「あるじさん大変! 緊急事態!!」

 スパンッ! と襖を勢いよく開け放ち、乱藤四郎は審神者の執務室へと飛び込んだ。
 男は書類へ向けていた視線を動かして、「緊急事態の割には笑顔だな、どうした?」と問いかける。すると、乱は興奮気味に叫んだ。

 「ちゃんのかわいさがヤバイの!!!!」

 審神者はその言葉にぴたりと動きを止めると、呆れたように溜め息を吐く。

 「おいおいおいおいそんなの今に始まったことじゃないだろ? おまえは何を言ってるんだ乱」

 事情を知らぬ人様がこれを聞けば、おまえが何を言っているんだと言うかもしれないが、審神者は真剣だ。真剣に、自分の妹であるのことを、贔屓目なしに世界一かわいい特別な女の子――もう成人しているが――と思っているので。
 そして、この男が任されている本丸の刀剣男士たちは皆、それに頷く。子は親に似る、共に過ごせば似てくる――などとはよく言ったもので、この本丸に属する刀剣男士はすっかりその通り。方向性や程度はそれぞれだが、を大事に可愛がってやることがすべて、というかなり偏った物の考え方をするようになってしまったのだ。
 ――それはともかく。

 「見れば分かるから来て! どうしよう〜! 薬研も原因分かんないって言うし、あとはあるじさんしか……」

 この言葉に、審神者は顔色を変えた。そして飛び上がるようにして立ち上がると、手に持っていた書類を力任せに破る。

 「……なんですぐ俺に知らせなかったんだ!! ちゃんどっか悪いのか?! ぽんぽん痛いって?! 頭痛い痛いだって?! いや、おまえを叱ってる場合じゃねえな。クソッ、そんな一大事に俺はなんでこんなクソみたいな紙っ切れなんかクソ真面目に読んでたんだ……! ――ちゃん待っててねお兄ちゃんがすぐ助けてあげるからね……!」

 そう言って部屋を飛び出し、風のように去っていく姿を見送りながら、乱は「……さすがあるじさん。ちゃんのことだとホントに人間かな? って思うくらいの機動……」とぽつりと呟いて、それからすぐに同じく駆け出した。この事態を、他にも早く知らせなくてはと。




 審神者はその状況を見て、体をわなわなと震わせた。そして、なんとか言葉を絞り出す。

 「……おい……おい……どうしてこんなことになったんだ!!」

 一期一振は悲壮な顔つきで、「申し訳ありません主! おそばに控えていた私が、一番にお知らせしなければならなかったというのに……!」と苦しげに答える。事に最初に気づいたのは、この一期一振だった。
 一期は唇を噛んで、「しかし、この状況では……っ!」と俯く。審神者はくっと天を仰いだ。

 「いや、いい……おまえは悪くない一期。……とりあえず平野呼んでこい写真だ写真ッ!!!!」

 すると、天井からシュタッと影が落ちてくる。審神者が呼んだ平野藤四郎である。
 平野は眉をきりりとさせて、力強く頷いた。

 「ご心配は無用です、あるじさま。もちろん、この平野が既に何枚か収めました!」

 一眼レフカメラを構えてみせる平野に、審神者は「よっしゃァよくやった平野ッ!!!!」と万感の思いを込めて拳を握った。
 俺はもう今この瞬間死んでも悔いはない……と思ったのは一瞬のことだったけれど。
それもそのはずである。審神者の目の前――一期の腕の中には、彼の最愛の妹、が抱かれているのだから。それも、もう随分と過去の幼い姿で。
 一期の空色の髪を、珍しそうに夢中になって見つめていたが、やっと自分の兄の姿に気づく。そして、眩しいほどの無邪気な笑顔を浮かべた。

 「――あっ! にーに! いちごくん、あのね、わたしのにーにだよ! にーに、だっこ!」

 はにこにこしながら一期に声をかけると、審神者に向かってぐんと腕を伸ばした。

 「ンん゛ん……ッ! うんうんっにーにがだっこするよちゃん!!!!」

 口元を覆って身悶えする兄に、「いちごくんもだっこしてくれたけど、、にーにのだっこがすき」と追撃を食らわせるの後ろから、ぴょんっと今剣が現れた。

 「――ひめ! 今剣がおそばにきましたよ!」

 事態をいち早く把握した今剣は、体が――そして記憶も幼い日に戻ってしまったのために、ここには兄がいることを説明し、まず安心させることに努め、手際良く必要なことをこなしていった。そのうちにすっかり懐いたは、今剣を“おともだち”と認識している。なので、その姿を認めてすぐ、ぱあっと嬉しげに瞳を輝かせた。

