

 「こんなに小さくて、弱々しく震えてる手――俺は離してやれない」
 「なん、で……」

 ほら、なんでだなんてつまらないことは言わずに、ただ頷くだけでいい。言葉なんてものはいくらでも取り繕うことができるから、俺は信用しない。それに、後からついてくるものだ、急ぎもしない。俺にはその自信があるから、笑っていられる。

 「なんで? そんなの決まってる。俺がちゃんのことを大事にしてやりたいから。きみがどんなに自分を許せなくても、俺が許す。全部、何もかもだ。……ねえ、ちゃん。俺のせいにしなよ。俺が全部悪いって。悪い男に騙されたって」

 ――まあ、きみにこんなことを言う日がくるとは、さすがに俺も思っちゃいなかったけど、憎まれ役だろうが卑怯者だろうが、俺は上等だ。きみと同じ歩幅でこの先を生きていく男には、俺みたいなのを選んじゃったほうがいいんだよ。
 だけど、そういう甘えを自分に許すことはしないと知っているから、「っそんな、そんな都合のいいこと、ずるいこと……っ! できません! わたし、わたし、」と不安そうに上擦る言葉にだって、俺は笑って言える。
 だって、俺はきみに選ばせているようで、選べる選択肢は一つっきりなんだから。

 「自分に都合のいいことを選んだって、構わないんだよ。もう今まで、十分すぎるほど我慢してきただろ、ちゃんは。……観覧車、乗ろうよ」

 今にもすり抜けていきそうな小さい手を、強く握る。そっと頬に手を伸ばして、かわいい泣き顔を覗き込む。

 「……俺の目、見て」

 ちゃんは怯えたように首を振るが、もう遅い。俺もきみも、もうここまで来たのだから。
 引き返すのは怖いよな。それでいいんだよ。強くいようだなんて、もともと向いてやしない。俺はもう、きみが我慢するところなんざ見たくないし、我慢しなきゃならないような目にも遭わせたくない。
 ――俺は優しい男だなんて、誰も言わなかったはずだ。そうだろ?

 「傷ついて、迷ってる女の子に付け入るような男だよ、俺は。ちゃんが思ってるほど、優しい男なんかじゃない」

 「わ、たし、」

 「利用してよ、俺のこと」

 逃げようとする手をまた強く握って、そのまま抱き寄せる。

 「か、神永さんに、かみなが、さんに、そんなこと、できません、だって――」

 細い輪郭をゆっくりとなぞって、耳元にキスでもするように囁いた。甘く、甘く。

 「ちゃんのためじゃないんだ、これは。俺のためなんだよ。だから罪悪感なんていらない。……それに、俺って案外嫉妬深いタイプみたいだからさ。時間がどれだけかかるとしても、俺しかいないって言わせてみせるよ。俺にはその自信がある。人のためにちゃんが自分を傷つけるなら――俺がそばにいる。ずっときみだけを見てる。俺が守るよ、何からも……誰からも」

 「……、わた、し、」と、こぼす声は、もうほとんど俺を抱き返してるのに、強情だなぁと心の中で笑いながら、俺は至極真面目ぶって言う。

 「泣いて。俺のために、泣いて。そしたら、ちゃんが何を言っても、もう絶対に離さない」

 彼女の声が、俺を呼んだ。

 「――うん、それでいいよ。よし、観覧車、乗りに行こう。ライトアップ、綺麗だよ、絶対に」




 ……ああ、なんだってこんなことに……と眉間を揉みほぐしながら、私も分かっていたことだと溜め息を吐いた。
 そうだ、分かっていた。この人はいつだって、こういう結末を掴める人だと。分かっていて、私は送り出したのだ。ここまできたら、この人はたった一度のチャンスを絶対に離しはしないし――そして、を不幸になんて絶対にするはずがないという信頼感を、これまで私に与えてきた。与え続けてきた。
 私は神永さんを責めることはできないし、責めてみたところでまたが傷つくだけ。私がそう考えて自分を許すってのも、ぜーんぶお見通しですよね、神永さん。

 「……私はだけの味方なんで、それだけは覚えといてください。まあ……実際のところ、これでよかったとも思ってますけどね、正直」と言いながら、私は本当にホッとしていた。神永さんは、を裏切ったことがない。たったの一度も。の無意識の期待に、常に応えてきた。そして今後も、きっとそうだ。むしろ、これまでよりずっと深く深く慈しんで、大切にして、それこそガラス細工でも扱うように、を守ってくれる。
 この人の裏切りは、今回っきり。そして共犯の私は、その裏切りを守る。それが、のためになるから。

