恐れていた事態である。
 まぁ、私はなーんにも分かっちゃいないので、こうなるだろうとは思っていたけども……。

 とりあえず、最近のちゃんはというと――。

 「、来週の土曜日さ」
 「ごめん、その日はえい子さんと約束してる!」
 「そ、そっかぁ。じゃあまた誘うね〜」


 「〜、今日の夜さ、新宿の――」
 「あっ、えい子さんとご飯の約束してる。今度でいい?」
 「う、うん、」


 「……、恒例の金曜飲み会ですが」
 「ごめん、えい子さんに誘われちゃって。来週の金曜はいつものとこで!」


 「……ちゃん……明日、私と、神永さんと……田崎さんと!! いつものところで飲もうよ〜〜」

 「んん……それ、えい子さんも誘っていい?」

 「……オッケー分かった了解また今度誘う……」




 分かっていたとはいえね? それを見逃す、許すかっていうともちろんそんなことはありえないわけだよね当然だけど。

 「――というわけでいよいよあの女マジでどうにかしないとヤバイです伝家の宝刀“理想の王子様”イコール田崎さんの名前を出してもちゃんどうにもなりません何あの女」

 いつも通り屋上に集合して――揃ったところで私は不満というか怒りをブチまけた。
 あの日余裕かましまくってた神永さんと田崎さんは、私の話を聞いてもまったく表情を変えないどころか、やっぱり余裕かまして煙草なんぞ吸ってるので余計にイライラしてしまう。こうもあからさまに怒りを爆発させているわけだし、なんてったって神永さんと田崎さんが愚痴り相手なわけなので、もちろん私の気持ちなんかよーく分かっているはずだ。
 ……なんにも分かってない私がA子さんの存在を意識するなっていうのは無理な話だし、あの勢いを脅威に思うのだって当然のことである。
 なのに神永さんは呑気なもんで、「落ち着けよ、そう心配することじゃない」とか言って煙草の煙をのんびり吐き出す。田崎さんも田崎さんで、「大した問題じゃないから」なんて人の良さそうな爽やかな笑顔を浮かべているのだ。
 私にはその余裕がまったく理解できない。何度だって繰り返すけど、あの食事会での様子で二人は何かしらの答えを見つけたようだけど、私はそうじゃないんだから当たり前である。
 この二人はホント特別製の人間であるということは百も承知だ。何もかももう分かっていて、それだからのんびりもしてられるし、あまつさえ大したことじゃないとまで言える。けど凡人の私はきっちり説明してもらわにゃなんにも分からないし、この問題に対して……悔しいことに何もできない。感情だけでどうにかなる問題じゃないのは分かってるので、余計に鬱憤が溜まるって話……。
 思わず舌打ちした私を見て、神永さんは煙草を灰皿へ投げ入れた。

 「……でもまぁ、頃合いだな」
 「もう限界みたいだしね」

 田崎さんもちらりと私を見て、煙草をそっと灰皿へと落とす。やっぱりこのお方は何をやっても絵になるったらないなぁ……さすが神(拝み)と思いつつ、二人の言葉を聞いては安心するとかっての通り越してテンション上がって思わず飛び上がってしまいそうになった私。
 ――ということは、私にはサッパリだけど、やっぱりコレッ! っていう解決策、ちゃんとあるんですよね?? と思いながらも……まぁ私にはそれがまったく思いつかないし想像すらできていないわけなので、「どうすんです? 物理?? さすがにそれは――」とかいうことしか言えないけど(真顔)。
 神永さんは遠慮なしに呆れた顔をして、「当たり前だろ、バカかきみは」と溜め息を吐いた。そして続ける。

 「――明確な解答は波多野に吐かせるしかない。アイツが関わってることには変わりないからな」

 ……若干大人しくなりそうだった感情だが、再びイラッと腹が立ってくるのはホントどうしょもない私あのクソガキだけはマジで心底憎いから……。そもそも解答を知っている、A子さんと何らかの関係があるという時点でアイツも事の原因であるからして増して憎しみが湧いてくる……。
 ギリギリしていると、田崎さんがゆっくりと口を開いた。その内容を聞いて、私はさすが真のエリート……と拝まずにはいられなかった……デキる男ってホント素晴らしいよ最高……(拝み)。

