「――つまり、うちの審神者に取材を行いたいと。そういうことですか?」 渋い顔をするこんのすけにずいっと詰め寄って、俺は用意してきたプレゼン資料を広げた。 俺はどうしてもここでこのこんのすけを頷かせて、例の審神者様のお話を聞きたいのだ。そしてそのお話を記事にして、政府発行の月刊誌『ザ・審神者』で多くの人々に伝えたい。 俺はまだまだ新米職員だから、あの審神者様が出席するような大きな会議なんかには関われない。でも、審神者の現場担当部に異動したことで、例の審神者様のこんのすけとこうして知り合うことができたのだ。このチャンスを逃すわけにはいかない! 審神者様のこれまでの素晴らしい偉業をまとめたリストを取り出して、特に評価されるべきとマーカーを引いてある部分を指差した。ますます前のめりになる俺に、こんのすけがぴょんっと飛び退く。 「そうです! 波はあるようですが、ほら! 毎月成績はトップクラスに名を連ねていらっしゃいますし、最も優秀な審神者に贈られる証書を、何度も授与されていますよね。彼のインタビューは新人に――いえ、全審神者に大きな影響を与えると思うんです! どうですか、こんのすけ! 審神者様に許可を取ってきてもらえますか?!」 こんのすけは前足で額を押さえながら、呻くように溜め息を吐いた。 「……あなたは、審神者の現場担当官になってまだ日が浅いと聞いております。成績の優秀な審神者様は他にもいらっしゃるのは分かっていますか?」 もちろん俺は胸を張って、「中でも、きみが担当している審神者様が最も優秀です」と迷いなく答える。 こんのすけは難しい顔つきで俺の広げた資料に視線を滑らせると、すぐに呆れたようにぺっと尻尾でリストをどけてしまった。あっと思う前に、深い溜め息が落とされる。 「……確かに、私の主様の能力は誰もが認めています。審神者としての素質は十二分。その手腕もお見事。審神者になるべくしてなったと言っていいでしょう。しかし、それだけです」 思わずデスクを叩いて、その勢いのままに立ち上がった。 「それだけって言い方はないでしょう?! あの審神者様のおかげで、何度も大きな歴史改変を阻止してきた! 本当に立派な審神者の鑑で――」 すると、こんのすけは両前足で顔を覆って、悲鳴のような声を上げた。 「あの方は! ……あの方は……治療不可能の、重い病を患っておいでなのです!!!! それも、手の施しようがない末期で……!」 「……なんだって……?」 尻尾までぺたりとうなだれてしまったこんのすけは、「……私の言葉を信じられないのも、思えば仕方のないことです」と呟くように口にすると――。 「いいでしょう。主様に、取材を受けるようにとお伝えしてきます。自分のその目で確かめれば、あなたも分かるでしょう」 こんのすけは審神者様にお伝えしてくると、さっさと出て行った。会議室に一人残された俺は、糸が切れたようにストンと椅子に腰を落とす。 「……現代において、治療ができない病気だって……?」 彼は多くの審神者が評価している優れた審神者だ。長く終わりの見えずにいたこの戦いで大きな功績をいくつも上げ、戦況を変えるかもしれない、待ち望まれた希望の星として活躍している。そんな人が、重大な病気を抱えているなんて信じられないし、もし仮にその命が失われてしまったとしたら、戦力の損失というだけでない大打撃となるに違いない。 ……戦う彼のその強い意志は、新進の審神者たちに伝えるべきだ。審神者としてこの国の歴史を――未来を守るということが、どういうことなのか。与えられる影響は、審神者の務めを果たす上で、きっと指針となるだろう。 「……彼の高潔な精神は、絶対に広く知らしめるべきだ。――よし!」 この三日後、俺は偉大な審神者が運営する本丸へと、足を踏み入れることになった。 ずっと憧れていた審神者様は、両腕を組んで面倒そうに溜め息を吐いた。そしてお茶を一口飲み下すと、「ホントはこんな七面倒くせえことはな、俺は引き受けたくなかったわけよ」と言って俺をちらりと見た。