その言葉を聞いた時点で、わたしは何を言いだすんだろうこの人……と思った。 「――え? 幽霊?」 「ふふ、そうだよ」 「……ええと、」 ……確かに青江さんはミステリアスで、それからちょっと思わせぶりな話し方をする人ではある。でも、たちの悪いような冗談は言わないと知っているだけに、わたしはどう反応すればいいのか分からず、ただ戸惑ってしまった。 そんなわたしを見て、青江さんは唇を吊り上げる。 「信じてないね? 奴はきみのような清らかな乙女を求めて、喰らってしまおうとしているのに。あぁ、もちろん魂のことだよ?」 …………。まぁ時季が時季だし、もしかして怖がらせようとからかっているのかもしれない。でも、ちびっ子にこんな話をして本当に怖がらせてしまったらかわいそうだし、手近で怖がりそうな存在としてわたしが選ばれたんじゃ……? まぁわたしもいい大人なので、幽霊が出るよと言われてもピンとこないというか、正直怖がることはできないけれど……。 ただ、この“本丸”という場所はちょっと特殊だから、もしかして……と考える人もいるかもしれないなぁとは思う。 まぁわたしがそれに当てはまるかと言うとそうではないので、「確かに本丸は不思議で溢れてますけど、幽霊なんて」とへらっと笑う。 しかし、青江さんは笑顔を崩さない。 「……それはどうかな。いいかい、姫。もしも部屋の外から声をかけられても、決して返事をしてはいけないよ。――連れ去られてしまうからね」 それに加えてこんなことを言うものだから、ついつい「え゛、」なんて漏らしてしまったけど……そんなまさか〜〜。 「うちにケンカ売るとか、マジ舐めた真似してくれるよね〜。っていうかなんで入り込んできたわけ?」 今にも舌打ちしそうな不機嫌顔の清光くんに、乱ちゃんが「戦場から連れてきちゃったらしいよ」と答えてクッキーに手を伸ばした。清光くんがいよいよ般若のお顔。 いつもにこにこしながらわたしのそばにいてくれるので、時々こういう顔をされるとギャップで余計にビックリしてしまう。いや、いくら清光くんがリアルJK顔負けの女子力を誇るかわいい子でも、彼だって男子高校生である。言葉が乱れたり、ちょっと怖い顔だってする時はある。まぁビックリするけれど。とても。 「あ゛? 誰が?」 判明すれば今すぐその“誰か”を問い詰めに行っちゃうのでは?? という迫力でもって迫る清光くんに、乱ちゃんはケロッとした顔で「三日月さんが」と……。清光くんのお顔に怯むでもなく、サラッと“誰か”の名前を告げた乱ちゃんに、わたしはいっそ感心してしまった。乱ちゃんもとってもかわいい子だけれど、肝の据わり方はやっぱり男の子なんだなぁ〜。 紅茶を頂きながら頷くわたしの隣で、清光くんがティーカップを乱暴にトレーに置いた。 「じじい何してんだよッ!!!!」 乱ちゃんはまったくしょうがない、というような顔で「あの人すごい美人でしょ? 恋人を求めてさ迷ってた幽霊さんが三日月さんを見初めて、そのままついてきちゃったんだって」と肩を竦めた。 三日月さんの美貌に幽霊が惹かれたっていうのは、幽霊の存在の真偽はともかく頷けるものがあるからすごい。なんていうかこう、逸話的な感じでありそうな。あの人の美しさは、ちょっと人並み外れているというか……この世のものとは思えないっていうレベルなので。 ――なんてことを考えていると、清光くんがますます顔を歪めているのでハッとした。 「で? 三日月と一緒になるために体を探してて、を狙って乗っ取ろうとしてるって? はァ〜〜? ますます舐めてんだけど」 そんな鬼の形相の清光くんの隣に座る安定くんは、大して気にした素振りもせずクッキーをもぐもぐっとしている。二人は仲が良いし、清光くんの激しいギャップにも慣れがあるのかもしれないけれど……コントラストがすごい。 紅茶を飲み下した安定くんが、「でも、石切丸と太郎太刀が対策してるんじゃないの? うちにはにっかり青江もあるんだし、ちゃんに近づいたら首落として終わりじゃん」と言ってまたクッキーに手を伸ばす。…………。 それはさておき、見た目からは想像できないほど、安定くんはもりもり食べる男の子である。まぁ育ち盛りなわけだし、いっぱい食べるのは良いことだけれども……どこに入ってるのかな?? とは思う。 ――というか、である。 「ま、待って待って? え、みんな青江さんの話信じてるの?」 これまでの話だと、三日月さんが出先で幽霊に好かれて、そのまま本丸まで連れてきてしまったってことになるわけだけど……え? 青江さんから幽霊の話は先に聞いてるけど、それは季節に合わせた冗談でしょ? え? ……設定凝りすぎじゃない……? 確かに、三日月さんの美貌なら幽霊がついてきちゃうのもありえそう〜と思ってしまうけど、だからってそれが本当の話だなんて思わない。でも、清光くんたちの話を聞いていると――まるで本当の本当に、この本丸に幽霊がいるって聞こえる……。 んなわけ〜! とへらへらっと笑うわたしに、清光くんがきょとんとした。 「え? そりゃあね、なんてったってあの人霊剣だよ? あ、でも普通なら、本丸の中にそういうものは入ってこれないんだけど……」 ……待ってどういうこと……? レイケン……? とは一体……? 