ペールピンクのIラインワンピースを上品に着こなしているを見た瞬間、A子さんは「――あっ、ちゃん!」と明るい声を上げて、輝くような笑顔を浮かべた。……邪気がないように見えるからこそ疑わしいですとしか言いようがない……。
 しかしのお嬢さんスタイルはやはり最高である超絶天使。
 はたたっとA子さん――そして三好さん、ついでにクソガキ波多野の三人に近づくと、「こんばんは! お待たせしましたか? すみません……」と申し訳なさそうに眉を下げた。

 「ううん、ちっとも。わたしたちもさっき来たばかりよ。うふふ、やっぱりそのお洋服でよかったわね、素敵よ。ね、波多野くんも惚れ直したんじゃない? ……三好くんもそう思うでしょ? わたしが選んだのよ」

 A子さんはそう言うと、ちらりと三好さんを見た。
 ……そう、今日ののお洋服はA子さんチョイス…………悔しいことにセンスあるから歯ぎしりである……。
 三好さんはというとの超絶天使ルックを目にしてすぐ、ぶわっと背景をお花畑にしたので……分かるんだけどこの先が心配でたまらなくなるいつもの調子じゃダメなんですよ気を引き締めてください……。
 そしてハラハラする私の存在などもちろんちゃんは知らないわけなので、嬉しそうにはにかんでいるやっぱり心配だってうちの子はこんなにもかわいい……。

 「わたし一人じゃ、こんなお洋服選べませんでした。ありがとうございました! でも……えい子さんのほうが、わたしなんかよりずっと素敵です。三好さんと並んでると……ほんとに、ほんとにお似合いで……うっとりしちゃうくらいです。ねっ、波多野くん!」

 今日も百点満点の返しです……(拝み)。
 の可憐な笑顔に波多野も笑顔を返したが、次の瞬間には意地悪く口端を持ち上げた。それを受けて三好さんの眉がぴくりと動く。
 ……いつもの調子じゃダメなんですよと繰り返し何度も言って聞かせたい……。

 「そうだな。……センパイ方、それはもうお熱い仲だし当然だろ。それより、今日は特別きれいだ。そのピアスも新しいな。わざわざ揃えたのか?」

 言いながら、波多野がの頬に手を添えてそっと顔を覗き込む。
 ……クソが……。
 はにこにこしながら「うん、これも選んでもらったの! えい子さんが連れてってくれたお店、どこもすっごくおしゃれでね、」と波多野の手を取って嬉しそうに応える。
 その姿を見て、A子さんは意味あり気に笑う。

 「うふふ、お話ししていれば分かることよ。素敵なものに対する喜びを分かち合えるのも当然だわ。……わたしもあなたも、三好くんとは縁ある女なんだから。ふふ、本当にそのお洋服、素敵よ。可愛らしくって。……ね、三好くん」

 三好さんはそれに対しては何を言うでもなく、「……話は中でゆっくりしましょう。さん、手を――」とに手を差し出した。
 ――が、もちろんそれをA子さんが許すわけがない。
 するりと三好さんの腕に絡みついて、反応を窺うように目を細めた。

 「あら、ちゃんには波多野くんがいるでしょう? 久しぶりなんだから、ちゃんとわたしをエスコートしてちょうだい、三好くん。……いくらかわいい部下だからって、後輩の恋人を奪ってはだめよ」

 三好さんは黙って、A子さんの手を恭しく取った。


 「……ホンットさすがあの三好さんの彼女やってただけありますよね……なんていうか……それらしいことをそれらしく言って自分のペースに巻き込んでくこの感じ……」

 もう完全にA子さんの思うままって感じで、私は溜め息を吐く以外にどうしたらいいんだか……と頭を抱えた。
 それを見ておきながら、神永さんはなんてことないように「ま、俺も田崎も彼女と仕事をしたことがないからなんとも言えないが……三好と海外行きに抜擢されたんだ。それなりに頭は回るだろ」と言うと、吸っていた煙草を携帯灰皿の中へと入れて押しつぶす。
 はぁ、と色んな意味でもう一度私が溜め息を吐くと、田崎さんが静かに口を開いた。

