私はその日の到来を強く強く願って、誰よりも誰よりも深く祈ってきた。毎日のように――というか毎日――神様に乞いながらも、もちろん自らも積極的にその夢を叶えるべく行動してきたのだ。つまり何が言いたいのかというと、私の夢がついに叶ったのである。とりあえず今言いたいのはたった一つこれだけ。

 「ううっ、ひっ、く、うああ〜ッ! 信じらんない信じらんないなんでなのッ?!」

 私は堪え切れない感情をなんとか制御しようと様々なこと――ヤケ酒ヤケ食いはもちろん、カラオケから始まりバッティングセンター通いまで――を試みたがどうにもこうにもならず、こうして何度となくお世話になってきた会社の屋上に、神永さんという名の三好さん係(しかもお兄ちゃん枠)を呼びつけたわけである。
 何度も自分の太ももに拳をぶつけながら、私はとにかく惜しみなく涙を流すこと――そしてなんとも表現しがたいこの感情をひたすら吐き出すことに忙しいわけだが、神永さんはそんな私の様子を見て今日もニコチンという名の毒物を容赦なく自分の肺にブチ込みつつ、煙と一緒に呆れた溜息を吐いた。
 なんなのこの人私の話聞く気あんの?? なくても聞いてもらえます?? じゃなきゃ呼んだ意味ないからッ!!

 「きみはそれを何度繰り返したら気が済むんだ? 彼女と三好が付き合うことが夢だったんだろ。何が不満なんだ」

 私はワァッ! と顔を覆った。
 神永さんの言いたいことは分かるもちろん分かってるというか誰より私自身が一番よく理解してる。
 でもね? 感情っていうものは自分の意思のみでコントロールするってことが難しいモンなの……っていうか今この瞬間もかわいいうちの子は三好さんと一緒にラブラブしてイチャイチャしてるわけよね……? 最高なんだけど、最高なんだけどさ??

 「そりゃそうなんですけど〜ッ!! い、いざ三好さんがうちの子と付き合うとなったらね?! 嫁いじゃうとなったらねッ?!?!」

 これ。ホンこれ。ホンマこれ……。
 そりゃあ私は三好さんとうちの天使がお付き合いして、そんでもってラブラブしてイチャイチャしてるとこをたっぷりと拝みたい、そのためなら何ものにも打ち勝ってみせる……ッ! と固く決心して、その通り何ものにも負けはせずに勝利だけを重ねてついに夢を叶えたわけだけどね??
 でも、なんていうか…………言いたいこと分かるでしょ?!?!
 もうハンカチを強く噛みしめることで色々抑制できるんじゃないかと思いついた私は早速それを実践したが、やっぱりうちの最強無敵の神が遣わしたこの世の希望が三好さんと並んでにこにこしてる姿を思うと……嬉しいんだけど、最高なんだけど……さみしいのはもちろんそれ以上に悔しいんだよッ!! 萌えといてなんだけど悔しさが勝る瞬間が確かにあるんだよッ!!!!
 ……ツライ……。
 私の夢を神様は叶えてくださったけど、私も私でたくさん努力してきたんだからその辺りを考慮してだな……とティッシュ(オフィスから箱ブン取ってきた)をざっざか引っ張り出して勢いよく鼻をかむ。
 神永さんの吐き出す煙は薄く灰色がかっていて、まるで私の心のようね…………ヤバイそれを思うとこの晴天が憎すぎて頭おかしくなりそう(真顔)。

 「まだそんな話にまでなってないだろ。大体この先ずっと、それこそ結婚まで三好がこぎつけることができるか分からないぞ」

 …………もしも三好さんがうちの子をフッたとしようか????

 「ッは?! うちの子もらっといて結婚しないとか舐めてんの?! 責任取るのは当然でしょ神永さんケンカ売ってんですッ?!?!」

 神永さんは疲れたような顔をして、「結局きみは三好と彼女がどうなればいいんだ? まったく分からん」と言うと、煙草を灰皿に投げ入れた。
 私は勢いよく立ち上がって、ダンッ! とコンクリートを思いっきり踏みつける。

 「だっから私は二人のイチャイチャしてラブラブしてるとこ見たいんだっつってんでしょ!!」

 「それじゃあいい加減に泣きやんでくれるか? めでたく二人はイチャイチャしてラブラブしてるんだ、それでいいだろ」

 ……確かにそうだよ……そうなんだけどッ!! でもさ今まであの子のことは私がずぅーーーーと守り続けてきたわけでさ? それを三好さんみたいなポンコツに一任して安心して――それでじゃあもう私の役目はこれで果たされたのね……! みたいなこと思うわけないでしょ神永さんバカなのッ?!?!