「ついてきたのを面白がって、三日月さんが招き入れちゃったって言ってたよ、今剣が。ものすごく怒って三日月さんを引きずっていくの見たから、今鍛錬場でボコボコにしてると思う」 “レイケン”に頭を悩ませていたけれど、乱ちゃんが聞き捨てならないことを言ったぞ?!?! ボコボコ?! いまつるちゃんが?! 三日月さんを?! ……なんだろう……ありえるなって……思ってしまった……。いまつるちゃんがそんなことするはずがないし、そもそもあんなにかわいいちびっ子が大人をどうやってボコボコにするんだって話なんだけど……本丸カーストの上位者であるいまつるちゃんならできるんじゃないかと……。 ……あ、あるわけないか! と思いつつ、わたしは紅茶に手を伸ばした。飲み下した紅茶でほっと息を吐いた瞬間、清光くんがドンッと畳を殴りつけたので、またドキッとしてしまったけれど。 「だっからあのクソじじい何やってんだよッ!!!! バカじゃないの?!?!」 今にも飛び出して三日月さんに詰め寄りそうな清光くんに、「ま、まあ清光くん、落ち着いて、」と言ってその背中を撫でるも、清光くんは目を吊り上げている。こ、これはどうにも落ち着きそうにない……。 「落ち着けるわけないでしょ?! いい? 。もしなんか変なもの見たりしたら、ソッコー俺に言ってよね! あと、知らないヤツに部屋の外から声かけられても、絶対返事なんかしちゃダメだから!」 そういえば、青江さんも返事をしたらどうのって――。 「それ青江さんも言ってたけど、なんなの?」 チョコレートの包みを剥がしていた安定くんが、わたしをちらりと見て口を開いた。その目が妙に真剣みを帯びていて、ちょっと怯んでしまう。 「万一のために、ちゃんの部屋には特に強い結界を張ってるから、悪いものは入れないようになってるんだよ。ちゃん本人が、入ってもいいって許可を出さない限りはね」 身構えるわたしにぎゅっと抱きついて、乱ちゃんがぱちんと片目を閉じた。 「もちろん、ボクたち短刀がしっかり寝ずの番を務めるし、心配することはないと思うけど!」 ずっと鬼の形相だった清光くんが、今度はとってもそわそわした様子で「、しばらく俺がの部屋に泊まろっか? っていうかそうしよ? 俺心配だもん〜!」とわたしの手を強く握る。 何も心配することなんかないよ〜と言おうとしたが、それよりも早く安定くんが「バカ、それじゃあちゃんがゆっくり休めないだろ」と清光くんの頭を小突いた。それに舌打ちした清光くんの目が、またギラッとしたのは見なかったことにしておこう……。 「とりあえず、御神刀も霊剣もあるんだし、不安になることはないよ。でも、一応用心しといたほうがいいから」 そう言ってチョコレートを口に放り込んだ安定くんに、わたしは「う、うん……」とはっきりしない返事をした。 そこに前田くんがやってきて、いまつるちゃんが呼んでいると聞かされたわたしの心情は言うまでもない。これはヤバイぞ……。 きちんと背筋を伸ばして正座するいまつるちゃんが深々と頭を下げるので、心臓がぎゅっとした。慌ててそれを止めたけれど、いまつるちゃんは決してその姿勢を崩さず、静かに口を開く。 「ひめ、ほんとうにもうしわけありません。ひめがいらっしゃるというのに、あしきものをほんまるにいれるなど、あってはならないことです。みかづきのしたことは、けっしてゆるされることではありません。どのようにしょばつしますか? ぼくはもちろんせきにんをとらせるつもりでいますから、れあたちといえども、おってしまってかまわないとおもっています」 ……と、とにかくいまつるちゃんがものすごく怒ってるのは分かった! かわいいいまつるちゃんが三日月さんをボコボコになんてそんな……と思っていたけれど、どうやらそんなことはありえたようである。わたしもありえそうとか思っちゃったけれど、いざ招かれた居間で三日月さんを正座させている光景を見たら、結構胸にくるものがあった……。 「俺も悪意があったわけではない! 入ってもいいかと言うから、つい返事を――」と言いかけた三日月さんの頭を、すぐさまガンッと床に押しつけるこの絵面もなかなかにキツイ……。いつも三日月さんには当たりが強くはあるけれど、それにしたってこれは……。 いまつるちゃんは三日月さんの頭を押さえつけながら、「あくいがあったなら、おまえはとうにおれていますよ」と冷たい声で言い捨てる。 「てんがごけんともあろうものが、どうして“つい”へんじをしたんです? おまえはなんてなまくらなんですか! さんじょうのはじですよ! やはりこのぼくが、せきにんもっておまえを――」 「わー! 待って待っていまつるちゃん!」 立ち上がったいまつるちゃんに飛びつくようにして止めに入ると、ますます怒って声を張り上げた。 「ひめ! とめないでください! ぼくはこのほんまるのはつたんとう! みうちのふしまつをかたづけるのも、ぼくのおやくめです!」 不始末なんて言葉、よく知ってるね……と感心しつつ――これは今すぐ落ち着かせないとヤバイと悟った。