なんでよりにもよってこのタイミング……と思いながら、わたしはいつもの大広間よりは狭い――あくまでも大広間よりは――少人数がふらりと集まる居間のあちこちを探っていた。いや、家探ししてるわけじゃない。ただ、今どうしても薬箱が必要なのだ。生理が予定日より早くやってきてしまったため、始まってから持ち歩くようにしている痛み止めを持っていないからである……。 何かあった時用として、ナプキンはいつもポーチに入れているからそれはどうにかなったけど……次からは痛み止めも入れておくことにしよう……。 それにしても、どうして本丸にいる時に生理なんて……とわたしが溜め息を吐いた瞬間、「――どうした? お嬢さん」と、薬研くんが廊下から軽い足取りで中へ入ってきた。 真っ白な白衣姿の薬研くんは薬学に興味があるようで、薬箱の管理も彼がしているらしい。カメラマン志望の平野くんといい、ここの子どもたちは本当に……ん? 薬研くんに聞けば一発で薬を手に入れられるのでは? 「あ、薬研くん。あの、薬箱ってどこにあるかな?」 わたしのこの言葉を聞くと、薬研くんは難しそうに眉間に皺を寄せた。それからそうっとわたしに近づいてきて、「……なに? どこか悪いのか」と薄紫の瞳をスッと細めた。 心配させることではないし、そもそも原因が原因なので「大したことないよ。……ちょっと頭痛がね」とだけ言っておく。それにこれが他の人に知れたら気まずいとかいうレベルの話ではなくなるので、この場で留めておきたい。 薬研くんはじっとわたしの顔を見つめた。瞬間、ズキッとお腹に痛みを感じて、思わず顔を顰めてしまう。 「……なるほどな。ちょっと待ってな」 そう言ってすぐに部屋を出て行こうとするので、場所だけ教えてくれればいいよと言おうとしたのだけれど、大きな痛みの波がきてしまって咄嗟に動くことができず――。 「……ごめんね、じゃあ頼んでいいかな?」 薬研くんはふと振り返って、くすりと笑った。 「謝る必要があるか? かわいい女の――あんたの頼みを断る男なんざ、どこ探したっていやしねえさ。任せな」 しばらくポカンとしてしまったわたしは、正気に戻ってすぐに呟いた。 「……ほんと薬研くんってかっこいいなすごい……」 やっぱりクラスメイトの女の子とか、トキメキで倒れちゃう子が一人や二人いるんじゃないかな? 痛みはどんどん酷くなるばかりなので、こうなったらもう大人しくしてようと部屋に引っ込むことにしたわたしは、ちょうどやって来た清光くんと乱ちゃんに薬研くんへの伝言を頼んだのだが。どうしたのどこが悪いの?! と問い詰めてきて……うまく誤魔化す前に、乱ちゃんが言い当ててしまった。まぁうん、乱ちゃんと清光くんは分かる。解らないけど分かる。 そういうわけで薬研くんには申し訳ないけれど、書き置きをして移動した――ところまではよかった。 問題はこれ。 「やだぁ〜! ちゃんホントに大丈夫? 大丈夫じゃないよねっ? 顔真っ青だよ! 横になってたほうがいいんじゃない? ボクお布団敷くよ?」 「いや、だいじょ――」 「、無理しないほうがいいって! あ、燭台切か堀川に湯たんぽとか用意してもらう? カイロのほうがいい? 俺が代わってあげたいよもー!」 毎月のことなので慣れているわたしとは違って――というか、性別的に二人は経験したことないのだから仕方ないかもしれないけれど、実際に痛みを感じているわたしよりも大騒ぎで困った。というか心配も気遣いもとってもありがたいし嬉しいけれど、ママ(光忠さん)にもお母さん(堀川くん)にも知られたくない。変に騒ぐことはしないだろうけど(実際の性別はともかく、ママとお母さんなので)それとは別に甲斐甲斐しく世話を焼こうとしそうで……。