俺はと言えば、緊張してしまって先程からずっと喉の奥が乾いているが、審神者様の放つオーラにあてられてしまって湯呑みに手を伸ばすこともできない。 「――でもな」 キリッと鋭い視線を向けられて思わず喉を上下させると、審神者様はでれっと表情を緩めた。 「話聞いたちゃんが、『お兄ちゃんすごいね〜!』って言うから…………したら引き受ける以外にないだろ? ――それで? 何聞きたいって? 今日はちゃん早めに帰ってこれるかもしれないって言ってたから、なるべく手短に頼むな」 …………。 「…………え、えーと……」 ちらっとこんのすけに視線を向けると、溜め息まじりに「主様がどうして戦っているのか。その強さについて聞きたいそうですよ」と言って面倒そうに尻尾を揺らす。 審神者様はこんのすけの言葉を聞いてぴくりと眉を動かすと、コイツは何を言っている? というような顔をした。 「はぁ? ンなの決まってるだろ。かわいいちゃんの幸せのため以外になんか理由あるか?」 言葉が見つからない俺の様子を見て、こんのすけは「……分かりましたか? こういうことです」と言うが…………つまりどういうこと? 「……すみません審神者様……えーと、その“”さん? という方は一体……?」 審神者様はぱあっと表情を輝かせると、前のめりになっ「あれっ? ちゃんの話聞きたいの?? 俺のちゃんがどんだけかわいいかって話???? なんだよそれならそうと言えよ〜! オッケー! 審神者語っちゃうよ〜〜! あっ、でもうちの野郎どもには言うなよ? 平等にってルール設けて、一応その日の近侍しかエピソード聞けないってことにしてっからさ〜。――それから。……いくらちゃんのベリーキュートな魅力に感動しても、手ェ出そうとかクソみたいな願望抱くなよ……?」……さすが天才との呼び声高い審神者様……仰ってることが凡人の俺には何が何だかさっぱり分からない。つまりどういうことなんだ……。 まぁとにかく、取材に乗り気になっていただけたのならそれでいい。今はさっぱり分からなくても、これからじっくりお話を伺っていくうちに理解できてくるはずだ! と気を取り直して、俺は携帯端末の録音機能を入れた。もちろんメモの準備もバッチリだ。 「では、まずは審神者様の幼少期について、可能な範囲でもちろん構いませんので、ぜひお伺いしたいと思います。よろしいでしょうか?」 審神者様は「おう」と短く返事した後、過去を懐かしむような瞳をそっと閉じた。 「……そうだな……あの日に俺は、自分の生まれた意味をようやく理解したんだ。それまで俺は、周りはバカばっかだと見下してたし、つまらないことしかないと思ってた。でも、あの日――ちゃんが俺の妹として生まれてきてくれたあの日……俺の世界は一変したんだ……」 俺は一体どんな素晴らしい過去を聞けるんだろうと、思わず居住まいを正す。 審神者様はゆっくりと、どこか緊張したような声音で語り始めた。 いわゆる天才児ってやつだったわけだ、俺は。 なんでも一度やればマスターできちまったもんだから、手がかからないどころか、親に何かしてもらいたいと思ったことがなかった。 でも、うちの両親はそんな俺を変に特別扱いしなかったし、どこにでもいる普通の子どもとしてごくごく普通に育てた。まぁ、手がかからなすぎて物足りないと思ってはいただろうが。周りが母親に甘えて抱っこをせがんだり、父親に肩車をねだったりしてる中、俺は一人で歩いてさっさと行動するような子どもだったからな。 母さんも父さんも、ケガしないようにね〜迷子になるなよ〜って声をかけて、もちろん見守ってはくれていたが、俺の好きなようにさせてくれた。 俺は同年代の子どもたちの中で、浮いてたと思う。なんでって、口にも態度にも出さなくとも、俺は周りを小馬鹿にしてたわけだからな。なんでこんな簡単なことができないんだとか、頭の悪いヤツばっかだと見下してたんだ。 