涼しげな薄紫の瞳が、いつになく甘く溶けた色をして、わたしをじっと見つめる。

「……薬研くん」
「なんだ」
「あの……ち、近く、ないかな?」

 じりじりと、しかし確実に距離を詰められてしまったわたしは、いよいよ我慢できなくなって、薬研くんの肩をそっと押した。
 察しのいい薬研くんなら、絶対にわたしの気持ちも分かってくれただろう。なのに、しれっとした顔で「そりゃ近づいてるからな」なんて言って、わたしの手首をぐっと握ると、また距離を詰めてくる。

 ……だ、だめだやっぱり~~~~っ!!!!!!!!

「う、うん、話は近づかなくてもできるよね?」

「話はな」と短い返答の後、薬研くんがそっと顔を寄せてくるので慌てて視線を逸らしつつ、体をどんどん後退させていく。

 無理、無理なんだよ薬研くん分かってるでしょ……!

「待って待って顔が近いな~?!?!」

 一生懸命体を捩って、さらには顔を逸らすことまでしたのだが、やっぱり薬研くんはちっとも気にした様子なく、「口付けるにゃ近づかなけりゃどうにもできんだろ」と――。

「待っっっってねいまつるちゃんいますか?!?!?!」
「はーいっ! ぼくはいつでもおそばにいますよ!」

 スタッ! と軽快な音と共に、天井からいまつるちゃんが落ちてきた。そして、わたしと薬研くんの間に、まるで刀のような鋭さを持った手のひらを差し入れた。薬研くんはちらりといまつるちゃんを見上げて、口元を歪める。

「……おいおい、勘弁してくれよお嬢さん。今剣も、野暮ってもんだぜ? 金曜の夜は俺っちにくれるはずじゃなかったか」

 薬研くんの言葉に、いまつるちゃんはにっこりと笑顔を浮かべる。けれど、その赤い目はちっとも笑っていなくて、自分で呼んでおいてなんだけど……ちょっとゾッとしてしまった。

 いまつるちゃんは笑う。

「ええ、そうですよ。でも、ひめがおのぞみでないならはなしはかわります。さっ、ひめ! いきましょう! さんじょうのへやにしますか? それとも、いまにたんとうをあつめますか?」

 まぁそれでも、今はもう薬研くんとは顔を合わせていられない。気まずいということを抜きにしても、これ以上二人きりで同じ空間にいては、何がどうなってしまうのか。そう思うと。
 こんなこと、いつまでも続けられるものではない。……とは分かっていても、どうにも……ううん、なんて言えばいいか……とにかく、とにかく心臓に悪すぎるのだ、今の距離感や雰囲気は。

「ええと、居間に、しようかな……」としどろもどろに答えたわたしに、いまつるちゃんは無邪気な笑顔を浮かべた。いつもの、愛くるしい笑顔である。

「しょうちしました! ……やげん、いいですね」
「……分かった。かわいい女の“我儘”だ、いくらでも聞いてやるさ」

 そう言って立ち上がった薬研くんは、ちらりともわたしを見ることはなかった。




「――それでっ? それでどうするつもりなのっ? ちゃん!」

 ぷくっと頬を膨らませた乱ちゃんが、ずずいっとわたしの顔に近づいて、探るような目でじっと見つめてくる。

 しかし、わたしもこの先どうしたらいいのか分からずにいるので、「ど、どうするって……」とあやふやな調子で返しながら、ほんと、どうしよう……と心の中で溜め息を吐く。
 これを聞いた平野くんが、キリッとした表情で「乱兄さん、お嬢様にも何かお考えあってのことです。そうですよね?」と、見た目に対して、どう考えてもしっかりしすぎた考えのもとに出たとしか思えない発言をするので……。

「え゛っ、」

 ……無策ですだなんて言えない……。しかも、前田くんまでもが「ええ、もちろん。お嬢様と薬研兄さんのお付き合いが始まったのは、つい先日のこと。今後のこともしっかりお考えになっているからこそです」だなんて続くので、もう……なんて言うか……あ、粟田口、おそろしい……。

「ん゛んっ、え、えーとね……?」

 ……さ、さて……どう切り抜けよう……だなんて狡いことを考えながら言い逃れしようとしていると――そんなことはお見通しらしい乱ちゃんが、にこっとかわいい笑顔を浮かべた。まぁ、いつも甘えるように潤んでいる瞳は、今日に限って冷たく見えるほどに冱え冱えしているけれど。

