「、わからぬ……、まったくわからぬぅ……!」


だらりと机にうつ伏せて漏らした溜息は、やけに大きく聞こえた。解答用紙は真っさらだ。細かい文字でびっしりと紙を埋め尽くす英文と目が合い、また溜息を吐く。読めん。内容が理解出来ないのにどう問題を解けと言うのだ。そう文句を並べたところで問題も英文なわけだからお手上げ状態である。だから読めんというのに。……えいごは苦手だ。こればっかりはどうにもならん。しかしこのプリントをどうにかしなければいけないことも、どうにもならん事実である。これをどうにか提出せねば部活に出られないのだ。実は今自分がこうして格闘しているこのプリントは、先週が提出期限だったりする。まだ新しい制服にも慣れず、学園生活で精一杯。そしてこの学園に入学を決めた理由である部活動に気を取られ、そんなことはすっかり忘れてしまっていたのだ。……佐助が知ったら怒るだろうな……。いや、怒られてもきちんと教えてもらうことが出来る。この場にいてくれたら、どんなに助かっただろうか。今日はその頼みの綱は委員会。待っていては日が暮れる。部活が終わる。……どうにもならん。いっそサボってしまおうか。良くない考えが頭を掠め始めた頃、彼女は現れた。


「あ、やっぱり真田君だ!どうしたの?部活は……って、わたしのことおぼえてるー?」


華のような笑顔を浮かべて、彼女は俺の前の席へ横向きに座った。どくん、と心臓が大きく跳ねる。覚えているも何も、忘れるはずがない。むしろこちらは、ずっと再会を心待ちにしていたというのに。名前を聞くことも出来ず、その後姿をただ見送ってしまったことは、ずっとどこかで引っかかっていたのだ。もちろん彼女はそんな俺の心など知るはずなく、にこにこと俺を見つめている。うっ、は、はれんちな!心臓が早鐘のようにうるさく、頭が熱い。わたわたと慌てる俺が、彼女の視線に気づくのには時間がかかった。ゆっくり、気恥ずかしさを抑えながら視線を追うと、それはじぃっと白紙のプリントに注がれている。……はくしの、ぷりんと?……な、なんと!!数秒してからやっと、庇うようにプリントを机の上から引き下ろした。勢い余って、しわくちゃにしてしまったがそれはいい。問題は彼女だ。


「そっ、そのっ、それがしえいごは苦手でっ、しかしこれが!」
「ザビー先生の問題はむずかしいよ、うんうん。でも、それ終わらないと部活行けないのね?」
「っ!そ、そうなのでござるぅううぅううぅ!!!!」


机にプリントを叩きつけると、彼女はまたじっとそれを見つめた。真剣な目で、文字を追うように眼が動く。それから、にっこり笑った。かっと顔が熱くなる。まるで火でもついたかのように。あぁ、だとか、うぅ、だとか、なんとも情けない声を出す俺に、彼女は言い放った。


「よし、じゃあわたしが手伝ってあげるよ」
「っなんと!本当でござるか?!」
「うん。部活出たいんでしょ?」
「もちろんでござる!」


そして彼女の手助けを得た俺は、あっという間に解答欄を埋めることが出来た。あれだけ長い時間悩んでいたというのに、あっさりと言っていい程簡単に。苦手だっただけあって、その達成感といったらない。怪奇文か暗号にしか見えなかった文章が、きちんと理解出来た!その高揚した気持ちのまま、気づけば俺は、彼女のちいさな手を握っていた。普段あれだけ苦手意識を持っているのに忘れるはずがないのだが、俺は何故か己が女子を苦手と思っていることなど、さっぱり忘れてしまったのだ。……一瞬のことだったが。


「っそれがし、それがし……!!」
「ふふ、がんばったね」
「これも全ておぬしのおかげでござらぁあぁあああっ!!」
「ううん、真田君が頑張ったからだよ!」
「いや!某だけではどうに、も、」
「?真田くん?」


「っ、は、破廉恥でござ「はい、ストップ」


おなごの手を握るなど破廉恥極まりない!俺は一体何を!叱って下されおやかたさばぁああぁぁああぁっ!!!!それは、彼女の手を振り払うように放したと同時。口を勢いよく、それはもう思いきり塞がれた。ふがっ!と声を漏らすと、大声を出さないかと確認される。うんうんと頷けば、容赦なく塞いだ割には簡単に解放された。口を塞がれた時は慌ててしまって気がつかなかったが、よく知っている人間だ。ばっと振り返ると、毎日見ている顔がいつもの笑顔で立っている。


「思ったより早く終わったから来てみれば、なーにやってんのよ旦那」


さすけえぇえぇ!と一声放ち、その肩を掴む。すると佐助はやれやれという顔をして、大声出さないかっつったでしょうが、と咎めるように言った。はっとして彼女の方へ視線をやる。嫌な気持ちにさせてしまっただろうか。はらはら彼女を見つめるが、特に気にしたような感じでなく、にこにこと笑っている。ほっと息を吐くと、にたりと笑った佐助と視線がかち合った。な、なんだその目は!


「へえ、もしかしたらって思ってたけど、まさかねぇ」
「佐助せんぱい!あのっ、さなだくんわたしのことおぼえててくれたんですっ!」
「だろうねぇ。っていうかありがとね、ちゃん。旦那のお世話疲れたっしょ?」
「さっ、さすけぇえ!!」
「ほんとに仲いいんですね、真田君とさすけせんぱい」
「まぁ、ずっと一緒にいるしねえ。ね、旦那」
「う、うむ!」
「ふふっ、いいですね!なかよし。あっ、ぶかつ!真田くん部活いかなくちゃ!」


俺を急かすように手を振って、彼女は笑った。俺にプリントを持たせて、せっかく頑張ったんだもん、いってらっしゃい、と。体温が上昇するのを確かに感じながら、赤く染まっているだろう頬を隠すように俺は走り出した。うぅ、なさけない!やはり俺はまだまだだ!未熟者だぁぁああああぁぁぁあああぁっ!!!!全力で廊下を駆け抜け、道場が見えた所で立ち止まると、はたと思い出す。そういえば佐助は、彼女ととても親しげに話をしていたな。な、名を呼び捨てにしていた!彼女の方も佐助のことを名で呼んでいたし、以前からの知り合いなのだろうか。しかしそんなこと聞いたことがないぞ!……い、いや、佐助が彼女のことを俺に話す理由がない。うむ、そうだ、理由がない。……し、しかし彼女が佐助の知り合いならよかった!これからまた会えるやもしれんし!うむ、そうだ!さっそく名前も分かったことだしな!うむっ、そうだ!!


◎なにこれにほんご?※違う
(そしてプリントを職員室に提出するのをすっかり忘れていた俺は、翌日もプリントとにらめっこすることに)