しかも、気まずいとも分かってもらえなさそう――言わせてくれないともいう――だから勘弁してほしい。 「いやいや大袈裟だよ、大丈夫大丈夫。いつものことだからっていうか絶対言わないでね? 言わなくていいからね?」 わたしの言葉に清光くんが悲鳴じみた声を上げる。 「いつもこんなヒドイの?! ヤバイ石切丸と太郎太刀に祈祷してもらったほうがよくない?!」 “キトウ”って何? いやその前にお父さん(石切丸さん)にはママたちよりもっと知られたくないし、太郎さんもなかなかに過保護なうえにちょっと天然なのでそこから(話が大きく変わって)一気に広まる可能性大である!!!! 「えええやめてやめて! 乱ちゃんと清光くんだけで十分だよ広めないで……!」 慌てて二人をなだめていると、廊下から密やかに声をかけられた。 「――お嬢さん、入っていいか?」 わたしが返事をするより早く、乱ちゃんがスッパァン! と障子戸を引いた。 「あっ、薬研遅いよ! ちゃん顔真っ青なんだけど何してたの?!」 「薬研マジでヤバイ死んじゃったらどうしよう俺も死ぬ!!!!」 お盆を持った薬研くんをガクガク揺さぶりそうな勢いを見せる清光くんの腕をぐっと掴んだのは正解だ。 それにしてもほんとにわたし死んじゃうみたいな反応なんだけどそんなこと絶対ないから大丈夫だよ……言っても聞いてくれないと思うけど……。 薬研くんは後ろ手で障子戸を閉めると、そっとこちらに寄ってきた。 「悪い、薬湯を用意してたんだ。待たせたな。……気分はどうだ? お嬢さん。まぁ、その顔色で良いわけがねえか。そら、まず痛み止めだ」 水の入ったコップと、三角折してある……え? 粉薬なの? 勝手に錠剤だと思い込んでた……こういうのあるんだ……。それから湯呑みが――これはなんだろう? 中身を覗いてみるとなんとも苦そうな色をしている。お茶ではなさそうだけど……だからこそこれはなんなのかな? っていう。 若干戸惑いつつ、「ありがとう。ごめんね、助かるよ」と受け取る。 薬研くんは目を細めて、じっとわたしを見つめながら小さく笑った。 「謝るのはなしだって言ったはずだぞ。ちょいと苦いだろうが、体が暖まるし気持ちも落ち着く。ないよりマシだろうから、これも飲んでくれ」 湯呑みの中のお茶っぽいけどお茶ではなさそうな謎の液体を見て、清光くんが「えっ、見るからに苦そうなんだけど」と言って顔をしかめた。……まぁ確かに、見るからに苦そうなんだよね……。 薬研くんはニッと口端を持ち上げて、「良薬口に苦しって言うだろ?」とわたしをちらりと見た。 「ちゃん、飲める? 薬研の薬湯は苦いけど、効き目はバツグンだよ! ……頑張れそう……?」 不安そうに見つめてくる乱ちゃんの頭を撫でて、「もちろんありがたくいただきます」と薬研くんに頭を下げる。“ヤクトウ”ってよく分からないけど、せっかくの好意を無駄にするわけにはいかない。 すると薬研くんは渋い顔で溜め息を吐いた。 「素直に受け取るが、そう遠慮する必要はない。――旦那が嫁さんを労わるのは当然だろ?」 …………。 「…………わぁ。……乱ちゃん、薬研くんってほんとにすごいね……」 まさか“嫁さん”と言われるとは思わなかったぞ……。親戚のお姉さんがなんかこう、いい感じに見えるお年頃にしても、薬研くん相手だと微笑ましい気持ちではいられない。やっぱり見た目は子ども、中身は大人的なあれかな?? 乱ちゃんが大きなまぁるい瞳をきらきらさせながら、すすすっとわたしに寄り添ってきた。