 「…………でもうちの……うちのかわいい子が……うちの天使が…………あ゛あァアア嬉しいけど嬉しいんだけど無理ィイイィ!! どうせ三好さんのことだからずーっと独占してたくて私とうちの子の二人っきりの楽しみ金曜のお約束すら邪魔してきますよッ!! 無理!! そんなの無理耐えらんないッ!!!!」

 神永さんは新しく煙草を一本取り出して、ゆったりとした動作で火をつける。

 「きみはなぁ……。……いい加減、彼女に付きっきりは卒業したらどうだ? せっかくカレシができたって、親友のきみがその様子じゃあデートだってできやしないだろ」

 …………。

 「……三好さんとうちの子が……デート……? ……うちは門限は九時です」

 「きみは彼女の親友であって母親じゃないだろ。というか、母親だってそんなことは言わないぞ。バカかきみ」

 いやだって三好さんって女の子サラーッと落としちゃうとかいう技術あるわけでしょ?! まぁうちの子相手に披露する機会なんてなかったけど実際はプレイボーイだって言ってたでしょみんなしてッ!!
 つまり私の言いたいことはコレ。

 「いやァアアァ〜ッ!! うちの子は天使なのッ!! 穢れない天使なのッ!!!!」

 崩れ落ちる私に、神永さんが「ハイハイ分かった、分かったから落ち着け。……で、きみは?」と言う。
 まったく意味分からん上に今私は忙しいので、「はい?! なんですッ?! 私は今三好さんに対するありとあらゆる感情で色々――」と犬をあしらうように片手をシッシッと振ったわけだが、次の言葉にはそういう思考が一瞬停止した。

 「カレシ、いらないのか」
 「……は?」

 思わず眉間に皺を寄せた私に、神永さんはなんともない調子で続ける。

 「あの子はきみの望み通り、三好と付き合うことになったわけで……きみの言う通り、三好は彼女をなかなか離しやしないだろ。なんせ、ここまでくるのに随分と時間がかかったわけだからな」

 「やっぱケンカ売ってます?!?! カレシなんざいりませんよ邪魔くさいッ!! 私はね? 今までずーーーーっとあの子を様々なことから守り続けてきたんですッ!! 三好さんに何かされたらどうすんですッ?! そういう緊急時に私はすぐ駆けつけてあげたいんです。カレシ? 邪魔ッ!!」

 カレシッ?! カレシとかそんなのただの足かせという以外に何があるの?!?! と鼻息荒く言う私に、神永さんは肩を竦めた。

 「俺ならきみのそういう事情にも理解があるし、必要なら協力もしてやれる。そして何より、きみが言ってた通りに俺は社内で一、二を争うイケメンときた。安定のカンストした彼氏力もある。どうだ? これ以上はないってほどのイイ男だろ」

 …………はァ????

 「ッはァ? 神永さん、アンタ何言ってんです?? 私と神永さん?? ないない、どう考えてもナイ。神永さんと付き合うとかツラすぎ無理」

 アッハハハ! と大笑いする私に、今度は神永さんが眉間に皺を寄せた。

 「おい、何もそこまで言うことないだろ。……そもそも、どうしてそう言えるんだ? きみが俺を好きになることが絶対にないと言いきれるのか」

 いや、こっちから言わせてもらえばね? そもそもアンタはなんでそんなこと言い出したの?? っていう話だから。
 ふぅ、と溜息を吐いて「だってないモンはないですもん。神永さんみたいなイケメンと、しかも社内のあちこちにファンまでいる人と付き合うとかしんどすぎ。無理」と鼻で笑う私を見て、神永さんは煙草を灰皿に放った。

 「周りのことは関係ないだろ。きみが俺を好きになることがありえないってことを、100パーセント証明できるものはあるのかって聞いてるんだ」

 随分としつこいなぁと思いながら、「証明しろったって……とにかくない。無理。っていうか急になんです? 気持ち悪いな」と言った私に、それはとんでもない衝撃だった。

 「きみを好きだって男に、随分と冷たいな」
 「…………はい?」
 「きみが好きだって言ってる。今まさに口説いてるだろ」

 少しばかり黙って、静かにゆっくりと頭の中を整理した私は、「…………どっかに頭ぶつけました??」と当然のことを言ったのに、神永さんは一瞬苦い顔をしてみせて、「そんなバカを俺がすると思うか? きみがあの子を三好に任せてる間、きみには時間があるだろ。その時間を俺にくれ」とか言う。

 ……ん?