 「……この感じ、気味が悪いな。彼女がターゲットを誰に絞ってるのかあやふやだ。三好か――さんなのか」

 田崎さんがそういうこと言うと完全にフラグなわけなので、私は戦々恐々としながら「え、どういうことです……?」と声を震わせた。
 すると、やっぱりなんてことない調子で「ちゃんから三好を引きはがす、このために三好に仕掛けるのか。三好からちゃんを取り上げる、このためにちゃんに仕掛けるのか。……現状どちらにでも取れるってことだ」と言いながら、神永さんは腕時計を確認する。私たちもそろそろお店へ入っていいタイミングだろうか。
 それにしても、この二人は怖いくらい落ち着いてるな……いいんだか悪いんだか、凡人の私では読めない……と思いつつ、私は「……なるほど」と頷いて、それから「同じように思えて、アプローチの仕方は変わってきますね。まぁ、あの二人の邪魔をしたいのには変わりないわけですけど……」と続けた。
 何を考えているのか分からない眼差しで、田崎さんは真っ直ぐ前を向いている。その様子をちらりと神永さんは確認して、それでもこちらも表情は変わらない。
 田崎さんが一歩前に進み出たのを合図に、私もゆっくりと歩き出す。

 「三好に何か仕掛けることについては何の問題もない。三好は自分でどうとでもするだろうし、そうはできなかったとしても助けてやる義理はない。……ただ、さんをターゲットにしている場合には、彼女が自分で乗り切れるとは思えないし……そもそも、あの女を信頼しているだろう。……結果がどうなるのであれ、こんなつまらないことでさんが傷つくような――泣かせてしまうかもしれない事態だけは、どうあっても避けないとね」

 田崎さんの言葉に、私は喉を上下させた。
 前に屋上で見た田崎さんの顔が、ぼんやりと思い起こされる。

 「……田崎、下手に動くなよ。波多野だってちゃんを傷つけるような真似はさせないだろ。少なくともこの場は、テーブルをよく観察するしかない。……何一つ見落とすな。俺たちが今すべきことはそれだけだ」

 神永さんの言葉に、田崎さんは笑った。

 「……分かってるさ。おまえこそ、カッとなりやすい質なんだから気をつけろよ」

 神永さんは苦い顔をしつつも、「……耳が痛い話だな。――じゃ、始めるか」と言って、お店のドアを押し開いた。


 「それで? その時、どうしたの?」

 想像していたよりも和やかなテーブルの様子に、私は若干拍子抜けした。いや、何事もないならないで、それに越したことはないのだけども……毎日毎日と密に連絡を取り合って、何かと構っているA子さんだ。このまま終わるわけがない。それにしたって、何をする気でいるんだかはまったく見えてこないわけだが。
 は波多野との思い出話を嬉しそうにしている。
 相変わらず別次元の生き物としか思えないファンシー感漂う魔法にかけられちゃいそうな笑顔だが、純粋に萌えることのできない辛さ……。

 「波多野くんが『手、貸そうか?』って声をかけてくれたんです。……でもそんなこと言って、わたしが苦労して運んでた荷物、全部持ってくれて。それで、『どこまで運べばいい? 一緒に来て』って。ね、そうだよね、波多野くん」

 「一人でよろよろしながら大荷物運んでたら、そりゃ誰だって手を貸すだろ。……それに、おまえが困ってたら俺はいくらだって手を貸してやる。当たり前だろ?」

 にだけ、本性隠していい顔する波多野は今日もクソ腹立つなと思いながら、「へえ。優しいのね、波多野くん。……意外だわ」というA子さんの言葉に、私はいよいよかと体を強張らせた。

 「そりゃ誰にでも振りまいてられませんからね、優しさなんて。特に俺は安売りはしないタイプなんで」

 先輩相手でも遠慮なく生意気かます波多野は、やっぱりD機関の――というより、三好さんの後輩だな……と思ったのは私だけじゃないはず(真顔)。――が、お世話になった研修先の先輩を相手に(しかも面と向かって)遠慮なくそんなこと言えるわけだから、それだけの関係を築いていると考えていいだろう。となると、やっぱりA子さんと波多野との間には“何か”があるということだ。
 ったく三好さんがポンコツなのはもう大昔からだから慣れっこだけど、そこに波多野まで加わるとややこしさ1000パーセントで頭痛いわホント……とむしゃくしゃしながらも、おいしいお肉をもぐもぐする私……。っていうかこのお店すごいイイな……雰囲気も最高にいいし、何このお肉めっちゃおいしい最高……。
 A子さん企画なわけだからあの人がこのお店に決めたんだろうけど……のコーディネートからお店選びまでホントにセンスいいな……エリート臭が鼻についてしょうがねえよ……。私もと遊ぼうって時には進んで計画するけど、こんなシャレオツなお店……。

 ちょっとジメジメし始めたところへ、がにこにこと「次は三好さんとえい子さんのお話、ぜひ聞かせてください! えい子さんから聞かせてもらったんですけど、お二人、一緒にドイツに派遣されたことがあるんですよね? その時のこと、とっても興味があ――」……最後まで言い切ることはできなかった。
 三好さんが静かに席を立って、それはそれは冷たい目をしているからだ。

