甘利さんはきらきらしい笑顔を浮かべているが、現状は何一つ笑える要素などない。非常に深刻。というかとてつもなくヤバイ。今までで一番ヤバイ。最高潮にヤバイ。

 「それは大変なことになっちゃったね〜。ほら、記憶に残るような過去の恋愛っていつまでも綺麗で、思い出したら最後でしょ?」

 しかし言ってることが的確すぎて反論できないッ!!!!

 「言いたいこと分かりますけどやめてッ?! やめてくださいやめてッ!!」

 煙草の煙をふぅっと吐き出して、神永さんは頬杖をついた。

 「で? ちゃんの元カレの“小田切さん”っていうのは、俺たちの同期の“あの”小田切で間違いないんだな?」

 波多野が苦い顔でビールを一口飲んで、苦々しく言った。

 「そうだ。俺は元々特別接点があったわけでもないし、の話を聞いていてもアイツだとは思わなかったが間違いない」

 田崎さんは肩をすくめて、「さんはどうにも縁があるね、俺たちと」と笑った。
 現在どういう状況かと言うと、三好×同盟プラス波多野で、いつもの居酒屋で緊急会議を開いている。波多野なんかと情報を共有するのはとてつもなく嫌だけど、背に腹は変えられない。それだけヤバイのだ。
 そういうわけでこのメンツなのだが、からうまく話を引き出すはずだった波多野がまさかだけど小田切さんに連絡なんて余計なことをして、ホンットに何をしてんだクソガキ……と思ったら急展開。なんと小田切さんは機関生で、それも三好さんたちの同期だということが発覚したのである。小田切さんて聞いてる限りかなりの高スペック……と思っていたのだが、それもそのはずであるだってD機関卒――ではないらしく、事情は分からんけども途中で退校したそうだ。けどまぁ入校できた時点でめちゃくちゃエリートなのは変わりない。
 とにかく、小田切さんが三好さんたちの同期ということなら、いっそ話は早い。というわけで、これからどうするかという作戦を――というのが主旨なわけですが。

 「まぁ“小田切さん”の正体はこれで分かったが、ちゃんとの関係はどうだったんだ? 二人が別れた理由、きみは全部知ってるんだろ?」

 ……まぁ聞かれるに決まってるんだけど、私としてはこの話をするのはなかなか気が重い。
 たっぷりの沈黙を置いたあと、私は口を開いた。

 「……随分前の話になりますけど、“せんせい事件”のこと覚えてます? ほら、が合コンで知り合ったイケメンの医者」

 神永さんはすぐに思い出したように、「あぁ、そういえばそんなこともあったな」と言って煙草の煙を吸い込んだ。

 「、そういう、合コンとかっていうのは苦手なタイプなんですけどね。……ようやく吹っ切れたところだったんです。あの合コン、小田切さんと別れてからちょうど一年で――」

 「っていうことは、ヤケになっちゃってたわけか」

 波多野の苛立たしげな舌打ちも、今回はザマァとか言えない……。
 そして、田崎さんが核心を衝いてきた。

 「それで? 別れた直接の原因っていうのはなんだったのかな?」

 ……だよね、聞くよね、私は言いたくないけどそんなの知ったこっちゃないし現状からしても話の流れからしてもそら聞くわな……。
 私は意を決して――あぁ、口が重くて仕方ない……。

 「……が小田切さんのこと好きすぎてフッたって言いましたよね。一緒にいるの苦しいからって。……ホントその通りで……」

 神永さんは煙草を灰皿に押しつけると、私の目をまっすぐに見つめてきた。

 「濁したって仕方ないことだぞ、はっきりしてくれ」

 …………ダメだ、今ここで濁したとしても神永さんの言う通り仕方ないし、そもそもこのエリートに嘘を吐き通せる自信がない……。
 重く苦い溜め息を吐いて、なんとか私は絞り出した。