 「でも、神永さんが揺れてるを押し切ってのことですから……あの子がもし泣くようなことになったら、私はアンタを死ぬほど恨むし死んだって恨み続けますから。それだけは肝に銘じといてくださいね」

 神永さんがを押し切ったのは、どちらからも話を聞いた。
 神永さんはともかく、体調が悪いことになっていた私に、が泣きながら電話をかけてきた時――驚きつつも、私は心底嬉しかった。だって、そんなこと今まで一度だってなかったんだもん。は私にまで、ひたすら遠慮してきたんだから。
 それほど強いショックだったんだろうと思う。いつでも味方でい続けてくれた神永さんは、にとって、多分“お兄ちゃん”とか……そういう、家族の一人みたくなっていて、だからこそ無意識のうちに、神永さんはにとって遠慮なく甘えられる存在になっていたんじゃないだろうか。
 ――でも、この人は、の“お兄ちゃん”なんて立場に甘んじるような人ではなかった、というだけ。

 「全部承知の上だ。……ちゃん、気にしてたか、やっぱり」

 そう言って煙草を取り出す神永さんに、こんな時にまでニコチンかよ……と思いつつ、電話口でパニックを起こしていたの泣きじゃくる声が、耳のずっとずっと奥から聞こえてくるような気がして首を振った。
 混乱しきっていたの話からは、二人の間に起きたことを正確に知ることはできなかったけれど、神永さんからの話を聞けば、すべて分かる。
 神永さんは“付き合う”とか“恋人”とか、そんな言葉は一切使わなかったという。でも、もう覚悟を決めた一人の男の目をじっと向けられてしまえば、は逃げられなかった。“そういう”意図があることを、見て見ぬふりなんてできるわけがない。
 溜め息を吐いて、これという決定打は決めなかった神永さんに視線を注ぐ。指先からくゆる煙が邪魔で、この人が何を考えているんだか、まったく窺えない。まあ、そもそも私に悟らせるようなことはしないだろう。それができてしまう人だ。そして、そんな人がをしっかり捕まえてくれたのだから、私は――。

 「……気にしてるっていうか、戸惑ってるというか……要約すると『神永さんみたいな人と一緒にいるなんてできない。わたしにはあの人のそばにいる資格なんてない』みたいな。……どうすんです?」

 神永さんがへ告げた言葉は、どれもイエスともノーとも答えられないものだった。付き合おうとか、そういうまともな告白であれば、はちゃんとした返事のしようもあったのに。この人ってマジにエリートだったそういえば〜〜って感じだわな、うん。でもいいのよ、そうそう、このくらいズルいのがのそばにいたほうが安心安心。……そしたら、が躓いて泣くまえに、絶対に気づかれないようにその石だか枝だか知らんが、とにかく邪魔なモンは全部取り除いといてくれるんだから。
がきちんと舗装された道を歩いてくのは、もうこれまで充分すぎるほど頑張ってきたから、その頑張りが報われたってことでいい。
 ――とかなんとか、珍しく私がクソ真面目にシリアス調で色々考えていたのに、神永さんが煙草を灰皿に落とすと「きみ、今晩空いてるか?」とか何事もなかったかのようにサラ〜〜ッと言うから……はァ???? っていう。いや今さ、事が大きく動いてるじゃないですか。いくら私が酒飲みだからってね……。

 「はァ? アンタ今私が言ったこと聞いてました????」

 肩をすくめた神永さんは、唇の端をくいっと持ち上げた。

 「だからだよ。付き合って最初のデートにしちゃ色気はないが、今はそのほうがちゃんも安心だろ。きみとちゃん、俺で飲みに行こう。ちゃんには俺が声をかけておくから、きみはそれを彼女からうまく聞き出して『一緒に行きたい』とでも言ってくれ。頼んだぞ」

 ……付き合ってくれなんて言わなかったくせに、もう彼氏ヅラしてんのかコイツ……。まぁ、こうなったらもう、どこまでも共犯だわな、うん……。――うん、共犯だよ、私は。

 「……了解、なんとかします」


 神永さんと別れた後、私はシレ〜〜ッとした顔でに声をかけた。

 「〜、今晩飲み行かない?」

 はなんとも言えない顔……というのは私(と神永さん)の都合から考えるからそう見えるだけで、この顔は行きたくないという顔である。
 神永さんがどう誘ったんだか分からないけれど、は「あ……えっと、今日は、その、神永さんと、約束してて、」と言った。……約束……約束ねえ……。多分、話の続きをしようとかなんとか、そういうこと言ったんじゃないかとは思うけど……思うけど…………どういう手法を使ってを頷かせたんだかはもう聞きませんし、それこそ場数踏んでます〜〜ってやつである。あの神永さんが本気で落としにかかってんだから、モブの私にゃ想像すらできんような手練手管で誘い出したんでしょうよええ昨日の話しようとか言いつつも昨日のことなんかなかったかのように!!!! サラッと!!!! でも、確実に断れないように。
 私が実にワザとらしく「あっ、じゃあ私いたらジャマかあ〜」と言うと、は必死の形相で私の腕を掴んだ。