 「色々と話を聞いてみたら、あの女――三好とドイツに派遣された後、そのままあっちで仕事をしたいって残ったらしいんだ。これが二人が別れた理由だけど……もう昔の話だ。今更こちらに戻ってくる理由にはならない。向こうで出世してることだし、見たところ生まれ育った土地に帰りたい、なんてことを考えるタイプでもないだろう」

 確かにA子さんはそんな繊細なタイプには見えないというか……今までの行いからして、私もそう思うので頷く以外にない。なんていうか……肝っ玉据わってるっていうか、自分に絶対的な自信を持っていて、何も間違っちゃいませんっていう顔で物事を自分のペースで進めてくあの感じ……。ちょっとやそっとのことじゃあちっともブレないし、むしろそんな真似しようとされた時点で徹底的にぶっ潰しそうな……とにかく、色んな意味で“マイペース”だから、他人に左右されない分だけ繊細とかっていうような言葉と結びつけろと言われたらものすごく悩んだ末にやっぱ無理だな! って思わせるタイプっていうか……。
 田崎さんは目を細めて、なんと表現すべきか難しい表情を浮かべながら話を進める。

 「そうなると、こちらに戻ってこざるをえない理由があったとしか思えないし、帰国が波多野と同じタイミングなのも引っかかる。……波多野があの女のところで研修を受けている間、二人の間で何かしらがあったはずだ。ここまではいいかな?」

 「えっ、あ、ハイ……な、なるほど……」

 ――やはりさすが真のエリートちゃんとしたお仕事素晴らしい…………素晴らしいんだけど……まぁ、そう情報を並べられても、事の核心というのはやっぱり私には分からないけど。
 ただ、あの波多野がわざわざ首を突っ込んでいる以上は、三好さんとA子さん二人の問題、別れた別れてないというだけじゃないのは分かる。たったそれだけのことなら、あのクソ生意気野郎が関わる理由なんてまったくないわけだし、むしろ三好さんが女関係で困ってるとかいう状況なら笑って見ているに決まってる。
 つまり、田崎さんの言うように、波多野とA子さんの間には“何か”があるわけで……しかもあの夜の様子を見て、神永さんは二人は共闘してるけど、牽制し合っているところがあると言った。……ウ、ウン、やっぱり私には分からないカナ! ……ややこしいだから結局つまりはどういうことだってばよ……。
 まぁ私は凡人中の凡人であるので、神永さんと田崎さんが確信している、この問題の解決策っていうのはサッパリ分からないという情けないお話ですとしか私の頭では結論出せない……。
 で、どうすんだよ……と溜め息を吐いたタイミングで、田崎さんが静かに言い放った。

 「――さて、おまえもあの女には手を焼いてるだろう? 口を割る気になったかな」

 ハッと振り返ると、波多野がこれでもかというほどに表情を歪めて、こちらを睨みつけていた。
 それからクソ生意気に鼻を鳴らして顎を持ち上げると、皮肉げに唇を歪める。

 「――手を焼いてるのはおまえらのほうだろ? この件に関して、俺にはなんの問題も起きてない」

 ブチッと血管が切れた音がはっきりと聞こえた。毎度毎度毎度毎度ッ! 人をクソほど苛立たせるってとこだけはテメーの才能認めてやるよッ!! と言いたい。
 これから決着つけるための話するって時にテメーはッ!! ありとあらゆる……規制音必要な罵倒のセリフが気を抜いたらうっかり飛び出しそうであるがそこは自制するとして……でもコレだけははっきり言っときますね(真顔)。