 「語ることなんて何一つありません。……さん、帰りましょう。お送りします」

 「……え?」

 「あら、どうして? ちゃんが聞きたがってるっていうのに……そんなに嫌なの? 私とのことが彼女に知られるの」

 A子さんの言葉にどきりとするが、三好さんは薄く笑っている。

 「それはあなたのほうではないんですか? 僕にやましいことは何一つありません」

 「私もやましいことなんて何一つないわよ。三好くんが一番よく知ってるじゃない。……でも、自分のためだけに軽々しく嘘を吐くような男だってこと、あなたは知られたくないんじゃないの?」

 ぴくりと眉を動かすと、三好さんは静かに腰を下ろした。
 ……え、何、何それ……。
 私は今更三好さんのへの気持ちを疑う気なんて一切ないし、三好さん本人が言っていた通り……A子さんには悪いけど、彼女は本当に形だけの恋人であったし、それももう過去のことだ。
 実際どういう付き合い方をしていたのかは分からないけれど、大人同士のことだし、過去は過去なので別段ああだこうだと言う気もない。
 でも、A子さんの挑発的な言葉に、三好さんが大人しく折れるようなことをするとなると……不安になるなというほうが無理な話だ。
 三好さんは静かな声で、「……ドイツでの、どんな話を聞きたいんです?」と言った。
 私同様、も不穏な気配を感じ取ってだろう。
 「え、あ……」と困ったように眉を下げる。
 A子さんはにこにこと微笑んでいて……波多野は何も言わずに肉食ってるからのんびりしてんじゃねえぞボケナス……ッ!! とフォークねじ曲げそうになるのを堪える。

 「ねえちゃん、今日はプライベートよ。仕事の話なんてつまらないじゃない。わたし、ちゃんのこともっとよく知りたいの。あなたの話を聞かせてちょうだい」

 A子さんのその言葉に、やっと波多野が口を開いた。

 「……の何を聞きたいんですか? センパイ。線引きはしっかりしてくださいね」

 ……これは……と考える間もなく、A子さんが「……そうね。波多野くんの言う通りだわ。じゃあ答えたくないことには答えなくていいから、質問させて。そのくらいならいいわよね? ね、ちゃん、だめかしら?」と言うので、慌てて「いっ、いえ! なんでもお答えします!」と答えたに頭を抱える……何言い出すか分かんないんだよA子さんはまったくちゃんは人を疑うことを覚えなさい素直かよ……。
 まぁあのテーブルの水面下で起こっている問題なんて、はちっとも知らないわけだからしょうがないんだけど……。
 A子さんが笑う。

 「うふふ、嬉しい。じゃあ、次のお休みに予定はある?」
 「え、いえ、特には……」

 首を傾げるに、A子さんは綺麗な微笑みを浮かべたまま言う。
 ……この何もないんです純粋な気持ちで気になったから聞いてるだけです〜〜っていう感じ、ホンット疑わしいとしか言いようがない。
 が“呼び出し”をくらった日からこれまでのA子さんの動きからしても、疑うことしかできないのは仕方ないと言わせてほしい。もちろん何かを企んでるっていうのは分かってるわけだけど、その企みの正体ってやつが分からない以上はすべてを疑ってかかってちょうどいいくらいとさえ、私は思っている。
 なので「ならわたしと映画を観に行きましょうよ。ちゃん、ヒューマンドラマってどうかしら。働く女性がテーマなんだけど、素敵な内容よ。どんな困難にも果敢に立ち向かって、成長していくっていうお話」とかいうA子さんの“お誘い”に関しても、私は思わず眉をしかめてしまう。
 しかし純粋で無垢なちゃんは人を疑うってことをしないので、ぱあっと可憐な笑顔を浮かべるのである……。

