「大将、何も泣くこたぁねえだろ。すぐに戻るさ」

 そう言っての頭を、クソ生意気な薬研が撫でている。コイツは嫌いだ。大嫌いだ。が初めての鍛刀で顕現させたからってだけで、調子乗ってるところがものすごく。それにだ。俺たちには到底及ばないけれど、人間で言えば大人のくせに、「だって、だって薬研くん、うう、や、薬研くん、」とか言って、自分より小さい薬研にべったりくっついて泣いている。

 「ほんの少しの間だ。俺が留守にしていても、加州の旦那がいるだろ。大丈夫だ」

 薬研がそう言うとこちらを振り返って、ぼろぼろ零れる涙で濡れた顔を俺に向けた。うんうん、よしよし、と思った。

 薬研は確かににとって特別な刀なのかもしれないけど、それは“本当の”特別なんかじゃない。だって右も左も分からなかったのそばにずーっといたのはこの俺だ。もう幾人かの刀剣男士がこの本丸に集まりつつあるけれど、にとっての“本当の”特別は俺だけだ。なんてったって初期刀だし近侍だし、は俺をかわいくしてくれて、いつも「きよちゃんかわいい。大好き!」と言っては俺を見つけるたびに構ってくれるのだ。

 なのに。なのに! この薬研藤四郎!! はコイツをまるで“本当の”特別みたいに扱う! それは俺だけなのに!

 「でも、でも、」
 「ちょっと遠征行くだけで何グズグズしてんの。ていうか俺じゃなんか不満あるわけ」

 両手を腰にあててずいっとに顔を寄せると、は涙いっぱいのかわいそうな目で俺に言った。
 
 「ううっ、ないよ、きよちゃんだいすき」
 「だよね。ならさっさと行かせなよ」

 薬研にひっついて離れないをぐいっと引き寄せて抱っこしてやる。ふふ、そうだよな、俺が特別に決まってるよね。だってのそばにずーっといたのはこのクソ生意気な薬研なんかじゃなくって、この俺だもんね。いっつもいっつも「俺強いから平気だよ」って言ったって、持てるなら持てるだけ全部! って本当に持てる精一杯の刀装を持たせてくれるし、ちょっとした掠り傷だってすぐに手入れしてくれるから、俺はいつだってかわいい。だからは俺だけを愛してくれているのだ。

 はよく「みんなわたしの大事な子だよ」なぁんて言うけど、“本当に”特別なのはいつだってこの加州清光、俺だけだ。

 それでもえぐえぐが泣くもんだから、「ねえ、俺の部屋で何かして遊ぼうよ。あ、爪紅塗って!」と話しかけていると、その様子を薬研がじっと見つめて動かないので「……お前も早く行けよ、いつまでそうしてるつもり?」と冷たく言い捨てると、「と、言われてもなぁ」とか言って困ったような顔で首の後ろに手をやった。いいからさっさと行けよ。小うるさいお前の兄弟たちが外で待ってんだろ、ちっ。

 すると薬研はちらっと俺に視線を寄こしたかと思うと、の名前を呼んで振り向かせた。……俺の胸に縋って泣いてたのに、いとも簡単に。

 「そうだな……大将、土産は何がいい?」

 とか言って薬研は笑って見せた。はうわーんなんて子供みたいな声を上げて、「なんにもいらないから行かないでぇええ」と薬研に手を伸ばした。そもそも自分で部隊を編成したくせに今更何言ってんのって話である。……そうだ、そのときはちっともこんな風になるような素振り見せなかった。なのに、いざとなってこれってどういうことなの。

 「……弱ったな……」

 全然「弱ったな」なんて顔じゃないのに、薬研はさも困っているような声で言ったので、俺は本当に心底腹が立った。だからお前はただ単に最初の鍛刀で顕現してきただけのヤツで、の“本当の”特別は俺一人なんだよ。さっさと行くかここで俺の刃の錆にされるか選べよ。俺は後者のほうが嬉しいけど。

 「、そんなやつほっとこうよ。俺が大好きなんでしょ? 俺がかわいいんだよね? 俺と一緒にいたいよね。はいっ、行こう」

 まぁそんなことせずとも、さっさとをこの場から離してしまえばいい。だって薬研なんかより俺のほうがかわいいに決まってるんだから、いつもみたいに一緒にいればすぐ笑ってくれるはずだ。「きよちゃんかわいい。大好き!」って。

――――なのに!