 「いまつゅうちゃん!」

 「ンン゛ん……ッ!!!!」と激情を堪える審神者の隣で、一期が「私は本当にこの本丸に顕現されてよかった……ッ!!!!」と目にハンカチを押しあてた。

 「ひめ、いま、おやつをよういさせていますからね。ぼくとまっていましょう」

 の手を取ってぶらぶらと揺らしながら、今剣はにこにこ笑う。
 おやつと聞いてさらに瞳をきらきらさせながらも、行儀の良いは「ほんと? うれしいな! にーに、おやつたべてもいーい?」と兄をくるりと振り返った。

 「いい゛よぉ……!!」

 唸るような兄の声に、不思議そうに首を傾ける。

 「……にーに? どうしたの……?」

 今剣がすかさず、「ひめ、これはあるじさまのわるいくせがでているだけですから、きにしなくていいんですよ」と言って気を引くと、はすぐに今剣と手遊びを始めた。
 そこへ、話を聞いて駆けつけてきた加州清光が、甲高く黄色い声を上げる。

 「〜っカワイイ!!!! ホントになわけ? いや分かるけど! だもん分かるけど!! でもなんでこんなことになっ――いやかわいいからいっかマジちょうかわいい〜〜っ!」

 きゃっきゃとはしゃぐその姿を見て、はこてりと首を傾げた。記憶も退行してしまっているため、可愛がっている加州の記憶も今はないのだ。
 困惑した口調で、「……だぁれ? のこと、しってるの?」とじっと加州を見上げる。それにショックを受けるも、知らされていた情報を思い出すと、加州は「そうだ、記憶も戻っちゃってるんだった……」と呟いた。
 それならやることは一つだと、の目の高さに屈んで笑顔を浮かべる。

 「えっとね、俺はのお兄ちゃんの……えーと、友達! 加州清光!」

 兄の友達と聞いて安心したのか、はぱあっと表情を明るくさせると、「か、かしゅ、」と清光の名前を呼ぼうとする。加州はその様子をにこにこ見つめながらも、「ん〜、そっちじゃないほうがいいな〜。ほら、清光って」と柔らかい頬に人差し指をふにふにと押し当てる。
 すると、一生懸命に舌を動かすが、なんとか口を開いた。

 「き、きょ……きょ、みちゅ」

 ピタッと動きを止めたかと思うと、加州は顔を覆ってぶるぶる体を震わせ、もう辛抱できないとばかりに叫んだ。

 「ンアアア俺今日から加州きょみちゅに改名するかわいい〜〜ッ!!!!」

 すると、背後からやってきた和泉守が、加州の頭をぱしんと叩いた。

 「なーにバカなこと言ってんだ。そんな理由で改名なんざできるわけねえだろ」

 言いながら、興味深そうにを見つめる和泉守を恨めしげに睨んで、加州は「っはァ? じゃあ何、兼定はがかわいくないって言いたいわけ? このキラキラの目を見てそれ言えんの? あ゛?」と腕組みする。
 自分をじっと見つめる和泉守を見て、は不思議そうに首を傾げた。しかし、兄の友達である加州の反応を見て、そっか! と笑顔を浮かべる。兄の友達である加州の友達なら、彼もきっと兄の友達だと判断したのだ。

 「かにぇしゃだくんっていうの? わたし、!」

 純真無垢な眩しい笑顔に、和泉守は「っぐ……!」と一言唸ると、「よォーし、かにぇしゃだくんが高い高いしてやる!!」とに手を伸ばした。
 「ほーら、やっぱかわいーじゃん」という加州の嫌味は、もう聞こえていない。
 そして和泉守がを抱き上げる寸前、ビュワンッ! と疾風のごとく燭台切光忠がやってきた。手にはかわいいピンク色のトレーを持っており、そこにはドーナツとジュースが載っている。

 「待たせたね!!!! ちゃん、おやつだよ! 僕が心を込めて作ったドーナツだから、体に悪いものは一切入ってないからね。ジュースも自家製のりんごジュースだから安心して!」