 「……小田切さんの浮気です」

 「あ゛?」

 「黙って聞けクソガキ。……、そりゃもうゾッコンだったんで忘れようとしてたみたいだったんですけど……飲んだ勢いで、つい別れ話したんです。で、そしたらもう一直線、小田切さんのこと大好きだったからお店飛び出したその足でスマホ変えて今に至ります……」

 神永さんは呆れたような溜め息を吐いて、それからまた煙草に火をつけた。

 「……確かに『大好きすぎて一緒にいるの苦しいから』って理由には間違いないが、随分と美化して説明してくれたもんだな、きみ」

 いや、私も人からこんな話を聞いたら同じことを言うだろうと思うが、がそう言うには事情があるのだ。はそうして小田切さんを庇うくらい、小田切さんのことが好きだった。
 小田切さんが浮気してるとから聞いた時、もちろん私は烈火のごとく怒り狂ったが、健気に小田切さんを想うを見ていたら何も言えなかった。
 だから私は、この話は気が重くて仕方なくなる。
 とりあえずビールをぐいっと煽って、私は一度深呼吸をした。

 「……いや、実際そうなんです。、小田切さんを責めるようなこと、一度だって言わなかったんですよ。私と小田切さんは面識なかったし、どうあっても私はの味方なんだから愚痴でもなんでも言っていいもんなのに、一言も。ただ、『大好きだから、一緒にいるの苦しい』って、この一点張り」

 ――わたしが、悪いんだと思う。
 ――無理に付き合わせちゃってたのかもしれない。
 ――でも、好きだから。けど、好きだからこそ、しょうがないよ。

 泣きたいに決まってるのに、はずっと困ったように笑うだけだった。
 がやっと立ち直るまでの間、正直私も辛かった。できることなら小田切さんブン殴るくらいのことはしたかったし、いっそどうにかして会って、何もかも全部ゲロさせようと思ったけれど――あの様子を見たら、そんなことしようだなんて思えなくもなってしまう。それほど、は小田切さんのことを本当に本当に好きだったのだ。
 甘利さんは神妙な顔つきで、静かに言った。

 「……ちゃん、小田切のことそんなに好きだったんだ。まぁ、真面目で堅実なタイプで、俺たちみたいなのとは違うからね。あの子みたいな清純な女の子なら、惹かれて仕方なかった。……けど、その小田切が浮気かぁ。となると、ちゃんが恋愛に疎くなったのも仕方ない」

 その言葉を聞いて、私はつい「は、」と溜め息のような声をこぼした。
 波多野が面倒そうに舌打ちをする。

 「……小田切のこと信じてた分、もうそういう方向に男を見ることができなくなってんだよ、無意識に。一種の防衛本能だ。分かれよバカ女」

 忌々しいと言わんばかりの表情で、波多野は冷たく吐き捨てた。ホンッッッットこんなに腹立つ人間他に知らないわッ! どうしたらここまでクソ生意気なクソガキができあがるのかな?!?!

 「あ゛ァ?! なんっでアンタにバカ呼ばわりされなきゃなんねえんだよクソガキッ!!」

 ……ただ。残念なことに思い当たることはいくつかある。

 「……けど確かに、あれから、そういう……ちゃんとしたって言い方おかしいですけど、恋愛らしい恋愛してないっていうか、そういう目で見てるような相手っていないんですよね。……田崎さんですら、ホントに“理想”の王子様であって、リアルな恋愛対象とは思ってないし。あんなトキメキMAX天使顔するのに」

 溜め息まじりに重く言う私に、田崎さんが「俺でさえそうなら、三好なんて余計に対象外だろうね」なんてにこりと笑うので、もう頭を抱えた。

 「……こんなところで田崎さんが機関生らしい自尊心を……だが否定できない……」

 三好さんがホンットいかにポンコツかがハッキリと浮き彫りに……。いつまでもポンコツやってる場合じゃないっていうのに……。
 神永さんは煙草の煙を吐き出して、何を考えてるのか分からない表情で言った。

