「たーいしょ」

 執務室で書類仕事に根を詰めているだろうからと、茶と菓子を持ってくよう歌仙の旦那に頼まれたもんで、俺は慣れた部屋へひょっこり顔を出した。

 「……あぁ、薬研」

 この線の細い頼りなげな女が、俺の今の主だ。どうにも、守ってやらにゃならんという気にさせられる。こちらが定期的に声を掛けずにいると、いつまでも仕事しているようなお人だ。だもんで、朝餉から夕餉まで、しっかり全員揃って飯を食うことにしているし、八つ時はこうして茶と菓子で休憩を促す。
 仕事も書類事だけではなく、この本丸内をうまく回すための各当番の分配など、大将の――の体は一つっきりなのに、やることだけは山積みだ。そういう現状が大将を“仕事人間”にしちまっているのはもちろん分かっちゃいるので、少しでも手助けできることがあれば、微力ながらもどうにかしてやりたいと思うのは当然だ。
 特に、こんな顔をしているときには。


 「浮かない顔してどうした? 俺っちでよければ話くらい聞くぜ」

 俺の言葉を聞くと、口を開きかけたのに結局やめにして、はゆるく首を振った。

 「ううん……なんでもないの……。少し、疲れてるだけ」

 「……大将がそう言うならいいさ。……って言ってやりたいが、そう言える顔色じゃないな。何が心配なんだ?」

 今度は目を丸くした。けれど口を開く気はなさそうで、「……心配ってほどのことでもないの。ほんとうに、なんでもないのよ」と言うだけだ。くたびれた顔をして、心細そうな目をしているくせに。

 俺は特に触れずに、「なら今日はゆっくり休むことだな」と笑った。するとも僅かに笑って、「なんでもないったら」と細い肩をくすぐったそうに揺らした。

 「あぁ、分かってる。でもそんな顔してちゃ、みんな心配するぜ。心配かけたくないってんなら、大人しくしてな。ほら、布団敷いてやるよ」

 「……ありがとう」

 押し入れから布団を引っ張り出す俺の背中にかけられた声は、何かを押し殺しているように震えていた。


 「……大将」

 俺の敷いた布団に横になって、じっと目を閉じてはいるものの、無理矢理そうしているように見えて仕方なかったし、何よりこの拭いがたい――いや、はっきりとした違和感の正体を明らかにすべきだと、俺は呼びかけた。

 「傍にいなくっていいのよ。あなた非番なんだから、好きなように過ごしなさい」

 ゆっくりと目を開けると、は意識がどこへ向いているんだか分からない調子で、そう言った。

 そういう不安定なさまを見せられると、居心地悪くなって仕方ない。
 どうにかしてやりたいと思うのに、その気持ちはこのお人だって分かっちゃいるだろうに、なんともないようなふうを装うとするのだ。それは裸のまんまのあんたの心じゃなくって、外見だけがお綺麗なまがいモンだってこと、俺には分かる。そのことだって、分かってるだろうに。

 そっと心の中で溜息を吐きながら、じり、と布団へ近づく。

 「ならここから動く必要はねえな。大将の傍にいたい」
 「わたしのことはいいから」

 は逃げるようにして起き上がると、文机の上にあった本に手を伸ばした。俺はそれを特に咎めることもせず、ただ「俺の好きに過ごしていいって言ったのは大将だぜ。だから好きに過ごさしてくれや。あんたの傍にいたい」と言って、じっと表情を観察する。

 眉が、ぴくりと動いた。ふ、と溜息のような吐息が漏れる。

 「……近侍を変えた意味がないでしょう。もうわたしのことを気にかける必要はないの。本当に具合が悪くなったりしたら、長谷部を呼ぶわ。だから部屋に戻りなさい」

 の細い指先が、頁をめくる。その音は妙に大きく聞こえるし、乾いているのにどこか鋭くて、俺の胸を突くようだ。

 「……なんだってそう俺を遠ざけたいんだ」

 情けない話、そう言った声が震えちゃいないかと心配になった。
 俺はこのお人にだけは、凡そ弱点と言えるようなところを晒したくないのだ。いつでも、どんなときでも、なんであれども、俺を一番に頼れる先として思ってほしいのだ。