 「! そんなことないっ! 来て!一緒に飲もう?」

 私は食い気味に「じゃあ行く! ありがと愛してるよ〜〜!!」と言って、その体をぎゅうっと抱きしめる。
 「……うん、」と応えたは、私を抱き返すことはしなかった。




 言葉少なに……というか、もう言葉を発することを避けるように、はハイペースでアルコールばかり摂取して、ろくに食べもしない。もともと強いほうでもないのに、こんな飲み方して平気なわけがない。そうじゃなくたって、胃になんか入れとかないと――ってそんなん今はいい。
 「……ちょ、ちょっとちゃん、もうアルコールは――」と言いながら、私がの手にしているジョッキを取り上げようとするも、「ん……、へいき、」と、顔を青くしている本人がそれを許してくれない全然平気じゃないくせに!!!! 心配すぎてこっちのが顔面蒼白になっちうまうっつーのッ!!!! ……ひええ……ちゃんいつもの瑞々しい桃色ほっぺと思わず吸いつきたくなるようなバラ色のくちびるはどうしたのねえッ!!!! ねえッ!! どうしたのッ?!?!
 色んな意味で冷静さを失った私が「いや平気じゃないでしょ?! ちょっと神永さんどういうつもりです?!?!」と、いつもなら早々にアルコールを止めているはずの神永さんがシレッと飲ませているので怒鳴り散らしつつ、「ほら、一回トイレ行こ! 顔真っ青だから!!」と、その細い体を支えて立ち上がらせると、組んだ両手の上に顎を乗せた神永さんがえっっっっらくあざとい角度で私たちを見上げた。

 「ちゃん」

 その顔が浮かべている微笑みは、いつになく甘い。…………悲鳴上げそうになったわッ!!!! いや、神永さんって大丈夫そうな時ほどヤバイっていうか、常識人だからって安心してたら実は一番ヤバイ人種だったとかそういうアレさがある人じゃん……? いや、こうなったからにはもうそんなこと言ったってしょうがないんだけどッ!!!! この人ッ!!!! 結構ッ!!!! 喧嘩っ早いタイプですつまりこれはちゃんにケンカを売っているというかなんというか――。

 「……ん、」

 どこかぼんやりしているの瞳に、神永さんがあまりにも甘く微笑みかけるのでまた悲鳴を上げそうになった。

 「俺はちゃんのこと、好きだよ。きみが何したって何言ったって、俺は傷ついたりなんかしない。そもそもちゃんみたいな女の子に傷つけられるほど、ヤワな男じゃないよ。それに、俺のほうがきみを傷つけてるんだ。――飲んで忘れようとするんじゃなくて、俺に当たり散らしてよ」

 ッば、バッカヤロウッ!!!! お、おま、おまえ、神永さんおまえ……そんなんはケンカ売ってるどころか一方的に開始のゴング鳴らしちゃってんのと同義ですしうちのちゃんはあなたのことを甘えられる人と(多分なんだけど)認識しているので――。

 「――んで……」

 小さく聞こえた呟きに、「……?」と、その顔を覗き込もうとした瞬間、ぼんやりしてたはずの瞳を鋭くさせ、がキツく神永さんを睨みつけたので寿命縮まった。

 「っなんでそんなこと平気な顔して言えるんですか?! わたしがどれだけずるい人間か、神永さんだって分かってるでしょ! わたし、嫌な人間なんです! あなたみたいな人に優しくしてもらったって……何を許してもらったって……っ、こんなの、こんなのおかしい……、絶対まちがってる、」

 けれど、すぐに勢いは失せて俯く表情が、あまりにも苦しそうで。私はなんとかの体をぐっと支え、「、ちょっと落ち着こうね〜〜」と言いながら、子どもをあやすように背中を撫でる。そして、なんだってめんどくさい方向に話をこじらせようとしたんだよアンタ〜〜〜〜ッ!! と思いつつもそれどころじゃねえから「神永さんっ、私この子連れて帰るんで、とりあえず会計任せちゃっていいですか明日にでも払うんで!」と、その場をサッサと離れようとしたのだが。
 ゆっくりと席を立った神永さんが、「他に言いたいことはある?」と言って、わざわざ煽るようにの顔を覗き込むもんだから私の血管がブチ切れたホンッッッット私の血管殺すの大得意だなアンタッ?!?! 前世は依頼完遂率100%の殺し屋か?! スナイパーか?!?! どっちでもいいけど絶対殺すマンであることには間違いねえなッ?!?!?!?!