 「しかし、タイミングがタイミングだな。もう気にしてないように振る舞ってるが、佐久間さんとちゃんのデートから――というより、あの夜から雰囲気悪いだろ。三好とちゃん」

 ギスギスしてる三好さんとの現状での、小田切さんの登場。神永さんの言う通り、タイミングがタイミングで、最悪の展開だとしか言いようがない。
 ……他のどんな男がちょっかいかけてきたとしても、そんなモンはどうとでもできる自信がある。けど、小田切さんとなると話はまったく違ってくる。溜め息を吐くしかない。

 「……そうなんですよねえ……はぁ……。……佐久間さんの件は、つい勢い余っちゃった三好さんに原因ありますけど……ここへきて小田切さんが出てきたとなると、三好さんは早めにとの険悪な雰囲気どうにかしないと……ちょっと分が悪いっていうか……」

 こんなにおいしくない――というか、もう味も感じられない酒なんて酒じゃない……と思いながらビールを流し込む私に、田崎さんは目を細めて言った。どこか刺がある調子だけど、まぁそりゃしょうがねえ……。

 「……二人が別れた理由は小田切の浮気だって言うのに、随分と優しいね。彼女がまた泣くことになるとは思わないの?」

 「……私も小田切さんについては思うところ色々あるんですけどね」

 ただ、は言わないけど、小田切さんに対してどこか後ろめたく思っているのは確かなことだった。本当に好きで好きでしょうがなかったことももちろんあるだろうけど、だから、あんなに長く引きずっていた。
 スマホを変えまでしたから、もう引っ込みがつかなくなってしまったこともあったと思う。けどそれ以上に、小田切さんのことを信じきれない自分がいる罪悪感と、きちんと話を聞かなかった後悔とで――そういう自分が情けなくて、恥ずかしく思うから会えない。真面目すぎるところのあるは、小田切さんのしたことより、自分のことを責めていた。ふとした瞬間、暗い、思いつめたような顔をするのに、私には一切泣き言を言わなかったが小田切さんを責めないのに、私がどうのこうのと言えるはずもない。

 「が小田切さんを責めてないんで、どうにもその辺り突っ込みづらくて。だって波多野にだってキツく当たるくらいなんですよ、あのが。……そうなると、私も『小田切さんはやめなさい』とか……ましてや責めたりなんてできやしませんよ……」

 それっきり誰も何も言わず、そのまま解散となった。

 ……私は、小田切さんを責めることはできない。のことを思えば、そんなことは。でも、だからといって何も思わないはずがないし、私は私の都合で小田切さんのことを責めている。
 あの日、と小田切さんはデートの約束をしてたけど、当日になって小田切さんが連絡をしてきて後日またということになった。はもう家を出ていたから、そのまま買い物でもしようかと一人で街をふらふらして――その後、気ままに散歩をしてたら、見てしまった。知らない女と小田切さんが、隣り合って仲良さそうに歩いているのを。
 どうすればいいのか迷っていたところ、ご近所さんらしい女性が二人に声をかけたそうだ。
 「ほんとに夫婦仲がいいわね、いつも仲が良くて羨ましいわ」と。そして二人は、同じ家の中へと入っていった。




 に付き合ってもらって、私の好きなマンガの実写映画を観に行った。高校生のピュアッピュアなラブストーリーである。イラストは繊細だし、ストーリーもトキメキMAX、おまけに泣ける要素もたっぷりの王道の恋愛モノ。私イチオシの作品なので実写化には若干の抵抗があったが、観てみると案外悪くはなかったので一応は満足。
 夕方からのを観たので、もういい時間だからこのまま飲みに行こうと、いつものお店に向かっている。

 「あ〜〜、原作だともっと細かい心理描写があるんだけどね! あれはあれでアリだけど! なんか物足りない気もした……。はどうだった? 原作貸そっか?」

 はにこにこしながら、「よかったと思うよ」と言った後、「でも、高校生の恋愛ってかわいいっていうか、純粋。相手のここが好きって言えるんだもん。……わたしもそんな頃あったんだよね。もう思い出せないや」と苦笑いを浮かべた。
 ……こんなこと聞いていいのか分かんないというかダメだとは思うんだけど。