いまつるちゃんはとても賢い子だし、大人顔負けのしっかりした子である。つまり、やると言ったらやる。 「え゛っ、いや大丈夫! 大丈夫だよ! レイケン? の青江さんが、とにかく返事をしなければいいって言ってたから! 絶対返事しないから! それに安定くんも万一のことがあれば首――ええと、や、やっつけちゃうって! そう言ってたから!!」 まさか首を落とすなんてことは言えない。咄嗟にうまいこと言い換えることができてよかった……と胸を撫で下ろすわたしに寄ってきて、三日月さんが「おお、や、このじじいを庇ってくれるのか……! おまえは優しい子だなあ。うんうん、じじいがおまえを必ずや護ってやるからな」とにこにこ手を握ったけれど空気を読んでほしい。いまつるちゃんがヒートアップしてしまったらどうするの……と思うより早く、いまつるちゃんの怒りはより激しく燃え盛ってしまった。 「おおばかもの!! そもそもおまえが、れいなどをまねきいれたのがげんいんですよ! だいたい、よめもきかないくせになにを! ひめ、ひめのことは、ぼくはもちろん、たんとうそうででおまもりします。ぜったいにぜったいに。このなまくらへのばつは、そのあとにしましょう。――みかづき。おまえ、たすかったなどとはゆめゆめおもわぬように」 絶対零度のいまつるちゃんの視線に見下ろされて、三日月さんが「う、うぐぅ……」と唸った。うう、ちびっ子がそんな鋭い目をしないで……自分に向けられたものではなくても、とても……とても……。 とりあえず余計なことは言うまいと、わたしは「あ、あはは……た、頼もしいなあ……」と若干遠いところに視線をやりながら呟いた。 ヘアパックまで済ませてゆっくりと湯船に浸かりながら、乱ちゃんは機嫌良さそうに笑う。 「えへへ、ちゃんとお風呂なんて、ボク嬉しい! ねえねえ、上がったら髪乾かしてくれる?」 幽霊がうろついてるんだから、ちゃんのこと守らなきゃ! という理由で、乱ちゃんと五虎退くん、小夜ちゃんと一緒にお風呂に入るよう言われた時には、そんな必要ないよ〜と笑った。けれど、五虎退くんのうるうるした視線に思わず頷いてしまって――まぁ三人とも喜んでくれたようなので、結果オーライというやつである。 本当は初めから頷いてしまってよかったのだけれど、信じられないことにそれなら自分も! と言い出す大人が出たので首を振ったわけである。どう考えてもダメに決まってるのに何を言い出すんだ……と思う前に、まず頭が真っ白になった。 そんな騒ぎの後だったので、お風呂(温泉)がとっても気持ちいい。ただでさえ本丸のお風呂――というか大浴場はすごいのだ。たくさんの人たちが暮らしているわけだから、ある程度の広さが必要なのは分かるけれど、まるで温泉施設みたいに整っている。シャワーはいくつも設置してあるし、そこにそれぞれ鏡やシャンプーも揃っている。美容にも気を使う清光くんや、身だしなみに人一倍敏感な光忠さんのように、自分で別に用意するという人もいるようだけれど。ちなみに乱ちゃんもお気に入りのお風呂セットを持ち込んでいる。 そして何よりすごいのが湯船だ。わたしたちが今浸かっているのは“外”のお風呂で、整えられた竹林が望める温泉である。ちなみに中にも湯船はあるし、それどころかジャグジーやサウナもあるからビックリだ。……やっぱり実は温泉施設かな……? そんなことを考えつつ、笑顔の乱ちゃんにわたしも笑い返して、「ふふ、わたしもだよ〜。もちろん髪も乾かすよ。乱ちゃんの髪、とってもサラサラだから丁寧にしないとね」と言いながら伸びをする。 「ちゃんだぁいすき!」 そう言って鼻歌を歌い出す乱ちゃんを微笑ましく思っていると、「あ、あの!」と五虎退くんが珍しくも大きな声を出した。 「うん? なぁに、五虎退くん」 五虎退くんは視線をうろうろとさせながら、つっかえつっかえに口を開いた。 「えっと、あの、ぼ、僕も……髪を、えっと、」 引っ込み思案なところがある五虎退くんのお願いである。断るはずもない。 「うん、五虎退くんがさせてくれるなら、もちろん乾かすよ」 「は、はい! えへへ、嬉しいです、」 五虎退くんの隣でじっと視線を落としている小夜ちゃんに、「小夜ちゃんも、よかったからさせてくれるかな?」と声をかけると、こちらを窺うように首を傾げる。 「……いいの?」 「いいよいいよ〜」 すると乱ちゃんが、思い出したように声を上げた。 「でも、ボクもちゃんのお部屋にお泊まりしたかった! 今剣ばっかりずるーい。まぁ、確かに打たれた時代が時代だし、一番向いてるのかもしれないけどさ。だけど、せめて近くにいたかったよ〜! 前田もお部屋の外で待機だし!」 わたしのことを守らなきゃ! というちびっ子たちの決意は固かった。眠っている時こそ一番危険(どこから得た知識かな?)ということで、誰かがわたしの部屋に泊まったほうがいいという結論を出すと、次はじゃんけん。その結果、いまつるちゃんがお泊りすることになったのだけれどちょっと待って?? 「え゛?! ま、前田くんまた部屋の外にいるって言ってるの?! えええやめてやめて! そんなことしなくっていいよ!!」 