「……ちゃん。ボクの目、ちゃあんと見て答えてね? ――まさか、薬研との関係はずぅっとプラトニックで……なんて思ってないよね」

 ……乱ちゃんにリアルな、それもめちゃくちゃ真剣な恋愛相談をすることになるだなんて思っていなかったし、いくらしっかりして……それも、わたしなんかよりずっと女子力に溢れている子だとしたって、子ども相手にそんなことする気は一切なかったけれど――こうなっては仕方ない。むしろ、誰より頼りになってくれるはずである。
 観念したわたしは、深々と頭を下げながら「……み、乱ちゃん……あの、ちょっと、聞いてもらって、いいかな……」と小さく呟いた。な、情けないけど、情けなさすぎるけど……!
 しかし、これを聞いた乱ちゃんは今度こそ明るい笑顔で、「もっちろん! ちゃんのお話ならなーんでも聞くよ!」と弾んだ声で快諾してくれた。まぁ、「あ、加州さんも呼ぼうね?」と続いたので、わたしにできるお返事というと……。

「……はい……」

 これしかなかった……。


 清光くんはなんてことないふうに言った。

「やっぱやめとけばいいんじゃない? 要は薬研の見た目との釣り合いが気になるって話でしょ。だったらやめときゃいいじゃん」

 ムッと眉間に皺を寄せた乱ちゃんが、「ちょっとやめてよ加州さん! ちゃんは薬研を選んだの。ちゃんが決めたんだからあれこれ口出ししない、みんな納得したことでしょ!」と、ぴしゃっと言い捨てる。

 ……そうなのだ。……三ヶ月ほど前から、わたしは――薬研くんとお付き合いしている。信じられないことに、……いや、こんな言い方は薬研くんに失礼なんだけれど、色々な意味で信じられない。

 しかしながら、お付き合い……恋人として、の関係にあるのは、紛れもない事実である。
 清光くんが「そうは言うけど、が心変わりしたんならしょうがなくない? そっち優先でしょ。だよね、」と、あまりにも軽い調子で聞いてくるので、ちょっとたじろいでしまう。

「い、いや、心変わりしたとかじゃなくて……」

 ほんとうに、そういうわけじゃない。そんな簡単に心変わりなんてするなら、そもそも薬研くんの恋人になるだなんてこと、選ぶはずがないのだから。

 でも――。

「じゃあなんで……なんで薬研とキスしてくれないの?!」
「ああっ、は、ハッキリ言わないで乱ちゃん~~!!」

 “そういうこと”に、どうしても躊躇ってしまうのだ。恋人だと言いながら、手を繋ぐこと、その指先を絡めることから、先に進むことができずにいる。

 乱ちゃんは「もう!」と怒ったように短く言い放った後、不機嫌そうに腕を組んだ。

「だってボクがハッキリ言わないと、ちゃんいつまでも言わないじゃん!! んも~~! なんで?! ちゃん、ボクたちが人間じゃないこと分かってくれたよねっ? その上で薬研を選んでくれたよねっ?! なのになんっっっっで肝心なとこで引いちゃうの~~~~!!!!」

「う゛っ、そ、そうなんだけど…………な、なんだ、けど……、ううっ……ご、ごめんなさい……」

 何もかも乱ちゃんの仰る通りすぎて、縮こまるしかないわたしを見てか、清光くんがフォローしてくれた。

「まっ、そう簡単な話じゃないっしょ。俺らと人間ってどうしたって違う理で存在してるわけだし。それは乱だって分かってるでしょーが。薬研もそうでしょ」

 うっ、ありがとう清光く「だから付き合って三ヶ月も経つのになーーーーんにも進展なくても黙ってんじゃん。違うの?」……す、すみません……。
 さらに小さくなると、乱ちゃんは一度押し黙ったけれど、結局焦れたように声を上げた。

「そっ、れは……そうだけどさ~~! でもでもっ! 薬研だってやっと――」
「そこまでにしといてくれ、乱」

 音もなく開けられた障子戸の向こうの廊下に、薬研くんが静かに立っていた。思わず、肩を跳ね上げてしまった。その顔には、何の表情も浮かんでいなかったから。

「っ薬研! でもさっ、」

 薬研くんはその場から一歩も動かず、ただ視線だけをわたしに向けた。

「……ま、お嬢さんにも考えがあるんだろ。気長に待つさ。――それでいいな、お嬢さん」

「あ、あの、薬研く、」

 薬研くんは最後まで聞かずに、立ち去ってしまった。いや、わたしのほうも、何を言えばいいんだか分からなかったのだけれど。

 でも――見送った後ろ姿が、すごく悲しかった。押し返したのはわたしだったのに、薬研くんに拒絶されてしまったように感じて。

「……もう、ちゃんのばか……」
「う゛、うう……、」

 ……乱ちゃんの言うことはもっともで、わたしがうじうじしてるのがすべての原因なのは百も承知のこの問題……いやでも、清光くんの言うように、分かったつもりでもこう……本当の意味での理解ができていないんだと思う。だからわたしは、薬研くんと真正面から向き合うことができずにいるのだ。