 「いいですね! そういう勇気づけられるお話、とっても好きです。それに女性が主人公のお話って心理描写が――」

 に最後まで言わせることなく、しかしドーンと構えてる感じすらするゆったりとした口調で、三好さんが言った。

 「さんには困難なんて存在しませんから、まったく参考にならないテーマですね。何せこの僕が上司ですから。そうですね、さん」

 ……三好さんが仕事をしている……(感涙)……。
 ポンコツであることには変わりないんだけど、最近はちょいちょいイイ仕事するようになってきてる……。そう、そうなの、この場でA子さんにいいようにされたらだめなのよ……。
 ま、まぁ三好さんの仕事……それをがどう受け取るかはホラ……別としてね?? この場ではA子さんの隠し持ってる“企み”の正体を掴んで、それをどうにかこうにかぶっ潰すことが目的なわけだから……後々にきちんとフォローするとして、波多野のクソガキもいるわけだし、何も手出しできない私たちの代わりに、三好さんが頑張るしかないわけだ。……フォ、フォローはするつもりだけど、フォローできる範囲内でお願いしますねとは言っておきたいけどなッ!! あの人マジで斜め上だからッ!!!!
 どうしたもんか……と思いつつも、やはり見守るしかできることは……と考えていると、波多野が「、映画なら借りてきて家でゆっくり観よう。向こうで忙しかったから、こっちの映画なんてずっと観てないんだ。おもしろいやつ教えてくれよ」とに笑顔を向ける。
 ……そういういかにもな理由つけてちゃんのお部屋にお邪魔しようとかいう邪な考え見え透いててホント腹立つし絶対ジャマしてやるから覚えとけよ……と拳を握る私。ホント、アイツに関しては私何も許さない構えだから(笑顔)。

 「え、えっと、」

 なんて答えればいいんだろう……というのが隠せてないちゃんが素直すぎてかわいい……うちの子ホント天使ってみんなに自慢したいし、それについて完全に理解してくれるであろう神永さんと田崎さんが一緒なのでものすんごい語り合いたいところだが、今はそんな場合じゃないので自粛するわツライけどな……。
 はあ、と思わず漏れ出た溜め息だったが、A子さんの次のセリフにはホント今はそんな場合じゃねえと背筋をピンと正した。

 「三好くんて昔からそうね。女性の繊細な心や感情の機微なんて、ちっとも構いやしないんだから。それで随分と苦労してきたわ。……ね、ひどいと思わない? ちゃん」

 A子さんの言葉に、波多野がなんてことないように同調する。

 「それには同感ですね。は根っから真面目で優しいもんだから、ずっと向こうで心配でしたよ。三好センパイにいじめられて泣いてんじゃないかって」

 はザァッと顔を青くして、小声で「は、波多野く……!」と声を震わせた。
 ……確かには三好さんにいじめられてたけどそれは(歪んだ)愛情表現であって、三好さんはを嫌ってるどころか大好きだからアンタが割り込む隙とかまっっっったくない上に…………このシーンで三好さん煽るとか余計なことすんな三好さんはのこととなると暴走機関車になっちまうんだよ刺激すんなクソガキ……と私の心も色々な感情によって打ち震える……。
 そこへ三好さんが緊張感のある声で「……さん」とか静かに言うのでヒヤッとしたのは言うまでもない……。
 は青い顔のまま、震えた声のまま、一生懸命に――。

 「い、いえ! そ、そんなことちっともないです! み、三好さんはいつも、し、親切、に……ね、熱心に……あの……」

 …………あぁ……(頭抱え)。分かってたけども……分かってたけども三好×推しの私には辛すぎる現実……。
 ――が、そちらに気を取られてもいられない。
 A子さんが妖しく笑って、「じゃあ次の質問ね」と言ったからだ。
 一体何を言い出すんだこの人……と落ち着かない気持ちになると、A子さんは容赦なく爆撃かましてきた。

 「ふふ、ちゃんにとって……三好くんて、どういう人? どんなふうに見える?」

 A子さんの言葉に、は思わずといった感じで小さく「え、」と呟いた。
 そこへ波多野のヤローが「、プライベートでのことなんだ。職場にまで持ち込んだりしない。……そうですよね、三好センパイ」とかまたクソ生意気なこと言うので、さすがに三好さんも何かしら(意味深)をアレしてしまうのでは……とハラハラしたが、意外にも――というか、こういう場面での三好さんではありえないと言っても過言じゃないほど落ち着いていて、特になんともない様子で一言。

 「どうぞ、率直に」

 は難しい顔をして――それから意を決したように、「……みっ、」と口を開いた。
 ……にとって三好さんというと……う、ウン、ほら……アレだから……なんて言えばいいか分からないというか、一生懸命に言葉を選んだとしても何かしら嫌味なこと言われるんじゃないかと警戒するのは仕方ないか……と眉間に皺を寄せたが、ははっきりとした口調で言った。

 「――三好さんは、誰より仕事熱心で、誰より広く周りを見ることのできる人です。それから、どれだけ失敗しても、最後までフォローしてくれますし、同じ失敗を繰り返さないように何度でも根気強く指導してくれて……」

 ぴくりと、三好さんの眉が動いた。
 お、おや……? おやおやおや?! と思わず勢いに乗って立ち上がってしまいそうだったが、ちゃんはどこまでも真っ直ぐな子であるから……期待を……裏切らないんだ……。