 「……あのさ、
 「うん?」
 「……み、三好……さんの……ことなんだけど、さ?」

 声を震わせる私に対して、はなんてことない様子で「うん、なぁに?」と答える。余計に不安になる反応だ……。今あんなにギスギスしてるのに何ってことないでしょ普通……。

 「な、何っていうか……え、えーとですね……その……」

 きょとんとして、「え、歯切れ悪いなぁ。どうしたの?」とか私の戸惑いはもう限界値超えた。

 「……いや、その…………その……っど、どう思ってるのかなって!!!! お、思いましてね?!?!」

 はやっぱりなんてことないってふうな調子で、「どうって……嫌われてるなぁとか」と言う。
 ……うーん、これは……。
 これも言っていいかどうか……と思いつつ、私は今まで言わなかったことを、ついに言った。

 「いやそうじゃなくてさ。それはなんていうか……が思う三好さんの気持ちであって――の気持ちじゃないじゃん」

 は少しの間を空けてから、ゆっくりと口を開いた。

 「……、わたし、映画とか小説とか、考える余地を残してくれてるものが好きなんだよね。だから、登場人物のことすべてを描いてくれなくても、別にいいの」

 ……えーっと、これは一体どういう方向に話が向かっているのかな……?

 「……うん? ……うっ、うん……」

 はまっすぐ前を向いている。横顔からは、何も窺えない。

 「同じものを見ても、人によって感じることって違うでしょ? ある人は嬉しいと思ったけど、別の人は悲しいって思ったり。わたしがこの人の立場だったらどうするかなって、考えるの。……その人の感情はその人のものだから、わたしが全部を理解するのは無理でも……理解しようとすることは、無理なことじゃないから。答えはもらえなくてもいい。だって、人の感情ってそういうものでしょ?」

 その言葉に、自分の浅はかさというか、驕った気持ちに気づいてしまった。
 そんなつもりはないと思っていたけれど、私はどこかで、のことならなんでも知ってる、分かっている気になっていた。三好さんに対しても、きっとそうだ。
 あの人はのこととなると、普段の様子からは信じられないほどに分かりやすい素直な反応をするから、それがすべてで、あの人の本心というのは実際のところは何も知らないのだ。おもしろいくらい表情を変えるけれど、思えばあの人は言葉がずっと足りない。

 「……ごめん、」

 はばっと私のほうを見ると、目を丸くさせて驚いた。

 「えっ、なんで?! え、えーとね、んん、なんて言えばいいんだろう……。……わたしは……、三好さんは、きっとこう思ってるって想像してみることしか、できないし……でも、だからって教えてほしいわけでもなくて、えっと、」

 ……言葉を重ねられるほど、私の情けなさがより一層露わになっていくという……。の優しさが今ほど痛いことはない……(震え声)。

 「ごめん、私が無神経だった、いいよ、ごめん、」

 自然と声が落ち込んでしまって、こんなんじゃあ余計にが気にしてしまうと思ったけれど……もうちょっと自分のアホさに打ちひしがれとかないとまた同じ過ちを犯してしまいそうで――。

 「……違うの。……わたし、自分の気持ちが、分からないから……答えたくても、答えられないの」

 「え……?」

 はくしゃりと表情を歪めて、困ったように漏らした。

 「……なんでかな、子どもの頃は、大人になったら色んなことができて、今よりずっと賢くなれるって思ってたのに……今のほうが、あの頃よりずっと鈍い気がする。――好きなところを考えてみても、ここが好きだって、具体的なこと、言えない」