わたしが風邪をひいた時にもあったけれど、前田くんはどうしてわたしの部屋の外に正座してしまうのかな?! せめて部屋の中にいてほしい!! いや、そもそも待機(?)する必要ないんだけど、それだけは何がなんでも譲ってはくれないのでせめて……! お風呂に入っているのに顔を青くしているだろうわたしに、五虎退くんがさらに追い打ちをかけてくる。 「で、でも、さまに何かあったら、悲しいです! 僕は廊下の警備ですけどっ、一生懸命がんばります! 僕たちでさまをお守りするって、みんなで決めたんです!」 ……廊下の警備って何……なに……? 喉を詰まらせていると、小夜ちゃんまでも「……には、自分を守る術がないから。奴がに害をなそうというなら、僕がこの身で消し去る。あなたが無事なら、それでいいんだ」なんて言い出すのでめまいを起こすかと思った。 「さ、小夜ちゃんまで何言うの〜〜! っていうかね、すごく大袈裟なことになってるけど、幽霊なんて――え……?」 湯船から見える青々しい竹林の端に、白い影が見えたような気がした。 思わずこぼした呟きを掻き消すように、小夜ちゃんは「っ! そこか……!」と鋭く叫ぶと、近くにあった桶をものすごく正確なコントロールで投げ飛ばす。 「?! えっ、さ、小夜ちゃん?!」 思わずひっくり返った声を出した直後、洗い場の鏡がバンッ! と爆発するように割れた。 「――っ、危ない!!」 咄嗟に子どもたちを庇おうと立ち上がると、割れたところから連鎖していくように、次々と鏡が割れていく。 「え、えっ、えっえっ、え゛?!?! ちょっとちょっと……! なにこれ……!」 すると中に続く扉が勢いよく押し開けられて、「! 伏せろッ!!!!」と怒号が響いた。思わず目をぎゅっと閉じながら、「はっ、はい!」と返事をする。 それから妙に静かな沈黙が続いた。そっと目を開くと、薬研くんといまつるちゃんが頷き合っているところだった。さっきの声の主は、どうやら薬研くんだったらしい。 こちらに気づいた薬研くんが、たたっと近づいてくる。……温泉にはご法度だけど、タオル巻いててよかった……むしろタオルしてないとダメ! って言ってくれた乱ちゃん、本当にありがとう……。 「不躾に押し入って悪いな、お嬢さん。怪我は――こりゃあいけねえな、腕を切ってる」 湯船の縁にそっと屈んだ薬研くんの指が、つ、と腕を滑る。それでようやく、腕を切ってしまっていることに気づいた。体が温まって血の巡りが良くなっているせいか、痛みよりも大袈裟に血が出ている。鏡があれだけ勢いよく割れたんだから、小さな破片でも飛んできたのかもしれない。 薬研くんは難しい顔をして、「上がってすぐに止血と消毒だ。俺は出るから、着替えてくれ。乱、いいな」と言って立ち上がると、そのまま出ていった。 「……ちゃん、出よう」 「う、うん、」 五虎退くんと小夜ちゃんを促して、いまつるちゃんも一緒に連れていこうとしたけれど、先に行ってくださいと言って動かないので、とりあえず上がって服を着てしまうことにした。 だからわたしは、いまつるちゃんが冷たい眼差しで竹林のほうを睨みつけていたことも、そこに向けた怒りに燃える言葉のことも、知ることはない。 「ひめをきずつけたおまえを、ぼくはぜったいにのばなしにはしません。いいですか。つぎにおまえがすがたをあらわしたなら、このぼくがじごくへおくってやります。じょうぶつなど、けっしてさせはしない。ふたたび、このよにせいをうけることもゆるさない。……おまえにまっているのは、むですよ」 お風呂から上がって薬研くんの治療を受けたわたしを見て、一期さんはさめざめと涙を流した。 「おいたわしやお嬢様……! 玉のような肌に、このような……!」 「い、一期さん、ほんのちょっと切っただけですから、」 本当にほんのちょっと切っただけなのだ。だけど、もし雑菌が入ったら大変だということで、薬研くんが包帯なんて巻いてしまったのでこういうことになっている。 とりあえず宥めるためにと言った言葉は余計な燃料になってしまって、「何を仰いますか!」と一期さんは泣き叫んだ。なぜ。 しかし、神妙な面持ちの前田くんがやってくると、その表情を引き締めた。 「……前田。おまえはお嬢様のお部屋の戸を守る、最後の砦だ。もちろん、おまえに仕事をさせる前に外の警護が始末をつけるだろう。だが、もしものことがあれば、おまえが怨敵の息の根を止めるんだ。その身に代えても、粟田口の誇りにかけてお嬢様をお守りすると、この兄に誓いなさい」 …………?!?! 「え゛?! い、一期さん何言って――」 「いち兄、ご心配なさることは一つもありません。僕は顕現されてからずっとずっと、お嬢様のお幸せのために尽くそうと決めております。たとえこの身が砕け散ろうとも、お嬢様をお守りすることができれば本望です。この前田藤四郎、誇り高き粟田口の名に恥じることも、ましてや泥を塗るような真似も致しません」 「それでこそ私の弟だ」 一期さんの言うことはもちろんとんでもなく恐ろしいけれど、それに真面目に頷く前田くんのお返事もとんでもなく恐ろしい。 