 「どんな人と比べたって最高の、本当に素敵な――上司です!」

 ……ほらね……?
 ウッ、分かってても、分かってても期待しちゃうのはごめんそれだけ三好×にすべてを懸けてるの私……。
 けども私が望むようなかたちでは期待を裏切らずなうちの子は……ウッ……分かっててもやはり……私の、望む、ような、裏切りというのを期待したっていいじゃない……今のところ裏切ってくれる気配まったくないんだからせめて夢くらい見させて……とハンカチを噛みしめるが、A子さんの爆撃は続く。まさに息を吐く暇もない、という具合いに容赦ないので、もうこの際だからあのテーブルへと突撃してったほうがいいんじゃないかとすら思ってきた。
 だってさ……?

 「……ふふ、そう。最高の“上司”……随分と慕われてるわね、三好くん。仕事一辺倒なあなたには最高の賛辞ね。だからこそ“恋人”にするにはちょっと向かない人なのよ。そう思うでしょ?」

 どういう心情でそういうセリフ出てくる?! っていう。
 口調はとても落ち着いていて、しかも優しく微笑んでいるものだからテンション分からなくてめちゃくちゃ怖い。
 なので、が慌てた様子で「えっ?! ……え、えっと、そ、そうですね、えーと……」と口ごもるのも仕方ないことだ。
 しかし私は何度だって自信を持って人に自慢して回れる……うちの子は天使(真顔)。

 「でっ、でも、それだけの人と対等にお仕事ができるえい子さんですから、やっぱりお似合いだと思いますよ! 仕事でも恋愛でも対等でいられるって、最高のパートナーじゃないですかっ! は、波多野くんもそう思うよねっ? ねっ?」

 きゅっと口元を引き締めて、波多野の目を見つめる……。相手が相手なので腹の底がぐつぐつと煮えたぎるのは当然だけど、うちの子が最強無敵のこの世の奇跡であることには変わりないわけで何を言いたいかというとフェアリー。
 失礼したらダメだし、クソガキ波多野も一緒だから……き、気を使ってるんだよね!! 別に波多野のためじゃないけど!! 一生懸命なちゃんはやっぱり神様の最高傑作であるとしか思えない……。
 うちの子はやはり尊い……と拝んでいると、クソ生意気な波多野が「そうだな。やっぱり恋人関係にはバランス感覚が必要だ。俺もそう思う。はうまくやっていける女だな」とか言って、優しくの瞳を見つめ返す。……いつかアンタの本性ブチまけてやるからな……。
 けど、つまりは現時点ではちゃんは波多野のクソ生意気でクソ腹立つ本性なんて知らないわけなので、ほんのりと頬を色づかせる何あれただの天使じゃん……。

 「ええ、そんなことないよ、わたし苦手なこと多いの知ってるでしょ、波多野くん……」

 ふにゃっとかわいい笑顔を浮かべるを見て、A子さんがすぅっと目を細めた。
 ……いよいよ、いよいよヤバイぞ……なんでって「うふふ、三好くん相手じゃ、特にちゃんみたいな女の子はどうあっても付き合っていけないわね。あなた、とっても純粋な子だから」という意味あり気なセリフに加えてあの微笑み……。冷水ぶっかけられたような心地だ……と体を震わせたけれど、ちゃんはブレずに天使……その上……は、波多野なんぞににこにこ笑いかけて……。

 「あはは、えい子さんてば何言うんですか? もちろんわたしなんかじゃ三好さんとお付き合いなんてありえませんよ〜。ね、波多野くん」

 三好さんにはとんでもねえダメージッ!!
 波多野が口端をくっと持ち上げて、「仕事一辺倒の、しかも“上司”、だからな」と言ったかと思えば、すぐに上辺だけの胡散臭い笑顔をに向けて、「でも、そんなの三好センパイに限った話だろ。だから、『わたし“なんか”』なんて言うな。俺はおまえのことが好きだ」とか……マジでこの問題が解決したら遠慮なくメタメタにしてやるからな……と、どう始末するか考え巡らせようと頭を働かせそうなところで、はやっぱり天使なんでなのなんで波多野みたいなクソガキ相手に……ッ!!