妹ができたと言われた時も、俺はそうかという感想しかなかったし、妹ができたからといって変わることはないと、その日まで――病院で母さんに抱かれるちゃんを見るまで、そう思って疑わなかった。 ――ここまで聞いた俺の感想というと…………なるほど、今された話すべてがさっぱり分からない。 審神者様が妹さんを大切に思ってらっしゃるのは伝わったが、それが審神者様ご自身のお話とどう繋がるんだろうか。……やっぱりさっぱり分からない。 そうは思いつつ、まぁここからだろうと、俺は「“”さんというのは、審神者様の妹さんのことでしたか……。それで?」とペン先をメモ帳に置いたのだが。 「……一目見て、俺は確信した……。俺が生まれてきたのは、この妹を――ちゃんを守るためなんだってな!」 グッと拳を握って立ち上がると、審神者様は天を仰いだ。 「……はい?」 俺の間抜けな問いかけなんかは素通りらしく、審神者様は熱弁を振るう。その様子はまさに歴戦の名将というような圧倒的存在感を放っているが、それに内容が追いついていないというか……話が完全に逸れている。俺は審神者様のこれまで、そして審神者とはいかなるものか、審神者様の強さの源をお聞きして、それを多くの審神者に知らしめ――え? 「俺が才能に恵まれてたのはな、簡単な話なんだよ。ちゃんを苦労させることなく幸せにするため、このため。だっておまえ考えてみ? あんっっっっなかわいい子が一人で世間の荒波渡っていけるか? 危ないに決まってんだろ? 守ってあげなきゃだろ? 俺はそのためにちゃんのお兄ちゃんとして生まれてきたんだよ……」 …………。 俺は意を決して、慎重に口を開いた。 「…………すみません、ちょっとよく意味が分からないんですけど……つまり?」 審神者様はこれでもかというほどに目を爛々と光らせた。 「俺はちゃんのお兄ちゃんになるために生まれて、ちゃんのお兄ちゃんとしてちゃんの幸せに命かけてんだよ……!」 「すみませんやっぱり全然意味が分かりません」 一体どうなってるんだ……俺は最も優秀な審神者が運営する本丸へとやってきたはずで、目の前で未ださんという妹さんに対する愛情を溢れんばかりの熱意でもって語っているこの審神者様こそ、俺が思う最高の審神者であるはずなのに……俺は一体何を聞かされてるんだ……どうなってるんだなんなんだこれは……。 しかし、今は戦時中で、本丸はこの戦争においてはどこも本陣と言っていい。その本丸の責任者である審神者様の貴重なお時間を頂いているのだから、俺は審神者様のお話しになることはすべてありがたく聞かせていただくべきである。いや、そのためにお邪魔させてもらってるんだから、審神者様の気分がノッてくだされば重要なお話も聞かせていただけるだろうし、意味は分からないがここはやはりお話をきちんと聞こう。 そう俺が決意した時だった。 「――主、いんたびゅーとやらはもう済んだか?」 戸の外からかかった声に、審神者様が「お、三日月か? 入っていいぞ」なんて簡単に仰るので心臓が跳ね上がった。 仕事柄、刀剣男士の皆さまを見たことがないわけではない。でも、人間(それも平々凡々)の俺からすると、そのお姿を拝見するだけで緊張してしまうのだ。相手は末席、とは言うけれど、それでも神様は神様なのだから。 もう心臓口から飛び出たらどうしよう……と小さくなっていると、静かに戸が引かれた。 現れた刀剣男士――三日月宗近様は、やっぱり格が違うという感じバリバリの圧倒的オーラをまとっている……。 見た目が幼く、そしてフレンドリーな方が多い短刀の皆さまであれば、俺もいくらかは緊張せずに済むのだが……天下五剣で最も美しいと言われる三日月様では、いよいよ心臓というか内臓全部飛び出そうとしか。いやそんなことをしてしまっては失礼だとかいう話で収まる問題ではなくなるので、飛び出てこないようにと気持ちを張り詰めさせることでしか意識が保てそうもない。