 「ちょっと神永さん!」

 噛みつく私を笑って、「いいから、きみのほうこそ落ち着け」なんて言うと、神永さんはの白い頬を愛おしげに撫ぜた。

 「――ちゃん、他には? なんでもいいよ。きみが思ってること、全部教えて」

 「……っわかんない……! そんなのっ、そんなのわかんないっ! なんでそんなこと聞くの?! わたしになんて答えろっていうの……!」

 いやいやと言うように体を捩るの背中を、大丈夫大丈夫絶対大丈夫私がなんとかするからね〜〜〜〜!!!!! という念を込めつつ撫でながら、「神永さん! ……もうやめてください、見てらんないこんなの……!」と吠えるも、神永さんはどこ吹く風ってな調子で「それが全部なら、もういいよ」と言って――。

 「ちゃん、なんにも考えなくていいんだよ」

 きつく抱いていた私の腕から、いとも簡単にをさらっていった。そこからはもう、私なんて背景もいいとこだ。

 「っや、離し――」

 「――全部、俺が教えてあげる。だから、ふたりでいよう。俺が全部許すから、ちゃんは俺が隣にいるのを許して」

 神永さんの腕は、抱きしめるというより、もうどこへもやらないという意志で囲っているように思えた。そして、それをどうにか遠ざけようと触れている白い手には、もう抗う力はないとも。

 「……そ、んな、ずるいこと、」

 「いいじゃん、ずるくて。俺はズルしてでも幸せになりたいよ。だからこうして付け込んでるんだ。……軽蔑する? 俺のこ と、嫌い?」

 そう言う神永さんと、目が合った。……ハイハイ、軽蔑されても嫌われても結構ですもんねアンタは。でも、「っきらいとか、そういうんじゃ、」と声を震わせるが、アンタを嫌いになることはないって分かっててそう言うんですもんね〜〜〜〜ッはあ〜〜〜〜!!!!
 ッケ! と思いつつ――まあ、私はそんな悪魔みたいな性格してる男と手を組んだ以上はどこまでも“共犯”だし……“共犯”だからこそ、分かっちゃうんだよねぇ……。

 「じゃあいつかは好きになるよ、俺のこと。今はそうは思えなくても、全部俺のズルが原因なんだからいいんだ。……俺のことしか、考えれないようにしてあげる」

 ――この人が言うことは、必ず現実になるって。そういう可能性を見出せなきゃ、共犯になんてなろうとか思わないでしょ? っていうか、この人の場合は可能性の前に、実績ってモンを私に突きつけてきちゃったからさぁ……。じゃなきゃ、もしが知ったら、と思うようなこんなことに手を貸せるわけがな「きみ、タクシー呼ぶから、ちゃんのこと送ってってやってくれ。きみもそれで帰っていいから」…………?!?!

 「え゛ッ?! 私ですか?!?! い、いや、いいですけど……自分で送らなくていいんですか?」

 店員さんにチェックをお願いしつつ、スマホを肩で耳に押し当てる神永さんは、笑った。

 「これも駆け引きの一つだよ。――こうなったら、俺はどんなズルだってしてやるさ」と。




 タクシーを降りてえっちらおっちら部屋に上がると、勝手知ったるちゃんのお部屋なので、とりあえずお布団に寝かせて「、大丈夫? 気分悪くない?」と言いながら窓を開けたり、冷蔵庫からミネラルウォーターを出してきたりと私は忙しい。っていうか久しぶりにこういうお世話焼いてる気がして実はちょっと嬉しい……ってダメダメッ!! が「……ん、ごめんね、また迷惑、かけちゃって……」とかしょぼんとしちゃうからニヤニヤしちゃダメッ!!!!
 …………待っっっってうちの子かわいい〜〜〜〜! 私に迷惑かけちゃったどうしよう怒られるかな……みたいな……っていうかむしろ怒られ待ちみたいなこの顔かわいい怒るわけないのにね〜〜〜〜???? ッハァ〜〜〜〜!!!!