 「ふふ、わたしも波多野くん大好きだよ。いつも助けてくれてありがとう」

 「おまえのためならいくらでも手を貸すって言っただろ。……それに、これからはずっと一緒なんだ。頼ってくれよ」

 「んー、でも波多野くん、そうするとわたしのすること全部取っちゃうんだもん」

 「そうか?」

 「そうだよ!」

 ホント波多野だけは絶対許さないから……。
 A子さんはもちろん問題だけど、波多野も波多野でこの件だけでなくとも問題であるからして……と歯ぎしりしていると、A子さんは口元に手をあてて控えめな微笑みを浮かべ――たのは一瞬で、すぐに意地悪そうな声音で言い放った。

 「うふふ、本当に仲が良くて羨ましいわ。……ね、三好くん」

 静かだった三好さんが、「……その波多野が留守の間は、僕がずっとそばにいました」と淡々と言う。
 それに対して波多野が「そうですね、でも帰ってきたんでもう問題ない。今まですみませんでしたね、センパイ。がご迷惑おかけして」とか煽っていくので、いくらなんでも……と心臓の早鐘ヤバイ。
 は三好さんの様子を窺いつつも、「そ、そんなにたくさんは……」と小さく呟いたが、「さん」という三好さんの呼びかけに大きく肩を跳ね上げた。

 「あっ、はいっ! すみませんっ、み、三好さんにはいつもご迷惑ばかりおかけしてっ、」

 今までで染みついた反射だね悲しいことに……。
 が慌てて頭を下げたツライ……。
 私も思わず俯いたが、三好さんの言葉にハッと目を見開いた。

 「あなたはよくやってくれていますよ。さんは優秀です。僕の部下ですから」

 が震えた声で、「……み、三好さん……ほ、ほんとうに、そう思ってくれてますか……?」と遠慮がちに言う。
 ここで、今日初めて三好さんが優しく微笑んだ。

 「もちろんです。僕があなたにとって最高の上司であるなら、あなたは僕の最も優秀な部下ですよ。一番に可愛くて、一番に大事な存在です。いつまでも僕のそばにいてくださいね」

 「は、はい!」


 ――という感じに、あちらのテーブルは頭痛しそうだし胃もヤバイし何度ヒヤッとすればいいの?? という状態であるわけだが、とりあえず言わせてほしい。

 「……なんっで仕事の話ではうまくいっちゃうの?! プライベートなんだからプライベートでのイイ感じの話しよッ?! ほらっ! あのデートの話とかさッ?!?! 三好さんにしてはいい仕事だけどもうちょっとだけ方向変えてくれよそういうのはッ!!!!」

 初めに言っていたように、静かに、ひたすらじっと様子を観察していた神永さんと田崎さんだが、ここへきてやっと口を開いた。
 神永さんは何を考えてんだか分からない表情で、「今に始まったことじゃないだろ、あの二人が噛み合わないのは」と言ったかと思うと、鋭い目つきで言葉を続けた。

 「……それにしても、なるほどな。うまいこと共闘してるな、あの女と波多野。まぁお互い、牽制し合うところはあるようだが。――田崎、どう見る」

 神永さんの言葉を受けて、田崎さんはすっと目を細めた。

 「この調子なら、今すぐ事が動くわけでもないだろうな。ただ、あのテーブルにおいて、何も知らないのはさんだけだ。誰が初めの一手を仕掛けるかで、どうとでも転がる。それは全員が分かっていることだ。そして、そのタイミングと内容が大事なのはもちろんだが……この場合、極論を言えば真偽はどうだっていい。さんが信じるか信じないか、それだけだ。つまり、一番手が彼女の中のどの立ち位置にいるかが重要になってくる」

 エリートの言うことにはいちいち重みがあるし、しかも田崎さんの分析となるともう絶対的な信頼を抱かずにはいられない……。
 まぁとりあえず、現状はこうだ。

 「……つまり三好さんは土俵外で波多野とA子さんによるそれぞれのソロパートが続くってことですねオッケーですマジであの人使いモンにならねえな……」

 暴走してないところは救いだけど、三好さん次第ってことになるのにどうにもならないじゃん……と溜め息を吐いたが、田崎さんの次の言葉には色々とどきりとした。
 にこりと笑う田崎さんに何も思うなとか無理だから(真顔)。だってこの人の正体って神だよ??

 「……さぁ、それはどうかな。相手の――あの女のことは、三好が一番よく知っているはずだからね。持っているカードの予想もできてるだろう。それに、何よりも大人しくしている理由がない」

 ただ、三好さんだからな……と心配するなというのも無理な話なわけで……。

 「……それ、ジョーカーだったりしませんよね?」

 私が難しい顔をすると、田崎さんの唇が緩くカーブを描いた。

 「たとえジョーカーを引いたとしても、悪いことばかりじゃない」
 「……駆け引きできますか? 三好さんが」

 私の不安を感じ取っているはずなのに、田崎さんは笑顔を崩さない。しかも「さんを前にすると、後先考えられない節があるようだしね。どうだろう」とか更に不安を煽ってくるので結局どうしたら……と頭を抱えると、田崎さんはきっぱりと言い切ってみせた。

