「屋上は立ち入り禁止のはずだけど」 大げさなくらいに肩を揺らして、ゆっくりと振り返る。少し青くなっていた顔が、僕の姿を見とめてぱっと華やぐ。分かりやすい、かわいいこ。にこり、と決してお愛想でない笑みを浮かべると、彼女は頬を赤らめる。たけなか、せんぱい、と噛み締めるように僕の苗字を紡ぐので、なんだかおかしかった。うん、何かな、と返すとますます顔を赤くさせる。ドアノブにかけられていた手は既に外れていて、今は長いカーディガンの裾を握り締めている。くすりと漏れる笑い声が、やけに大きく響く。仕事中だけど、見つけてしまったから仕方ない。小さな後姿を追って、ここまできてしまった。 「あの、い、いつも来てるわけじゃないですからねっ、その、今日はたまたま、」 「ふふっ、うん、分かっているよ。君はいい子だ」 「っ、たけなかせんぱ、」 屋上立ち入り禁止。そのポスターを前にして引き返す人間は、いない。正義正義とうるさい長政君も、うちの生徒会長の元就君だってそうだ。引き返したりしない。まぁ、こんなポスターを貼っておきながらも学校側だって本気で立ち入り禁止にしたいわけではないし。もし本当に立ち入り禁止にしたいなら、鍵をつけかえているはずだ。もう古くなった屋上の扉は施錠されていても、ドアノブの回し具合で簡単に開いてしまう。何度鍵をかけても同じことだ。先生方ももう諦めていて、本当は見回りの際に施錠されているか確認しなければならないのを怠慢していることは有名だ。実は僕も常連だということは、一部の人間のみ知っている。彼女は、しらない。知らないし、知らせることも、知られることもないだろう。完璧で真面目で、紳士の竹中半兵衛。彼女の理想、憧れである僕は、立ち入り禁止の屋上へはいかない。 「そういえば、1年の赤い男子生徒、名前は―――――――真田幸村君、だったかな」 「あ、あぁ、はい、そうですね、ゆきむらくん、」 「最近彼と仲良しだって聞いたよ」 「うぅ、ん、なかよしかどうかは、わからないですけど、」 でも、すきですよ、と彼女はわらった。どくん、と心臓が痛くなった。肺も、きりきり痛み出してきたような気がする。真田、幸村君か。眼鏡をそっと外して、カーディガンのポケットへ入れる。緩めていた口元を、真一文字に引き結んだ。目の奥がちかちかするのは、気のせいじゃない。つかれている。ふと視線を伏せた僕が気になったのか、たけなかせんぱい?と気遣わしげな声がふってきた。視線をもちあげれば、心配そうに覗き込んでいた大きな瞳と視線が絡む。彼女の大きな瞳に、きむずかしい顔をした僕が映っているのを見ると、なんだか気分が落ち着いた。口元を、ゆるめる。ぱっと瞳が見開かれたかと思えば、次の瞬間にはぎゅっと閉ざしてしまった。顔が、真っ赤だ。 「君、」 「う、たけなか、せんぱい、あの、」 「ん?なにかな、」 「あっ、あんまり、みないで、くださいっ、」 分かりやすい、かわいいこ。笑みがこぼれて、胸がいっぱいになる。、かわいいこ、だ。僕のかわいい後輩で、かわいい想い人。君の理想の姿になりたくて努力して、いざ君の理想になれた途端に嫌になった。枠にはまるばかりで、何も出来ない。その枠を飛び出したら最後のような気がして、身動きが出来ない。そうして僕があがいてる間にも、彼女は華のような笑顔を振りまいて、誰かを虜にしていく。ゆっくりと手を伸ばして、彼女の頬に近づける。今はこんなに近くにいて、触れられそうなのに。それでも僕が手の届かない場所で、彼女はいつだってほほえんでいる。それが悔しくて、しかたないのだけれど、 「竹中」 凛とした、涼しい声。けれどそれが怒気を含んでいると、僕は分かった。あと少しで触れられた手を、さりげなく下ろす。彼女はまだ赤い顔のまま、声の方へと駆けていった。くすりと、また笑う。ゆっくりその後を辿って、不機嫌そうに顔をしかめている生徒会長に笑いかけた。彼女は彼のうしろで小さくなって、僕の様子をうかがっている。 「貴様、仕事はどうした」 「君を見かけたものだから、つい声をかけてしまったんだ。悪かったね」 「っあ、なりく、っ、元就せんぱい!あの、わたしがひきとめちゃったんです、」 「………」 「っ、」 一生懸命口を開く彼女を咎めるように、元就君が強く彼女の名前を呼んだ。、と。それに怯えたように、彼女の肩がびくりと震えた。それに僕は我慢が出来なくて、思ったよりもひんやりとした声が出てしまったことには驚かなかった。吐き出した言葉だけが、熱く熱をもっている。 「元就君、君を怒ることはないよ。僕が、」 彼女を引きとめてしまって、と続きを言う前に、僕は口を閉じてしまった。元就君の後ろで、ちいさく首を振っている彼女と目が合ってしまったのだ。そして、すこしだけ緊張した口元が、ゆっくり弧を描いた。彼女の唇が、形をかえる。だいじょうぶ、ですから。僕はなんだか困ってしまって、口を開いたり閉じたり、目を泳がせた。 「元就せんぱい、今日一緒に帰ってもいいですか」 「………茶と菓子がある。行くぞ」 「はぁい」 すたすたと早足で歩き出した元就君の背を、駆け足で追う彼女。僕はなかなか足を踏み出せなくて、情けなさに笑った。たけなかせんぱい、と僕を控えめに呼ぶ声に笑って答えて、一歩踏み出す。彼にしか立てない場所があれば、僕にしか立てない場所がある。きっとお互いが、相手の占めている彼女の場所がうらやましくて仕方なくて、くやしくて叫んでいる。それでも、こうしていざ自分の足元を見てみれば、なんていとおしんだろうか。彼女が与えてくれた、僕だけの場所は。 |
◎秘密の屋上
(いつか僕が、君がいとおしくて仕方ないことを告白したら、なんと言うだろうか)