 「えっ、暇つぶしに付き合ってくれるんです? なにそれ最高」

 「きみは暇つぶしで男と付き合えるほど器用じゃないだろ。真面目に真剣交際ってやつをしようって言ってるんだ」

 ひくりと口元が痙攣した。

 「……ヤバイ神永さんが壊れたヤバイ。びょ、病院行きましょう! 付き添ってあげますから! ね?!」

 「きみは人の話を聞かないな、まったく。どこも壊れちゃいない、三好じゃないんだから」

 「アッハハ! ザマァッ!! 常に競い合ってる同期にディスられてやんの〜。三好さんやっぱポンコツ〜〜」

「……三好の名前を出したのが悪かったな。そういえばきみは、普通の女の子と同じに扱えない子だってことを忘れてた」

 あー、ビックリしたぁ〜。
 確かに神永さんってお茶目なところある人だけど、まさかこんな冗談言うとは思わなかっ「で、だ。俺はきみを真面目に――というのもどこか変だが、とにかく真剣に好きだ。きみが言うなら、俺の周りをうろつく女の子たちなんてどこへでも放ってやるし、三好とあの子のデートの追跡だって付き合う。それで、あとは俺とデートの一つや二つ、三つや四つしてくれればそれでいい」とかいやに真剣な目をして言うもんだから、今の私にはそういう冗談に付き合っていられる余裕はないので、「……いや、神永さん?? あのね、からかうのもいい加減に――」と不機嫌あらわに口を開いたのだが、最後まで言い切ることはできなかった。

 「からかってるように見えるか?」

 言いながら、しゃがみこんだ神永さんのクソ真面目な顔が近づいてくるので――。

 「み……見えません、すんません、だからちょっとあの、近いんで――オラァッ!!」

 みぞおちに一発キメた。

 「い゛ッ! き、きみなぁッ! 女の子なんだから、そんな勢いつけて、ひとの、みぞおちを、な、殴ったりな、」

 「うるせえな女の子に急に迫るほうがどうかしてるだろうがッ!!」

 私絶対間違ったこと言ってない。
 こんなタチの悪い冗談かますほうが悪いに決まってんだから。しっかし、今日の神永さんはホント頭おかしいどうしたの????
 神永さんはみぞおちをさすりながら、「分かった、俺が悪かった」と言ったくせに、続けて「……だが、きみが悪いんだぞ。こっちは真面目に口説いてるっていうのに、からかってるなんて言い様があるか?」とかまたアホを言う。
 はあ、と大きく溜息を吐いて、私は唇を歪めた。

 「いや、だってそんな真面目に私のこと口説くとか、どう考えたってないでしょアンタ神永さんですかホントに」

 「失礼だな。……まぁ、俺も正直、まさかきみみたいな可愛げのない女の子に本気になるなんてちっとも思いやしなかったが……仕方ない。好きになったほうが負けだ。俺はきみに頭を下げてでも、付き合ってくれと言うしかない」

 「三好さんに負けず劣らずな自尊心のかたまりのくせに、神永さんがそんなこと――えっ?! ちょっと待ったちょっと待ったアンタ何してんです?!?!」

 ちょっとした軽口というか、冗談には冗談をと思って言っただけなのに。

 「見て分からないか? 頭を下げてるんだが」
 「いや見りゃ分かるけど! 分かるけど!!」
 「言っただろ。頭を下げてでも付き合ってくれと言うしかないって」

 私はまた溜め息を吐いた。いや、そうする以外にどうしようもないでしょっていう。
 神永さんの茶色い柔らかそうな髪がふわふわしているのを見つめつつ、私は腕を組んでもう一度溜め息を吐いた。
 マジ何度溜め息吐けばいいの(真顔)。

 「……それでホントに頭下げる人います? バカなの?? エリートとか言ってただのバカなの????」

 完全にバカにしたケンカ売りにいってる私の言葉に、神永さんはこう答えた。

 「きみを好きになったおかげで、こうしてバカに成り下がったんだよ。きみのせいなんだ、責任取ってくれ」

 ザァッと背筋に冷たいものが走った。
 …………こいつァやべえマジで神永さん狂ってる……(震え声)。

 「あ゛?! 知らないですよンなことッ!! ほらっ! 頭上げてくださいよッ!!」

 若干裏返った声で言う私に気づいているくせに、神永さんは「きみがイエスと言うまではこのままでいる」とかマジ何度でも繰り返せる狂ってる……。

 「ッハァ?! 迷惑にも程があるな?!?! 嫌ですよなんで神永さんと付き合わなくちゃならないんです?! っていうかそもそも私カレシなんかいらないんですってば聞いてました??」