 これ以上、今話せることはない。それに、一人でよく考える必要もある。
 そう思って、申し訳ないけれど、乱ちゃんと清光くんには、出て行ってもらった。二人とも難しい顔をしていたけれど、またいつでも声を掛けてねと、優しい言葉をくれたので安心した。でも――それと同時に、言い知れぬ不安も感じる。

 溜め息を吐くと、わたしは畳に倒れ込んだ。


 いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
 仰向けに寝転がったまま、ぼやっと天井を見上げる。

 信じられないことに、薬研くんは、いや、この本丸にいる人たちはみんな、“人間”ではない。あのいまつるちゃんですら、わたしよりずっとずっと年上で…………いや、分かっ…………てないんだよねほんとのところ……。

 みんなが言うこと、お兄ちゃんが言うことを信じられないってわけじゃない。実際に刀も見せてもらって、人、ではなくて――刀剣男士、の姿から刀に戻るところ、また刀剣男士の姿になるところだって見せてもらった。信じられない要素もない。でも、だからってすんなり受け入れられるほど、わたしの頭は柔軟じゃなかったってこと、なんだよなぁ……。

 この先、ほんとにどうしたらいいんだろ……と溜め息を吐くと、後ろから「ひめ」と――。

「わっ、いまつるちゃんか……うん? どうしたの?」

 とりあえずお茶を……と思って慌てて起き上がると、備え付けて置いてもらっているポットに手を伸ばしたのだけれど、「やげんのことですが」と言われてしまったので、思わず手を止める。

「え゛?!」

 いまつるちゃんは真剣な表情で、わたしの目の前に姿勢良く正座した。

「もし、もしひめがおこころがわりをされて、それをやげんにはつたえにくいというなら、このぼくがはっきりきっぱりいってやりますよ」

 ………………?!?!

「えっ、あっ、うん?! えっ、い、いや! 違うよ! そういうんじゃないの! ただ……えーと……」

 続きが出てこない。
 いまつるちゃんは優しく微笑んで、わたしの手に小さくも頼もしい両手を重ねた。

ひめのおっしゃりたいことは、ぼくもよくわかっています。ぼくはひめよりずーっとずーっととしうえですが、ひめにはおさなごにみえてしかたありません。このすがたですからね」

 ……そうなんだった……そ、そりゃあ頼もしいに決まってた……。
 やっぱりわたしは、分かったふりをしているだけで、本当の意味では分かっていない……。

「う゛っ……ご、ごめんね、今後は気をつけますので、あのぅ……」と俯きながら上目遣いに様子を窺うと、いまつるちゃんは子どもっぽく頬を膨らませた。

「そんなことはしなくていいんです! いまのままがいいんです! ……でも、やげんはちがいます。ひめ、やげんはただ、ひめとはたいとうのそんざいでありたい。そうねがっているだけなんです。だって、ひめみずから、やげんをおえらびになったんですから。これはとっても、ほまれたかいことなんですよ」

 ……い、いたたまれない……!

 ごくごく普通の、なんの取り柄もない一般人なわたしは当たり前にそう思ったので、でもいまつるちゃんがあまりにも真面目な顔をしているものだから、どうにも反応に困って、へらっと笑うしかない。

「え、いや、そんなものすごいことではないよ、わたしなんかごくごく普通の――」
「俺にとってはものすごいことだ、他のどんなことよりも」

 いつの間に、どこから現れたのかも分からないほど自然に、薬研くんはいまつるちゃんの背後に立っていた。こういう時、そっか、みんな、“ヒト”じゃないんだった、と思い出す。……んん、やっぱり、わたしには理解が足りてない……。

「っや、薬研くん……」

 いまつるちゃんがすくっと立ち上がった。それから、「……ぼくはせきをはずしましょう。ひめ! なにかあれば、えんりょなくよんでくださいね!」と言って、こちらも人間業ではないスピードで、瞬きの間に姿を消してしまった。残ったのは、「あ、うん……」という呆けたわたしの呟きと――。

「まぁ……気長に待つことはいくらでもできるが、この見た目が原因となるとな。俺にゃどうにもできんことだ、解決のしようがない。――あんたが覚悟を決めてくれねえ限りは」