 そんなにも心寄せる相手に、素気無くされれば誰であれ傷つくものだろう。
 それに、俺は人に使ってもらわなければ役に立てない“道具”だ。このお人が――が俺に命を吹き込んでくれたおかげで、今ここに在るのだ。それなのに役に立てないとあれば、俺の存在意義なんぞはない。

 「そんなつもりはないわ。ただ、近侍の仕事をする必要はないと言ってるの」

 の声はやはり大きく聞こえたが、声量は決して大きなものではないのだ。それなのに、俺の胸をずどんと深く突いてしょうがない。
 共に過ごしてきた時間は短くない。もうダメだという死線だって、の下で――彼女の庇護あってこそ乗り越えられた。きっとこのお人もそう思っているに違いないと思うのに、こう突き放されるとどうしたらいいのか分からない。
 今までどんなことがあれど、傍を離れたことがないのだ。
 が俺を近侍にしてから、俺は一度もこのお人の傍を離れたことはないし、このお人も俺を傍から離すことなど一度だってなかった。
 それが一体、どうしてこんなことになってしまったのか、まったく見当がつかない。
 それだからこちらとしても、どう対処したらいいものか分からないのだ。

 「俺を近侍から外したのも、傍から離したいと言ってるのと同じだろ。……、なんで俺を近侍から外した」

 やっとそう口にしたとき、膝の上で握った拳が、どうにも震えてしまってたまらなかった。けれど気取られるわけにもいかまいと、なんでもないふうを装うには苦労した。

 は淡々とした調子で「……理由が必要?」と眉をひそめて言った。

 ――理由が必要かだって?

 「あぁ、必要だ。俺とあんたとは長い付き合いだぜ。初期刀の加州にゃ悪いが、俺があんたを一番分かってるはずだ。それがどうだ? いきなり近侍は今日限りでいいと言われて、はいそうですかって納得できるはずがないだろ」

 これを聞いては、俺のほうへと向き直った。
 それからゆっくりと首を振ると、はっきりと言った。迷いなく。

 「……ならはっきり言うわ。あなたを傍に置いておきたくないの。だから近侍から外した。他のことは今までと変わらないし、あなたに非があるわけでもない。だから黙って受け入れてちょうだいとしか言いようがないわ」

 「傍に置いておきたくない理由は? 俺に非がないとしても、何の理由もないわけじゃないだろ。なんで傍に置いておきたくないんだ。俺が気に入らないんじゃねえなら、はっきり理由が言えるはずだぜ」

 落ち着いた様子で、何食わぬ顔をしては目を閉じた。
 他の誰でもない、この俺が相手だというのに、そんなことが通じるはずもない。

 「これ以上聞かないで。……薬研、お願いよ」

 声が震えてしまっては尚更だ。

 「嫌だね。……そんな顔されちゃ余計だ。大将、あんた何に悩んでる。俺に言えない理由ってなんだ? そんなもんがあるとは、どうしたって思えねえよ。……なぁ、、頼むから俺の目をちゃんと見てくれや」

 「……やめて、言いたくないの、薬研、お願い、やめて、」

 これでもし俺がすぐに納得するようなものだったなら、この頑固で真っ直ぐとしたお人の近侍など、俺が務めるはずがない。
 このお人は自己犠牲すら厭わず、ただ“人々のため”というこの道を、誰に押しつけられたわけでもなく自ら選んでここまできた。
 そんな主だからこそ俺は、この俺自身こそがこのお人を守ってやらなければならないと思うのだ。

