「お前ほんと馬鹿だね。主がお前に興味なんか持つはずないだろ」
 「お前こそほんとバカだね。主はお前には興味ないけど俺にはあるんだよ。愛してくれてるんだから」

 「「ちっ、だからお前のこと嫌いなんだよ」」

 庭でいつもの二人が、いつもの言い合いをしている。
毎日毎日、感心するなぁなんて思ったけれど、本当は複雑だ。
 するとそこへ廊下を曲がってきた主が、「あら、ふたりで何してるの? いつも仲が良くていいわねえ」と朗らかに笑ってみせた。何か用向きがあって自室を出たのか、二人の声が気になったのか。果たしてどちらだろう。

 「「主!」」

 こんなときには息ぴったりだなぁ。この本丸は今日も平和だ。
 頼まれていた仕事は終わった。
いつもは通り過ぎるばかりだけど、ちょっと様子を見ていてもいいかな。
そう思ったので、その場で立ち止まった。

 「僕こいつなんかと仲良くないよ。嫌いだ」
 「ハァ? それこっちのセリフなんだけど。ねえ主、俺とこいつどっちを愛してる?」
 「だから主はお前になんか興味ないってば。困らせるようなこと言うなよ」
 「お前のほうこそ主に愛されてないからって可愛くない嫌味言うのやめれば? 主が困るだろ」

 歴史修正主義者との戦いは終わる気配もなく、今日は第一部隊に錬度が並ぶようにと第二部隊が出陣し、本丸を空けている。第二部隊の隊長である薬研くんも留守だ。夕方までには帰ってくるだろうけれど、いつも彼らの仲裁に入っている彼がいないようでは、このやり取りはいつまで続くんだろうか。はたと思った。

 主は二人の様子を見て、ますます微笑んだ。まるで弟を可愛がる姉のようでいて、二人を慈しんでいるのがよく分かる。薬研くんが早く帰って来てくれるといいな、と思う。彼はたくさんの兄弟がいるだけあって、こういった不和の仲立ちには慣れているようだから。

 「うふふ、今日も仲良しでうれしいわぁ。それじゃあ、私は仕事があるから。あんまり遊んでばかりじゃあダメよ、清光も安定も」

 そう言って主はまた廊下を曲がって、自室へと戻っていった。ここの離れは、すべて主のものだ。彼女がそこへ人を招くときは決まっている。言外に、ここへ無断で立ち入ってはいけないと言うように。まぁそれでも、短刀の子たちは無邪気に顔を見せに行っているようだけど。それについては、主は何も言わない。けれど、恐らく勝手に押しかけられては困る事情があるのだろう。なので、ああも主のことで言い争う彼らも、決して彼女の自室へ押しかけたりはしない。


 「ほぉら見ろよ! 主、俺の名前先に呼んだ! これって愛されてる証拠だよね〜」
 「バッカじゃないの。本当に好きなものは最後に取っておくものだって主が言ってたよ」
 「……俺とやり合おうっての?」
 「こっちのセリフだよ。僕に勝てると思ってんの?」


 おっと、これは雲行きが怪しくなってきたなぁと思って、止めに入ったほうがいいかと近寄ろうとすると、そこへまた主が顔を出した。瞬きのような瞬間だったけれど、目が合ったような気がした。

 「あっ、ふたりとも」
 「「主!」」

 鬼のような顔つきで言い合って、今まさに抜刀せんとばかりの顔をしていた二人はどこかへ行ってしまった。短刀の子たちと同じとまでは言わないが、それに似通った表情で主のそばへ駆け寄っていく。すると彼女が、「光忠を呼んできてくれる? 今日のお夕飯のことで相談があって」と言ったのでどきりとした。目が合ったと思ったのは、気のせいじゃなかったのかな。僕はなんだか、どうしたらいいか分からないなと思って視線を落とした。今もう一度目が合った――ような気がしてしまったら……きっと、格好良くない顔をしているはずだから。

 「「分かった!」」

 元気よく頷いた二人の声にはっとして顔を上げる。もう主の姿はなかった。
やっぱり二人の声が気になって、仕事にならないんじゃないだろうか。それなら、早々に仲裁に入ったほうがいいな、と庭へ下りようとした。二人が交わす言葉は、どんどん不穏なものになっていく。

 「……なんでお前が返事するわけ?」
 「あ゛? そっちこそなんで返事したんだよ。主は俺に頼みたかったんだよ。お前はオマケだろ」
 「オマケはどっちだよ。いつまでもふざけたこと言ってると首落とすよ」
 「やれるもんならやってみろよ。お前にできるんならね」