 「バカ! 私がのことで迷惑なんて思ったことこれまで一回もないよ!! 私がどんだけのこと大好きかまだ分かんないの?!?! 何百回でも言うけどこの世の誰より大事で最高にかわいい私だけのエンジェルだよアンタは!!!!」

 息を詰めたの手を握って、もう片手で掛け布団を引っ張り上げる。そして、その上から優しいリズムでぽんぽんしていく。フハハッ! 私のぽんぽんスキル地味に高いっていうかちゃんは私のぽんぽんなら秒だからッ! 私のッ!! ぽんぽんならねッ!!!!
 私は遠い日のを思い出して、それから――それはもう過去の話だと首を振った。

 「……、混乱してるのは分かるよ。それに、の性格上、今の状況を許せないのも分かる。でも――私は神永さんの言う通り、ズルしていいと思う」

 が反射的に起き上がろうとしたのを、私は縫い止めた。

 「……そ、そんなのっ、おかしいよ、神永さんにだって、申し訳ないもん、だってわたし、わたしのほんとの気持ちは――」

 「口に出さなきゃいいの」

 大きく見開かれた瞳に映った私は……なるほど、悪人ヅラである。
 「……なに、いってるの、」と言うちゃんの声が震えるのも道理だ。だよね、私がそんなこと言うの、おかしいもんね。
 ――でも、ごめんね、
 私ももう、覚悟を決めちゃった一人だから。あれだけアンタの気持ちが一番で、他に優先すべきモン存在してませんみたいな態度取っといてなんだけど……私が一番に優先するのはアンタの幸せで、一番に許せないのは、その不幸だけみたい。だから、ごめんね。私もするわ、ズル。

 「大事なのはの気持ちだって、私言ったけど。でもその答えは聞いてないから。が口にしなきゃ、存在しないようなもんだよ。……もうやめよ、思い詰めるの。私が言うのもおかしい話だけどさ……神永さん、本気だよ。のためだったら、あの人ならなんだってしてくれる」

 私の腕を振り払って、が体を起こした。

 「神永さんにそんなことしてもらう資格、わたしにない!」

 そう叫んで俯いたの両肩に手を置いて、「……正直、私負けたと思った」と言うと、が困惑気味に「え……?」とこぼして、信じられないものを見るように私を見上げた。

 「私じゃ、にあそこまで感情吐き出させること、できない」

 この言葉を聞いたは、いよいよ顔を白くさせて「ねえ待って、」と言ったが、私は聞かない。

 「、私言ったよね。が何を選んだって、嫌いになったりなんかしないって。“いい子”じゃなくたって大好きだって」

 「……う、ん」

 の髪をゆっくり撫でながら、もう一度掛け布団を引き寄せる。

 「のことホントに大好きな人は、アンタが“いい子”じゃなくたって大好きなの。……神永さんも、そうなんだよ。あの人が好きなのは“いい子”じゃない。むしろ、いい子でいなきゃって我慢してばっかのだから、一緒にいたいって思ってるんだよ。言ってたじゃん、神永さん。全部自分のズルだって。が分かんないことは、自分が教えるって。――はもう、十分頑張ったよ。……そろそろ、人に甘えてもいいんじゃないの?」

 少しの沈黙の後、が「……わたし、」と口を開いたけれど……私にはもう、それを聞いてあげることはできない。

 「――とは言っても、すぐに気持ちの整理なんてできるわけないし、明日も仕事だし! 今日はもうさっさと寝ちゃいな。それにさ、結局のとこ神永さんの手を取った――というかまぁ……取らされたのはもう変えらんない事実なわけだし。めんどくさいからもう全部神永さんに丸投げ!!!! ハイッちゃんはとりあえずおねんねしましょうね! いい子はおねんねの時間だぞ〜〜〜〜」

 しばらく(私の気が済むまで)ぽんぽんしていると、はいつの間にか寝息を立てていた。ウグッ……やっぱうちの子かわいい……。
 ――だからね、。かわいいアンタは、なーんにも心配しなくって平気。

 「いいんだよ、。不安なこととか我慢できないことは全部神永さんに吐き出して、分かんないことは全部教えてもらえばいい。誰より神永さん本人がそれを望んでるんだから、甘えたところでズルくも悪くもないよ。……じゃ、また明日ね」

 ……さて、私は私で帰宅次第、また神永さんと話しとかないとなぁ……。当たり前だけど、私も神永さんも手抜きなんかできない。私たち二人とも、の幸せのためだったら――どんなズルもするって、決めたんだから。






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