「ま、前田くん、あの、な、何を言ってるのかな……」 声を震わせるわたしの手を励ますようにきつく握りしめて、「お嬢様、ご心配なさいますな。我ら粟田口が、必ずや御身をお守りいたします」と言う一期さんには、そういうことじゃないですと言いたい。 な、なんてことだ……マズイ……。 「……ど、どうしよう……大事どころの話じゃなくなってきたぞ……」 頭を抱えていると、ものすごい勢いで長谷部さんが飛び込んできた。 「様!!!! このような事態に遅参などした長谷部をどうかお許しくださ――おい、どういうことだ……」 長谷部さんの鋭い視線は、仰々しく包帯が巻かれているわたしの腕に注がれている。……ま、マズイぞ……! 長谷部さんは憤怒の形相で、声を不自然に震わせながら言った。 「様のことは、湯殿でも短刀が警護に当たっていたと俺は聞いたぞ。おまえの弟たちも、その警護に含まれていたのではなかったか、一期一振」 一期さんは深々と頭を下げた。 「……このことにつきましては、言い訳も、弟たちの弁護をする気もありません。お嬢様のこのお怪我は、弟たちの不徳の致すところです。しかし、今はどうかご容赦ください、長谷部殿。お嬢様の御身をお守りすることこそが、最も重要なことでありましょう」 長谷部さんはその言葉になんの反応もせず、静かにわたしのそばに膝をついて「傷のお加減は?」と硬い声で言った。……おそらく今の長谷部さんはものすごく繊細な状態なので、ここで言葉を間違えたらさらにマズイことは明白である。わたしは笑って、努めて明るい声を出した。 「えっ、あ、ちょっと切れただけなので、まったく問題ないです!」 ブチッ! という音が聞こえたかと思った。それほど長谷部さんの怒声は凄まじく、本丸中に響き渡ったのでは? と思うほどに激しかった。 「警護に当たったものはどれだッ!? この俺が手打ちにしてくれるッ!!!!」 こうなってしまっては何を言っても聞こえないんじゃないかな〜?!?! と冷や汗をかいていると、「少し落ち着きなよ、えーと……機織り……機織りなんとかくん」と……このシーンでそれは絶対やっちゃいけないやつです髭切さん!!!! ますます怒り狂ってしまう……! その後ろからやってきた膝丸さんが「兄者、へし切長谷部だ」と訂正しつつ、わたしのそばまで来て顔を顰めた。 「姫、話を聞いて肝を冷やしたぞ。腕の傷の他、どこか悪くしてはいないか?」 ヤ、ヤバイな〜! そうだろうとは思ってたけど、この騒動はもう本丸中に知れ渡ってそうだ……しかもものすごく大袈裟な感じで……。こんなの怪我のうちに入らないのに……。 とりあえず、今目の前で難しい表情をしている膝丸さんにはせめて安心してもらおう……。そう思って笑顔を浮かべるも、どうにもならなさそうなこの状況ではうまく笑えるはずもない……頬が引きつってしまう……。 それでもなんとか「は、はい、全然、っていうか腕の傷も本当に大したことはないんですよ! 長谷部さんも! そんなに大騒ぎすることじゃありませんから! ね?」とついでに長谷部さんにも声をかけたけれど、ますますヒートアップさせてしまったので余計だった。 「様! このようなことになってまで、短刀を庇い立てする必要はありませんッ!! 必ず始末をつけさせます!」 ……タントウ……担当?! なんの?! 誰?!?! と聞き返したい気持ちはあったけれど、目が血走ってる長谷部さんにそんなことは言えない。 「庇うとかそういうんじゃなくて! 誰のせいでもないですから!!」 誰のせいでもないのは明確な事実だけど、長谷部さん曰くわたしが庇っているらしいタントウとは一体誰を指しているんだろう……話の流れ的には、一緒にお風呂に入った乱ちゃんたち……? いやでもタントウ……? あっ、お風呂の担当ってこと……? なんてことを、完全に頭に血が上りきっている長谷部さんから目を逸らしつつ考えていると、髭切さんがわたしの頭をゆっくりと撫で始めたのでほんと空気読んでほしいな……。 「髭切貴様ァッ!!!! 様に気安く触るなッ!!!!」とますます怒り狂う長谷部さんの血管はそろそろ爆発でもしちゃうんじゃ……? しかし、当の髭切さんは「まぁまぁ」なんて朗らかな微笑みを浮かべて――次の瞬間には、唇をゆっくりと吊り上げた。八重歯がちらりと覗く。それを見て、わたしはなぜだか背筋を震わせてしまった。 「悪いのは、かわいい姫に悪さしようとする哀れな亡霊だけだよ。うーん、夜目が利かなくても別にどうでもよかったけど、参ったなあ……。どうしようか、弟丸」 わたしとぱちっと視線がぶつかると、髭切さんはいつものようににこにこと笑う。……そうだよね、髭切さんってぽやぽやしてるマイペースな人だし……わたし、なんでこの人を一瞬でも怖い、なんて思っちゃったんだろう。 ……それにしても髭切さんはいい加減膝丸さんの名前だけでも覚えませんか……? 真面目な顔で「膝丸だ、兄者」って訂正する膝丸さんを見てると切ない……! けれど、膝丸さんはもう慣れた様子――ここがほんとに切ないところ――で言葉を続ける。 「石切丸たちは拝殿に籠っているらしいが、蛍丸、鶴丸、それからにっかり青江の本体を部屋に置くことになっているそうだ。