しかし、当の三日月様はおっとりとした優美な微笑みを浮かべている。とてもこの世のものとは思えない美しさだが、今の俺にはその表情にこそ畏れを抱いて……ダメだ、内臓を、内臓をブチまけてしまうわけには……! 「おお、まだ済んではおらなんだか。だが、すまぬな。急ぎ、主に伝えねばならぬ知らせがあるのだ」 穏やかな瞳が細まると、審神者様は眉を顰めた。 「……おい、まさか……」 お二人の間に流れる張り詰めた空気からして、もしや刀剣男士の皆さま、もしくはこの本丸に何かあっ「うむ、が戻ったぞ」……???? さん――つまり審神者様の妹さんが、本丸にやってきた……とは……? もしや、この本丸内でのみ使われている暗号だろうか? まさか本当に妹さんがいらっしゃっているわけではな「なんてこったこうしちゃいれねえ待っててねちゃん! お兄ちゃんが今行くよ!!!!」……いらっしゃっているようだ……。 いや無理を通していただいた身ではあるが、まだお聞きしたいことには一切触れていない!! 「えっ?! ちょ、ちょっと審神者様?!」 思わず追いかけようと腰を持ち上げたところで、三日月様が俺の目の前にお座りになった。それではもちろん追いかけようもないので座り直したが、ど、どうしよう……と視線をうろつかせていると、「はっはっは、まぁ許してやってくれ」と言うので恐る恐る視線を合わせる。……っぐ、やっぱりこの世のものではない圧倒的オーラと圧倒的美貌……! 畏れ多くてぶるぶる震える俺をにこやかに見つめながら、三日月様は審神者様が手をつけずにいたお茶菓子(羊羹)に手を伸ばした。 「主はが心底かわいくてなあ。どうにも構わずにはおれんのだ。まだ聞きたいことが残っているのなら、俺で答えられることならば代わりに聞くぞ」 ……神様……! 「ほ、本当ですか?! あ、いや……審神者様のお話はどうにも……自分にはうまく理解できなかったもので……」 ご自身のお話では、たしかに審神者様が語りにくいこともあるだろうし……むしろ、あの審神者様の指揮のもとで活躍されている刀剣男士様にお話を伺うほうが、審神者様が主としてどれほど優れているのかが分かるかもしれない! 俺はペンを強く握り直して、「では、お言葉に甘えてお聞きします。三日月様からご覧になって、審神者様はどのようなお方ですか?」と期待から震えてしまう声でなんとか言葉を絞り出す。 三日月様は微笑みを崩さないまま、ゆったりと口を開いた。 「そうさなあ……。あの若さにして、実に肝の据わった傑物だな。まだまだ青いところもあるが、だからこそ大きな可能性を秘めている。この本丸に顕現され、俺は実に幸運だ」 ……こういうのが聞きたかった!!!! と俺はたちまち興奮しながら、ペン先をするするとメモ帳に滑らせていく。 しかし、そうか……やはり審神者様は素晴らしいお方なんだ! 審神者様のもとで戦っておられる刀剣男士様が仰るのだから、これは疑いようもない確実な真実だ。 「なるほど……! 三日月様から見ても、やはり審神者様は素晴らしいお方なんですね……!」 すると、三日月様がふと目を伏せた。そして痛ましい、という顔つきで続けた。 「……主はな、孤独であったのだ。類まれなる才を持って生まれたがゆえに、己だけで生きていけると思っていた、実に悲しい人の子よ」 才能を持って生まれて、その才能によって素晴らしい功績をひたすらに重ねている。審神者様の人生とは、誰にも讃えられる素晴らしいものだ。だからこそ、ここまで強くあれるんじゃないのか? 人に羨まれることはあっても、悲しいなんて評価をする人がいるだろうか? 釈然としない俺は、審神者様の功績をまとめたリストを取り出して、三日月様の前に差し出した。 「で、ですが、天賦の才の持ち主だからこそ、彼はここまでの――」 「それは違うぞ」 「え……?」 三日月様は、不思議な瞳を柔らかに細めて言った。 