 なので「……分かった。大将に聞くのはやめる。……長谷部に聞く」と言うことに、俺はなんの躊躇いもなかった。

 はこれを聞いて顔を真っ青にした。

 「! やめて! ……薬研、やめて……。誰にも、何も聞かないで」
 「……長谷部の旦那にゃ、話してるんだな」

 俺と近侍を代わったのは、へし切り長谷部だ。
 真面目で、こちらも主と同じように仕事に励むお人であると俺はよく知っているが、それだからどうした? という話だ。

 俺がずっと守ってきたの懐刀としての誇りを、後からきたやつにかっ攫われる理由にはならない。

 「やめてッ! お願い、薬研、お願い、やめて、お願いだから、」

 どんどん言葉に力をなくしていくには悪いが、俺にだって――俺だからこそ、譲れはしない。

 それに、ここで何も分からないふりでもできてしまえば辛いと思うこともなかった――かもしれない――が、俺には分かってしまうのだ。

 「大将の口から聞けねえんだったら仕方ないだろ。……あんたに言う気がなくとも、俺には聞かれたくないんだとしても……俺っちにゃ分かっちまうんだよ、大将」

 「え……?」
 「あんた、今自分がどんな顔してるか分かってるか」
 「そんなの、」

 慌てて右手を頬へやったに、俺は微かに笑ってしまった。

 「口では離れろって言ったって、傍にいろって顔されちゃ離れるわけにゃいかねえだろうよ。俺っちは大将の懐刀なんだ。放っておけと言われようが、あんたを守るために……離れるこたぁできないさ。誰に何と言われようとな」

 「や、げん……」

 そう呟くの声をしっかり受け取ったあと、俺は戸の外から感じた気配へと言った。

 「というわけだ、長谷部の旦那。大将に文句があるんなら、まずは俺っちに言ってもらわなくちゃ困るってもんだぜ」

 「主、無礼は承知ですが、失礼致します」と言って、へし切り長谷部は戸を引くと、憤然とした顔でこちら――俺を睨みつけている。
 そして、まるでここが自分の居場所であると言うように、「……おまえはもう主の近侍ではない。出ていけ」と言うので、俺はまた笑った。しかし、口元が歪んでいるのが分かる。

 が、はっと息を呑んだのが分かった。

 「聞いてたんなら分かるだろ。離れるなんざごめんだね」

 「貴様……主の命だぞ……出ていけ。何も聞くな、何も言うな。おまえにできることは、今すぐにここから離れることだ。主のお傍から離れることだ」

 今にも――の前だというのに抜刀しそうなほど目を鋭くさせるので、俺はやっぱりそれを鼻で笑った。

 他の本丸の他の審神者のところではどうだか知らないが、少なくともこの本丸の審神者であるこのお人のところでは、近侍なんぞ務まるわけがないと。

 「あんた、この人のこの目を見て分からないか?」

 俺の言葉に、はっきりと不快感を隠すことなく、眉間に深い皺を刻んだ。
 向いていないな、ともう一度思った。

 「大将は俺が離れるのを望んじゃいない。それが分からねえなら、あんたにゃ近侍は向かないってことだ。傍を離れんのはあんたのほうだぜ」

 「ッ貴様ァ!」

 何をどうするか分かったもんじゃないような気迫であったが、「長谷部ッ!」というの声に我に返った様子で「あ、主……」と震えた声を出した。
 は疲れたような溜め息を零すと、静かに「……席を、外してちょうだい……。……主命よ、長谷部。席を、外して」と言って、目を伏せた。
 長谷部の旦那といえば主に――に忠実であることは絶対なので、納得はいかない様子ではあれど「……はい」と素直にその命に従い、その場を辞した。


 「……で、。どういうこった」

 あぐらをかいて、膝へ肘をつきそう言う俺に、は仕方がないという顔をした。それから「……あなた、本当にわたしのことならなんでもお見通しね。困ったわ」と苦く笑ったが、俺はそれよりもこのことの核心をはっきりさせるのが何より大事であると分かっている。ここでどうにかの口から真相を言わせなければ、問題は片付きはしないのだから。

 「そりゃ褒め言葉だぜ。……しかしまぁ、長谷部は忠義の塊みたいなモンだとは思っちゃいたが……ありゃとんでもねえな」

 今度は俺のほうが苦く笑ってみせると、はどこか呆れたような顔をして「……そうね。だからあなたを傍に置いておけないのよ、こうなるって分かってたんだもの」と額を押さえた。