大太刀も太刀も夜戦では使い物にならないが、加護の力はある。にっかり青江はいざという時に」 髭切さんは右手を顎先にあてて、「ふぅん」と呟いた後、わたしの前に屈んでにこりと笑った。 「なら、僕とおまえも姫の部屋に置いてもらおう。姫、安心しておいで。僕もこの腰丸も、鬼や妖なら斬ったことがあるからね。幽霊も同じようなものさ。斬ろうと思えば斬れるよ。こう、スパスパっとね」 鬼。アヤカシ。…………。 「膝丸だ、兄者。姫、どうだろうか。俺と兄者にも、きみを守らせてほしい」 ……え? いきなりファンタジーのお話???? ――というわけで。 なんだかよく分からないけど……わたしが使わせてもらっている部屋には、いまつるちゃんとわたし、そして日本刀が五本――刀ってどうやって数えるんだろう――が置かれている。…………いやなんで???? わたしを守るために必要だとみんなが言うから、それで気が済むなら……と思って受け入れたわけだけど、正直日本刀が部屋にたくさんあるほうが怖い。だって幽霊なんているわけがないし、それよりも実際に殺傷能力がある刃物のほうがどう考えても怖いでしょ……。 でも、それよりよっぽど不安なことがある……。 「ひめ、ねむれませんか?」 布団に横になるわたしのそばに、いまつるちゃんが正座しているのだ。いや寝ようよ……寝ようよ……。しかも部屋の外の廊下には前田くんも正座している…………眠れるわけがないよね?? っていうか二人ともお部屋行こう? 寝よう? 二人とも寝よう???? 幽霊騒動のおかげで大変なことになってしまった……なんてことだ……。 わたしはゆっくりと布団から起き上がると、いまつるちゃんの両手を握った。 「ねえ、いまつるちゃん。いまつるちゃんも、前田くんももちろんなんだけど、みんなにも寝てくれるように言ってくれないかな?」 そう、いまつるちゃんと前田くん以外にも、ちびっ子たちはみんな起きていて、それぞれ廊下、さらには庭にまで出ているというのだ。そんな状況で眠れる大人がいる……? いまつるちゃんは私の手をぎゅうっと握り返して、ふんす! という表情で声を上げた。 「なにをいうんです、ひめ! やつをしとめるまで、ぼくたちはずっとずっとずーっとひめをおまもりします! ねむっているひまなどありません! それに、ぼくたちはねむるひつようも、ほんらいならありませんから、どうかごしんぱいなさらないでください」 何を言うのかないまつるちゃん?!?! 「いや寝なかったら死んじゃうんだよ?! 大人でも睡眠不足が続けば危ないんだから、みんなを寝かせないなんて鬼の所業だよ……! 幽霊なんていないから、大丈夫だよ。ね? いまつるちゃんが言ってくれたら、みんな聞いてくれ――」 「、ここを開けておくれ。おまえのじじいが来たぞ」 この寝室と居室とを仕切る襖の向こうから、声がかけられた。三日月さんの声だ。 こういう時には必ず前田くんが部屋には入れず、廊下で追い返してしまうんだけれど、三日月さんはどう言って入ってこれたんだろうか。前田くんは眠くなってしまってお部屋に帰ったという可能性を信じたいが、悲しいことに今までの経験上それはありえないんだけれど。 「三日月さん? なんでこんな時間に……どうぞ、入ってください」 その瞬間、いまつるちゃんが「いけません! ひめ!」と声を上げて立ち上がった。ハッとしていまつるちゃんが睨みつける先に視線を動かすと、そこには白い着物を着た女性がぼうっと立っていて――。 「ミィつけタァ」 長い髪が顔に影を作っていて、その表情は窺えない。 「ちっ、あおえ!」と怒鳴るいまつるちゃんの手には小さな刀が…………刀?! 刀?!?! 刃物なんていつどこに持ってたの! 危ないから渡して! と言おうとしたところ、背後からふわりと風が吹いて――振り返ると、青江さんが薄っすらと微笑みを浮かべていた。 「いけない子だね、姫。返事をしてはいけないと言ったじゃないか」 …………。 「へ、」 ぽかんとするわたしに、女性が「ちョうだァい、カラダを、チョうだァい」と……え? 咄嗟に「えっ、それは無理です……」と答えたけれど、体をちょうだいとは……? いやあなた体あるじゃないですか……え? カラダって体だよね? えっ違うの……? わたし持ってるのかなそれ……。 すると、襖をスパンッ! というかズバンッ! と開け放って、前田くんが現れた。 「お嬢様……!」 ……あら? そういえば襖、今の今まで閉まったままだったな……。 「まえだ! おまえはなにをしていたんです!!!!」 いまつるちゃんの怒声に、前田くんが「申し訳ありません……! しかし、戸の前には何も……!」と悲痛な声で応える。手にはいまつるちゃん同様に小刀があってもう卒倒しそうである。なんで二人とも刃物持ってるの……! えっえっと二人を交互に見つめるわたしだったが、女性がか細い声で「あのヒトが……あのヒト……ヒトりは、サみシぃ……」と言うので、あら……? と思い至った。 わたしが口を開く前に、青江さんがすらりと刀を…………刀?! あなたもですか!!!! っていうかあなたが持ってるからちびっ子が真似してるのでは?!?! とにかく、わたしが辿り着いた答えを早く知らせないとヤバイ!!!! 