「主が強くあるのは、守りたいと願うものがあるからだ」 「……守りたいもの……」 考え込む俺に、三日月様は穏やかながらも芯のある声音で、ゆっくりと言葉を紡いでいく。 「優れているがゆえに、主は孤独であった。救ったのは、何の力も持たぬ赤子だ。母の腕に抱かれる妹――を見て初めて、己はただの人間であると思ったそうだ。……人は、たった一人では生きていけぬもの。そのことを気づかせたのために、主は戦っている。主という人間の自己は、の存在によって確固たるものとなった。主の強さとは――いや、主という人間そのものを形作っているのが、なのだ」 …………これは…………。 「…………なるほど……」 ……いや、なんて言えばいいのか全然分からないが、恐ろしく真面目な顔をなさってる三日月様の手前、俺はとりあえず神妙そうな感じに頷くしかなかった。実際何にもなるほどってなってないけど。……俺は何を言っている? というか何を聞かされている???? すると、廊下から若い女性の「えっ?!」という高い声がして、おや? と思う前に三日月様がすくっと立ち上がった。その間に、声はすぐそこまで近づいてきている。 「取材って今やってるの?! お兄ちゃん何してるの早く戻りなよ〜! 仕事でしょ?! 他人様に迷惑かけないでしっかりして!」 スッパーン! と三日月様が襖を引いた。 「! 入ってこい入ってこい。夕餉までじじいが遊んでやるぞ〜」 ……え? と思わず呟きそうになったが、「えっ三日月さ――えっ?」とこぼして、俺を認めた瞬間に顔を青くした女性と交わった視線から、お互いがどういう状況にあるのかをあちらも把握したらしい。 「あっ……ど、どうも〜……兄がお世話になっているそうで……。ええと、妹のと申します……すみません……」 深々と頭を下げられてしまったので、俺も慌てて立ち上がって頭を下げる。 鈍感でいたいが、こちら――というか俺に分かるように放たれている殺気の圧によって、顔を上げようだなんて一ミリたりとも思わない。 「あっ、いえ、ど、どうも、お邪魔しております! お、お忙しい中で、こちらが無理言ってお願いしたものですから!」 すると、「まったく、ほんとうにそのとおりです! まいしゅうきんようは、ひめがほんまるにおもどりになるひなんですよ? よけいなしごとをふやされては、めいわくです」と――確か、この声は短刀の今剣様だ。……なるほど、さんに対する刀剣男士様の認識というのは、もうこれがファイナルアンサーでいいらしい。 この本丸では顕現された順に重きを置いている、と以前に何かの資料で読んだことがある。 『ある程度の序列化により、刀剣男士に自主的な働きを促している。その結果、誰もが本丸の運営に関わっているという認識を持たせ、審神者を筆頭に全刀剣男士が同じ方向を目指している優良本丸』 確かそんなふうに書いてあった。 さんは“姫様”で、この本丸の今剣様は初鍛刀で喚び起された刀剣男士様だと刀帳データにあった。つまりファイナルアンサー。俺にできることはカタカタ震えながらも、失礼のないよう必死に90度の姿勢を保つことだけである。 「い、いまつるちゃん〜?! わたし急いできたから喉乾いちゃったな〜!」 ……お気遣い痛み入ります……。 この場をどうにか収めようという感じに、さんが慌てた様子で放った言葉を聞いて、今剣様が「それはいけません!」と返すと、あれほど恐ろしく張り詰めていた空気が一瞬で和らいだ。 「では、すぐにおおひろまへいきましょう! いちごひとふりが、きょうもおちゃをよういしています。おちゃがしは、せいようのやきがしだときいていますよ。ひめのおきにめす、おいしいかしだといいですね! さっ、きょうもぼくがおせわしますからね! まかせてください!」 機嫌良さそうな明るく弾んだ声に、俺はようやくそろそろと顔を上げた。 「うん、ありがとう〜! お願いするね!」 さんはそう言って今剣様の頭を優しく撫でると、俺のほうを見てとても気まずそうに「……じゃ、じゃあわたしはこれで…………本当に申し訳ありません……」とまた頭を下げた。 