何を言い出すのかは大体見当がつ「薬研は粟田口旦那さんにしたいランキングでもトップクラスの男前だから! やっぱりちゃん薬研のお嫁さんにならなってくれる?!」……なるほど……粟田口家レベルになるとそういう……と思いながらも、まぁわたしと薬研くんではそもそもお話にならないので、へらへらっと笑う。 「あはは、わたしがもっと若かったらね〜。お嫁さんにして! って言いたくなっちゃうねえ」 まぁ仮に薬研くんと同世代だったとして、平々凡々代表みたいなわたしが選ばれるわけないからほんとに笑える話なのが大変切ない……まぁ大きな災いなく生きていけるなら、もうそれだけで十分すぎるほどに幸せだからね……薬研くんに選ばれる女の子というのは大きな意味でも選ばれた超幸運スーパーラッキーガール――いや、薬研くんが選ぶ女の子だからラッキーとかじゃないよね、自分の努力で夢を叶えるっていう素晴らしい女の子に違いない……。 ――なんてことを考えていたら、目の前に薬研くんの顔があってあまりの衝撃に仰け反ったどうしたの……?! 薬研くんは何か含むように目を細めて、唇をゆるりとしならせた。 「俺からすりゃあ、今でも十二分にかわいい“お嬢さん”だよ。――ただ、俺は女に言わせる甲斐性なしにはなりたくない。申し入れるのは俺からにさせてくれ」 ……わあ……と思わず心臓に手をあてるわたしを余所に、清光くんが勢いよく立ち上がって悲鳴を上げた。 「ねえ待ってマジでが薬研と結婚したいとか言い出したらヤなんだけど!!!! は結婚なんかしなくてもかわいー俺がいればいいよね?! ねえ!!!!」 若干青ざめた表情の清光くんだが、普段こういう話題なら目をきらきらさせてノッてくるのに……JK力がJKよりも高いであろう清光くんは、やっぱりJK並みに繊細な子なので何が琴線に触れるのかはちょっと分からない……歳かな……? 「ははっ、冗談だよ、冗談。――今はな」 えっ、というわたしの呟きは、乱ちゃんの「絶対押し切ってよ薬研!!!! ちゃんのこと“お姉ちゃん”って呼びたい!!!!」という声がかき消してしまった。 乱ちゃんは本当にわたしのことがお気に入りのようなので、本丸にいる時は大体一緒に過ごすし、ちゃんちゃんと慕ってくれるのはわたしも嬉しい。妹が欲しかった身なので、そうやって構われるとわたしも余計にかわいがってしまいたくなる。いや乱ちゃんは男の子だし、その点はちゃんと理解してるんだけれども。清光くんがJK力の男の子なら、乱ちゃんは妹力の男の子かな? 「そんなのいつでも呼んでいいよ〜」 ぎゅっとわたしの腕にしがみつく乱ちゃんの頭を撫でると、ますますぎゅうっと力を込めて「違うの! ホントの意味でお姉ちゃんになってほしいの!!」と頬を膨らませた。うーん、びっくりするほど美少女(性別は男の子だけど)。 すると清光くんが眉を吊り上げて、乱ちゃんをべりっと引きはがした。 「だっかっら! は結婚なんかしないの!!!!」 ……清光くんはなんでそんなに頑なに――わたしはもしかして、そもそも結婚ができない女と思われている可能性があるのでは……? 結婚なんかしてもどうせダメだから的な…………い、いや、清光くんがそんな辛口なこと言うわけ……あるか。JKとは時にめちゃくちゃ鋭い指摘をなんの悪気なくかましてくるから……。 ぷりぷりしている清光くんを見つめながらちょっと溜め息を吐くと、薬研くんが肩をすくめて「おいおい、体に障るだろ。騒ぐんなら余所でやりな」と仕方なさそうにたしなめた瞬間、清光くんのお顔が劇的アフターを遂げた。 「っはァ〜?! 旦那気取りかよチョーシ乗んないでよね! が一番かわいいのは俺なんだから!!」 ……なんてかわいいヤキモチなんだろう……。