 「……近侍を自分にしろって、直談判にでも来たか」

 思いついたことを口にすると、は眉をひそめ、少し俯いてみせた。

 「まぁ、そんなところね。……あんなふうに何度も頭を畳に打ちつけられちゃ、だめとは言えないわ。……わたしも最初は一切取り合わなかったけど……いよいよそれなら折ってくれなんて言い出すから、どうしようもないでしょ」

 長谷部を近侍にしたというところで、実はまぁそんなところであろうと当たりをつけていた俺は、肩をすくめて「そうは言ったってなぁ。それじゃ他の連中だって同じことするだろうぜ」と他の連中――同じような馬鹿をしそうなのを、いくつか頭に思い浮かべた。

 は「だから他には言わないで、何も聞かないでって言ったのよ」と顔を上げた。俺の様子を窺うような表情だ。

 「……どうする」

 短く言った俺に、は首をかしげた。

 「何を?」
 「近侍があんな様子じゃだめなことくらい、分かってるだろ」

 は誰よりも審神者らしい審神者だろうと思う。己が為すべきと思っているこの仕事において、は妥協というのを一切知らない。
 俺はそういうところを好んでいるが、だからこそいつも心配でたまらないのだ。もちろんこれは俺だけに限ったことではないと重々承知だ。
 けれど、ここまで――今は不本意なことに外されたが――近侍を務めてきた俺には、俺だけが知っているこのお人の顔がいくつもあるのだ。他の誰も知らない、このお人のどうにも損な性分だって。
 は疲れた様子で「……分かってはいても、どうにもできないでしょう。あの人、主命は絶対なんて言っておいて、実際のところわたしの話なんてちっとも聞いちゃいないんだから」と重い溜め息を吐いた。

 「……それなら折れてもらって結構だろ」

 俺は至極真面目にそう思ったし、本気なのでそう口にしたわけだが、はただ純粋に、おかしい、面白いとでも言うように笑った。調子を取り戻したように見えて、内心ほっとした。

 このお人の暗い顔は俺だけが知っているだろうが、だからといって見たいと思うものではないのだから。

 「あなたらしくないこと言わないでよ。長谷部に近侍が交代したからって、何も問題ないでしょう。わたしがなんとでも言えばいいし、長谷部の仕事ぶりからしても、みんな納得するわよ」

 ふふふ、と笑うに、俺はすぐに返事した。

 「だめだね」

 はきょとんとした顔を見せて、「どうして? 長谷部に折れてもらっちゃ困るし、近侍を務めるだけで満足してくれるならそれでいいわよ」と言うと、少しばかり億劫そうに布団から起き上がろうとしたのでそれを制した。
 しかし言葉は続ける。

 俺にだって――俺だからこそ、ここは引けないのだ。

 「俺が納得いかない。あんたが誰より信を置いてる、この俺が納得いかない」

 「……ずいぶんな自信ねぇ」とは目を丸くして、しかし、感心したとばかりに笑ったが、「……でも、こればっかりはだめよ。薬研なら話が分かると思ったから、信を置いてるからこその判断なの。近侍から外したとしても、こうして傍にいてくれるじゃない。ならそれでいいの」と、どうにも反応しがたいことを言うので、こちらのほうこそ目を丸くしてしまったし、感心してしまった。
 やっぱり、このお人の近侍には俺が一番似合っている。

 「それじゃ長谷部が納得しないのは見ただろ。だから俺も納得いかないって言ってんだ」

 困ったというより、面倒なことになってしまったという顔をちっとも隠さず、は「じゃあどうするの? 言っておくけど、長谷部が折れるのは困るし、揉め事も困る」と目を細めた。