 確かに、今日観た映画は甘酸っぱいものだった。漫画を読んでいても、時々その甘酸っぱさにむずむずすることがある。の言っていたようにピュアッピュアで、大人が恋愛で使うテクニックとか、それらで行われる駆け引きなんてものは一切存在しない。ただ相手のことを純粋に好きで、その想いはただひたすらにまっすぐだ。そんな真っ白すぎてもはや光ってますね?? っていうような恋愛は、あの頃にしかできないんだろう。大人になるにつれて、自分の思うことを思う通りにする難しさというのを、知ってしまうから。

 「……いや、それはね? 大人になったら立場とか考えなきゃならん場面クソほどあるし、環境とかも――」

 ……え? ちょっと、え? ちょっとごめんなさいね、えーと、これは――。

 「ごめん、えっと、今のはたとえ話っていうか、あの、あれだよね?」

 私の記憶が正しければ三好さんの話をしていたんだけど、えーと、今は恋愛の話をしていて「いっそ、顔が好きとか言えればいいんだけど……そういうことじゃ、ないし」…………。

 「ごめんなさいちゃん、あの、その、す、好きというのは、その………………みっ、三好さんの……こと――ではないよねごめんね嫌いだよねごめんホンット無神経な……こと…………待って、え、うそでしょ……?」

 は目元を赤く染めて、ぽつりと「……嫌いだって、ずっと言ってたのにって、思うよね、」と寂しそうに言った。
 …………こ、これは……これこそがハッピートゥルーエンドへのフラグなのでは?!?!

 「思わないよそんなこと!!!! でも待ってなんで――そっか、分かんないんだもんね、」

 切なそうに目を細めて、少しずつ、けれど、自分の胸の内を伝えようと、が言葉を選んでいるのが分かった。

 「……三好さんは、どの口がって、軽蔑、するかもしれないけど……、わたし、誰よりも三好さんのこと、尊敬してるって、思ってたの。……あの人に認めてもらうことが、ずっと目標で、それが、支えだったの。でも、嫌いだって思うところはたくさん言えるのに、好きだなって思うところは、出てこなくて、」

 ……なるほど。三好さんを尊敬してるはずなのに、出てくるのは嫌いなところばっかりで好きなところが全然出てこないからホントに三好さんのこと尊敬してるのかな? って思ってるわけね、オーケーオーケー…………そっちか〜〜〜〜! と思わないでもないし、嫌いなところはたくさんあるとか三好さんザマァ〜〜〜〜! とか高笑いしたくもあるけどなるほど分かった。

 「……なんで三好さんを尊敬してるのか分かんないって話ね……ごめん、早とちりしたわ……」

 そっと重い溜め息を吐いて、は暗く呟いた。

 「……笑った顔が好きとか、優しいところが好きとか……昔は、誰かを素敵だって思うことは、単純だったのに……大人の“好き”って、むずかしいね」

 …………おや……おやおやおや……????

 「……ごめん早とちりって思ったけどが自覚してないだけで早とちりじゃない気がしてきたからめっちゃ余計だとは思うけど言う、ごめん。――さ、自分でややこしくしてない?」

 「え、」

 「私もさ、理解したいとは思っても、の考えてること全部は分かってあげられないと思うし、これを言うことがのためになるのかも分かんないけどさ。でも――好きになることに理由は必要じゃないし、好きなところを挙げられなくちゃ好きだってことにならないなんてわけない。それに、が三好さんのことを尊敬してるってことは、尊敬できるだけの良いところがあるってことだよ。それだけでいいじゃん」

 が三好さんのことを尊敬しているのは本当で、そこにどんな感情が含まれているとしても、そのことだけは変わらない。これだけは、はっきりと言える。だってそうじゃなくちゃ、今までの三好さんからの言動にとっくに折れていたはずだ。けれど、はどんなに愚痴を言ったって、怒って泣いたって、最後には必ず『絶対認めさせてみせる』と言って――それを諦めたことは一度だってない。
 は驚いたような顔で、「……そ、れは、」と言葉を詰まらせた。
 そして、私が声をかけようとした時だった。

 「――?」

 その声に振り返ると、が顔色を変えた。それから明らかに動揺した調子で、「え……、ひ、ろくん、」と…………ん゛?!?! 今なんと?!?!