「ふふ、残念だけど、ここにあるものはきみとは添えないよ。けど、大丈夫さ。寂しいなんて思うこともなくなるよ。僕がきみを――」 「あのっ、家出ですよね?! 家出!!!!」 少しの沈黙の後、女性が「……ハ?」と呟いた。 あれだけ怒っていたいまつるちゃんも、そして前田くんも、ぽかんとわたしを見つめている。 「よく分からないですけど、何か事情があって困ってるんですよね? でももう遅いですし、話は明日にして、よかったら泊まっていきます? わたしの部屋でよければ」 わたしの言葉に、俯きがちだった女性が顔を上げた。ものすごい美人である。これはますます放っておけない。なんたって今午前二時。……ますますちびっ子たちが起きていることに心臓が痛い……。 「おいおい、きみは何を言い出すんだ? そいつはきみのことを祟り殺して、そのまま体を頂いてしまおうとしているんだぞ。酔狂にも程がある」 呆れた顔をする鶴丸さんに、ギョッとしてしまった。 「えっ、こんな時間にこんな綺麗な人を外にほっぽり出すほうがどうかしてますよ!」 わたしはすぐに女性のほうに体ごと向いて、「今ちょっと色々ゴタゴタしてるんですけど、大したことじゃないですから、遠慮しないで、ね? いくら夏でも、夜にそんな薄着じゃダメですよ。あ、わたしのでよければパジャマお貸ししますから、それ着てください」となるべく優しい表情で言う。 どういう事情にせよ、迷い込んでしまった(?)逃げてきた(?)人を追い出すなんてできないし、そもそも午前二時。いくらなんでもこの時間に、女性一人がふらふらしていたら危ないに決まっている。どうなってるのか分からないけど、本丸って山に囲まれてるし……どこか休める場所を薦めることもできないんだから仕方ない。 すると、いまつるちゃんがギッと目を光らせた。 「きさま、ひめになにをした!」 「ナッ、なにモしてナい……」 「なんてことを……! お嬢様に何か妖しい術でも使ったのですね?! にっかりさん、何をしているんです! 早く斬ってください!!」 いまつるちゃんにつられてしまったのか、普段はとても穏やかな前田くんまでもがヒートアップしてしまったので、わたしはなるべくにこにこと二人に笑いかけながら、どう落ち着いてもらおうかと頭が忙しい。なんたってこの子たち、刃物を持っている。さっさと取り上げてしまうほうがいいのかもしれないが、下手に刺激しても余計に良くないだろうし、とにかく落ち着かせることがまず重要である。 「いまつるちゃんも前田くんも、大丈夫だよ。知らない人がいると落ち着かないかもしれないけど、今日はもう遅いから。ほら、二人ももう休もう?」 ちょいちょいっと手招きするも、いまつるちゃんは「ひめ! これはあしきれいです!! これをきらねば、」…………うん? 「……れい……? 幽霊?」 「そうです!」 あ、あ〜〜! なるほど! 「あ、あ〜〜! この人白い着物だもんね! あっ、すみません……変なことがあった後だから、幽霊がいるんじゃないかって話になってて……」 無邪気なちびっ子といえども、さすがに初対面の人を幽霊呼ばわりとは大変なことである。後でよく言ってきかせないと……と思いつつ、ぺこぺこ頭を下げるわたしに、女性は「……わたシ……」と何か言いたげに眉を寄せた。 いまつるちゃんはその様子を見て、チャキンッ! と小刀を構え……待って待っていまつるちゃん危ないから! それは危ないから!! 「あおえ! はやくこれを――あおえ?」 呼ばれた青江さんは、困った様子で刀を納めた。そう! まず大人のあなたがお手本を見せないと!! 「……参ったね。この霊、邪気という邪気が祓われてるよ。蛍丸も源氏の兄弟も大人しいわけだ。これは僕が斬らずとも、明日の朝にでも成仏する」 前田くんがキッと眉を吊り上げて、「ですが、これはお嬢様を傷つけました!」と声を上げる。 鶴丸さんがわたしをちらりと見た。 「……おひいさん、どうするんだ? きみが素っ頓狂なことを言い出したんだ、この場を収めるのもきみでなくては無理だぞ」 女性を警戒しっぱなしのいまつるちゃんが、「ひめ! これはなさけをかけるものではありません!!」とますます声を荒げる。 …………苦肉の策である。 「うんうん、だからいまつるちゃんがいてくれてるんでしょ? もし仮に……この人が幽霊だったとしても、いまつるちゃんが守ってくれるんじゃないの?」 すみません……とりあえず話を合わせてあげないと、このちびっ子たちはどうにもならない……すみません……という思いを込めて、小さく女性に頭を下げつつ言う。 それを見てどう思ったのか、いまつるちゃんは「……ひめ……」と呟くと、小刀を下ろしてくれた。……よ、よかった……。 「――わかりました」 「今剣さん?! 何を言うんです!」 納得いかない! と言わんばかりの前田くんを、いまつるちゃんが諫める。いまつるちゃんは賢いちびっ子なので、分かってくれさえすれば非常に素直なのだ。 「ひめのおのぞみをかなえてさしあげる。それが、ぼくたちのもっともたいせつなおやくめ。