 いくら力説しようと、今のには燭台切の(に食べさせる)料理への情熱は理解できないし、できたとしてもそんなことよりおいしそうなドーナツのほうがいいに決まっている。今のはちびっ子なので、いつものように気を使って話を合わせる、なんてことはできない。
 は大きな瞳をさらに大きく見開いて、「どーなつ! にーに、たべてもいーい?」とそわそわしながら兄の服の裾を引く。
 いつでものことがかわいい審神者だが、今日のはちびっ子で、さらにはただただ自分を慕ってくれていた頃の姿だ。大人になったは、兄の病気(シスコン)に辟易しているため、ちっとも構ってくれないが今は違う。余談だが、このもあと一年もすれば兄がおかしいことに気づいてしまうので、審神者は本当に運が良かった。
 デレデレと相好を崩して、審神者は「いいよ〜いっぱい食べていいよ〜〜! にーにがあーんってしてあげようか〜? してほしいね〜〜? はい、あーん」とドーナツをの口元に持っていく。ここでも行儀の良いは、すぐにかぶりつくことはせず、燭台切に向かってぺこりと頭を下げた。

 「おにーちゃん、どーなつありがとう!」

 燭台切は目頭を押さえながら、「ンンンどういたしまして!! たくさん用意があるから好きなだけ食べてね! ちゃんのためのドーナツだから……!」と声を震わせた。
 そして、が審神者の手からドーナツを食べようとした瞬間――。

 「主ッ! に行儀の悪いことをさせるんじゃない!! まったく、話を聞いて駆けつければこれだ……。政府に問い合わせはしたのかい? きみが今すべきことは、この状況の原因を特定することのはずだが」

 鬼の形相で現れた歌仙兼定に、審神者は顔面蒼白になった。を守るにふさわしい審神者であるようにと、いつも何かと檄を飛ばしてくる初期刀・歌仙には頭が上がらないのだ。

 「んぐッ……か、歌仙……! い、いや、ほら、分かるだろ? ちゃんのお兄ちゃんである俺は、この緊急事態だからこそちゃんのそばにいてあげ――」

 「今すぐに問い合わせするんだ!! の体にどんな影響があるのかも分からないのに、のんびりしている暇があると思っているのか?!」

 審神者は勢いよく立ち上がると、眦を吊り上げて「オラァッこんのすけどこだコラァ!!!!」とドスの利いた声で叫び散らしつつ、ドタドタと廊下を駆けていった。

 「まったく……。さぁ、着替えよう。今のきみに合ったものを用意したんだ。きみは姫なのだから、それにふさわしい装いでいなければいけないよ」

 審神者が見た鬼はなんだったのか、歌仙は慈しみの権化と言ってもいいような優しい微笑みを浮かべ、の頬をそっと撫でた。は戸惑った様子で、「……いまつゅうちゃん、、どうしたらいい?」と小さく呟く。
 今剣が小さな両手をぎゅっと握りしめ、にこっと愛らしく笑った。

 「せっかくよういがあるんです! ぜひ、きがえましょう! もちろん、この今剣がおせわしますから、あんしんしてくださいね」

 今剣の言葉に、は「わかった!」と元気よく頷く。
 これを聞いた一期はそっとのそばに寄り、恭しく頭を垂れた。

 「では、私がお供いたしましょう。お嬢様、この一期一振がだっこして差し上げますぞ」

 「ちょっと、なんで一期なわけ? 俺がする!」

 ずいっと進み出た加州がに手を伸ばすと、和泉守がその手を掴んだ。

 「あァ? だっこならこのオレがしてやる!」
 「あァ? 兼定は絶対雑にするでしょ? 俺がするから」

 睨み合う二人に、一期が「和泉守殿、加州殿。お嬢様の御前でそのような言葉遣いはお控えください。教育によくありません」と言うと、二人は同時に叫んだ。

 「「うるせえッ引っ込んでろ!!!!」」

 私が、いや俺が――と言い合う三人に溜め息を吐いて、今剣はやれやれと首を振った。そしてを優しく立ち上がらせると、「ひめ、いきましょう。ぼくと、てをつなぎましょうね」と手を握る。が繋がれた手を嬉しそうに揺らして、「うん!」と返事すると、二人はその場を後にした。