 「……でも、俺の知ってる三好は――ジョーカーをうまく扱う男だよ」


 ――食事はその後も表向き和やかに終わり、外へ。

 「……楽しい時間は過ぎるのが早いですね。もういい時間だ」

 腕時計をちらりと確認して、三好さんは静かにそう言った。
 A子さんも同じようにすると、にこりと微笑む。

 「あら、本当。……ちゃん、波多野くん、今日はどうもありがとう。とっても楽しかったわ。またお食事しましょう」

 A子さんの言葉を聞いて、は嬉しそうに「いえっ、こちらこそ貴重なお時間をありがとうございました! ぜひまた」と明るく応えた。
 その笑顔を見て、今思いついたというような顔でA子さんが「ふふ、嬉しい。――そうだわ、ねえ、ちゃん。明日は何か予定がある?」と首を傾げたので、私は嫌な予感っていうのは大体外れないもんだとげんなりした。

 「? いえ、特には」

 「それならわたしの部屋へ泊まっていって! ここから近いのよ。波多野くんと二人でいるところを見てたら、もっとお話ししたいことができちゃった。……女同士のお話。だめかしら」

 は戸惑った表情を浮かべながら、「えっ、と、突然おうちにお邪魔するなんてそんな……」と言いながらも、言葉を探すように視線をさまよわせている。
 ヤバイな……流されちゃいそうだ……と唇をきつく噛むと、三好さんが口を開いた。

 「またの機会にしたらどうです? 秘密のおしゃべりは結構ですが、さんはあまりアルコールに強いほうではありませんから、翌日に響いたらかわいそうでしょう。波多野、きちんと送っていけよ」

 ……なんなの? どうしたの???? 三好さんちょいちょい仕事してたけど大人しすぎて、これは落ち着いてるとかいう話じゃない……。
 逆にざわざわと不安を覚える私だったが、ま、まぁ暴走機関車にならないだけとてもありがたいと思うべきか……。
 しっかし波多野が苦い顔してるとこは最高だな?? アッハハハ! ザマァッ!!

 「……言われなくてもそうしますよ。、今日は結構飲んだし、家できちんと休んだほうがいい。迷惑かけても悪いだろ?」

 は申し訳なさそうに眉を下げながら、「……すみません、またの機会でもいいですか?」と控えめに言う。
 一瞬のことだったが、A子さんがにこやかな表情を歪めたのを私は見逃さなかった。
 しかし、本当に一瞬のことで、今はもう人の良さそうな笑顔を浮かべている。

 「気にすることないのに……。でもそうね、せっかくなら楽しい時間を過ごしたいもの。ちゃんが万全の時がいいわ。それじゃ、今日はお開きにしましょうか」

 ……とりあえず、今日はここまでか……とそっと息を吐きそうなところへ、A子さんが「……けど」と言葉を続けたのでヒヤッとした。
 読めない表情で、A子さんは続ける。

 「意外ね。自分が送るって聞かないと思ったのに、波多野くんに任せるの? かわいい“部下”なのに」

 ……か……完全に煽ってる……全力で煽ってる……(震え声)。
 恐る恐る三好さんの様子を見てみると――ちっとも気にした様子はなく、むしろ何の裏もないですとでもいうような微笑みを浮かべながら、「ええ、もちろん。僕はあなたをきちんと送らなくてはいけませんからね」と優しい声音で言った。
 けれど次の瞬間、いつぞやに見たあの顔をした。薄らと微笑むその表情は恐ろしい。冷たく凍った声は私に向けられたものではないのに、怖くてたまらなかった。何をどうするつもりか、何を考えてるんだかなんて分からないが――この人はどこまでも冷酷になるに違いないと、私は確信を持ってしまった。

 「……ジョーカーを持っているのは僕だ。あなたがそうやって“意地悪”を言ったところで、なんともありませんよ。引きたいのであればどうぞ? 僕は構いません」

 「うふふ、ごめんなさい、長く離れてたものだから……つい、試したくなっちゃった」

 しかし、臆することなく、本当に何かを試すかのようにA子さんは笑う。
 これ以上はちょっと、見ていられない……と思うと、波多野の「さ、帰るぞ、」という声に少しばかりほっとしてしまったムカつくけど。