 「テメー波多野おンまえいつから話聞いてたんじゃボケッ!!!!」

 波多野は「っち」と舌打ちを一つすると、「マジでいちいちうるせえなクソ女。少しは見習え」と言ってこちらへ寄ってきた。
 テメーは神永さんや田崎さん見習って出直してこいッ! だとしてもおまえだけは絶対に許さないけどなッ!! と私も舌打ちを返す。
 神永さんは内ポケットから煙草を取り出して一本抜くと、火をつけてのんびりと言った。

 「で? おまえ、あの女と何を条件にして協力関係にあるんだ?」

 その言葉を聞いて、波多野は不愉快そうに眉間に皺を寄せた。
 それから、誰かを嘲笑うような見下した目を見せて吐き捨てる。

 「……協力? あの女と俺が? 俺はあの女を利用することはしているが、手を貸してもらってるなんてことはない」

 ちらりと、私は田崎さんの様子を窺った。
田崎さんは落ち着いてはいるけれど――神永さんの言っていたように“腹が立っている”んじゃないか、それも、もしかしたら私より、と思わずにはいられない。きっとこの人は、この世のどんな人間が泣くより、が泣くことを嫌っている。その目の奥は凍りついているかのように、何も読めない。
 ……エリートの情報収集能力と分析能力にはホントたまげることばかりだが、今までどんな気持ちでいたんだかということを考えるとめっちゃ心臓痛い。
 田崎さんがにこりと笑う。……これほど恐ろしいモンもなかなか存在しねえわホント……味方でよかったなと思わずにはいられません(震え声)。

 「――そうは言っても、パワーバランスが崩れてきてるだろう。思わぬところで、あちらがおまえを裏切るかたちになってるんじゃないか? ……おまえが何と言おうと、これは覆しようのない事実だ。現にさんとあの女、おまえの知らないところで接触しているはずだ。違うか?」

 波多野はまた、ぐっと眉間に皺を寄せて、その後すぐに舌打ちをした。
 そしてこの一言である。殺意抱くなというほうがムリな話(笑顔)。

 「……初めからおまえらなんか頭数に入れてねえんだよ」

 …………あ゛????

 「は? ホンットいっちいちムカつくなクソガキッ!! どういう意味で言って――」

 田崎さんと神永さんはもう答えを分かっているわけだからおまえにもう用はない今すぐメタメタにしてやるよクソガキッ!! と体を震わせると、波多野は更に舌打ちを重ねた。っち、行儀の悪いやつだな!?!?
 しかし、次の瞬間私はぴたっと思考を停止せざるをえなくなった。

 「おまえだよ」

 波多野の言葉に、神永さんはなんてことないように「まぁ確かにな」と言って煙草の煙を吐き出すわ、田崎さんも「ふふ、だろうね。その点、俺は助かってるよ」とかなんとか言い出すわで、何も分かっちゃいない私が言えるのはコレだけ。

 「……え? あの…………はい?」

 私の言葉にまた舌打ちをして、機嫌最悪だってのを隠さず波多野は言った。

 「俺が一番ジャマに思ってんのはテメェだって言ってんだよクソ女」

 あ゛? という話である。いちゃもんも大概にしろクソガキ。

 「ハァ? こっちからすればアンタが一番ジャマ――」

 するとなんと、思わぬところから――そう、背後から撃たれたので私は口をあんぐりさせるしかなかった。

 「いや、波多野の言うことは正しいよ」
 「へっ? た、田崎さんまで何言うんですか……?!」

 なんてこった波多野のクソガキの戯れ言はともかく、神までもが私を……ッ?!?!
 ……ま、まさかあなたはそんな……裏切ったりしないですよね神永さん……だって、だって場数踏んでます経験値高め実はカンストしてるけど暇潰し程度にはログインしてるよっていう極めに極められたガチのカンストだし、常識人だし、そもそも神という存在は気まぐれであらせられるからこれも何かの間違いというか「ちゃんに近づくために――ま、その後の“お付き合い”に繋げるのに、一番の問題としてジャマになるのはきみだって話だ」……。