 、今剣が二人で仲良く廊下を進んでいると、前方から三日月宗近が喜色満面に近寄ってきた。

 「おお! ! やっと見つけたぞ! 今までどこにいた? じじいはおまえに会いたかったぞ〜! よしよし、抱き上げてやろうな」

 に伸ばされた手を、今剣がぴしゃりと叩き落とす。

 「みかづき、ひめはこのとおり、ちいさくなってしまわれました。つまり、おまえのあいてをしているばあいではないんです。どきなさい」

 三日月がきょとりと首を傾げて、「何を言うのだ、今剣。じじいがの世話をしてやるのは当然だろう?」と言うと、今剣は冷徹な眼差しを向けながらそれを切り捨てた。

 「おまえにはむりです。ひまなら、しゅつじんかえんせいにでもいってきなさい」

 三日月がムッと顔を顰める。

 「このじじいが遊んでやらねば、誰がと遊んでやるのだ」
 「ぼくがおそばにいますから、おまえはいりません」

 珍しく頑張った三日月だが、無表情な今剣を前にしていよいよ退散か……と思われた時。

 「おっと、ここにいたか。なんだ、随分とかわいい格好してるな、お嬢さん。よく似合ってる」

 「やげんくん! おきがえしたのー!」

 飛びついてくるを優しく抱きとめると、薬研は柔らかい頬をそっと一撫でする。そして、「おう、別嬪さんだ」と破顔したが、今剣に向き合うと表情を引き締めた。

 「――今剣。大将が政府に問い合わせたところ、どうやら本丸の影響を受けているらしいとのことだ。一時的なものだが、本丸に集まっている神気を受け止められなくなっているんだと」

 今剣は「なるほど」と、神妙そうに頷いた。

 「ここにでいりするようになって、しばらくたちますからね。ひめのたましいが、ぼくたちのしんきにはんのうしているということですか。こんかいのことは、からだがじかんさで、びっくりしたけっかですね。ならば、はやくてあすにでも、もとにもどるでしょう。そのころには、からだにたいせいがつきますからね」

 「そういうことだな」

 真面目な話をしている二人の横で、三日月が「や、や、おまえの大好きなじじいだぞ〜〜。抱き上げてやろうな〜」との気をなんとか引こうとうるさいので、今剣がカッと赤い目を見開いた。

 「みかづき! おまえにはまかせられないとなんどいわせるんですか! ひめがおけがでもなさったらどうするんです?!」

 三日月は心外だとでも言いたげな顔で、「怪我などさせるものか。俺はな、ただかわいいを――」とから意識を逸らした瞬間、「あっ!」と声を上げてが駆け出す。三人がすぐさま視線で姿を追うと、もう足を止めていた。そして、きらきらと眩しい笑顔を浮かべ、一人の男を見上げている。

 「……なんだ」

 熱視線に耐えきれなくなった大倶利伽羅は、を見下ろしながら口を開いた。すると、それだけで嬉しいと言わんばかりに頬を染めたが、「わたし、っていうの。おともだちになってくれる?」と言うので、びくりと体を強張らせた。
 「ははっ、お嬢さんは大倶利伽羅がいいのか? 妬けるな」とからかい半分、本音が半分という調子でこぼす薬研に、がくるりと振り返る。

 「やげんくんは、もうおともだちだもん!」

 しかし、どうしても大倶利伽羅に興味があるようで、「でも、、このおにいちゃんとなかよくなりたい」とすぐに大倶利伽羅に視線を戻した。

 「な、なぜだ……! おまえにはこの三日月宗近がいるぞ?! 遊んでやるぞ?!」

 必死に訴える三日月の隣で、今剣がじぃっと大倶利伽羅を見つめる。大きな赤い瞳が、大倶利伽羅を離さない。ゾクッとするような威圧感を放ちながら、今剣はにこりと笑った。

 「おおくりから。ひめはちいさくなってしまわれたんですから、おあいてをするさいにどうすればいいのか、わかりますね」

 大倶利伽羅は今剣から視線を逸らすと、溜め息まじりに口を開いた。

 「……俺と仲良くなってどうする」

 はきょとんと目を丸くして、「? いっしょにあそんでほしいよ、おともだちだもん」と言うと、じわぁっと瞳を潤ませた。ぎょっとする大倶利伽羅を見上げながら、「……おにいちゃん、のこと、きらい……?」とぎゅうっと小さな手を握りしめる。
 大倶利伽羅はそっと屈んで、の頭をゆっくり撫でた。

 「……何をして遊びたいんだ」

 これを聞くと、はぱあっと笑顔を浮かべた。よほど嬉しいようで、大倶利伽羅の手をぎゅうっと握ると、「あそんでくれるの?! えっとね、うんとね、おままごとがいい!」と言いながら、繋がった手をゆらゆらと揺らす。

