「――合コン?」 煙草の煙を吐き出しながら口にした言葉は、自分の耳にもひどく面倒そうだった。すると目の前の男は、ばしんと両手を合わせて頭を下げてくる。そして俺の様子を窺い見ながら、「いや〜、こないだ居酒屋でカワイイ女の子とお知り合いになってさぁ〜。連絡先交換したはいいんだけど、なかなか誘いに応えてくんないんだわ」と苦く笑った。 この男はたまたま同期入社だっただけで、特別に親しくもなければ好感を持っているわけでもない。さらに言えば特筆するべきこともない平凡な男で、この男が言う合コンに参加したところで収穫らしい収穫はないだろう。 それなのに俺が頷いたのは、最近どことなくつまらない感じがしていたし、数合わせのように言いながらも、俺を餌に女の子を釣ろうとしているのが見え見えだったからだ。この男の目の前で、その場の女の子全部の視線をかっさらってやれば、程度の低い合コンなんぞに俺を誘うような馬鹿な真似は二度としないだろうと。 ただ、今ならこう思う。愛想笑いしか浮かべられなくなっている男が俺をこの場に誘ったのも、俺がそんなくだらない男を嗤ってやろうと思ったのも――すべては、悪戯な恋の女神が仕掛けた、ロマンスの一つなのだと。 「――合コン?」 久しぶりに顔を合わせた級友は、あからさまに気乗りしませんという顔をするわたしの手を、ぎゅうっと強く握った。それから気味が悪いくらい優しい調子で、「一緒に飲もうよ〜くらいのやつだから! ねっ? いいでしょ?」と上目遣いに見つめてくる。 「わたしがそういうの好きじゃないって知ってるのに、なんでわざわざわたしなの?」 彼女は色々と耳触りのいい言葉を並べ立てたが、何を言ってもわたしの気が変わることはないだろうと悟ったらしく、正直に事の始まりを話した。 要するに、正体なく酔っていたところに声をかけられ、うっかり連絡先を交換した男から言い寄られている、ということらしい。それだけなら、連絡を無視すればいいだけの話だと言うと、彼女はさらに正直に吐いた。 「めちゃくちゃいい男がいるから、友達も連れてきなよって言われたの! ねえちゃん〜あと一人はなんとか確保したからお願い〜〜!」 「一人確保できたなら、もう一人もすぐ見つかるよ。他当たって」 それで終わるはずだったが、そうはいかなかった。真っ昼間のカフェテラスだというのに、彼女がわんわん声を上げて泣き出したのだ。それでわたしは、つい「分かった分かった行くから!」と言ってしまったのである。すると彼女はケロッと泣き止んだ。落ち着いて考えてみれば、すぐに気づいただろうに。わたしは彼女の涙を止めようと必死で、嘘泣きだというのには後になって思い至った。 それでも、わたしがこうして合コンなんかにやってきてしまったのは、彼女は学生時代からずっと仲が良かった友達で、わたし自身が彼女のことを好きだったからだ。嘘泣きなんかをする子だが、なかなかどうして愛嬌がある。そのせいか、仕方ないなと大抵のことは許してしまうのだ。 でも、今ならこう思う。あの時、彼女が泣こうが叫ぼうが見捨てるべきだったと。 これはお節介な神様が、一人を謳歌するわたしに余計なお世話を焼いた結果なのだ。 合コンそのものには興味がなかったものだから、俺は待ち合わせ時間に間に合うように家を出るなんて律儀なことはしなかったし、ついでに言えば店までの道中も急いだりしなかった。 しかし、これは失敗だった。店に入ってテーブルを見つけた瞬間、彼女と目が合ってすぐに気づいたのだ。今までの人生で散々に小馬鹿にしてきたものを、まさか自分が信じることになるだなんて考えもしなかった。だが間違いない。間違いなく彼女が、俺の運命の人だと。 目が合ったのは一瞬のことで、彼女はすぐに会話の輪に戻ってしまったが、俺は一直線に彼女の目の前まで歩を進めた。気づいた同僚が、「おい、遅いぞ」と言うのにへらっとしながら謝って、色めき立つ女の子たちの声にはなんとも返事をしないまま、黙って彼女の隣へ椅子を移動させて座った。 ぎょっと目を見開いて、まるで得体の知れないものでも見るように俺を見つめるので、「ここいい?」と笑ってみせた。 「もちろん。どうぞ」 彼女はそう言ってにこやかに頷いたし、それは傍目にはよくできた笑顔だったろうが、あからさまな愛想笑いだと俺は気づいてしまった。ちょっと笑ってやればいい、という安い女の子ではないらしい。ますますいいなと思うが、これはなかなか手強い部類かもしれない。 「遅れちゃってごめんね。ちょっと寝過ごしちゃって」 どう考えても最悪な理由だが、だからこそいいのだ。ちらりと彼女の反応を盗み見ると、嫌悪感バリバリの苦い表情を浮かべている。しかし、器用な子だ。誰にも気づかれないようにしているし、それができている。俺じゃなかったら見逃して仕方ない。 