これが高校生(男の子)なんだから、ほんと世の中にはまだまだわたしなんかが知らないことはいっぱいあるんだろうなぁ、なんてことを考えていると、乱ちゃんがすかさず「アイドル枠はボクだよね?」と張り合うのでわたしは思わず笑顔になった。うう、かわいいんだからまったく〜〜! という気持ち。 「清光くんと乱ちゃんが一番かわいいよ〜」 わたしの言葉を聞くと、清光くんは満足そうな笑顔を浮かべて――すぐにキッと鋭い視線を薬研くんに向けた。 「オラ俺が一番なんだよ聞いたかコラッ!」 ねっ、そうでしょ? そうだよね? とわたしを上目遣いに見つめてくる清光くんがかわいくないわけがないんだから、もちろん一番である。だけど、乱ちゃんだってもちろんかわいいし一番だ(アイドル枠で)。というかそもそも、本丸の子でかわいくない子なんていないから、みんながみんなオンリーワンのナンバーワンだ。まぁ今そんなこと言ったら大変なことになるので、わたしの心の中でだけのおはなし。 ――とかなんとか考えていると、薬研くんが「はは、そりゃあかわいいってのじゃ俺はお呼びじゃねえだろうよ」と笑ったので安心した――のは一瞬だけだった。 「お嬢さんが俺に言うのは、“かっこいい”だからな」 …………。 「じゃ、ゆっくり休めよ、お嬢さん。今剣も前田も出陣中だが、乱と加州のほうが何かと頼りやすいだろ? ま、薬湯やら痛み止めが必要になったら、俺を呼んでくれ」 薬研くんが出て行ってからハッとした清光くんと乱ちゃんが、それぞれ騒がしく言葉を交わしあっているのをBGMに、わたしはただただ薬研くんにはびっくりさせられるばっかりだなぁ〜と感心するしかなかった。 薬研くんから受け取ったあのお茶っぽいけどお茶ではない飲み物は、どうやら漢方のようだった。独特の苦みと、なんともクセのあるお味だった……。でも体には合っていたようで、冷えを感じていた指先はいつの間にかじんわりしてきたし、なんならリラックスしすぎて若干眠気を感じているほどだ。痛み止めもよく効いていて、あんなにひどかった痛みも大分和らいでいる――となると、こうしてじっとしているのは落ち着かないなぁ……。 清光くんと乱ちゃんもお当番があるみたいだったから、気にせず行ってらっしゃいと送り出したので、今は一人っきりなのだ。あれだけ賑やかだったから、少し寂しい。 溜め息を吐くと、障子戸の向こうから声がかけられた。 「お嬢さん、入ってもいいか?」 「どうぞ」と返事すると、そうっと中へ人が入ってくる。 「薬研くん、ありがとう。用意してもらったもの、すごく効いてる」 薬研くんは安心したような顔で笑って、「そりゃあよかった」とわたしのそばに腰を下ろした。 「顔出すつもりはなかったんだが、乱と加州が内番だったのを思い出してな。余計かと思ったが、つい心配で来ちまった」 白い歯を見せていたずらっぽく笑う薬研くんにつられて、わたしも笑う。心配をかけてしまったのはもちろん申し訳なく思うけれど、こうしてお見舞いに来てくれるのはやっぱり嬉しい……というか、ほんとわたしって本丸にいる人たちに面倒見てもらいすぎではないかな……? ちょっとだけ苦い気持ちである。 わたしは「余計なんて、そんなことないよ」と言うと、少し迷って「乱ちゃんも清光くんも、いてくれるって言ってくれたんだけど悪いから。でも、一人でちょっと退屈だったの。ありがとう」と続けた。 薬研くんがふと口元を緩める。 「真面目だな、お嬢さんは。女は多少わがままでもかわいいもんだぜ?」 そんなセリフをその歳で言えてしまうんだから、薬研くんはほんと大物だなぁと感動めいた思いがする……。 