 わたしの目の前にゆっくりとした動作で腰を下ろした薬研くんの真っ直ぐすぎる視線を、どう受け止めたらいいんだかさっぱり分からず、わたしは視線を逸らした。

 ……でも、きちんと、腹を割って話すのは、今しかない。

「……分かってるつもりだったんだけど……、ほんとは、全然分かってないみたい」

 ……少し迷ってから、わたしは薬研くんの目を、じっと見つめた。

「……でもね、薬研くんのことが好きな気持ちには、迷いなんてないよ」

 薬研くんはぱちくりと意外そうに瞬きした後、深い溜め息を吐く。
 それから、「……俺も分かっちゃいるつもりでいたよ。だがなぁ、」と言いながら、滑るような動きでわたしとの距離をあっという間に詰めてしまった。

「ああああの、薬研くん、ま、待ってあの、ち、近いなぁ……!」
「近づいてんだ、分からないか?」

 にっと唇の端を吊り上げて、薬研くんは笑う。
 う、う、む、無理だ……! や、やっぱり無理……!

「っま、待ってくれるのでは?! 気長に!!!!」

 慌てて両手を胸について押し返すけれど、一見儚げな相貌からは想像もできないほどしっかりした体はびくともしない。
 それどころか、薬研くんは一生懸命になっているわたしを、どこか微笑ましそうにすらしている。

「……待つこたできるが、待ってやるとは言ってない」
「や、やげ、薬研くん、あの、」
「――なんでも聞いてやりたいが……こればっかりはダメだな」
「あっ、」

 いとも簡単に、当たり前のようにあっさり押し倒されてしまった。
 何が起きたんだか分からないまま、じっとわたしを見下ろす薬研くんを見上げる。

「……どうする? 今剣を呼ぶか、

 ……や、だ、だめ、こ、こんなこと、こんなの――!

「ん、や、やげんくん、あのね、ちょっと、ちょっと待って、」
「待ってやりゃあ逃げるだろ。……ほら、どうする? ――お嬢さん」

 そう耳元で囁く声音は、本当に小さい……お嬢ちゃんを甘やかすような響きを持っていた。色んな意味でくすぐったくて、顔を逸らしながら体を捩る。

「……ん、んん……、わ、わかった、逃げないから! 逃げないからちょっと待って!」

 心の奥底から、体の芯から湧き上がる何かを振り払うように声を張り上げたわたしを、薬研くんがじっと見つめてくる。そして、「で、いつまで“待て”をしてりゃいいんだ」と言って、でも、決して離れてくれそうにはない。

「……いっ、いっかい、いっかい、どいてくれないかなぁ……とか……」

 苦く唇を歪めたわたしの言葉を、「嫌だね。信用ならん」とバッサリ切り捨てながらも――これ以上距離を詰めようとはせずにいてくれる姿には、どうしたって胸が締めつけられてしまうけれど。これだけは、確かなことだ。
 結局わたしは、言い訳をどれだけ用意しようと、だめだと言い聞かせようと、彼のことが、すきなのだ。
 大人だから。そうやって意地を張ってみせたところで、みんなにとって――薬研くんにとっては、わたしは“お嬢さん”で、でも、対等に扱ってくれる。わたしを、とくべつに扱ってくれているのだ。いつだって、わたしをこれ以上はないほど、大切にしてくれている。

 それに応えないことのほうが、ほんとうならよっぽど難しいことなのだ。

 わたしが本当にだめだと思う理由は、そこにあった。だって、これ以上はもう――戻れなくなってしまうから。

「……し、深呼吸だけさせてもらっていいですか……」

 呼吸を落ち着けてから、ちらりと薬研くんのほうを見る。
 ……うう、いやだな、この……なんていうか……こう、優しいっていうか甘い感じがする目……。目を逸らそうと思ってもさせてくれないというか……、いや、この場合もう逸らしたらいけないんだけれど。

「……触るぞ」
「は、はい……」

 けれど、伸ばされた手は、わたしの頬に触れる寸前で止まってしまった。
 沈黙が、しばらく続いた。

「……怖いか、俺が」

 …………。

「……へっ」
「俺は“ヒト”じゃあない。それどころか、人を傷つける“道具”だ。……怖いか」

 瞳の奥がゆらゆら揺れるような視線に、わたしは思わず息を呑んだ。
 ああ、わたし、何を怖がってたんだろう。……ばかだなあ……。
 こわい思いをしていたのは、わたしなんかよりも、薬研くんのほうがずっとだったろうに。

「……こわくないよ。薬研くんは、誰より優しい」

 困ったように笑って、薬研くんは「……あんたにだけだ」と小さく呟いた。

「それなら、余計に嬉しいよ。……すきだよ、薬研くんのこと。みんなを引っ張っていける頼もしいところとか、その……わたしのこと、守ろうとしてくれる男らしいところ、とか、」