 「……はい?」

 田崎さんが煙草を取り出して、ゆっくりとした動作で火をつける。

 「今はあの女に付きっきりだけど……それはさんが、きみはいつも一緒にいてくれる、一番の親友だって思ってるからだよ。それに相手は所属は違っても立場は上で、何より彼女の中では“三好さんの恋人”なんだ。あちらからの誘いを断ろうにも、どうすればいいんだか分からないんだろう。つまり、あの女の目的はさんってことになる。……これ以上のことは、波多野のほうが詳しく説明できるんじゃないかな?」

 ちらりと田崎さんは波多野を見る。口元は微かに持ち上がっているように見えるけれど、やっぱり目の奥は冷たい。まったく怖いったらありゃしねえよ(震え声)。
 神永さんもなんてことないような顔しといて、その下には何が潜んでいるんだかと思うと……エリートオンリーのパーティーとか最強だけど場合によっちゃ最恐で最狂……。この場に三好さんがいたら……と一瞬考えそうになったが、かなり脳みそに負担をかけそうなので強制的に思考停止……。
 まぁそれはともかく、今私が言うべきことはこれ。

 「……クソガキ、ここまできたら全部吐いとけ。これ以上あの女に好き勝手されたら困るのはアンタも同じなんでしょホラ吐けよ」

 波多野は今日何度舌打ちすんの?? 牛乳飲む???? 色んな意味でアンタには効果的だと思うよ???? とか思いながら、私はクソ生意気で人を小馬鹿にしている眠たげな目を睨みつけた。
 波多野はだるそうに溜め息を吐いた後、ポケットをまさぐって煙草を……あ゛?! テメー喫煙者かッ!! 私はアンタが吸ってるとこなんて見たことないッ!! そして私はの友達ッ! 親友ッ!! そしてそのちゃんは煙草が苦手ッ!!
 ……こんなとこでもうちの子を騙くらかしやがって……ッ!!!!
 クソが……やっぱ私アンタだけは大っ嫌い……と思いながら、ふぅっと煙を吐き出す波多野をますます睨みつける。
 波多野は心底嫌そうな顔をしながら、私の視線に同じものを返しつつ言った。

 「……ドイツでの研修中に、気づいたんだよ」
 「何を」

 波多野は私から視線を外すと、片手をスラックスのポケットに突っ込んで、ちらりと田崎さんを見た。それから大したことない調子でとんでもねえこと言うもんだから腰が抜けるかと思った。

 「あの女が昔の――ちょうど三好とあの女がドイツに派遣された頃にあった、極秘情報の横流しに関わってたことに。まぁ、これそのものは未遂で済んだっていうし、もちろんドイツ支社で秘密裏に解決されたことで、今となっちゃ真相は闇の中。むしろ、そんなことが本当にあったんだかも疑問ってふうで、誰も口に出しやしないが」

 ……実際に腰抜かさないでよかった〜! とか言ってる場合じゃないよね。

 「……は……? いや、いやいやいや、話の規模がでけえよ社外秘の資料の持ち出し?! はっ?!」

 ちょっと……というか大分予想外…………というか普通にOLやってる、それもモブ中のモブである私には到底受け止められない大問題である。
 ――なのでそれは今はどうでもいい。なんたってモブ中のモブである私には解決のしようがないしそもそも今回の話にそれは関係ない。まぁ大問題も大問題だけど。めちゃくそツッコまずにはいられないめちゃくそヤバイ話だけど。

 「いや、そんなことどうだって――よくはないけど! それがなんでこんな状況に繋がるわけ? ……あの人三好さんとより戻すために帰国したんじゃないの?!」

 やっぱり話の規模でかすぎて頭が追いついてない状態だわ意味分からんぞアホかッ?!?! いや、わたしがアホなんじゃなくて状況がアホだよねコレはッ?!?!
 私が思わずダンッ! とコンクリを踏みつけると、波多野は眉間に皺をくっきり寄せて「俺がそう仕向けたんだよ。帰国も決まったことだし、それならジャマくせえおまえをどっかやるためにあの女を使うことにした。それだけだ」とか言うので私はキレることを優先させるか何やってんだバカがと呆れることがまず先か、どちらにすればいいのか若干迷った。まぁどちらにせよ罵る準備はできてる。