わたしは「あはは、そりゃあ若い子ならね〜」と茶化して笑う。 「わたしはもうわがままがかわいいなんて時期、とっくに終えちゃったよ」 わたしのこの言葉に何を思ったのか――いや、気を使ってくれたんだろうけど――薬研くんの放った言葉には卒倒しそうになった。 「そりゃ周りの野郎どもが甲斐性なしなんだ。女のわがまま一つ聞けないで、何ができるって言うんだ?」 心の底からそう思っているんだろう薬研くんのあっけからんとした物言いに、わたしは一瞬喉を詰まらせた。いや、びっくりしないほうがどうかと思う……大人びた子ではあるけど、薬研くんだってまだまだ子どもなんだよ……? 「……男の人がみんな薬研くんみたいだったらね〜。でも、そんなかっこいいこと言える人なんてなかなかいないから、薬研くんはすごいよ。どんな女の子でも彼女にできちゃうよ、間違いない」 なんとかいつもと同じ笑顔をつくって、キッパリ断言すると「なら、お嬢さんも惚れてくれるって解釈で間違ってないな?」……………。 「…………えっ?!」 薬研くんはずいっとわたしに顔を近づけると、まっすぐ目を見つめて言った。 「言ったのはあんたのほうだ。――責任、しっかり取ってくれよ? お嬢さん」 ……こ、これは大変だ……。 「わ、わ〜〜……」 薬研くんのクラスメイトの女の子を心配してる場合じゃない……わたしがトキメキで倒れてしまうかもしれない……。 咄嗟に胸を押さえて俯くと、スッパーン! と障子戸が「ひめ、はいりますよ! ぼくがおそばにいないあいだ、なにかこまりごとはありませんでしたか? おからだはだいじょうぶですか?」……そうっと開けるようにしようね、といい加減わたしは教えてあげなくてはいけないかな? でも、とととっとわたしに駆け寄ってくる姿がいつも通り大変かわいいので、まぁいっか〜と思ってしまうからわたしはダメな大人である……。 「いまつるちゃん! おかえり〜。今日はどうだった? たくさん遊んでこれた?」 いまつるちゃんは胸を張って、「たいしょうくびをよっつ、けびいしをにぶたい、こてんぱんにやっつけてやりました!」と言うときらきらした目でわたしを見上げる。 言ってることの意味は正直よく分かっていないけれど、これは褒めてもらいたい顔だというのは分かるので。 「つまり大活躍したってことか〜。すごいね、さすが強いカタナだね!」 頬をほんのり赤らめて、「ふふん! もちろんです!」と言うと、にこりと無邪気な笑顔を浮かべた。 「けど、あんしんしました! おもったより、かおいろはわるくありませんね。みだれとかしゅうが、すぐにひめのおそばにいくようにというので、びっくりしましたが……やげんがおそばにいたのなら、なにごともなかったでしょう。やくとうはのみましたか?」 なるほど、心配して帰ってすぐに駆けつけてくれたのか……ますますスッパーンを許してしまう気にしかならない……。 それにしても、清光くんも乱ちゃんも心配性だ。でも、家で調子が悪い時には一人で大人しくしているしかないから、こうして心配されるのはちょっとだけ嬉しい。もちろんあれこれ世話を焼かせてしまって申し訳ないのだけれど、純粋に向けられる優しさがくすぐったくも心地良いのだ。 「そっか、二人が……。ふふ、うん、飲ませてもらったよ。すっごくよく効いてる」 いまつるちゃんは優しく頷いて、「きょうはひえます。まえだにゆたんぽをたのんでありますからね、からだをひやさぬようにしましょう」とわたしの手を握ってくれた。そしてすっと目を細めると、ちらりと薬研くんを見る。 「さて、やげん。おまえはうるさいものには、ここへはちかづかぬよう、いいつけてきてください。