 「……ままごとだと……?」

 眉間に皺を寄せる大倶利伽羅に、は無邪気に笑いかける。

 「ほかのでもいいけど、おにいちゃんとしたいんだもん。がおかあさんで、おにいちゃんがおとうさん。いまつゅうちゃん、おとなりのおともだちになってくれる?」

 とととっとの隣に並んで、今剣はぴょんっと飛び跳ねた。

 「もちろんです! ひめ――おかあさんのおともだちですね! まかせてください!」

 がしがしと頭を掻きながら、「参ったな、お嬢さんは大倶利伽羅をご所望か」と苦笑いするも、薬研も「さて、それなら俺っちは何役だ?」と続けての頭を撫でる。

 「、じじいも遊んでやるぞ。どんな役にでもなってやるぞ」

 三日月の懸命なアピールは、おままごとの配役に夢中のの目には入らない。今のはちびっ子である。広い範囲に意識を向けることができないので仕方ない。

 「うんとね、やげんくんはおにいちゃん。みだれちゃん、おねえちゃんやってくれるかなぁ……」

 「そりゃあいい。乱は俺っちが呼んできてやるよ。誘ったら喜ぶ」

 快活に笑って頷くと、薬研は早速行動に移ることにした。その背中に手を振りながら、「うん! ありがとう、やげんくん!」とはご機嫌である。

 「……じじいもままごとはできるぞ……」

 三日月が未練がましく呟くその後ろから、「――こりゃあ驚いた」と鶴丸国永が現れた。まじまじとを見つめながら、「話は聞いたが……なるほどなぁ」と口元を緩める。

 「しゅつじんはどうしたんです? つるまる」

 今剣が厳しい声音で言い放つと、鶴丸は肩を竦めた。

 「主の指示で、今日はもう終いだとさ。まぁ、緊急事態だからな」

 そう言って琥珀色の瞳を細めながら、「……しかし、そうか。おひいさんにもこんな時分があったんだなぁ」と笑う。
 さて、どう驚かせてやろうかな。
 鶴丸の悪癖が顔を覗かせる前に、が動いた。

 「わあ……」

 溜め息のような声を漏らすので、鶴丸はの目の高さに屈んでやった。

 「うん? なんだい、おひいさん」

 まろやかな頬を撫でようと手の甲を寄せた瞬間、が口元を綻ばせて呟いた。

 「おにいちゃん、とってもきれいね」

 その言葉に、鶴丸はぴたりと動きを止めた。それからほんの少しの沈黙の後、戸惑った調子で「……そうか、」とこぼす。するとが、鶴丸の両頬を小さな手で包み込んだ。

 「うん、てんしみたい!」

 透き通る白磁の肌を真っ赤に染め上げて、鶴丸は熱っぽく言葉を吐き出した。

 「……おいおい、きみはどうしたって言うんだ……? いつもとまるっきり違うじゃないか……」

 まったく、と呆れたように、「おさなくていらっしゃるんですから、とうぜんです」と今剣が言う。そして、ににこにこと笑顔を見せながら、「ひめ、これはつるまるといいます。おともだちになりますか?」と優しく問いかける。は瞳をきらめかせて、ずいっと今剣に顔を寄せた。

 「いいの?! うんっ、、てんしさんとおともだちになりたい!」

 邪気のない眩しい笑顔で自分を見つめるに、鶴丸は口元を緩ませた。

 「……お友達か。もちろんいいぞ。そら、抱き上げてやろう」
 「きゃー! たかいたかいだ!」

 はしゃぐをめいっぱい高く持ち上げて、「楽しいか?」と鶴丸が言う。

 「うん! つ、ちゅ、ちゅうまるくん、すごい!」

 鶴丸はを大事そうに抱きしめて、白くて柔い頬に顔を寄せた。

 「ははっ、こりゃいいなあ。いつもこう素直なら、もっと可愛がってやれるんだが」

 甘く瞳を溶かす鶴丸の足を、今剣がズンッと踏みつける。反射的にを抱く腕に力を込めた鶴丸を、今剣は不機嫌ここに極まれり、といった形相で睨み上げた。なかなかに理不尽である。
 まぁそんなことを今剣相手に言えるわけがないので、「ひめはいつでもおかわいらしいです! つるまる、おろしてさしあげなさい。ひめはこれから、ままごとをされるんです」とぷりぷり怒る姿に肩を竦めて、鶴丸はそうっとを下ろした。そして、目の前に屈んで笑ってみせる。

