「っ!ったくお前はよぉ、」 あ〜、かったるいなぁ…次の時間サボんないかなーチカちゃん…と思ってはるばる2組まで遊びにやってきたところ…鬼の旦那がちゃんを怒るなんてめずらしいこともあるもんだ。いや、でもこれは怒るっていうより叱るっていう方が合ってる感じかな。どっちにしたって、なかなかないことだけど。カルシウムが足りてないのかすっごく怒りっぽい鬼の旦那だけど、ちゃんに対してはべったべたに甘い。幼馴染だから、っていうのじゃ理由にならないくらい。見てるこっちが恥ずかしいよってーの。ま、俺様も決して人のこと言える立場じゃないんだけどさ。しっかしこうして傍から見てるとホントに鬼みたいだよ、チカちゃん。あーあ、ちゃんちっちゃくなっちゃって…そろそろ助けてあげないと可哀想かな。お姫様を鬼の手から救うのだー!なーんてね。よそのクラスだけど遠慮なしに教室に足を踏み入れ、まさに“鬼”の形相をしてるチカちゃんの席へ近づく。 「チカちゃんなーに怒ってんのー?」 「あ゛ァ?!……ちっ、失せろ猿!」 「ちゃんが何したか知らないけどさー、そんな怒ることなわけ?カルシウム足りてないんじゃないのー?」 「テメェにゃ関係ねぇ!失せろっつってんだろうが!!」 「っ、さすけせんぱい、あの、わたしが悪いの、」 俺を映す甘いひとみ。ほんのちょっと潤んでいて、いつもとは違う輝きを見せている。ああ、そんな切ない顔をするのなら…せめてその理由になりたいと、俺は思うのに。どうあったって君を守る“王子様”にはなれないなんてこと、きちんと分かっているのだ。だったらいっそ、いつも俺を振り回すかわいい笑顔を奪ってしまいたい。俺を理由にして、君が泣いてくれたら。“王子様”になんかなれなくたっていいって、言えるのに。時折、そんな薄暗い思考に呑まれてしまいそうになることがある。…それでもどうしてだろう。ちゃんには笑顔でいてほしくて、ちゃんが笑顔でいれないことが起きた時は―――助けてあげたいって思っちゃうんだよね。 「ちゃんが悪いとしてもさ、俺様のだーいじなお姫さんが怖がってるんだからほっとけないよ」 眉間に深くしわを刻んでる鬼の旦那は、鋭く俺を射抜く。余計なことすんなって顔だ。ふふん、とことん余計な真似してやるよ。こういうポイント稼げそうなイベント見逃すほどバカじゃないからね、俺様ってヤツは。ちゃんは困った顔で、俺をじっと見上げてくる。うんうん、ナイスアングル!ってね。ここは俺様がどうにかしてあげるよ。なんにも心配しないで、全部任せて。俺様はちゃんの“王子様”じゃあないけど、君の笑顔を守りたい気持ちはほんとうで―――俺なら本当に、守ってやれると思うから。にっこり、笑顔を向けるとちゃんはますます困った顔をした。……え、なんで?困惑に眉を寄せると、はあ、と鬼の旦那がハデに溜息を吐いた。そしてずいっと、俺の眼前に何かを差し出す。 「……何これ、数学の教科書?」 「その前に突っ込むとこあンだろうがッ!!」 「………あれまぁ、落書き?これまたハデだねー。何、どうしちゃったのちゃん」 「、だって、」 「チカちゃんが教科書使わないのは確かだけど、どうせならノートにすればよかったのに」 「おいテメェ俺が教科書使わねェってのはどういう意味だコラ。ノートもダメに決まってんだろ!」 「あ、もしかしてチカちゃんノート持ってない?」 「〜ってかチカちゃんゆうなッバカ猿!!」 「、だってっ!」 大きな音を立てて、ちゃんが座っていた椅子が倒れた。その音にびくり、と肩を揺らす俺とチカちゃん。俯いたまま声を張り上げたちゃんが、小刻み息を吐く。興奮してしまったらしく、顔を赤くしている。目にいっぱい溜まった涙は、今にも零れそうだ。まずい。鬼の旦那と顔を見合わせると、慌ててちゃんを宥める。かわいい落書きがびっしりの教科書なんか、ぽいっと放って。鬼の旦那はすっかり情けない顔になって、あたふたとちゃんの顔を覗き込んでいる。やれやれ、こんなとこ舎弟には見せられませんねーっと。かく言う俺も、そんな余裕なんてないんだけど。でも、この様子のちゃんを前にしたらしょうがない。まず彼女を落ち着かせなければいけない。震える背中をゆっくり撫でながら、チカちゃんも落ち着きなよ、と一言。呼吸も落ち着いてきたし、ちゃんを椅子に座るよう促す。 「、だって、チカちゃん、さいきんわたしのことほうって、っ、ふ、え、」 「そっか、それで構って欲しくてやっちゃのか」 「……、」 「っごめんなさい、チカちゃ、おこっ、」 「怒ってない。