 「…………ん゛?! えっ、この人――ってちょっと待った待って!」

 思わず、という感じだろうけど、弾かれたように走り出したをなんとか止めようと声を上げたのだが…………止まらないとガチでヤバイ。

 「待ってホントちゃん待ってくださいもしくは方向転換ッ!!!!」

 私も走って後を追いかけたけれど、遅かった。
 がぶつかってしまった相手は、のことしか考えてない完全無欠の大好きマン……つまり、三好さんだったこの人なんでこういうタイミングにばっか遭遇するんだろうなポンコツのくせに……。

 「――っ、あっ、ごめんなさ……み、よしさん、」

 をしっかりと抱き止めていた体をそっと離して、「……前を見ずに走ると、危ないですよ、さん。怪我はありませんか?」と言って視線を逸らした。

 「……あ、」

 言葉を詰まらせるに、三好さんが何事かを言いかけた時…………追いかけてきたらしい小田切さんが…………タイミングというものを皆さん考えましょうねと言いたい。

 「っ! 待ってくれ、話を――三好……?」

 小田切さんをじっと見つめてから、三好さんは皮肉げに唇を歪めて笑った。……これはマジでキレる一瞬前というやつでは……?

 「……久しいな、小田切。とは言っても、貴様のその後に興味などないし、僕にはなんの価値もないことだ。それで? 今になってさんをつけ回すのはどういう了見なんだ?」

 う、ウワァ〜ッ! 言いたいことは分かるけどどう考えても今そういうこと言ったらアカンやつ〜〜ッ!! 余計なことすんなって何か起こるたびに私は何度も注意してきたはずだけどホントこの人聞きゃあしねえな〜ッ!!!! いや、だからこそ大好きマンの名を欲しいままにしているのか………………どう考えても今そんなこと考えてる場合じゃない(震え声)。
 小田切さんは何かを考えるような顔をした後、硬い声で「……おまえのほうこそどういう了見だ。俺とのことが、おまえに関係あるとは思えないが」と言った。
 それに対して「貴様のことはどうだって僕には関係ない」と冷たく吐き捨てて、三好さんは一切の表情を消した。

 「……僕はさんを追い回すのはやめろと言っているんだ。貴様とのことはもう過去で、今の彼女にはまったく関係ない」

 小田切さんがぴくりと眉を動かした。

 「……貴様にどうこう指図される覚えはないな。自分はに関係あると言いたいのか? ……どうなんだ、

 ……お、小田切さん〜〜〜〜ッ!!!! と心の中で絶叫しながら、「え……、それ、は、」と声を震わせるに、ここは私が、と口を開こうとした瞬間――。

 「さん、こんな下衆な男の相手を、どうしてあなたがしてやる必要があるんです。この男はどうしようもない奴だ。何をするにも中途半端で、きっとあなたを不幸にするばかりに決まっています。過去は過去です。それを、今更現れてどういうつもりだって言うんです。この男はあなたを利用して――」

 アンタってホンット余計なことというか斜め上投球しかできないんだなこのポンコツ〜〜〜〜ッ!!!! とまた心の中で絶叫しながら、私は額を押さえた。当たり前だけどがブチ切れてしまったどうしようこうなると私には止められない。

 「っやめてください! そんなの、そんなこと、聞きたくないっ! 三好さんに何が分かるんですか?! わたしのこともひろくんのことも、何も知らないくせに勝手なこと言わないでください!!」

 三好さんは薄く笑って、目を細めた。

 「……勝手? ……ええ、そうですね、僕の勝手です。ただ僕は……こんなくだらない男の相手を、あなたがすることが許せないんです。どうしてこの男を庇うんです? 僕にはあなたが理解できない。したくもありませんがね」