 「俺っちひとりに堪えろって言うのか?」

 「そうね、そうなるわね。だけど、堪えてとしか言えないわ。他に方法がないんだもの」

 方法ならある。たった一つ。
 結果、俺にしろ長谷部にしろ“無事”ではいられない方法になってしまうと思うが仕方ない。

 「ならどうあっても勝負しかない。長谷部と俺と、どちらが近侍にふさわしいか」
 「揉め事は困るって言ったわよ」

 「今日のあなた、本当にらしくないわよ」と言って、が掛布団の上で組んだ両の手に、ぎゅっと力が入ったのを視認したが、それだからと引くわけにはいかない。このお人には――俺にはたった一人、このだけなのだから。
 このことがのためになるというのなら、俺も黙って従っただろうが、今回は違う。逆に困らせるだけの事態なのだ。

 「ただ黙って堪えろ、それも長谷部のためにって言われて頷けるほど、俺もできちゃいないぜ」

  俺の言葉を聞くと、はのんびりとした調子で「あらそう。困ったわねえ、どうしよう。……長谷部」といつもよりも少しばかり大きな声で、戸の外へと呼びかけた。
 するとすぐさま部屋の外から畏まった「っは!」という声が聞こえて、はそのまま入室するようにと長谷部に言った。

 そして満足そうに――どこにも問題などないというように、「ほら、呼べばすぐに来てくれるわよ、長谷部。近侍として立派なことよね」と繰り返し頷いた。
 のそれを見て、感極まった様子で「もっ、もったいないお言葉です、主……ッ! しかし近侍ならば当然のこと。主のいかなるご命令にもお応えするためです! 何なりとご命令下さいッ!」などと言うもんだから、さすがに俺も虫の居所が悪いと、つい「……ほう? じゃあなんだ、あんたは命令がなくちゃなんにもできないのか。……大将、そろそろ“いつも”の時間だぜ。俺がするか?」と、今まで築いてきたものを見せびらかしてやろうと思ってしまった。

 そんな俺のふつふつと音をたてるような感情なぞ気づかぬようで、は“いつも”通りに「あら、ほんと。いいわ、わたしがやるから」と答えたあと、思い出したように「ああそうだ、あれ出してちょうだい。ほら、あれよ、」と続けたので、俺は口端が意地悪気に持ち上がってしまいそうなのをなんとか堪えた。

 “いつも”この時間――八つ時の休憩のすぐ後――に、は必ず明日の内番の振り分けをする。

 の指示を受けつつだが、時には俺にその一切を任せてくれることもあった。
 長谷部は正直にも『分からない』という顔をしていて、俺はもちろん『そうだろうな』と心の内で思った。

 「あぁ、今剣が岩融と手合わせしたいと言ってたぞ。そう組んでやったらどうだ? ほら、目薬」

 「ありがとう」

 それからこの時間になると一気に目に疲れが出るようで、いつもいつも医者からもらっているという目薬を点すことになっているのだが、毎日のことであるのに、はそれをどこに仕舞ったかをいつも忘れてしまうのだ。
 俺はその日その日のの様子をよぅく見ているので、何がどこにあるかなど容易に分かるし、“外”へ出ていても想像がつくのだ。

 どうだ、勝てまい。

 そう思ってちらっと長谷部を見ると、悔しそうに唇を強く噛みながら「っぐ……! あ、主! お身体は冷えませんか? 空調の効きすぎでしょう。膝掛けをお持ちしましょうか?」と、肩を丸めて言った。

 「それは助かるわ。お願いできる?」

 のその言葉に、俺はやっぱり正確に応えた。

 「その必要はないぜ。昨日洗って干したばかりだ。あんたの好きな香もかけておいたぞ」

 そう言うと、膝掛け――は“ぶらんけっと”と呼んでいる――を箪笥の中にある専用の箱から取り出し差し出す。

 「あぁ、そうなの? 長谷部、ごめんなさい、膝掛けは大丈夫」

 「っは、はい……ッ! ……あ、主! 何か、何か……ッ何なりとご命令下さい! この長谷部、どんなものであれ主命には必ずお応えします! 最良の結果をっ、」

 “どんなものであれ”? それならあんたがすべきことはたった一つきりだ。

 「ならさっさと近侍を降りな」

 長谷部は顔を真っ赤にして、いつものきりっとした男前の顔はどこへやら、感情をむき出しに怒鳴った。

 これで“近侍”を望むなんて、俺からすればとんでもない話だ。
 “近侍”とはどんなときであれども、必ず本丸の大将たる自らの主を支えるために存在するものなのだ。時には、己の意思を曲げることも致し方ない。もっとも、このお人は俺にそんなことをさせるようなことは一度だってなかったから、俺は“近侍”の座を他の誰にも譲る気などさらさら起きないのだ。
 