………ごめんな、淋しい思いさせた俺が悪かった。急に怒鳴ってびっくりしたな、」 「うえ、っ、く、チカちゃ、」 「あんま泣くと苦しくなっちゃうからね、はい、ちゃん深呼吸してー」 「う、さすけ、せんぱ、」 机に伏せて大泣き。ちゃんが極度の淋しがり屋なのは有名なことだし、3年の教室で泣き出しちゃうのはめずらしいことではない。このクラスには去年鬼の旦那、毛利の旦那とぞれぞれ一緒だったヤツが多いので、心配はするものの驚きはしないし。人よりちょっと涙腺のゆるい子って感じで通ってる、というか通してるのだ。こっからは探るな、という境界線が引いてある。もちろん、言葉や行動に出して好奇心を煽るような真似はしないが。もしいたずらに首突っ込んでくるのがいれば、タダじゃおかない。そんなこと俺達の誰も口にはしないけれど、実際のトコそれは本当だし、そういう“無言の拒絶”がいい具合にストッパーになっているのだ。そもそも、超難関門の幼馴染をはじめとした俺らの手前、深いこと突っ込む命知らずのバカなんてのはまずいない。…ま、それはともかくだ。一体、何があったんだろうか。だって授業の合間の短い休み時間に、ちゃんがわざわざ3年の階まで来たのだ。いくらちゃんが寂しがりで泣き虫だからと言ったって、単に“チカちゃんが最近構ってくれない”なんて理由で、ここまで泣いて取り乱すわけもない。 「……何をしている」 あ。口をそう形にしたけれど、声は出なかった。非常にお怒りだ。隣のクラスだし、騒ぎがすぐ耳に入ったんだろう。それにしたってなんとも素早い行動だけど…まあ納得。ちゃんは、不安定な時は大体毛利の旦那のところに行くんだから。鬼の旦那のところへも来るけど、毛利の旦那のところへ駆け込む回数の方が断然多い。具体的にいえば5回中3回が毛利の旦那、1回が鬼の旦那だ。残りの1回はその他、前田の風来坊だとか浅井の旦那、かすがのところなんかへも行ってるようだ。それから、俺のところ。そんなわけでちゃん一番のお気に入りである毛利の旦那が、この状況をどう思うかといったらこの般若みたいな顔が答えだ。机に突っ伏したままのちゃんを見て、毛利の旦那が眉を寄せる。 「、生徒会室へ行くか」 「、ひっ、う、っ、」 「………猿、を生徒会室へ連れていけ。我はこの阿呆に用がある」 「はいはいっと。……ちゃん、立てる?」 「、チカちゃ、チカちゃん、」 「……毛利の旦那ァ、話終わったらチカちゃん連れてきてちょーだいよ」 「…………ああ」 チカちゃんがちゃんを叱ったのは、教科書に落書きをしたことじゃないというのは分かる。…ちゃんも案外、我侭だよなあ…いや、そんなとこもかわいいし叶えてあげちゃう!って思っちゃうんだけどさ。何かしら彼女の心を乱すことがあったのは想像出来ても、それは本人の口から語られない限り俺達には知りようもない。そんなの分かってるくせに、口にはせずにいつもと変わらずなんでもないように笑ってみせたりする。チカちゃんの教科書に落書きなんてしたのも、そういうことだろう。…一言、言ってくれればいいのにさ。そうしたらチカちゃんは―――俺だって、君の悲しみなんてどうにでもしてあげるのに。…そんなわけで、俺にはチカちゃんの気持ち、よーく分かるわ。さみしいって言葉にしてくれなかったことが、じれったかったんだよね。しかも鬼の旦那って直情的だし、うっかりカッとなって叱りつけちゃったんだろうよ。ま、俺は鬼の旦那じゃないし、仮にもしそう考えてたって…マジで叱っちゃうあたり理解できないけど!バカだよね〜、ちゃん泣いちゃうに決まってんじゃん!…鬼の旦那の本心なんて、俺には分からないから“もし仮にそうだったんなら”っていう話だ。どっちにしろ、わざわざちゃんに教えてやったりなんかしないけど。ちゃんには悪いけど、俺ってばそういう悪い男だからさ。うわ言のようにチカちゃん、チカちゃんと呟くちゃんを抱き上げる。ちらちら視線が注がれるので、ちゃんの頭をそっと俺の肩に押しつけた。しゃくりあげる声に、また呼吸が乱れ始める。毛利の旦那の眉間のしわが、ぐっと深くなった。足を速める。僅かに振り返った先、後悔いっぱいの鬼の旦那と目があった。そんな顔するくらいなら、へたくそな駆け引きなんかしなきゃよかったのに。ホント、馬鹿だよね。 「、チカちゃん、」 |