 息を飲んで、それから、泣きそうに顔を歪めたは、何も言うことなく走り出した。

 「っおい! 待て、……!」

 それを追いかける小田切さんを、私と三好さんは黙って見送った。


 痛むこめかみを揉みながら、私はノンブレスで言った。

 「……アンタ私が何ッ回言っても聞きゃあしませんねホント。どうすんですかポンコツ。泣かすとか今に始まったことじゃないけど今回のは今までのとはワケが違うから。私言いましたよね余計なことすんなって。このバカが。大体――まぁまだ言いたいことの百分の一も言ってませんけど、今のアンタに言っても意味ないからやめておきます。じゃ、グズグズひよってたくせに攻撃性高めて余計な発言ばっかりした言い訳をどうぞ」

 三好さんはそっと息を吐いて俯くと、呟くような音量で「……僕はただ、」と力のない声で言った。

 「……“ただ”?」

 ゆっくりと持ち上がった顔は難しい表情を浮かべていて、後悔しているのがありありと見て取れた。そんな顔するならアンタは余計な口を利くなと言いたい。いい加減に学習してほしい。
 三好さんは確認するような調子で、少しずつ吐き出していく。

 「……彼女のことを一番に想っているのはこの僕のはずなのに、彼女の考えていることが何一つ分からない。何をすれば、彼女が僕を見てくれるのか分からない。それなのに、さんはずるい人だ。……僕を好きだなんて言って、けどそれは、愛じゃない。僕がこんなにも悩んだとして……、さんは、僕のことなんてちっとも、」

 なるほどつまりこういうことですね????

 「つまり片想いこじらせすぎて卑屈になった結果、せっかく歩み寄ったの言うこと全部を素直に信じられずグズグズしてるうちに周りが動き出して腹立ったから手当り次第に当たり散らしたわけですね理解したアンタはガチのポンコツ野郎だなッ?!?!」

 「……あなたなら、分かりますか」

 何言ってんだこの人……と思いながら、「何を」と短く言った私に、三好さんは両眉をきつく寄せた。

 「……さんの、考えていることです。あなたなら、分かるんですか」

 ……ホント、何言ってんだか。

 「分かりますよそんなもんッ! ……って言えたらカッコイイかもしれませんけど、そんなん分かるわけないでしょうが。私はの大親友ですけどね、じゃないんだからあの子の思うこと全部分かるなんてことはありません。でも、そんなの誰だってそうでしょ。ただ、分かんないなりに相手の気持ちに寄り添おうとすることはできます――ってなことをうちのちゃんは言ってましたけど」

 三好さんは、くすりと笑った。

 「……綺麗事だ」
 「……そうですか?」

 もしかしたら三好さんは、泣きたいのかもしれない。何も浮かばないその表情を見て、私はそう思った。

 「優しすぎる、さんらしい綺麗事です。……僕にはやっぱり、分からないな。僕は寄り添うために、彼女のことを知りたい。そのすべてを」

 はあ、と溜め息を吐いて、私はじっと三好さんの目を見つめた。

 「まぁやる気があることは結構なんですけどね、アンタ方向性いっつも間違ってるからどうしょもねえんですよ。……まぁとりあえず、今日小田切さんと会わないために同窓会キャンセルして、でも気が滅入らないようにと私とお出かけしたわけなんですが、結果余計にややこしくなってしまったわけですが」

 案外しっかりとした声で、三好さんは「……僕がどうすれば、さんは喜んでくれるんでしょうね」と言って笑った。不器用にも程があるというか、この人ホンットどうしょもないポンコツ……と思いながら、私は三好さんに背を向けた。

 「そんなのは自分で考えてください。……ただ、三好さんが思ってるよりずっと――は三好さんのこと、考えてますよ。じゃ、私帰ります心配なんで!」

 「……ええ、さんのこと、お願いします」

 ……本当は自分が追いかけたくてたまらないだろうに、と思いながらも、私にはこの人の本心は確かめようがない。

 「はいはい、分かってますよ心配ご無用」

 ただ、三好さんのを思う気持ちには、寄り添ってあげたいと思うだけで。






画像:HELIUM