とくにみかづきとこぎつねまる。あれにはしっかりいいきかせること。ねずのばんは、きょうはぼくがつとめます。いいですね」 ……あれ……いまつるちゃんはどうしちゃったのかな……? 「あぁ、任された」 「それから、なにがあってもたいしょできるよう、おまえもそなえておいてください」 「承知してる。お嬢さん、辛くなったらすぐに呼んでくれ。遠慮はなしだ」 ……いまつるちゃんがどうしちゃったにせよ、こういう時には素直に従ったほうがいいと、賢い大人のわたしは知っている。 「う、うん」 薬研藤四郎は、廊下から慎重すぎるほどにそうっと声をかけた。 「――今剣、薬研藤四郎だ。入っても構わねえか?」 「いいですよ。でも、ひめをおこさないように」 同じく静かすぎる声だったが確かに返事が聞こえたので、もちろん安らかな眠りを妨げぬようにとゆっくり入室する。 女は男と違って、繊細でか弱い生き物だ。そういう考え方をしているせいか、薬研藤四郎という刀は女には特別心を砕く。それなら、柔らかな寝息を立てて眠るこの本丸の姫にはなおさらだった。 「……やっと寝たか」 そう言って、かわいい本丸の姫、の枕元に座る今剣の隣に並ぶ。 「しかし、あれだけ顔を真っ青にさせといて、『いつものことだから』とは聞き捨てならねえ話だな。月の物で貧血ってのは、よくあることらしいが――」 「やげん、ひめのおみみにはいったらどうするんです? きにしておられるのに」 キッと咎める視線に、薬研は肩をすくめた。 「すまん、気をつける。加州と乱はともかく、俺たちが気づいてると知れば……気まずい思いをするのはお嬢さんだからな」 今剣はこの本丸の古株なので、初期刀の歌仙兼定に次ぐ権力者である。そしてのことを“本丸の姫”として特別に扱うものの筆頭だから、彼女にうっかり気安く接しすぎれば近くにも寄らせない。たとえば三日月宗近が代表である。薬研も初期のほうで顕現された身ではあるが、今剣には敵わないので気をつけなければ、と思った。まぁそんな心配をするほどのことはない。薬研藤四郎はを特に気にかけているし、雅なことは分からんと言う割には女の機微に敏感な質なので。 「ただ、こんな思いを毎月してるとなっちゃあ……体質を改善するような漢方なんかを飲んだほうが良さそうだ」 じっと寝顔を見つめていると、今剣が「おまえがよういできますか? ひめに、てきとうなしはんやくなどはのませられません」と言うので、薬研は笑った。この本丸の刀剣男士たちは皆、の役に立つことこそが己の役目と思っている節があるので、に関わる仕事を任されるのは名誉なことなのだ。余所の真面目な審神者が聞いたら卒倒するかもしれない事実である。そういう思想を植えつけたここの審神者、の兄は優秀な審神者として名が知れているので。 「もちろんだ、俺っちが責任持って調合する」 薬研の言葉に、今剣は力強く頷いた。 「それはなによりです。それでは、おまえはさっそくじゅんびにはいりなさい。ひめがおめざめになったら、よびにいかせます。そのとき、またやくとうを」 「あぁ、承知した」 静かに立ち上がると、今剣が重い溜め息を吐いた。 「しかたのないことといえ、かわいそうに……」 「よく効くものを用意する。安心してくれ」 今剣は薬研を見上げると、「ええ、おまえのうではたしかです。ひめのために、ぼくたちができることをしてさしあげましょう」と曇りない瞳を優しく細めた。 「そうだな。――じゃ、また後で来る」 「はい。それでは、たのみましたよ」 いつの間にかとっても深い眠りについてしまっていたらしい。でも、ぐっすりだった分、気持ちも体もリフレッシュしたなぁ〜という感じである。 