 「……気づいてからは、もう計画は練ってた。帰国直前、研修を受けたんだから最後に顔を出しとけって話だったから、あの女のところへ行った」

 ――もう戻るのね。あなたの仕事ぶり、とても評価されているのに。まぁとにかく、お疲れ様。今度は本社で頑張ってね――。

 波多野はなんの悪気もないです〜みたいな顔――いや、“言わずもがな〜”、“当然そうです〜”みたいな顔して言った。

 「俺があの女と関わったのは一月かそこらだから、向こうは気づいてなかったようで『かわいい恋人が待ってるんでね。帰らないわけにはいかないんですよ。しかもその恋人が、迷惑なことに男に追っかけ回されてるらしくて。まぁ……“色々”と教えてやってくれるのはありがたいんですけどね。……センパイ、三好サンのことちゃんと捕まえといたほうがいいんじゃないですか?』とでも言えば簡単に釣れた」

 だっからテメーちゃんのなんでもねえだろッ! 彼氏ヅラしてんじゃねえぞ……ッ! というお話なのだが……コイツはホンット悪知恵ばっかりよく働くなッ?! そんなこと言われちゃ、A子さんはやましいこと――つまりはその……信じらんないことに社外秘の資料の持ち出しについて、波多野が何かしら……と疑うのは当然のことだろう。
 A子さんも色々な意味で頭の良い人だとは思うけど、だからこそ揺さぶられて仕方のない、放置しておけるような問題ではなかったはずだ。
 ……波多野がどういうルートでそんな情報を手に入れて、さらには上手くA子さんに不安を抱かせるような状態に陥れたんだか見当はつかないが、まぁとにかくそういう状況を作り出し「このクソ女、散々うざったくに粘着してたんだから、俺がいない間にますます調子乗ってるとすりゃあ、帰国してもすんなり前のようにはいかない。そういうわけで、あの女を利用しようと思った」……。
 ……色々言いてえことはあるが人を利用するとかってことに対して何も躊躇いないあたりがホンットおまえ三好さん同様に自分以外の(三好さんの場合はも含む)人間すべて路傍の石扱いだな?? つーか散々うざったくに粘着してんのも調子乗ってんのもアンタなんですけどっていう話で負の感情がとめどなく果てしない。クソが……ッ!!!!
 波多野に対するありとあらゆるアレを堪えるべく、私は空を仰ぎ見て深呼吸をしたわけだが、続いた言葉にさらに怒り覚えんなってのは到底無理だった。
 波多野はなんてことない様子で、ちっとも悪びれず言った。

 「あっちは俺に気づかれてることを知らないんだ。一緒に仕事してた三好が、それについて何か口を滑らせたんじゃないかと疑って、それを確認するために俺と帰国した。ま、表向きにはお互い、恋人のためってことで利害関係の成立だ」

 A子さんのほうの理屈は、まぁ彼女の目的からして分かるとして、テメーはテメーの言ってることのおかしさに何故に気づかない?? だからアンタのなんでもないよね?? “恋人”? ん?? 誰が? 誰の“恋人”だって???? とツッコミたいのは山々だが、それでは話は進まないわけなのでグッと堪える私はなんて大人なんだ……えらい……と思いつつ、特にこれと言った表情を浮かべているわけでもない神永さんが、「けど、ここへきて誤算だな。ちゃんは確かにこの子から距離を置く形になったが――代わってあの女だ」と静かに言うのを黙って聞いた。
 う、うん、あ、あなた常識人……の部類の人間ですよね……?? 恐れていたアレじゃないですよね……? と若干背筋にヒヤッとしたものを感じつつも、私はふと感じた違和感に口を開いた。