 「おまえに指図される覚えはないッ! ……主、俺は近侍として、あなたをお傍でお守りしたいのです。必ず結果を出します。どうかこの長谷部にお任せ下さい。どんなことがあれ、あなただけは必ず守り通します!!」

 「大将、俺はあんたの懐刀だ。行く先がどこであろうが一生ついていく。いざってときにゃ、あんたと一緒に死んでやる覚悟はできてるぜ」

 自己犠牲を厭わず、そして誰より誇り高いこのお人のためならば、どんなとき、どんなことであれども、俺は必ず最後の最期まで離れはしない。
 今までずっと、そしてこの先だって決して違えることなどない、俺の誇りにかけての誓いだ。

 長谷部が歯を食いしばって、「……貴様ァ……主をお守りすることがすべてだろうがァ……ッ!!」と吠えるように叫んだ。
 しかし、それで怯むような俺じゃあない。何せ戦場育ちだ。
 俺には俺のやり方がある。そしてそれを主は――は認めて、許して、信頼してくれている。

 「……大将をひとりにさせねえことがすべてだろうが……ッ!!」

 それが――これだけが、俺のすべてだ。

 「……何やってんの?」

 眉を寄せ、訝しむ顔でひょっこり顔を出した加州に、はのんびりと答えた。

 「うふふ、なんだかわたし、プロポーズされてるみたいよ」

 すると、“俺が主の一番”――まぁ初期刀なので間違っちゃいない――と言って憚らないお人なので、もちろん「っはぁ?! 何それ! 主っ、結婚するなら俺以外にいないよ! 初期刀だよっ?! 俺が一番でしょ!!」とやっぱり大げさなほどに反応して、慌てて室内へ飛び込んできた。

 そうすると騒ぎは広がっていって、近くにいたらしい天下五剣が現れ兄弟の乱が現れと、もっと騒がしくなった。

 「何やら騒がしいと思ってきてみれば……ふむ。どれ、主。俺も仲間に入れてくれ。はっはっはっ、心配することなど何もないさ。……一緒になるなら、迷わず俺にしておけ。苦労はさせぬぞ」

 「えー? ボクのほうがいいよぉ? あるじさん。女の子の気持ち分かるもーん!」

 こうなってしまうと、話を聞きつけたのがどれほどここへ集まってくるか分かったもんじゃない。

 しかし、はやはりのんびりと「困ったわねえ、みんないい男だから選べないわぁ」などと言うので、思わず額に手をやって溜め息を吐いた。
 ただ、次の言葉を聞いてみればはっとした。

 「……でも、そうねえ……。わたしをひとりにしないでくれるって言うんだもの、わたしもひとりにできないわ。ね、薬研」

 このお人にゃあ絶対に敵わないし、それでいいと思って、きゅっと口端が持ち上がってしまうのを誤魔化すのに苦心する。
 これほどまでの口説き文句を、俺は知らない。

 「――と、いうわけだ。そら、全員仕事に戻んな」

 ぱんっと手を打って、わらわら集まっていた連中を追い出すと、こちらを鋭く見つめる目玉が二つ。

 「……いい気になるなよ、薬研。俺が主の近侍にふさわしい」
 「いい気になってんのはどっちだ? 俺っち以外に大将の近侍が務まるか」

 「「……」」

 俺たちの様子を見て、は呆れた声で「はいはい、もう近侍はこれから当番制にします。競争はお互い結果を出して、それからふたりでしてちょうだい。はい、解散」と俺も長谷部の旦那も、両方追い出されてしまった。

 ――さぁて、お互い地金を見せようや。






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