「え〜、疲れてるのに来てくれたんだぁ! あっ、何飲む〜? っていうか自己紹介して!」 彼女の隣から身を乗り出して、上目遣いに俺を見上げてくる女の子に、「あ、そうだった。こいつと同期の神永。よろしくね」と笑いながらメニューを取ると、それに隠れて「ね、名前なんていうの?」と彼女にひっそり声をかける。 彼女はどう見てもかわいい女の子、というような完璧な笑顔――愛想笑いだが――で「です」と短く言った。そうくるか。 「違う違う、下の名前」 「……です。あ、何飲みます?」 ちっともボロを出さない完璧な作り笑いだ。これは騙されないやつを見つけるほうが難しいし、彼女の友達もどこまで知っているのやら。 まぁそんなことは関係ない。俺にはそれが見破れたわけだし、そのことはだって気づいているはずだ。それでも、動揺した様子を見せるどころか、“気遣いのできるかわいい女の子”を演じられるあたりが女優である。 俺も何も気づいていないような顔をして、「へえ、。かわいい。彼氏は?」と分かりやすい馬鹿な男になってやる。 「あはは、ありがとうございます。彼氏はいません」 「敬語じゃなくていいよ。あ、歳は? 俺、二十八ね」 は迷うような沈黙の後、「二十五」と短く答えた。 「年下だ。俺、年下の女の子好きだよ」 「何飲む? わたしカシスウーロン」 かわし方が上手いようでいて、へたくそだなぁ。 話を逸らすっていうのは、簡単なようでいて実はかなり難しい。巧みな話術はもちろん、前後のつじつま合わせ、そして先の流れまでも読むことが必要とされる、高度な技術だ。 俺は引っかかったようなふりをして、「ビールにしとく。あ、おねーさん! ビールとカシオレ」と通りかかった店員に声をかけた。 それからにまた話を振ろうとしたのだが、驚いたことに別の会話に参加していた。まいった。話を逸らすことが目的じゃなく、俺の気を逸らすことが目的だったか。 こりゃあなかなか手を焼くかな。 『ねえ、もう帰っていい?』 実際には一人暮らしなわけだが、今日は親と同居している設定なので、「親に連絡しなくちゃいけなくて」と言って友人にラインを送った。どう返ってくるかは大体予想していたので、『なんで?! 盛り上がってきてるじゃん!』という内容にこれと言って感想はない。ただわたしは今すぐにでも帰りたいので、『最初から途中で抜けていいって約束だったでしょ。帰りたい』とすぐに返信する。来てくれるならなんでもいい! つまんなかったら途中で帰ってもいいから〜! と言ったのは彼女のほうである。 ちらりと様子を窺ってみるも、どうもこちらと目が合わないようにしているらしい。きっとラインはロック画面で確認したけれど、既読を付けないことで気づかなかった〜! と押し切るつもりだ。 はあ、とひっそり溜め息を吐いたタイミングで、神永さんが「、連絡先教えて」とわたしの頬をつついた。 イケメンだし気さくで話も上手いから、これは大層モテるだろう。でも、めんどくさい男だ。きっとこの男は、わたしがこの合コンに乗り気でないことも、なんなら今すぐ帰りたがっていることにだって気づいているはずだ。なのに、なんにも気づいてない振りをして、チャラいだけの男ですよ〜〜みたいな顔をしている。気に食わない。 「うん、じゃあ帰りに交換しよ。ねえ、神永さんって何してる人なの?」 大体の面倒はこうして避けてこれたわたしは、にこにこ笑いながらサワーのジョッキを持ち上げた。神永さんの無遠慮な指が離れる。 「フツーのサラリーマン。外資系。は?」 「受付嬢」 もう二度と会うことはないし、わたしはこの男とまともに会話をする気が一切ないので、ものすごく適当な嘘を吐いた。愛想が良いのは自覚があるけれど、誰にでもにこにこできるだけの度量は持ち合わせていないので、どう考えてもわたしが就ける職ではない。 神永さんは「えー、すごいじゃん。美人じゃないとなれないんでしょ?」と言って頬杖をつくと、わたしの顔をじっと見つめた。こんな不美人で務まるのかって? まぁ嘘だし、実際には美人しか採用されないんじゃないの――と思いつつ、わたしは「なにそれ、いつの時代の話?」と答えた。今の時代は不美人でも受付嬢になれるんですよ、わたしみたいな不美人でも〜〜という意味を込めて。まぁ嘘なんだけど。 「あ、年下ぶるんだ? かわいい」 「あはは、よく言われる」 なんだこの茶番。 絶えず笑顔を浮かべているので、もうそろそろ表情筋がイカれそうである。けれど、この男はちっともわたしを解放しようとしないのだ。 「、どんな男がタイプ?」 こういう具合に。 まったく興味ないくせに、「じゃあ神永さんはどんな女の子がタイプ?」と興味津々です〜というような表情を作る。 神永さんは考えるように少し首を傾げた後、「そうだなあ……あ、俺今まで年下しか付き合ったことないよ」とにこにこ笑った。