 流石に仲間内で争って怪我をされちゃ困る。
 僕が庭に下りたと同時に、主がまた顔を出した。

 「あ、何度もごめんね。光忠の用事、早く済ませたいのよ。それが終わったら、わたしも仲間に入れてちょうだい」

 「「うん!」」

 主の前では仲良くしていられるのに、二人になるとどうしてこうもいがみ合ってしまうかなあと思いながらも、この二人が本当に険悪な関係ではないと皆が知っている。主もきっとそうだ。だから内番や遠征のとき、なんのかんのと言い合う二人を組ませて送り出すのだろう。
 それはともかく、いつまでもこんなに騒いでいたら、本当に主の仕事に支障が出るのでは? と僕は二人にどんどん近づいていく。距離があってもうるさかったのだ。近づくほどに二人の声が鼓膜をガンガン震わせる。


 「……だから主はお・れ・に! 頼んでるんだけど」
 「ハァ? 主は僕に頼んでんの。もういい、お前の相手してる暇ないから」
 「こっちのセリフなんだけど。主に褒めてもらえるのは俺だけだから」
 「何言ってんの。褒めてもらえるのは僕に決まってるでしょ」
 「「ケンカ売ってんの?」」


 やっぱり息ぴったり。本当はこんなに仲が良いのにね。段々となんだか二人の様子が微笑ましく感じられて、「ふたりともまたやってるの? あはは、飽きないねぇ」と注意する前にそう声をかけたのだけど、すると二人の視線がギンッと鋭くなった。戦場で敵を見つけたときのような殺気の込められたものである。


 「「見つけた!!」」


 そう言い放つと、二人は僕の両腕をそれぞれ思いっきり引っ掴んだので(見た目からは想像できないほどに)、僕は慌てて「えっ、なに? ちょっと!」とバランスを左右に崩しながら口にした。
 しかしそんな僕の姿など全く目に入っていないかのように、二人は鋭く睨み合っている。

 「……おい、その手放せよ」
 「そっちこそ放しなよ」
 「えーと、二人とも、とりあえず腕を放してくれるかな? あ、ほら、主は?」

 「「うっさいな黙っててよ!!」」

 仲裁に入るつもりが、巻き込まれてしまった。いやぁ、薬研くんが帰ってきたら、この二人の喧嘩の仲裁の仕方を教わらないとダメかもしれないな……。もしまた離れの近くで喧嘩を始めて、仕事中の主を邪魔するようなことがあっては大変だ。

 主は何も言わないだろうけれど、許すわけにはいかない事態だ。二人にはそんなつもりはなくとも、主は毎日僕らのことを考えて役割を振り分け、政府からの書類なども一人片付けているのだ。本丸に審神者はたった一人だ。できることなら代わってあげたい時もあるけれど、彼女でなければならない。
 いい加減にしないと――と口を開きかけた時、「ねえ、ふたりとも――」とまた主が顔を出した。そして今度こそ僕の目をしっかりと捉えた。

 「あぁ、光忠! よかった、探してたのよ」
 「そうなの? ごめんね、二人に捕まっちゃって」

 音もなく静かに廊下を進み、僕らのすぐ近くまでやってくると、彼女はにこりと笑った。その姿を見て、二人はいとも簡単に僕の腕からぱっと手を放すと、たたっと主へ駆け寄って庭から身を乗り出すようにして、「あるじっ、連れてきたよ! 褒めて!」「主! 僕のほうが先だよ!」とそれぞれ弾んだ声で話しかけた。それに主はますます笑みを深めて、「ふたりともありがとう。あとで三人でお茶でもしましょうね」とその場に屈んでそれぞれの頭を優しく撫でた。