そして、わたしの具合が悪い時にはいつだってそばにいてくれるいまつるちゃんの頭を撫でながら、「ありがとう、いまつるちゃん。ずっとそばにいてくれたの?」と言うと「もちろんです!」と大きく頷いた。 ……ほんと、ちびっ子なのになんて頼りになるんだいまつるちゃんって子は……。 「ひめ、おかげんはどうですか?」 大人顔負けというか……ここには大人でない大人がたくさんいるから、彼の頭の良さが余計に眩しい……。 「うん、すごく楽になったよ。よく眠れたからかな?」 「それはなによりです!」 そしていまつるちゃんが「――まえだ」と決して大きくない声で呼ぶと、いつも通りの瞬間移動並みのスピードで前田くんが――天井から現れた。……どういうこと……前に平野くんも天井から…………あ、粟田口家はどこか海外のロイヤルファミリーなので、日本とは色々勝手が違うんだなきっと……。 前田くんはわたしを見てぺこりと一度頭を下げると、いまつるちゃんに向き直って「すぐに薬研兄さんを呼んでまいります」と小さく頷いた。 「お嬢様、このお休みはのんびり過ごされてくださいね。何かご用がありましたら、遠慮なさらずお呼びください」 「えっいや、いつものんびりさせてもらってるよ? ほんと申し訳ないくらいに……」 「何を仰いますか。僕たちがしたくてしていることです! お嬢様がきちんとお休みになれるように、僕たち短刀が必ずお守りいたします!」 タントウ……担当……? なんの…………? と思いつつ、わたしは頷いた。 「う、うん……?」 いつも二日目が一番しんどいのだけれど、むしろ今日のほうが調子が良いくらいだ。それもこれも、良く効く薬を用意してくれたり、うるさい大人たちを遠ざけてくれたり、何かとお世話してくれたちびっ子たちのおかげである。 一人しみじみ頷きながら居間でお茶を飲んでいると、薬研くんがやってきた。 「調子はどうだ? お嬢さん」 「もうすっかり元気だよ。薬研くん、漢方とか詳しいんだね。びっくりしちゃった」 薬の用意をしてくれたのは薬研くんなので、どこで買えるのか聞こうと思っていたからちょうどよかった。 薬研くんは「そうでもない」と、ほんとに当然というような顔で言う。……粟田口家はみんなレベルが違う……さすがロイヤルファミリー……。 わたしはまた頷い「――ただ、あんたのためならなんでもしてやれる」…………えっ。 「えっ……あ、ありが――えっ?」 どうも状況が飲み込めないぞ……とどきまぎしていると、すっと紙袋が差し出された。 「主に冷えに効果のある漢方だが、血の巡りが良くなると改善することは他にもある。飲んでみてくれ。お嬢さんのための調合だ」 ん゛?! 「え゛っ?! 市販薬じゃないの? 漢方って調合とか、結構お値段するって聞いたことあるけど……」 それに対して返ってきたのは、難しい表情で放たれた「お嬢さんの体のことだ。下手なものは飲ませられん」という言葉である。…………。 「えっえっえっ!」 薬研くんの手が、わたしの頬に触れる。薄い紫色の瞳から視線を逸らすことができずに、とうとう唇が触れてしまいそうな距離まで――「俺は惚れた女は大事にする質だぜ、お嬢さん。――かわいいあんたのためなら、なんだってしてやる」…………。 「……しょ、将来が楽しみだよ……」 も、もうちょっと気の利いたことを言えればよかったのだけれど、こんな状況で「ははっ、近い将来だと思っとくよ」なんて笑ってみせるような子を相手には無理な話だった。 薬研くんのかっこよすぎる後ろ姿を見送って、わたしは呟いた。 「……いやぁ……ほんと将来有望な男前だなぁ〜……」 |