「いっ、いえっ! こちらこそ申し訳ありません……!」 俺もまた素早く頭を下げると、「あっ、ちゃんおかえり〜!」という声と共に足音が近づいてきた。そうっと様子を窺うと、乱様がさんの両手を握って嬉しそうに笑っている。 「あ、乱ちゃんただいま〜。あれ? 清光くんは?」 「加州さんは演練〜。帰りにちゃんにお土産買ってくるって言ってたよ! 万屋にね、かわいいボールペンあるんだって〜。三人でおそろいにしようって!」 ……刀剣“男士”という総称の通り、顕現されるのは人間で言う“男”の体を持つ付喪神様だ。しかし、乱様はどう見ても可愛らしい“少女”という容姿をされている。なので、さんと並んでいると仲の良い姉妹のように見えるし、このやり取りからして本当にそんな関係性なのだろう。 「えー、そうなの? うーん、こないだも清光くん、アロマオイルくれたんだよね……。悪いなあ……せっかく今日早く上がれたんだし、わたしも何か買ってくればよかった……」 眉をハの字に下げるさんに、乱様が「物なんかより、ちゃんがぎゅー! ってしてくれるほうが絶対喜ぶよ! ボクもそうだもーん」と言ってするっと彼女の腕に抱きついた。 さんは感激したような表情を浮かべると、「そんなこと言うとぎゅうしちゃうぞ〜」と乱様の頬をつつく。 「してして〜!」 甘える乱様を抱きしめるさんと、ますます笑顔を深める乱様の様子は本当に微笑まし「ねえちゃんお兄ちゃんには?! お兄ちゃんにはぎゅうないの?! そんでもって平野! 今のバッチリ撮ったか?!」…………。 「もちろん、抜かりありません!」 「よっしゃあよくやった!!!!」 いつからいらっしゃったのか、振り返ったら一眼レフカメラを構えて誇らしげにしている平野様が立っていて、正直悲鳴を上げそうになった。もちろんそんな無礼が許されるわけがないので、咄嗟に飲み込んだのは言うまでもない。いや、それにしても一体いつの間に――というより、なぜ写真……? という気持ちのほうが強い。誇らしげにしておられる様子からして、平野様はもしや日常的にさんの写真を……? すると、明らかに怒気をまとっている足音がしたので振り返ると、それも納得の形相の歌仙様だった。審神者様の初期刀である。 「主! 今日は政府の使者に取材を受けると言っていただろう。きちんと済ませたのかい?」 「げっ! か、歌仙……」 「……その様子ではまだ途中のようだね。――おや、きみが使者殿かい? すまない、すぐに再開させるよ」 それに言葉を返す前に、歌仙様は腕組みして「主、仕事は最後までしっかりとこなすように僕は言ったね? 主君であるきみがそのようでは――っ! きみはまたなんて格好を……! 帰ったらすぐに着替えられるよう、部屋に用意があるんだ! そんな無粋で美しくないものはさっさと脱ぎたまえ雅じゃない!!!!」……スーツは無粋で美しくないのか……そうか……持っている中で一番上等なスーツを着てきたが……そうか……。 しかしさんのほうも仕事着としてスーツを着ているのだろうから、歌仙様の様子に口元を引きつらせている。 「か、歌仙さん……ただいま戻りました……。ええと、今日はお着物ですか……?」 「今日の衣装は宗三左文字が用意した洋装だよ。僕と蜂須賀虎徹も認めた品だ、きっと気に入る」 「は、はぁ……。ええと、じゃあすぐ着替えますね……」 ……どうやらこのやり取りは一度や二度ではなさそうである……。 疲れたように背中を丸めるさんの背後から、気さくに「おっと、今日は早いなおひいさん」と声をかけたのは鶴丸国永様だ。……さんが帰宅してから、次から次へと刀剣男士の皆さまが現れる……さすが“姫様”……。 「あ、鶴丸さん、どうも。今日で担当していた仕事が片付いたので、早めに上がれたんです。鶴丸さんは今日は?」 「俺は非番さ。たっぷりきみのお相手が務められる。どうだい? 