 「ほう。では俺も参加するかな。、俺も仲間にいれてくれるかい?」
 「いいよ! ちゅうまるくん、なにがいーい?」

 にこにこ笑うかわいいに、鶴丸は含み笑いを浮かべた。

 「そうだなあ………無垢なきみを守ってやる番がいい。鶴は一途だし、以前に試してみろと言っただろう?」

 しかし、相手はちびっ子である。

 「? ……う、うーん……むずかしい、」

 困ったようにうんうん唸るを見て、鶴丸は「ははっ、まだきみには分からないか」と言って、この年頃の子どもが言うままごとの登場人物というと――と選択肢を思い浮かべているところに、今剣が口を挟んだ。

 「ひめは、ふくんにはおおくりからをおえらびになっていますから、おまえはほかのやくになさい」

 「……なんだって?」

 の様子から、そもそも夫役は“ない”ものなのだと思ったら、決まった役だから“ない”のだと言う。
 いつもの――成人したであれば、鶴丸の思わせぶりな言い回しに何かしら反応したはずだが、今のはちびっ子だ。当然、遠回しな言葉をそれらしく受け取ることはできないわけだが、それがすっぽり抜けている鶴丸は眉を寄せた。
 今剣は真面目な顔で、「ひめごじしんが、おおくりからをおえらびになったんです!」と言うと、すすっと鶴丸のそばに寄る。そして囁くような声音で、「いまは、ひめのおぞみどおりにあそんでさしあげるのが、ぼくたちのおやくめ。べつのものにしなさい」と不満げな鶴丸を窘めたが、鶴丸は思案顔の後、ニヤリと唇を吊り上げた。

 「……なるほど、こんな頃から伽羅坊のような男が好みなわけか。――それなら、今のうちに書き換えてやるかな」

 「つるまる!」

 今剣の怒声には応えず、鶴丸はまたを抱き上げた。

 「さ、おひいさん、たくさん遊んでやろうな」
 「うん!」

 はしゃぐを抱いて歩き出した鶴丸の背中に、「! じじいも遊んでやるぞ?!」と悲痛な叫びと共に手を伸ばす三日月の脚を、今剣がめいっぱい力を込めて蹴りつけた。いわゆる八つ当たりである。

 「いいかげんにしなさい、みかづき! おまえはいらないんです!」

 そう言って走り出した今剣の背中に、三日月はぽつりと呟いた。

 「……じじいも遊んでやりたいぞ……」




 いまつるちゃんを膝の上に乗せて、彼の今までの武勇伝(ソコウグンとかケビイシとかなんなのか分からないけど)を聞いていたところ、ドタドタと騒がしい足音と一緒に三日月さんが部屋に飛び込んできた。

 「なぜだ! あれほどじじいが遊んでやると言ったというに!」
 「待ってください急になんですか?!?!」

 悔しそうに顔を歪めながら涙を流す三日月さんに、いまつるちゃんが冷たい視線を向ける。……いまつるちゃんは三日月さんにはいつでも塩対応だね……。

 「ひめ、おきになさらず。――みかづき。ひめに、むようなくろうをかけないようになさい!」

 ビシッと言い放たれた言葉にビクッと体を揺らしながらも、三日月さんは「し、しかしだな、今剣。大倶利伽羅や鶴丸ばかりずるいではないか。俺だって夫役や高い高いをしたかった!!!!」…………。

 「待ってくださいなんの話?!?!」

 三日月さんの不思議発言は今に始まったことじゃないけれど、話の流れからして三日月さんが遊びたかった相手とはわたしでは?!?!
 なにそれどういうこと……と喉を震わせていると、「おい。茶だ」と――。

 「あっ、伽羅くん! ありがとう〜。いつもごめんね」

 伽羅くんは黙って、湯呑みとお菓子をわたしの目の前に置いた。いつもはそれですぐに出ていってしまうのだけれど、今日はじっとわたしを見つめて動かない。
 ……ど、どうしたのかな? と思って声をかける前に、伽羅くんが「……あんた、」と呟くように言った。

 「うん?」と返事すると、伽羅くんはすっと腰を折ってわたしの耳元に近づくと――。

 「……俺は――また、いつでも遊んでやる」

 …………うん?

 「……ま、待って? どういうことかな……?」

 本丸はいつでも不思議に満ちているけれど……わたしが知らないところで一体何があったのかな……?






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