めんどくせえ。 「へえ。なんで?」 「甘えてくれるのがかわいいから」 うわ、と思ったわたしは別に悪くないと思う。甘えてくれるのがかわいい? こいつ、合コンではいつもそうやって女ウケのいいことばっかり言って、後日参加した女の子全員と寝てるタイプだ。 「え、結構面倒見いいタイプなの? 見えない」 「そういうわけじゃないけど。ただカノジョには尽くしてあげたいタイプ。で? のタイプは?」 うわ〜……と思いながら、わたしは「頭の良い人かな」と答えた。おまえみたいな頭からっぽアピールしてくる男は論外だよ、ということである。まぁ実際のところは頭良いんだろうけど。本当に頭が空っぽなら、これまでの会話のどこかでボロを出しているはずなので。 「ふぅん。じゃ、俺なんかドンピシャで好みでしょ。今度デートしよっか。とりあえず映画とかどう?」 引きつりそうな口元をなんとか笑顔のかたちにして、「あはは、まぁ神永さんカッコいいしね。でもごめんね、わたし映画好きじゃないんだ。楽しめる子を連れてってあげなよ」と言いながら、もうほんとに帰らせてくれないかな〜と隣の友人をちらっと確認したものの、彼女は彼女で楽しんでいるようだ。 くそ、と舌打ちでもしたかったけれど、神永さんがわたしの手をそっと握ったので慌てて飲み込んだ。いや、これはこれでクソだけど。 神永さんはいかにも好青年っぽく、にこっと笑った。 「よかった、俺も映画ってあんまり好きじゃないんだ。渋谷におもしろい居酒屋あるらしいから、そこ行こ」 うっわ〜〜と思ったのは仕方ないことだし、思わず口元を引きつらせてしまったのもこの際仕方ない。 「お酒もあんまり飲めないよ」 へらっと笑うわたしに、神永さんは「カクテルの数多いみたいで、ノンアルもたくさんあるって」とますます笑顔を深める。クソ。 「じゃあ考えとく」 いつの間にかきていたカシオレのグラスを口元に寄せて、中身と一緒に悪態も飲み込む。 神永さんの「俺も別に酒飲みたいわけじゃないし、行きたいメシ屋とかあったらそこでもいいよ。のこともっと知りたいだけだから、たくさん話ができるならどこでも」というセリフには、いよいよ帰るわクソ! とでも言って帰ってやろうかと思ったが、私も大人である。 「ん、行きたいとこがあったらね」 そう言うに留めておいた。 ま、要するに行きたいところはないから会いませーん! ということである。 まぁ想定の範囲内だ。ただ、最後まで会話に付き合うとは思わなかったので、そこだけはちょっと意外だった。とは言っても、そこに好意的なものは一切ないんだから手強いことには変わりない。 さて、もうお開きなわけだが。 彼女の友人の素振りからして、きっと二次会でもしたいんだろうが、のほうが帰ると聞かなかったんだろう。それに終電の何本か前というこの時間なら、明日早いとかなんとか理由づけするにも十分だ。頭の良い男が好きだと言うだけあって、彼女のほうも賢い。 「や〜、めっちゃ楽しかったわ〜。また飲み行こうよ」 冴えない男のお決まりの文句に、の友人は「え〜? ちゃん、どうする〜?」と言いながら分かりやすく目で合図を送っている。もちろんそれに気づいているは、当たり障りなく「あはは、また機会があればぜひ」とにこやかに言う。そつがないことだ。 しかし、「――あ、ごめんなさい、わたしもう電車ギリギリ」と言ってさっさと時計を見るあたり、もう次は来たくありませんというアピールになっていることに気づいていない点は詰めが甘い。 まぁ、そんなことに気が回らないヤツは、「あ、ちゃん、家結構遠いんだっけ? じゃ、ここで解散で! 気をつけて帰ってね」なんて言うのだ。 「はーい。それじゃ――」 「」 下手に引き止められないうちにさっさと帰ろうとする背中を呼び止めると、「はい?」と振り返ったその顔は、わざとらしく笑みを浮かべている。 「連絡先は? 最後に交換するって言ったじゃん」 「……あぁ……そうでしたね」 ちらりとまた腕時計を見るので、その腕を取って「敬語になってる」と言うと、やっと不機嫌そうに眉を顰めた。 「時間ほんとないから、もう帰る」 ここまできたら、もう俺のペースだ。 「うん、だから早くちょーだい。電話番号がいいな」 そう言って馬鹿のようにただただ笑っていると、はスマホを取り出して俺の眼前に突きつけた。そしてすぐさまバッグにスマホを押し込むと、「それじゃ、さようなら、神永さん」と言って俺の腕を振りほどこうとしたので、その前にぱっと放してやった。今にも舌打ちしそうな顔だが、こっちのほうがずっといい。 「またね、」 ひらひら手を振ってみるも、は一度たりとも振り返らなかった。何も問題はない。これは今この場だけの“さようなら”だ。またすぐにでも会える。 ――そう、近いうちに“また”。 |