 「やぁああ、きよちゃん大好きだしかわいいけど薬研くんがいいよおおお」

 「……おい、何ぼさっとしてんだよさっさと行けよ。それとも今ここで俺にぶった斬られたいの?」

 大好きでかわいいって言うのに、なんで薬研のほうがいいわけ。意味分かんない。っていうか薬研なんかちっともかわいくないし、が「いい」っていう理由どこにもないじゃん。
 けれどはわんわん泣いてしょうがない。俺の腕の中で泣いてるくせして、呼ぶのは俺の名前じゃないなんてどうかしてる。

 薬研は薬研で「おいおい加州の旦那、物騒なこと言うなよ」とか言いつつも、目は刀剣らしく鋭くなった。いざとなったらここで――の前でも抜刀するって? それなら上等だ。だってに一番――特別かわいがってもらえてる俺が負けるわけない。“本当の”特別の意味を、この俺が直接体に叩き込んでやるっていうのも一つの手である。それで薬研が身の程を弁えてくれるんなら、ちょっとの労働くらい安いもんだ。
 ほら、どっからでもかかってこいよ、と目で言ってやると、薬研はふっと視線を逸らして、それはそれはあまやかな声を放った。

 「……ほら大将、いつまでも泣いてると、目が溶けちまうぞ。すぐに帰ってきてやるから、もう泣くのはよせ。大丈夫だ、何も心配することない。ちゃんとお役目果たして戻ってくる」

 その声を聞くと、は面白いほどぴたっと泣き止んだ。それから恐る恐るといった具合に薬研のほうへ顔を向けると、顔を覆っていた手指の隙間からちらっと盗み見た。ガキかよ。

 「……ほんと?」
 「あぁ、もちろんだ。俺が嘘をついたことがあるか?」
 「ううんっ、ない!」

 がぐいっと身を乗り出したので、慌てて支えてやる。それなのに俺のことなんかそっちのけに、弾んだ声で薬研薬研とうるさい。薬研のほうもそれはもうイイ笑顔で、「よし、じゃあいい子で待ってられるな?」と言っての頭へ手を伸ばした。すかさずぐっと上へ持ち上げる。ふん、届かねーだろガキ。
 せせら笑う俺にほんの少し顔をしかめたので、ふふんと思ったが取り消す。

……コイツ笑いやがった……!

 「うんっ、いい子にしてるから、帰ってきたらいっぱい撫でてね! いっぱいだからね!」

 は暢気に子供みたいなこと言って、俺の首にぎゅっと抱きつきながら笑っている。
俺じゃなく、薬研へと向けて。

 「任せろ。じゃあ、行ってくる」

 やっと行く気になったらしい薬研が、やっと――やっとそう言って背を向けたので、俺はそれをさっさと行けと手であしらった。さぁ、俺の部屋へ行こう。そう言おうと顔を覗き込むと、唇をいじらしく噛んで震えている。……おい、おい!

 「い、い……いって……らっ、しゃぁいぃ」

 涙の滲んだ、かわいそうな声だ。こんな風にいってらっしゃいされたら、俺はもちろん「行ってくるね」なんて言わずに何がなんでものそばを離れない。初期刀だし、の“本当の”特別だし、更には俺って近侍だからね! そう、近侍! 今までいーっかいも任を解かれたことなんかない近侍! の“本当の”特別!

 薬研は歩き出そうとしていた足をぴたりと止めて、こちらを振り返った。

 「……大将、泣くな。ほら、こっちこい」
 「薬研くんんんんん!!!!」

 「なんなのこいつらマジむかつく! のばか!!」

 もう絶対絶対絶対許さない!
 クソ生意気な薬研も――――は俺の“特別”だから許す!



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