 「じゃあ、まずはデートしよう。それでどうだ?」

 「しねえよッ! 待って待ってマジ会話噛み合わなさすぎコワイ。しかもなんですかその仕方ないから譲ってやるよみたいな感じ!! 腹立つ〜ッ!! とりあえず頭上げてくださいッ!!!! じゃねえと頭ブチ壊すッ!!!!」

 私の言葉を受けて、神永さんはゆっくりと顔を上げた。
 真面目くさった顔しやがってマジなんなのコワイとしか言いようないですなんなの……。

 「俺ときみは“お友達”ってわけじゃないし、かと言ってただの“先輩”“後輩”でもない。だが、それなりにお互いのことを知ってる。となると、よりよく知るためには、まずはデートを重ねるしかないだろ」

 まぁとりあえず。

 「いや、私別に神永さんのこと知りたくないです」

 キッパリ言った私に、神永さんはすぐに「俺は知りたい」と返してきた。
 眉間に皺が寄る。エリートには“人の話を聞かない”っていう装備でもあるの? 三好さんだけじゃないの??

 「いやだから私は知りたくないです」
 「どうしてだ」
 「ど、どうしてだって……興味ないからですけど」

 神永さんはそっと溜息を吐いて、「……きみはずっと変わらず、俺の扱いってのがひどいな」としゅんとした声音で言った。
 言ったがしかし、次にはニッと笑った。

 「とにかく俺とデートしよう。ほら、あの子も誘って三好と俺、彼女ときみとでダブルデートだ。三好が不埒なことをしないか見張ることもできるし、彼女と遊べるってのは魅力的だろ?」

 「それいつもの追跡と変わんないじゃないですか」

 「いいや? デートだって言っただろ。コソコソ隠れる気はない。ひとまず真剣交際ってやつは待つ。だからその代わり、初めはあの子が一緒でも構わないから……俺に時間をくれ」

 もう呆れてしまって、「……私の時間、何に使うんです?」と投げやりに言うと、神永さんはにこにこ笑った。

 「俺のことを――男としての俺を知ってもらう。それから、きみも俺に教えてくれ。まだ俺が知らない一面があるだろ。……恋する女の子の顔」

 ……“恋する女の子の顔”(笑)。なにそれウケる(笑)。
 ――と思いつつ、そうは言わずにいる私って空気読めてるなぁと頭の片隅で思った。
 つまり脳みその活発に働いている部分はすべてこの状況に色々と割いているというわけである。

 「だっから私誰とも付き合わないし興味ないって言ってんでしょアンタいつから三好さん並みのポンコツに成り下がったんです?!?!」

 頭を抱えながらちらりと神永さんの様子を窺ってみると、やっぱりにこにこ笑っているので頭痛い……。

 「……はあ、大体ね、私が恋愛するとして、カレシになんてそうそう時間割きませんよ。今ちょうど出会いからお付き合いまでを描いた三好さんとあの子の創作本制作に忙しいし、今後は三好さんとのバカップルぶりを――」

 「俺も協力してやるって言ってるだろ。ま、気長にやることにするが……覚悟しておけよ。――ちゃん」

 ついにブチッと血管が旅立っていった……。
 前から思ってたけど、ホンットこの人私の血管ブチ切るのうますぎ殺す気かよ(真顔)。

 ――ていうか。

 「ッ馴れ馴れしく名前呼ぶんじゃねえうちの天使専用じゃ私の名前はッ!!!!」
 「ハイハイ、分かった分かった」

 絶対分かってないよね?! 分かってないよね?!?!

 「返事は一回でよろしいッ!!」
 「はーい」

 くそッ、これだからエリートさまってヤツは……と青筋立てている私に、神永さんはやっぱり笑顔のままに「……なぁ。今日は運良く金曜だ。きみはあの子といつものところだろ? 俺は三好と行くからよろしく。また後で、ちゃん」とか言って颯爽と屋上を出ていった。
 ……私? こう絶叫する以外になんかあるなら言ってみ??

 「〜ッだっから呼ぶなっつってんだろッ!!!!」






画像:十八回目の夏