 「…………ちょっと待ってくださいそうなると話おかしくありません? 本来の目的のためには、波多野の目を誤魔化す必要もあるわけだし……A子さんがすることって三好さんを引き止めることですよね? 三好さんに引っついて回るなら分かりますけど、なんでに……」

 すると神永さんは、肩を竦めながら私の質問に答えた。

 「ま、そもそも三好とあの女が付き合ってたことにも、波多野と同様に利害関係があったんだ。それがお互いに目的を達成したもんだから解消、つまり“別れた”わけだが――波多野が揺さぶったことで、果たされたはずの目的に影響が出たんじゃないかと、あの女は帰国したわけだ」

 なるほど……と言いたいところだが、ただのOL――それもモブ中のモブである私に、それから答えを導き出せと言われたって到底無理である。エリートさまの考えることっていつでも色々超えてくるから。

 「いや、だからそれなら何かするなら三好さん相手でしょ? なんで??」

 首を傾げる私に、神永さんはどこか苦い顔をして言った。

 「なんたってあの三好と一度は――まぁ仮とはいえども恋人をやってたわけだから、二人には共通点があるんだよ」

 「……共通点?」

 ……共通点……と頭をひねっていると、神永さんは皮肉げに笑った。

 「きみが事あるごとに言ってるアレだよ。“エベレスト級のプライド”」

 …………。

 「は? はぁ、まぁ確かに三好さんはクソの役にも立たねえエベレスト級(笑)のプライド(笑)の持ち主ですけど、それが?」

 「いくら利害関係が成り立つと言っても、お互いにそうプライドの高いヤツ同士が仲良しこよしできると思うか? ……似てるんだよ、あの二人」

 ……そういえば私自身、A子さんに対して何度も『さすが三好さんの(元)恋人……』という感想を抱いてたわけなので、ここでやっと本心からなるほど……と頷いた。
 田崎さんがにこりと笑う。そして波多野にちらりと視線を向けると、意味ありげに口端を僅かに持ち上げた。

 「波多野の誤算はそこだけさ。まぁ、きみをどうにかしようっていう考えも、この策そのものも悪いものではなかったと思うけどね」

 「っち、」

 波多野の舌打ちザマァ。やはり真のエリートを相手に貴様なんぞが太刀打ちできるはずもなかったな……と内心高笑いしながらも、私は頭の中をしっかり整理した。

 「つまり、A子さんはドイツ支社での事件にどういう形でか関わってて……三好さんもそれにどういう形でか知らんが関わってる。で、何かを交換条件に利害関係にあったわけだけど、A子さんは波多野が余計なことしたせいでマズイことになんじゃないかと三好さんに釘刺しに戻ったわけで、そうなると三好さんを揺さぶるに一番効果があるのはうちのをどうにかすることだと考えて現状……ってことで合ってます……?」

 「ま、そういうことだな」

 神永さんの肯定を聞いて、私も肩を竦めた。

 「……的確に敵にダメージを与えることに関しては群を抜いて冷徹な構えの三好さんでも同じことしますね。そら同じタイプのあの女もそうするか……」

 はあ、まったくやれやれである。
 溜息を吐く私をちらっと見て、神永さんは「……で、きみはどうする気だ?」と言う。
 そんなもん決まっておろうが。

 「……とりあえず、三好さんにこの話をします……。このままじゃ……あの人余計なことして余計に問題大きくなってますますあの女に好き勝手されることになりますからッ!! …………というわけで三好さんとっ捕まえてササッと話してくるので、神永さんと田崎さんはややこしいことしてくれたそのクソガキ波多野をブチのめしといてくださいッ!!!!」

 私は、まったくやれやれだよホントにッ! 毎度毎度で今に始まったことじゃないとはいえ、三好さんて人はガチで使いモンにならねえったらねえなッ?! とドスドスコンクリを踏み鳴らしながら、しかし己の最速スピードで屋上を出た。






画像:十八回目の夏