 う゛、もしかしなくともめちゃくちゃに恥ずかしいこと言ってるな……? と思う間もなく、薬研くんがにやっと笑った。

「……へえ?」
「う゛っ、おもしろがってる……?」
「まさか。――もっと聞きたい。俺のどこが好きだ?」

 ……もう、だめだ。降参である、こんなの。

 ゆっくりと腕を持ち上げると、恐る恐る、薬研くんの首に回して、そのままほんの少しだけ自分の体に引き寄せる。
 それから、まるで囁くみたいな声で、「……わたしに、めいっぱい優しいところ」と、精一杯に伝えた。きっと、震えてしまっていたと思うけれど。

「……そうか。なら、これからはもっと優しくしてやるよ。もちろん、あんただけにだ」

 重ねられた唇の温もりと、湿った熱い吐息に、強く目をつぶった。




「も~~っ! ちゃん! あんまり心配させないでよねっ!」

 乱ちゃんはそう言いながらも、優しい笑顔を浮かべている。
「……でもよかったあ! ふふ、ねえ、薬研のこと――好き?」と、わたしの両手を握りながら。

 わたしは小さく笑った。だって、結局答えはひとつだけなのだ。ようやく、それを認められる。今度こそ、心の底から、ほんとうの意味で。

「……うん、好きだよ。薬研くんの全部、大好き」

 そうして、わたしたちはお互いに笑いあっ「俺はっ……! お゛れ゛は!! っぐ……! ぢゃん゛まだお嫁にい゛ぐのははや゛いよ゛!!!!!!!!」…………。

「おっ、おにいちゃん……」

 この人も実は刀剣男士だったと言われても、今のわたしならすんなり受け入れられそうだな……と思いながら、(いつの間にか現れて)わんわん泣き喚くお兄ちゃんにティッシュを渡す。お兄ちゃんが受け取る前に、乱ちゃんがサッと奪ってしまったけれど。

「ちょっとあるじさん水ささないで! ちゃんは粟田口にお嫁にくるの! 薬研のお嫁さんだよっ! ボクのおねえちゃんになるんだからね!」

ぢゃん゛!!!!!!!!」

 ああ~っ! こうなると収拾つかなくなるから! そんなことを言ってはだめだよ乱ちゃん……! と、わたしが言う前に、天井から薬研くんがすたっと降りてきた。……わ、分かってるけど、不意打ちはやっぱりドキッとしてしまうな……!

「――なに、そう心配するなよ、たーいしょ。これ以上はないってほど、幸せにしてやるって誓ったんだ。手放しゃしねえし、もしも俺がお嬢さんを裏切るような真似をしたら……その時は遠慮なく折ってくれて構わない」

 ちらりとこちらを見た薬研くんの表情に、昨日のことを思い出してしまって、思わず視線を逸らした。すると、今度は背後から――。

「あたりまえです。……やげん、ひめさまはおまえをおえらびになったんです。そのみがくだけちることがあろうとも、さいごまでひめにつくさねば、このぼくがおまえをおってやりますからね!」

「い、いまつるちゃんこわいこと言うのはやめようか?!」

 うう、薬研くんとこうなった以上、本丸の人たちから何かと(今まで以上に)構われることになるとは分かっていたけど……! 何もかもを知られて、しかもこんな過保護な環境で恋愛するのは結構気になるぞやっぱり……!
 頭を抱えて項垂れるわたしの目の前に、薬研くんが膝をついた。
 何? とこちらが尋ねる前に、薬研くんは上目遣いにこっちをじっと見つめて――。

。今晩、部屋に行く。……いいか?」

 ………………。

「……ん゛?! え゛っ、いやその……」

 わたしが何か答える前に、乱ちゃんが怒鳴った。

「薬研!!!! ムード!!!!!!!! あとあるじさんの病気のこと考えて!!!!」と。

 頬を掻きながら、「……雅なことは分からんな、」と独り言みたく呟いた薬研くんに苦笑いしていると、目を吊り上げた乱ちゃんが「雅とかそんなのじゃない! デリカシーの話だよっ!」とますます怒りだす。

「もう! ちゃん、今日は粟田口部屋で寝よ? ボクたちが守ってあげるからね!」

 その言葉に「あ、あはは……」と乾いた笑い声を上げつつ、ちらりと薬研くんに視線を移して頷くと、彼は――。
「ん、」と小さく返事して、それから、いやに艶めかしく、唇をぺろりと舐めた。

「……乱ちゃん粟田口部屋にお邪魔しますよろしくね!!!!!!!!」






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