ひめのおやさしいこころをおまもりするのも、ひつようなことです。ひめがこれになさけをかけようとおっしゃるなら、そうさせてさしあげましょう。ただし――なにかみょうなまねをしようとすれば、もんどうむようでたたっきります。いいですね。さっ! ひめ、もうねましょう! いっしょのおふとんにはいってもいいですか?」 ……理論的にはちょっとおかしいのだけれど、無邪気な顔でわたしのそばに寄ってくるいまつるちゃんが大変かわいいので、とりあえずお説教は明日にしてしまおう。何度でも繰り返すけれど、午前二時である。 「うん、いいよ〜〜。前田くんもここで寝ていきなよ。ね?」 「しっ、しかし……」 困った顔をする前田くんの腕を引くと、渋々ながらも従ってくれた。前田くんも礼儀正しくて優しい、よく気がつくいい子なのだ。ただちょっと、一度思い込んだら……というだけで。まぁこれは前田くんに限ったことではないのだけれど。やっぱりまずは大人たちに再教育が必要かな? ――と思いつつ、とりあえず今は寝ることが最重要事項である。 大人二人に、「じゃあ青江さんも鶴丸さんも、早く部屋に帰ってくださいね。じゃないと着替えられませんよ」と言って追い立てる。 青江さんは肩を竦めて、「分かったよ。まったく、きみは本当に清らかな乙女だね。もちろん、心根のことだよ?」と軽口を叩きながら、ひらひらと手を振って出ていった。鶴丸さんも「……ま、こうなっては仕方ない。それじゃ、ゆっくり休めよ、おひいさん」とそれに続く。 ……あれ? そういえば、声をかけてきた三日月さんはどこ行っちゃったんだろう……? いや待って……? 青江さんと鶴丸さんはいつの間に? どうやって部屋の中に――え、幽霊ってもしかして…………ん、んなわけ〜〜〜〜! 以下、おまけ! 「姫ってば、僕にのんびりしてるなんて言うけど……彼女のほうがよっぽどのんびりしてるよねえ」 庭先に佇む白い女の影を見つめながら言った髭切に、膝丸は神妙な顔つきで声をかける。 「いいのか、兄者。いくらあれが善良な魂となったとて、妖に転じる可能性がないとは言いきれぬのではないか?」 そこへやってきたにっかり青江が、じっとこちらを見つめる女の視線に笑顔を返しながら「そんなことはないさ。ほら、見てごらんよ。彼女、今はもう清々しい顔をしているじゃないか。きっと姫には初めから、彼女の清い部分が見えていたんじゃないかな」と膝丸の疑問に答えた。 それを受けて、膝丸が顔を顰める。 「つまり、姫には初めから、あれは善良な魂にしか見えなかったということか?」 髭切は、鋭い犬歯を覗かせて笑う。 「僕たちが見ていたものは、血みどろの、お世辞にも綺麗だなんて言えない化け物だったしねえ。でも、清い部分だけを見ていた姫には、あれは初めから美しいだけの女にしか見えていなかったんだろうね。彼女の反応がそうだっただろう?」 佇む女は、微動だにせずこちらをじっと見つめている。 青江は近づいてくる足音に気づいて、女をじぃっと見つめ返した。女の影がどんどん薄らいでいく。 「だとしても、霊とのんびりお茶を飲むなんて……変わり者だよ、姫は。まぁ、気づいていないだけなんだろうけど。ここは色々と特殊だから。――ああ、あの霊、もうここを旅立つようだね。ふふ、きっかけはどうであれ、最期に姫と出会うことができてよかったじゃないか。これで迷わず天に昇って、きっと次こそ幸せを掴むことができるさ」 足音の主だったは、珍しい組み合わせに目を丸くしつつ、声をかけた。 「――あ、小雪さん見ませんでした? ちょっと席を外したら、いなくなっちゃってて」 髭切はぱあっと表情を明るくさせると、「彼女なら、もう出て行ったよ」と言いながらの手を取った。 「えっ、そうなんですか?! お見送りしたかったなぁ……」 残念そうにするに、青江もいつになく爽やかに笑う。 「きみには感謝してたよ、彼女。だから、見送りなんてしなくても十分伝わっているさ。それに、あんまりきみが彼女を大事にしたら、みんなが妬いてしまうよ」 冗談交じりの青江のセリフを聞いて、は苦く笑った。昨夜の騒動を思い出したのだろう。 「あはは、どうもちびっ子たち、緊張しちゃってたみたいですしね。まぁでも、また機会があったら会えるといいな。小雪さん、とっても素敵な人だったから」 話を遮るように、髭切が「さあ姫、いないものの話はもう終わりにして、僕とお茶でも飲もう。弟丸も一緒に、ね?」との腕を引く。 ぐいぐい引っ張る髭切に連れられながら、「髭切さん、いい加減ちゃんと名前覚えてあげてくださいよ、もう……。青江さんも一緒にどうですか?」と声をかけるに、青江はにこりと笑った。瞬間、目が合った膝丸が承知したように頷く。 「いや、僕は遠慮しておくよ」 「そうですか。じゃあ、わたしたち行きますね」 どんどん先に進む髭切を宥めつつ去っていくの後ろ姿に、青江は低く呟いた。 「見送りなんて、冗談じゃない。きみにだけはそんなこと、折れたってさせやしない。そんなことをしたら――あれは本当に、きみを連れていってしまいそうだった。だから、これでいいのさ」 夏は、まだ終わらない。 |