今夜はゆっくり飲み明かそうじゃないか」 「……ここの飲み会がゆっくりだったことなんてありませんよね……?」 「あっはっは! まぁ酒豪が幾人もいるからな!」 「……次郎さんにしろ日本号さんにしろ、肝臓がすごく心配ですよ……」 深く溜め息を吐くさんの様子を見て、鶴丸様がおかしそうに肩を揺らす。 ……どうも見ている限り、さんのほうは自分が置かれている“姫様”というポジションを受け入れているようには見えない。それでも、どの刀剣男士様にもお話を合わせているのだから……気苦労が……とても……。 少し同情めいたものを感じていると、ドドドドドッ!!!! という凄まじい衝撃波が近づ「様! おかえりなさいませッ!!!! クソッ……! 今日という日に限って検非違使などというふざけた連中に遭遇するとは何たる不覚ッ!! 様、不甲斐ない俺をどうかお許しください……! なんでもこなしてみせますご随意にどうぞッ!!!!」……へし切長谷部様は、主である審神者様が下す“主命”を何より重んじる刀剣男士様だと聞いたことがあるが、これは……。 長谷部様は華麗にスライディング土下座をキメた後、懇願するようにさんを見上げた。対するさんは顔面蒼白である。とても正常な反応だと思う。 「なんだかよく分かりませんけど長谷部さんは休んでください!!!! 目が血走ってます!!!!」 そう言ってさんが長谷部様の腕を掴んで引き上げようとすると、歌仙様の鋭い怒号が響いた。 「へし切長谷部! まずは手入れ部屋へ行け! が本丸に滞在する間は、合戦場から戻ったら負傷の有無に関わらず手入れを受けると、本丸の鉄則その一に関する規則にあるだろう?! 無傷だからと済まされるものではないぞ!!」 長谷部様は「っぐ……!」と呻いたが、非常に思い悩んだ表情で「だ、だがッ、様の第一の家臣であるからには、まずは様のお戻りを出迎える義務が――」と苦し気に反論する。そこに、巴形薙刀様が現れた。そして感情の読めない顔つきのまま、はて、というように首を傾げた。 「いつ、おまえが姫の第一の家臣になった? 姫の側仕えは俺の役目だが」 「ッ巴形……! 貴様、一体何度言えば分かるッ! 様のお役に立つのはこの俺だッ!!!!」 長谷部様の気迫にも、あからさまに怒りを向けられているのにしれっとしている巴形薙刀様にもヒエッとしたが、そんなお二人の様子をちっとも気にした様子なく「ひめ、これがはじまるとながいですから、もういきましょう」とさんの手を引く今剣様に一番ヒエエッとした。さんが疲れたように頷く。 「えっ、あ、うん、そうだね……。じゃ、じゃあ今度こそ失礼しますね、どうぞごゆっくり」 「は、はい! お気遣い痛み入ります!」 ……なんだか、本当に苦労されているんだろうなという……。 三日月様の「や、じじいも行くぞ。俺が面倒見てやろうな」という言葉は追い打ちなのでは? と失礼ながら思ってしまった……。この方はどちらかというと世話をされていらっしゃるイメージしか……。 今剣様が真顔で「みかづきはひめに、ごめんどうばかりかけますからいりません」と冷たく切り捨てているので、恐らく間違ってない……。 「さっ、ひめ! いきましょう!」 「はーい」 今剣様に手を引かれて歩き出したさんが、思い出したように振り返った。 「お兄ちゃん、(迷惑かけないように)仕事頑張ってね」 ……俺には副音声が聞こえたが、「……! うんっ、もちろんだよ! お兄ちゃんちゃんために頑張っちゃうよぉ〜!」と感極まった様子の審神者様にはきっと聞こえていない。 はあ、という溜め息の主――こんのすけは、面倒そうにゆらゆらと尻尾を揺らしながら俺の顔を見上げた。 「……これで分かったでしょう。このように、主様は大変重い病を患っております。成績は大変優秀な能力の高い審神者ですが、それだけです。彼を突き動かすのは、ドシスコン魂のみ。……主様にお聞きしたいことはありますか?」 俺はじっと目を閉じ、そして答えた。 「…………いえ、もうありません……」 |