 「「……うん!」」

 二人の声はどこまでも純粋で、どこまでも真っ直ぐだ。
僕は主にもう一度名前を呼ばれて、やっと庭から上がった。




 「だめだよ、。二人で遊んじゃ。何度も言ってるでしょ、煽っちゃ駄目だって」

 僕がそう言うと、は鈴のような可愛らしい声で小さく笑った。
この人の声は、心のどこまでも響いて、どこまでも追いかけてくる。
僕だけでなく、多くのものの感情を。

 「だって可愛いんだもの。ふたりとも、まだ子どもみたいだわ」
 「……妬いてるって言えば分かってくれる?」

 薄い腹に腕を回して、そうっと抱き寄せる。首筋に唇を押し当てれば、なんとも甘い香りがした。
 主の――の離れに、立ち入ってはいけない。
彼女はそうとは言わないが、そうだ。そしてその理由とは、僕だ。
この秘密の逢瀬を誰にも悟られないよう、僕達の関係を誰にも咎められないよう。
 短刀の子らに入室を許しているのは、僕がここへ居ても「燭台切さん、今日のお夕飯の相談ですか?」だなんて無邪気な様子を見せているからだろう。それに僕はこの本丸でに呼び起されてからずっと、彼女の近侍を外れたことはないのだ。他の刀剣達も、僕がここへ近づくことを訝しむものはいない。近侍だからっていいなぁ、ずるいなぁ、なんて嫌味は笑って流してしまうだけだ。これは、僕だけに許された特権だ。の傍を離れず、彼女の本当の姿を見ることができる、僕だけの特権。

 それでも、やはり大人気ない感情を抱いてしまう。

 「やだ、妬いてるの? あの子たちはわたしを姉のように思って慕ってくれてるだけよ。だから取り合いっこなんてするの」

 「……たとえそうだとしても、僕は嫌なんだよ。は僕のものだ。違うの?」

 刀剣である僕が、主に対して独占欲を抱くことはおかしいことだろう。末端といえど神である僕が、人に特別な情を抱くことはきっと許されないだろう。それに、この戦いを終えれば僕も彼女もどうなるか分かったもんじゃないのだから。

 それでも僕は、今目の前で、僕が心の底から愛おしいというように微笑む人の手を、温もりを、手放すことなど考えられない。いつか――その時というのは訪れてしまうだろう。その時、どうなるか? それは今、彼女の唇を奪ってしまえば忘れてしまうことだ。
 
 「――あら、大きな子どももいたものね。……ふふ、馬鹿ね」
 「僕までからかう気?」
 「いいえ。ただ、あなたにも可愛いところってあるのね、と思っただけよ」

 口付けのあと、余韻を残すことなく主は立ち上がった。


 「「主! 話は終わった?!」」


 あんまりにもドタドタ音をたてて近づいてくるものだから僕もすぐに気が付いたけれど、弱ったな。襖の外から聞こえる声に、僕は小さく溜息を吐いた。ここで入室を許してしまえば、いつ何時この騒がしくも主を心から思っている二人が、ここへ現れるか分かったもんじゃないのに。
 それでも主はゆったりと笑った。それから静かに立ち上がると、すっと襖を引いた。

 「あらぁ、ふたり揃って……ええ、もう終わったわ。光忠にお茶とお菓子を頼んだところよ。いらっしゃい。……お願いね、光忠」

 先程のことなどなかったかのように優しい眼差しを二人にあげるものだから、僕だってちょっとくらい意地の悪いことをしたって構わないだろう。ここへ何の遠慮もなく立ち入ることを許されているのは、この僕たった一人でいいのだ。

 僕も何事もなかったかのように立ち上がると、いつものように笑ってみせた。
瞬間、彼女と目が合ったような気がした。

 「あぁ、もちろん。――そうだ、二人とも」

 主の両手を取ってじゃれつくようにしている二人は、さも気分を害したというような顔で僕を射抜いた。

 「なんだよ、さっさと行けよ」
 「主は僕たちとお茶したいんだよ」

 もしここで、君達の大事な主は――は僕一人のものだと言ってしまえたらいいのに。

 「……あんまり主を困らせないようにね。温厚な僕でも、怒っちゃうよ。――それじゃあ、すぐに用意するね」

 そう言って部屋を出て襖を静かに閉めると、ふふふ、とやはり鈴の音のような笑い声がひっそり聞こえた。

 「ええ、お願いね、光忠」

 君は酷い人だね、と言ってやりたくなったけれど、これも彼女の仕事の内なのだ。僕との関係を知られてしまったら、この本丸の士気は少なからず低下してしまうことだろう。誰をも贔屓せず、平等に扱ってくれるからこその信頼関係にあるのだから。


 それでも彼女は、ただ一人僕を選んでくれた。それだけで充分だ。


 「「……なんなの、あいつ……」」


 「ねえ主っ! 俺のほうが燭台切なんかより可愛いよね?!」
 「そうだよ! 僕のほうが燭台切なんかより大事だよね?!」

 「うふふ、ふたりとも本当に仲良しねえ」

 大人気ない感情はもちろん、消えることなんかないけれど。
今晩彼女の部屋へ忍んだら、なんて言うだろうか。

 また、「馬鹿ね」と僕のゆるゆると燃える嫉妬心を、笑ってくれるだろうか。







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