 「うっ、うん……! えっと、それじゃあ、失礼します」
 「また一緒にお食事しましょうね」
 「ぜ、ぜひ! 今日は本当にありがとうございました」

 波多野に手を引かれて遠ざかっていくの背中に、A子さんが「……またね、ちゃん」と呟いたのが聞こえた。


 ――で。
 今後我々はどういう行動を取るべきなのかっていう話になるわけですが。

 「……何か駆け引きってありました……?」

 ――っていう。
 解決策というものは一切見えなかったし、ヒントを得られた感じもしない。……どうすんの?? としか言いようがない結果で、私はこめかみを押さえた。
 すると田崎さんが肩を揺らしながら笑って、「ふふ、三好も案外冷静だな。……あの様子なら大丈夫だよ」なんて言うもんだから困った。

 「え、で、でも特に何かしたっていう感じじゃ……」

 今度は神永さんが、なんてことないように「いいんだよ、あれで。駆け引きは必要じゃないんだからな」と言うと、煙草に火をつけた。
 …………いやいやいや!!!!

 「はっ?! それじゃあ何も解決しませんよね?! どうすんです?!?!」

 この追跡まったくの無意味じゃん!
 どうすんのどうすんの〜ッ!! とその場にしゃがみ込んだ私の頭上に、落ち着き払った声が降ってくる。

 「これは駆け引きをし始めたやつから抜けてくシーンだったんだ。いつもの調子じゃ何かやるんじゃないかと思ったが……三好には確実な勝算がある。確認できてよかったな。俺たちも安心して好きにできる」

 「だからちょっと待ってくださいよ! 抜け出た人が勝ちでしょ?! どうすんです?!?!」

 勢いよく顔を上げて噛みつくが、神永さんはやっぱりなんてことない顔をしているし、田崎さんは笑顔のままだ。
 なんにも解決してないどころか解決の糸口さえ掴めなかったのに、何を悠長な……! と拳を震わせる私に、田崎さんがすぅっと目を細めた。

 「――ルールを変えるんだよ」

 思わず呆けた声で「……はい?」と漏らして首を傾げた私に、田崎さんがどういう魔法なんだか未だに分からないが、ピッとカードを見せてきた。もちろんというか、やっぱりジョーカーである。
 田崎さんはゆっくり唇で弧を描くと、何も難しいことはないとでもいうような口調で言った。

 「三好はもう、あの場でプレイヤーとルールをすべて把握した。つまり、現状の構造が見えているってことだよ。中身が見えているなら、何をどうすればいいのか、答えも見えているってことさ。要するに、都合の悪いところはもちろん、自分に有利な点も。それなら――自分の持っている手をたった一つの勝ちに、ルールを変えてしまえばいい」

 ……クエスチョンマークしか出てこないのは私だけじゃないと思いたい……。

 「……い、意味分かんないッス何それどういうことです……たった一つの勝ちって、ルール変えるってそんな……」

 ――というか、どんな問題に対してもたった一つの答えなんてものを好きに作り出せんなら、何事においてもそれは“問題”って呼べないんじゃないですかね……そんなことできるんなら世の中に“問題”というものはそもそも存在しないといいますか……。
 何言ってんだどう考えたってそんなん無理に決まってる……。
 ……もうできることはない……ここまでか……とぼんやり遠い目をしそうになったわけだが、神永さんのはっきりとした「できる」という言葉にはさすがに反応せざるをえなかった。
 だ、だってそんなの無理でしょと私は何回だって――と口を開こうとしたが、神永さん、おまけに田崎さんまでがこんなにも自信たっぷりな目をしている。口をあんぐりさせる以外に何がある????
 神永さんがニッと笑う。

 「きみは聞いたはずだろ? 三好は言ったよな、他の誰ができなくとも、自分にはできるって。ま、それがどういうルールになるんだか、それにおいて何がたった一つの“勝ち”になるんだかはさすがに分からないけどな。とりあえず、三好があの調子なら問題はない。けど、おもしろくない状況であることには変わりないわけだから、俺も田崎も仕事はするよ。っていうわけだから、この問題はもう解決だ。俺たちも解散しよう」

 ……まぁ自信満々な目をされたって詳細分かんないのに安心できるわけないんだけどさ!

 「……待ってホント意味分かんないから解説しよう?? 凡人にはお話難しすぎて理解不能だから解説しよう????」

 田崎さんも平時と変わらず落ち着き払っていてますます意味が分からない。

 「あはは。まぁ明確な解答はあの三人にしか出せないよ。けど、確実な正解は分かったから大丈夫だってことさ。――そのうち、解答が分かる時がくるよ。一体なんだろうね」

 笑い事じゃないんですけど?? と思いつつも、もうこう言う以外にない……。

 「……お、オッケー、理解不能だけど神とカンストがそう言うなら了解。余計なことは考えません頭痛くなってきた……」






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